西安

一条真也です。
「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで中国に来ています。
21日の夜、長沙からMU2266便に乗って西安に飛びました。西安には20時35分に到着しました。22日には、西安の観光名所である大雁塔、青龍寺、そして兵馬俑を訪れました。


21日夜の西安空港

22日朝の西安市



西安市中華人民共和国陝西省省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安です。国家歴史文化名城に指定されており、世界各国から多くの観光客が訪れています。経済的重要性から、大幅な自主権をもつ副省級市にも指定されています。


西安のようす

西安のようす



Wikipedia「西安市」の「歴史」には、以下のように書かれています。
西安の古称は長安であり、かつては西都、西京、大興、京兆、奉元等とも称された。古代より政治の中心地として西周から秦、漢から隋、唐の都城と十数の王朝の都として千年の歴史を有す古都である」


西安国際貿易中心



Wikipedia「西安市」の「歴史」には、以下のようにも書かれています。
「1369年(洪武2年)、明朝は元朝の奉元路を廃止し西安府を設置、これが西安の名称の初見である・明末の李自成の反乱に際しては、西安に入城した李自成は一時長安と改称したが、清朝により再び西安と改称され中華民国まで沿襲された。1928年、西安に初めて市制が施行され省轄市としての西安市が成立した。1948年には国民政府行政院轄市に改編、中華人民共和国成立後は陝甘寧辺区轄市、西北行政区轄市、中央直轄市、計画単列市と改編が続き、1954年に陝西省都、副省級市となり現在に至っている」


西安のようす

西安にて



さらに、Wikipedia「西安市」の「歴史」には、こう書かれています。
「1900年の義和団の乱では西太后ら皇族が戦火の北京を逃れ西安に避難している。また1936年には国共合作による日本政府への対抗を目指す張学良が蒋介石を軟禁した西安事件の舞台となった都市でもある。2004年、西北大学が日本人遣唐留学生井真成墓誌を市内から発見して話題となったこともある」



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年4月23日 一条真也