式を重ねさせてあげたかった

一条真也です。1月13日は「成人の日」です。
全国で二十歳を迎える方々は109万人いらっしゃるようです。皆様へ、心よりお祝い申し上げます。そんな中で、心に沁みるニュースをネットで見つけました。

ヤフーニュースより

 

亡き娘、描かれた振り袖姿 宮城・石巻、東日本大震災14年という見出しのKYODO配信の記事なのですが、「振り袖姿の娘が優しくほほえんでいる。宮城県石巻市佐藤美香さん(49)は12日、東日本大震災で亡くなった長女愛梨ちゃん=当時(6)=が出席するはずだった20歳の成人式会場で1枚の絵を受け取った。『送り出したあの日ぶりに会えた』。震災からまもなく14年。幼稚園の時の無邪気な顔しか想像できなかった娘が、絵の中で『成人』になっていた」と書かれています。

式をたくさん重ねさせてあげたかった(KYODO)

 

また、記事には以下のようにも書かれています。
「『式をたくさん重ねさせてあげたかった』。美香さんは会場の外で、娘と同学年の人たちが思い思いの晴れ着に身を包んだ姿を見守っていた。ただ愛梨ちゃんの振り袖も紺とグレーの2色に花があしらわれ、負けない華やかさ。帯は好きだった水色で、高校2年の次女珠莉さん(17)が憧れの姉を思い選んだ。絵は高さ約1.6メートルあり、保護者を通して知り合った愛知県田原市の画家小林憲明さん(50)が麻布に描いた。『成人式会場』と書かれた看板の横で、愛梨ちゃんと並んだ美香さん。『こんなふうに成長していたんじゃないかな。色が付いた娘に会えてうれしい』といとおしそうに触れた」


次女の小学校の卒業式で(2012年)

 

わたしは、この記事の中の「式をたくさん重ねさせてあげたかった」という美香さんの言葉に触れて非常に感動し、涙しました。「儀式なくして人生なし」という言葉が思い浮かびました。そして、 ブログ「小学校の卒業式」で紹介した次女が通った小学校の2012年3月16日に行われた卒業式を思い出しました。明治学園小学校という私立のカトリック小学校なのですが、3クラスで120名の生徒が卒業しました。その保護者を代表して、わたしが謝辞を述べました。10時から卒業式が始まり、開会宣言、「君が代」斉唱、卒業証書授与、「学校長のことば」、在校生からの「お祝いのことば」、卒業生による「卒業のことば」が続きます。そして11時頃、ついに「保護者代表のことば」の時間がやってきました。わたしは、まず自分の席から立ち上がって、保護者席に向かって一礼し、舞台の下まで歩いて行きました。そして、上着の内ポケットから「謝辞」の書状を取り出しました。


わたしが読み上げた「謝辞」と「目録」

 

その後、わたしは「誠に僭越ではございますが、卒業生の保護者を代表いたしまして、お礼の言葉を述べさせて頂きます。本日は私どもの子供たちのために、厳粛な中にも温かく、優しさに満ちた卒業式を執り行っていただき、誠に有難うございました。校長先生をはじめ、担任の先生、諸先生方、子供達を見守って下さったすべての皆様に、保護者一同心より御礼申し上げます。こうして、卒業証書を手にした子供たちの誇らしげな顔は、この6年間が、彼らにとって本当に充実したかけがえのない時間であったことを、強く感じさせてくれます。6年前、入学式で小さく幼かった子供たちの姿が、つい昨日の事の様に思い出され、感慨深く、胸が一杯でございます」と述べました。

 

それから、わたしは、どうしても触れたかったことに言及しました。それは、「昨年は、東日本大震災で多くの方々が被災されました。卒業式を迎えたくても、無念にもそれがかなわなかったお子様もいらっしゃいます。当学園の理念である『人々のために生きる人』として、人の為に役立つことの大事さを、痛感した一年でもありました。そんな中、私どもの子供たちは、心に愛を持ち、具体的な行動によって、様々な形で人の為に役立つ喜びを教えていただきました。このような素晴らしいお導きに、深く感謝申し上げます」ということでした。そして、卒業生の方向を向いて「卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。周りの人々の愛に支えられて、今日の卒業の喜びがあることを、決して忘れないで下さい。そして、大きな夢と希望を胸に、羽ばたいて下さい。たとえ、皆さんに数々の試練が訪れても、この小学校で培った精神力で、必ず克服できると信じて頑張って下さい!」と言いました。「二十四の瞳」ならぬ「二百四十の瞳」が、こちらを見ていました。


成人式の晴れ着を着た次女

 

このような学校行事の場で謝辞を述べたことなど初めてでした。わたしは、これまで味わったことのない高揚感に包まれました。謝辞を述べながら、次女が体調不良だったにもかかわらず小学校の面接試験で頑張ったこと、小学校へ行く初日に泣いてバスになかなか乗らなかったこと、初めての給食で出されたカレーライスが完食できずに泣いてしまったこと・・・・・いろいろな場面が走馬灯のように、わたしの心に次々と浮かんできて、胸がいっぱいになりました。小学生の頃は泣き虫だった次女も、ずいぶん精神的にも体力的にも強くなりました。2020年には成人となり、今では社会人として仕事を頑張っています。

 

でも、わたしは思い出すのです。あの卒業式で「謝辞」を読み上げたとき、「もし地震などの災害や他の理由で次女が幼くして命を失っていたら、どんなに悲しかったことだろうか」「こうして無事に小学校を卒業できるのは、なんと有難いことだろうか」と思いながら読み上げたことを。本当に、子どもの成長は早いものです。わたしは、当時も今も年中バタバタ忙しくしています。そのため、次女の学校行事に行けないことも何度かありました。でも、最後に卒業式で保護者代表の謝辞を述べさせていただいて、良い思い出になりました。卒業式の後、教室に集まって、担任の先生の御挨拶をお聞きしました。その後で、わたしが先生と次女の記念撮影をしていたら、校内放送でコブクロ「桜」が流れてきました。この名曲を初めてじっくりと聴きましたが、しんみりしてしまいました。

 

死んだ子の年を数えるな」という言葉があります。死んだ子が今生きていれば幾つになるはずだと年齢を数えることを戒めた言葉です。言ってもどうしようもない過去のことについて、あれやこれやと言って悔やむたとえですが、わたしは、幼稚園の時の無邪気な顔しか想像できなかった娘さんが、絵の中で「成人」になっていたことは素晴らしいことだと思います。グリーフケアについて考え続けてきて、「亡くなった人は、もう1つの世界で生き続けたのではないか」と考えることはケアになりうると信じています。パラレルワールドとかマルチバースとかタイムスリップといったSF的発想はグリーフケアに大きな力を持つと思います。「今は亡きあの人は、違う時空で生きている」と思えるからです。浅田次郎原作、降旗康夫監督の日本映画鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)は、老いた鉄道員高倉健)の前に幼くして亡くなった娘(広末涼子)が現れて、父に成長した姿を見せてくれる感動のジェントルゴースト・ストーリーですが、佐藤愛梨さんの肖像画を見ながら、この名作のことも思い出しました。

 

あと、どうしても言っておきたいことがあります。それは、絵画が心に与える力の大きさです。AI技術が発達している現在なら、6歳のときの愛梨ちゃんの写真を使って、AIで20歳の成人の写真を作成することは簡単です。でも、AI写真ではなく絵画だから、見る人の心に感動とエネルギーを与えるのだと思います。ブログ「ブルーピリオド」で紹介した日本映画で、東京藝術大学の絵画専攻を目指す主人公の高校生・矢口八虎(眞栄田郷敦)に対して、桜田ひより演じる高校美術部の先輩が「絵画の発生」について八虎に語るくだりがあります。人はなぜ絵を描くのか? それは絵を描くことは「祈り」であり、「その絵を見た人が幸せになることを願っているから」という説を紹介していました。この説に、わたしも同意します。そして、大切なことは「絵に描かれた人」ではなく「その絵を見た人」の幸せを願うという点です。愛梨さんの成人姿を描いた絵を見て、お母さまは消えない悲しみとともに幸せな気分になられたことと推察いたします。

一条真也肖像」(大谷真結香)

 

映画「ブルーピリオド」を観た直後、ブログ「東京藝大生から肖像画が届きました!」で紹介したように、芸術系大学の最高峰・東京藝大で最難関とされる美術学部絵画科油画専攻に今年現役合格した大谷真結香さんから、わたしの油絵の肖像画が届いていました。 真結香さんは、ブログ「春分の日に春が来た!」で紹介した サンレー北陸の大谷賢博部長の長女さんです。真結香さんが描いて下さったわたしの肖像画を見たとき、「祈り」を強く感じました。真結香さんの絵から「あなたの祈りが通じることを祈っています」というメッセージを感じ、涙が出てきました。本当に、ありがたかったです。東京藝大油画に現役合格するため頑張った真結香さんは能登半島地震で避難生活も経験し、苦難の冬を乗り越えて快挙を成し遂げました。ここにも大きな「祈り」の力が働いたことだと思います。


人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版

 

絵画の「祈り」は、真結香さんのお父さんが仕事としている冠婚葬祭やグリーフケアにも通じると思います。阪神淡路大震災東日本大震災能登半島地震・・・次から次に起こる自然災害はわたしたちに悲しみを与え続けますが、わたしたちは冠婚葬祭とグリーフケアで悲しみに寄り添い続けるしかありません。来年は大谷真結香さんも新成人になられるとのことで、ご家族は晴れ着姿を楽しみにしておられることでしょう。そして、「式を重ねる」は「四季を重ねる」に通じます。日本には「春夏秋冬」の四季があります。拙著人生の四季を愛でる毎日新聞出版)にも書きましたが、わたしは、冠婚葬祭とは「人生の四季」であると考えています。七五三や成人式、長寿祝いといった儀式は人生の季節です。わたしたち日本人は、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれません。

 

2025年1月12日  一条真也