能登半島の最奥部へ!

一条真也です。
石川県に来ています。金沢駅前のホテルに宿泊しているのですが、今朝、寝ているベッドが揺れて目が覚めました。あわててスマホを開くと、7日午前6時8分頃、石川県の志賀町震源地とする最大震度4のやや強い地震が発生したニュースが出ていました。


ヤフーニュースより


北國新聞」2024年2月7日朝刊

 

1月1日に発生した能登半島地震による死者は240人、負傷者は計1182人となっています。安否不明者は11人で、珠洲市輪島市に集中しています。7日、わたしは金沢市から珠洲市に向かいました。わが社の施設である珠洲紫雲閣を訪問するためです。


車内のようす

いきなり大雨が・・・


能登半島に入る直前の志押SAのトイレ


ここは水が出ました!(以降は断水状態でした)

 

震災後、わたしが能登半島を訪れるのは2回目です。ブログ「能登半島へ」で紹介したように、1月10日にも行きましたが、七尾市まででした。それ以上進むことは災害車両の邪魔になるため、遠慮したのです。ちなみに七尾市能登半島の中央部、珠洲市は最奥部となります。金沢から珠洲までは最短で片道4時間、往復8時間かかります。


ここから能登半島へ!


道路が大破していました


簡易トイレを利用しました


簡易トイレの内部のようす


倒壊した家屋


倒壊した家屋


「全国からの御支援に感謝!!」「負けんぞ能登


能登半島の海


渋滞が続いていました

この日は、 金沢紫雲閣の大谷総支配人が社用車を運転してくれました。サンレー北陸の郡事業部長も一緒です。彼は能登半島志賀町にある実家に元旦に帰省していたところ被災し、実家は全壊。高齢のご両親とともに避難所で1月20日まで生活し、21日から職場に復帰したのでした。石川県の6日午後2時時点の集計によると、県内の住宅被害は5万5660戸となっています。被災地の復興を願うばかりですが、断水は現在も約3万7700戸となっています。能登半島珠洲はもちろん七尾さえもまだ水道が復旧しておらず、断水状態が続いています。トイレに行くのをなるべく控えるため、この日は朝から水分を控えました。簡易トイレは利用しましたけど。


だんだん寒くなってきました


車の上に建物の壁面が!


全壊した家屋


コンビニが1軒だけ営業していました


のと里山海道


道路が大破していました


反対車線はほぼ全滅


雪が深くなってきました


甲子園出場の日本航空高等学校石川が!


のと里山空港に到着


空港のトイレの貼り紙


のと里山空港にて

 

能登半島に入ると、いきなりの大雨でしたが、すぐ止みました。その後は晴れたり雨が降ったりの繰り返しで不安定でした。途中、道路が大破していたり、家屋が倒壊していたりといった光景をたくさん見ました。このたびの震災の甚大さを痛感します。能登半島は一本道なので、渋滞がひどかったです。途中から「のと里山海道」に入り、雪の中を走りました。甲子園出場を決めた日本航空高等学校石川の前を通って、「のと里山空港」に到着。そこで、トイレを借りました。トイレの入口に「自衛隊はトイレットペーパーを携行せよ。」という貼り紙があったのには驚きました。それにしても、こんな能登半島の最奥部の山の中に空港があるとは驚きました。かの自民党の大物政治家が作ったものと推察されます。彼は「石川県のドン」として知られていますが、それなら「大阪・関西万博」など即刻中止させて、その費用をすべて石川県の被災地の復興に充てるべきです。彼の子分である石川県知事は「万博は開催するべき」と発言したそうですが、とんでもないですね!


車内で「ちょい弁当」を食べました


「ちょい弁当」の中身


雪の中を車は行く!


広がる雪景色


目の前に倒壊家屋が・・・


1階が消えた家


倒壊したお墓がありました


ついに珠洲市に入りました!


道の駅のトイレは使えず!


簡易トイレを利用しました


珠洲には赤十字のテントが


他県から多くの応援が・・・

金沢を出発してから4時間以上経過して、13時頃に車中で「ちょい弁当」という可愛いお弁当を食べました。お茶も飲みたかったのですが、トイレに行きたくなるので我慢しました。珠洲市に近づくと、倒壊したお墓がありました。ようやく珠洲市に入ると、東京から来た赤十字社のテントをはじめ、他県からの応援の車両がたくさんありました。


珠洲紫雲閣の前で


下野支配人(右)と中川副支配人(左)と


下野支配人に誕生日プレゼントを渡す


下野支配人、誕生日おめでとう!

 

そして、ついに、わが社の珠洲紫雲閣に到着! 想像していたよりも建物の被害が少なく、看板なども無事だったので安心しました。下野支配人と中川副支配人が迎えてくれました。この日は下野支配人の54回目の誕生日だというので、「お誕生日、おめでとうございます!」の言葉を添えて、ブログ「松柏園オリジナルワインが完成!」で紹介したワインをプレゼントしました。お酒が大好きという下野支配人はとても嬉しそうでした。そのとき、「マスクを外して一緒に記念撮影しよう!」と言ったところ、彼がモジモジするので、「どうしたの?」と訊くと、「じつは髭を剃っていないんです。ずっと風呂に入れなくて・・・」と答えるではありませんか。わたしは、その言葉を聞いたとき、彼をはじめとした被災者の方々の苦労を想って涙が出てきました。見ると、彼の目も赤くなっていました。


正院町の傾いた電柱

正院町にて

正院町の倒壊した家屋

正院町の倒壊した家屋

正院町の倒壊した家屋

正院町の倒壊した家屋

正院町にて

正院町の倒壊した家屋

正院町の倒壊した家屋


1階が消えた家


目の前に屋根が!

正院町の避難所


正院町に向かって合掌しました


犠牲者の方々の御冥福を祈りました

それから、珠洲紫雲閣を出発したわたしたちは、下野支配人と中川副支配人の先導で珠洲市内でも最も震災の被害が大きかった正院町に向かいました。そこには信じられないような光景が広がっていました。見渡す限りの家々が倒壊しています。まるでゴジラに蹂躙されたような、まさに「カタストロフィー」といった光景でした。見ると、新しく建てたような家が飛び飛びにまったく損傷なく残っています。つまり、耐震基準の厳格化(1980年)以降に立てられた家は無事なのです。それ以前に建てられた家はすべて破壊された印象でした。そして、倒壊した家々の瓦礫の山の上には美しい青空が広がっていました。そう、悲しいほどお天気なのです。その後、わたしは正院町の瓦礫の山を見渡せる竹林に移動して、数珠を持って犠牲者の方々の御冥福をお祈りしました。亡くなられた方々の多くは、わが紫雲閣でお葬儀のお世話をさせていただきました。



6日、石川・珠洲市の安否不明者の捜索現場で、遺体が発見されました。珠洲市仁江町では、妻と3人の子供を亡くされた大間圭介さんの義理の両親が土砂崩れに巻き込まれたとみられていました。6日も、警察と消防およそ130人体制で捜索が続いています。現場の捜索隊によると6日午前、土砂の中から男性1人が見つかり、その場で死亡が確認されました。他にも安否不明者はいますが、1日も早くすべての方が発見されることを心より願っています。また、このたびの震災でのすべての犠牲者の方々の御冥福をお祈りいたします。そのためにも、今年、わが社は、能登半島において「月への送魂」を行いたいと思います。


この3人で行きました!

 

2024年2月7日  一条真也