小倉から京都へ

一条真也です。
いい夫婦の日」となる22日の朝は雨でした。わたしは、迎えの車に乗ってJR小倉駅へ。そこから京都へ向かいました。ブログ「『日本人と死生観』シンポジウムのご案内」で紹介したイベントに出演するためです。

f:id:shins2m:20211122094506j:plainJR小倉駅の前で

f:id:shins2m:20211122095049j:plain小倉駅のホームで

 

京都では、「現代京都藝苑2021」として、「悲」をテーマとした画期的なイベント「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨」が11月19日から28日まで開催されています。「現代京都藝苑2015」で大好評であった「悲とアニマ展」の第二弾で、展示会とシンポジウムの二部構成になっています。23日(火・祝)に京都大学稲盛財団記念館で開かれる「日本人と死生観」をめぐるシンポジウムには、わたしも出演します!

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のぞみ18号の車内で

 

小倉駅では、9時55分発の新幹線のぞみ18号に乗りました。新型コロナウイルスの新規感染者はずいぶん減ってきましたが、油断大敵! 新幹線内でもパープルの不織布マスクを着けて、感染予防に努めました。京都は紅葉シーズンとあって、観光客が多いことが予想されます。

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車内では読書しました

 

車内では、いつものように車内販売のコーヒーを飲みながら、読書をしました。この日に読んだのは、石原慎太郎氏と曽野綾子氏の対談本である『死という最後の未来』(幻冬舎)です。キリストの信仰を生きる曽野綾子法華経を哲学とする石原慎太郎。対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語った本です。歳はひとつ違い、家も近所で、昔からの友人。だが会う機会は多くはなかったという石原氏と曽野氏。そんな2人が「人は死んだらどうなるのか」「目に見えない何か、はある」「コロナは単なる惨禍か警告か」「悲しみは人生を深くしてくれる」・・・・・・老いや死、人生について語り合います。シンポジウムのテーマである「日本人と死生観」を考える上でも大いに参考になる内容でした。

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JR京都駅に着きました

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京都駅にて

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かなり並んで入店しました

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ニシンそば&鰊のしぐれ煮ごはん

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相変わらず旨いなあ!

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食後はホテルでブログをUP!

JR京都駅には、12時22分に到着しました。まずは駅構内の蕎麦屋で「ニシンそば&しぐれ御飯」の昼食を取りました。ニシンそばはわたしの大好物で、京都に限らず、関西に来たときは必ず食べるようにしています。昼食後は、駅に隣接したホテルに荷物を預けて、「悲とアニマ~いのちの帰趨~」展示会の第1会場の両足院へ!

 

2021年11月22日 一条真也