4月度総合朝礼  

一条真也です。
ついに4月になりました。1日の朝は素晴らしい晴天で、ついに小倉紫雲閣の桜も咲きました。二分咲きですけど。

小倉紫雲閣の桜も咲きました🌸

 

この日の午前8時45分から、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールにおいて、サンレー本社の総合朝礼を行いました。全国各地から集まったサンレーグループの役員のみなさんも参加しました。

総合朝礼前のようす

最初は、もちろん一同礼!

社歌斉唱のようす

社長訓示で登壇しました

全員で社歌斉唱を行った後、社長訓示の時間となりました。わたしは、まず「今日は、多くの新入社員が入社してきます。新しい仲間をどうか温かく迎えてあげて下さい」とお願いしました。それから「今朝は素晴らしいグッド・ニュースをダブルで受け取りました。わたしは書いたグリーフケアの書である愛する人を亡くした人へ(現代書林)を原案とする映画君の忘れ方のヒロイン役である西野七瀬さんが結婚を発表したことと、同書のPHP文庫化が正式に決定したことです。今朝は、本当にグッド・モーニングでした」と述べました。


映画「オッペンハイマー」について



それから、わたしは以下のような話をしました。
3月29日に日本公開されたアメリカ映画オッペンハイマーについて話しました。第96回アカデミー賞では、「オッペンハイマー」が作品賞を含む7冠に輝きました。クリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた伝記映画です。興行的にも、全世界興行収入9億5000万ドルを超える大ヒットを記録。実在の人物を描いた伝記映画作品として、歴代1位の記録を樹立しています。

日本人はセカンド・グリーフを負った

 

アカデミー賞の授賞式は、日本時間の3月11日でした。「3・11」という日本人にとってのグリーフ・デーの当日に、日本人にとって最大のグリーフといってもよい原爆の開発者についての映画がアカデミー賞で旋風を起こしたというのが、どうにも複雑な気分でした。原爆というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。ですから、被爆国である日本の人々は、当事者として、映画「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があると思いました。本当は、「オッペンハイマー」は昨年8月6日の「広島原爆の日」までには公開されているべきだったと思います。日本人のグリーフを無視した映画がアカデミー賞作品賞を受賞した事実によって、日本人はセカンド・グリーフを負ったように思えてなりません。


オッペンハイマー」には礼がない!


熱心に聴く人びと

 

オッペンハイマー」の製作陣は、日本の観客に「礼」を欠いたのです。本当は、映画の冒頭に「広島および長崎に投下された原爆の犠牲者の方々に心より哀悼の意を表します」といったクレジットを入れるべきでした。「タイタニック」がアカデミー賞で作品賞や監督賞など11部門に輝いたとき、ジェームズ・キャメロン監督は「この映画は多くの人が亡くなった悲劇を描いている。何よりも犠牲者に哀悼の意を表したい」とアカデミー授賞式でスピーチしたことを記憶していますが、死者に対する「礼」の精神がクリストファー・ノーラン監督にはありませんでした。

「不適切にもほどがある!」について



それから、3月29日に最終回が放送されたドラマ「不適切にもほどがある!」に話題を変えました。オンエア終了後には「#不適切にもほどがある」が「X(旧ツイッター)」の世界トレンド1位に輝くなど、大反響を呼びました。1986年(昭和61年)から2024年(令和6年)にタイムスリップしてしまった体育教師の小川市郎(阿部サダヲ)。典型的な“昭和のダメおやじ”です。彼の“不適切”な言動がコンプライアンスで縛られた令和の人々に衝撃を与えるとともに、「何が正しいのか」について考えるヒントを与えました。

「結婚して幸せ!」って言っちゃいけないってこと?

 

毎回、昭和と令和のギャップなどを小ネタにして爆笑を誘いながら、「多様性」「働き方改革」「セクハラ」「既読スルー」「ルッキズム」「不倫」「分類」、そして最終回は「寛容」と社会的なテーマをミュージカルシーンに昇華するのが最高でした。令和の時代について「多様性の時代です」と説明する者に対して、小川は「『がんばれ!』って言われたら、1ヵ月でも会社を休んでいい時代?」と問いかけます。また、「『結婚だけが幸せじゃない』って言うけど、じゃあ『結婚して幸せ!』って言っちゃいけないってこと?」という小川の言葉は胸に突き刺さりました。

「不適切」の定義など、簡単に変わる

 

最終回では「2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」というテロップが流れます。じつは、2054年から喫茶店「すきゃんだる」のトイレの壁穴を使って、市郎の教え子にして、タイムマシンを開発した老人がタイムトラベルしてきたのです。SNS上には「まさかの最後の最後で、このテロップとは・・・数年後、2024年が不適切かもしれないものね」「最後のテロップ、凄い!令和の価値観すら過去になる、今私たちが生きている価値観すら不適切になるんだぞという。時代と共に生きる私たちへのメッセージ」などと絶賛の声が続出しました。そう、「不適切」の定義など、簡単に変わるのです。


「礼」には普遍性がある!


熱心に聴く人びと

 

しかし、人間が社会を築いて以来、ずっと変わらないものもあります。わたしは、その1つが「礼」だと思います。コンプライアンス社会の最大のタブーは、ハラスメントです。わたしは、ハラスメントの問題とは結局は「礼」の問題であると考えています。「礼」とは平たく言って「人間尊重」ということです。この精神さえあれば、ハラスメントなど起きようがありません。心の底から、そう思います。「礼」を重んじるわたしの考え方は、佐久間進名誉会長ゆずりです。ちなみに名誉会長は昭和10年生まれですが、「不適切にもほどがある!」の小川市郎と同い年であることに気づきました。

日本はもともと多様性に富んだ「和」の国!

 

佐久間名誉会長は、著書『礼道の「かたち」』(PHP研究所)において、「日本は和の国として、世界的に見ても稀有な、きわめて多様性に富んだ文化を持っています。日本人が持つこうした多様性や柔軟性の根底には、日本独自の和の精神や和の文化があります。この和が、さまざまな思想や文化を平和裏に共存共栄させる素地になっているのです」と述べます。令和の時代になって「多様性」を声高に叫ばなくても、日本はもともと多様性に富んだ社会であり、それは「和」の一語に象徴されているというのです。

「和」を実現するには「礼」の存在が不可欠!

 

そういえば、昭和にも令和にも「和」が入っていますね。聖徳太子の「和をもって貴しとせよ」のルーツは『論語』で、「有子が日わく、礼の用は和を貴しと為す」という言葉です。「和」を実現するには「礼」の存在が不可欠なのです。このように、「オッペンハイマー」も、「不適切にもほどがある!」も、礼という視点から語れます。人間がいる限り、礼は普遍のテーマ。わたしは、いつか、『唯葬論』ならぬ『唯礼論』という本を書きたいです。


最後に道歌を披露しました

わが社は、人間尊重思想としての「礼」を中心とする礼業です。サンレーとは「礼」の実践を生業とする「礼業」なのです。世の中には農業、林業、漁業、工業、商業といった産業がありますが、わが社「礼業」であり、「人間尊重業」です。わが社には、無縁社会を乗り越え、有縁社会を再生するという志、グリーフケアによって世の人々の悲嘆を軽くするという志、そして冠婚葬祭という儀式で日本人を幸福にするという志があります。すなわち、「天下布礼」という大志です。わたしは最後に「新しい仲間を迎えて、この大志を果たそうではありませんか!」と言ってから、以下の道歌を披露しました。

 

新しき仲間となるは 世の中を 
   良くする想い抱く人びと 庸軒

 


辞令交付式のようす


挨拶する山下常務

挨拶する岸取締役

盛大な拍手が起こりました

その後、4月の人事発令に伴い、辞令交付式を行いました。この日は、サンレーの山下常務取締役、石田取締役、岸取締役、飛鷹執行役員、クリーン30の増野取締役、オラシオンの木原執行役員の6人を代表として辞令を交付しました。辞令を交付した後、6人がそれぞれに挨拶しましたが、いずれも力強く素晴らしい内容でした。みなさん非常に優秀で、わが社の最高の資産であると思っています。今後の活躍に大いに期待いたします。

「今月の目標」を唱和

最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、サンレーグループ合同入社式を松柏園ホテルで行います。その後は新入社員歓迎昼食会、グループ役員会を行います。明日は、本部会議と新入社員への社長訓話が予定されています。コロナも終息を迎え、今年は正念場を迎えています。全員の力を合わせ、これまでにない高みを目指して、最後まで走り抜きたいです!

 

2024年4月1日 一条真也