青龍寺

一条真也です。
「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで中国に来ています。
22日、中国陝西省の古都、西安市南郊の雁塔区鉄炉廟村にある仏教寺院である「青龍寺」を訪れました。ここは、弘法大師空海ゆかりの寺として知られています。その故地は、唐朝の都、長安城においては、左街の新昌坊に当たる場所でした。


青龍寺に到着しました

青龍寺の前で合掌

境内にある象のような石

青龍寺の石碑

なんと、敷地内には遊園地が!

本堂の跡へ

庭園

ガイドさんの説明を聴く

見学のようす

空海レリーフ

空海レリーフの前で

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

わたしは、2014年末に『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓しましたが、それ以来、ずっと青龍寺を参拝したいと願っていました。
Wikipedia「青龍寺」の「歴史」には、以下のように書かれています。
「創建は、隋の開皇2年(582年)であり、当初は霊感寺と呼ばれた。初唐の武徳4年(621年)に一度、廃寺となったが、龍朔2年(662年)に再建され、観音寺と改められた。青龍寺と改称されたのは、景雲2年(711年)のことである」


空海が修行をした部屋

さまざまな展示物

大蔵経がありました

恵果と空海

物販コーナー




また、以下のようにも書かれています。
「唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれた。空海は恵果に学び、天台宗の円仁や円珍らも恵果の法系に連なる法全に就いて密教を学んだ。会昌5年(845年)、会昌の廃仏によって再び廃毀された。しかし、大中6年(852年)には、いったん復興を果たし、護国寺と改められている。ただ、唐末五代の動乱によって、都の長安は急速に寂びれてしまった。そのため、以後三たび姿を消すこととなった」


ここが0番札所です!

空海記念碑

『般若心経』自由訳を報告しました

Wikipedia「青龍寺」の「復興」には、「1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめた。青龍寺は復興され、そこには、日本からの寄贈で、空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた」と書かれています。
そう、この場所は四国遍路の「0番札所」なのです。日本宗教史上最大の超天才である空海の跡を辿る者にとっての「永遠の0」です!
最近わたしは『般若心経』の自由訳を完成させましたが、じつは空海の『般若心経秘鍵』における彼の解釈をベースとしました。ですので、「0番札所」である青龍寺空海記念碑に向かって、その報告を行いました。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年4月23日 一条真也