一条真也です。
ブログ「足利学校」で紹介した「日本最古の学校」を後にしたわたしは、すぐ近くにある足利氏の氏寺である「鑁阿寺(ばんなじ)」を訪れました。
足利学校から鑁阿寺へ向かいました
お、カルガモ発見!
あ、逃げられた!
足利学校から歩いて向かったのですが、お堀の手摺の上にカルガモがいました。わたしは抜き足 差し足 忍び足でそーっと近づき、至近距離から写真を撮ろうとしたのですが、近づいた途端、逃げられてしまいました。そのときの悔しさは今でも忘れられません。
お堀を泳ぐカルガモ
亀たちが甲羅干しをしていました
お堀の中を見ると、逃げたカルガモが気持ち良さそうに泳いでいました。
また3匹のオッサンじゃなくて、3匹の亀が甲羅干しをしていました。
今日はポカポカと暖かい日でしたので、亀たちも気持ちが良さそうです。
カルガモも亀も、なんだかインテリアの置物みたいでした。
そのまま歩いていると、鑁阿寺に到着しました。
足利市家富町にある真言宗大日派の本山です。「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されており、日本100名城の一つでもあります。
非常に重厚な門です
洗心しました
国宝の本堂を望む
「禮鐘の儀」でおなじみの鰐口の下で
本尊は大日如来で、寺号は詳しくは「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺」です。鑁阿寺はもともとは足利氏の館であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっています。鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されていると言えるでしょう。
足利市の公式HPによれば、以下のように説明されています。
「鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。その後、三代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正11年に国の史跡に指定されています。春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています」
弘法大師像の前で
鑁阿寺の境内には、弘法大師像もありました。
わたしは、今月13日に訪れたブログ「日本一の弘法大師像」で紹介した宮崎県延岡市の今山大師を思い出しました。
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。
2014年5月23日 一条真也拝