一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「」です。

 

 

作家の塩野七生氏によれば、カエサルは古代の英雄の中でもきわめて特異な存在であったといいます。それは彼が帝王ではなく、大衆に人気のある政治家だったからです。カエサルはまず何よりも有能な軍人でした。ローマ軍を率いて常に連戦連勝、大衆はいつも勝つ者に拍手します。チンギス・ハーンしかり、ナポレオンしかり、です。しかしカエサルはただ戦争に強いだけでなく、政治家としても有能でした。戦勝の功績で執政官に抜擢されると、一般市民の利益を擁護する姿勢を常に取り続けました。

 

 

塩野氏は、カエサルは良い意味での欲張りだったと分析します。1つのことを1つの目的でやる男ではなかったのです。つまり、私益は他益、ひいては公益、と密接に結びつける手法が彼の特色でした。なぜなら、私益の追求もその実現も、他益ないし公益を利してこそ十全なる実現も可能になる、とする考えに立つからです。この考えは、別にカエサルが天才だったから考えついたわけでも、また実行できたことでもありません。

 

 

塩野氏によれば、わたしたち凡人も、意識せずとも日々実行しているといいます。かのルネッサンスの政治思想家マキャヴエッリは、「公人であろうと、その人の利益の追求は求められるべきである」と主張しました。自分のやるべきことを十全に行なえば、私益は他益となり、さらには公益となります。なぜなら、人間の本性にとって、このほうがよほど自然な道筋であるからです。



もっとも、カエサルは自分の公然の愛人がクレオパトラになった後、元愛人であるセルヴィーリアの生活に支障がないよう、国有地を安く払い下げるという、現代の感覚からすればとんでもないことまでやっていますが。これは、明らかに公人としてあるまじき行為です。しかし、それもセルヴィーリアの幸福という他益を考えての、彼なりの思いやりだったのでしょう。カエサルという男、自分のやりたいように行動して、それがそのまま自分の利益ともなり、他人を幸福にし、ひいては公益にもつながるのですから、やはりタダ者ではありません。言わば、「欲」と「夢」と「志」を矛盾なくリンクさせるという、とんでもないことを実現し続けたわけです。


天下布礼」をめざして

 

たとえば、わたしは文章を書くことが好きなので、新聞や週刊誌に原稿を書いたり、本を書き下ろしたりします。わたしのメッセージが多くの方々に読まれ共感を得れば、わが社の経営理念が理解され、応援しようという方が増えてくるかもしれません。そして、「 天下布礼」というわたしのメッセージによって、社会を少しでも良くしようと思う人が1人でも現れれば、これはカエサルに比較すると圧倒的にスケールが小さいながらも「欲」と「夢」と「志」をリンクさせたことにはならないでしょうか。わたしにとって、文章を書きたいというのは執筆欲という「欲」であり、会社を良くしたいというのは「夢」であり、社会を良くしたいというのが「志」というわけです。「益」については、龍馬とカエサルに詳しく書きました。

 

 

2024年9月10日  一条真也