死を乗り越えるダライ・ラマ14世の言葉

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自分のことしか考えない人は、
苦しみのうちに人生を終えます。
ダライ・ラマ14世)

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、ダライ・ラマ14世(1935年~)の言葉です。チベット仏教の最高指導者。2歳の時に先代13世の転生者として認められ、5歳で正式に第14世として即位。チベット亡命政府を樹立。一貫して非暴力平和的手段でチベット問題に取り組みました。1989年にノーベル平和賞を受賞。 

 

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

 

 

ダライ・ラマとは、どういう意味か。「ダライ」は大海を意味するモンゴル語で、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものです。チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマ名跡で、一四代ということです。チベットチベット人民の象徴たる地位にあります。現ダライ・ラマである14世は、チベット動乱の結果として1959年に発足した「チベット臨時政府(のち中央チベット行政府、通称チベット亡命政府)」において、2011年に引退するまで政府の長を務めていました。

 

ダライ・ラマ宗教を超えて

ダライ・ラマ宗教を超えて

 

 

 現在のチベット亡命政府では、「チベットチベット人の守護者にして象徴」という精神的指導者として位置づけられています。わたしはダライ・ラマが来日した折に開かれた講演会を拝聴した経験がありますが、鋭い眼光の中にやさしいまなざしを感じたことを覚えています。普通はやさしい目の中に鋭さを感じるものなのですが・・・・・・。

 

Inner World

Inner World

  • 作者:Dalai, Lama
  • 発売日: 2020/08/01
  • メディア: CD
 

 

ちなみに後継者は生まれ変わるといわれています。現ダライ・ラマ14世も3歳のときに13世の生まれ変わりとして認定されたといわれています。高齢になった14世の後継者が話題になることがありますが、興味はつきません。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年11月17日 一条真也

『リーダーの教養書』

リーダーの教養書 (幻冬舎文庫)

 

一条真也です。
読書の秋ですね。『リーダーの教養書』出口治明楠木建大竹文雄&岡島悦子&猪瀬直樹長谷川真理子&中島聡&大室正志&岡本裕一朗&上田紀行著(幻冬舎文庫)を読みました。2017年に幻冬舎より刊行された単行本の文庫化です。

 

本書のカバー裏には、以下の内容紹介があります。
マーク・ザッカーバーグら、米国のトップ起業家はみな、歴史、文学、科学と幅広い分野に精通している。ズバリ、日本が米国のエリートに勝てない理由は『教養の差』にあった! 本書ではその差を埋めるべく、日本が誇る10の分野の教養人が知悉すべき推薦書を挙げ、ビジネスや人間関係への生かし方などを解説。知の土壌を豊かにする渾身のブックリスト」

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
序文「日米エリートの差は教養の差だ」佐々木紀彦
対談「なぜ教養が必要なのか?」出口治明 楠木健
教養書120

●歴史  出口治明
●経営と教養  楠木健
●経済学  大竹文雄
●リーダーシップ  岡島悦子
●日本近現代史  猪瀬直樹
●進化生物学  長谷川眞理子
コンピュータサイエンス   中島聡
●医学  大室正志
●哲学  岡本祐一朗
●宗教  上田紀行
おわりに
「『日本3・0』の時代を生き抜くために」
佐々木紀彦
「解説」箕輪厚介

 

序文「日米エリートの差は教養の差だ」の冒頭を、ニューズピックスアカデミア学長の佐々木紀彦氏は、「なぜ日本のエリートは、米国のエリートに勝てないのか。なぜ日本のリーダーは、米国のリーダーに勝てないのか。過去10年ほど、私はその問いに向き合ってきた。それに対する暫定的な答えは『教養の差』だ。両者には教養の量と質に圧倒的な差があるがゆえに、知や行動のスケール、実行における成功率に彼我の差が生まれているのである」と書きだしています。では、教養とは何か。佐々木氏は、「普遍的な知恵」のことだと思うとして、「歴史の風雪や、科学の洗礼をくぐり抜けてきた『時代や国を超えた知』こそが教養と言えるだろう。では、なぜそうした知を有することが大切なのかというと、クオリティの高いアイディアが次々と生まれやすくなるからだ」と述べます。

 

「『時代性×普遍性』という最強の掛け合わせ」として、佐々木氏は「『普遍』のストックを自分の中に多く備えていれば、それと時代性を掛け合わせることにより、無数のアイディアが湧いてくる。しかも、普遍に基づいたものは、人間の本質に根ざしているだけに、持続性と爆発力のあるアイディアであることが多い。一方、『普遍』を持たない人間は、つねに『時代性』という名の『今』に振り回されてしまう。ビジネス書の乱読などはその最たるものだろう(もちろん、いいビジネス書もあるが)。ハウツーを記した、似たような内容のビジネス書を読み続けても、それは、一瞬の気晴らしになるだけで、あなたの『知の土壌』を豊かにはしない」と述べています。

 

また、世代や国や分野を超えたビジョンや理念を生むには教養が不可欠だと指摘し、佐々木氏は「それがなければ、目の前の分かりやすい数字を追うだけか、先行者を真似して追いかけるだけに終わってしまう。社会を変えることもないまま、人生が終わってしまうのだ。翻って、マイクロソフトビル・ゲイツフェイスブックマーク・ザッカーバーグ、アマゾンのジェフ・ベゾスといった米国のトップ起業家は、歴史、科学、文学に精通した教養人だ。ネットで検索すると、彼らが薦める書籍が見つかるが、どれも読みごたえがある。われわれはビジネスの前に、教養のレベルにおいて、すでに米国の起業家たちに負けているのだ」と述べます。

 

「教養を高める無数のメリット」として、佐々木氏は、教養とは、短期的に、何か目に見える恩恵をもたらしてくれるものではないと指摘した後、「ただし、中期的、長期的には、確実にあなたの人生を豊かにし、成功確率を上げてくれる。豊かな教養を持つのは、頭の中に多くのブレーンを抱えているようなものだ。何か決断に悩んだときは、本を通じて『心の友人』となった賢人にバーチャルに相談すればいい。たとえあなたが1人でいても、世界屈指の『経営会議』を常に開くことができる」と述べ、さらに、教養を持つことにはほかにも無数のメリットがあるとして、「頭の中で、異分野をつなげやすくなるし、人の交流という点でも幅を広げることができる。教養がある人は話が面白いので、その周りに人が集まるのは世の常だ。そして、教養を育むのは、自分にとって何よりも楽しい。教養とは肩肘張ったものばかりではなく、人生最高のエンタメにもなりうるのだ」と述べるのでした。

 

本書の白眉は、現在は立命館アジア太平洋大学(IPU)学長の出口治明氏(対談当時は、ライフネット生命会長兼CEO)と一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授の楠木健氏による「なぜ教養が必要なのか?」と題する対談です。わたしは、これほど「教養」の本質に迫った対談を他に知りません。最初に、「教養がなければ『奴隷』になる」として、楠木氏が「『教養』という言葉は、例によって明治期に翻訳されて定着した日本語ですが、もともとは『リベラルアーツ』ですね。直訳すれば『自由の技術』」と語ります。

 

戦略読書日記 (ちくま文庫)

戦略読書日記 (ちくま文庫)

  • 作者:建, 楠木
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫
 

 

「自由の技術」というのは「機械的な技術」と対になる概念であると指摘し、楠木氏は「何らかの目的があって、それを上手く達成する方法が機械的な技術。これに対して、教養は自由な市民として持つべきアート。技術というより『技芸』というイメージです。僕にとって一番しっくりくる教養の定義は、人が他者に強制されず、自分自身でつくりあげていく独自の『価値基準』を持っているということです。人はいろいろな物事に囲まれて生きているわけですが、その中で自分の価値基準に照らして初めて、その人なりの意見や考えが出てきます。自分が関わっている事象について、自分が自由に考えるための基盤となるもの、これが教養だという理解です」と述べています。

 

教養が身につく最強の読書 (PHP文庫)

教養が身につく最強の読書 (PHP文庫)

 

 

一方、出口氏は「あえて言うならば教養は、自らの選択肢を増やしてくれるもの、あるいはワクワクして楽しいものだと言えるでしょうね。まず、そもそも人間は何のために生きているのかと考えてみると、動物としては次の世代を育てるために生きていますが、それだけではないですよね。『衣食足りて礼節を知る』というのは全く正しくて、ご飯を食べられなければ礼節も教養も意味がないわけですが、衣食が足りたら足りたで『人はパンのみにて生きるものにあらず』なのです。人間が考えるための脳を持っている以上、単に次の世代を育てる以外にも、どうしたら元気で明るく楽しく生きられるのかを求めるものだと思うのです」と述べます。

 

また、出口氏は「何かを学び勉強することは、そのたびに人生の選択肢を1個1個増やすことだと思っています。もちろん、それは別にやらなくてもいいことですが、とはいえ人生の選択肢はあればあるほど楽しくなるはずです。つまり、教養とは自分の好きなものを学ぶことに尽きると思います。いくら学ぼうと思っても、嫌いなことはなかなか身につきませんから。むしろ嫌いだけれど仕方なしに身につけるものは教養ではなくて、先ほどの先生の言葉で言えば『機械的な技術』にあたるのだと思います。上司から仕事に必要だから読めと言われて読む本と、自分が好きで読む本とでは、やはりワクワク感が違いますよね」とも述べています。

 

「『欲望への速度』が、その人の品格や教養を物語る」として、楠木氏は、個人的に、教養や品格といった言葉はあまり好きではないと告白し、「僕が一番気に入って『品がある』の一定義は、『欲望への速度が遅いこと』。言い換えると、即時即物的にではなく抽象度を上げて物事を理解しようとする姿勢ですね。これは教養の有無と深く関わっていると思います。目の前の具体的な事象に対して『これは要するに何なのか』と考える。これが抽象度を上げるということですが、それは同時に思考の汎用性を上げるということでもありますね」と述べます。

 

 

一方、出口氏は「教養の特徴には、知の広がりの大きさがあると思います。僕は、世の中の事象というのは、“氷山”と似ていると思っています。人間の脳が意識できるのは1、2割で、無意識の部分が脳の活動の大半を占めていますが、それと同様に世の中の事物で見えているのは氷山の内の1、2割で、残りの8、9割は海の中に隠れているわけです。即ち、いわゆる「早わかり」系の知識というのは、氷山の上だけをなぞっているにすぎません。教養は、役に立たないことも含めて関連する情報を全部集めて成り立つものですから、海中に隠れている8、9割の知識もしっかり認識することが必要だと思います。ですから、目に見えるものだけではなく見えないもの、役に立つものだけではなく役に立たないものも含めた氷山全体の大きさが、その人の知的な体系をかたちづくっている気がします」と述べます。非常に説得力がありますね。

 

出口氏は、「すぐ役立つ知識ほどすぐに役立たなくなる」として、実用的な知識というのは1年もすれば陳腐化してしまうかもしれないとして、「アウグストゥスは、『ゆっくり急げ』という言葉を壁に貼っていたそうです。結局、ゆっくり考えて対処する方が、問題が早く解決することになるのだ、と。それと同じように、いろいろなことを知っていれば、すぐに飛びついて決断せずに一呼吸おくことができるんですよね。例えば、僕はよく食べる方なのでフレンチなどに行くと、美味しいパンをついパクパクと食べてしまうのですが、ボーイさんから『この後もまだ美味しいお皿がたくさん出ますから、少し抑えた方がいいかも知れません』と言われたりして(笑)。これも、フランス料理について知識があれば、すぐに手を出さずに抑えながら食事を楽しめるわけですよね。つまり、全体を知っていれば、欲望の速度を抑えることができるのです」と述べます。これは、非常にわかりやすい例えですね。

 

 「『激動おじさん』は信用できない」として、楠木氏は「思考の抽選度が高い人の話の中には、しばしば『いろいろあるけど、要するに・・・・・・』が出てくる。複雑で渾然とした事象の本質を衝き、枝葉末節を捨象する力ですね」と述べ、さらに「とくにビジネスは日々の変化が激しい世界ですが、変わっているのは先ほどの出口さんの言葉でいえば“氷山”の上に出ている部分だけなのです。ここだけを見て、『激変期だ、これまでのやり方は通用しない』と言ってみても、変化を追いかけて目が回るばかりで、なんら有効なアクションは打てません。僕は『激動おじさん』は信用しないことにしています。信用できるのは、表面に出てくる様々な変化に直面したときに、『要するにこういうことだよね』という言葉が出てくる人です。教養の有無は、1つにはこの『要するに』が言えるかどうかで分かると思っています」と述べています。まったく同感です。

 

出口氏は、「世界中の大脳生理学者は、人間の脳は1万3000年前のドメスティケーション(定住。農耕や牧畜の始まり)以来一切変化していないと述べています。進化しているのは技術や文明だけなのだ、と。脳が変わっていない以上、人間の喜怒哀楽や経営判断は変わりません」と断言し、「教養なきリーダーは去れ」として、「経営者やプロジェクトのトップを担うようなリーダーに教養は必要かという質問に対しては、『必要に決まっている』というのが僕の意見です。なぜなら人間は1人では仕事ができないからです。誰しも何らかのかたちでチームで仕事をするわけですが、では人間の最大の労働条件は何かと言えば、それは上司なのです。部下は上司を選べないので、上司が労働条件の100%になるわけです。すると、トップに立つ人物に教養があれば様々な物事に理解があるため、社員はみな元気で明るく楽しく過ごせます。それだけでも、部下にとってはありがたいことです」と述べています。

 

逆に、教養がないような「激動おじさん」だったら、部下は上司が騒ぐたびに右往左往させられるだけなので、上に立つ人間には教養がなければいけないと指摘し、出口氏は「もっと言えば、教養がない人間は上司になってはいけないのです。先ほども述べたように、教養がなければ人生を楽しめませんから、職場を楽しくすることもできませんし、部下も楽しく過ごすことができないのです。それと、リーダーが経営判断をしないといけないときは、実はそれほど多くないのです。しょっちゅう経営判断をしているようにみんな思っているようですが、基本的には何かが起きたときに、わからないことを決めるのがリーダーの役割です。その点を考えると、リーダーが右往左往したらロクなことはありません。『ゆっくり急ぐ』ための時間軸を取るだけの教養がなければいけないのです」と述べます。

 

その後、以下のような対話が展開されます。
楠木 どんなに分析して予測しても、実際にやってみなければ分からない面がある。だとすれば、事前に最も強固な拠りどころとなるのは、その人の中にある「論理的な確信」しかない。それは、具体的なレベルで仮定に仮定を重ねて、各オプションの期待値を計算していくような作業ではなく、物事を単純化して「要するにこういうことだ」と本質をつかみ、自らの確信に基づいて決断するということです。この「論理的な確信」の淵源となるものが教養なのだと思います。教養がない人には重大な意思決定は任せられません。
出口 なるほど。僕は、「論理的確信」のことを「数字・ファクト・ロジック」と呼んでいますが、おっしゃる通り、物事の構造をシンプルに見ることができなければ判断することはできないですね。
楠木 そうです。シンプルになっていなければ、判断の根拠を人に上手く伝えることもできません。

 

「数字やファクトは未来予測のためのものではない」として、楠木氏は「数字・ファクト・ロジック」を誤解している人が世の中に多いように思うと述べ、さらに「数字やファクトの重要性というと、『事前に定量的なデータに基づいて選択肢の優劣が判断できる』とか、それがエスカレートすると、『事前に優劣が確定していないと意思決定はできない』という話になりがちです。最近では、オプションの優劣の決定にAIを活用すれば、最適解を導いてくれるのではないかとする論調が多いですよね。それは大間違いだと思います。数字やファクトというのは、すべて過去についての出来事であって、未来予測をするものではありませんから」と述べています。

 

僕が大切にしてきた仕事の超基本50

僕が大切にしてきた仕事の超基本50

 

 

それに対して、出口氏は「数字やファクトを集めて正確な判断をするには、いくつかの前提条件があります。まず、検討するための時間が無限にあること。それから、部下も大勢いてみんな賢いこと。こうした条件があるならば、膨大なデータを数量化できるかもしれませんが、通常、そのような状況は誰もが手に入れられるわけではありません。だから普通の人間の判断は、データが足りない中でしなければなりません。そのときに必要なのは、『要するに』と抽象化することのできる能力で、これを『直感』と言ってもいいと思いますが、まさしく『論理的な確信』がないと判断することはできません」と述べます。

 

それから、「教養の深さがパターン認識を広げ、判断力を鍛える」として、以下の対話が展開されています。
楠木 教養がある人は、そうしたパターン認識の引き出しが豊かですね。ですから、いくらビジネス環境がめまぐるしく変化していても、多くのパターンから物事を捉えているためジタバタしない。
出口 これはどこかで見た現象と似ているな、と気付けるわけですよね。
楠木 ええ、それこそがリーダーにとっては大切で、優れたリーダーは、新しい出来事に直面しても、「いつかどこかで見た風景」「いつか来た道」として捉えているフシがありますね。俗に言う「ブレない」というのは、こうしたパターン認識の豊かさに依拠しているのだと思います。

 

また、「リーダーは、ベースとなる人間観を持て」として、出口氏は「このようなパターン認識のベースには、その人なりの人間観があるように思います。おそらく、人間観は2種類に分けられて、1つは『人間は愚かでどうしようもない動物だから、それほど賢い判断は不可能だ』とする考え方です。そしてもう1つは『人間はなかなか立派で賢い動物だから、ちゃんと教育して育てればリーダーは育つ』とする考え方。僕は、人間観はこのどちらを取るかに尽きると思っているのです。僕自身は、人間はチョボチョボだと思っていますから、前者の考え方で世の中を見ています。ですから、人間を変えるためには、世の中の仕組みから変えていくしかないと思っています。優れた家来がいて、『王様、こうしたらどうでしょうか』と進言したくらいで人は変わらないと思うのです」と述べます。

 

一方、楠木氏は「その人の教養は究極的には人間観に表れるのでしょうね。近代の代表的な政治思想として、社会主義自由主義保守主義・民主主義があげられますが、1つの分類軸として、誰か特定の設計者がいる思想と、自然に生まれて人間社会に定着した思想とに区別できます。民主主義と社会主義は特定少数の人が考えた思想です。提唱者なり設計者がいる。これに対して、自由主義保守主義は自然の成り行きで定着した思想です。やはり特定の人間が考えたことには脆弱性があると思います。逆に言えば、自然に人間社会が必要として定着したという意味で、バークのいう保守主義は頑健だと思います。僕自身が人間観として大切だと思っていることは、人間は多面的で、一貫性がないものであるということです」と述べます。

 

「本は圧倒的にコストパフォーマンスが高い」として、出口氏は「本を選ぶときにお薦めなのは、まずは表紙の綺麗な本を選ぶことです。表紙がいい本は、出版社も力を入れているはずですから、優れた本が多いのです。そして、表紙で惹かれたら本文の最初の10ページを読んでみてください。書き手の気持ちになってみれば、読んでほしいから本を書いているはずなので、最初の10ページでその本の面白さがある程度はわかるはずです。それだけ読めばその本との相性がだいたい分かるでしょうから、本は人に比べればとても選びやすいのです」と述べています。

 

そして、楠木氏は、読書の最大の効用の1つは「事後性の克服」であるとして、「われわれは周囲からいろいろなことを教わります。それでも、実際に経験してみるまで理解できないことというのが、この世の中にはたくさんある。どれほど聡明な人でも頭だけではなかなか分からないものです。読書は、実際に何かを経験した人がその経験を終えた後に書いているわけですから、それを読むことで疑似的に追体験することができます。こうすることで、本来であれば後になってみなければ体験できないことも、読書を通じて考えられ、ある程度まで事後性を克服することが可能になるのです。ただし、人と会うことと比べて劣っている点もあります。それは、本の場合だと論点が整理されすぎてしまっていることです。“ノイズ”から得られる洞察を得る可能性が低い。しかも、人間相手だと自分の言ったことに反応が返ってくる。それは本にはない価値です。その点には注意が必要です」と述べるのでした。

 

仕事に効く 教養としての「世界史」 (祥伝社文庫)

仕事に効く 教養としての「世界史」 (祥伝社文庫)

  • 作者:出口治明
  • 発売日: 2020/06/12
  • メディア: 文庫
 

 

「歴史」の章は、出口治明氏が担当します。
章扉には、「歴史という生きた教材を通じて人間についての理解を深めることはリーダーの資質を鍛えることに必ずなる」と書かれています。最初に、「人間観を養うため、リーダーこそ歴史を学ぶべきだ」として、出口氏は「なぜリーダーに歴史の教養が必要なのだろうか。リーダーには、あらゆる行動の前提になる『人間観』が必要だからだ、というのが1つの答えになるだろう。歴史を勉強することは、過去の人間たちがどのような条件下でどういった暮らしをし、どのような思考を持っていたかを追体験することを意味するが、そうしていくうちにわれわれ現代人と過去の人々がさほど変わらないのではないかということに気付けるはずだ」と述べています。

 

また、「歴史こそ最大の教材である」として、出口氏は「いってみれば、未来のことがわからない以上、僕たちに残された教材は歴史の中にしかない。そして、人類はこれまでに膨大な数の歴史を蓄積してきたのだから、そうした「パターン」の中から示唆を得ることは多分に可能だろう。歴史は、おそらく、いくら勉強しても決して飽きることがないケーススタディの宝庫である」と述べています。さらに、「人間は古来ちっとも変っていない」として、「歴史といっても、所詮は過去のことだから今の社会には何ももたらさないのではないかという意見を持つ人もいるかもしれない。ところが、もちろんそんなことはない。実は、人間はずっと昔から、全く変化していないとも言えるのだ」と述べます。

 

事実、人間の脳は1万3000年前から変わっていないことが科学的にも証明されているとして、出口氏は「たしかに社会は進歩したし、様々な技術も生まれたが、脳のレベルでいうと、人間自体には何ら進化がないのだ。今ではAIやフィンテックなどについて多くの本が書かれており、これまでの社会とは全く異なるステージにわれわれがいるかのような印象を持ってしまうだろう。ところが、そのように見えるのは、実は、社会という“氷山”の一角を見ているに過ぎず、本当はその氷山の下に多くの変わらないもの、変化に動じないものが堆積しているのだ。多くの物事は、ほとんどが過去の出来事の延長線上にあると、考えていいのである。おそらくここに、古典など昔に書かれたものを読んでも今のわれわれが感動したり心を動かされる本当の理由があるように思う」と述べています。まったく同感です。

 

第二次世界大戦1939-45(上)

第二次世界大戦1939-45(上)

 
第二次世界大戦1939-45(中)

第二次世界大戦1939-45(中)

 
第二次世界大戦1939-45(下)

第二次世界大戦1939-45(下)

 

 

最後に、出口氏は「われわれには歴史という生きた教材しかない。けれど、歴史という長大な教材、有益な教材があるとも言える。そして、歴史を通じて社会や人間についての理解を深めることは、必ずや、次なるリーダーとしての資質を鍛えることに通じるであろう。これだけはまちがいなく断言できる」と述べるのでした。各章の担当者がおススメ本を紹介する選書コーナーでは、出口氏は多くの歴史書を紹介していますが、これまで出口氏の著書ですでに取り上げられていた本も多かったです。本書で初めて知ったアントニー・ビ―ヴァー著『第二次世界大戦1939-45』(上・中・下)が興味深く、早速、アマゾンで注文して購入しました。

f:id:shins2m:20201027151047j:plain7冊合計で4866ページ !

 

続く「経営と教養」の章は楠木氏が担当。章扉には、「情報それ自体には価値がなくなった時代において、教養は、情報や知識よりもはるかに実践的で実用的なものである」と書かれています。選書コーナーでは、「全人類必読の遺産」とまで絶賛する『ヒトラー』上下巻、イアン・カーショー著(白水社)、さらに『スターリン――赤い皇帝と廷臣たち』上下巻、サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著(白水社)を紹介していました。これも、早速、アマゾンで注文して購入。『第二次世界大戦』は3冊で1576ページ、『ヒトラー』は2冊でなんと約1950ページ(!)、『スターリン』も2冊で約1340ページある大冊です。7冊合計で4866ページ(!)ですが、まあ10日もあれば読めるでしょう。リーダーシップのみならず、人間の心の闇を知るためにも読んでみたいと思っています。

 

ヒトラー(上):1889-1936 傲慢

ヒトラー(上):1889-1936 傲慢

 
ヒトラー(下):1936-1945 天罰

ヒトラー(下):1936-1945 天罰

 
スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉

スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉

  • 発売日: 2010/02/01
  • メディア: 単行本
 

 

楠木氏は、「10冊のビジネス書より1冊の教養書」として、「教養とは本来、『その人がその人であるため』の知的基盤を形成するものである。教養は人間の知的能力のもっと根本的なところに関わっている。それは要するに、『自分の言葉で対象をつかみ、自分の言葉で考え、自分の言葉で伝える力』である。教養は、人間の思考や判断といった知的活動の中核となる。スポーツに喩えれば、野球、水泳、卓球、相撲、カーリング、種目が何であろうと、足腰の強さは基礎的な能力として役に立つ。足腰が強いだけでは勝てないが、足腰が強くなければどんなにその種目に固有のテクニックを磨いたとしても限界がある。それと同じである。教養は、何らかの物事を前にしたときに自分が拠って立つ思考の基軸となる。判断に際しても、教養はその人に固有の価値基準を形成する。この意味での知的能力の「核」に影響を与えることができる本こそ、『教養書』と呼ぶに値する」と述べています。素晴らしい「教養」の定義であると思います。

 

また、「もはや情報自体に価値はない」として、楠木氏は「ここで改めて確認しておくべきは、近年、情報の価値が急速に低減しつつあるということだ。かつては情報の獲得コストや流通コストは今よりもはるかに高かった。その時代には、他の人が持っていない情報を持っているだけで、それなりの価値があった。それが今では、円ドルレートはもちろん、ビジネスに関わるありとあらゆる情報が極めて低いコストで行き渡るようになった。つまり、情報それ自体には価値がない時代にわれわれは生きている」と述べます。ところが、「教養を獲得する」という行為が、情報収集の速度を上げたり、情報源を多様化させるといった「量的な問題」にすり替わりがちであるとして、楠木氏は「情報を持つことそれ自体の価値が下がっているにもかかわらず、『量的』な方向に走ってしまう。これは実に皮肉な成り行きだ。知性や教養の本質は、仕事や生活の中で触れるありとあらゆる情報から、いかに自分の考えを形成し、それを自分の言葉で語るかという質的な側面にこそある」と述べるのでした。

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

  • 作者:倉野 憲司
  • 発売日: 1963/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

楠木氏の選書コーナーの最後には、なんと『古事記』が紹介されています。楠木氏は、「若い頃に文庫で読んだきりで、しばらくの間『古事記』を読んだことも忘れてしまっていた。しかし10年ほど前に、自分の人生にインパクトを与えた本は何かという話をしていたとき、大前研一さんがまっさきに『古事記』を挙げたのは意外だった。『日本人なら古事記を読め!』ということなので、真面目に読み返してみた。改めて読んでみると、さすがに古典中の古典だけあって、日本とは何かを深く考えさせる内容である。『ギリシア神話』がヨーロッパ文化の基盤を示す古典だとすれば、日本でそれに該当するものが『古事記』。凡百の日本論よりも、まずは虚心坦懐に本書を読むことを勧める」と述べています。

 

行動経済学の使い方 (岩波新書)

行動経済学の使い方 (岩波新書)

 

 

「経済学」の章は、大阪大学社会学経済研究所教授の大竹文雄氏が担当。章扉には、「人間は常に合理的な行動をする生き物ではない。このことを理解しなければ、ビジネスはできない」と書かれています。最初に、「環境の変化が速い時代にハウツー本は通用しない」として、大竹氏は「当然のことではあるが、リーダーは組織を運営する大きな役割を担っている。環境変化が著しい時代において、組織が作られたときには合理的だった仕組みや制度も、いつの間にか合理性を失っているかもしれない。環境にうまく適合しなくなっているかもしれない。そのときに時代との齟齬に気付き、改革を訴え、推進していくのは次の時代を担うリーダーの役割だ。改革にはそれまでの運営とは異なった視点が求められる。例えばトップに立つ者は、ある分野に特化して専門知識を深めるのではなく、様々な分野に対して横串を通して見る必要がある」と述べています。

 

経済学のセンスを磨く 日経プレミアシリーズ

経済学のセンスを磨く 日経プレミアシリーズ

  • 作者:大竹 文雄
  • 発売日: 2015/05/09
  • メディア: 新書
 

 

経営企画と人事制度など、事業部ごとに損得を分けるだけではなく、企業のビジョンを通じて組織全体の利益を生み出すような俯瞰する視点が求められると指摘し、大竹氏は「時間さえかければ、熟考を重ねて新しい最適なシステムへ組織改革ができると思いがちだ。しかし実際にはそううまくはいかない。他人は思う通りに動かず、現実を取り巻く環境の変化は速く、情報が不完全なもとで判断を下さなければならない。リーダー自身が適切な視点と戦略を持たなければ、誤った判断を下す可能性がある。煩雑を極める組織の運営、改革に、生半可なハウツー本は通用しない。原理原則から学び、様々な現実の事象に応用できる経済学だからこそ、これからのリーダーは明日につながるヒントを手に入れられるのではないだろうか」と述べます。

 

 

また、「人間の不合理さが分からなければビジネスはできない」として、大竹氏は「リーダーの使命とは、組織を運営するだけではなく、社会自体を方向づける使命を担うこととなるだろう。企業の既得権を勝ち得るというよりは、日本の市場を活性化させることも期待される。そのためには個人の主義主張を熱く語るのではなく、個人の想いと合致する組織の理念やビジョンをクールな目線で合理的に捉え、判断し、代弁することが求められる。人々の判断を鈍らせる材料は、あらゆるところに内在している」と述べています。

 

40歳が社長になる日(NewsPicks Book)

40歳が社長になる日(NewsPicks Book)

  • 作者:岡島 悦子
  • 発売日: 2017/07/29
  • メディア: 単行本
 

 

「リーダーシップ」の章は、三菱商事ハーバード大学MBA(経営学修士)、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、現在は経営者育成を手がけるプロノバ代表である岡島悦子氏が担当。章扉には、「リーダーシップに必要な『人間理解』を古典からは、多く得られるが、現実の状況に落とし込んでいく姿勢も忘れてはならない」と書かれています。岡島氏いわく、リーダーシップの学び方には3種類あります。(1)古典的ビジネス書(2)同時代のビジネス書(3)経験です。結論的に言えば、リーダーシップを学ぶ上で自らの経験以上の「教材」はありませんが、書籍だからこそ学べることもあるとのこと。

 

 

では、どのような書籍から学べるかというと、岡島氏は『イノベーションのジレンマ』で知られるクレイトン・M・クリステンセンの最終講義録である『イノベーション・オブ・ライフ』を取り上げ、「この講義で彼は、『あなたは、死ぬときに天国の門で何と言われたいか』と聴衆に問いかける。あなたはキャッシュを誰よりも持っているから天国に行かせてもらえると思うだろうか、あるいは資産をたくさん持っているから天国に入れると言うだろうか、と。それについて、ぜひ一度思いをめぐらしてみてほしいと訴えかける。要するに、自分を突き動かす原理的なもの、すなわち『モノサシ』が何であるかを突き詰めよということだ。経営は単に私利私欲のためにあるのではないし、組織は常に何らかのミッションのために存在している。『ビジョナリー・カンパニー』の議論を彷彿とさせるが、リーダーがいかなる『指針』を持っているかが、その組織の今後を大きく左右するのだ」と述べるのでした。

 

 

「日本近現代史」の章は、大宅壮一ノンフィクション賞作家で元東京都知事猪瀬直樹氏が担当。章扉には、「リーダーを目指す人間にとって、読書は不可欠だ。読書には時間もコストもかけない人間は、絶対に出世しないと言い切れる」と書かれています。最初に猪瀬氏は、「リーダーを目指す人間にとって、読書は不可欠だ。人間は、30歳までにどれだけの本を読んだかによって、その後の情報収集力が決まる。思想や世界観が固まっていない20代までが勝負だ。それまでに読んだ本は、必ず“知識のインデックス”となって、自分の中に蓄積されることになる。このインデックスが多ければ多いほど、情報も集めやすくなるし、情報とクズとの見分けもつくようになる。グーグルなどの検索エンジンがいくら発達したとしても、自分の“外”でなく、自分の“内”に情報インデックスがあることが大切なのだ。読書に時間もコストもかけない人間は、絶対に出世しないと言い切れる」と述べます。

 

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

 

 

また、猪瀬氏は「自分が生きている社会が歴史の中でどういう位置づけにあるのか、そして現状の社会システムの全体像を捉えて自分がどこにいるかを知る。そうした知的作業を行うには、長い歴史の風雪に耐えてきた古典や、歴史の本を読むのがいい。そうした本は、一般的なビジネス書に比べると、消化しにくいものも多いかもしれない。そのためには多少の筋トレも必要になる。肉体と同じで筋力をつける時期は20代、知性の『筋肉』も時期を遡っては身につかない」と述べます。さすがは、実績のある作家だけに鋭いことを言いますね。

 

 「自分のアイデンティティを知るためには、3代以上遡らなくてはならない」として、猪瀬氏は「読書の中でも、とくに歴史を学ぶことを薦めるのはなぜか。それは、歴史を知ることは、われわれがなぜ現在ここに立っているのかを知ることにつながり、さらに自分自身を知ることにつながるからだ」と述べ、もう1つ歴史を学ぶ効用としては、「家長」の意識を持てるということがあると指摘します。「家長」とは、当事者であり、リーダーであり、「責任をとる人間」ということです。猪瀬氏いわく、「次男、三男は、太宰治みたいに生きていてもいいが、家長たる長男は稼がないといけない。批判するだけであれば楽だが、家長は批判するだけではすまない。ビジネスにおいても、家長である経営者は、自分で提案し、実行し、利益を生み出さないといけない」と言うのです。

 

しかし、今の日本は、政治も経済もメディアも文学も、家長の流れが途切れてしまっているという猪瀬氏は、「例えば、日本の文学の歴史には、大まかに、夏目漱石森鴎外の系譜が存在するが、太宰治を含む夏目漱石の系譜だけが日本文学の歴史になってしまっている。つまり、放蕩息子の側に文学が行ってしまっているのだ。それに対して、森鴎外は当事者の側で必死に悩みながら小説を書いた」と述べます。鴎外は国家というのは「形式」が間違ってはいけないという強い家長意識を持って、昭和の生みの親となったのだとして、猪瀬氏は「つまり、人間には『統治する側』と『統治される側』があるが、日本文学の系譜において森鴎外側が途切れてしまった。夏目漱石自体は偉いが、漱石の系譜はだんだんと私小説のほうに流れてしまい、結局、太宰治になってしまった。昭和の戦争に至る過程においても、『これでいいのか、アメリカと戦争なんてしたら破産するじゃないか』という発想の文学はなかった。そうして、小説は官僚機構や国家には何の影響力も持たないものになってしまった。では、家長の意識はどうやったら芽生えるのかというと、やっぱり歴史だ。歴史を学ぶことを通して、家長の意識が高まってくる」と述べています。

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 
鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

 

選書コーナーで、猪瀬氏は、三島由紀夫の『金閣寺』『鏡子の家』を紹介し、「日本人は日本人の文体で日本人の日常性の中にあるものから言葉を編んでいくが、三島の場合はそれを外国語に翻訳したときにどういう状態になっているかということから逆に日本語をつくっていく。それはヨーロッパ近代が世界の基準だからだ。それゆえに、三島の作品は未だに西洋で翻訳として読まれている。三島由紀夫はほかの日本の文学者とはレベルが違う。戦後日本に天才がいたとすれば、三島だと思う。彼が天才たる所以は、ヨーロッパ人の文学の文脈を全部心得た上で、それを日本の文学として表現しようとしたところだ。日本文学を世界文学として書かないといけないという意識が強かった。三島は常に『日本とは何か』を考えながら書いていたのだ」と述べるのでした。

 

 

「進化生物学」の章は、総合研究大学院大学副学長の長谷川眞理子氏が担当。章扉には、「生物学的に『自然な』制度設計を学ぶことで社会を変える制度や商品の開発に応用できる」と書かれています。選書コーナーでは、長谷川氏は、ジャレド・ダイアモンドの『昨日までの世界』(上・下)を紹介し、「人類の歴史600万年の中で、文字を使う文明が生まれたのはわずか5400年前のこと。『現代』として切り取られる時代は、長い人類史の中ではほんの一瞬に過ぎず、はるか昔と捉えられがちな伝統的社会はいわば『昨日までの世界』である。その『昨日までの世界』に生きた人類が、どのような生活の営みをし、社会の問題を解決してきたのかを解き明かすのが本書だ。子どもを作りすぎたときに、口減らしのために殺すことも珍しくなかった社会が、それをやめたきっかけはなんだったのか。群れで歩くことについていけなくなった高齢者をどう扱っていたのか。仕事や結婚、高齢者介護、育児など、現代にも通じる人生の課題にスポットをあて、原初の人類がたどった経験から現代社会の問題解決のヒントを導き出すという手法は見事であり、非常に読み応えがある」と述べています。

 

 

コンピュータサイエンス」の章は、NTT研究所、マイクロソフト本社を経て、現在はソフトウェア会社のUIEvolution代表の中島聡氏が担当。章扉には、「プログラミングの基礎を学び、勘所を摑むだけでもエンジニアとの仕事が一気にやりやすくなる。文系ビジネスパーソンこそプログラミングを学ぶべきだ」と書かれています。しかし、「プログラミング知識だけではiPhoneは作れない」として、中島氏は「iPhoneが革命的な製品になったのは、プロダクトに携わる人々が『なぜこれを作るのか』を常に問い、個人個人の夢をすり合わせていったからだ。もちろんその中心にはスティーブ・ジョブズの強烈なリーダーシップがあったが、もし開発者の中に『仕様書で書かれていたから作る』という態度の人が多数いたら、あそこまで革新的な製品はできただろうか。そうした『哲学』を身につけるのに、紙の書籍は効果を発揮する。ここで読むべきは、コンピュータに関する技術書ではない。経営者や経済学者の知恵の結晶である、良質なビジネス書を読むべきだ」と述べています。

 

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
 

 

選書コーナーでは、中島氏は、ピーター・ドラッカーの『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』を紹介し、「ドラッカーが本書の中で発した『知的労働者はボランティアのように扱わなければならない』という言葉は、まさに至言だと思う。本書の中でドラッカーは、知的労働者が働く理由の推移について考察している。近年になり、知的労働者を惹きつけ、とどまってもらうことが企業の重要な経営課題となっており、アメリカでは数十年にわたり、高額なボーナスやストックオプションを使って人材を引き止める手段が取られてきた。しかし現在では、トップのビジョン、与えられた責任、学習機会といった金銭的報酬以外の面で、知的労働者は組織を選ぶとドラッカーは喝破する。これはまさに昨今のソフトウェアエンジニアの世界を表現した言葉だ。どの企業もエンジニア不足に悩み、エンジニアは『引く手数多』の状態。その中で彼らを惹きつけるものは何か。それはトップのビジョンに他ならない」と述べています。

 

スティーブ・ジョブズ I
 
スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

 

 

また、中島氏はブログ『スティーブ・ジョブズ』で紹介したウォルター・アイザックの著書を取り上げ、「私はエンジニア、そして経営者として、ジョブズには改めて尊敬の念を覚える。彼はビジョンに突き動かされてプロダクトを開発し、周囲との摩擦を全く恐れず、偏執狂のごとく製品を磨き抜くことに固執した。その性格が災いして、レストランで出された野菜ジュースを何度も作り直させるなど突飛なエピソードも残っているが、それでも彼の執念がなければMacもiPhoneも生まれなかっただろう。残念ながらジョブズ亡き後のアップル製品は、いくぶん「執念」の要素が薄まったように感じる。彼の思いは同社のカルチャーとして残っているが、もしジョブズが存命なら、アップルウォッチは、あの大きさ、暑さでリリースされただろうか。『あと数ミリ薄くする代わりに、製品のリリースが1年遅延する』といったシビアな状況があったとしても、ジョブズは躊躇なく断行したような気がしてならない」と述べています。

 

 

「医学」の章は、医療法人社団同友会産業医産業医の大室正志氏が担当。章扉には、「組織を率いるリーダーや経営者にとって、動物としての‟ヒト”のメカニズムを理解しておくことは、きわめて重要だ」と書かれています。選書コーナーでは、大室氏はブログ『死すべき定め』で紹介したアトゥール・ガワンデの著書を取り上げ、「この本は、現代人が持つべき医学への姿勢を示した新しいスタンダードになるだろう。かつて、キューブラー・ロスは 『死ぬ瞬間』の中で、人間が死を受け容れるまでの段階を述べていたが、『死すべき定め』はそのプロセスがもっと複雑であることを示す。死ぬ瞬間にはいろいろなパターンがあり、人によって揺らぎがあるのだ、と」と述べています。

 

 

もともとアメリカでは、看取り専用の施設が早くから発達していましたが、死に直面した際の人間の「孤独」や「絶望」といった点については十分に対応してこなかったと指摘し、大室氏は「例えば、糖尿病患者が『どうしても食べたい』と言って甘いものなどを食べてしまうと、すぐにそれは看護の怠慢と受け取られてしまう。しかし、その行為を『自由の象徴』として解釈することも、本来であれば可能だ。そうした受け取り方においてはやはり看護側の判断が多分に影響するわけだが、その点をこの本は追究している。要するに、医学の営みには定量と定性の間の葛藤が多分にあり、単に科学的にのみ決められるわけではないのだ。公衆衛生的に図式に当てはめ解決するのでもなく、文学的にロマンチックに死を美化するのでもない方向で、死を目前にした患者の『生』を論じている。秀逸な本だ」と述べます。

 

いま世界の哲学者が考えていること

いま世界の哲学者が考えていること

 

 

「哲学」の章は、玉川大学文学部人間学科教授の岡本裕一朗氏が担当。章扉には、「今は、技術的、学術的に大きな転換点にあり、一度まっさらな状態になって考え方そのものを問い直す必要がある。そして、それこそが、哲学の使命だ」と書かれています。岡本氏いわく、哲学とは「人間の考え方」を問い直すものであり、「本当の知識」を探し続けることで真理や物事の本質に近づこうとする学問です。岡本氏は、「ビジネス書やハウツー本にあるような、明日のビジネスや生き方の即戦力になるものではないが、新しい時代を担うリーダーたちは学ぶ必要がある。なぜなら哲学こそ、ビジネスや社会生活の本質を捉え、考え改めていく足掛かりになりうるからだ。そもそも、なぜこれまで通用していた考えを改めなければいけないのか。それは、現代が世界的な流れの中で大きな転換点に立っているからだ」と述べています。

 

 

「社会が変化していく中でも変わらない、下敷きとなる共通性を見極める」として、岡本氏は「私たちは、無意識のうちに現代的価値観が根付いており、そのフィルターを通して現実を見ている。哲学的教養を身体に染み込ませれば、そのフィルターを意識的に取り外す方法を習得できるだろう。読者であるリーダーたちは組織の運営を担うだけの存在ではない。教養から得たものを発展させ、新たなフィルターを発見し人々に伝えることができる存在でもある。哲学をヒントに、課題を模索する方法、解決方法、そして隠れた時代の変化の兆しをぜひ見つけてほしい」と述べます。

 

 

「宗教」の章は、東京工業大学教授でリベラルアーツ研究教育院長の上田紀行氏が担当。章扉には、「宗教者の持つ大きさや言葉や生き方にも触れていないと、四半期の業績を引き上げるぐらいの短期的な成功で終わってしまうはずだ」と書かれています。最初に、「宗教的リテラシーがないことは、『言葉がしゃべれない』ことと等しい」として、上田氏は「リーダーにとって宗教の教養が求められるのには『外的な意味』と『内的な意味』がある」と指摘しています。

 

ダライ・ラマとの対話 (講談社文庫)

ダライ・ラマとの対話 (講談社文庫)

  • 作者:上田 紀行
  • 発売日: 2010/05/14
  • メディア: 文庫
 

 

まず「外的な意味」としては、今の世界の中で、「宗教がどれだけ大きな役割を果たしているか」「どれだけ多くの人を支えているか」「どれだけ紛争の種になっているか」を考えれば、宗教的なリテラシーの重要性がわかるとして、上田氏は「宗教的なリテラシーがないということは、ある種、『言葉がしゃべれない』『世界の国境がどこにあるのかわからない』ということに等しい。元素の周期表すらわからないまま物理学を学ぶようなものだ。だからこそ、世界の力学を知るときに宗教は絶対に必要になる。多くの人たちは、世界は計測可能なお金や政治の票などで構成されていて、宗教は残余のもの、目に見えないものであると感じているかもしれないが、実は宗教というのは世界を支配している大きな力なのだ」と述べています。

 

立て直す力 (中公新書ラクレ (666))

立て直す力 (中公新書ラクレ (666))

  • 作者:上田 紀行
  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: 新書
 

 

「リーダーには自分の内にマグマを溜め込んでいるかが問われる」として、もう1つの「内的な意味」が説明されます。それは、リーダーとして、自分が何を支えにして、何を原動力にして生きていくかということだと指摘し、上田氏は「内的に自分を動かすものが何かを突き詰めた人間しか、基本的にリーダーにはなれない。その部分において、日本のリーダーは弱いところがある。周りの空気を読みながら、他人が決めた指標の中でいかに評価されるかを考える、他動的、他律的なリーダーが結構多い。人間としての信念を欠いていて、弱さを感じさせる人が少なくない。ある意味、調整型のリーダーとして才能があると言えなくもないが、自分をドライブしている根本的なものへの訴求のない人は、どこか浅くて頼りない人に見えてしまう」と述べます。

 

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)

  • 作者:上田 紀行
  • 発売日: 2005/01/20
  • メディア: 新書
 

 

さらに上田氏は、「松下幸之助本田宗一郎といったリーダーは、ある意味の宗教性を感じさせる。松下幸之助水道哲学で有名だし、本田宗一郎も技術に対する確固とした信念を持っていた。自分を支えるものが、自分の中から湧いているし、それが世界の深いところへとつながっている。自分の自己実現が世界の幸福であるとか、何かしらの大きな世界の基層みたいなものとつながっているリーダーでないと、周りの人間が動かない。単に人の上に立つのがリーダーなのではなく、リーダーは活火山のようなものであり、その下側にどれだけ深いマグマがあるか、ある種の深みがあるかをリーダーは問われるのだ」とも述べています。

 

覚醒のネットワーク (河出文庫)

覚醒のネットワーク (河出文庫)

 

 

そのエネルギーの源泉は何かというと、世界の多くの人たちは宗教から得ているケースが多いと、上田氏は指摘します。そして、「宗教とあまり関係がないと思っている日本人でも、自分の宗教性に触れ合っていくことが、リーダーとしてその人が立つときに必須だと思う。みなが京セラの稲盛和夫氏のように宗教心を前面に出す必要はないが、宗教心を突き詰めていくことが大きなきっかけになるはずだ。自分の深いところに到達するためのアートや技術として、宗教が果たす役割はとても大きい」と述べるのでした。

 

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

 

 

選書コーナーでは、上田氏はブログ『宗教の理論』で紹介したジョルジュ・バタイユの著書を取り上げ、「人間は、聖と俗の両方を持っており、俗なる世間でこつこつ貯めたお金を一気に消費したりするときや、社会的なタブーを破ったときに、ものすごい快感と高揚感を得られる。エクスタシーがないと宗教ではないし、タブーは破るときの快楽のためにあるというのが彼の立場だ。例えば、お祭りで神輿をかついだり、後先考えずに酒を飲んだりすると、ものすごい快感が吹き上がる。そうしたハレの空間や体験がないと、人間は生きている実感が得られずに枯れてしまう。リーダーになる人は、やたらと部下をノルマで締め上げたりしてはいけない。リーダーは、他のメンバーに対して、生きていて楽しいというエクスタシーや自己肯定感を与えないといけないのだ。もちろん自分自身にも!」と述べています。

 

日本3.0 2020年の人生戦略 (幻冬舎単行本)

日本3.0 2020年の人生戦略 (幻冬舎単行本)

 

 

おわりに「『日本3・0』の時代を生き抜くために」では、先に紹介した佐々木氏が「この『リーダーの教養書』は、NewsPicks(ニューズピックス)と幻冬舎のコラボで始めた「NewsPicks Book」シリーズの処女作となる。本シリーズの1つのポリシーは、普遍と最先端を両立させることだ。とくに両者の融合は、ビジネスの世界において大事になる。なぜなら、ビジネスの世界にいると、『新しいもの病』にかかってしまうからだ」と説明します。

 

 

また、「『頭の中のOS』を切り替えよ」として、佐々木氏は「本を本だけで楽しむのもいいが、本を基点として、より多くの人とつながったり、知の化学反応が起きたりすればさらに面白くなる。本を切り口としながらも、本だけで終わらずに、実際にリアルの場で学び、語り合うことによって、本がより進化していく。今後の本とは、教科書、バイブルとして、人をつなぐ媒介になるのだ。本を基点として、対話や出会いが生まれ、本に書かれていた以上のアイディアや考えが生まれてくる」と述べます。

 

米国製エリートは本当にすごいのか?

米国製エリートは本当にすごいのか?

 

 

そして、佐々木氏は「『頭の中のOS』を形づくるのが教養である。だからこそ、具体的なスキル(アプリ)をダウンロードするより前に、まずOSである教養を積み重ねないといけないのだ。しかし日本では、18歳まで受験まっしぐらで勉強した後、『頭の中のOS』を切り替えるための時間や場がない。そのため、18歳のままのOSで一生過ごすことを余儀なくされている。 今後のイメージとしては、10年に1回、長くとも20年に1回は、OSを切り替えることが必須になるだろう」と述べるのでした。わたしも日頃から「教養」について考え続けており、自分なりの見解も持ってはいますが、本書に示された各界の第一人者の人々による「教養」論には大いに刺激を受け、学ばせていただきました。最後に、リーダーにとって「教養」が必要であることは言うまでもありません!

 

 

2020年11月16日 一条真也

『人生の一冊の絵本』

人生の1冊の絵本 (岩波新書)

一条真也です。
14日の夜、金沢から小倉に戻りました。
それはそうと、季節は秋。そう、読書の秋ですね!
『人生の1冊の絵本』柳田邦男著(岩波新書)を読みました。著者は、1936年栃木県生まれ。ノンフィクション作家。現代における「生と死」「いのちと言葉」「こころの再生」をテーマに、災害、事故、病気、戦争などについての執筆を続けています。最近は、絵本の深い可能性に注目して、「絵本は人生に3度」「大人の気づき、子どものこころの発達」をキャッチ・フレーズにして、全国各地で絵本の普及活動に力を注いでいます。 

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本書の帯

 

本書の帯には、「その絵本と出会い、何かが変わっていく・・・・・・150冊の絵本が登場」と書かれています。また、帯の裏には、「絵本は文章の理解力がまだ発達していない幼い子どものために絵でコトバを補っている本だと思いこんでいる人が多い。だが、違う。絵本は、子どもが読んで理解できるだけでなく、大人が自らの人生経験やこころにかかえている問題を重ねてじっくりと読むと、小説などとは違う独特の深い味わいがあることがわかってくる。(本書「あとがき」より)」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「絵本と出会い、何かが変わっていくかもしれない・・・・・・。こころが何かを求めているとき、悲しみのなかにいるとき、絵本を開いてみたい。幼き日の感性の甦りが、こころのもち方の転換が、いのちの物語が、人を見つめる木々の記憶が、そして祈りの静寂が、そこにはある。150冊ほどの絵本を解説しながら、その魅力を綴る」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
1 こころの転機
2 こころのかたち
3 子どもの感性
4 無垢な時間
5 笑いも悲しみもあって
6 木は見ている
7 星よ月よ
8 祈りの灯
「あとがき」
「登場する絵本索引」

 

1「こころの転機」の「ゆびがなくても、おかあさんになれるんだ」の冒頭を、著者は「夜、静かなまちのなかをクルマを走らせていると、ふと思うことがある。家々は静まり返っている。どの家も屋根の下では、家族が何の問題もなく平穏に暮らしているように感じられるけれど、必ずしもそうではないだろうな。むしろ屋根の下では、誰かががんを患っていたり、認知症の親のケアに追われていたり、障害児の養育が大変だったりなど、何らかの問題をかかえている家が少なくないだろう。そんな思いが、頭の片隅を過るのだ」と書きだしています。

 

さっちゃんのまほうのて (日本の絵本)

さっちゃんのまほうのて (日本の絵本)

 

 

続けて、著者は「そんなことを思うのは、病気や障害や事件の取材に長年取り組んできて、様々な家族の内実をとらえてきたからだろう。だが、家庭内にそうした問題をかかえているからといって、その家族は不幸なのかというと、必ずしもそうではない。直面する問題としっかりと向き合い、たとえ病気や障害などの現実は変えられなくても、現実を真正面から受け止め、新しい生き方や人生観や価値観を見出して、こころの成熟した日々を過ごしている家族が少なくない」と述べます。そして、著者は『さっちゃんのまほうのて』たばたせいいち、先天性四肢障害児父母の会、のべあきこ、しざわさよこ共同制作(偕成社)を紹介するのでした。

 

きょうは、おおかみ

きょうは、おおかみ

 

 

また、「少女のこころの危機と絵の力」では、『きょうは、おおかみ』キョウ・マクレア(文)、イザベル・アーセノー(絵)、小島明子(訳)(きじとら出版)を紹介し、「小児精神医学の専門家によれば、女の子は少女期にどちらに転ぶかわからないような危ない精神状態になっていることが多いという。親はそのことに気づかずに、子どもを追いこんでしまいがちだ。だが多くは、親あるいは親代わりの人のまるごと受け入れて抱きしめてくれる愛や、きょうだいの支えなどによって、人格形成にゆがみを残さないで済んでしまう。この絵本は、そんなことを描いた作品と見ることができる」と解説します。さらには、「特にこころを病む場合がそうなのだが、精神世界におけるコミュニケーションにおいては、言葉が力を失っても、絵という表現手段の力は極めて大きいということだ。その意味でも、この絵本は多様な問題提起をしている作品だ」と述べるのでした。

 

ひみつのビクビク (世界の絵本)

ひみつのビクビク (世界の絵本)

 

 

 「もうひとつのこころの動きが」では、著者は「人は誰でも、こころのなかに他者に知られたくない“ひみつ”を持っている。“ひみつ”と言うと、ちょっと大袈裟に響くかもしれない。たとえば、私が10歳のころだったか、いたずらごころで大きなアンズの木の枝に群がる小鳥たちに小石を投げたら、一羽に命中してしまった。小鳥は羽をバタつかせながら墜落し、すぐ横の田植えが済んだばかりの水田にじゃぼんと落ちてしまった。田んぼは水が張ってあるので、なかに入って助けてやることはできない。私はかわいそうなことをしてしまったと胸が痛んだが、そんなことをした自分が恥ずかしくて、家族にも友達にも話せなかった。今にして思えば、そのことをこころのなかに“ひみつ”としてしまいこんだのだ」と述べます。それから、主人公の少女「わたし」のこころの‟ひみつ”をテーマにした、こころの成長の物語である絵本『ひみつのビクビク』フランチェスカ・サンナ(作)、なかがわちひろ(訳)(廣済堂あかつき)を紹介します。

 

はこちゃん (講談社の創作絵本)

はこちゃん (講談社の創作絵本)

 

 

「自己否定が自己肯定に変わる瞬間」では、著者は「子どもたちの間では、名前の印象とか、言葉の訛りとか、洋服のちょっとした模様とか、些細なことがきっかけで、意地悪をしたり、いじめたりするトラブルが生じやすい。落ちこんだ子は、それがきっかけで、孤独になったり、引きこもったりしがちだ。そんなときに、親や教師や別の友達が、沈んだ表情の子の通常でない様子を察知して、その子が悲しみやつらさ、くやしさなどの感情を吐き出させるように、全身で包んであげるような対応の仕方が大事になってくる」と述べ、『ハコちゃん』かんのゆうこ(文)、江頭路子(絵)(講談社)を紹介します。

 

がらくた学級の奇跡 (わくわく世界の絵本)
 
みんなから みえない ブライアン

みんなから みえない ブライアン

 

 

「障害のある子どもの限りない創造力」では、著者は「偏見と差別の問題は、人類の歴史とともに古くからあると言ってよい。人種差別、障害に対する差別、ハンセン病などの患者に対する差別などは代表的なものだ。そういうなかにあって、近現代になると、欧米などで、障害者や特定の病気の患者に対する偏見と差別をなくそうとする人々が現れ、教育界も少しずつ変わってきた。こうした変化とともに、絵本のジャンルでも、障害のある子どもや重い病気の子どもたちに対する理解を深めようというねらいで作られた絵本が、まだ少ないながら刊行されるようになってきた」と述べ、『がらくた学級の奇跡』パトリシア・ポラッコ(作)、入江真佐子(訳)(小峰書店)、『みんなからみえないブライアン』トルーディ・ラドウィック(作)、パトリス・バートン(絵)、さくまゆみこ(訳)(くもん出版)を紹介します。



「何をすることが、いちばんだいじか」では、著者は「“災害ユートピア”という言葉がある。1995年の阪神・淡路大震災のときも、2011年の東日本大震災のときも、家を失った何十万人という被災者たちが大きな公共スポーツセンターや学校の体育館などで長期にわたる避難生活を余儀なくされた。一家族あたりのスペースは狭く、プライバシーなどないかたちで寝起きする日々を過ごす。食事も粗末なものだ。そんななかで、家族以外の避難者たちと食べ物を分け合ったり、ほかの家族の高齢者や幼い子どもを世話してあげたりなど、支え合う日常が生まれる。見ず知らずの人々が職業や社会的地位や財産の有無に関係なく、同じ人間同士として連帯感を持って一日一日を乗り越えていく。そういう非日常のなかで生まれた共同体を、いつ誰が名づけたのか、“災害ユートピア”と呼ぶようになった」と述べています。



しかし、“災害ユートピア”は、長続きするものではありません。著者は、「いずれ貯えのある人、仕事や収入基盤のある人は、避難所から出ていって新しい生活に入る。どこかに移住先を見つける人もいる。遺された人々は、やがて仮設住宅などに移る。“災害ユートピア”は消えていくのだ。しかし、“災害ユートピア”で体験した支え合いや人とのつながり、あるいは困っている他者への思いやりといったものは、多くの人々のこころに刻まれ、その後の人生観に影響を与えることが少なくない」と述べます。

 

3つのなぞ

3つのなぞ

 

 

続けて、著者は「つまり、本当のユートピアはつくれなくても、そういうこころの持ち方こそ、人間が人間らしく生きるうえで、日常的にも非日常的な状況下でも、ささやかながらいちばん大きな支えとなるものであろう。しかも自然体で実行できるものだ。自分は人間としていかに生きるべきかという問題を頭のなかだけで考えていると、答えを見出せずに迷路に入ってしまいがちだが、なんらかの社会的な活動をして動いていると、案外答えは身近なところにあることに気づかされるものだ。“災害ユートピア”が教えてくれたものは、そういうことなのだと思う」と述べ、『3つのなぞ』ジョン・J・ミュース(作)、三木卓(訳)(フレーベル館)を紹介するのでした。

 

いのる

いのる

  • 作者:長倉 洋海
  • 発売日: 2016/09/17
  • メディア: 単行本
 

 

2「こころのかたち」の「人はなぜ学び、なぜ働き、なぜ祈るのか」では、著者は『いのる』長倉洋海(写真・文)(アリス館)を取り上げ、「世界各地における多様な祈りの情景と人間の表情が、頁をめくるごとに紹介されていくが、この写真絵本のなかほどのところで、長倉さんがたどり着いた死生観が、綴られている。
〈ぼくが小学生のとき、おばあちゃんが死んだ。焼いた煙が高い空にのぼっていくのを見たとき、すべてが無になってしまったような気がして、悲しかった。でも、さまざまな死に出会う中で、やっと気づいた。ただ死を恐れるのではなく、生きている、この時間、この瞬間を、もっともっとしんけんに生きることが大切なんだ、と〉

f:id:shins2m:20201030122048j:plain長倉洋海氏の著書たち

著者は、「ドキュメンタリーの気配を漂わせるこの写真絵本の終わり近くで、長倉さんはこう記す。
〈いのることで、昔の人たち、宇宙、未来とも つながることができる。 そうすることで、わたしたちは「永遠」というものに 近づくことができるのかもしれない〉
長倉さんの結びの言葉は――。
〈今日も世界各地で、いのりは続いている。 そして、これからも続いていく。人が生きているかぎり。 希望を捨てないかぎり。 人が人と生きていくかぎり〉
この写真絵本『いのる』は、私の終生の伴侶というべき大切な本たちの1冊になるだろう」との書いています。『いのる』の他にも、長倉氏は『働く』『まなぶ』『つなぐ』『さがす』といったシリーズ続編を世に問うています。これらに強く心惹かれたわたしは、早速、アマゾンですべてを注文し、一気にすべてを読みました。躍動する子どもたち、真摯な子どもたちの姿に感動しました。これから何度も読み返したいと思います。

 

 

「ファンタジーはグリーフワークの神髄」では、著者は「絵本の物語に、おばあちゃんやおじいちゃんがお母さんやお父さんに負けないくらい登場し、タイトルにも書きこまれるのは、なぜだろうか。答えは簡単だ。おばあちゃん、おじいちゃんは、育児に親ほど責任を負うわけではないし、時間的にもゆとりがあるので、遊び相手や散歩の相手になって、楽しい時間を過ごしていればいい。孫はかわいいねえと言って、楽しんでいればいい。子どもにしてみれば、おばあちゃんもおじいちゃんも『大好き』ということになる」と述べ、『おじいちゃんの ゆめの しま』ベンジー・デイヴィス(作)、小川仁央(訳)(評論社)を紹介しています。また、「子どもが旅立ったおじいちゃんの“向こうの世界”にまで行って、どのような日常なのかを見届け、励ましの言葉をもらって帰ることで、大好きな人はこころのなかでいつも一緒なのだという安心感を得ている。子どもならではの想像力の豊かさを、グリーフワークに生かしていると言えるだろう」と述べています。

f:id:shins2m:20200715153103j:plain死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

続けて、著者は「しかし、よく考えてみれば、大人でもそうした想像力を活性化することで、魂レベルでの《あの人は今も私のこころのなかで生きている》という思いを強く抱けるようになるのではなかろうか。そうした想像力を持つことは、精神的いのちの永遠性への気づきをもたらすものであって、グリーフワークの神髄と言えよう。最近は、ファンタジーの物語によって、そうした課題に応える絵本が創作される時代になっているのだ」と述べていますが、まったく同感です。拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)でも、ファンタジーの本をたくさん紹介しましたし、わが社のグリーフケア・サロンにはいつも多くの絵本が常備されています。

 

みんなうまれる

みんなうまれる

 

 

「ファンタジーの世界で遊ぼうよ」では、著者は『みんなうまれる』きくちちき(作)(アリス館)を紹介し、「きくちちきさんの『みんなうまれる』は、太陽の光によって、草木が芽を出し、虫たちも生まれ、いろいろな色も生まれ、そしてぼくも赤ちゃんとして生まれるという、新しい生命の誕生の数々を、自作の簡潔な詩のような短文でつないでいくという内容になっている。絵は水彩の爽やかな色づかいによって、モダンアート風だがそれほど突っ張らないで、形より色のイメージを前面に出す感じで描いていて、なかなかにユニークな絵本にしている。言葉と色のカノンと言おうか。いろいろな生命の誕生の姿を、読み手の1人ひとりが想像力を発揮して思い描くのをうながすような絵本だ。ゆっくりと頁をめくり、最後の頁を閉じると、何だかほわんとした温もりのなかにいる気分になるだろう。忙しいときこそファンタジーの世界で遊ぼう!」と述べています。

 

 

「50歳からの6歳児感性の再生法」では、『さびしがりやのクニット』トーベ・ヤンソン(作)、渡部翠(訳)(講談社)、『プー あそびをはつめいする』A・A・ミルン(文)、E・H・シェパード(絵)、石井桃子(訳)(岩波書店)を紹介し、ムーミン童話やプーさん童話は、子どもと大人の領域を超えた世界児童文学の傑作として、これから100年後も200年後も読み継がれていくだろうとして、著者は「優れた児童文学の数々を読んでいつも感心するのは、6歳児くらいまでの幼いこころの動きを、みごとと言えるほど鋭くとらえている点だ。それはとりもなおさず作家が6歳児くらいまでの感性をそのまま失わずに持ち続けていることを示している」と述べています。鋭い指摘であると思います。

 

プーあそびをはつめいする (クマのプーさんえほん (12))
 

 

では、6歳児くらいまでの感性とは、どういうものなのか。それは、小学校に入って受ける教育のなかで身につけていく知識や理屈などが前頭葉で支配的になる前のこころの動きであるとして、著者は「たとえば、未知のものへの好奇心、何かを自分でやろうとするひたむきなこころ、自分が生きるのを守ってくれる人に対する真っすぐな信頼感、言葉に対する敏感な反応などだ。ヤンソンにしてもシェパードにしても、そういう幼児期の子どもの心理を、物語のなかの会話の言葉でも、挿し絵や絵本の絵のなかでも、みごとに表現している」と指摘しています。

 

大人が絵本に涙する時

大人が絵本に涙する時

  • 作者:柳田 邦男
  • 発売日: 2006/11/25
  • メディア: 単行本
 

 

そして、著者はこう述べるのでした。
「絵本や童話を読んでいつも思うことがある。人は人生のなかで青年期から中年期にかけては、ガツガツと仕事仕事の日々を過ごすのはやむを得ないにしても、50歳を過ぎたら、忙しくても、毎日20分は絵本や童話を読むライフスタイルを身につけるように心掛けてはどうか、と。その日常を積み重ねていくなら、いつしか幼いころの無垢な感性を取り戻し、還暦を迎えるころには、周囲から『あなた、変わったね』と言われるようになっているだろう」

 

こころの処方箋(新潮文庫)

こころの処方箋(新潮文庫)

 

 

3「子どもの感性」の「夢のなかで遊ぶ子どもの世界」では、著者は「インドネシアのある島では、子どものころから、見た夢をその日のうちにお年寄りに話すという日常生活の文化があるという。かなり前だが、臨床心理学者で夢分析の専門家でもあった故・河合隼雄先生がご健在だったころに聞いた話だ。その島では、こころの病気になる人が1人もいないというので心理学者や精神医学者が関心を持っているとのこと」と述べています。

 

酒井駒子 小さな世界 (Pooka+)

酒井駒子 小さな世界 (Pooka+)

  • 作者:酒井 駒子
  • 発売日: 2008/06/03
  • メディア: 単行本
 

 

夢を見たら人に話すことは、傾聴ボランティアの人が、ホスピスや老人ホームや在宅医療において、死を間近にした人が人生を振り返ってじっくりと語るのを支持的にひたすら聴くことによって、語る人がこころの安らぎを保てるのと似ているように思うとして、著者は「つまり夢を語る文化は、抑圧感情などを引きずらずに解放し、自己肯定感を獲得することにつながっていくのだろうと私は解釈している。このようなことを考えると、夢のなかのファンタジーを描いた絵本を幼い子に読み聞かせするのは、夢のなかで自由に遊ぶ機会をつくる意味を持ち、ひいてはこころをのびやかにし、感情を豊かにする役割を果たすのではないかと思えてくる」と述べ、『はんなちゃんがめを覚ましたら』酒井駒子(作)(偕成社)を紹介しています。

 

わたし、ぜんぜんかわいくない (単行本)
 

 

「子ども時代を生きるとは」では、著者は「子どもが母親の温もりを求め、母親の愛を強く求めるとき、大人が気づかなければならないのは、幼くても母親の微妙な心模様を鋭く読み取る感性が育っているということだ。幼い子は言葉では表さなくても、母親が喜んでいるか悲しんでいるか、ヒステリックになっているかどうか、落ちこんでうつの状態に陥っているかどうかなど、母親の心理状態を直観的に感じ取り、その母親の心理状態に応じた振るまいなり身の処し方をする。特に重要なのは、母親がパニック状態だったり、うつ状態だったりすると、子どもは母親に迷惑をかけまいとして、自分の感情を抑えこむ、いわゆる抑圧反応を起こすという点だ。自身のこころを貝殻のなかに封じこめて表に出さず、縮こまった状態になるのだ。そういう抑圧状態が続くと、こころの発達が止まってしまう」と述べ、『かあさんは どこ?』クロード・K・デュボア(作)、落合恵子(訳)(ブロンズ新社)を紹介します。

 

ねぇ、しってる?

ねぇ、しってる?

 

 

「おさな子が『お兄ちゃん』になるとき」では、『ねぇ、しってる?』かさいしんぺい(作)、いせひでこ(絵)(岩崎書店)を紹介し、著者は「子どもがほんとうに幼いころには、現実の世界とファンタジーあるいはイマジネーションの世界との間に境界線がない。ペットやぬいぐるみとお話をしたり、何かわからないことをつぶやきながら芝居がかったことをして、物語を創ったりしているとき、その営みは、ほんとうの人間との間で経験することとほとんど同じ意味を持つ。言い換えるなら、幼い子の感性と想像力はものすごく豊かなのだ。ところが4~6歳になると、現実と想像の世界に境界線ができて、両者は別のものなのだということがわかってくる。そして、覚えた知識や他者との関係の持ち方などで、自分の行動を判断していくようになる」と述べています。

 

講談社の名作絵本 ごんぎつね

講談社の名作絵本 ごんぎつね

 

 

 5「笑いも悲しみもあって」の「不条理な悲しみの深い意味」では、著者は「人がこの世に生まれてからあの世に旅立つまでの長い歳月のなかでは、『ああすればよかった』『こうすればよかった』と悔やまれることや、『なんで私が』とか、『そんなつもりじゃなかったのに』と無念の思いや悲しみに駆られて落ちこんでしまうことが少なくない。もともと人生というものは、『こうすればこうなる』というぐあいに、思い通りにはならないことが多いと考えたほうがよいのだと、私は思っている。そのことを学んでいくのが人生というものだろう。そういう学びは、実は子ども時代から始まるのだということを、絵本や童話を読む子どもたちの反応を見ているとよくわかる」と述べ、『ごんぎつね』新美南吉(文)、箕田源二郎(絵)(ポプラ社)を紹介します。

 

きょうはそらにまるいつき

きょうはそらにまるいつき

  • 作者:荒井 良二
  • 発売日: 2016/09/09
  • メディア: 単行本
 

 

7「星よ月よ」の「まるい月に目を輝かせる赤ちゃん」の冒頭を、著者は「昼下がりの乗客の少ない時間に電車に乗ると、私には異様としか思えない光景が目の前に広がっている。窓を背にした長椅子の人々も私の両脇の人々も、ほとんどがスマホタブレットの操作に熱中しているのだ。たまに1人くらい、文庫本を読んでいる人を見かけるが、そういう人は珍しい。窓の外の街の風景とか空の雲を眺めている人は、ほとんどいないのだ。特に愕然となるのは、子どもを間に座らせている親子3人が、会話をするでもなく、それぞれにスマホに集中している姿だ。窓から見える空に美しい巻雲が流れていようと、遠くにスカイツリーが見えようと、もうそういう風景にはまるで関心を向けないし、互いに会話もしない」と書きだしています。

 

よるのかえりみち

よるのかえりみち

 

 

続けて著者は、「夜、駅を出て家路を急ぐ勤め帰りの人々も、スマホを離さない。まるで国中の人々がスマホ中毒に陥っているのかと思うほどだ。子どものころからそんなスマホ中毒になっていたら、自分の育った街や村の風景に愛着を抱くようにはならないだろうし、樹木や草花の季節の変化を感じる感性も育たないだろう。これは人生の大事な時間の喪失であり、感性を豊かにする機会の喪失だと思う。そういう時代だからこそ、テレビを消し、スマホなどを切って(せめてマナーモードにして)、親が子どもに絵本や童話を読み聞かせしたり、逆に子どもが親に読み聞かせしたりして、絵本や童話の楽しい世界をこころに刻むことがとても大事な意味を持つようになっていると言いたい」と述べます。

f:id:shins2m:20201103114426j:plainわが家の絵本コレクションの一部

 

そして、著者は『きょうはそらにまるいつき』荒井良二(作)(偕成社)、『よるのかえりみち』みやこしあきこ(作)(偕成社)を紹介しています。じつは、わが家では、「うさぎ」と「月」に関する絵本はすべてコレクションしています。2人の娘たちも「うさぎ」と「月」の絵本を読みながら、育ってきました。わが家には、『きょうはそらにまるいつき』はありましたが、『よるのかえりみち』は初めて知ったので(うさぎが登場しますが、未読でした)、早速、アマゾンで注文しました。幻想的で素晴らしい絵本です。

 

あおのじかん

あおのじかん

 
はくぶつかんのよる

はくぶつかんのよる

 
シルクロードのあかい空

シルクロードのあかい空

 

 

「強烈な色がひらく異界」では、著者は「画家が色にこだわりを持つのは当然のことだが、絵本の分野でも、作品のなかで特定の色をテーマに結びつけて強く打ち出す作家がいる。2016年から次々に邦訳され、新しい作風で注目されているフランスのイザベル・シムレールさんは、まさに色自体をテーマにからめて強烈なインパクトをもたらす絵本を制作している新進の絵本作家だ」と述べ、シムレールの『あおのじかん』『はくぶつかんのよる』『シルクロードの あかい空』石津ちひろ(訳)(岩波書店)を紹介します。そして、著者は「シムレールさんの絵本を読み通した後に私が感じたのは、どの絵本のどの頁を開いても、そこだけを切り離しても楽しめる絵と文になっており、どの1冊も、それぞれに大人が深く味わえる、絵本を超えたしい詩画集になっているということだった」と述べるのでした。

f:id:shins2m:20181127092532j:plain朝日新聞」2018年11月27日朝刊

 

8「祈りの灯」の「亡き人の実存感がこころにストンと」では、著者は「グリーフケアあるいはグリーフワークという用語が、この国においてもかなり一般的に使われるようになってきた。大切な人、愛する人を喪った悲しみを癒し、生きる力を取り戻すのを支えるのがグリーフケアであり、自分自身で再生への道を歩むのがグリーフワークだ。ここで言うグリーフ(grief)とは、生きているのがつらいと思うほどの喪失や挫折によってもたらされる深い悲嘆のことだ」と述べています。わたしは、現在、グリーフケアの研究と実践に取り組んでいます。



また、著者は「人は、なぜ重い病気になると闘病記を書いたり、俳句や短歌を詠んだりするのか。人は、わが子や伴侶や親を亡くすと、なぜ追悼記を書くのか。私は、そうした問いに対する答えを求めて、この40年ほどの間に数百人の闘病記や追悼記を読んできた。そうした手記に見られる共通点は、自分あるいは愛する人がこの世に生きた証を残したいという思いだ。そして、書くことによって、その人のこころに何がもたらされるかというと、それはこころの癒しであり、生き直す力だ。自分の体験や状況を見つめ、それらに文脈をつけて書くという行為は、ショックや悲嘆や不安によって渾沌としていたこころのなかを整理する作業にほかならないからだ」とも述べ、『いつまでもいっしょだよーー日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故で逝った健ちゃんへ』みやじまくにこ(作)、(扶桑社)を紹介します。

 

パパの柿の木

パパの柿の木

 

 

日航ジャンボ機事故で40歳の夫・谷口正勝さんを亡くした真知子さんが、絵本『パパの柿の木』を刊行したのは、事故から31年経った2016年夏でした。そのきっかけは、30年を過ぎた2015年秋、事故当時は小学生だった次男の誠さん一家と御巣鷹の尾根に慰霊登山をしたときのこと。5歳の孫・結菜ちゃんが「生きているパパのパパに会いたかった」とつぶやいたことでした。著者は、「真知子さんは、このつぶやきを聞いて、事故によって家族に何が起きたかを、しっかり孫たちにも伝えなければと思ったのだという。夫は事故の5年前に、『家で作った果物を子どもたちに食べさせたい』と、柿の苗木を買ってきて植えた。その柿の木の成長と小学生だった2人の男の子の成長を重ね合わせ、さらに真知子さんのこころの遍歴も忍ばせている絵本の構成は、とても感銘深い。事故の後、夫が機内で記した「子供達の事をよろしくたのむ」という遺書を見ては、泣いていた真知子さん。パパの代わりになろうとがんばるお兄ちゃん。いつもパパのシャツを抱いて涙して寝る弟。はじめて実った柿を涙ながらにほおばる家族・・・・・・。やがて、子どもたちは成長し、家族を持ち、孫が5人にもなる」と述べています。絵本の最後の言葉は、〈パパ、いつも僕たちを見守ってくれて、ありがとう〉でした。

 

ずっとつながってるよ―こぐまのミシュカのおはなし

ずっとつながってるよ―こぐまのミシュカのおはなし

  • 発売日: 2006/05/01
  • メディア: 大型本
 

 

そして、著者は、2000年の暮れに起きた東京の世田谷一家四人殺人事件の被害者家族の姉で隣に住んでいた入江杏さんが描いた『ずっと つながっているよ――こぐまのミシュカのおはなし』(くもん出版)を紹介し、「喪失体験者にとっての癒しとは、亡き人の精神的いのち(それは魂と言ってよいだろう)は、決して消えることなく、人生を共有した遺された人のこころのなかに(全身に染みこんで、と言ったほうがよいかもしれない)、いつまでも生き続けていることに気づくことなのだと言えよう。しかも、亡き人の魂は残された人たちの人生を、人間性の豊かなものに膨らませてくれるのだ。こころのなかにあふれんばかりにこみあげてくる悲しみを、絵本というかたちで表現する行為は、喪失体験者自身のこころを癒すだけでなく、その絵本を読む悲しみに暮れる人のグリーフケアの役割をも果たすに違いない」と述べるのでした。

涙は世界で一番小さな海』(三五館)

 

わたしは、「死」を説明するものとして、「医学」「哲学」「宗教」とともに「物語」に注目していました。そして、その中でも「ファンタジー」の持つ力に注目し、アンデルセンメーテルリンク宮沢賢治サン=テグジュペリの4人の作品を死を乗り越えることのできる「ハートフル・ファンタジー」としてとらえ、『涙は世界で一番小さな海』(三五館)を書きました。本書を読んで、「物語」とともに「絵」の持つ力に改めて気づきました。「あとがき」で、著者は「今、絵本の世界が新しいルネッサンス期を迎えている。21世紀になってはや20年。この新しい時代に、絵本という表現ジャンルが、実に多様な人生の課題について、絶妙な解答例と言える作品を次々に生み出しているのだ」と述べていますが、グリーフケアの世界においても絵本の持つ力は無限大であると言えるでしょう。本書を読んで、読みたい絵本がたくさんできました。いろいろと購入しましたので、わが社のグリーフケアサロンにも置きたいと思います。

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たくさん購入しました!

 

2020年11月15日 一条真也

自分だけが正しいわけじゃない

一条真也です。
「月刊リトル・ママ」2020年11月号が刊行されました。朝日新聞社系の「ママと子どもの明日を応援!!」するフリーペーパーで、各幼稚園などに配布されます。わたしは同紙で「一条真也のはじめての論語」というコラムを連載しています。拙著『はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵』(三冬社)の内容をベースに、毎月、『論語』の言葉を紹介していきます。

f:id:shins2m:20201113230317j:plain「リトル・ママ」2020年11月号 

 

第9回目は、「子游、孝を問う 子曰く、今の孝なる者は是れ能く養うを謂う 犬馬に至るまで、皆能く養うことあり 敬せずんば何を以て別たんや」という言葉を紹介しました。弟子の子游(しゆう)が「孝行」の意味を聞くと孔子さまは「ただ食べものや着るものに困らないようにするだけでは、親孝行とはいえない」と言いました。

 

リトル・ママ読者のお母さん、お父さんも子どものころがあったはずです。小さなころ、お母さんやお父さんは、あなたに対して、ただ食べるものや着るものをくれただけではありません。学校に行かせて勉強させてくれるのも、あなたに将来、立派な人になってもらいたかったからです。

 

これが親の「愛情」というものです。そんなたくさんの愛情を受けて育った皆さまは、きっとご両親を大切に想う気持ちがあることでしょう。孔子さまは、その気持ちこそ「孝行」だと言われたのです。

 

現在、子育てを頑張っている皆さんは、自分がそうしてもらったように、子どもたちにたくさんの愛情を注いでいることと思います。子どもたちはその愛情をうけて、両親を大切に想う心をはぐくんでいっているのです。

 

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2017/07/07
  • メディア: 単行本
 

 

2020年11月15日 一条真也

『希林のコトダマ』

希林のコトダマ 樹木希林のコトバと心をみがいた98冊の保存本

 

一条真也です。金沢に来ています。
13日、サンレー北陸の本部会議に参加しました。
それはそうと、季節は秋。そう、読書の秋ですね!
『希林のコトダマ』椎根和著(芸術新聞社)を読みました。「樹木希林のコトバと心をみがいた98冊の保存本」というサブタイトルがついています。2018年9月に逝去した女優の樹木希林さんは、ブログ『一切なりゆき~樹木希林のことば~』ブログ『樹木希林120の遺言』で紹介した著書からもわかるように言葉の感性の鋭い人でしたが、その背景には豊かな読書体験がありました。本書は、彼女が最後まで手元に置いた本たちを紹介した本です。著者は1942年、福島県生まれ。早稲田大学卒業。作家。「婦人生活」「平凡パンチ」「anan」編集部勤務、「週刊平凡」「popeye」編集長、「日刊ゲンダイ」「Hanako」「Olive」「COMICアレ!」「relax」などの創刊編集長として一貫して編集畑を歩きました。著書に、『popeye物語』『オーラな人々』『完全版平凡パンチ三島由紀夫』『フクシマの王子さま』などがあります。

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本書の帯

 

カバー表紙には、「希林級決定版‟心機”の雑記帳も」と書かれています。帯には、故人の顔写真とともに、「樹木希林さんの本棚に残った最後の‟100冊”を初公開!――自筆の雑記帳も」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

カバー裏表紙には、希林の直筆が書かれた原稿用紙の写真が使われています。帯の裏には、「十数年前、樹木希林とこんな会話をした。本というのは、雑誌を含めて、溜りだすとすぐ大繁殖して家のなかを汚す。自分の家は、いつも整理整頓、余分なものはなにも置かない、絵も写真も飾らない主義の希林さんに、本をどういう具合にしているのか、とたずねた。答えは簡単だった。『百冊以上は、家に置かないの。あたらしく気に入った本、手元に置きたくなった一冊がでてきたら、百冊のなかの一冊を、人にあげてしまうの。だから、いつも百冊』という返事だった。――本書まえがきより」と書かれています。



ものを持たない、買わない生活をしていた樹木希林さんは、所有する本を100冊と決めていました。「まえがき」には、「ジャンル関係なく、自分の気に入った本しか読まない、大読書家で大女優のシンプルな考え方による蔵書システム。その遺された100冊のうち98冊を読んでみて、18歳の頃から亡くなるまでの57年間に、希林が手元に保存した本たちは、ひとつの赤い線で、つながっていた。簡単にいえば、希林が、『ことだま(言霊)』を感じた本しか保存しなかったということ。コトダマとは、ことばに宿っている不思議な霊感を感ずること。日本人は、大昔からそう信じていた。昔の人は、ことばの霊妙な働きによって幸福がやってくる、とも考えていた。なにか文章を頼まれると、希林は、『神さびの梅』などと、コトダマをこめた新語を考えだした」と書かれています。

 

洟をたらした神 (中公文庫)

洟をたらした神 (中公文庫)

  • 作者:吉野 せい
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 文庫
 

 

98冊の中で、最初に目を引いたのは、『洟をたらした神』吉野せい著(弥生書房)です。本書には、「昭和50年頃、大量消費というプチ贅沢感をもたらした高度経済成長も小休止し、オイルショックという最初のグローバル化の荒波をかぶった日本で、“貧乏百姓たちの生活の真実のみ”を綴った『洟をたらした神』が大ベストセラーになった。作者は福島県の農民詩人の妻、吉野せい。山肌を夫とふたりで、クワとスキと手だけで開墾し、畑をつくり、自給自足的な生活をしながら、6人の子どもを育てた、血と汗と涙の50有余年の“書きたいものを書く”という覚悟で、この本が奇跡的に出版された」と書かれています。


吉野せいの生活は、食べるものがない日々、着るものも布団も満足にない、寒風がふきこむ掘立小屋の家、過重な税、貧困さから子どもが病気になっても医者を呼ぶことをためらい、死なせるといった具合でした。著者は、「毎日の過酷な労働と農作業。東京では主婦たちがトイレットペーパーの奪いあいをしてるというのに、ここは900年前と同じような生活レベル。この頃、希林は、世界一のカメラフィルム会社になったフジカラーのCMで、その独特なキャラクターとセリフで人気が急上昇中。希林は、この本を手にして、自分とはまったくちがう生き方をしてきた吉野せいの16篇の物語に、神の啓示のような感動を受けとったのだろう」と述べています。

 

また、遊び道具も何もない子どもたちは、自分で工夫しておもちゃを作りました。『洟をたらした神』には、「土台おもちゃは楽しいものでなければならない筈だから。大量生産されたものには、整った造型の美、研究された運動の統一した安定があるだろうが、この幼い子の手から生まれたものには、無からはじめた粗野があり、危なっかしい不完全があっても、確かな個性が伴う」と書かれていますが、希林はそこに傍線を引いていました。著者は、「希林も、生まれ出た娘、也哉子に、いっさい市販のおもちゃを買い与えなかった。だから、あれほど見事な個性を持つ娘に育った」と述べます。せいの夫、吉野義也の詩の「なげくな たかぶるな ふそくがたりするな」のくだりにも希林は傍線を引いています。著者は、「呪文のようなこの句は、希林の言葉のように読める。希林は、泣いただろう。泣かせられただろう。そして、そう生きた」と述べるのでした。

 

 

次に、『神(サムシング・グレート)と見えない世界』矢作直樹、村上和雄著(祥伝社新書)。著者は、この本について、「“希林保存本”中、いちばん多くの赤い傍線が引かれていた。なんと96ヵ所以上。希林がこの本を手にしたのは13年。つまり『全身がん』を公表した年である。残り10年の命と宣告されて、彼女は、死とこころと魂に、向いあわざるをえなくなった。その動揺が、96ヵ所にあらわれた。著者の矢作は、当時、東京大学大学院医学系研究科教授。村上は、筑波大学名誉教授、遺伝子の世界的権威。対談ではなく、ふたりが交互に、(見えない)霊・魂の存在と遺伝子の関係を解説した」と説明しています。

 

また著者は、「矢作は、「上の世代の義務に 『自らの死を見せる』ということがあります」と説き、大家族時代は、家族が自宅で死ぬ様を遺族が見守るというのは『大切な教育機会』という。希林は、そのようにして、自分の死に様を、娘や孫に、さりげなく見せた。村上は、新医療システムとして『健康院』を創設したら、と提言する。すると希林は、健康院のわきに赤線を引き、赤い文字で、『病院デナク』と書き入れているところが、可愛い」とも書いています。

 

さらに、「第5章『人間はどこに向かうのか?』の村上の主張が面白い。希林の赤線もこの章で急激に増えている。そのなかでも『それに、臓器移植は霊という存在を否定するものです。人間を単なる“入れもの”として見る思想です。そもそも肉体じたい、自分のものではなく借りものなのに、貸し主である神の許可もなく、“又貸し”するのは、神意に反した行為です』と。希林は、この又貸しの文字を線ではなく赤丸でかこんだ。霊魂の話に不動産用語がでてきたので、うれしくなったようである」とあります。

 

 

矢作氏と村上氏の対談本である『神(サムシング・グレート)と見えない世界』が出版されたのは2013年2月ですが、同年6月には矢作氏と小生の対談本である『命には続きがある』(PHP研究所)が刊行されています。『命には続きがある』のサブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」で、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長だった矢作氏とわたしの「命」と「死」と「葬」をめぐる対談が収められています。矢作氏の代表作である『人は死なない』(バジリコ)とわたしのグリーフケアの書である『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の2冊の本がクロスオーヴァーした内容です。



当時の矢作氏は「時の人」で、矢継ぎ早に多くの方々と対談本を出していますが、最も売れて、最も多くの読者を得たのは『神(サムシング・グレート)と見えない世界』と『命には続きがある』の2冊だとされています。ということは、希林さんが『命には続きがある』を求めて読んで下さった可能性もあるわけです。そうなると、わたしは葬儀の話をたくさんしていますし、 ブログ「おくりびと」で紹介した希林さんの娘婿である本木雅弘さんが主演した映画の話題にも言及していますから、同書を読んだ希林さんが自身の葬儀観についての考えを示した可能性も高かったと言えます。その意味では、まことに残念でした。なお、『命には続きがある』はこのたび、PHP文庫化されることが決定。文庫化によって、多くの方々に「死」と「命」の真相が知れ渡ることを願っています。

 

 

「死」と「命」の真相といえば、『希林のコトダマ』には、矢作直樹氏と同じく医師が書いた本も紹介されています。『死ぬときは苦しくない』永井友二郎著(日本医事新報社)という本です。「著者、永井友二郎は、昭和17年に海軍軍医中尉に任官。すぐ、戦史に残るミッドウェー海戦にかりだされ、“戦死”を目撃する。同期生の軍医は、戦死。はじめて“人間の死”を考えはじめる。第3次ソロモン海戦に従軍、そこでも戦死する兵隊を見る。次に『伊175号潜水艦』でキスカ島撤収作戦にあたる。また異動命令で、潜水母艦『平安丸』へ。永井のかわりに『伊175』に乗った三島有朋軍医は、すぐ『伊175』が轟沈され、三島も戦死。永井の乗った『平安丸』も、トラック島で爆撃され沈没。爆弾が艦に命中した瞬間に、永井は意識を失う。どれぐらい時間が経過したのか、気がつくと、手と顔に、ガラス片が無数に刺さっていた。海に飛びこみ、カッターに引き上げられた、その時、永井は、『これだけの怪我をしたのだから、このまま死ぬのかもしれない』と考えたまま、また意識を失う。永井は、医師としてはじめて『人間の肉体と意識』というものを考えはじめた。その戦闘体験と多数の戦死者の状況を見て、『人間は死ぬとき、意識が先に消え、痛くも苦しくもない』ということに気づく」と説明されています。



また椎根氏は、「戦争から戻った永井は、開業医としてくらす。その経験から、『実地医家のための会』を設立し、開業医の『終末期医療』は、どうあるべきかを考える。永井の結論は、『末期の病人に対して、不自然なことはできるだけやめてもらいたいものである』と。永井は、ソロモン海戦後、一時帰省を許され、1日だけ生家に戻る。その時に感じたのが“末期の目”。『残された時間の少なくなった人間の特殊な心情である。人間はこのとき、すべての欲望から離れ、親しかった人たちには勿論、まったく見ず知らずの人にさえ、心をよせ、手をにぎり、話しかけたくなり、別れを惜しみたくなる、そういう純粋な心の状態である。人間愛といってもいい』」と紹介しています。そして、「希林が、自分のがんを公表したのは、平成17年。強がりでいってしまったが、心細い心境の毎日だった。それを救ったのは、この本だった。平成20年、是枝裕和監督『歩いても 歩いても』の撮影時。その映画のテーマは『生老病死』。この本は、永井から手渡された。永井医師とおだやかな顔の希林が撮られた写真、二葉も、はさみこまれてあった」と結んでいます。

 

永い言い訳 (文春文庫)

永い言い訳 (文春文庫)

 

 

希林が最後に残した98冊は宗教についての本や詩集などが多いのですが、中には小説もありました。『永い言い訳西川美和著(文藝春秋)です。椎根氏は、「希林は、いつも、映画の原作をさがしていた。筆者(椎根)も、なにかいい原作ないかと希林にいわれて、ラテンアメリカを代表する作家、ガルシア・マルケスの『大きな翼を持った老人』をコピーして渡した。しかし、亡くなるまで一度も、マルケスの短編の話の返事はなかった。筆者は、もし映画化するのであれば、海のそばで暮らす老夫婦の話なので、亭主の方は高倉健、女房は、希林が演ったらどうだろう。ただし、マルケスは、ノーベル賞作家だから、原作料はバカ高いと思う、といいそえた」と書いています。



椎根氏は、「15年、西川美和は完成した脚本をたずさえて、本木雅弘に出演依頼の話をした。本木はその脚本を希林に読んでもらい、アドバイスをうけた。『成熟できない人間のほころびのようなものを演じるようになると役者がもっと楽しくなる』と。西川の映画『永い言い訳』は、16年の10月に公開された。主演は本木雅弘」と書いています。そう、「おくりびと」と同じく、この映画も希林の娘婿が主演したのでした。映画については、ブログ『永い言い訳』をお読みください。

 

超訳 古事記

超訳 古事記

  • 作者:鎌田 東二
  • 発売日: 2015/06/23
  • メディア: Audible版
 

 

本書には、 ブログ『超訳古事記』で紹介した宗教哲学者の鎌田東二氏の著書も登場します。椎根氏は、「本書は、日本最初の本といわれる『古事記』を神道学者の鎌田東二が、“超学術”的に、再現したもの。古事記は、稗田阿礼が『誦習』した言葉を、太安万侶が漢字で書き起こした文書のこと。鎌田が、稗田に憑依して、鎌田の口からもれた古事記話を、編集者の三島邦弘がメモするカタチでつくられた。だから、『大きな流れや大意は『古事記』に沿っているけれども、一文一文の訳は自分なりの訳であり、自由訳、といえるでしょう』と、あとがきに記されている。超訳されたのは上巻のみ。悪逆非道の神、須佐之男命が、大蛇を退治して、美しい后を得て、『八雲立つ 出雲八重垣・・・・・・』と歌ったことを、鎌田は『愛の言霊』をかなでた、と記した」と説明しています。「愛の言霊」といえば、サザンオールスターズの名曲「愛の言霊 ~Spiritual Message~」を連想しますが、じつは鎌田氏はこの曲のことを知りませんでした。昔、小倉のカラオケボックスで、わたしが「言霊の歌がありますよ」と鎌田氏に教えてさしあげ、ついでに歌ってさしあげたのでした(笑)。なつかしい思い出です。



『希林のコトダマ』には仏教関連の本が多いのですが、神道にも関心があったようで、椎根氏は「希林は、14年(平成26年)にドキュメンタリー映画『神宮希林 わたしの神様』(伏原健之監督)に出演する。この撮影で、はじめて伊勢神宮に御参りした。撮影に入る前、筆者(椎根)は、希林に会うたびに、古事記の上巻の“神物語り”にでてくる神様について質問された。筆者は、かねてより、原田常治(故人)の“神物語り”の本『古代日本正史――記紀以前の資料による――』を愛読していたので、それに准じて古代の神々についての話をした。原田の主張は、実地調査での推断により、他の学者の説とは、異なっていた。たとえば、“日本建国の祖は素佐之男尊だった”、“今の天照大神は素佐之男尊の現地妻だった”、“神武天皇は婿養子だった”、“邪馬台国は宮崎県西都市だった”などなどの新しい解釈であった。原田説で、もっとも特徴的なのは、邪馬台国の女王、卑弥呼は、日向(現、宮崎県)の大日霊女貴尊のことであり、のちに天照大神となった。その夫は、素佐之男尊という説」と書いています。


98冊の中で変わりダネでは、『したくないことはしない――植草甚一の青春――』津野梅太郎著(新潮社)があります。椎根氏は、「学生のデモが、さきごろの香港のように猛威をふるって東京の盛り場、新宿、銀座、六本木、60すぎのファンキーな雑文書きのおじさんがいた。まだ雑誌と本が大好きな青年たちが多数残っていた。そういうデモ騒ぎを別世界のこととして、植草甚一は、毎日毎日、東京中の古本屋をめぐり歩いて、自分ひとりでは持てないほど大量の古本を買っていた。“ぼくは散歩と雑学が好き”とか、“雨降りだからミステリーでも勉強しよう”“ぼくは自由と安ものが好き”“モダン・ジャズの発展――バップから前衛へ”“映画だけしか頭になかった”などという、雑であり軽い思想が、自閉症気味の若者のココロを捕らえた」と紹介しています。

 

 

また、椎根氏は「植草の雑文のファンは男性が多かった。それも独身者か、妻帯者でも、妻とうまくいってないで、自分ひとりの小世界を持ちたいと妄想している、おとなしい夫というイメージがある。好きだという女性をあまり知らない。女性は本能的に、こんな男と結婚したら、汚れた古本に家中を占領されて、自分の理想のインテリアでみたされた家には一生、住めない、と感じていたのだろう。この『希林の100冊』が出版されることになったのは、希林との会話で、植草の家の惨状を見ていた筆者(椎根)が、本好きの人の家は汚くなりますね、読書家の希林さんは、どういうふうに整理しているのですか、と尋ねたことからはじまった。清潔好きで、読書家の希林の“100冊以上は置かない”という答が、きっかけだった。筆者は、平凡パンチ誌で68年から植草担当編集者だった。何度も、植草の家へ行った」と書いています。いやあ、面白いですね!

 

柔らかな犀の角―山崎努の読書日記

柔らかな犀の角―山崎努の読書日記

  • 作者:山崎 努
  • 発売日: 2012/04/24
  • メディア: 単行本
 

 

そして、最後に紹介する本が『柔らかな犀の角』山崎努著(文春文庫)です。椎根氏は、「週刊文春に、8年間にわたって連載された俳優、山﨑努の『私の読書日記』を単行本化したもの。大巨編を一気に読ませてしまう筆力と、読む者を疲れさせない、漬け物みたいな魔力を持った山﨑の構え方。新聞の書評にはあまり載らないタイプの本が、ところどころに散りばめてあって、その奇人変人、高齢者、落伍者が光彩をはなち、書物の発する、うっとうしい気分を雲散してくれる」と紹介しています。



山崎努氏といえば、わたしのお気に入りの俳優の1人でした。冠婚葬祭業界に身を置く者なら、氏の姿をスクリーンで見ていない人は少ないでしょう。なにしろ、「お葬式」(1984年)、「おくりびと」(2008年)という二大葬儀映画に重要な役で出演しているのですから。特に、「おくりびと」での納棺会社の社長役は素晴らしく、社長室でフグの白子を焼いて食べるシーンは最高の名場面でした。でも、わたしにとっての山崎努は、わたしが誕生した1963年に公開された黒澤明監督の名作「天国と地獄」(1963年)での犯人の青年役や、泉鏡花の幻想世界を見事に再現した「夜叉ヶ池」(1979年)の主人公の旅の僧侶役のイメージが強いです。本当に、「この人がいなくなったら、日本映画はどうなるのか」と思わせる名優だと言えるでしょう。



希林も山崎努の大ファンだったようで、椎根氏は「希林が、文学座に入った頃、彼女の“憧れの役者”は、山﨑努だった。人生のオシマイが近くなっても“憧れの山﨑努”。研究生の時から57年後、つまり希林が亡くなった年に、ふたりは、はじめて共演した。それが熊谷守一夫妻が主人公の映画『モリのいる場所』(沖田修一監督)だった。18年の暑い夏、がんは進行していた。それでも希林は自分で車を運転して、連日、鎌倉まで、でかけた。

 

聖地感覚 (角川ソフィア文庫)

聖地感覚 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:鎌田 東二
  • 発売日: 2013/10/25
  • メディア: 文庫
 

 

ブログ『柔らかな犀の角』でも紹介したのですが、この本にはブログ『聖地感覚』で紹介した鎌田東二氏の著書も取り上げられています。山崎氏は、「そこにいるだけで、何となく緊張が解け、リラックスできる所がある。旅に出ると、あちこちぶらぶら歩き回って、そういう場所を探す。ここだ、と手応えがあったら、その地点に居坐り、うつらうつらしたりしてのんびりと過ごす(以前、南の島でそれをやり、日射病で死にかけたことがあるが)。そんなスポットを僕はいくつか持っている。鎌田東二著『聖地感覚』(角川学芸出版)に依れば、そのような場は、その人の『聖地』なのだそうだ」と述べています。 



また、「聖地」をめぐって、山崎氏は「人はなぜ聖地を求め、巡礼をするのか? そこに決まった答えはない。人生がそうであるように『巡礼』も各人各様の理由とかたちをもっている。これからもくりかえし実践され、つづいていくに違いないと鎌田は言う。そう、アキバも冬ソナも軽々に扱ってはいけない。鰯の頭も信心から、その人にとってそれがかけがえのない信仰の対象であるならば(よほど悪質なものでない限り)認めてやらなければいけない。そもそもわれわれの『信仰』は、立場を異にする者から見ればすべて鰯の頭なのである」と述べ、さらには「古くから聖地、霊場として崇められている土地には、人間の聖なる感覚を刺戟し増幅させる自然の霊気が強くあるのだろう。三輪山、熊野、出羽三山等々を巡り歩いた鎌田のフィールドワークの記録が興味深い。湯殿山での滝行の描写など、臨場感があって紀行文としても優れている」と書いています。



山崎氏は、鎌田氏にいたく興味を抱いているようで、「著者鎌田東二は、宗教哲学民俗学、日本思想史と、幅広い分野で研究を続けている学者である。この本の最大の魅力は、彼の底抜けに奔放なキャラクターが存分に発揮されているところだ。巻末の略歴紹介の欄に、石笛、横笛、法螺貝奏者、フリーランス神主、神道ソングライターとあって、笑ってしまった。おもむくままにやりたいことをやっている。毎朝、祝詞、般若心経を上げ、笛、太鼓、鈴、その他計十数種類の楽器を奉納演奏するので『時間がかかり、忙しいのだ』とぼやいている。お子さんに『お父さんはアヤシすぎる』と言われるそうだ。カバー折り返しに、著者近影の全身写真が載っている。カメラを意識してやや硬くなっているポーズがチャーミング。しばし見惚れた。『スピリチュアル・パワー』がメディアで安易にもてはやされている当節、鎌田の仕事は貴重である。彼のユーモアを大切にする柔らかなセンスに注目したい」とも書いています。

 

満月交心 ムーンサルトレター

満月交心 ムーンサルトレター

 

 

わたしは、この文章を読んだとき、本当に嬉しくて仕方がありませんでした。わが義兄弟のことを日本を代表する名優がこれほど高く評価してくれたのですから。また、鎌田氏に対する分析はまことに的を得ており、山崎氏の人間を観る目には只ならぬものがあります。ちなみに、この文章の初出が「週刊文春」に掲載されたとき、鎌田氏は大変喜ばれ、わざわざメールで知らせて下さいました。ちなみに、鎌田氏と小生の往復書簡集である『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)が絶賛発売中です! 鎌田氏の魅力が満載ですので、ぜひ、ご一読下さい!

 

 

『希林のコトダマ』に話を戻しましょう。巻末に置かれた「本を呼ぶ希林のコトダマ」で、椎根氏は、物理学者のヴォルフガング・パウリと心理学者のカール・ユングが協力しあって見つけた「シンクロニシティ共時性)」という考え方を紹介します。「ココロと物質は、ひとつの共通の秩序からあらわれてくるものだ」という考え方ですが、一般的には「意味のある偶然の一致」とされています。椎根氏は、希林の身に起こったある偶然の一致を取り上げ、これを「250年という時空を超えて、シンクロニシティのストーリー」ととらえます。そして、「そこで大事なのは、いつもココロと言葉をみがいていた希林だからこそ、招きよせたシンクロニシティだ、ということです。人生には、言うべき時に、言いだせなくて、後で後悔することが、しばしばあります。しかし、希林は最高のタイミングで、どうするの? と言う鋭い判断力がありました」と述べるのでした。



また、椎根氏は「余談ながら、ユングとパウリがシンクロニシティを探求していたころ、ふたりのまわりで、よくポルターガイスト(騒霊)現象が起こりました。73年、W・フリードキン監督は、このポルターガイストと悪魔をむすびつけて映画『エクソシスト』をつくります。最高の学者ふたりが、真剣に騒霊解明に取り組んでいた、という話が、ホラー映画製作のきっかけになったのかもしれません。『エクソシスト』は世界中で大ヒットしました。そういう霊が引き起こすものに世界中の人々がひそかに興味を持っていたという事実・・・・・・」とも述べています。



さらに、またしても鎌田東二氏が登場します。
椎根氏は、「もうひとつ、もう1冊の話。鎌田東二超訳古事記』。鎌田は、稗田阿礼に憑依して、自分が語り部になりきって、“自分の古事記”を新しく書きおこしました。須佐之男命が大蛇を退治して、美しい娘と結ばれます。そして日本初のラブソングをつくりました」と述べ、「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」の歌を紹介します。椎根氏は、「鎌田は、その和歌を『愛の言霊』と記しました。この本も、希林の磁力=コトダマの力によって、100冊の本に、飛びこんできたものです」と述べます。鎌田東二、すごい! ところで、「愛の言霊」はわたしが鎌田氏にお教えしたことは書きましたっけ?

 

一切なりゆき 樹木希林のことば (文春新書)
 

 

最後に、「あとがき」で、椎根氏は「ひとりの女優が、この世から消えて、1年と6ヵ月が過ぎた。その18ヵ月の間、無数といってよいほどの樹木希林にまつわる本が世の中にあふれた。娘の也哉子さんは、体を壊さんばかりの気苦労で、もう母に関する本は、このへんで終わりにしようと決心していた。そこに、私が、希林さんの100冊の蔵書を全部読んで、希林さんが見つけ出した言霊を、読んでみたい、と無理にお願いした。一周忌が終わった直後だった。也哉子さんは、希林さんと私の交誼を知っていて、やむなく許諾してくれた。それまで誰にも教えたこともない、見せたこともない、重い引戸のうしろにしまいこまれてあった100冊を借り受け、読みはじめた。そこには、日本人の心とカラダに関する事柄が、古事記から現代にいたるまでの、それは、本当に血が噴きださんばかりの、真の人間の激情にあふれていた」と述べるのでした。「その人の蔵書を見れば、その人の内面がわかる」とはよく言われることですが、本書を読んで、樹木希林という方がいかに「心ゆたかな」方だったのかがわかりました。近いうちに、わたしは『心ゆたかな読書』という本を上梓したいと思っています。

 

 

2020年11月14日 一条真也

『それでも読書はやめられない』

それでも読書はやめられない: 本読みの極意は「守・破・離」にあり (NHK出版新書)

 

一条真也です。12日、金沢に入りました。
翌13日は、サンレー北陸の本部会議に参加します。
それはそうと、季節は秋。そう、読書の秋ですね!
『それでも読書はやめられない』勢古浩爾著(NHK出版新書)を読みました。「本読みの極意は『守・破・離』にあり」というサブタイトルがついています。著者は、1947年大分県生まれ。洋書輸入会社に34年間勤務ののち、2006年末に退職。市井の人間が生きていくなかで本当に意味のある言葉、心の芯に響く言葉を思考し、静かに表現し続けているそうです。著書に『思想なんかいらない生活』『最後の吉本隆明』(ともに筑摩書房)、『まれに見るバカ』(洋泉社)、『アマチュア論。』(ミシマ社)、『定年後に読みたい文庫100冊』(草思社)、『定年バカ』(SBクリエイティブ)など。 

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本書の帯

 

本書の帯には「名うての市井読書家が送る痛快なる読書一代記!」「名著、名作に入門〈守〉、格闘し、敗れた〈破〉のちに開眼する〈離〉。古希を過ぎて総括する、読書人生の終着点!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「はじめに」から以下の文章が引用されています。
「日々の暮らしのなかで、『ああ、おもしろかった』と思えるようなことはめったにない。ところが、本だけは特別だ。ほんとうにおもしろい本に当たれば、心底楽しいのである。こういう経験をできるのは本を読むこと以外にない。まあ、いいすぎだが。読書はもっとも地味な行為なのに、他の愉楽を凌ぐおもしろさをもっているとは、本を読まない人には信じられないだろうと思う。わたしは他の様々なこと(映画、音楽、旅行など)はあきらめても、心身がもつならば、本はたぶん死ぬまで読みつづけるだろう。読書は飽きがこない。金もかからず、手軽で、どこでも楽しめる。読書ほど持続できる趣味もあまりないのではないか」 

 

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「普通一般の読書で、本はこう読みなさい、というルールはなく、読書は技量の上達や心の成長を競うものでもない。つまり、読書の作法は人それぞれだ。ただし、自分自身を相手に、自分なりの読書の道筋として『守・破・離』を見つけられるとしたら、どうだろうか?加齢とともに移り変わる読書傾向は何を意味するか?約1万冊を読んできた、名うての市井読書家による渾身の読書論」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに――死ぬまで読書」

第1章 いきなり読書の横道から入って
     ――人はいかにして読書に目覚めるか

第2章 読書の「守」――不自由な読書だった

第3章 読書の「破」――名著と格闘する

第4章 読書の「離」――もっと自由な広い世界へ

第5章 読書家たちの読書論を読む   

第6章 おすすめ純粋おもしろ本の世界

第7章 読書の終着点――いま読書できることの幸せ

「あとがき――まだまだ読みたい本はある」

 

利休道歌に学ぶ (裏千家学園公開講座PELシリーズ)

利休道歌に学ぶ (裏千家学園公開講座PELシリーズ)

  • 作者:阿部 宗正
  • 発売日: 2000/11/01
  • メディア: 単行本
 

 

「はじめに――死ぬまで読書」で、茶道の「守破離」を読書に応用することを提言します。「守破離」とは、芸道における成長の段階を意味する教えで、千利休の「規矩(きく)作法守りつくして破るともはな(離)るるとても本(もと)を忘るな」という利休の道歌に由来します。茶道裏千家業躰の阿部宗正氏の著書『利休道歌を学ぶ』(淡交社)による解説では、規矩作法を「十分に学び、一所懸命よく守ること」が「守」、その規矩作法を「自分の段階で脱皮して少しずつ大きくなり、また学んでは脱皮することによって大きくなって行く」ことが「破」、その段階から「さらに規矩作法を熟知して自由闊達な働きができ、何のとらわれもない、守破離の『離』の段階ともいえる境地にまで到達」できるようになります。しかし、そうなったとしても「基本となる規矩作法は忘れることなく、守らねばならない」のです。

 

著者は、「まあ大げさだが」としながらも、自分なりの読書人生(まあ大げさだが)を振り返るとき、この「守破離」に似た道筋を辿ったような気がするとして、以下のように述べます。
「人生の序盤まで本好きでもなんでもなかったわたしが、ひょんなことから本を読むようになり、王道である義務としての『名作』の読書を経て(守)、やがて無謀にも『名著』に挑むようになり、いかにして敗退したか(破)。そこまでは滑稽とも哀れとでもいうべきだったが、しかしまた、そこで改めて開眼し、いかに『ああ、おもしろかった』という読書本来の自由で楽しい読書の原点に戻ってくることができたか(離)、というようにである」

 

古典力 (岩波新書)

古典力 (岩波新書)

 

 

第2章「読書の『守』――不自由な読書だった」では、著者が数々の「読書の達人」を斬ります。まずは、読書論の第一人者として知られる明治大学教授の齋藤孝氏の著書『古典力』(岩波新書)に触れ、同書の「あとがき」に書かれた「古典は、苦しいとき、迷ったときにこそ、力を発揮する。自分の心の中でだけ、ぐるぐると回っていても先が見えにくい。そんなとき、古典の言葉は深く入ってきて、拠りどころになってくれる」「死を意識しつつも、暗くならず、前を向いて生きていく力を古典は与えてくれる」といった言葉を紹介します。著者は、「齋藤はまじめな男だと思うが、これらの言葉はやはりおざなりである。つまりあまりにも形式的である」などと感想を述べます。

 

また、「稀代の読書家」として、元ライフネット生命社長で、現在は立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏の「ビジネス書を10冊読むより、古典を1冊読むほうが、はるかに得るものが大きい」という発言を紹介します。その発言の理由は、「時代を超えて残ったものは、無条件に正しい」だそうです。ただ「古典は難しく感じる」ものだが、それは「時代背景が違うから」だとも出口氏は述べています。しかし、著者は「時代を超えて残ったものは、無条件に正しい」ということはないと断言し、それは「普遍的にも個人的にも。それは、ものによる」と述べるのでした。

 

 

さらに著者は、第3章「読書の『破』――名著と格闘する」で、「知の巨人」などと呼ばれることの多い松岡正剛氏と佐藤優氏に斬り込みます。ブログ『読む力』で紹介した本の中で松岡氏が佐藤優氏との対談で語った「コジェーヴは、ヘーゲルの『精神現象学』の中から『歴史の終焉』を読みとるわけでしょう。そのことにもっと気付くべきですね。日本にはコジェーヴが足りないな」という言葉を紹介します。これに、佐藤優もこう応じている。「コジェーヴはフランス現代思想に大きな影響を与えた哲学者です。『ヘーゲル読解入門』(1947年)などは、もっと読まれるべきだと思います。翻訳もしっかりしている」と語っています。これに対して、著者は「カッコいいじゃないか。わたしも1回くらいこういうカッコいいことをいってみたいものだが、しかし、コジェーヴが『足り』るとはどういうことで、『ヘーゲル読解入門』が『もっと読まれ』たとすると、なにがどうなるというのか。こういう適当な発言が、世のぼんくら頭をいたずらに揺さぶるのである」と述べています。いやはや、手厳しいですね。

 

 

著者は、「結局、自分をこじらせただけでなんの収穫もなし」として、哲学書を中心とした古典へのチャレンジについて、「わたしはカント、デカルト、ルソー、ニーチェスピノザライプニッツキルケゴールベルグソンモンテーニュ、カッシラーといった古典に挑みながら(おこがましい)、これらの現代フランス思想にも後れをとってはならないと、だれに頼まれたわけでもないのに、自分で焦ったのである。この頃のわたしは、いい年をして狐がついていたとしか思えない。前世代のメルロ=ポンティサルトルソシュール、イリッチ、レヴィ=ストロースなどにも目を配ることを忘れなかった。その他、シモーヌ・ヴェイユバタイユフランシス・フクヤマ。もうこんな名前を一人ひとり挙げてみても意味はない」と述べています。

 

不合理ゆえに吾信ず 1939~56 (埴谷雄高全集)

不合理ゆえに吾信ず 1939~56 (埴谷雄高全集)

  • 作者:埴谷 雄高
  • 発売日: 1998/04/20
  • メディア: 単行本
 

 

続けて、「そんなこんなで、わたしはそのころ次のような本を集めていた(もう、読むのではなく、「集めていた」といっちゃったよ)。(中略)『埴谷雄高全集』、『柳田國男全集』(ちくま文庫)、『折口信夫全集』(中公文庫)、『坂口安吾全集』(ちくま文庫)、それに『バタイユ著作集』『ベンヤミン著作集』『北一輝著作集』『ビヒモス』『保田與重郎選集』『性の歴史』『親族の基本構造』。日本の思想も知らなければならない、と石井恭二正法眼蔵(全4冊)』も持っていた。そして、ある日ある時、これらのすべてを古本屋に叩き売ったのである」と述べています。

 

 

 結局、ほとんどの哲学本は読めなかったと正直に告白して、著者は「20年間、ただじたばたしただけである。自分のなかではなんの収穫もなかった。これははっきりしている。ただ自分で自分をこじらせただけである。ムダ金とムダな時間を費やして、ただ哲学者の名前と著書名を知っただけである。まったくの無意味。そんなクイズがあれば、すこしは答えられる。そんな程度の意味しかない。虚栄心にすらならない。わたしはいまだに、哲学と思想はどうちがうのかがわからない。もうそんなことを考えることもなくなったが」と述べます。今回、この本を書くために、立花隆佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方――必読の教養書400冊』(文春新書、2009)を読んだ。これがじつにおもしろかった。なあなあのなれ合いではなく、両者とも自分の考えははっきりという。そこがいい」と述べています。同じ「知の巨人」と呼ばれる読書人であっても、松岡正剛は受けつけなくても立花隆はOKなのですね。では、両者と対談している佐藤優はどうなんだ?(笑)

 

第4章「読書の『離』――もっと自由な広い世界へ」では、出口治明氏の重視する読書における記憶への「残存率」などにも言及しながら、著者は「名著といわれる本をわたしはほとんど読み通したことがない」と堂々とカミングアウトしつつ、「なんなのだ、名著とは? いやその前に、なんなのだ、本を読むとは?『残存率』なんてことをいいだしたら、かならずこの疑問に突き当たってしまう。本を読んでも、1ミリも成長の自覚がないのだ。わたしがぼんくらであることは認めてもいい。が、ぼんくらであろうとなかろうと、成長しなければならないのは、このわたしである。それが、1ミリの成長もしないのであれば、本を読む意味はない。もっとも、本を読む意義を、自分の血となり肉となることだ、と考える人間にとっては、ということである。しかし、こんなことも、本を読んでみなければわからなかった」と述べています。とても正直というか、誠実な人なのですね。

 

 

「呪縛から解放される『五段階』」として、著者は「現在のわたしは『名作』や『名著』の呪縛からほぼ解き放たれている。ほぼ、というのは、まだ『名作』や『名著』に対する全般的敬意がわずかではあれ残っているからだ。キューブラー・ロスによると、死の受容過程は一般的には、次の五段階を経ると考えられている。(1)否認と孤立、(2)怒り、(3)取り引き、(4)抑鬱、そして(5)受容、である」と述べています。いきなり死生学のパイオニアであるキューブラー・ロスの「五段階説」が登場して驚きましたが、さらに著者は「死と同列に論じることはできないが、『名著』『名作』から解放されるにも、解放の五段階があると考える。『名著』を前にして、人間はおおむねこういう解放の道を辿ると思われる。(1)憧憬、(2)無力感、(3)忍耐、(4)疑問、そして(5)解放、である。もちろん、だれもが解放されるわけではない。いつまでたっても、「名著」信仰に呪縛されたままの人間、という人はいるからである。権威に無条件に従順な人である」と述べています。興味深い仮説だと思います。

 

(5)解放を経験した著者には「名著」に対する強迫観念は消滅したそうで、「名著幻想が解体されるということは、自分自身の証明という愚昧から解放されるということだった。もう惑わされることはない。ほかにおもしろい本がたくさん待っている。そして、そのことだけがふつうの人間の読書においては大切なことである」と述べます。また、「もし名著を読めたとしたら、わたしはどうなったのか」として、「いまでも少し気になっていることがひとつだけある。あるいは、経験してみたかったな、ということである。それは、もしわたしが、ほとんどの名著を完全に、少なくとも8割方理解できたと仮定したら、はたしてわたしはどんな人間になることができたのか、ということである。これだけは経験してみたかったと思う」と述べています。この気持ち、よく理解できますね。

 

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:竹田 青嗣
  • 発売日: 1993/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

さらに著者の想像は膨らみ、「たとえば竹田青嗣柄谷行人松岡正剛佐藤優らのわかり方はもっとすっきりしているのだろう(ほんとか?)。かれらはほとんど理解できたということで、自分の考え方や生き方や人間関係や自身の人間的成長において、なにか変化はあったのだろうか(まさか、「あったよ、名著を読んでいない人間はサルだ、といえるほどには偉くなったよ」ということではあるまい)。いや、わかるということはそういうこととはちがうんだよ、わかってないなあ、と微笑されそうである。じゃあどういうことなんだと思うが(一人相撲をしてる)、自分になんの変化もないのなら、わたしにとっては、わかるということに意味はない(それは考えつづけることだよ、とかいわれそうである)。ニーチェは、カントは、ラッセルはこういっているんだな、と解説することができるようになるだけ、というのなら意味はない」と述べています。

 

海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)

海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2010/11/05
  • メディア: 文庫
 

 

文学に対する著者の姿勢も興味深いです。
「年を取って文学がばかばかしくなる」として、著者は「わたしは初期の村上春樹はどちらかといえば好きで、ほとんど読んでいた。それが徐々に、なんかいつもおなじような文章だなと思うようになり、ついに2002年の『海辺のカフカ』で、このように書けば(登場人物の名前の付け方、独特の比喩、軽々しいセックスシーンなど)、また読者が盛り上がるだろうなという意図が透けて見え、どうにも読者を舐めた作家だなあ、と思い、もうそれ以後、読むのをやめたのである。もちろんわたしひとりが読むのをやめても、村上人気はつづくだろうし、村上春樹の盛名は微動だにしない。むろんそれでいいのだが、もうわたしには関係がないと思ったのである」と述べています。わたしは今でも村上春樹氏の小説を面白く読んでいますが、一時は「文学がばかばかしい」と思えた時期もありました。しかし、ブログ『ストーナー』で紹介した小説を読んで、考えを改めました。今では「やはり、文学は人間にとって必要である」「特に、グリーフケアにおいて文学は不可欠である」と思っています。

 

 

哲学書や文学書に価値を置いていないという著者ですが、「ほかのジャンルの隣人としての名著」として、プレジデント編集部編『経営者80人が選ぶ「わが1冊」――仕事の指針、心の特効薬』(プレジデント社)を取り上げ、高く評価しています。著者はブログ『必読書150』で紹介した柄谷行人浅田彰岡崎乾二郎奥泉光島田雅彦・絓秀実・渡部直己といった錚々たる顔ぶれの知識人によるブックガイドと同書を比較し、「この『経営者80人が選ぶ「わが1冊」』は、バラエティに富んでいて『必読書150』なんかより、よほど参考になるし有益である。ここに挙げられている本は、だれでも手に取ることができ、だれにでも読める〈地上〉の名著ばかりである。いや、無理に『名著』に祀り上げる必要もない。隣人としての名著だ」と大絶賛しています。たしかに、経営者には読書を仕事や人生に生かす達人が多いと、わたしも思いますね。

 

文庫 定年後に読みたい文庫100冊 (草思社文庫)

文庫 定年後に読みたい文庫100冊 (草思社文庫)

  • 作者:勢古 浩爾
  • 発売日: 2015/10/02
  • メディア: 文庫
 

 

「名著は自分で発見するもの」として、著者は他人の推薦図書を見るのは好きだけれども、自分では「わたしの傑作ベスト10」みたいなものは書いたことがなかったと思っていたら、『定年後に読みたい文庫100冊』(草思社文庫、2015)に「別格の9作品」として挙げたことを思い出したそうです。池波正太郎真田太平記(全12冊)』、北方謙三三国志(全14冊)』、大西巨人神聖喜劇(全5冊)』、高木俊朗『陸軍特別攻撃隊(全3冊)』、池井戸潤空飛ぶタイヤ(全2冊)』、西岡常一・小川三夫・塩野米松『木のいのち木のこころ――天・地・人』、ケン・フォレット『大聖堂(全3冊)』、ユン・チアン『ワイルド・スワン(全3冊)』、R・Ⅾ・ウィングフィールド『クリスマスのフロスト』が挙げられています。これに、ドン・ウィンズロウ『ザ・ボーダー(全2冊)』を追加していますが、「これらはあまりひとから賛同を得られないのが無念である」などと書いています。

 

 

そして著者は、「純粋読書の楽しみに戻る」として、「仕事や学業に役立てようとする実利的読書ではなく(当然、それらを否定するのではない)、ただ単純に「ああ、おもしろかった」と思えるような自由な読書の楽しさを強調したい。たかが活字が並んでいるだけなのに、おもしろい本はなぜかくもおもしろいのか、という点を称揚したい。実際、おもしろい本は無類におもしろい、ということは大したことなのだ」と述べるのでした。

 

本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法
 

 

第5章「読書家たちの読書論を読む」では、多くの読書家たちに言及し、その読書論についての感想を述べています。たとえば、「‟おもしろさ“の基準がまったくちがう出口治明」として、ブログ『本の使い方』で紹介した本の内容をもとに、こう述べています。
出口治明の読書はちょっと桁が違いすぎる。驚愕しました。『物心がついた頃(幼稚園の頃)』から『本の虫』だったという。恐るべきことに、小学生のときには『少年少女世界文学全集』全50巻、『少年少女世界科学冒険全集』全35巻を読破し、中学生のときには岩波文庫の『プルターク英雄伝』、伊藤正徳他監修『実録太平洋戦争』全7巻、『少年少女世界ノンフィクション全集』全12巻を読んだ。高校生時代には『チボー家の人々』全11巻(これはたぶん白水Uブックスだろう)、『ジャン・クリストフ』『カラマーゾフの兄弟』『戦争と平和』『静かなドン』、その他『日本現代文学全集』『世界の歴史』『日本の歴史』を読んだという。いったいこの3つの全集だけでも、合計何十巻あるのだ」

 

読書の技法

読書の技法

 

 

また、佐藤優氏に関しては、「ほとんど学者並みレベルの佐藤優」として、以下のように述べています。
佐藤優の読書のしかたがまた凄い。小学校2年のとき、父親が買ってくれた『学習こども百科』(全10巻+別巻)を『ボロボロになるまで読んだ』。中学1年のときにはなんと、平凡社の『世界大百科事典』(全33巻+別巻2冊)をはじからはじまで読んだというのである。長じて、戦前の日本で出ていた平凡社の全28巻の百科事典も全部読み、ロシア語で書かれた『ソビエト小百科事典』全5巻も読み、北朝鮮で出ている百科事典にも「目を通し」た(佐藤優・ナイツ塙宣之土屋伸之『人生にムダなことはひとつもない』潮出版社、2018)。ちなみに佐藤が創価学会を絶賛しているのにはびっくり」と述べています。さらにブログ『読書の技法』を取り上げ、同書を読むと「齋藤孝の『読書力』などは児戯にひとしく感じられる。まあ『超』がつくすさまじさである」とまで述べます。ちなみに、わたしは出口氏や佐藤氏の読書体験を知って親近感を抱きました。お二人の読書体験は、わたしのそれとよく似ていたからです。もちろん、『ソビエト小百科事典』や北朝鮮で出ている百科事典は読んでいませんが。(笑)

 

死を乗り越える読書ガイド 「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド
 

 

第7章「読書の終着点――いま読書できることの幸せ」では、「最後まで残るのは読書」として、著者は「2018年10月に脳梗塞をやって以来。おれもいつまでも元気なわけではないのだと思い知らされた。これからはスポーツのテレビ観戦、NHKの将棋番組、簡単な国内旅行と読書と映画を見ることだけを楽しみにしていこう。このなかでも読書は最後まで残りそうな気がする。将棋はいずれめんどうになりそうだ。旅行はいまはまだ体が動くから行く気はあるが、これも少しでも体力が落ちれば中止になるだろう。映画はいまでもおもしろいものが少ない。となると、残るのは読書しかなさそうだ」と述べています。この文章は、グッときました。わたしも、これまで多くの本を読んできましたが、旅行や映画鑑賞やカラオケや飲酒や筋トレなども好きです。でも、やはり「最後まで残るのは読書」だと思います。そして、読書の習慣さえあれば、最後まで人生を心ゆたかに送れるし、最後は心ゆたかに死を乗り越えることもできると信じています。幼少の頃のわたしに読書の習慣を与えてくれた両親に感謝するばかりです。

 

 

2020年11月13日 一条真也

「グリーフケアと読書・映画鑑賞」オンライン講義

一条真也です。
上智大学への爆破予告には驚きました。
11日に大学内で時限爆弾を作動させるとの予告があったのです。その日は上智のキャンパスが閉鎖されましたが、非常に心配しました。

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本日の講義のようす

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こんばんは!

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最初に講義の概要を説明

 

まさにその日の夜、わたしは、客員教授を務める上智大学グリーフケア研究所で講義を行いました。ブログ「『グリーフケアと葬儀』オンライン講義」で紹介した10月29日に続く講義です。通常なら四谷キャンパス内の6号館で行うので、おそらく中止されていたはずです。でも、オンラインゆえに、わたしは小倉の松柏園ホテルから講義を行うことができました。前回はパープルの上着でしたが、この日はブルーの上着で講義しました。パープルは儀式の色ですが、ブルーはグリーフケアの色です。

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グリーフケアと読書・映画鑑賞

f:id:shins2m:20201111185201j:plainグリーフケアの時代』から

 

今回のテーマは「グリーフケアと読書・映画鑑賞」でした。島薗進先生、鎌田東二先生との共著である『グリーフケアの時代』(弘文堂)の第3章「グリーフケア・サポートの実践」で、わたしは葬儀とともに、グリーフケアの方法として読書や映画鑑賞に言及しました。その内容に沿って、話を進めていきました。2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。同会で行っている読書会や映画鑑賞会の実例などについて話しました。

f:id:shins2m:20201111185249j:plain月あかりの会」での読書活動を紹介

なぜ、読書が悲しみを癒すのか?

 

 まずは読書ですが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。

f:id:shins2m:20201111185740j:plain「おそれ」も「悲しみ」も消える読書とは?

「ハートフル・ファンタジー」とは何か 


長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいません。愛する人を亡くした人間も無数に存在します。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)で紹介しました。さらに、わたしはグリーフケアに絶大な力を発揮する「ハートフル・ファンタジー」について話しました。わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。

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星の王子さま』について

f:id:shins2m:20201111185848j:plain物語こそが死の本質を語れる!

 

ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。一度でも関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、5つの物語には込められています。「死」を説明するために、人は「医学」や「哲学」や「宗教」を頼りにしますが、他にも「物語」という方法があるのです。いや、物語こそが死の本質を語れるのかもしれません。

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講義のベースとなった2冊

f:id:shins2m:20201111191043j:plain写真と映画の相違について

「読書」の次は「映画鑑賞」です。『死を乗り越える映画ガイド』をテキストとしましたが、同書のテーマは、そのものズバリ「映画で死を乗り越える」です。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を封印する芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。

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映画とは何か

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映画の本質について語る

 

「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。『唯葬論』(サンガ文庫)でも述べたように、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。そう、映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーオードリー・ヘップバーングレース・ケリーにだって、三船敏郎高倉健菅原文太にだって会えるのです。

f:id:shins2m:20201111191137j:plain映画は総合芸術

 

古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。

f:id:shins2m:20201111191305j:plain映画館という「洞窟」の内部

 

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。

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世界三大「葬儀」映画

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グリーフケアとしての映画の効用

 

その後は、個別の映画作品について語りました。『死を乗り越える映画ガイド』の章立てをもとに5つのテーマに分け、1「死を想う」では「サウルの息子」を、2「死者を見つめる」では「おみおくりの作法」と「おくりびと」を、3「悲しみを癒す」では「岸辺の旅」を、4「死を語る」では「エンディングノート」を、5「生きる力を得る」では「リメンバー・ミー」を取り上げました。

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最新作も紹介しました

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「死」の不安を乗り越える

さらに、ブログ「浅田家!」ブログ「おらおらでひとりいぐも」で紹介した最新作も紹介しました。「グリーフケア」にしろ、「修活(終活)」にしろ、一番重要なのは、死生観を持つことだと思います。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の方が、そのような死生観を持てるようにするには、読書と映画鑑賞が最適だと思います。本にしろ、映画にしろ、何もインプットせずに、自分1人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。

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島薗所長のコメントをお聴きする

f:id:shins2m:20201111201835j:plain質問に答えさせていただきました

 

ですから、死の不安を乗り越えるには、読書で死と向き合った過去の先人たちの言葉に触れたり、映画鑑賞で死に往く人の人生をシミュレーションすることが良いと思います。この日は、そんなことを話しました。講義後は島薗所長のコメントをお聴きし、受講生の方の質問を受けました。オンライン講義はちょっと苦手ですが、グリーフケアの研究と実践はわたしの天命だと思っています。これからも全身全霊で、この道を歩んで行く覚悟です。それにしても、上智が爆破されなくて良かった!

 

2020年11月11日 一条真也