大雁塔

一条真也です。
「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで中国に来ています。
22日、西安を代表する観光名所である大雁塔を訪れました。
652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔です。


大雁塔

大雁塔を背に



Wikipedia「大雁塔」の「概要」には以下のように書かれています。
「名前は、菩薩の化身として雁の群れから地上に落ちて死んだ1羽を、塔を建てて埋葬したことに由来する。
高さは7層64mで現在は、西安市の東南郊外にある大慈恩寺の境内に建っている。玄奘の設計により、当初は5層であった。各階に仏舎利がおさめられ、経典は上層部の石室に置かれた。玄奘自ら、造営に携わったと伝えられる。塔の南門には(褚遂良書)の筆による碑が置かれた。当初は表面を磚に覆っただけで土によって作られていたために、老朽化してしまった。そのため、長安年間(701年−706年)、武則天の統治時代に、全て磚でつくられ、上まで登れるようになり、現在の7層に落ち着くという変遷を経ている。この様子は、杜甫や岑参といった詩人たちによって、詠まれている」


大雄宝殿

ありがたいブッダの姿が・・・

大雄宝殿にて

感無量です!

『般若心経』のレリーフ

『般若心経』レリーフの前で




「唐時代に進士試験の合格者がここで名を記したことから、『雁塔題名』の成語も生まれた。後に宰相になった場合、その名は朱色に書き換えられた。また、訪れるものに自分の名を書くものもあり、唐代の詩人、李商隠の名が残っている。また、日本から訪れた円仁も登ったことがあった。その後、熙寧年間1068年−1077年頃に火事に罹災し、1550年頃に重修されており、人民中国成立後にも修築されている」


大雁塔の内部のようす

最上層から見た西安の光景(東)

最上層から見た西安の光景(西)

最上層から見た西安の光景(南)

最上層から見た西安の光景(北)



さて、現在でも、大雁塔は最上層まで登ることが可能です。
第1層には、仏菩薩の線刻画や、「大唐三蔵聖教序」(褚遂良書)および、高宗撰の序記の2石碑が見られます。また、寺中には、王維や呉道玄らの絵画も収蔵されています。2014年に「シルクロード長安―天山回廊の交易路網」の一部として世界遺産に登録されました。


さて、玄奘自身は亡くなるまでに国外から持ち帰った経典全体の約3分の1までしか翻訳を進めることができませんでしたが、それでも彼が生前に完成させた経典の翻訳の数は、経典群の中核とされる『大般若経』16部600巻(漢字にして約480万字)を含め76部1347巻(漢字にして約1100万字)となります。玄奘サンスクリット語の経典を中国語に翻訳する際、中国語に相応しい訳語を新たに選び直しており、それ以前の鳩摩羅什らの漢訳仏典を旧訳、それ以後の漢訳仏典を新訳と呼びます。


玄奘三蔵

玄奘三蔵の石碑

玄奘三蔵

三蔵法師の遺徳を偲ぶ



しかし、その玄奘の最大の功績は『大般若経』を翻訳したことでしょう。
彼の訳した『大般若経』を約300文字に集約した経文こそ、かの『般若心経』です。これが日本に伝わり、日本仏教に多大な影響を与えたことは有名です。
今年の4月8日、ブッダの誕生日である「花祭り」の日に、わたしは『般若心経 自由訳』を完成させました。「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。
美しい写真を添えて、お盆までには上梓したいと願っています。


『般若心経』自由訳の報告をしました



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年4月23日 一条真也