さらば、虎ハンター!

一条真也です。
10日、福岡で業界団体の総会に参加したのですが、休憩時間に「【新日本】小林邦昭さんの逝去を発表「謹んで、小林邦昭さんのご冥福をお祈りいたします」というヤフーニュースの記事を見つけました。

ヤフーニュースより

 

10日、新日本プロレスは、初代タイガーマスクのライバルとして“虎ハンター”の異名を取り、引退後は新日本プロレス道場の管理人も務めていた小林邦昭さんが68歳で逝去したと発表しました。新日本プロレス公式サイトによると、小林さんは1992年7月に大腸がんが発覚。約半年間の休養期間を経て93年2月にリング復帰。99年にはがんが肝臓に転移、肝臓の切除手術を行っていたそうです。新日本プロレスは「謹んで、小林邦昭さんのご冥福をお祈りいたします」と記しています。また、追悼の意を込めて11日の仙台大会で10カウントゴングセレモニーを実施すると発表しています。セレモニーは、大会開始前の午後6時15分から行われるそうです。

 

小林さんは72年に新日本プロレスへ入門。翌73年に栗栖正伸を相手にプロデビューを果たしました。その後、メキシコ武者修行を経て、82年10月に赤いパンタロンコスチュームで凱旋帰国。以降、当時絶大な人気を博していた初代タイガーマスクとのライバル抗争がスタート。試合ごとにタイガーのマスクをはぐ無法殺法で“虎ハンター”として、大きな注目を浴びました。84年9月には“維新軍団長州力マサ斎藤キラー・カーンアニマル浜口らと新日本プロレスを離脱して、ジャパンプロレス所属となり、全日本プロレスへ参戦。全日本マットでは、2代目タイガーマスクともライバル抗争を繰り広げた。また全日本マットでは、86年11月23日にヒロ斎藤を破って、第2代世界ジュニアヘビー級王者となりました。



87年4月には、新日本プロレスにカムバック。8月20日両国国技館では、王座決定トーナメント決勝で高田伸彦(現・高田延彦)を下して、第4代IWGPジュニアヘビー級王座を戴冠した。89年4月24日の東京ドーム大会では、デビュー戦の獣神ライガー(のちの獣神サンダー・ライガー)の相手も務めました。91年12月には新日本プロレス誠心会館との抗争が勃発、齋藤彰俊、青柳誠司との異種格闘技戦などで最前線に立ちました。この抗争の終結をめぐって、新日本プロレス選手会と対立、越中詩郎らと反選手会同盟を結成。のちの平成維震軍の一員として活躍。この頃は、小林さんの強さが目立っていましたね。

 

2000年且4月21日、小林さんは後楽園ホールで行われた獣神サンダー・ライガー戦で引退。引退後は、新日本プロレス道場の管理人として、後進の育成にあたっていました。非常な大食漢で、若い頃は新幹線の食堂車のメニューを全部注文して完食したという逸話もあります。多くの若手レスラーが小林さんに食事に連れて行ってもらった思い出があるようです。小林さんの死去によって、また昭和プロレスが遠くなりました。とても寂しいですが、小林さんの最大のライバルであった初代タイガーマスクこと佐山サトルさんには長生きしてほしいと願っています。


 

 

2024年9月10日  一条真也