「令和」の時代に礼の輪を!

一条真也です。「天下布礼」に休みなし!
全互連の理事会に出席するため16日に東京に飛び、17日に全互協の正副会長会議および委員長会議を終えてから北九州に戻りました。18日は、早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。

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拝礼する佐久間会長

f:id:shins2m:20190418081608j:plainわたしも拝礼しました

f:id:shins2m:20190418082042j:plain神事の最後は一同礼!

 

皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。わたしは、社業の発展と社員のみなさんの健康を祈願しました。

f:id:shins2m:20190418083628j:plain天道塾のようす

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冒頭に話す佐久間会長

 

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。
まずは佐久間会長が登壇し、最初に福岡県知事選挙の結果と今後の街づくりについて話しました。それから、最近の話題の人物として、大相撲新大関貴景勝、引退を発表したプロ野球イチロー選手、柔道家山下泰裕氏などについて話しました。

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訓話を行う佐久間会長

 

それから佐久間会長は「令和」という新元号を取り上げ、「和」という字から聖徳太子の「和をもって貴しとなす」を思い浮かべるとして、十七条憲法を参考にした天道思想「良心の掟」なるものを17個披露しました。内容は、「正直であれ」「人を傷つけるな」「弱者をいじめるな」「人に優しくあれ(思いやりをもて)」「自分に厳しくあれ」「約束は守る」「卑怯な行いをするな」「前向きに生きよ」「他人に迷惑をかけない」「他人と仲良くせよ」「感謝の心を忘れない」「素直な気持ちを保て」「謙虚さを忘れない(謙のみ福を受く)」「明るくあれ(陽気にふるまう)」「努力を怠るな」「慎み深く驕るなかれ」「勤勉を旨とせよ」です。かつて佐久間会長は「国に憲法、人に礼法」との名言を吐きましたが、「良心の掟」はまさに十七条礼法であると思いました。

f:id:shins2m:20190418090819j:plainわたしが登壇しました

 

それから、社長のわたしが登壇して講話をしました。
冒頭、ブログ「『桜を見る会』に参加しました」で紹介した行事について報告しました。それから、「新元号は『令和』に決まりました」と述べ、以下のような話をしました。
官房長官が最初「レイワ」と口にしたとき、「ヘイワ」と聞こえて「平和」が新元号かと一瞬思いました。また、「令和」の「令」が「礼」だったら最高なのにとも思いました。しかしながら、新元号は「令和」です。
「令」の字といえば、じつは「天下布礼」とパソコンやスマホに打ち込んだとき、いつも最初は「天下布令」と出てきます。わたしは「令」の字を「礼」に変換するという作業を繰り返しています。新元号発表後に記者会見を開いた安倍首相によれば、『万葉集』三十二首序文の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」が出典です。

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「令和」について話しました

 

安倍首相は、「令和は、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味です。典拠となった『万葉集』は幅広い階層の歌がおさめられた日本の豊かな国柄をあらわす歌集であり、こうした日本が誇る悠久の歴史と香り高い文化、四季折々の自然の美しさという伝統を後世へ繫いでいく。また、厳しい冬の後に花開かせる梅の花のように、国民ひとりひとりがそれぞれの花を大きく開かせることが出来る時代になってほしい。その想いこめるにふさわしい元号として閣議で決定いたしました」と述べました。

f:id:shins2m:20190418091755j:plain「和」の出典は『論語

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

 

 

また、「令和」を考案したと有力視されている国文学者の中西進氏は、「読売新聞」のインタビューに応じ、「元号の根幹にあるのは文化目標」とした上で、令和の「和」について「『和をもって貴しとせよ』を思い浮かべる」と述べ、十七条憲法の精神が流れているとの考えを語りました。聖徳太子の「和をもって貴しとせよ」のルーツは『論語』で、「有子が日わく、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す。小大これに由るも行なわれざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以ってこれを節せざれば、亦た行なわれず。」〈学而篇〉という言葉があります。「みんなが調和しているのが、いちばん良いことだ。過去の偉い王様も、それを心がけて国を治めていた。しかし、ただ仲が良いだけでは、うまくいくとはかぎらない。ときには、たがいの関係にきちんとけじめをつける必要もある。そのうえでの調和だ」という意味ですね。

f:id:shins2m:20190418092047j:plain「令和」の出典は『万葉集

原文 万葉集(上) (岩波文庫)

原文 万葉集(上) (岩波文庫)

 

 

この「令和」という新元号ですが、史上初の日本古典に基づいた元号と言う意味で、大変画期的かと思います。国際社会の中で「日本らしさ」が求められる昨今、その原点とも言える『万葉集』から引かれたことは、大きな意味と節目になるかと思います。また、引用元の「令月」は何を行うのにも良い月、もしくは2月の異称とのことですが、元号とその由来に「月」と当社が目指す「和」がこめられていることは、わがサンレーにとっても大変意義深い元号なのではないでしょうか。

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梅の花は東アジアの平和のシンボル

 

それから、「令和」が梅の花を詠んだ和歌に由来することに感銘を受けました。現在の日本は桜の開花で賑わっていますが、この時期に梅の花に由来する元号が発表されたことは興味深いです。梅の花を見ると、わたしはいつも『論語』を連想します。わたしは、日本・中国・韓国をはじめとした東アジア諸国の人々の心には孔子の「礼」の精神が流れていると信じています。ところが、いま、日中韓の国際関係は良くないです。というか、最悪です。三国の国民は究極の平和思想としての「礼」を思い起こす必要があります。それには、お互いの違いだけでなく、共通点にも注目する必要があります。そこで重要な役割を果たすのが梅の花です。日中韓の人々はいずれも梅の花を愛します。日本では桜、韓国ではむくげ、中国では牡丹が国花または最も人気のある花ですが、日中韓で共通して尊ばれる花こそ梅なのです。

f:id:shins2m:20190418092431j:plain梅は気高い人間の象徴


この意味は大きいと思います。それぞれの国花というナンバー1に注目するだけでなく、梅というナンバー2に着目してみてはどうでしょうか。そこから東アジアの平和の糸口が見えないものかと思います。梅は寒い冬の日にいち早く香りの高い清楚な花を咲かせます。哲学者の梅原猛氏によれば、梅とは、まさに気高い人間の象徴であるといいます。日本人も中国人も韓国人も、いたずらにいがみ合わず、偏見を持たず、梅のように気高い人間を目指すべきではないでしょうか。各地の梅の名所は、海外からの観光客の姿が目立ちます。わたしは、戦争根絶のためには、ヒューマニズムに訴えるだけでなく、人類社会に「戦争をすれば損をする」というシステムを浸透させるべきであると考えます。梅原氏は今年の1月に逝去されましたが、「令和」という元号そのものが梅原氏の遺言のような気がしてなりません。

f:id:shins2m:20190418091115j:plain守っていかなければならないものとは

 

大きく社会の様子が変化している現在だからこそ守っていかなければならないものがあります。それこそ、元号に代表される古代からの伝統であり、わが社が業とする儀式なのです。今回の改元が行われる曲折の中で、情報システム上の問題から、企業の元号離れが進んだといわれています。国際化などが進展する現代において、基準となる西暦以外の紀年法は必要ないのではないかという意見も聞こえました。

f:id:shins2m:20190418092732j:plain元号は日本固有の文化である

 

もちろん、元号不要論の中には、単に西暦と併記することが億劫だからという理由もあるのでしょうが、果たしてそんな理由でこれまでの伝統をなくしてしまって良いのでしょうか? わたしの答えは「否」です。元号であれば、「大化」以降約1400年あまりにわたって受け継がれてきた伝統であり、今回の「令和」に至るまで、平成を含めて約250を経ています。これはルーツとなった中国においても既に喪われてしまったもので、現在は日本固有の文化だということができるでしょう。


和を求めて』(三五館)

 

ここに見える希少性は、無論、今後も元号を続けるべき理由のひとつですが、それ以上に、元号にはこれまで日本が歩んできた道のりや、その時代を生きた人々の想いが凝縮されたものであることが何よりも大切なのです。今回の「令和」であれば、「昭和」に続いて「和」の一字が入ったことが大きいです。拙著『和を求めて』(三五館)でも述べたように、「和」は「大和」の和であり、「平和」の和です。日本の「和」の思想こそが世界を救うのではないかと思います。

儀式論』(弘文堂)

 

それは儀式においても同様です。拙著『儀式論』(弘文堂)、『決定版 冠婚葬祭入門』『決定版 年中行事入門』(ともにPHP研究所)にも書きましたが、冠婚葬祭・年中行事に代表される儀式は、これまで日本人が培ってきた文化の淵源すなわち「文化の核」であり、元号と同じく、携わる人間が想いをこめて紡ぎ上げてきた、かけがえのない存在です。そのように重要な存在を、効率化や文明化の美名を被った「面倒くさい」という意識のもとになくしてしまうことは、決して許されるものではありません。

f:id:shins2m:20190418124647p:plain決定版 冠婚葬祭入門』と『決定版 年中行事入門』 

 

そもそも、現代のわたしたちが「改元」や「儀式」を体験できることは、過去のご先祖様たちがわたしたちへ、この文化を繫いできてくれたからです。それを中継地点に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは「おこがましい」としか表現のしようがありません。世の中には本当に意味のない、ムダな作法「虚礼」が存在することも事実です。このようなものは淘汰されてしかるべきですが、不易と流行の間にある線引きをどこに置くかについて、新時代を迎える今、わたしたちは慎重の上にも慎重に考えを巡らせなければなりません。

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儀式の時代が花開く!

 

ともあれ、ついに新たな元号「令和」が決定しました。これから今上陛下の御譲位また皇太子殿下の新天皇への御即位にあたり、日本文化の核ともいえる践祚と即位に関する儀式群が幕を開けます。儀式に携わる者として、いま、この時に立ち会えた幸運に感謝し、その推移を見守らせていただくとともに、これから迎える新たな御代が誰にとっても平穏で、そして儀式の華ひらく時代となることを心より願う次第です。

f:id:shins2m:20190419084525j:plain礼を求めて』(三五館)

 

拙著『礼を求めて』(三五館)にも書きましたが、儀式は「礼」を形にしたものです。「礼」をハードに表現したものがセレモニーであり、ソフトに表現したものがホスピタリティではないかと思います。そして、「礼」は究極の平和思想です。先程述べた日中韓の三国には孔子の説いた「礼」の思想が生きているはずですので、ぜひ三国間で友好関係を築いてゆきたいものです。また、日本人の間においても「礼」を大切にするべきです。至るところで冠婚葬祭が大切にされ、「おめでとう」と「ありがとう」の声が行き交うハートフル・ソサエティを実現したいものです。「令和」の出典である『万葉集』に収められている和歌で最も多いのは相聞歌と挽歌、つまり恋愛と鎮魂がテーマです。まさに冠婚葬祭そのものではありませんか!

f:id:shins2m:20190418093450j:plain「令和」とは「礼輪」である!

 

最後に「令和の時代に、礼の輪を!」と訴えてから、わたしは降壇しました。すると佐久間会長が登壇して、わたしの「礼輪」にインスピレーションを得たのか、今年の見事な初日の出に言及し、「まんまるく まんまるまるく まんまるく まんまるまるい 令和の日の出」という歌を即興で詠みました。うーん、これぞ老人力ですね。お見事!
「令和」への改元まで、あと13日です。

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改元まで、あと13日!

 

2019年4月18日 一条真也

あらゆる音は「阿」からはじまる   

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すべての教えのもとになっているのが、「阿」という文字だ。誰しも、最初に口を開いたときに発せられる音は、「阿」だ。「阿」の音を離れては、どんな言葉も成立しない。それゆえ「阿」こそが、あらゆる音の母といえる。(『梵字悉曇義』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 

 

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。
わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。「令和」への改元まで、あと14日です。

 

2019年4月17日 一条真也

『最強レスラー数珠つなぎ』  

最強レスラー数珠つなぎ

 

 

一条真也です。
『最強レスラー数珠つなぎ』尾崎ムギ子著(イースト・プレス)を読みました。当ブログの読者のみなさんはご存知のように、わたしはプロレスを愛する者です。ブログでも、これまで数多くのプロレスに関する本を紹介してきました。「もう、プロレス本はいいわ」と思うのですが、その一方で、ときどき無性にプロレス本が読みたくなります。そんな時に、アマゾンで本書を知って購入しました。
著者は1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学国語学部卒業後、リクルートに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。「日刊SPA!」、「ダ・ヴィンチ」などでプロレスの記事を中心に執筆。プロレス本の編集・構成も手がけ、本書がデビュー作となります。

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本書の帯

 

 本書の帯には、「あなたが最強だと思うプロレスラーを指名してください」「プロレスとは? 強さとは? 生きるとは?」「強い者には常識を打ち壊す力がある! ムギ子さんにもその資質を感じます」(佐山サトル)「強さとは何か? 世の男共の永遠のテーマ。ちょっと変なムギ子さんでなければ書けない本だ」(藤原喜明)と書かれています。

f:id:shins2m:20190325154348j:plain本書の帯の裏

 

帯の裏には、「総勢19名、団体の垣根を越え、奇跡のバトンがつながれた――。プロレスラーが『自分より強いと思うレスラー』を指名する――『日刊SPA!』連載時から物議をかもした問題作がついに単行本化!!」「[特別対談]『強さを求めて』佐藤光留×尾崎ムギ子」と書かれています。
さらにカバー前そでには、「『私にはもうプロレスしかない・・・・・!』 廃業寸前のライターを救ってくれたのはプロレスだった!」と書かれています。

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本書のカバー裏表紙

 

本書に登場するレスラーは、宮原健斗ジェイク・リー中嶋勝彦鷹木信悟岡林裕二関本大介佐藤光留崔領二鈴木秀樹、若鷹ジェット信介、石川修司田中将斗、垣原賢人、鈴木みのる小橋建太、髙山善廣、前田日明佐山サトル藤原喜明藤原敏男の19名ですが、わたしの知らない若いプロレスラーもたくさんいました。

 

「はじめに」で、新宿歌舞伎町のバーで著者がノンフィクション作家の柳澤健氏に出会います。柳澤氏といえば
ブログ『完本 1976年のアントニオ猪木』ブログ『1964年のジャイアント馬場』、そしてブログ『1984年のUWF』で紹介した本の著者ですが、プロレスに興味を持ったという著者に対して、柳澤氏は次のように語ったのでした。
「女子がプロレスに魅了されるのは当然です。戦後、アメリカのプロレスは、専業主婦が支えていたんですよ。男たちが戦争に行っている間は外に出て仕事をしていた女性たちは、テレビでガタイのいい男たちの闘いを観て欲求不満を解消していたんです。テレビだけでは満足できない女性はプロレス会場に足を運び、プロレスラーが泊まるホテルに押しかけて関係を持つ女性まで現れた。アメリカに限った話ではありません。江戸時代には、お金持ちのおばさんが歌舞伎役者を買う“役者買い”が普通にあった。『いい男に抱かれたい』という女性の秘めた欲望が、プロレスを観て全開になってもおかしくはない。行動に移すかどうかはともかくとして」

 

廃業寸前のライターだった著者は、プロレスのプの字も知らない状態でプロレスの記事を書きました。「プロレスはショー」、「最強より最高」と。この記事がTwitterで大炎上しました。騒動の発端は、佐藤光留というレスラーのツイートで、彼は「書いた人間を絶対に許さない」と怒っていました。著者はこう書いています。
「ひとり目のレスラーは、わたし自身が指名することにした。パンクラスMISSION著者が所属・佐藤光留。件の記事に噛みついてきた人だ。連載タイトルに“最強”という言葉を使うことにしたのは、『最強より最高』というフレーズに佐藤が怒りを露わにした。そのことが、わたしのなかでずっと引っ掛かっているからだ。強さとはいったいなんなのか。この連載を通して探っていきたい」

 

佐藤と発対面した著者は、「その節は気分を害してしまい、大変申し訳ありませんでした。改めて、なぜ佐藤選手があの記事に憤りを感じたのか、教えていただけますでしょうか」と問います。それに対して、佐藤はこのように答えました。
「女性がビジュアルから入ったり、『試合が面白いければどっちが強いかなんて関係ない』っていう見方をしてプロレスに携わってくるのは、全然かまやしないんですよ。ただ、メディアが紹介するときに、『いまは強さなんてそんなに関係ないんだよ』みたいなことを言われると、やっているほうからしては、その生き死にで生活しているんだっていう話です。僕は保育園の卒園文集に『プロレスラーになる』と書いたので。それ以外の人生を送ってきていないですから。物書きのかたの場合だと、『誤字脱字を見つけるのがブームなんだよ』と言われるのと一緒です。いや、そこじゃねえじゃん、っていう」
これは、うまいことを言うなと感心しました。確かにそうです。

 

1984年のUWF

1984年のUWF

 

 

パンクラス鈴木みのるの弟子だった佐藤光留にはじまって、さまざまな若手レスラーを渡り歩いた後、著者は初代タイガーマスク佐山サトルに会います。これは著者にとって至福の出来事でした。なぜなら、著者は「佐山女子会」を結成したからです。著者は「きっかけは、『1984年のUWF』(柳澤健著/文藝春秋)。プロレスに憧れ、失望し、それでも新格闘技という道を切り拓こうとする佐山青年は、儚さを帯びたヒーローそのものだった。ああ、佐山さんのすべてが好きだ! 闘いも、見た目も、思想も、歌が上手なところもすべて!」と述べています。

 

続けて、著者は以下のように書いています。
「当時の私は、どん底だった。仕事がない。貯金は底をついた。このままでは飢え死にしてしまう・・・・・・。佐山さんだけが、心の支えだった。頑張って生きていこう。生きていれば、いつか佐山さんに会えるかもしれない。それだけを夢見ていた。夢は突然、叶うことになった。この連載でノアの中嶋勝彦選手が、“最強レスラー”として佐山サトルの名前を挙げたのだ。『へえ、佐山さんですか。意外ですね』と平静を装いながら、私の体は小刻みに震えていた。オフィスを後にした瞬間、涙が頬を伝った。こうして私は、憧れの佐山さん、否、『佐山先生』(プロレス界ではそう呼ぶ)に会いに行くことになった」

 

佐山に会った著者は、佐山女子会の会長であることを告げ、「わたしは会長として、佐山先生の歴史や思想を発信していきたいと考えているんです」と言います。それに対して、佐山は次のように述べました。
「30年前、修斗を作りましたけども、天覧試合をやりたいとか、相撲のようなものを作りたいとか、精神的なものと共にあるものを作りたかったんですね。それでタイガーマスクを辞めて格闘技の世界に入ったわけですが、若気の至りって言うんですかね。哲学も科学もなにも知らなかったものですから、実現できなかったんです。でも、いまならできるんですよ。そういうことばっかりが、僕の本心なんです。科学的なものとか、本当の強さとはなにか、とかね。いま、その最終段階にいるわけです」

 

 

「新たなる格闘技を作ろうとしているのでしょうか?」と問う著者に対して、佐山はこう語ります。
「格闘技ではないですね。格闘技の精神的なものですね。仏教であったり、儒教であったり、儒教の中にある朱子学であったり、陽明学であったり。グローバル主義の中に流れているものも取り入れなくてはならないし、神道的な普遍的無意識もそうですよね。歴史も大切ですし、精神学も大切ですし、それらを全部まとめなきゃいけないわけです。なにがしたいかと言うと、祠(ほこら)とか、洞穴に籠もりたいんですよ。集中したいんですね。いまやっていることはすべて人に任せて、核心の部分を求めたいんです」
うーん、なんだか、わたしと話が合いそうですね!

 

憧れの人へのインタビューを終えた後、著者はこう述べます。
佐山サトルは天才だ。ゆえに、だれからも理解されない。人は、人から理解されないと、どんな気持ちがするのだろう。悲しいのだろうか。誇らしいのだろうか。孤独なのだろうか。佐山サトルはずっと、孤独の中に生きているのだろうか。かつて初代タイガーマスクとして一世を風靡した青年は、60歳を目前にして『洞穴に籠もりたい』と話す。
佐山女子会は、永遠に続けよう――。穏やかな笑顔の中に見え隠れする、“佐山さん”の寂しげな瞳を見つめながら、私はただ、そう心に決めた」

 

 

佐山サトルが「自分以外で最強だと思う男」として紹介したのはプロレスラーではなく、元キックボクサーの藤原敏男でした。著者は述べます。

「『機動隊が50人、襲いかかってきたらしいです。それをすべてかわしたら、今度は柔道の猛者たちがやってきた。捕まった藤原先生の身元引受人になったのが、黒崎先生だったとか』
藤原敏男の強さを教えてほしいと言うと、弟子の小林聡はそう言って笑った。本人は『若いときは喧嘩もした』と控えめに言うが、おそらく相当、やんちゃをしたのだろう。武勇伝は数知れない。
伝説のキックボクサー。外国人で初めてムエタイの頂点・ラジャダムナン王者になった。タイに行くといまでもレッドカーペットが敷かれ、藤原を見つけるとヒクソン・グレイシーが走ってくるという。ヨーロッパのキックボクシングの拠点になったオランダ目白ジムには、道場の壁一面に藤原の写真が飾られている」

 

キック界のレジェンドに、著者は「藤原先生にとって強さとはなんですか?」と質問します。それに対して、藤原敏男はこう答えます。
「俺は強さに憧れた。でも強さを覚えていくにつれて、乱暴さが消えていく。そして愛に変わってくる。だから、男の強さとは、愛である。これが70歳になって、格闘技人生を生きてきた男の最後の言葉。昔は佐山先生と一緒に暴れもしたけど、暴言、暴力は絶対にダメ。自分の気持ちを愛で包んで、優しい言葉で相手に伝えていかないと。みんなね、自分一人で強くなって生きてるわけじゃないから」

 

そして、藤原敏男は「自分以外で最強の男」として、プロレスラーの藤原喜明の名を挙げます。「格闘技で一番強いのは、プロレスラーなんじゃないかと思うよ」と言う藤原敏男は、「なぜですか?」という著者の質問にこう答えます。
「レスラーは肉体を痛めつけるじゃないですか。そういった意味で、打たれ強いというのかな。デカいし、パワーもあるし。とてつもない技を使うしね。跳んだり跳ねたり、空中殺法なんて立ち技の我々には到底できない。さらに、お客さんを楽しませるでしょ? ありとあらゆる面で、レスラーが一番強いと思う。藤原組長と飲んでて首をグッと絞められたことがあるけど、太刀打ちできなかった。敵わないなと思ったよ」

 

その藤原喜明は、師である「プロレスの神様」ことカール・ゴッチの思い出を楽しそうに語ります。「組長とゴッチさんの関係、本当に素敵だなと思います」と」と言う著者に対して、こう語るのでした。
「俺らって、裸と裸で一緒に汗かいたり、くっついたりしてるわけだよ。ある意味セックスしてるようなもんなんだよな。だから離れていても、普通の友だち以上に、昔の愛人だったような、夫婦だったような、繋がりが深いんだよね。長いトレーニングで一緒に苦しんだり、体と体がくっついたり、汗と汗でビショビショになりながらさ。プロレスラーってそういう関係なんだよ」

 

 

「組長が思う強さとはなんですか」という問いに対しては、藤原喜明は「ちょっと答えは違うかもしんないけど、ルールに基づいて、勝ったもんが強いんだ。だけど、努力ばっかりじゃ強くなれないからね。努力で村一番にはなれても、日本で一番とか、世界で一番にはなれない。DNAだよ。努力しましたって言ったって、努力できるDNAかもしれないし。だから強いからって、偉いとは限らないよ。年取ると、いろんなことが分かってくる。ガンをやってから、余計にな」と語ります。

 

また、「プロレスとは、プロレスラーとは、どういうものでしょうか」という問いに対しては、「プロレスラーは、強くて当たり前。プラスアルファだよ。いくら『俺は強いんだ』って言ったって、お客さんがつまんないなと思ったら、二度と来てくれないからね。でもね、本物はやっぱり綺麗なんだよ。藤原敏男さんのハイキックだって綺麗だしな。本物は美しい。美しいから、お客さんが来る」と答えるのでした。

 

 

藤原喜明が指名した「最強の男」は、前田日明でした。
前田に対して著者は「関節技は、前田さんにとってどのようなものですか」というガチンコの質問をしますが、前田はこのように語りました。
「猪木さんも山本(小鉄)さんも、若手の頃にアメリカ修行で行った場所はテネシー州なんですね。テネシー州っていうのは、太平洋戦争での戦死者が一番多い州なんです。だからプロレスでも、日本人がヒールで扱われたりとか、日本人をバカにするような取り決めだったんですね。正統派として出たとしても、相手のアメリカ人がショーとしてのプロレスをやってくれずに、ガチンコを挑んできたりとか。
あの2人は、“やられた喧嘩は買ってやり返す”っていう経験をいっぱいしている人たちなので、『外人にバカにされちゃいけないよ。向こうがルールを破ってきたら、ヤッていいんだよ』っていう教育だったんです。俺の場合、『ヤッていいんだよ』というところだけが大きくなりすぎましたけど(笑)」

 

また、「総合格闘技を創設したのは、佐山さんなのでしょうか? 前田さんなのでしょうか?」と、これまたガチの質問をする著者に対して、前田は優しく答えます。
「だれが創ったとかじゃなくて、そういうことを目指している時代だったんですよ。当時、盛んに言われていたのは、実践空手の影響で、なにが一番強いんだろうかということ。組めばいいのか、投げればいいのか、殴ればいいのか、蹴ればいいのか。みんなが、せーのでやったら、だれが一番強いのか。そうなると、ルールとして総合格闘技的になるしかなかったんです。
佐山さんはUWFにルールだとかいろいろ持ち込みましたけど、それはUWFという団体のためのアングルだったんですよ。簡単に言うと、言い訳のためにルールを作ったんです。『UWFって危険なんだよ、だからルールがいるんだよ』と。でも実際にやっているのはプロレスなんですよね」

 

さらには、「前田さんのプロレス観をぜひ教えてください」と言う著者に対して、前田はこう答えます。
「プロレスはね、究極のアスリートスタントマンがやるメロドラマですよ。真面目にやるとこれほどキツくて危ないスポーツはない。でも手を抜けば、これほど楽なスポーツはない。両極端なんです。だから面白いんですよね。こっちの極端とこっちの極端が試合することもありますしね。
いまプロレスは活気を呈しているように見えるんですけど、昔と比べるとまだ低調なんです。昔は人口10万人くらいのところでも、3000、4000人、普通に入りましたから。ちょっと不況を脱したから浮かれちゃってね、スタントマンを飛び越して、サーカスになってるんですよ。だから危険なんです。スタントマンは、危険なことを危険でないようにやる。サーカスは、危険なことを危険にやるんです」

 

そして、「強さとはなんだと思われますか」という質問に対しては、前田はこのように答えました。
「強さとは、しつこさです。しつこい人は諦めないでしょ。負けを認めないから、延々と努力するんですよね。しつこいフリをしている人は違いますよ。それはただのわがままです。本当にしつこい人間は、『ちくしょう。そうはいくかい。いまに見てろ』って、虎視眈々と機会を狙う。しつこくて、執念深い。それが強い人ですよ。プロレスに限らず」

 

前田日明インタビューからほどなくして自分の体の異変に気づいたという著者は、以下のように書いています。
「病院で検査を受けると、卵巣に腫瘍が見つかった。レントゲンを撮ると影があり、悪性の可能性が高いとのことだった。つまり、癌かもしれない。死ぬかもしれない。まだちゃんと生きてもいないのに。
死の恐怖に怯えながら、病室でUWFの試合映像を繰り返し見た。涙が止まらなかった。これが真剣勝負か否か、私にはどうでもよかった。前田日明は強い。佐山サトルも強い。プロレスラーは強い。プロレスはいつだって、私に力をくれる。それだけがリアルだった。祈るように、私はUWFの試合映像を繰り返し見た」

 

著者は「病気が悪性だった場合、闘病生活を送ることになる。良性だった場合・・・・・・。それでも私には、『強さとはなにか?』をこの先追求していく自信がもうなかった。世界が突然、色褪せてしまった。この連載を終えようと思った」という著者には、最後にどうしてもインタビューしたい人がいました。
その人物の名は、高山善廣。2017年5月4月日、DDT豊中大会にて頭部を強打し、大阪市内の病院に搬送されたプロレスラーです。検査の結果は、「頸髄損傷および変形性頚椎症」。その後の発表によると、呼吸もできない上に、心臓停止のトラブルも発生していました。医師の判断が「頸髄完全損傷」に変更され、現状では回復の見込みがないことが明らかにされました。

 

がんを乗り越えて復帰した経験を持つプロレスラー・小橋健太は、復帰時に高山善廣をタッグパートナーとしました。高山が頸髄完全損傷で回復の見込みがないと知ったとき、「言葉にできなかった」と小橋は言いました。激闘を繰り広げた思い出。タッグを組んだ思い出。いつでも熱く、優しかった高山の姿が、走馬燈のように浮かんできたのです。小橋は「意識があるのに動けない苦しさを思うと、胸が詰まります。けれど高山選手の熱い闘いは、僕の心の中にも、ファンのみんなの心の中にも残っている。高山選手が立ち上がることで、励まされる人がたくさんいるはず。見る人を元気にするのがプロレスラーです。ベッドの上にいても、プロレスラーであり続けてほしいと思います」と語りました。

 

高山とともにプロレス界を縦横無尽に暴れ回ったのが鈴木みのるでした。鈴木が自身のベストバウトの1つに挙げるのは、2015年7月19日、プロレスリング・ノア旗揚げ15周年記念大会です。高山は鈴木の持つGHCヘビー級王座に挑戦。鈴木はパイプ椅子で高山の頭部を殴り、高山は大流血。試合内容に納得しない観客から、リングにゴミが投げ入れられた。しかし鈴木はあの試合を振り返って、「なに1つ後悔はない」と話しました。そして、「もしもあの試合で受けたダメージが現在の彼の状況に繋がっていたとしても、後悔はないです。本人もないと思います。タッグを組んだら一緒に全力で闘って、笑い合って、敵になったら全力で殴り合える。そんな友達、なかなかいないですよ。友達だから全力で殴り合えた。手を抜いたら逆に怒られそうで」と語りました。

 

 

著者は、以下のように書いています。
「ノアと敵対した鈴木に対し、高山は『俺は三沢さんにお世話になったから、ノア側につく』と宣言。それから二人は会話をしなくなり、プライベートで会うこともなくなった」
そして2017年5月、高山の体は動かなくなりました。高山の治療費を集めるための「TAKAYAMANIA」設立記者会見で、鈴木は泣きました。泣きながら、高山への募金を呼びかけました。著者は「ヒールの中のヒール。通称、“世界一性格の悪い男”。その男は友達のために、日本中の前で泣いた」と書いています。

 

そして、著者は以下のように書いています。
「プロレスラーは皆、強さを求め、もがき、苦しみながら、リングの上に立っている。生きることは、ときに苦しい。現実から目を背けたくなることもある。しかしプロレスラーは、目の前の対戦相手から逃げない。真正面から相手の技を受け、やられてもやられても立ち上がる。そんな彼らの姿を見て、俺も、私も、立ち上がらなければいけないと思う。プロレスを見ること。それは、自分自身と向き合う作業だ。
3年半前、私はプロレスと出会った。最初はプロレスの記事を書くのが、楽しくてしかたがなかった。しかし続けるにつれ、書くことがつらくなっていった。『素人が分かったようなことを書きやがって』と、批判されることも少なくなかった。追いかければ追いかけるほど、プロレスは遠く離れていくように感じた。しかしいまは、それでもいいと思っている。プロレスはいつまでも遠く、私はいつまでも、その尊い幻を追いかけていきたい」

 

最後に「プロレスとはなにか? 強さとはなにか?」と自問する著者は、「それは、生きるということ。生きて、闘うということ。いつか命が絶えるとき、決して、後悔しないように」と答えるのでした。著者の卵巣にできた腫瘍は良性でした。
著者がこれからどのような恋愛をして、どのような結婚をして、どのような人生を歩むのかは知りません。でも、ひとつだけ分かることがあります。著者は、これからも多くの読者に生きる勇気を与えるような本を書き続けていくだろうということです。プロレスにおける強さを人生における強さにまで高めた一連のインタビューは素晴らしいと思いました。著者の次回作が楽しみです。「令和」への改元まで、あと15日です。

 

最強レスラー数珠つなぎ

最強レスラー数珠つなぎ

 

 

 2019年4月16日 一条真也

『『週プロ』黄金期 熱狂とその正体』

『週プロ』黄金期 熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?

 

一条真也です。
『『週プロ』黄金期 熱狂とその正体』『俺たちのプロレス』編集部著(双葉社)を読みました。「活字プロレスとは何だったのか?」というサブタイトルがついています。かつて、わたしも毎週夢中で読んでいた『週刊プロレス』の黄金期を振り返り、そのブームの意味と意義を考える本です。

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本書の帯 

 

カバー表紙には、1995年4月2月日、ベースボール・マガジン社主催のオールスター戦「夢の懸け橋」が行われた東京ドームのリング上で橋本真也と向かい合って立つターザン山本の写真が使われています。帯には「みんなで真剣に本気でプロレスに関わった。観た! 感じた! 語った! 狂喜乱舞した!」(第二代編集長 ターザン山本)と書かれています。

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本書の帯の裏 

 

帯の裏には、「眠らない編集部が発信し続け、『業界』を震撼させた“活字"の正体とは」「さまざまな形で『週プロ』に関わった21名の証言」「杉山頴男(初代編集長)/ターザン山本(第二代編集長)/濱部良典(第三代編集長)/市瀬英俊(元記者)/安西伸一(元記者)/小島和宏(元記者)/佐久間一彦(第七代編集長)×鈴木健.txt(元記者)/鶴田倉朗(元記者)/谷川貞治(元格闘技通信編集長・元K-1プロデューサー)/金沢克彦(元週刊ゴング編集長)/永島勝司(元日本プロレス取締役)/大仁田厚宮戸優光、他」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」は、以下の通りです。
「『週刊プロレス』、全盛期には公称40万部を誇る怪物雑誌として多大なる影響力を持っていた。スキャンダラスな誌面、取材拒否など事件の数々・・・・・・。今だからこそ語れる『週プロ』の真実を当時の記者たちはもちろん、プロレスラーや団体関係者、鎬を削っていたライバル誌の記者たちの証言をもとに、インターネットが発達した現在では二度とないであろう活字プロレスという“熱狂"を検証します」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

『週プロ』とは狂気の沙汰だった(ターザン山本

第1章 『週プロ』誕生前夜

証言①杉山頴男(初代編集長)

  「業界誌からの脱却がプロレス・ジャーナリズムを変えた」

証言②井上譲二(元週刊ファイト編集長)

  ターザン山本の「裏面史」

第2章 第二代編集長 ターザン山本 

証言③安西伸一(元記者)

  青春の全てを捧げた『週プロ』劇場

証言④更級四郎(イラストレーター)

  週刊化の舞台裏と「オリガミ」での密談

証言⑤小佐野景浩(元週刊ゴング編集長)

  水と油だった『ゴング』と『週プロ』

第3章 公称40万部の怪物雑誌

証言⑥谷川貞治(元格闘技通信編集長)

  「編集芸人」ターザン山本

証言⑦小島和宏(元記者)

  「明日死んでもいいと思っていた」

証言⑧大仁田厚(プロレスラー)

  「ターザン山本は誌面で“プロレス”をしていたと思う」

証言⑨[特別鼎談]高崎計三(フリーらーたー・編集者)×藤本かずまさフリーライター)×井上崇宏(KAMINOGE編集長)

  斜めからのぞいたターザン山本と『週プロ』

第4章 狂いだした歯車

証言⑩宮戸優光(元プロレスラー)

  「共鳴したUインターと『週プロ』の感性」

証言⑪鶴田倉朗(元記者)

  「ターザン体制」に感じた違和感

証言⑫金沢克彦(元週刊ゴング編集長)

  なぜ『週プロ』が生き残って『ゴング』は滅びたのか

証言⑬永島勝司(元新日本プロレス取締役)

  新日本プロレス取材拒否の真実

証言⑭市瀬英俊(元記者)

  波瀾万丈の『週プロ』黄金期

 第5章 「黄金期」の終焉と「新体制」への移行

証言⑮濱部良典(第三代編集長)

  「専門誌としての基本線に戻すことが僕の役目だった」

証言⑯斎藤文彦(プロレス評論家)

  至近距離から見た『週プロ』興亡史

証言⑰鈴木健(元記者).txt×佐久間一彦(第七代編集長)

  『週刊プロレス』あの頃と今 

終章  兵どもが夢の跡

証言⑱ターザン山本(第二代編集長)

  狂喜乱舞した『熱狂の時代』

 

「『週プロ』とは狂気の沙汰だった」で、ターザン山本は以下のように述べています。
「プロレス雑誌というものは業界的な予定調和で作るか、あるいは読者、ファン、オーディエンス欲望、野望、夢、希望に添って作るか、このどちらかしかない。当然、刺激的なのは後者である。それを最初にやったのは『週刊ファイト』の井上義啓編集長だ。その意思を受け継ぎ、『週プロ』では予定調和を全てぶちこわした。
『週プロ』は週刊誌だから、締め切りがあって絶対に落とすことはできない。1週間ごとに起きた事件、試合をまとめて速攻で作らなければならない。当時はそんな状況下で、自分の考え、プロレス観、感性のクオリティをどうやって保つかだけを考えていた。影響を与えてやろうなどという考えは、一切ない。冷たすぎて凍傷になるほどの冷静さと、熱すぎて火傷するくらいの情熱。この2つの“狂気”で毎週『週プロ』に没頭していた」

 

また、ターザン山本は以下のようにも述べています。
「当時の『週プロ』とは何だったのかと問われれば、量が質を凌駕するほど膨大な『熱量』だったように思う。ファンがUWFに対して持っていたような狂信的な熱。『週刊プロレス』という組織・編集部隊の熱。そしてあの時代が持っていた熱。この3つが奇跡的に合致したことによって、おびただしい量の熱が生み出され、『週プロ』熱狂の時代につながったのではないか。熱というものは、膨張すればより過剰なエネルギーを求める。だからこそ、アクセルを踏み続けて暴走するしかなかった。そんな『週プロ』の過剰性に呼応するように、当時は時代も動いたように思う」

 

この本、21人が証言していると言っても、興味深いのはただ1人、ターザン山本のみです。終章「兵どもが夢の跡」の証言⑱ターザン山本(第二代編集長)による「狂喜乱舞した『熱狂の時代』」では、彼が『月刊プロレス』でアントニオ猪木村松友視の対談「テーブルマッチ」を担当するようになったという話題が出ます。「あの企画もプロレス誌では革命的でしたよね。猪木さんと、プロレス村の外の作家が対談連載するわけですから。あれはどうやって始まったんですか?」というインタビュアーの質問に対して、ターザンは次のように答えます。
「僕が入ったころ、情報センター出版局という出版社が、椎名誠とかクマさん(篠原勝之)とか、ああいう人たちの本を出して、新しいサブカルのムーヴメントを起こそうとしていたんですよ。その流れで、糸井重里さんにプロレスの原稿を書いてもらおうとしたら、『もっとプロレスが好きな人がいるから』と、『中央公論』編集部にいた村松友視さんを紹介したんですよ」

 

私、プロレスの味方です―金曜午後八時の論理 (1980年) (Century press)

私、プロレスの味方です―金曜午後八時の論理 (1980年) (Century press)

 

 

「そうやって出版されたのが、『私、プロレスの味方です』だったわけですか」と言うインタビュアーに対して、ターザンはこう語ります。
「タイトルが良かったこともあって、すごいブームになったんだよね。そうしたら情報センター出版局が朝日新聞に広告を出して、それを見た杉山さんが『天下の朝日新聞に、広告とはいえ“プロレス”という文字が出た』と、興奮して、『村松さんを取材してこい』と俺が命令を受けたんだよ。村松さんは、ああいう本を出したけど、業界は反発するだろうから、プロレス専門誌はどこも扱わないだろうと腹をくくっていたわけですよ。ところが、僕が来たんでびっくりしたんです」
『私、プロレスの味方です』は当初、業界では黙殺されていましたが、“業界外”の考えを持った『週刊プロレス』の初代編集長の杉山氏が村松氏が起こしたブームに相乗りして、猪木との「テーブルマッチ」が企画されたわけです。

 

そして、「黄金期の『週プロ』が終わった日」として、1995年4月2月日、『週刊プロレス』を発行するベースボール・マガジン社が東京ドームで開催したオールスター戦「夢の懸け橋」が言及されます。この大会には、メジャー・インディー・UWF系・女子プロレスから全13団体が参加。ただし「各団体の純潔メンバーでのカードを提供する」といったコンセプトのもと、各団体間の交流戦は一切行われませんでした。第13試合としてのメインイベントは、新日本プロレス橋本真也vs.蝶野正洋でした。全13団体の選手が一堂に会す豪華さと、当時他団体と交流を断っていた全日本プロレスが他団体と同じ興行に参加するといったプレミア性が重なって、会場には6万人の観衆が詰めかけ、大盛況となりました。試合の他には大木金太郎の引退セレモニーも行われました。

 

しかし、この日は『週プロ』黄金期の頂点でもあり、『週プロ』の「終わりの始まり」の日でもあったのです。ターザン山本は「『夢の懸け橋』でまず『終わった』と思い始めて、続く10・9東京ドームでUインターが新日本にやられて死に体になって、翌年の新日本からの取材拒否で完全に終わった。ワンツースリーで俺はやられたよな。だから雑誌にも人の一生と同じように、誕生から死までの過程があるっていうことだよ。それを見事にたどった」と語るのでした。
『週プロ』が黄金期を迎えていた頃、プロレス・ブームの絶頂期でもありました。あの頃、長州力佐山サトル前田日明高田延彦武藤敬司橋本真也も、みんな最高に輝いていました。今では、なつかしい思い出です。
「令和」への改元まで、あと16日です。

 

『週プロ』黄金期 熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?

『週プロ』黄金期 熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?

 

 

2019年4月15日 一条真也

映画を愛する美女

一条真也です。
映画をこよなく愛する1人の美女をご紹介します。
アキさんという方なのですが、この「一条真也の新ハートフル・ブログ」や「一条真也の映画館」の愛読者であり、映画の翻訳者を目指されています。

f:id:shins2m:20190415153501j:plainmoment NY」より

 

 アキさんは、ニューヨークの映画ロケ地を紹介する「moment NY」という素晴らしいサイトを運営されています。同サイトには、「ティファニーで朝食を」「プラダを着た悪魔」「セックス・アンド・ザ・シティ」などの映画、「ゴシップガール」「フレンズ」などのTVドラマの舞台が美しい写真と素敵な文章で紹介されています。

 

わたしは、ブログ「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」で、アキさんのことを以下のように書きました。
「この映画で知った名言が2つあります。
処刑される直前にメアリー(・スチュアート)が言ったという『我が終わりは、我が始まりなり』という言葉。これは17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが唱えた『我思う、ゆえに我あり』に並ぶ名言であると思います。
そして、もう1つはエリザベスの『美はいずれ朽ちるが、知は永遠に輝き続ける』という言葉です。2人の女王による2つの名言には唸りましたが、わたしは最近、銀座の某所でお会いした1人の女性のことを思い浮かべました。正直言って、ものすごい美女です。中山美穂伊藤美咲に似ていますが、その2人よりも綺麗です」

映画を愛するアキさん

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

 また、わたしは以下のようにも書いています。
「しかしながら、それほどの輝く美貌の持ち主でありながら、その彼女はデカルトの哲学に興味を持ち、東京の赤坂にある女子大を卒業した後、わざわざ慶應義塾大学に再入学して哲学を学んだ経歴の持ち主でもあるのです。わたしは、彼女と『我思う、ゆえに我あり』について意見交換させていただきました。その考え方がまた非常に深くて感服しました。いやはや、『天は二物を与えず』とは言いますが、日本にも凄い方がいるものだと感心した次第です。『美』と『知』が合体したとき、“鬼に金棒”的な真の輝きを発するようで、わたしはあまりの眩しさにクラクラしてしまいました」

f:id:shins2m:20190415141351j:plain「 はじめまして

 

そのアキさんですが、このたび、「アキの映画な日々『人生は美しい』」という映画ブログを立ち上げられました。新元号の「令和」が発表された4月1日に「 はじめまして」の記事でブログ・デビューされています。まずは自己紹介として、彼女は次のように書いています。
「映画、旅行が大好きでニューヨークの映画ロケ地サイトを運営しています。ニューヨークに限らずロサンゼルスやヨーロッパなど世界各地のロケ地も行ってみたいと思っています。どうしてニューヨークのサイトからスタートしたかと言うと、私の大好きな街の1つで、初めて海外旅行をした場所でもあります。初めて行ったニューヨークの印象は『映画で観た世界』。映像で観ていた憧れの世界が目の前に広がりまばたきするのも勿体ないくらい全身鳥肌が立つほどの感動でした。それ以降、色んな国に旅行に行き、それぞれに感動ポイントはたくさんありましたが、初ニューヨークで感じた衝撃を超える感覚はありませんでした。
それ以来、なるべく毎年欠かさずニューヨークに遊びに行くようにしています。長いときは1カ月ほど滞在して語学学校へ通ったり、行ってみたかったレストランやホテル巡りをしたり、趣味の写真を撮ったり、友人に会ったり、大好きなニューヨークでの生活を思いっきり堪能しています」

f:id:shins2m:20190415151755j:plain 「moment NY」より 

 

続けて、アキさんは次のように書いています。
「そんなニューヨークを満喫中に、ふと、大好きなニューヨークで大好きな映画やドラマのロケ地をまわってみたら楽しそうだなぁと思いつき、時間を見つけてロケ地巡りを始めました。好きな映画やドラマの舞台をめぐることは想像以上に感動の連続でした。視覚、聴覚、嗅覚、触覚。全身を使ってその映画を感じることができることはロケ地巡りの最大の魅力だな、と現地に行く度に思います。思い入れの強いシーンが繰り広げられた場所に身を置いてみると、その場のニオイや街のノイズ、目の前に広がる景色を肌で感じられます。映画好きの私にとって『映画で観てきた景色の中にいる』という瞬間はなにものにも代えがたい幸せなひと時です」

 

また、彼女はブログ「記者たち~衝撃と畏怖の真実」で紹介した映画を鑑賞されたようで、その感想も「『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』」というブログ記事に書かれていますが、この文章がまた素晴らしい!
フセイン大量破壊兵器の保持を理由にイラク侵攻を開始したアメリカですが、始めに結論を出し、その上でマスコミや専門家を加担させて既成事実を作っていきました。
イラク侵攻の為なら真実は関係ないわけですが、NYタイムズやワシントン・ポストなど大手各紙は政府の発言を支持する報道をする中、中堅新聞社ナイト・リッダー社だけが真実を追いかけ続けました。

f:id:shins2m:20190415152531j:plain『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』」 

 

アキさんは次のように書いています。
「『ブッシュ大統領も、ワシントンポストも、みんな大量破壊兵器を保持してると言っている。真実に決まっているだろう』といった内容のセリフがありました。政治情勢に疎い国民であれば、真実になり得る十分すぎる材料でしょう。人は何かを判断するときに、発言者のバックグラウンドで信用度を図ってしまうものです。一流大学卒業、一流企業勤務、大手マスコミ、政府関係者。挙げればキリがないですが、肩書きに左右されてしまうことが往々にしてあります。メディアからすれば、国民を操ることはいとも簡単なことなのでしょう」

 

Hacks: The Inside Story of the Break-ins and Breakdowns That Put Donald Trump in the White House (English Edition)
 

 

また、彼女は「記者たち~衝撃と畏怖の真実」を観て、2016年のアメリカ民主党全国党大会を思い出したそうです。ヒラリー・クリントンバーニー・サンダースが大統領選挙における民主党候補指名を争い、サンダースが優勢と誰もが確信する中、ヒラリーが民主党代表として選出された選挙です。後に民主党内の選挙プロセスは不正に操作されたと証言する議員が現れ、元CNNコメンテーターとして有名なドナ・ブラジルは"Hacks: The Inside Story of the Break-ins and Breakdowns that Put Donald Trump in the White House"(乗っ取り:ドナルド・トランプホワイトハウスに入れた横取りと衰退のインサイド・ストーリー)という著書を刊行して話題になりました。同書では、クリントンが「米民主党全国委員会を買収し、選挙をバーニーから盗み取った」と言及しています。

 

さらに、アキさんは、マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」を取り上げ、民主党の選挙プロセス不正疑惑にも言及。以下のように述べています。
「不正疑惑の中、ヒラリーは民主党代表として、大統領選挙をトランプ氏と戦うわけですが。多数の大手マスコミが同じ報道をすれば、それが真実になってしまう。私たちはそういう世界に生きているということ。このことを頭の片隅に置いていくだけで、この報道は果たして偏ったものではないだろうか、本当にそうだろうか、と鵜呑みにせず自分の頭で考察することができます。過信し過ぎず、一歩引いて世の中を見るクセをつけることが、情報過多な世の中にはとても大事なことだと改めて痛感させられます」

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アキさん、大いに期待しています! 

 

このように「記者たち~衝撃と畏怖の真実~」の感想を述べながら、現実の事件、本、映画などにも言及して、大衆への情報操作の恐怖を語ってゆきます。達意の文章で綴られるブログには知性と気品を感じてしまいますね。もともと「社会派映画」が大好きというアキさんですが、これからも多くの映画を鑑賞して、その感想をブログに書かれることでしょう。そのうち、彼女の該博な哲学の知識もふんだんに披露されるのではないでしょうか。彼女の映画を観る目は確かですので、いずれは「美人すぎる映画評論家」、あるいは「美人すぎる映画翻訳者」としてマスコミに注目され、メジャー・デビューされる日を楽しみにしています。アキさん、これからも頑張って下さいね!
同じく映画を愛する者として、わたしも応援しています!
「令和」への改元まで、あと16日です。

 

2019年4月15日 一条真也

 

小倉高校同窓会講演  

一条真也です。
13日、羽田空港からスターフライヤー北九州空港へ帰ってきました。翌14日、博多の西鉄グランドホテルへ向かいました。母校の小倉高校の同窓会である明陵同窓会の福岡支部の総会で記念講演を行うためです。小倉高校は、各界で活躍されているOBが多い名門であります。詳しくは、「福岡県立小倉高校出身有名人」を御覧下さい。

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開会前の会場にて

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同窓会総会のようす

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冒頭に挨拶する首藤幹事長

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総会は新幹線人身事故の影響により10分遅れの14時30分から開始されましたが、200名以上が参加して非常に盛会でした。開会宣言の後、物故者への黙とう、当番漢字挨拶、会計報告、支部長挨拶、来賓挨拶などがありました。その後、わたしの記念講演が行われました。演題は「人生の修め方」。これまで何度も話してきたテーマですが、この日は時間が30分以内とあって駆け足の講演となりました。高校の大先輩方の前、しかも高齢の先輩が多い中で「人生の修め方」について話すのは、少々緊張をおぼえました。

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わたしが登壇しました

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「人生修め方」について講演しました

f:id:shins2m:20190414150943j:plainウルマンの「青春」を紹介

f:id:shins2m:20190414150735j:plain老いと死があってこそ人生!

 

 冒頭、わたしは「アンチエイジング」という言葉についての異論を唱えました。これは「『老い』を否定する考え方ですが、これは良くありませんね」と述べました。そして、わたしは「老いと死があってこそ人生!」という話をしました。サミュエル・ウルマンの「青春」という詩がありますが、その根底には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がうかがえます。おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生というフレームの中でとらえる必要があります。

f:id:shins2m:20190414151211j:plain「人生の五計」を紹介

 

理想の人生を過ごすということでは、南宋の朱新仲が「人生の五計」を説きました。それは「生計」「身計」「家計」「老計」「死計」の5つのライフプランです。朱新仲は見識のある官吏でしたが、南宋の宰相であった秦檜に憎まれて辺地に流され、その地で悠々と自然を愛し、その地の人々に深く慕われながら人生を送ったといいます。そのときに人間として生きるための人生のグランドデザインとでも呼ぶべき「人生の五計」について考えたのでした。

f:id:shins2m:20190414151504j:plain老年期は実りの秋である!

 

それから、「老年期は実りの秋である!」という話をしました。今年の夏は本当に暑かったですね。わたしはもうすぐ56歳になりますが、若い頃と違って暑さが体にこたえます。昔は夏が好きだったのですが、今では嫌いになりました。四季の中では、秋が好きです。古代中国の思想では人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられていました。すなわち、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」です。

f:id:shins2m:20190414151515j:plain超高齢社会をどうとらえるか

 

こうして歴史をひもといていくと、人類は「いかに老いを豊かにするか」ということを考えてきたといえます。「老後を豊かにし、充実した時間のなかで死を迎える」ということに、人類はその英知を結集してきたわけです。人生100年時代を迎え、超高齢化社会現代日本は、人類の目標とでもいうべき「豊かな老後」の実現を目指す先進国になることができるはず。その一員として、実りある人生を考えていきたいものです。

f:id:shins2m:20190414152509j:plain「迷惑」は建前、「面倒」が本音

 

それから、「終活」についての考えを述べました。
これまでの日本では「死」について考えることはタブーでした。でも、よく言われるように「死」を直視することによって「生」も輝きます。その意味では、自らの死を積極的にプランニングし、デザインしていく「終活」が盛んになるのは良いことだと思います。その一方で、わたしには気になることもあります。「終活」という言葉には何か明るく前向きなイメージがありますが、わたしは「終活」ブームの背景には「迷惑」というキーワードがあるように思えてなりません。

f:id:shins2m:20190414152804j:plain「終活」から「修活」へ

 

 いま、世の中は大変な「終活ブーム」です。ブームの中で、気になることもあります。それは、「終活」という言葉に違和感を抱いている方が多いことです。特に「終」の字が気に入らないという方に何人も会いました。もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。

f:id:shins2m:20190414150752j:plainこれからは「修活」の時代です!

 

そこで、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」ではないでしょうか。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活です。そして、人生の集大成としての「修生活動」があります。これからは「修活」の時代です。

f:id:shins2m:20190414152831j:plain「修める」という心構え 

 

かつての日本は、たしかに美しい国でした。しかし、いまの日本人は「礼節」という美徳を置き去りし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れているように思えてなりません。それは、戦後の日本人が「修行」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」という覚悟を忘れてしまったからではないでしょうか。
老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20190414152947j:plain自分の葬儀を想像してみましょう!

 

続いて、誰でもが実行できる究極の「修活」についてもお話しました。それは、自分自身の理想の葬儀を具体的にイメージすることです。親戚や友人のうち誰が参列してくれるのか。そのとき参列者は自分のことをどう語るのか。理想の葬儀を思い描けば、いま生きているときにすべきことが分かります。参列してほしい人とは日ごろから連絡を取り合い、付き合いのある人には感謝することです。生まれれば死ぬのが人生です。死は人生の総決算。葬儀の想像とは、死を直視して覚悟することです。覚悟してしまえば、生きている実感がわき、心も豊かになります。

f:id:shins2m:20190414153241j:plain死生観の確立を!

f:id:shins2m:20190414153335j:plain盛大な拍手に感激しました

究極の「修活」とは死生観を確立することではないでしょうか。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。そんな話をしているうちに終了時間となったので、わたしは「ご清聴、ありがとうございました」と言って拙い講演を終えました。すると、盛大な拍手を頂戴して感激いたしました。錚々たる諸先輩がおられる中で、わたしのような若造が記念講演をさせていただけたのは誠に光栄でした。これも34期の福岡支部の当番幹事長である首藤君をはじめ、重渕君、鳥本君といった当番幹事のみなさんのおかげです。本当に、ありがとうございました。

f:id:shins2m:20190414153857j:plain懇親会での鏡開き

f:id:shins2m:20190414154503j:plainカンパ~イ!

f:id:shins2m:20190414154643j:plain懇親会のようす

f:id:shins2m:20190414160427j:plainカレーが一番美味しかった!

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西鉄グランドホテルの前で

 

講演後は懇親会となり、鏡開きの後、副支部長の音頭による乾杯、ラグビー山田選手のビデオメッセージ、平成30年度次期幹事挨拶、明陵同窓会本部総会幹事挨拶、じゃんけん大会、校歌斉唱、城野副支部長による閉会挨拶および万歳と続きました。わたしは先輩や同級生、後輩たちとお酒を飲みながら、楽しい時間を過ごしました。
料理では、西田さんという同級生の女性が「ここのホテルはカレーが評判なので、わざわざメニューに加えてもらったんですよ」と言いながらテーブルまで持ってきて下さった西鉄グランドホテル特製のカレーが美味しかったです。
34期の当番幹事のみなさん、本当にお疲れ様でした。
「令和」へ改元まで、あと17日です。

 

2019年4月13日 一条真也

「桜を見る会」に参加しました 

一条真也です。
(現在、2019年11月10日です。この記事に大量のアクセスが集中して驚いています。なんでも、安倍総理主催の「桜を見る会」が話題になっているそうで、「桜を見る会 ブログ」で検索すると、この記事がかなり上位に来ています。自分でも「俺のブログはこんなに読まれているのか!」と仰天しました。俺って、もしかしてインフルエンサー?(笑)それにしても、天皇陛下の祝賀パレードの日に、こんな下らないことで騒がなくてもいいのではないでしょうか?)

 

4月13日の朝、今年で結婚30周年を迎える妻とともに新宿御苑を訪れ、安倍総理主催の「桜を見る会」に参加しました。春の風物詩と言える行事ですが、今年も多くの芸能人や文化人、スポーツ選手のみなさんが参加されていました。

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招待状と受付票

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新宿御苑にて

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妻も一緒に参加しました

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今年で結婚30周年を迎える妻と

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大木戸門から入りました

 

平成最後となる今年の「桜を見る会」が開催される新宿御苑環境省管轄の庭園です。都内の真ん中でありながら、美しい庭園が広がっています。安倍首相を中心に招待客のみなさんとともに、わたしたち夫婦も平成最後の「桜を見る会」を楽しみました。

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満開の桜の前に立つ妻

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桜を見る会にて

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桜を見る会にて

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八重桜を楽しみました

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屋台もありました

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芸能人もたくさん来ていました

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お笑い界の人気者が集結!

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芸能人のみなさんはやはり華やかです

f:id:shins2m:20190413093257j:plain芸能人のみなさんはやはり華やかです

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芸能人のみなさんはやはり華やかです

 

例年通り、芸能人の人たちもたくさん来ていました。
芸能人には多くのフラッシュが焚かれていました。
思ったのですが、ピコ太郎(ゴールド)とかカズレーザー(レッド)とか林家ペー&パー子(ピンク)とか、遠目からもすぐわかるイメージカラーのド派手な衣装を着た人は目立ちますね。「これぞ芸能人!」という感じでした。

f:id:shins2m:20190413093503j:plain報道陣の数もすごかった!

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安倍総理夫妻を囲んで・・・

f:id:shins2m:20190413094505j:plain大いに盛り上がりました

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出口に安倍総理のソックリさんが!

 

それにしても多くの芸能人のみなさんが、一般の参加者たちの目を楽しませていました。芸能人という存在は花道や花代などの言葉からもわかるように「人間界の花」という側面がありますが、「桜を見る会」という行事には、自然界の花と人間界の花を両方見せるという意味があるのでしょうね。
芸能人といえば、出口には安倍総理のソックリさんが立って人気を集めていました。この人、吉本興業の芸人さんだそうですが、警備員さんから退去を命じられていました。(笑)

f:id:shins2m:20190413104312j:plainこの日の八重桜を忘れません 

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平成最後の「桜を見る会」でした

平成最後の「桜を見る会」は大いに盛り上がりました。
終了後は、いったんホテルに荷物を取りに戻ってから、羽田空港に向かいました。そこからスターフライヤー北九州空港へ。明日は博多で小倉高校の同窓会福岡支部総会が開催され、そこで「人生の修め方」をテーマに講演を行います。ハードな毎日が続いてグロッキー気味ではありますが、「天下布礼」のために頑張ります!
「令和」への改元まで、あと18日です。

 

2019年4月13日 一条真也