一条真也です。
「勤労感謝の日」の23日、この日から公開の日本映画「首」をシネプレックス小倉で観ました。 “世界のキタノ”こと北野武監督の最新話題作ですが、想像していたよりもずっと面白かったです。特にラストシーンが良かったですね。ただ、公開日かつ休日の13時25分からの回でしたが、けっこう空いていました。これは意外でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『アウトレイジ』シリーズなどの北野武監督が自身の小説を原作に、本能寺の変を描く時代劇。北野監督が脚本などのほか羽柴秀吉役も務め、天下取りを狙う織田信長、徳川家康、さらに明智光秀ら戦国武将たちの野望を映し出す。『ドライブ・マイ・カー』などの西島秀俊、『それでもボクはやってない』などの加瀬亮のほか、中村獅童、浅野忠信、大森南朋、遠藤憲一らがキャストに名を連ねる」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「天下統一を目指す織田信長(加瀬亮)が毛利軍、武田軍、上杉軍、さらには京都の寺社勢力と激戦を展開する中、彼の家臣である荒木村重(遠藤憲一)が反乱を起こして姿を消す。信長は明智光秀(西島秀俊)、羽柴秀吉(ビートたけし)ら家臣に村重の捜索を命じるが、天下取りをひそかに狙う秀吉は、弟の羽柴秀長(大森南朋)、黒田官兵衛(浅野忠信)らと策を練る」
「首」は、総製作費15億円。北野監督にとっては6年ぶりの新作映画で、2023年5月16日開幕の第76回カンヌ国際映画祭の「カンヌ・プレミア部門」に日本人監督として初めて出品されました。「アウトレイジ」シリーズでは暴力団の抗争を描いてきた北野監督ですが、過激なバイオレンスシーンが話題なりました。しかし、バイオレンスいえば現代の暴力団抗争など戦国時代に比べれば可愛いものでしょう。「首」で、北野監督は究極の抗争としての「戦」を描いたわけですが、やはり迫力は満点でした。
エンターテインメント映画としては面白い「首」ですが、最大の欠点は主人公の羽柴秀吉を演じたのがビートたけしであったことでしょう。というのも現在のたけしは76歳で、どう考えても秀吉を演じるにはトシを取り過ぎています。秀吉より5歳年下の徳川家康を演じたのが現在72歳の小林薫ですが、秀吉より3歳年長の織田信長役の加瀬亮が49歳なわけですから、いくらなんでも76歳のたけしの秀吉は無理があります。この無理なキャスティングが映画全体のリアリティを損なったように思いました。北野武監督は、ビートたけしを主役に起用せず、今回は監督だけに専念すべきであったと思います。
西島秀俊演じる明智光秀は良かったです。光秀といえば、足利義昭に仕え、さらに織田信長に仕えるようになった武将です。1571年の比叡山焼き討ちへ貢献し、坂本城の城主となります。1573年の一乗谷攻略や丹波攻略にも貢献しました。1582年、京都の本能寺で織田信長を討ち、その息子信忠も二条新御所で自刃に追いやり(本能寺の変)、信長親子による政権に幕を引きました。その後、自らも織田信孝・羽柴秀吉らに敗れて討ち取られた(山崎の戦)とされていますが、当時光秀の首を確認したという文献資料は残されていません。この事実が、映画「首」のモチーフとなっています。
「アウトレイジ」では狂犬のようなヤクザを演じた加瀬亮が「首」では織田信長を演じましたが、適役でした。信長といえば、ブログ「レジェンド&バタフライ」で紹介した木村拓哉主演の信長映画がありましたが、内容はラブロマンスでした。あの映画でキムタクが演じたチャーミングな信長よりも、「首」で加瀬亮が演じた信長の方が「第六天魔王」のイメージに合っていました。部下を侮辱し、足蹴にする加瀬信長の傍若無人ぶりを見ると、「キング・オブ・ハラスメント」といった称号を与えたくなります。ちなみに、信長は武力で天下を統一する「天下布武」を唱えましたが、わたしは「天下布礼」を唱えています
織田信長、豊臣秀吉と並んで「戦国の三英傑」と呼ばれたのが徳川家康です。苦難の末に「天下統一」を成し遂げ、265年続く江戸時代の礎を築いた人物としてあまりにも有名です。歴史上、あらゆる日本人の中でも最高の成功者は、徳川家康ではないでしょうか。数奇な運命をたどり、幽閉などの不遇の時代がありましたが、そのときに集中的に本を読んで読書好きになったのか、家康は非常な読書家として知られています。読書から得た歴史の知識などを活用した行動で、戦国の乱世を勝ち抜いて成功したとされているのです。その家康は『論語』をはじめとした儒教の書物を好んで読んだといいます。
「本能寺の変」を舞台に大河ドラマなどでは描かれない“人間の汚い部分や業”をテーマにしたという作品ですが、それを象徴するのが中村師童が演じた難波茂助というキャラクターです。侍大将になるため戦に身を投じる元百姓という設定でしたが、史実では「難波茂助」という人物が存在したという記録はないようです。ただもちろん、当時は戦に身を投じる元百姓は当時は数えきれないほど多く存在しました。そもそも羽柴秀吉その人も元百姓でした。ちなみに、「侍大将」とは、戦国時代において、戦闘において主力となる武将たちを指揮する役職の1つです。主に大名家において設置され、大名家に所属する武将の中でも実力がある者が任命されました。
信長に首を狙われる謀反人・荒木村重は遠藤憲一が演じました。信長は、織田家に臣従した池田勝正を追放して池田家を乗っ取った村重を良く思っていませんでした。そのため、信長は村重に面会するなり無言で刀を抜き、剣先でまんじゅうを刺して鼻先に突き付けて挑発。すると村重は、平然と大口を開けて、そのまんじゅうを食べ始めました。その剛胆さに感心した信長は村重を気に入り、織田家への臣従はもちろん、摂津国の支配も認めます。しかし、突如として信長に反旗を翻した村重は数奇な運命をたどります。絶頂期からの転落や、重臣達の讒言と裏切りに翻弄された籠城戦、そして家族も名誉も失い、世捨て人として生きた晩年など、荒木村重の生き様には、戦国時代の不条理が凝縮されています。
秀吉のために知略をめぐらす軍師の黒田官兵衛は浅野忠信が演じました。浅野忠信は「座頭市」から約20年ぶりの北野監督作品への出演でした。登場人物全員が「天下」を狙う中、一歩引いた冷静な官兵衛を演じています。浅野は「北野監督はやっぱり“笑いの神様”みたいなところがあるし、笑いのレベルの高さにはいつも驚かされます。監督が今回の現場で『浅野くんで今度はおかしなことをやりたいね』って言ってくれたのも、そこが嬉しかった」と語ります。ただ、秀吉(ビートたけし)、秀長(大森南朋)、黒田官兵衛(浅野)の3人のシーンは「台本なし、NGなし」だったそうで、緊張感と、たけしの無茶振りとも言えるアドリブに、全力で応えるのが大変だったとか。
元忍者の芸人・曽呂利新左衛門は木村祐一が演じました。曽呂利新左衛門は、豊臣秀吉に御伽衆として仕えたといわれる人物です。「落語家の始祖」とも言われ、ユーモラスな頓知で人を笑わせる数々の逸話を残しました。堺で刀の鞘を作っていた杉本新左衛門(坂内宗拾)という鞘師で、作った鞘には刀がそろりと合うのでこの名がついたといいます。架空の人物であるという説や、実在したが逸話は後世の創作という説があります。また、茶人で落語家の祖とされる安楽庵策伝と同一人物とも言われています。彼は、茶道を武野紹鴎に学び、香道や和歌にも通じていたといいます。『時慶卿記』に曽呂利新左衛門が豊臣秀次の茶会に出席した記述が見られます。
茶人・千利休は岸部一徳が演じました。千利休は、戦国時代から安土桃山時代にかけての茶人であり、商人です。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、「茶聖」とも称せられます。天下人・豊臣秀吉の側近という一面もあり、豊臣秀吉が旧主・織田信長から継承した「御茶湯御政道」の中で、多くの大名にも影響力を持ちました。しかし秀吉との関係に不和が生じ始め、最期は切腹を命じられました。死に至った真相については諸説あり、定まっていません。利休の最期に関しては、 ブログ「利休にたずねよ」で紹介した映画が強く印象に残っています。「首」で羽柴秀長を演じた大森何朋が「利休にたずねよ」では兄の秀吉を演じました。あの映画では、グリーフケアとしての茶道が描かれていました。
秀吉の弟である羽柴秀長は大森南朋が演じました。大森は、「Dolls」「アキレスと亀」「アウトレイジ 最終章」に出演し、本作で4本目となる北野組の常連です。常に秀吉のそばにいる秀長役での出演のオファーに対して、大森は「『アウトレイジ 最終章』のときもそうだったんですけど、近くにいさせてくれるということは『何かあったら頼むぞ、大森くん!』ってことなんです。それは分かっていたので、撮影前に『当日の膨大なセリフの追加やアドリブはやめてください』とだけは言わせていただきました(笑)。それでもセリフの追加や変更は普通にあるので、それに恐怖も感じながらも、楽しみにしていました」と語っています。秀長は兄の威を借る腰巾着ですが、秀吉が秀長によって助けられたのも事実でしょう。
「首」に登場する多くの武将の描写の中で、最も面白かったのは徳川家康でした。NHKの大河ドラマ史上に残る低視聴率番組である「どうする家康」の何倍も興味深い内容でしたね。特に、家康が想像を絶するほど大量の影武者を使っている箇所が印象的でした。影武者といえば、やはり黒澤明監督の大作「影武者」(1980年)を連想します。黒澤作品では唯一の実在の戦国武将(武田信玄)にまつわるエピソードを取り上げ、戦国時代後期に影武者として生きる運命を背負わされた小泥棒の姿を描いています。ハリウッドの大手スタジオから世界配給された最初の日本映画で、黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスが外国版プロデューサーとして参加。第33回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、第53回アカデミー賞で外国語映画賞と美術賞の2部門にノミネートされています。ちなみに「首」は構想30年ですが、生前の黒澤明も期待していたそうです。
「首」を観て連想した過去の映画は「影武者」以外にもあります。大島渚監督の「御法度」(1999年)です。司馬遼太郎の短編小説集『新選組血風録』収録の「前髪の惣三郎」と「三条磧乱刃」が原作。幕末の京都を舞台に、新選組を男色の視点で描いた時代劇です。大島渚の13年ぶりの監督作品であり遺作となりました。映画史に残る名作「戦場のメリークリスマス」以来となる監督・大島渚、主演・ビートたけし、音楽・坂本龍一のトリオ復活、松田優作の息子松田龍平の初出演などで話題となりました。新選組の新入隊士である美男剣士加納惣三郎(松田龍平)が、同期入隊の田代彪蔵(浅野忠信)に衆道(男色)の世界へ引き込まれ、最初はこれを拒んでいた加納もやがて衆道にのめり込んで、淫乱な妖婦の如くになり、新選組の統制を乱したとして土方歳三(ビートたけし)と沖田総司(武田真治)によって粛清されるまでを描きます。「御法度」は幕末の物語ですが、戦国時代の物語である「首」も衆道を正面から描いたゲイ映画としての要素が強いのです。
そう、同性愛の描写が満載の「首」は現在でいうLGBTQの問題を扱っているとも言えます。同性愛といえば、現在の日本は故ジャニー喜多川の性加害問題が騒がれている渦中にあります。「やっぱり、ホモは危険な変態野郎」と多くの人々に思わせたことで、ジャニー喜多川は日本のLGBTQ運動を大いに阻害したと思います。そんなとき、北野武監督は今月15日、日本外国特派員協会で記者会見を行い、冒頭で「はじめまして、ジャニー北野川です」と挨拶したのでした。記者からは、ジャニー喜多川の性加害問題についての質問も出ました。北野監督は、「ジャニーズのタレントとは仕事は何十年もやってるんで、そういうことはいろいろうわさを聞くし、いろんな人から、よくあったことだというふうに聞くけれども、自分たちにとってはそういう世界にいたら当然あるだろうなとしか当時考えてなくて。最近になって世界で大きな問題になるっていうのは、時代の流れかなって思う」と語りました。
さて、北野監督は大河ドラマなどでは描かれない“人間の汚い部分や業”を「首」のテーマにしたそうです。わたし的には、不愉快な描写もありました。特に、備中高松城主・清水宗治の切腹のシーンがそうでした。備中高松城に攻め入った秀吉は、軍師・黒田官兵衛の進言によって水攻めを行います。兵数は備中高松城の5000に対し、秀吉軍は20000。この水攻めは、秀吉による中国地方攻略のハイライトであり、毛利家にとっては三木の干殺し・鳥取の飢え殺しに続く悪夢でした。鳥取城のときの城内は「刀折れ矢尽きる」どころではなく、家畜や雑草を食べつくしてもなお飢えるという惨事に陥ったことを、宗治も伝え聞いていたことでしょう。そこへ秀吉から毛利方に対し「宗治殿の命と引き換えに城兵を助けよう」という降伏勧告がきたのですから、宗治に選択肢はありませんでした。
切腹を覚悟した宗治は、死する前には小姓に髭を抜かせて、身だしなみを整えたといいます。切腹ののち、自分の首を織田信長が検分するだろうと予想し、籠城したために身だしなみを忘れたとは侮られたくないと、最後まで武士としての誇りにこだわったのです。秀吉軍が見守る中、宗治は一艘の小舟の上で悠々と能の「誓願寺」を一舞披露します。この「誓願寺」を美しく舞ったのち、清水宗治は潔く切腹したといいます。そのあまりの見事な最期に、秀吉も「武士の鑑」と感嘆したと伝えられているのですが、映画「首」では違いました。なかなか自害しない宗治に痺れを切らした秀吉が「早く死にやがれ、馬鹿野郎!」と暴言を吐くのです。これには軍師の官兵衛も「武士は死に際が大事なのです」と秀吉を諫めますが、儀式を重んじるわたしとしては非常に不愉快なシーンでした。わたしは常々、「死生観は究極の教養である」と考えていますが、秀吉という人物を教養の欠片もないサルとして描いていました。
北野監督によれば、信長、光秀、家康、秀吉と、日本人なら誰もが知る人物の関係性は非常にわかりやすく面白いそうです。あまりにも有名な「本能寺の変」については、北野監督は「いじめに耐えきれなくなった光秀が信長を殺したという内容のものが多いけど、そうじゃないんじゃないかと思っていて。信長は狂気で家臣や他の武将を押さえつけていただけだから、宙に浮いていたし、誰もが殺すチャンスを窺っていたんじゃないか?」と持論を展開し、「そこの、あまり描かれていないところをやらなきゃいけないっていう想いは最初からあった」とコメントしています。撮影前から北野監督から考えを聞いていたというプロデューサーの福島聡司は、「『これまでテレビや映画の王道の時代劇が描いてきたものとは違って、実際は人間関係がもっとドロドロしていたんじゃないのか? 自分の視点で裏から見た戦国時代を描きたいんだ』ということはずっと言われていました。誰が死んで、誰が生き残るのか? 台本の稿を重ね、決定稿になるまでそれが何度も入れ替わったのが印象的でした」と語っています。
「首」という映画は、織田信長の首を巡る戦いの中で、ひたすら己の野望を果たそうとする者たちのエゴイスティックな策略や裏切りが描かれています。タイトルからもわかるように、 「首」をテーマとした物語について、北野監督は「武士に生まれたのか、百姓として生まれたのか。その人物の生まれや意識によって死との向き合い方は全然違う。“首”がなければ死んだことにならないとする信長や光秀の世界と、“首”なんかどうでもいいと思っている百姓上がりの秀吉の世界。そういった違った視点や意識、物の考え方が見えてくると面白いかなと思っていたね」と語っています。なお、すでに次回作の準備に入っているそうで、テーマは「暴力映画におけるお笑い」だとか。「アウトレイジ」のようなヤクザが主役のバイオレンス映画を撮り、同じストーリー&キャストでパロディー映画を撮るという2部構成を目指す野心的な試みだといいます。北野監督は「なかなか難しいが、どうにかなりそうではある」と抱負を語りました。今から、次回作が楽しみです!
2023年11月24日 一条真也拝