一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「敬」です。

 

 

江戸時代の儒者中江藤樹は、人間の人間たるゆえん、人心の最も大事な要素は「愛」と「敬」にあると言いました。これは今日においても、やはり大事な根本原理ですが、藤樹は特に敬というものを重んじました。愛は普遍的なもので、人間ほど発達してはいませんが、動物も持っています。しかし敬は「天地の為に心を立つ」という造化の高次の働きであって、人間に至ってはじめて発達してきた心です。人間が理想に向かって少しでも進歩向上しようと思えば、必ず敬の心が湧きます。湧けばまた進歩向上することができます。これによって人間は人間たり得るというのです。

 

 

藤樹と同じ陽明学の流れに位置する安岡正篤によれば、敬があるということはお互い感心しあうということだといいます。夫婦はお互い感心しあわなければいけません。ということは単なる肉体的・功利的関係では駄目だということで、純人間的関係、つまり精神的関係になってこなければ敬は生まれてきません。

 

 

その点で日本語が興味深いのは、日本人は「愛する」ということを「参った」と言います。loveとかliebenとか世界にはたくさん愛するという言葉がありますが、日本語が一番発達しています。そもそも「参った」ということは「敬する」ということです。男が女を、女が男を尊敬してはじめて「参った」と言うのです。単なる愛ではありません。

 

 

勝負をしてもそうです。負けたときに発する言葉は世界中たいていどこも同じで、「こんちくしょう!」とか「糞くらえ!」とかロクなものがありませんが、日本人は「参った」と言います。相手を敬して、負けて頭を下げるのです。 親子の間も同様です。親は子に参り、子は親に参らなければなりません。ことに親と言っても、父母には自ずから分業があり、母は愛の対象、父は敬の方を分担するようにできています。安岡正篤は、「子どもを偉くしようと思えば、まず親父が敬するに足る人間にならなければならぬ。これが一番大事なことです」と言っています。組織においても、上司と部下は互いに敬しあう関係にならなければいけません。

 

龍馬とカエサル

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そして、「敬」とともに大事な人間の基本に「恥」があります。孟子は「恥ずる心ほど人間にとって大切なものはない」と言っています。恥じる心を持っていると、自ら省みて精進するようになり、やがては聖賢の域にも達することができますが、これを失うと、精進もせず、そのために禽獣に陥ってしまうからです。したがって恥じる心を起こすということは、過ちを改めるうえに最も大事なことなのです。なお、「敬」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

2022年1月25日 一条真也