日航機墜落事故の日 

一条真也です。
8月12日になりました。1985年の日航ジャンボ機墜落事故から39年目になります。振り返れば、あの事故は40回目の「終戦の日」の3日前のことでした。1985年8月12日、日航機123便群馬県御巣鷹山に墜落、一瞬にして520人の生命が奪われたのです。単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。

2024年8月12日の各紙朝刊より

 

現在、日航機123便墜落事故に関する陰謀論が出回っています。日航機123便は自衛隊のミサイルで撃墜されただの、生存者は殺されただのといった与太話ですが、これが驚くほど世に広まっています。陰謀論そのものは以前から存在しましたが、最近、『書いてはいけない』森永卓郎著(三五館シンシャ)という本が出版されたことによって大噴火しました。墜落事故の真相について書かれたという同書がアマゾンのベストセラー総合1位を独走するほどの大ヒットとなったのです。

 

書いてはいけない

書いてはいけない

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『書いてはいけない』を書いた森永卓郎氏とは面識がありませんが、版元である三五館シンシャの中野長武社長は旧知の仲です。同社の前身である三五館からは合計17冊の一条本が刊行されており、その担当編集者が中野氏だったのです。当時、わたしは彼のことを「出版界の青年将校」と呼んでいました。その後の彼の活躍ぶりには心から敬意を抱いており、現在もメールのやり取りを続け、共通の趣味であるプロレスや格闘技の話題で盛り上がっています。そんな中野社長が大ベストセラーを出したのですから、正直、とても嬉しく、喜んでいます。一方、同書に書かれた内容については疑問を感じています。



たとえば、ブログ「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」で言及した「アポロの月面着陸捏造説」が事実なら40万人もの関係者がグルにならなければ不可能ですが、日航機が自衛隊のミサイルに撃墜されたのが真実なら、またその真実を隠蔽するのなら、それも膨大な数の人々が共犯関係になる必要があります。また、事故当時の中曽根康弘首相が所属する自民党だけでも一枚岩ではないのに、野党や大手新聞社を含むマスコミ界がすべてグルというのはあまりにも非現実的です。中野社長には大変申し訳ないのですが、このような陰謀論の本がベストセラーになる社会というのは不健全であるとも思います。これには、新型コロナウイルスの発生以来の「何も信じられない」「特に政府は信じられない」という陰謀論に走る流れの中に多くの人々が巻き込まれている背景があると思います。

 

 

しかしながら、日航機123便墜落事故には怪しい点が多いのは事実です。『書いてはいけない』に先立つ日航機墜落事故に関する陰謀論の書籍は多いですが、元日本航空客室乗務員の青山透子氏の一連の著書が有名です。青山氏によれば、当時、防衛庁は国産ミサイルの開発に力を入れていたといいます。「自衛隊がオレンジ色に塗られた模擬ミサイルで試射実験を繰り返し行なっている」と事故前日の新聞にも出ているとか。実際に123便の垂直尾翼の一部を相模湾から回収した護衛艦「まつゆき」も事故当日に出航しています。青山氏は、「記事にあるように模擬ミサイルの試射を行なっていてもおかしくはありません」と訴えます。確かに、この可能性は大いにあると思います。

 

1968年にエールフランス航空1611便が、エーゲ海で演習中のフランス海軍艦艇から発射されたミサイルで墜落させられた事件が起きています。しかしトイレの火災を事故原因とし、本当のことは長らく隠蔽されてきました。青山氏は「状況が似ていませんか?」と問いかけます。日航機123便の乗客が窓から外を撮った写真に黒い物体が写っていました。これを専門家が分析して拡大した結果、オレンジ色だったそうです。模擬ミサイル(あるいは訓練用の無人標的機)もオレンジ色をしています。つまり最初に垂直尾翼に当たったのが、このどちらかという可能性があるというのが青山氏の意見です。

 

日航機123便が御巣鷹山に墜落した20分後、沖縄県嘉手納から横田基地に向けて飛行していた米軍C-130輸送機が現場上空に到達していました。同機は米陸軍キャンプ座間に対して、救難ヘリUH-1の出動を要請していますが、日本政府からの申し出により中止しています。横田基地への緊急着陸も提案されましたが、これも断っています。こういった事実も、陰謀論を生む大きな要因の1つとなりました。さらに、日本の航空自衛隊KV-107ヘリコプターも、20時42分に現場を特定、上空に到達していますが、即座に救助活動は行われていません。これも不審に思う人々が多く、陰謀論を拡大しました。

 

事故当夜、長野県ぶどう峠の警察官は、事故現場について、南南東の三国山方面と正確な位置情報を伝えていたのに対して、自衛隊のヘリコプターは、南南西の長野県御座山方向と誤った情報を流し続けています。これによって情報が錯綜し、空挺部隊習志野)事故現場に降下したのは、事故翌朝の午前8時49分でした。生存者4名を発見したのは、群馬県上野村消防団及び長野県警機動救助隊でした。事故直後には、衝撃が緩和された後部座席を中心に多数の生存者方が確認できていましたから、迅速な救助活動が行われていれば多くの方の命が救われたことと思われます。返す返す残念です。

 

この墜落事故を巡り、2022年10月13日に行われた遺族がボイスレコーダーなどのデータの開示を求めた裁判で、東京地裁は遺族の請求を退けました。裁判は事故で夫を亡くした遺族が起こしたもので、遺族側は「夫がどのように死に至ったか知るために重要な情報」だと訴え、日本航空側には情報提供義務があるなどと主張していました。この日の判決で東京地裁は、情報提供義務があるとは言えないとした上で、日本航空と遺族が損害賠償請求について和解していることを挙げ、「情報提供義務があったとしてもすでに消滅した」と請求を退けました。たとえ情報提供義務が消滅していたとしても、遺族のグリーフがケアされ、悪夢のような陰謀論から解放されるのなら、日本航空はデータを開示すべきでしょう。同社の会長を務められた故稲盛和夫氏なら開示されたのではないでしょうか?


御巣鷹山日航機123便の真実

 

ところで、遺体の確認現場では、カルテの表記や検案書の書式も統一されました。頭部が一部分でも残っていれば「完全遺体」であり、頭部を失ったものは「離断遺体」、さらにその離断遺体が複数の人間の混合と認められる場合には、レントゲン撮影を行った上で「分離遺体」として扱われたそうです。まさに現場は、「この世の地獄」そのものでした。当時、群馬・高崎署の元刑事官である飯塚訓氏が遺体の身元確認の責任者を務められました。ブログ「『墜落遺体』『墜落現場』」で紹介した飯塚氏の著書を読むと、その惨状の様子とともに、極限状態において、自衛隊員、警察官、医師、看護師、葬儀社社員、ボランティアスタッフたちの「こころ」が1つに統合されていった経緯がよくわかります。わたしは、何度も読み返しました。

 

看護師たちは、想像を絶するすさまじい遺体を前にして「これが人間であったのか」と思いながらも、黙々と清拭、縫合、包帯巻きといった作業を徹夜でやりました。そして、腕1本、足1本、さらには指1本しかない遺体を元にして包帯で人型を作りました。その中身のほとんどは新聞紙や綿でした。それでも、絶望の底にある遺族たちは、その人型に抱きすがりました。亡き娘の人型を抱きしめたまま一夜を過ごした遺族もおられたそうです。その人型が柩に入れられ、そのまま荼毘に付されました。

 

どうしても遺体を回収し、「普通の葬儀をあげてあげたかった」という遺族の方々の想いが伝わってくるエピソードです。 人間にとって、葬儀とはどうしても必要なものなのです。そのことは、クライマーズ・ハイ(2008年)や沈まぬ太陽(2009年)といった、この落事故をテーマにした映画を観たときも痛感しました。

  

 

わたしは、ブログ『沈まぬ太陽』で紹介した山崎豊子氏の小説をはじめ、くだんの『墜落遺体』『墜落現場 遺された人たち』、さらには日航機墜落事故の遺族の文集である『茜雲〜日航御巣鷹山墜落事故遺族の30年』(本の泉社)も含めて多くの資料を読みました。拙著葬式は必要!双葉新書)に感想を書きましたが、葬儀とは「人間尊重」の実践であるという思いを改めて強くしました。

 

 

さらに、ヒトは葬儀をされることによって初めて「人間」になるのではないでしょうか。ヒトは生物です。人間は社会的な存在です。葬儀に自分のゆかりのある人々が参列してくれて、その人たちから送ってもらう。それで初めて、故人は「人間」としてこの世から旅立っていけるのではないでしょうか。葬儀とは、人生の送別会でもあるのです。

 

唯葬論

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1人の人間が亡くなることは大事件です。宇宙的事件だと言ってもいいでしょう。東日本大震災の直後に北野武氏が「2万人の人間が死んだんじゃない。1人の人間が死ぬという大事件が2万回起こったんだ」という名言を残されていますが、その通りだと思います。それなのに、現代日本では通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」が流行し、さらには遺体を焼却後、遺灰を持ち帰らずに捨ててしまう「0葬」も登場。あいかわらず葬儀不要論も語られています。そういった風潮に対して、わたしは唯葬論(三五館、サンガ文庫)を書きました。現在は三五館シンシャ社長である中野長武氏が編集して下さいました。同書で訴えたように、わたしたちは、絶対に死者を忘れてはなりません。いつか、520名の犠牲者が昇天した“霊山”であり、4名の奇跡の生存者を守った“聖山”でもある御巣鷹山に登ってみたいです。

 

 

昨年、わたしは供養には意味がある産経新聞出版)を上梓しました。「日本人が失いつつある大切なもの」というサブタイトルがついています。わたしは、供養とはあの世とこの世に橋をかける、死者と生者のコミュニケーションであると考えます。そして、供養においては、まず死者に、現状を理解させることが必要です。僧侶などの宗教者が「あなたは亡くなりましたよ」と死者に伝え、遺族をはじめとした生者が「わたしは元気ですから、心配しないで下さい。あなたのことは忘れませんよ」と死者に伝えることが供養の本質だと思います。最後に、御巣鷹山で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2024年8月12日 一条真也