かみさまシンポジウム

一条真也です。
東京に来ています。3日に開催されたブログ「未来医療研究会イベント」で紹介したシンポジウムに参加するためです。今日は非常に長丁場となるので、早起きしてホテルの和食レストランで朝御飯をしっかり食べました。


朝御飯はしっかり食べました

「星陵会館」に到着しました

イベント主催者の稲葉先生と

命には続きがある』の販売コーナー(完売しました!)



会場は永田町の「星陵会館」です。主催者である未来医療研究会を主宰する稲葉俊郎先生に挨拶してから、控室に通されました。
この日は、イベントの出演者でもある「勇気の人」こと矢作直樹先生との共著『命には続きがある』(PHP研究所)の販売コーナーも設けられました。おかげさまで、用意した数十冊、すべて完売いたしました。


冒頭の主催者あいさつ

「国生み」講談が楽しかったです!

超満員になりました!



シンポジウムは13時40分からスタート。超満員の400人以上が会場を埋め尽くしました。まず、オープニングとして、篠笛&神楽笛奏者の“こと”さん、講談師の田辺銀治さんによる「国生み・前篇」が披露されました。2人の美女による『古事記』の物語を聴いていたら、わたしはブログ「古事記〜天と地といのちの架け橋〜」で紹介した、東京ノーヴィレパートリーシアターによる素晴らしい舞台を思い出しました。なんでも今日は、同劇団の関係者も多数来場されているそうです。


シンポジウムのようす

「映画出演者より」のようす

矢作先生と並んで聴きました



それからブログ「かみさまとのやくそく」で紹介した映画にちなんで、「本映画の可能性について」と題するシンポジウムが行われました。最初に「映画出演者より」として、池川明氏(池川クリニック院長、胎内記憶研究)、大門正幸氏(中部大学教授、超心理学)、南山みどり氏(たいわ士)、荻久保則男氏(監督)の4人が登壇され、30分にわたって語られました。わたしは、最前列で矢作先生と並んで聴きました。


「医療の現場より」のようす

発言する矢作先生

矢作先生と稲葉先生の東大病院師弟コンビ



続いて「医療の現場より」として、岩村晃秀氏(行徳総合病院脳神経内科医、Coma Work)、市川きみえ氏(名寄市立大学講師、助産師、お産とスピリチュアリティ―研究)、矢作直樹氏(東大病院救急部教授)、稲葉俊郎氏(東大病院循環器内科助教)の4人が登壇され、30分にわたって語られました。矢作先生は「ぼくは今日は、あまり話さなくていいです」とのことで寡黙でした。「すわっ、沢尻エリカの『別に・・・』の再現か?」とも思いましたが、それは誤解で、どうやら愛弟子である稲葉先生に花を持たせられたようです。矢作先生の分まで、稲葉先生は大いに語られていました。


「教育、冠婚葬祭の現場より」のようす

爆笑トーク高濱正伸氏

はなまる学習塾・高濱正伸氏と



そして「教育、冠婚葬祭の現場より」として、高濱正伸氏(はなまる学習塾)とわたしの2人が登壇しました。高濱氏は「情熱大陸」や「カンブリア宮殿」といったTV番組にも出演された学習塾業界の革命児だそうです。非常にお忙しい方で、登壇直前の舞台の袖で初対面、名刺交換させていただきました。また、非常に話術巧みな方で、綾小路きみまろバリの爆笑トークで会場を盛り上げられました。その直後に話すわたしは、正直チョ―やりにくかったのですが(苦笑)、なんとか気を取り直して自分の考えを述べました。


自分の考えを述べました



わたしは最初に「ご紹介いただきました一条真也です。ホテル、結構式場、葬祭会館など、冠婚葬祭事業を各地で展開するサンレーの社長を務めております。今日は11・03の『いいお産』の日だそうですが、『サンレー』という社名は『産霊(むすび)』とも書きまして、『大いなるお産』という意味です。先ほどの『国生み』の講談ではありませんが、イザナギイザナミが結ばれて『国生み』が行われる・・・・・・これぞ、産霊であります。今日は『冠婚葬祭の現場』という立場からお話させていまだきます」と述べました。


映画「かみさまとのやくそく」の感想を述べました



それから、ブログ「かみさまとのやくそく」に書いたように、ドキュメンタリー映画かみさまとのやくそく」を観た感想を述べました。
さて、わたしの本業は冠婚葬祭業ですが、この仕事は「魂のお世話業」であると思っています。「結婚は最高の平和である」「死は最大の平等である」これは、わたしの持論であり、わが社のスローガンです。このスローガンのもと、結婚式は「魂を結ぶ」と書いて「けっこん」、葬儀は「魂を送る」と書いて「そうこん」というキーワードを考案し、「冠婚葬祭業とは魂のお世話をさせていただく仕事である」ことを社内、社外に提唱し続けております。



「結婚は最高の平和である」というスローガンのもと、わたしたちは、お二人の魂を結ぶ(結魂)お世話をさせていただいております。
では、「結魂」とは何か。かつて古代ギリシャの哲学者プラトンは、元来が1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだという「人間球体説」を唱えました。元が1つの球であったがゆえに湧き起こる、溶け合いたい、1つになりたいという気持ちこそ、世界中の恋人たちが昔から経験してきた感情です。プラトンはこれを病気とは見なさず、正しい結婚の障害になるとも考えませんでした。



人間が本当に自分にふさわしい相手をさがし、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだととらえていたのです。そういう相手がさがせないなら、あるいは間違った相手と一緒になってしまったのなら、それは私たちが何か義務を怠っているからだとプラトンはほのめかしました。そして、精力的に自分の片割れをさがし、幸運にも恵まれ、そういう相手とめぐり合えたならば、言うに言われぬ喜びが得られることをプラトンは教えてくれたのです。そして、彼のいう球体とは「魂」のメタファーであったと思います。



また、17世紀のスウェーデンに生まれた神秘思想家スウェデンボルグは、「真の結婚は神的なものであり、聖なるものであり、純潔なものである」と述べました。天国においては、夫は心の「知性」と呼ばれる部分を代表し、妻は「意思」と呼ばれる部分を代表している。この和合はもともと人の内心に起こるもので、それが身体の低い部分に下ってくるときに知覚され、愛として感じられるのです。そして、この愛は「婚姻の愛」と呼ばれます。両性は身体的にも結ばれて1つになり、そこに1人の天使が誕生する。つまり、天国にあっては、夫婦は2人ではなくて1人の天使となるのです。プラトンとスウェデンボルグをこよなく敬愛するわたしは、結婚とは男女の魂の結びつき、つまり「結魂」であると信じています。
赤ちゃんが自分の母親を選んで産まれてきますが、自分の結婚相手はすでに昔から決まっているのかもしれませんね。



また、「魂のお世話業」ということでは、故人の魂を送る「送魂」ということも重要です。わたしは、「死は最大の平等である」とつねづね言っています。
箴言で知られたラ・ロシュフーコーが「太陽と死は直視することができない」と語りましたが、太陽と死には「不可視性」という共通点があります。私はそれに加えて「平等性」という共通点があると思っています。



太陽はあらゆる地上の存在に対して平等です。
太陽光線は美人の顔にも降り注げば、犬の糞をも照らすのです。わが社の社名はサンレーですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、「太陽光線(SUNRAY)」という意味を持っています。「死」も平等です。「生」は平等ではありません。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人・・・「生」は差別に満ち満ちています。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れるのです。


冠婚葬祭業は「魂のお世話業」である!



また、世界中に数多く存在する、死に臨んで奇跡的に命を取り戻した人々、すなわち臨死体験者たちは共通の体験を報告しています。死んだときに自分と自分を取り巻く医師や看護婦の姿が上の方から見えた。それからトンネルのようなものをくぐって行くと光の生命に出会い、花が咲き乱れている明るい場所が現れたりする。さらに先に死んでしまった親や恋人など、自分を愛してくれた人に再会する。そして重大なことは、人生でおかした過ちを処罰されるような体験は少ないこと、息を吹き返してからは死に対して恐怖心を抱かなくなったというようなことが主な内容です。
そして、いずれの臨死体験者たちも、死んでいるあいだは非常に強い幸福感で包まれたと報告しています。この強い幸福感は、心理学者マズローの唱える「至高体験」であり、宗教家およびロマン主義文学者たちの「神秘体験」、宇宙飛行士たちの「宇宙体験」にも通じるものです。いずれの体験においても、おそらく脳のなかで幸福感をつくる物質が大量に分泌されているのでしょう。最近もNHKスペシャルで立花隆氏のドキュメントが放映されましたが、臨死体験については、まぎれもない霊的な真実だという説と、脳がつくり出した幻覚だという説があります。しかし、いずれの説が正しいにせよ、人が死ぬときに強烈な幸福感に包まれるということは間違いないわけです。しかも、どんな死に方をするにせよ、です。
こんなすごい平等が他にあるでしょうか! まさしく、死は最大の平等です。
日本人は人が死ぬと「不幸があった」などと馬鹿なことを言いますが、死んだ当人が幸福感に浸っているとしたら、こんなに愉快な話はありません。
わたしは、これからも「死」を「不幸」とは呼ばない社会づくりのお手伝いをしていきたいと思っています。以上のようなお話をさせていただいたところ、会場から盛大な拍手を頂戴して、感激しました。


登壇者全員による座談会のようす

稲葉先生の話を真剣に聴く

わたしも語りました

どの方のお話も勉強になりました


その後は休憩を挟んで、“こと”さんによる笛演奏があり、続いて登壇者全員が再登壇して対談、質疑応答が行われました。
ここでも多くの刺激的な話題や不思議なエピソードが語られましたが、わたしは「不思議といえば、まったく別々の人生を歩んできた男女が結婚することも不思議ですし、人が亡くなることも不思議です。アニメ映画『千と千尋の神隠し』の主題歌には「生まれ来る不思議、死んでいく不思議♪」という歌詞がありますが、まったく赤ちゃんの誕生も老人の死も不思議です。この世はこんなにも不思議が満ち溢れているのですから、これ以上の不思議があってもおかしくありませんね」と言いました。


矢作先生の話を真剣に聴く

わたしも大いに語りました


また、矢作先生が「息子さんを亡くして自殺直前の母親の目の前に500円硬貨が落下したことがあるそうです。その母親は、いつも息子さんに500円のお小遣いを渡していたそうです」という話を受けて、わたしは「ふつう、死者のメッセージは光、音、香りといった軽いものが使われることが多いようです。しかし、映画『ゴースト』でもそうでしたが、死者の存在証明として硬貨が使われることもあります。硬貨というのは硬くもあり、経済という生の世界のシンボルであることから、最も『この世』的な物体です。死者は本気を出したら、硬貨を使うのかもしれません」と述べました。


有意義な座談会となりました



わたしは「孤独死」や「隣人祭り」についてなど合計3回ほど発言したのですが、最後に登壇者1人づつのラスト・コメントでは、「医療も映画も冠婚葬祭もアートですね!」と述べ、さらに「ITの進歩だけでは、人間の精神は悲鳴を上げてしまいます。ITだけではなく、こういった生身のイベントがとても大事だと思います。こういう多くの人が実際に集まって語り合うイベントは宇宙に影響を与えます。今日のこのイベントも、間違いなく宇宙に甚大な影響を与えたはずです。『古事記』には「天の岩戸開き」の名場面が出てきますが、今日のこのイベントも、この世の闇に光を射す『岩戸開き』となることを願っています」と言いました。このときも盛大な拍手を頂き、感激しました。


「国生み・後篇」でクロージング



最後は、再び、篠笛&神楽笛奏者の“こと”さん、講談師の田辺銀治さんによる「国生み・後篇」が披露されました。わざわざ連休中に北九州から東京までやってきて出演したシンポジウムでしたが、わたし自身が勉強になりました。有意義な時間を過ごさせていただいた稲葉先生に感謝いたします。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年 11月3日 一条真也