湯島聖堂

一条真也です。
21日の13時から、新橋で全互協の理事会に出席しました。
終了後、わたしは新橋駅に行き、そこから文京区の湯島に向かいました。久々に史跡湯島聖堂を訪問することが目的です。あいにくの雨でしたが。


JR神田駅の前で



現在、湯島聖堂は公益財団法人斯文会によって運営管理されています。
ちなみに、会名の「斯文(しぶん)」は、『論語』子罕(しかん)篇からきています。儒学を大成した思想家・教育者としての孔子の烈々たる気概を心とし、伝えられた学問、文化を継承し現代に創造するという基本理念を託して命名されたそうです。


入徳門の前で



さて、その公式HPには、次のように湯島聖堂が説明されています。
「徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い『昌平坂学問所(通称「昌平校」)』を開設しました」


ここに来ると、心が落ち着きます



明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました」
公式HPより)


大成殿の前で



「大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と株式会社大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び株式会社大林組の施工で行われ、平成5年(1993)3月に竣工いたしました」(公式HPより)


孔子の木」こと楷樹の由来

孔子の木の前で



この湯島聖堂には、「孔子の木」として有名な楷樹が植樹されています。案内板には次のように記されています。
「楷は曲阜にある孔子墓所に植えられている名木で、初め子貢が(孔子墓所に)植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
わが国に渡来したのは、大正4年、林学博士白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた。その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが、性来雌雄異株であるうえ、花が咲くまでに30年位もかかるため、わが国で種子を得ることはできなかったが、幸いにして数年前から23個所で結実を見るに至ったので、今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる」


これが孔子の木だ!!



「中国では殆んど全土に生育し、黄連木・黄連茶その他(黄棟樹、黄連、蓮連木など)の別名も多く、秋の黄葉が美しいという。台湾では爛心木と呼ばれている。牧野富太郎博士は、これに孔子木と命名された。孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える」


孔子像を遠くに望む

孔子像に近づく

孔子像の顔が見えてくる

孔子像の全貌が見える

これが巨大孔子像だ!!

孔子像は何を語るのか?



ちなみに湯島聖堂の巨大な孔子像は、昭和50年(1975)に中華民国台北市のライオンズ・クラブから寄贈されたもので、高さ4.57メートル、重量は約1.5トン! おそらく世界最大ではないでしょうか。
ブログ「孔子との対話」に書いたように、2010年9月24日にここを訪れ、孔子像と魂の会話を行いました。それ以来の訪問です。


孔子像とともに



当時は、いわゆる尖閣諸島問題が深刻化していた時期で、中国は旧・琉球王国宗主国が明であったという歴史的事実を持ち出して、「沖縄は中国の領土である」などの暴論を打ち出していた時期でした。ちょうど訪問前日の9月23日、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件が起きて以降、初めて中国側が日本人を拘束したという衝撃的なニュースが流れました。


孔子像の前で・・・

緑ふかき五月の湯島聖堂



わたしは「現代の中国には『仁』も『礼』もまったく感じられません」と嘆き、「中国人は、いまこそ、『論語』を読むべきである」と訴え、「こうなったら、中国の若者に読ませるための論語入門を本当に書こうかなあ」などとブログに書いています。それからしばらくして、わたしは『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)を上梓したのでした。なつかしい思い出です。



史跡湯島聖堂の前で



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年5月22日 一条真也