一条真也です。
『大相撲土俵裏』貴闘力著(彩図社)を読みました。「八百長、野球賭博、裏社会・・・相撲界の闇をぶっちゃける」というサブタイトルがついています。1967年生まれの著者は、15歳で元大関・貴ノ花の藤島部屋に入門。最高位は関脇。 2002年9月場所で現役を引退後は「大嶽」を襲名し、大鵬部屋に移籍。 相撲協会を離れてからは実業家として焼肉店を経営。2020年から開始したYouTubeチャンネル「貴闘力部屋~相撲再生計画~」では角界のタブーにも忖度なしに切り込み、大相撲の人気を復活させるべく活動しています。
本書の帯
本書のカバー表紙には著者の写真が使われ、帯には「元関脇・貴闘力が相撲界のタブーに切り込む!」「八百長、賭博、かわいがり、年寄株問題、協会の派閥争い、若貴との関係・・・」「YouTube総再生回数1億回突破!」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
プロローグ――10年間の沈黙を経て
1章 力士の金銭事情と
当たり前の八百長
2章 裏社会と大相撲
3章 野球賭博の闇
4章 力士たちの土俵裏
5章 おかしすぎる
相撲業界のシステム
6章 名門・二子山部屋の裏話
「プロローグ――10年間の沈黙を経て」には、「2022年から開始したYouTubeチャンネル『貴闘力部屋~相撲再生計画~』が、みなさんのおかげで2022年9月時点でチャンネル登録者数28万人を突破いたしました。 相撲業界の土俵裏には八百長や裏金、裏社会との繋がりなど悪しき風習が山ほど残っています。これまで、私の子どもたちが角界入りしたことにより、事実を言うことができませんでした。 しかし、この本が相撲業界の未来の発展に一役買うことを願って、10年の沈黙を経て全てここに告発いたします」と書かれています。なお、チャンネル登録者数は現在36万になっています。
1章「力士の金銭事情と当たり前の八百長」の第二番「力士の金銭事情」では、幕下力士の場合、1場所ごとに場所手当が16万5000円支給されることが紹介されます。大相撲の開催は1年に6場所であるため、年間の給料は99万円。月給に換算すると8万円強です。著者が現役のときは1場所でわずか5万円だったそうですが、この給料だけで暮らすことは難しく下積み時代の厳しさがわかります。相撲部屋は、そうした幕下力士を1人抱えるごとに力士養成費、相撲部屋維持費、稽古場維持費として、相撲協会から年間で180万円支給されます。
幕下力士を50人を抱えると9000万円で、この補助金が相撲部屋の主な運営費をまかなっているといいます。しかし、力士を育てるためのお金を支給されているにもかかわらず、税金を力士本人に支払わせたり、100円払わないと使えないような仕様のクーラーを置いたりするドケチ部屋も少なくないそうです。著者は、「飯代は後援会から頂戴したもので節約しながらやっているのが相撲部屋の実情である」とも明かしています。幕下の上は十両で、ここから「関取」と呼ばれます。十両に昇進したら、いくら貰えるのでしょうか? 現在は月給で110万円が支給されるといいます。力士たちの「関取かそれ以外か」という言葉の重みが伝わってきますね。ちなみに横綱の月給は300万円で、年俸3600万円。これは、野球やサッカーなどのトッププロと比べてかなり安いと言えるでしょう。
第三番「八百長はいかにして行われるか」では、基本的に八百長は側近でやり取りし、場所単位で清算することになっていることが紹介されます。手持ちのお金がない力士は「貸し借り」になるといいます。しかし、誰がどれだけ貸しているか分からなくなることもあるそうです。1対1ではなく、複数人での複雑な貸し借りが発生するためです。引退までに清算できればまだいい方で、中にはそのまま辞めていってチャラになることもザラにあるとか。著者は、「これが真っ当な金銭のやり取りであればどこかに訴え出ることもできるかもしれないが、そこは世間には言えない八百長。表立って文句ひとつ言えないのが実態である。そのため、土俵裏では毎回力士が引退するとザワザワするそうだ」と述べています。
八百長を完全に廃止するには、どうすればいいか? 著者は、「力士の給与体系も重要だが、『公傷制度』を充実させるべき」と訴えます。交傷制度とは、横綱以外の力士を対象とし、本場所の取組の際の怪我と認定されれば休場しても番付が下がらないという制度です。1972年に導入されましたが、不正に利用されることが増えたという理由で2003年の11月場所を最後に廃止されました。第五番「八百長をなくすための『相撲くじ』」では、相撲界から八百長をなくすための具体案として「相撲くじ計画」を提案し、著者は「相撲くじというと『また貴闘力はギャンブルか』と思われるかもしれないが、そうではない。相撲くじという公営愚案ブル(公営競技)にして、八百長に関与する人間は刑事事件で裁いてしまおうという考えだ」と述べています。
2章「裏社会と大相撲」の第一番「ヤクザと酷似している相撲界」の冒頭を、著者は「ヤクザも相撲取りも、私からすれば似ている部分が多い。ヤクザでは〇〇組というが、それが相撲では〇〇部屋と変わった感じだ」と書きだしています。共通点の1つが、相撲界に自分の師匠の額が飾ってあること。これは「親方を敬いなさい」ということで、昔の部屋であれば初代、2代、3代と「その人を敬いなさい」という意味で飾られています。一方のヤクザも組事務所には親分の写真が飾ってあって、同じく「この親分を敬いなさい」という意味です。それから住み込み制度があります。住み込みとは文字通り、部屋に住み込んで修行することです。他にも、相撲部屋とヤクザともに家訓のようなものがあることも挙げられます。
「移籍できない」ということも、ヤクザと相撲取りの共通点です。著者は、「相撲取りとは不思議なもので、『この親方嫌だな』と思っても自由に他の部屋に移籍することができない。昔のヤクザも破門されない限り移籍できなかった。相撲取りは1回クビになったらどこに行くこともできないため、これが最大のネックだ。今はヤクザの在り方も変わったが、昔のヤクザの世界ではケンカの腕がもの言い、弱い奴は上にいけなかった。だから相撲取りのように力のある者はヤクザに親近感を持ち、ヤクザも相撲取りに憧れるという持ちつ持たれつの世界があった」と述べています。ちなみに著者の父親はヤクザだったそうで、先輩が出し合ったお金で刺青を入れたそうです。しかし、著者が小学4年生か5年生のときに組を破門になったとか。
4章「力士たちの土俵裏」の第一番「白鵬、モンゴル中のランクルを買い占める?」では、今や日本の大相撲にモンゴル人力士の存在は欠かせないものになったと述べます。著者は、モンゴル人力士の歴史には第一期、第二期、第三期があると考えているそうです。第一期のモンゴル人力士は90年代前半に土俵入りした旭鷲山、旭天鵬などです。第一期生の頃はモンゴルから来日して、直接相撲部屋に入門するのが主流でした。当時、モンゴルの給料は月1~2万円で、物価は日本の10分の1程度。ジャパニーズドリームを夢見て、日本語も分からない若者が入門し、一から勉強していたそうです。
第二期にあたるのは90年代後半、代表的な力士が朝青龍です。これ以降は「相撲留学」が行われるようになります。直接部屋に入門するのではなく、相撲部のある高校に留学して、卒業後に入門となります。朝青龍も全寮制の明徳義塾に相撲留学しました。著者は、「朝青龍は高校1年生の時はそこまで強くなく、そのために悪い3年生の先輩にいじめられたという。来日間もない若者にとっては厳しい環境だ。『態度が悪い』などと槍玉に挙げられることが多い朝青龍だが、いじめられた経験がなければ良いやつのままだったかもしれない」と述べています。
第三期生は2000年代初期、白鵬らの世代です。この頃になると、すでに大相撲で実績を積んだモンゴル人力士を頼って来日することも多くなった。こうして日本に集ったモンゴル人力士はそれぞれに力をつけ、横綱の位に立つ者も現れるようになりました。第三期生となる白鵬は2019年に日本国籍を取得し、日本に残って親方となる道を選びました。いずれは相撲協会の理事長の地位を狙っていたようですが、一方でモンゴルでビジネスに手をつけていました。モンゴル国内でトヨタの4WD「ランドクルーザー」の総代理店免許を持ち、モンゴルでランクルを買うときは白鵬の身内の会社でしか買えません。著者は、「朝青龍は元々ランクルに乗っていたが、白鵬がランクルの販売をするようになってからはレンジローバーに乗り換えたという。2人は今ものすごく仲が悪い。モンゴルの利権が絡んだ横綱同士の対立がうかがえるようだ」と述べます。
第十二番「優勝したときの豪快すぎるご祝儀」では、関西で視聴率男と呼ばれたやしきたかじんと著者とのエピソードが語られます。やしきたかじんは常々「力ちゃん、お前がもし優勝したらキッツイ祝儀をやるからな」と言っていたそうですが、本当に優勝したとき、新地で20軒以上の店をハシゴしたとか。そのとき、たかじんが渡してくれた祝儀袋には300万円は言っていました。著者は、「しかも隣のオッサン2人も100万ずつくれたので、その時点で500万円だ。地元の大阪場所で優勝したこともあり、店のママが『おめでとう』と言うと一緒にいるオッサンたちが5~10万円をずっと投げてくれる。それらを全て着物の袖や腹の中に入れていた。普段、私は酒はあまり飲まないが、この時は酒が回ってそのまま寝てしまい、起きてから若い衆にお金を数えさせると体の中に1000万円入っていた」と言います。豪快ですね!
5章「おかしすぎる相撲業界のシステム」の第五番「白鵬が一代年寄になれなかった真実」では、白鵬の実力について触れられています。著者は、「白鵬が強い力士であることは間違いない。しかし、朝青龍の引退後にライバルが現れず独走する舞台が出来上がってしまった。番付上位に来るのは同郷の日馬富士や鶴竜であったりと、余計に互助会でうまく星を回せる状況になってしまったのである。そのために、ガチンコでやっている力士は44度の優勝に対して『八百長した力士が偉そうなこと言いやがって』と思っているし、私も実力が拮抗する力士が少なかったことは否めないと思う。大鵬さんや北の湖さん、千代の富士さん、貴乃花の時代は代わる代わる強い力士が現れぶつかっていった。それが、モンゴル勢が横綱として好き勝手していたら、協会の人間としては面白くないだろう」と述べます。
6章「名門・二子山部屋の裏話」の第四章「強すぎる中学生 若貴入門の裏側」では、1988年3月、著者が入門して5年経った頃に若貴兄弟が藤島部屋に入門してきたことが紹介されます。2人とも入門前からとにかく強く、中学生のときも三段目ぐらいでは歯が立たなかったそうです。若貴が入ったとき、部屋の方針が変わりました。それまでは新弟子が言うことを聞かなければ殴られるような時代でしたが、親方としては自分の息子が入門したことで公平性を期すことにしたのでしょう。みんな、自分たちのことは自分でやるというルールに変わったのです。藤島部屋には雑用係がいなくなり、全員が人として強くなったそうです。しかし、若貴が重量に上がってから雑用は全員でやるというルールが撤廃されました。親方は良くなかったという著者は、「もし貴乃花が雑用も平等に全部やっていたら、下の人間の気持ちもくみ取れるようになっていたかもしれない」「人の気持ちが分かる貴乃花だったら協会の運営もスムーズにいったのではないか」と惜しむのでした。
第五番「ストイックすぎる貴乃花」では、兄弟そろって横綱となった若貴は、かなり性格が違っていたそうです。著者は、「貴乃花はとにかく稽古をする男だったが、若乃花と貴乃花のどちらが素質あるかと言えば若乃花かもしれない。相撲のセンスを言葉で伝えるのは難しいが、とにかく膝から下の力が強かった。膝から下の力が強くないと、体が大きかろうが小さかろうが軽く感じてしまう。膝下の力がとのかく強かったので、200キロの相手でも対等に闘えたし、投げられても踏ん張ってうっちゃったりができた。部屋には200キロ近い豊ノ海さんや五剣山がいて、ある程度若貴が強くなると大型力士に対抗できるようにそういう人間とばかり稽古をする。この2人がいる藤島部屋の稽古環境が、若貴が躍進したひとつのきっかけになった」と述べています。
第六番「若貴優勝決定戦の真相」では、1995年の九州場所での若貴兄弟による優勝決定戦が取り上げられます。両者は「12勝2敗」と共に優勝争いの先頭で千秋楽を迎えましたが、若乃花は武双山に、貴乃花は武蔵丸に敗戦。この結果、どちらも「12勝3敗」と決着がつかず、史上唯一となる兄弟同士の優勝決定戦が行わることとなりました。結果は、若乃花が下手投げで勝ちましたが、2人の父親である貴ノ花親方から貴乃花は「お前はこの先何回も優勝するけど、勝には最後のチャンスかもしれない」と言われたそうです。著者は、「こう言われて、勝負に何の影響も出なかったと言えるだろうか。真相は分からないが、私の同期である悟道力が貴乃花の引退後に聞いたとき、『100番とって負けない相手に決定戦で負けると思いますか?』と言われたそうだ」と述べています。
最後に、若貴の最大のライバルといえば同期の曙でした。後にプロレスや格闘技に転じた姿とは違い、当時の曙は「鬼神」のような強さでした。そして、「曙キラー」として知られたのが何を隠そう、本書の著者である貴闘力でした。八百長が横行する相撲界で、当時の藤島部屋がガチンコを貫き通したと言われます。「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花をはじめ、若乃花、貴ノ浪、そして貴闘力と揃っていた当時の藤島部屋こそは最強相撲部屋であったと言えるでしょう。あの頃がなつかしいですね。
2025年1月14日 一条真也拝