建仁寺

一条真也です。
ブログ「金戒光明寺」で紹介した浄土宗最初の寺院の後は、京都最古の禅寺の「建仁寺」を訪れました。建仁2年に開創された臨済宗建仁寺派大本山です。
本尊は釈迦如来、開山は栄西禅師、 開基は源頼家です。


建仁寺にやってきました

京都最古の禅寺です


建仁寺を訪れるのは初めてですが、わたしは前から一度来たいと思っていました。なぜなら、ここには国宝として有名な俵屋宗達の「風神雷神図」があるからです。また、「天使」こと書家の金澤翔子さんが揮毫された「風神雷神」の書があるからです。今日ようやく両作品と初対面しましたが、やはり凄い迫力でした。
心の底から感動しました。本当に、来て良かったです。


風神雷神図」(俵屋宗達)に感動しました

風神雷神」(金澤翔子)に感動しました


同寺HPの「建仁寺について」は、以下のように書かれています。
建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。ようやく天正年間(1573−1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。
また廃仏毀釈神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります」


法堂天井画「双龍図」(小泉淳作筆)

天井の龍はまるで生きているようでした



建仁寺には、他にも法堂にある天井画「双龍図」(小泉淳作筆)が有名です。
天井に描かれた龍はまるで生きているようで、見上げた瞬間、わたしは息を呑みました。さらに、海北友松の襖絵などもあり、文化財が豊富に揃っています。
建仁寺文化財の数々については、「建仁寺ギャラリー」を御覧下さい。


池泉回遊式庭園も素晴らしかったです

やはり禅寺は心安らぎます



山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園がよく知られています。
また、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などを多数所蔵する両足院も有名です。
豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺建仁寺の末寺ですね。
寺号は「けんにんじ」と読みますが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれています。それにしても、このような凄い寺社が京都にはたくさんあるわけです。
延暦寺もあれば、知恩院もあれば、東西の本願寺もある。
金閣寺もあれば、銀閣寺もあれば、清水寺もある。
平安神宮もあれば、北野天満宮もあれば、伏見稲荷もある。
やはり、京都は日本最強の宗教都市であることを再確認しました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年10月31日 一条真也