遠賀紫雲閣竣工式  

一条真也です。
5日の朝、わたしは小倉から車で福岡県遠賀郡に向かいました。この日、「遠賀紫雲閣」の竣工清祓御祭の神事が行われたのです。この日は気温が30度近い暑さだったので、水着素材で作られたグレーのマスクをつけて参加しました。

f:id:shins2m:20200604171034j:plain完成した遠賀紫雲閣 

f:id:shins2m:20200605110818j:plain遠賀紫雲閣 の前で

f:id:shins2m:20200605110832j:plain夢タウンの真向かいです!

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緒方支配人と

f:id:shins2m:20200605111710j:plainロビーに飾られた胡蝶蘭

サンレーグループとしては、遠賀紫雲閣は福岡県内で40番目、全国で83番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。住所は遠賀郡遠賀町大字今古賀645番地で、まるで自宅のリビングルームのような、ゆったりとした最新の控室を完備しています。一日一式のみご葬儀をお受けし、大切な人との最後の時間を心安らかに過ごせるよう、経験豊富なスタッフが真心込めてお手伝いいたします。

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控室のようす

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キッチン完備

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休憩室

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バスルーム

 

神事の進行は、サンレー総務部の國行部長が担当。竣工神事は地元を代表する神社である「埴生(はぶ)神社」の千々和公麿宮司にお願いしました。 開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。

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本日の神饌

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本日の式次第

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さあ、儀式の場へ!

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一同礼!

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埴生神社の千々和宮司による笛の奏上

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竣工式のようす

f:id:shins2m:20200605114719j:plain清祓之儀のようす

f:id:shins2m:20200605115234j:plain玉串奉奠しました

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玉中常務の玉串奉奠に合わせ、社員一同が拝礼

f:id:shins2m:20200605115913j:plain神酒拝戴のようす


それから、玉串奉奠です。最初に サンレー社長であるわたしが玉串を奉奠。その後、玉中常務が玉串奉奠し、社員が従いました。その後、撤饌、昇神之儀、神酒拝戴、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。

f:id:shins2m:20200605165943j:plainマスク姿で挨拶に立ちました

f:id:shins2m:20200605170016j:plainマスクを外して挨拶しました 

 

それから、いよいよ主催者挨拶です。
わたしは、次のように挨拶しました。
本日、このように立派な施設を建設できて、本当に嬉しく思います。関係者のみなさまに心より感謝いたします。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています。

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遠賀について語りました

 

また、わたしは遠賀について、こう述べました。
町の東端には遠賀川が流れており、水と緑に囲まれた自然豊かな土地で、遠賀川駅と、その少し北側の国道3号沿いにあるゆめタウン遠賀の周辺を中心に発展しています。北九州市と福岡市のほぼ中間に位置するため、北九州・福岡両都市圏に両属しますが、ただし北九州市に距離的に近いため、北九州都市圏の10%通勤圏に属し、同市への通勤通学人口が優勢です。そのため北九州市ベッドタウンとして発達しています。

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「遠賀」の地名について述べました

 

さらに、「遠賀」の地名について述べました。
「遠賀」という地名の由来は、古くは『日本書紀』に詠まれた「岡県(岡縣『おかのあがた』)・岡水門」や『万葉集』の「水茎の岡の水門」に端を発しているようで、これらの「岡」が奈良時 代の和銅6年から「乎加」「塢餉」「遠賀」と2文字で表されるようになり、次第に「おか」(「延喜式」にはヲカとふる)から「おんが」と読むようになったといわれています。また遠賀川河口は、神話時代の国内最大規模の干潟であり、漁労採集や土器文化の中心地でした。その特殊な土地を「大きな干潟=オオカタ」と呼び、やがて、「オカダ」「オカ」「オカガ」「オンガ」と変化していったという説もあります。

f:id:shins2m:20200605120418j:plain古のおかのあがたの時代より人は旅立つコロナの今も

 

そして、「遠賀川下流は、弥生農耕文化発祥地のひとつに挙げられ遠賀川式土器に代表される、弥生文化の幕が開いたところです。ここでの半農半漁の生活スタイルが土器とともに全国に伝わっていきました。遠賀川流域の弥生時代の遺跡は日本の古代史を研究する上で重要な役割を果たした地域です」と述べてから、「このような素晴らしい歴史を持つ遠賀に新しい紫雲閣をオープンすることができて嬉しく思っています。新型コロナウイルスの感染拡大で不安な毎日ですが、多くの方々が人生を卒業される儀式のお手伝いをしっかりさせていただきたいです」と述べました。そして最後に以下の道歌を披露しました。

 

古(いにしえ)の 
  おかのあがたの
時代より
   人は旅立つ コロナの今も 

 

f:id:shins2m:20200605170041j:plain決意表明のようす

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緒方支配人から決意を受け取る

f:id:shins2m:20200605120919j:plain式典後に集合写真を撮影

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愛される施設になりますように・・・・・・


その後、緒方支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。この日、直会は行われませんでした。その代わりに、松柏園ホテル謹製のお弁当が参加者にふるまわれ、わたしも持ち帰りました。美味しかったです。

f:id:shins2m:20200604171214j:plain「西日本」「朝日」「毎日」「読売」新聞6月5日朝刊

 

オープニング見学会ですが、令和2年6月20日(土)~26日(金)に予定していますが、「3密」を避けるため予約制で執り行います。なお、「西日本」「朝日」「毎日」「読売」の各紙に竣工広告が掲載されました。
今回は、拙著『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)を抽選で30名様にプレゼントいたします。同書では、小説や映画に登場する言葉も含め、古今東西の聖人、哲人、賢人、偉人、英雄たちの言葉、さらにはネイティブ・アメリカンたちによって語り継がれてきた言葉まで、100の「死を乗り越える」名言を紹介。人生を変えうる言葉を集めました。
みなさま、どうぞ、ふるってご応募下さい!

f:id:shins2m:20200430111411j:plain死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)

 

2020年6月5日 一条真也拝