金閣寺

一条真也です。
昨日より冠婚葬祭施設の参考にするために京都の社寺を回っていますが、今日は銀閣寺を見学した後で、「そういえば京都には金閣寺もある」ということに気づき、久しぶりに訪れました。


金閣寺を訪れました

境内案内図の前で

世界遺産になっています

正しくは、鹿苑寺です

山門にて・・・・・・

山門の「五用心」

方丈の前で

方丈から庭園を望む

金閣寺



公式HPの「金閣寺とは」には、以下のように書かれています。
「正式名称を鹿苑寺といい、相国寺塔頭寺院の一つ。舎利殿金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました」


金閣寺をバックに

ものすごい人出でした

やはり美しい寺です

右横からの眺め

裏からの眺め

金閣方垣

庭園ごしに見える金閣寺

足利義政の遺した手洗鉢

貴人榻(きじんとう)に座ってみる



また、さらに、京都には金閣寺銀閣寺がともに存在しています。
公式HPの「金閣寺銀閣寺」には以下のように書かれています。
金閣寺銀閣寺がともに相国寺塔頭寺院であることは、あまり一般に知られていないのではないでしょうか。 相国寺室町幕府三代将軍 足利義満により創建され、金閣寺もほぼ時を同じくして義満により創建されました。銀閣寺はその後年、同じく室町幕府八代将軍である足利義政により創建されています。足利歴代将軍が創建した禅宗寺院として、本山である相国寺塔頭寺院となり今に至っています。 そして現在においては、相国寺の山外塔頭として相国寺僧侶が任期制をもって相国寺とともに金閣寺銀閣寺の運営と後世への継承にあたっています」


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久々に見学した金閣寺ですが、とにかく就学旅行生と外国人観光客が多かったです。建物も金ピカ過ぎて、わたしには銀閣寺のほうがずっと良かったです。それもそのはず、銀閣寺室町時代のオリジナル建築であるのに対して、金閣寺のほうは昭和25年(1950年)にいわゆる「金閣寺放火事件」で焼失したために、昭和27年(1952年)に新たに着工し、昭和30年(1955年)に竣工した建造物だからです。その実際の放火事件をモデルに書かれた小説が三島由紀夫の『金閣寺』です。同書はわたしの中学時代の愛読書で、その悪魔的な作品世界に魅了されたものでした。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年3月11日 一条真也