サービスからケアへ

 

一条真也です。
わたしは、高度情報社会は、そのまま「心の社会」に移行すると予想します。「心の社会」とは「心ゆたかな社会」としてのハートフル・ソサエティです。人類は新型コロナウイルスによるパンデミックという想定外の事態に直面しましたが、コロナ禍の最中の2020年に上梓した拙著心ゆたかな社会(現代書林)の帯には「コロナからココロへ」と書かれています。そう、わたしはコロナ禍によってハートフル・ソサエティの到来は早まったと考えています。そして、そこでは「サービス」から「ケア」への大規模な転換が行われると予想されます。

心ゆたかな社会』(現代書林)

 

グリーフに対して、グリーフサービスとはいいません。縦の関係(上下関係)であるサービスと横の関係(対等な関係)であるケアの本質と違いがここにあります。学生のアルバイトに代表されるようにサービス業はカネのためにできますが、医療や介護に代表されるよううにケア業はカネのためにはできません。特に、無縁社会に加えてコロナ禍の中にあった日本において、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題です。さらには、ケアすることは、自分の種々の欲求を満たすために、他人を単に利用するのとは正反対のことであり、相手が成長し、自己実現することを助けることではないでしょうか。

朝日新聞」2021年12月28日朝刊

 

冠婚葬祭業を営むわが社では、児童養護施設のお子さんへ七五三や成人式の晴れ着・着付け・写真撮影などを無償でお世話させていただいています。七五三や成人式を祝うことは「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの成長をみんなが祝っている」というメッセージを伝えることであり、コンパッション的行為であると考えます。あるとき、某児童養護施設のお子さんたちの衣装を提供した松柏園ホテルに施設の先生と成人式を迎えた女性本人が来館されました。そのお嬢さんは「とても嬉しかった」と、涙ながらに感謝の言葉を述べて下さいました。

「感謝」と書かれた色紙

 

その際、七五三を迎えたお子さんたちのメッセージも添えた色紙をプレゼントされました。色紙の中央に貼紙で「感謝」とカラフルにデザインされていました。こんな素敵な贈り物が他にあるでしょうか! 七五三の写真について、小一女子の「おとなになるまで大せつにします」とのメッセージが書かれていました。その他のお子さんや先生方からのメッセージも読んで、わたしは非常に感動し、「本当に良かった!」と思いました。松柏園のスタッフ一同も、目頭が熱くなったそうです。わたしは、「冠婚葬祭という本業を通じて世の中を少しでも良くすることができた!」という自信と誇りが湧いてきました。これは社長であるわたしだけでなく、社員のみなさんも同じだと思います。

「こころの贈り物」を貰った 松柏園ホテルのスタッフたち

 

コロナ禍で冠婚葬祭業はかつてない困難の中にありました。現場で働く社員のみなさんも、いろいろと不安を抱えていたことと思います。でも、この色紙を見て、いろんなネガティブな感情が消えたのではないでしょうか。「人を幸せにすることができる儀式は素晴らしい!」「冠婚葬祭の灯を絶対に消してはならない!」という想いが湧いたように思います。わたしたちは、けっして一方的に児童養護施設のお子さんたちに贈り物をしたのではありません。わたしたちも素晴らしい「こころの贈り物」をいただきました。そして、お互いが「こころの贈り物」を贈り合う行為を「ケア」というのです。

西日本新聞」2021年12月8日朝刊

 

相手を支えることで、自分も相手から支えられることを「ケア」というのです。「ありがとう」と言ってくれた相手に対して、こちらも「ありがとう」と言うことが「ケア」なのです。そう、「サービス」は一方向ですが、「ケア」は双方向です。児童養護施設に入所していなくても、入浴や食事がままならないお子さんがいます。そんな現状を見て見ぬふりはできません。わが社では、「日王の湯」という福岡県最大級の温浴施設を運営していますが、ここで、子どもたちに風呂に入ってもらった後、食堂でカレーライスをお腹いっぱい食べてもらうイベントを定期開催しています。将来的には「子ども温泉」「子ども食堂」として常設化する計画ですが、わたしは、これこそ新しい互助会の在り方だと思います。

 

 

『ケアとは何か――看護・福祉で大事なこと』村上靖彦著(中公新書)によれば、人間なら誰でも病やケガ、衰弱や死は避けて通れません。自分や親しい人が苦境に立たされたとき、わたしたちは「独りでは生きていけない」ことを痛感します。そうした人間の弱さを前提とした上で、生を肯定し、支える営みがケアなのです。英語の熟語「take care of」は、「・・・を世話する」「大事にする」という意味です。ここから、「世話」「配慮」「関心」「気遣い」などの意味が出てきます。「ケア」という日本語がよく使われるようになったのは最近のことです。

© 一条真也

 

もともと、「ケア」は、「health care(医療)」「nursing care(看護)」といった、もっと限定された、専門的な術語として使われてきました。しかし今では、ケアは「幸福」「倫理」「愛」「善」などの概念と密接に関わる言葉となっています。どうやら、人間存在の根源的なものが、「ケア」に通じていると言えそうです。わたしは、「ケア」とは「相互扶助」という言葉と深く関わっていると考えます。人間は誰もが1人では生きていません。必ず他人の存在を必要とします。それはそのまま「相互扶助」が不可欠であるということであり、誰もがケアを必要としているということです。

© 一条真也

 

真の奉仕とは、サービスではなく、ケアの中から生まれてくるものだと言えます。ここでいう奉仕とは、自分自身を大切にし、その上で他人のことも大切にしてあげたくなるといったものです。自分が愛や幸福感にあふれていたら、自然にそれを他人にも注ぎかけたくなります。「情けは人の為ならず」と日本でも言いますが、他人のためになることが自分のためにもなっているというのは、世界最大の公然の秘密の一つなのです。アメリカの思想家エマーソンは、「心から他人を助けようとすれば、自分自身を助けることにもなっているというのは、この人生における見事な補償作用である」と述べています。まさに至言ですね。


© 一条真也

 

与えるのが嬉しくて他人を助ける人にとって、その真の報酬とは喜びにほかなりません。他人に何かを与えて、自分が損をしたような気がする人は、まず自分自身に愛を与えていない人でしょう。真の奉仕とは、助ける人、助けられる人が一つになると言います。どちらも対等です。相手に助けさせてあげることで、自分も助けています。相手を助けることで、自分自身を助けることになっています。相手に助けさせてあげることで自分を助け、相手を助けることで自分自身を助けるというのは、まさに与えること、受けることの最も理想的な円環構造と言えるでしょう。その輪の中で、どちらが与え、どちらが受け取っているのかわからなくなります。それはもう、1つの流れなのです。拙著コンパッション!オリーブの木)に詳しく書きましたが、コロナ禍が契機となって、もはやサービス業の時代は終わりつつあります。これからは、ケア業の時代です。わが社はケア業への進化をめざし、「ケアの時代」の幕を開きたいと思います。

コンパッション!』(オリーブの木

 

2024年2月20日  一条真也