青浦殯儀館

一条真也です。
「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで中国に来ています。
視察最終日となる23日の午後、「青浦殯儀館」を訪れました。
「殯儀館(ひんぎかん)」とはセレモニーホールのこと。青浦殯儀館は、上海に本社を置く中国最大の葬儀社「福寿園国際集団」が運営しています。


青浦殯儀館(左はキリスト教会)

2000年に作られました

5つのホール&火葬炉を有します

前庭のようす

緑豊かな施設です

葬儀が行われていました



上海市には16の区がありますが、それぞれの区には国営の殯儀館があります。都心にある9区には2ヵ所づつ、郊外にある7区には1ヵ所づつの殯儀館があります。青浦区は郊外なので1ヵ所です。青浦殯儀館は民営ですが、国営よりも価格が安いです。国営の葬儀の価格が9000元(約16万円)としたら、青浦殯儀館はその半分の4500元(約8万円)です。


葬儀の価格表

花輪の種類

葬儀マナーの案内図

遺灰預かり所の外観

遺灰預かり所の内部



この青浦殯儀館は5会場で、火葬炉も併設しています。
この火葬炉も、福寿園国際集団の会社が製造してるとか。
国営の2ヵ所は2万件を扱っていますが、青浦殯儀館は年間4700件の葬儀を扱っています。1000人分の遺骨も預かっていますが、年間5000円で3年間預かります。


霊安室の入口

霊安室の内部



青浦殯儀館は高い人気を誇っていますが、それは安さのせいだけではありません。「安価」とともに「便利」というウリがあるのです。というのも、国営の施設では火葬の3日後しか遺灰を受け取ることができませんが、青浦殯儀館では火葬義すぐに遺灰を受け取ることができるのです。


ホールの外観

ホールの内部



現在の中国は漢族(漢民族)がほとんどを占めており、上海も例外ではありません。1940年代までは死後3日間は死者を家に置き、葬儀を行い出棺していたようで(この頃は土葬)、大きく変わってきたのは1960年代半ばの「文化大革命」以後となります。「文化大革命」の期間は行政が定めた簡単な追悼式のみが行われていました。
1970年代から、上海は火葬がほぼ全てを占めるようになりました。亡くなってから殯儀館に運ばれるようになり、そこでは短時間(1〜2時間)での告別儀式が伝統的な葬儀に変わって行われるようになりました。告別儀式後には荼毘に付されます。遺骨は火葬場の保存スペースに置くか、あるいは自宅に持って帰ることになります。


ここに祭壇が飾られます

周囲に花を挿すオアシス式



四十九日後もしくは1年後や3年後に墓地に埋葬します。
そして、それは「落葬」と呼ばれます。
「葉落帰根」・・・老後や死後に故郷に帰ること
「入土為安」・・・死後、土の中に埋められ安らかになること
という漢民族の伝統観念がありました。
しかし都市化が進み、出稼ぎなどで財力がない場合や、理由があって故郷に帰れない人々は都市部(郊外)に墓を作っていましたが、次第にそれ以外の人々も故郷ではなく上海に墓を作るようになり、一定規模の公用墓地が作られていきました。


棺を運ぶスタッフ



現在は、中国政府により華美な葬儀や墓が禁止されています。
そのため、青浦殯儀館に代表されるように、儀式そのものが簡易な方向に向かっているようです。また、葬儀を行う人員の教育機関として長沙や西安に葬儀・遺体処置などを学ぶ施設が作られています。
青浦殯儀館を視察して、中国人の葬儀の「いま」がわかりました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年4月24日 一条真也