歌縁

 

一条真也です。
無縁社会」などと呼ばれ、血縁と地縁の希薄化が目立つ昨今です。人間は1人では生きていけません。「無縁社会」を超えて「有縁社会」を再生させるためには、血縁や地縁以外のさまざまな縁を見つけ、育てていく必要があります。そこで注目されるのが趣味に基づく「好縁」です。この中には、お互いに歌を歌い合ったり、同じ歌を合唱する「歌縁」があります。


音楽は「人間関係を良くする魔法」です!

 

コロナ前、わたしはよくカラオケに行きました。いろんな人と一緒に行きましたが、特によく一緒だったのが「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生です。ブログ『歌と宗教』で紹介した鎌田先生の著書では、この宇宙自体が歌っているという考え方を紹介しています。「宇宙は和音を奏でている」として、鎌田先生は「わたしも、生きとし生けるものは個々にあって、すべて歌を歌っているのだと思う。これは宗教学的に言うと、すべてのものにたましいやこころやちからが宿っているというアニミズムである」と述べています。

 

 

また、鎌田先生は「たしかに、存在というものは、たとえ無機物のように見えても、またはすでに死んでいるように見えても、生きていて歌を歌っているとわたしは思っている。ピタゴラスの言うように、宇宙は歌あるいは音楽であって、わたしたちは、宇宙全体が鳴り響く交響曲のような世界の中に存在しているのである。そう考えれば、わたしにとって歌を作るということは、人為的なものではない。その中の一部分をいただいているというか、感受しているようなものなのだから、わたしの歌が3分間、いや3秒でもできるのは当然なのだ」とも述べます。

 

 

紀貫之が書いた『古今和歌集』の「仮名序」には、「(歌は)力をも入れずして天地を動かす力がある」というくだりがありますが、鎌田先生は「これはなんとすごいことであろうか。どんなに力を入れても、人類の発明したどんな文明の利器を使っても、天地を動かすことなどはできないと思うのがふつうである。しかし、歌にはそういうことができると、『仮名序』には書いてあるのだ。これはつまり、歌が宇宙であり、まさに天地を動かしている根本原理だという歌の哲学が底にある」と述べています。

 

 

鎌田先生は神道研究の第一人者として知られていますが、八百万の神々の中でも特にスサノヲノミコトに注目しています。スサノヲノミコトといえば「荒ぶる神」としてのイメージが強いですが、鎌田先生は「古事記にさかのぼって考えていくと、そもそも歌の始まりは、暴力として発動していく無秩序なエネルギーと同源であった」と指摘します。スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチという八頭八尾の大蛇を退治しました。そして、斬り殺した大蛇の1本の尻尾から怪しい光を発するクサナギノツルギを見つけます。スサノヲはこの剣をアマテラスに献上し、天皇家三種の神器の1つになったとされています。大蛇を退治した後、スサノヲは愛するクシナダヒメと結婚し、ともに暮らしていくことになります。


この結婚により、乱暴な暴力神、荒ぶる神だったスサノヲは初めて、この世界に調和をもたらす神になることができたのです。そして、これから命をつないでいく愛の営みのための御殿を作り、次の歌を詠みました。


八雲立つ 出雲八雲垣 妻籠みに 
                  八重垣作る その八重垣を

 

この短い24文字の中に、住居をあらわす「八重垣」という言葉が3回も登場します。八重垣3回で9文字ですから、じつに全体の3分の1以上が「八重垣」です。ほとんど「ヤエガキ・シュプレヒコール」と呼んでもいいようなこの歌こそは、日本最古の和歌として「仮名序」に紹介されている歌なのです。


神道研究の第一人者である鎌田先生は、スサノヲの一連の行動から「歌と剣がもたらす秩序の両面性」というものを発見し、「歌は人を生かし、世界に秩序をもたらす。剣がこの世界に1つの粗暴なもの、ヤマタノオロチとして登場してくる荒ぶる力を鎮める外敵な力のコントローラーだとしたら、内的なコントローラーは歌である。歌と剣は、スサノヲの両面性を示しているのだ。子どもの頃は泣いてばかりいた乱暴者が、愛を得て歌い手になる。そのことによって自分の暴力性を鎮めることができた」と述べます。紀貫之は「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」と書きました。鎌田先生は、「まさにこれ、なのである」と述べています。


矢沢永吉のナンバーを熱唱する

 

『歌と宗教』の第2章「人類の発祥と宗教と歌」では、鎌田先生は「今日仕事に行きたくない、だが行かねばならないと思い悩んでいる時に、歌を歌ったりすると気持ちが良くなって、また意欲が出できたり、違うテンションになったりするものだ」と述べています。これを読んで、わたしは大いに納得しました。わたし自身、自分の心を鼓舞するために歌を詠んだり、また思い悩んでいるときにはカラオケでお気に入りのサザンオールスターズ矢沢永吉のナンバーを熱唱すると気持ちが良くなって、また意欲が出できたり、違うテンションになるからです。この意味で、毎日の朝礼で社歌をみんなで歌うということには大きな意味があります。まさに、社歌を全員で歌うことは生産性の高さにつながっているのです!


カラオケを熱唱する鎌田東二先生

 

鎌田先生は日本を代表する宗教哲学者ですが、「歌は宗教を超える」と喝破します。そして、歌の本質について、「歌が万国共通であるゆえんは、『宇宙が歌』であるということに由来する。それは、キリスト教であろうが仏教であろうが、関係ない。そういう、宇宙が歌、音楽である、ということの精神性、霊性を伝えたかったのだ。これは、異教徒であろうが、通じるはずだ。キリスト教徒でないわたしたちでも、バッハやモーツァルトグレゴリオ聖歌を聴いて、心が洗われたり、慰められたり、感動したりするからだ。アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の歌声を聞いても、深いところで心が震えるような気持ちになる。アフリカの歌もそうである。歌は、宗教や人種や民族を超えているのだ」と述べています。

宇宙における情報システム

 

この「歌は宗教を超える」という考え方は、ブログ「宗遊」に書いたキーワードの思想そのものです。宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。その「もとのもと」を具体的な言語とし、慣習として継承して人々に伝えることが「教え」です。だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが「遊び」なのです。歌とは、人間の心を自由にするという意味でも「遊び」そのものであり、最も原始的な「もとのもと」の表現ではないでしょうか。


『歌と宗教』の帯の裏に書かれた言葉

 

鎌田先生は、歌の持つ力について、さらに「歌や祈りの言葉は、国境を超え、宗教を超えて、人々の魂、身体に直接働きかける力をもっているのだ。それは、世界を救うための人類の教義といった知的レベルを超えたダイナミックな力動性を宿している。だから、歌は人の心を切り替え、世界のありようの感受のしかたを切り替え、人間の関係性をも切り替えることができるのだ」と述べます。この言葉は、本書の帯の裏にも掲載されています。わたしは、歌の本質をとらえた名文であると思います。実際、歌はどれほど多くの人々の心を豊かにしてきたことでしょうか!

 

 

わたしは、この言葉の最後にある、歌が「人間の関係性をも切り替えることができる」というくだりを読んで、孔子の説いた「礼楽」を連想しました。ブログ「音楽について♪」に書いたように、「礼」を重視した孔子はまた、度はずれた音楽好きでもあったのです。『論語』には、「楽は内に動くものなり、礼は外に動くものなり」という言葉があります。「音楽は、人の心に作用するものだから内に動く。礼は、人の行動に節度を与えるものだから外に動く」という意味です。「礼は民心を節し、楽は民生を和す」という言葉もあります。「礼は、人民の心に節度を与えて区切りをつけるものであり、音楽は、喜怒哀楽の情をやわらげて人民の声を調和していくものである」の意味です。


「礼楽」を実現する(?)ムーンサルト・カラオケ♪

 

さらに、以下の『論語』の言葉が孔子の「礼楽」をわかりやすく表現しています。「楽は同を統べ、礼は異を弁(わか)つ」。音楽は、人々を和同させ統一させる性質を持つ。一方で、礼は人々の間のけじめと区別を明らかにする。つまり、師弟の別、親子の別というように礼がいたるところで区別をつけるのに対して、音楽には身分、年齢、時空を超えて人をひとつにする力があるのだ。このように、孔子は「楽」を「礼」と組み合わせたのです。それは大いなる「人間関係を良くする魔法」でした。


2019年の「隣人大歌声喫茶」のようす

 

わが社は、「隣人祭り」を開催していることで知られています。コロナ前には北九州市だけで年間700回も開催していましたが、毎年6月には、フランス・イギリス・ドイツ・イタリアをはじめとした世界各国で同時に「隣人祭り」が開催されます。日本会場は北九州市八幡西区折尾のサンレーグランドホールですが、そこでは「隣人大歌声喫茶」が人気でした。歌の講師のリードで、なつかしいメロディーをみんなで歌うのです。

2012年の「隣人大歌声喫茶」のようす

 

2012年の「隣人大歌声喫茶」では、最初に「朝はどこから」を歌いました。次は「有楽町で逢いましょう」でしたが、「有楽町」を「隣人祭り」に変えて替え歌で合唱しました。「あなたと私の合言葉、隣人祭りで逢いましょう!」の大合唱を聞いて、わたしの胸が熱くなりました。それから「お座敷小唄」、「ここに幸あり」、「銀座カンカン娘」、「いつでも夢を」を歌いました。そして最後は参加者全員で「東京ラプソディ」を大合唱しました。最後は、みなさんラインダンスまで踊って、ものすごい盛り上がりでした。


「まつり」は日本のうた!

 

わたしは、これまでに会社や業界の行事などで数多くの歌をうたってきました。最も多く歌ったのは、おそらく、ブログ「まつり」で紹介した北島三郎先生の名曲でしょう。会場が一体となる、本当に日本人の心性に合った素晴らしい歌だと思います。ある程度の年齢以上の日本人で、この歌を嫌いな人はあまりいないのではないでしょうか?


「まつり」で社員の心が1つに! 

 

わたしは、各地の新年祝賀会でも「まつり」を歌ってきました。北九州では「蛇踊り」、大分では「中津祇園」、宮崎では「ひょっとこ踊り」、沖縄では「カチャ―シー」、そして北陸では「御陣乗太鼓」と競演しました。各地の互助会の営業員さんたちも大変喜んで下さり、握手やハイタッチもたくさん交わすことができました。最高のコミュニケーションとなりました。「まつり」は北島三郎先生の代表曲ですが、その北島先生は「演歌は人と人をつなぐ縁歌だ」との名言を残されています。そう、歌には、人と人との縁を生む力があるのです!

 

2023年2月16日 一条真也