「罪の声」

一条真也です。
日本映画「罪の声」を観ました。
11日に行う上智大学グリーフケア研究所のオンライン講義で「グリーフケア映画」をテーマにするので、最新作を参考にしたいと思い、ブログ「おらおらでひとりいぐも」で紹介した映画に続いて鑑賞しました。グリーフは死別だけでなく、過去の人生のそこかしこに在ることを教えてくれる力作でした。上映時間は142分ですが、まったく飽きることなく物語に引き込まれました。最後は感動しました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「かつて日本を震撼させた事件をモチーフにした塩田武士の小説を映画化。昭和の未解決事件をめぐる二人の男の運命を映し出す。『ミュージアム』や『銀魂』シリーズなどの小栗旬と、『引っ越し大名!』などの星野源が主人公を演じる。星野が出演したドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の演出と脚本を担当した土井裕泰野木亜紀子が監督と脚本を務めた」 

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「新聞記者の阿久津英士(小栗旬)は、昭和最大の未解決事件の真相を追う中で、犯行グループがなぜ脅迫テープに男児の声を吹き込んだのか気になっていた。一方、京都でテーラーを営む曽根俊也(星野源)が父の遺品の中から見つけたカセットテープには、小さいころの自分の声が録音されていた。その声は、かつて人々を恐怖のどん底に陥れた未解決事件で使用された脅迫テープと同じものだった」

 

この物語に登場するギンガ・萬堂事件(通称、ギン萬事件)のモデルは、もちろんグリコ・森永事件です。原作は2016年度「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門第1位に輝いたベストセラーで、第7回「山田風太郎賞」も受賞しています。原作者の塩田武士氏は大学時代にグリコ・森永事件の関係書籍を読み、脅迫電話に子どもの声が使われた事実を知って、自らと同年代のその子どもの人生に関心を抱いたといいます。そこからいつかこれを題材とした小説を執筆したいと考えました。新聞記者を経て2010年に小説家になった際に編集者に相談したところ、「今のあなたの筆力では、この物語は書けない」と言われ、さらに5年を待って執筆を開始したそうです。緻密な取材、検証が織り交ぜられ、圧倒的な説得力がありますが、執筆に際して、塩田氏は1984年から85年にかけての新聞にはすべて目を通したとか。



そのグリコ・森永事件とは何か。1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、日本の阪神間大阪府兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件です。Wikipedia「グリコ・森永事件」の「概要」には、「1984年3月、江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品不二家駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された」とあります。



続けて、Wikipedia「グリコ・森永事件」の「概要」には、「2000年(平成12年)2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。2005年(平成17年)3月に除斥期間民法第724条)が経過し、民法上の損害賠償請求権が消滅した。企業への脅迫状とは別に報道機関や週刊誌などに挑戦状を送りつけ、毒入り菓子をばらまいて社会一般を騒ぎに巻き込んだことで、評論家の赤塚行雄から劇場型犯罪と名付けられた。同時期にこの事件と並行して話題となっていた三浦和義ロス疑惑とともに当時の世相として振り返られることも多い」と書かれています。



これまで、わたしは、グリコ・森永事件にそれほど関心がありませんでした。というのも、事件が世間を騒がせていた頃、東京の六本木に住んで毎晩のようにディスコで踊っていてニュースに疎かったことと、「かい人21面相」の人をおちょくったような、いかにも関西人らしい脅迫文の文面が嫌いだったからです。わたしが犯罪事件に無関心というわけではありません。グリコ・森永事件以前の戦後最大の犯罪事件である「三億円事件」には非常に興味を持っていました。1968年12月10日、日本信託銀行国分寺支店(東京都国分寺市)から東芝府中事業所(府中市)に向けて出発した、東芝従業員に支払われるボーナス総額3億円を載せた現金輸送車が強奪された事件です。



三億円事件では、時価換算では今もって国内の犯罪史上最高額とされる金額が奪われました。しかし、グリコ・森永事件では、犯人グループは一銭も受け取っていません。当時のわたしは単なる愉快犯だとしか思えず、三億円事件に比べるとインパクトが弱いと感じていました。また、三億円事件とグリコ・森永事件ともに、1人も殺されていないことから、その後の「オウム真理教事件」などに比べると凶悪性が低いようにも思っていました。しかし、オウム事件の犯人たちはすべて逮捕され、死刑になりましたが、昭和の両事件の犯人は捕まらないまま時効を迎えてしまいました。



犯人が捕まらなかったがゆえに、三億円事件もグリコ・森永事件も、昭和最大級のミステリーとなったわけですが、深海のごとく社会の奥深くに隠れた真実も、時間が経過すれば海上に浮上してきます。映画「罪の声」では、そんな秘密を抱えた人々を「深層の住人」と表現していましたが、要するに事件から数十年も経ち、すでに時効を迎えていると、「じつは自分が犯人です」とか「犯人を知っています」などと発言する人々が現れてくるのです。



それは別に目立ちたいとか、マスコミから金を貰いたいといった俗な理由というよりは、真実を語らずにはいられないという人間の本能のようなものだと思います。実際、両事件においても、そのような人物が次々に出現し、週刊誌などを騒がせました。わたしの中では、三億円事件は首都圏の事件で、グリコ・森永事件は関西圏の事件という印象が強いのですが、ともに学生運動から派生した過激派グループが関係していたのではないかという可能性が囁かれています。



三億円事件の場合は、さまざまな陰謀説が唱えられましたが、その中に「公安警察犯行説」があります。当時、過激派の街頭闘争が吹き荒れ、警視庁は事件現場である三多摩のアパートに多く住む学生活動家を洗い出すために、あのモンタージュ写真とともに、ローラー作戦の口実を作ろうとしていたというのです。実際にローラー作戦空前絶後の規模で行われました。事件現場近くの都立府中高校卒業生まで容疑者リストにあがり、同校OBだった歌手の布施明、タレントの高田純次まで含まれていたそうです。

 

じつは、ネタバレにならないように注意深く書くと、「罪の声」には、「体制を打倒するためには、どんな行為でも正当化される」と妄信する元過激派の学生活動家が登場します。革命を夢見る彼やその仲間たちは自分たちの行動はそのまま社会正義の実現なのだと思い込むのですが、その行き着いた果が「ギン萬事件」でした。いくら金を奪わず、人も殺していないといっても、誘拐、身代金要求、毒物混入など卑劣な犯罪を繰り返したことは事実で、社会正義の実現どころか完全な反社会的行動です。それに、金を受けとらなかったはいえ、それは現金受け取りのリスクを恐れただけで、株価操作によって金を得た可能性は高いのです。



しかし、犯人グループは当初予想していたほどの大金を得ることはできず、次第に互いが疑心暗鬼になり、対立していきます。その中には、元過激派も、元警察官も、現役のヤクザもいるのですが、彼らはみんな仲間を信じておらず、いわば性悪説に立っています。わたしは性悪説は間違っていると思いますが、お人好しの善人だけでも組織は滅びます。実際の事件でも「かい人21面相」(映画では「くら魔てんぐ」)は、脅迫状の中で「悪党人生面白いで」と書いていました。1人でも「悪党」というのは、悪人はみな団結性を持っているからです。しかし、彼らには共通の信条がなく、彼らの団結性は誠がありませんから、金の問題で必ず分裂するのです。この映画でも、その様子がよく描かれていました。


もちろん、この歴史に残る大犯罪は、金欲しさだけに起きたわけではありません。そこには、警察やマスコミを恨む者の怨念がありました。警察なら誤認逮捕や冤罪、マスコミなら誤報によって、人の人生など簡単に壊すことができます。そこには、平和に暮らす一般人には計り知れないほどのグリーフ(悲嘆)が生まれるのです。そして、この映画では、過激派の抗争に巻き込まれた亡くなった1人のサラリーマンが、過激派とはまったく無関係なのに、新聞に「過激派同士の仲間割れ」と誤報をされたおかげで、それを信じた故人の勤務先の会社の人々が葬儀に参列せず、線香一本あげていかなかったことへの恨みが語られていました。



一方、脅迫テープに声を使われた男児の1人が、そのことによって人生がめちゃくちゃになってしまい、社会の底辺を渡り歩いていたとき、子のいない夫婦が経営する中華料理店で働くことになったとき、親代わりともいうべき夫婦が彼に成人式のお祝いをしてくれたエピソードが紹介されます。そのときのことを回想する彼は、「人生で一番嬉しかった」と涙ぐむのでした。葬儀に参列に来なかったことへの恨み、成人式を祝ってもらったことの喜び・・・・・・この映画を観て、改めてわたしは、「冠婚葬祭とは、その人の人生を肯定する」営みであることを思い知りました。



この映画には、多くの悲嘆が登場します。知らないうちに罪を犯していた悲嘆、知らないうちに人を傷つけていた悲嘆、そして、自分の人生を狂わされる悲嘆・・・・・・脅迫テープに声を使われた3人の子どもたちは、その後、当たり前の人生を送れない者もいました。当たり前のことを、当たり前にできないことは大きな悲嘆ですが、じつは犯罪事件の当事者だけでなく、現在のコロナ禍にあってもその悲嘆は生まれ続けています。今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、とにかく想定外の事件でした。わたしを含めて、あらゆる人々がすべての「予定」を奪われました。今回のパンデミックでは、卒業式や入学式という、人生で唯一のセレモニーを経験できなかった生徒や学生たちが大きな悲嘆と不安を抱えたことを忘れてはなりません。もちろん、子どもたち以外も、です。



この映画にも主要な登場人物の1人が首吊り自殺寸前まで行くシーンがありますが、コロナ禍の中で日本人の自殺者数が激増しています。10月の自殺者数が2153人(速報値)となり、昨年同月比で39.9%増(614人増)だったことが、11月10日に警察庁の集計で分かりました。約40%も自殺者が増加するというのは明らかな異常事態です。自殺の主な原因とされる「コロナうつ」の中には、当たり前のことができずに不安を抱え、それが悲嘆、さらには絶望へと変わっていった人も多いと思われます。不安定になりがちな人の「こころ」を安定させるにはどうすべきか・・・・・・そんなことを考えながら、この142分のグリーフ映画を観終えました。主演の小栗旬星野源の演技は素晴らしかったです。背の高い小栗と小柄な星野のバディぶりは好感が持てました。最後に、警察の柔道部監督役として、「柔道一直線」で一条直也を演じた桜木健一が柔道着姿で登場したのには驚きました。嬉しいサプライズでした!

 

2020年11月11日 一条真也

「おらおらでひとりいぐも」

一条真也です。
日本映画「おらおらでひとりいぐも」を観ました。ブログ『おらおらでひとりいぐも』で紹介した小説の映画化です。11日に行う上智大学グリーフケア研究所のオンライン講義で「グリーフケア映画」をテーマにするので、最新作を取り上げるべく鑑賞しました。「グリーフケア」のみならず、人生を修めるための「修活」についても考えさせられる佳作でした。


ヤフー映画の「解説」には、「第54回文藝賞と第158回芥川賞に輝いた若竹千佐子の小説を原作にしたヒューマンドラマ。主婦として子育てを終えたところで夫に先立たれた女性が、自身の歩んだ道のりを回顧しながら孤独な毎日をにぎやかなものへと変えていく。メガホンを取るのは『横道世之介』『子供はわかってあげない』などの沖田修一。『いつか読書する日』などの田中裕子と『宮本から君へ』『るろうに剣心』シリーズなどの蒼井優が、それぞれ現在と20歳から34歳のヒロインを演じている」とあります。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「ひとり暮らしをする75歳の桃子(田中裕子)は、東京オリンピックの開催に日本中が湧く1964年に、その熱狂に導かれるように故郷を飛び出して東京に来た。それから55年の月日が流れ、母として二人の子供を育て上げ、夫・周造と夫婦水入らずの穏やかな余生を送ろうとするが、その矢先に彼に先立たれてしまう。突然の出来事にぼうぜんとする中、彼女は図書館で借りた本を読み漁るように。そして、46億年の歴史をめぐるノートを作るうちに、見るもの聞くもの全てに問いを立て、それらの意味を追うようになる」です。



この映画の冒頭は意表を衝かれるというか、想定外のシーンが展開されて呆気にとられました。なにしろ、46億年前の地球の誕生からスタートし、地球上に生物が誕生し、氷河期によって恐竜が滅亡するシーンが描かれるのです。そこから現代の日本の街の夜景に一気に飛び、1軒の家の中の薄暗い部屋で1人でお茶を飲む桃子が映し出されます。
このぶっ飛んだスケールの大きさを楽しみながら、わたしは拙著『唯葬論』(サンガ文庫)の第1章「宇宙論」の内容を連想しました。そこで、人間の「いのち」は宇宙から来たということを述べたのです。



夫である周造に先立たれた桃子は、孤独です。朝、起きても、病院か図書館に行くぐらいしか、やることがありません。話し相手もいません。その孤独が人の形をして桃子の前に現れるようになります。映画では、濱田岳青木崇高宮藤官九郎が演じていますが、「おらだば、おめだ」と言う彼らはなかなか愛嬌があります。3人とも飄々としていて、いい感じでした。もともと、ゆるキャラのような芸風である濱田と宮藤に比べて、青木だけはギラギラした役をやることが多いです。ブログ「朝が来る」で紹介した日本映画でも、借金の取り立てをするヤクザを演じていました。でも、この映画では他の2人と同じ印象になっているのですから、役者というのは大したものですね。



孤独という感情を擬人化したところは、ブログ「インサイド・ヘッド」で紹介したディズニー映画の名作を彷彿とさせます。しかし、桃子は女性なのに、なぜ彼女の孤独は3人の男性として出現するのか。桃子の「こころ」はもともと男性的だったのか。わたしは、この3人は「こころの声」というよりも「座敷わらし」みたいだと思いました。そういえば、桃子は座敷わらし伝説で有名な岩手県遠野市の出身なのです。柳田国男の『遠野物語』の遠野です。ちなみに、原作者の若竹千佐子氏は1954年岩手県遠野市生まれ。民話の里である遠野で育ち、子どもの頃から小説家になりたいと思っていたそうです。



岩手県といえば、作家で詩人の宮沢賢治を忘れることはできません。『おらおらでひとりいぐも』というタイトルは、賢治の詩「永訣の朝」の、「おら おらで ひとり逝く」から取られたといいます。賢治の詩では「あの世へ逝く」の意味ですが、同書では「自分らしく、一人で生きていく」という意味が伝わってきます。そう、この物語は、夫に先立たれ、子どもたちとは疎遠なまま1人暮らしをしている74歳の桃子という女性のモノローグ小説です。当時63歳だった若竹氏は新たな「老いの境地」を描き、第54回文藝賞を史上最年長で、そして第158回芥川賞を史上2番目の年長で受賞しました。



映画版では、主人公の桃子は田中裕子が好演しましたが、若き日の桃子は蒼井優が演じました。文芸評論家の斎藤美奈子氏は、桃子のことを「東京オリンピックの年に上京し、二人の子どもを産み育て、主婦として家族のために生き、夫を送って『おひとりさまの老後』を迎えた桃子さんは、戦後の日本女性を凝縮した存在だ。桃子さんは私のことだ、私の母のことだ、明日の私の姿だ、と感じる人が大勢いるはず」と述べています。この映画には、さまざまなグリーフ(悲嘆)が描かれていますが、特に印象に残った場面があります。それは、可愛いフリルのスカートを履いた孫娘を見て、桃子は自分の幼い頃もあんなスカートを履きたかったけれど、東北の田舎ゆえ履けませんでした。それで、自分の娘が成長して「可愛いスカートが欲しい」と言ったときに、夜なべしてフリルのスカートを履かせてあげたのです。桃子は自分の夢を娘が代わりに果たしたと思って喜んだのですが、娘はそのフリルのスカートが嫌でたまらなかったそうで、後年、「あのとき、無理やり履かされた!」と桃子をなじったことを回想し、涙する場面でした。グリーフにもいろんな「かたち」があることを改めて知りました。

 

若き日の桃子は「新しい女」を自負する自立した女性を目指していました。それが「都会の中の故郷」ともいえる同じ東北出身の周造に一目惚れしたのでした。周造の死は桃子に「悲嘆」とともに「自由」も与えました。彼女はずっと、自立をしたいと願いながら生きてきたのですから・・・・・・。周造を演じたのは、東出昌大です。蒼井優東出昌大といえば、ブログ「スパイの妻」でも共演していましたが、なぜかこの2人は「昭和」が似合います。古風な顔立ちの蒼井優はまだわかるとしても、高身長でバタ臭い顔をした東出が「昭和」の男とはちょっと意外な感じもしますが、ブログ「ビブリア古書堂の事件手帖」で紹介した映画でも、彼は夏帆とともに昔のカップルを演じていましたが、よく似合っていました。


サンデー新聞」2018年4月7日号

 

ブログ『おらおらでひとりいぐも』で紹介したように、「サンデー新聞」に連載している「ハートフル・ブックス」でも同書を取り上げましたが、桃子の人生には完全に原作者である若竹氏の人生が反映しています。結婚して息子と娘の二児に恵まれた若竹氏ですが、55歳の時、夫が脳梗塞で死去。突然の死に悲しみに暮れ、自宅に籠る日々を送っていたところ、息子さんのすすめで小説講座に通い、8年の時を経て本作を執筆したのでした。本作は「老いること」と身近な人を失う「喪失感」を描いていますが、時折まじえられる東北弁の力を借りて、デリケートなテーマに対して正面から取り組んでいます。

 

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)

 

 

老人小説であり、グリーフケア小説だと言えますが、桃子の心を描写しただけで1冊の本にしてしまった著者の筆力には脱帽です。夫を心筋梗塞で亡くしたとき、桃子さんは「体が引きちぎられるような悲しみがあるのだということを知らなかった。それでも悲しみと言い、悲しみを知っていると当たり前のように思っていたのだ」と思い、さらには、「もう今までの自分では信用できない。おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも」と覚悟を述べます。桃子さんは「周造はいる。必ず周造の住む世界はある」と思いました。夫を亡くして初めて、「目に見えない世界があってほしい」という切実な思いが生まれたのです。



桃子さんの頭に異変が起こり始めたのは、夫の周造さんが亡くなってからです。周造さんはたった1日寝込むでもなく心筋梗塞であっけなくこの世を去りました。桃子さんは周造さんの死を心のどこかでいまだに受け入れられないでいるのですが、同書には「桃子さんの心のうちの柔毛突起ひと群れ、ゆらゆらと立ち上がり、死んだ、死んだ、死んだ、死んでしまったふわりふわりとあっちゃこっちゃに揺れ動く。はじめ誰の目にも止まらない毛ほどの繊細な動きだったのが静かに隣を動かしまたその隣を動かし、やがて小さな波紋となりさざ波となり瞬く間に広がって、しだいに大きなうねりとなり四方に広がり、ついには波動激動、死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ」と書かれています。


この「死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ」は延々と続きます。少しだけ言い回しを変えて続きます。桃子さんは次のように言います。

ああ、くそっ、周造、いいおとごだったのに
周造、これからだすどきに、なして
神も仏もあるもんでね、神も仏もあるもんでね
かえせじゃぁ、もどせじゃぁ
かえせもどせかえせもどせかえせもどせかえせもどせ
かえせもどせかえせもどせ
神さまバカタレかえせもどせ

かえせもどせかえせ
仏さまいるわけねじゃくそったれ

かえせもどせかえせもどせかえせってば
(『おらおらでひとりいぐも』より)


愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

この神仏をも呪う言葉には、桃子の深い悲しみが表れています。拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の第一信「愛する人を亡くすということ」の冒頭、わたしは「あなたは、いま、この宇宙の中で一人ぼっちになってしまったような孤独感と絶望感を感じているかもしれません。誰にもあなたの姿は見えず、あなたの声は聞こえない。亡くなった人と同じように、あなたの存在もこの世から消えてなくなったのでしょうか」と書きました。フランスには「別れは小さな死」ということわざがあります。愛する人を亡くすとは、死別ということです。愛する人の死は、その本人が死ぬだけでなく、あとに残された者にとっても、小さな死のような体験をもたらすと言われています。もちろん、わたしたちの人生とは、何かを失うことの連続です。わたしたちは、これまでにも多くの大切なものを失ってきました。しかし、長い人生においても、一番苦しい試練とされるのが、自分自身の死に直面することであり、愛する人を亡くすことなのです。

唯葬論』(サンガ文庫)

 

じつは、『おらおらでひとりいぐも』という小説は、死者のサポートによって書かれました。
というのも、芥川賞の受賞会見で、新聞の記者が「小説を書き始めたきっかけが、ご主人が亡くなった直後に小説講座に通われていますけども、ご主人がご存命のときに書き物をされてると、千佐ちゃんが芥川賞かな、直木賞かなっておっしゃってたそうですね」と質問しました。それに対して、著者は「はい」と言ってから、亡き夫に対して「私、やったよっていうことですかね」とのメッセージを送りました。このことを知って、わたしは深い感銘を受けました。
もちろん、亡きご主人が生前から奥さんの才能を信じていたということもあるでしょうが、やはり見えない世界から支えてくれていたように思います。拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で述べたように、すぐれた小説を含むあらゆる芸術作品が生まれる背景には作者の「死者への想い」があり、作者は「死者の支え」によって作品を完成させるのではないでしょうか。その考えが間違っていないことを確認しました。

永遠の知的生活』(実業之日本社

 

さらに、桃子がいつも図書館に通い、たくさんの本を読み、時には地球の歴史のようなスケールの大きな本を読み、そこで学んだことをイラスト入りでノートに書く場面が何度も登場しますが、素晴らしいことだと思いました。読書は教養を育てますが、行き着くところは「死」の不安を乗り越えるための死生観を持つことだからです。稀代の読書家として知られた故・渡部昇一先生との対談集である『永遠の知的生活』(実業之日本社)の中で、最後にわたしは書名にもなっている「永遠の知的生活」について語りました。わたしは「結局、人間は何のために、読書をしたり、知的生活を送ろうとするのだろうか?」と考えることがあります。その問いに対する答えはこうです。わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。あの丹波哲郎さんは80歳を過ぎてからパソコンを学びはじめました。霊界の事情に精通していた丹波さんは、新しい知識は霊界でも使えると知っていたのです。ドラッカーは96歳を目前にしてこの世を去るまで、『シェークスピア全集』と『ギリシャ悲劇全集』を何度も読み返していたそうです。

 

 

死が近くても、教養を身につけるための勉強が必要なのではないでしょうか。モノをじっくり考えるためには、知識とボキャブラリーが求められます。知識や言葉がないと考えは組み立てられません。死んだら、人は精神だけの存在になります。そのとき、生前に学んだ知識が生きてくるのです。そのためにも、人は死ぬまで学び続けなければなりません。わたしがそのような考えを述べたところ、渡部先生は「それは、キリスト教の考え方にも通じますね」と言って下さいました。わたしは、読書した本から得た知識や感動は、死後も存続すると本気で思っています。人類の歴史の中で、ゲーテほど多くのことについて語り、またそれが後世に残されている人間はいないとされているそうですが、彼は年をとるとともに「死」や「死後の世界」を意識し、霊魂不滅の考えを語るようになりました。『ゲーテとの対話』では、著者のエッカーマンに対して、人類史上最高の教養人の1人であるゲーテは、「私にとって、霊魂不滅の信念は、活動という概念から生まれてくる。なぜなら、私が人生の終焉まで休みなく活動し、私の現在の精神がもはやもちこたえられないときには、自然は私に別の生存の形式を与えてくれるはずだから」(木原武一訳)と語っています。

f:id:shins2m:20200715153103j:plain死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

渡部先生は「キリスト教の研究家にこんなことを教えてもらいました。人間が復活するときは、最高の知性と最高の肉体をもって生まれ変わるということです」と言われました。わたしが「これらかもずっと読書を続けていけば、亡くなる寸前の知性が最高ということですね。そして、その最高の知性で生まれ変われるということですね」と言ったところ、先生は「そうです。それに25歳の肉体をもって生まれ変われますよ」と言われました。これほど嬉しい言葉はありません。わたしは「それを信じてがんばります。まさに『安心立命』であります」と述べました。映画の終盤で桃子はマンモスとともに雪の街を後進しますが、その先は周造の待つ世界なのだなと思いました。けっして絶望ではなく、そこには新しいステージへの希望が感じられます。桃子がこのような前向きな死生観を得たのも豊富な読書体験の賜物ではないでしょうか。拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)の帯にもあるように「死生観は究極の教養」であり、それは読書から得られるものなのです。そういえば、主演の田中裕子には「いつか読書する日」(2005年)という素晴らしい代表作がありましたね。

 

最後に、もうひとつ。桃子は孫娘と幸福な時間を過ごしながら、穏やかなラストシーンを迎えます。わたしは、この場面を観ながら、孔子のことを考えました。2500前の中国に生まれた孔子は、生命を不滅にするための方法を考えました。彼は、なんと、人間が死なないための方法を考え出したのです。その考えは、「孝」という一文字に集約されます。
「孝」とは何か。あらゆる人には祖先および子孫というものがありますが、祖先とは過去であり、子孫とは未来です。自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は生き残っていくことになります。



現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒に共に生きていることになります。わたしたちは個体としての生物ではなく一つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。これが儒教のいう「孝」であり、それは「生命の連続」を自覚するということなのです。無邪気に笑う孫娘の姿を見ながら、桃子は地球46億年の歴史の流れの中の「生命の連続」を実感したのではないでしょうか。「先祖」や「子孫」というものを意識したとき、人は「ひとり」ではなくなります。そして、「生命の連続」の中で孤独という感情は溶けてゆくのでしょう。そう考えると、人間の姿をした3人の「孤独」たちは、桃子の先祖だったのかも?

 

2020年11月10日 一条真也拝 

『トランプ時代の魔術とオカルトパワー』

トランプ時代の魔術とオカルトパワー

 

一条真也です。
2020年のアメリカ大統領選挙が大混戦の末、ジョー・バイデン前副大統領が勝利宣言しました。しかしながら、ドナルド・トランプ現大統領は敗北宣言していません。今回、つくづく思い知ったのはトランプという人のアクの強さです。ほとんどヒトラースターリン毛沢東にも匹敵する濃いキャラクターですが、あの強気や自信はどこから来るのか不思議でなりませんでした。そんな折、『トランプ時代の魔術とパワー』ゲイリー・ラックマン著、安田隆監訳、小澤祥子訳(ヒカルランド)という、きわめて興味深い本を読みました。ブログ『スーパーナチュラル・ウォー』ブログ『SS先史遺産研究所アーネンエルベ』で紹介した本に続く、ヒカルランドの翻訳オカルト研究書の第3弾です。前2作と同様に、本書も未知の情報に満ちた大変面白い奇書でした。

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アマゾン「著者について」 

 

著者のゲイリー・ラックマンは、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ。作家。意識、文化、西洋の内的伝統の関わりについて執筆・講演活動を行っています。カール・ユングルドルフ・シュタイナーアレイスター・クロウリーコリン・ウィルソン、オカルトと政治などをテーマに著書多数。複数のドキュメンタリー作品に主演し、カリフォルニア総合学研究所の変容的研究付属学科で講義も行います。1996年からロンドン在住。ポップ音楽グループ「ブロンディ」の創設ベーシストで、2006年にロックの殿堂入りしました。その後、西洋秘教文化についての批評活動へ転じた異色の経歴の作家の初の邦訳書が本書です。

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本書のカバー表紙の下部

 

本書のカバー表紙には、左からアレクサンドル・ドゥーギン、ドナルド・トランプウラジーミル・プーチンの顔写真が並び、「オカルティズム、自己啓発神秘主義――トランプ政権の背後に存在する〈隠されしパワー〉の全貌を暴く!」と書かれています。

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本書のカバー裏表紙の下部

 

カバー裏表紙の上にはアノニマスの人々の写真、下には1935年ナチ党大会での行進の写真が使われており、「ニューソートポジティブ・シンキング、ケイオス・マジック、思考の現実化、ユリウス・エヴォラの極右エソテリシズム、トラディショナリズム、プーチンとドゥーギンのネオ・ユーラシア主義・・・・・・アメリカ合衆国第45代大統領選を皮切りに台頭したオルタナ右翼ポピュリズムの全世界的な隆盛。その裏に通底する西洋のオカルト・秘教潮流を精緻に論じた〈オカルト・ポリティクス〉の画期的論考」と書かれています。

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3冊並んだヒカルランドの翻訳オカルト研究書

 

さらに、アマゾンの「内容紹介」には「本書がたどる、政治、力/権力、秘教/オカルトの密接な結びつきと、それに派生する問題群に関与するのは、いずれも個性的でバラエティ豊かな登場人物たち」として、以下のように書かれています。
アメリカ合衆国第45代大統領ドナルド・トランプと"積極的思考"の祖、ノーマン・ヴィンセント・ピール
・ケイオス・マジック(混沌魔術)の使い手たちとパンクムーヴメント
・超越主義とニューソートティーチャーたち――R・W・エマーソン、ウィリアム・ジェイムズ、フィニアス・クインビー、エマ・ホプキンス、R・W・トライン、ネヴィル・ゴダードなど
・狂信と破滅を生み出してきた数々のグルとデマゴーグたち
オルタナ右翼の人びと――スティーブ・バノン、リチャード・スペンサー、ブライトバート・ドットコム
アノニマスネット掲示板「4chan」の住人と哀れなミーム「カエルのペペ」
・原初の啓示の信仰者「トラディショナリスト」たち--ルネ・ゲノンとユリウス・エヴォラ
・EUの秘教的系譜「シナルキー」理論とサン=ティーヴ・ダルヴェイドル
ウラジーミル・プーチンと“灰色の枢機卿"ウラジスラフ・スルコフ、そして“現代のラスプーチン"地政学者アレクサンドル・ドゥーギン
そして、「これらの人びとの言葉や行動から浮かび上がってくるのは、〈想像力〉と〈意志〉のもつ両義的な力である。ポストモダンポスト・トゥルースのこの時代に、イマジネーションを濫用する「暗き星々」から、その本来の可能性を取り戻すための道筋も展望する。エソテリシズム(秘教)と現代世界についての文化批評の第一人者、ゲイリー・ラックマン初の邦訳書」と書かれています。

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加えて、アマゾンの「出版社より」のコーナーが素晴らしく、「魔術は現実に影響を及ぼすか? アメリカ合衆国第45代大統領選挙の背後で動いた見えないパワーに迫る!」として、「魔術によって望むことを現実化する――古来、無数の魔術師たちが追求してきた目標です。もしそれが本当に可能であり、地球最強の権力の座にある人を送り込むことができるとしたら・・・ ?本書は誰もが驚愕した2016年アメリカ大統領選挙におけるトランプの勝利と〈隠されしパワー〉の知られざるつながりに光を当てた刺激的論考です。ニューソートポジティブ・シンキング、ケイオス・マジック(混沌魔術)・・・政治と魔術と力/権力の分かちがたい結びつきに迫ります!」と書かれています。

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また、「あらゆる意味で予想を裏切る世界最高権力者-アメリカ合衆国第45代大統領ドナルド・トランプ」として、「大方の予想を覆して大統領の座を勝ち取り、SNSでもメディアでも爆弾発言を繰り返す。トランプは果たしてマジシャンかデマゴーグか?! 若かりし日の自己啓発的教義への熱意を手がかりにかれの繰り出す『魔術』の秘密を考察します」と書かれています。

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さらに、「思考の現実化の飽くなき追求-ニューソートとケイオス・マジックの使い手たち」として、「西洋秘教・魔術には古からの『思考の現実化』の伝統があります。現実と心の境界線がますます曖昧になるポストモダンポスト・トゥルース時代において、魔術はどのような進化を遂げているのでしょうか? N・V・ピール、N・ゴダード、A・クロウリー、O・スペアなど」と書かれています。

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さらに、「われらが伝統の墨守オルタナ右翼とトラディショナリズムの人びと」として、「トランプの勝利を支えたオルタナ右翼たち。彼らに粗暴な旧タイプの右翼運動にはない洗練性を与えたのは20世紀初頭のトラディショナリストたちの遺産でした。S・バノン、R・スペンサー、ネット掲示板4chanの住人たち、アノニマス、J・エヴォラ、R・ゲノンなど」と書かれています。

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そして、「ロシア・ハートランドの巨人-ネオ・ユーラシア主義の唱導者たち」として、「EUに代表される大西洋主義との最終戦争に勝ち、新たな千年王国の覇権を握るのは『ユーラシア』である! ソ連崩壊後のカオスから勃興した大いなるユーラシアの思想の担い手たちの姿を描き出します。V・プーチン、V・スルコフ、A・ドゥーギン、R・グミリョフなど」と書かれているのでした。



本書の「目次」は、以下の構成になっています。
 序章 新世界「無」秩序
第1章 「勝つのはわたしだ」
第2章 ポジティブ・カオス
第3章 グルとデマゴーグ
第4章 オルタナ右翼のいま
第5章 それが伝統
第6章 万人の万人に対する闘争
第7章 カオスの政治学
「あとがき」
「謝辞」
「監訳者解説 神の『見えざる手』」
「本書関連年表」
「原注」
「図版出典一覧」
「著者既刊一覧」
「事項索引」
「人名索引」

 

 

序章「新世界『無』秩序」で、著者は「拙著『政治とオカルト』の論点のひとつは、『オカルト政治』は、いかなる形態であれ、政治的スペクトルの右翼側に際立って存在してきたという、ウンベルト・エーコなどの作家たちが推進してきたポピュラーな見方は実情とは異なるということだった。『革新派』にもオカルト政治は存在し、歴史に影響を与えてきたという事実は探せばいくらでもみつかる。例として、17世紀ドイツの薔薇十字団運動や、神智学者のヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーとアニー・ベサントがインドの英国統治からの独立におよぼした影響などをあげることができるだろう」と述べています。



ブラヴァツキーはオカルトが政治に入りこむ際の悪評を示すよい例だとして、著者は「人類と宇宙の歴史を壮大に描いた秘教学の古典『シークレット・ドクトリン』の著者である彼女は、アーリア至上主義者らによる悪用によって、国民社会主義の不快極まる人種主義思想の源というレッテルを貼られている。その一方、マハトマ・ガンディーが受けた最も大きな影響のひとつは、まもなく死を迎えようとしていたブラヴァツキーとの対面であり、神智学者の友人たちからのヒンドゥー教聖典『バガヴァッド・ギーター』の紹介であったことはあまり言及されることがない。ブラヴァツキーを主題とした拙著で示したように、『ギーター』はガンディーの人生にとって最も大切な書となった。かれは自分にその本を教えてくれた神智学に死ぬまで感謝していた。暗殺のまさにその日も、ガンディーは自身の機関紙『ハリジャン』に、神智学に賛同する文章を書いている。このことだけでも、オカルト政治を右派だけに結びつける見方は不正確だということがうかがえるだろう」と述べます。



「ケイオスマジック」という、1970年代後半のイギリスのウェスト・ヨークシャーで生まれた魔術の一潮流があります。西洋儀式魔術やネオシャーマニズムを思わせる様々な技法によって、主観的経験と客観的現実の双方を変えることができる、と多くの実践者は考えているようです。著者は、「ケイオス・マジシャンやほかの多くの現代オカルティストたちにとって、インターネットは、伝統的魔術師にとっての『アストラル界』(幽界)と同じ役割を果たすと指摘し、著者は「望んだ意図を伝達するサイキックな媒体のようなイメージだ」と述べています。



続けて、著者は「ミーム・マジックは、インターネット上で生まれたものが『現実世界』に流出し、現実界を変化させるときに起こる。実際、それは誘発された『シンクロニシティ』のようなものだ。『シンクロニシティ』とは、心理学者のC・G・ユングによる『意味のある偶然』を意味する言葉で、わたしたちの内的世界で起こったことが明確な因果関係なしに外的世界でも起こる現象を指している。上記の『内的世界』の部分に『インターネット』を当てはめれば、つながりがみえてくるだろう」とも述べています。

 

【新訳】積極的考え方の力

【新訳】積極的考え方の力

 

 

世界には陰謀論なるものがはびこっていますが、トランプ自身が陰謀論の熱心な信奉者・推進者であることは周知の事実だとして、著者は「『バーサー説』を擁護し、『ケムトレイル』やそれと同じくらい疑わしい数々の諸説も容認している。また、トランプが『ポジティブ・シンキング』の愛好者であることも明らかになっている。トランプ自身が述べたように、かれは『ポジティブ・シンキング』という言葉を有名にしたノーマン・ヴィンセント・ピール牧師の『よき生徒』であった。前述のピール牧師の著書『積極的考え方の力』は、1952年の刊行直後から大ヒットし、人生の成功法を伝える書籍にふさわしい結果をおさめた。トランプはピール牧師から、『心によっていかなる障害も克服できる』という大いなる秘密を学んだ。オルタナ右翼たちがポジティブ・シンキングの力をとおして『意志の力で』政権に送った大統領は、自身も大いにその力を活用しているようだ」と述べています。

 

 

トランプ政権の多岐にわたる特徴を一言で表す言葉として「カオス」を提示する著者は、「トランプ政権がただよわせる、無作為で、『非線形』で、矛盾に満ち、率直にいえば非常に混乱させる雰囲気から、手に負えない大統領という姿をイメージするのが大方の見方である。だが、かれの以前のキャリアに目を向けると別のことが浮かびあがってくる。『わたしはゆるくやることにしている』。巻頭から巻末までポジティブ・シンキングに満ちた自己啓発本『トランプ自伝』でトランプはこう語る。『あまりにガチガチに考えすぎると、想像力も起業家精神もなくなってしまうからだ。自分は毎日仕事に行き、どんな進展があったかだけをチェックするのを好む』『時には少々ワイルドにならねばいけないときもある』とかれは告白する。トランプはつねに成功に自信をもっている。だが、問題が起きそうな状況では大胆に賭けに出る。『かれが動けばものごとはうまくいく』」と述べます。



著者によれば、トランプの選挙によって、政治世界がわたしたちを巻き込みながら非常に奇妙な方向に急転回してしまったことの最も明らかな徴候、それは『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事でした。その記事は、トランプの首席戦略官であり、当時、アメリカ国家安全保障会議(NSC)のメンバーだったスティーブ・バノンは、20世紀イタリアのオカルティストであり秘教哲学者であったユリウス・エヴォラの信奉者であると報じていたのです。



著書『政治とオカルト』で、著者は、EU自身のルーツが一種のオカルト政治、すなわち「シナルキー」(synarchy)と呼ばれる奇妙な秘教的社会政治運動にあると考えられる理由について書きました。シナルキーは、アレクサンドル・サン=ティーヴ・ダルヴェイドルという19世紀フランスのミステリアスなオカルティストの難解な著書によって世に知られるようになりました。シナルキーとはアナーキー(無政府)の対義語で「総合政府」(total government)を意味します。



シナルキーについて、著者は「すくなくともいくつかの報告によると、第1次世界大戦にいたるまでの大衆時代後の1930~40年代、シナルキー運動は密かにフランス政府の中枢まで到達していた。シナルキーは、ルーブル美術館中庭のピラミッドやパリ近郊のラ・デファンスの高層ビル『グランダルシュ』の奇妙な『スター・ゲート』などを生み出した、パリの新たな『心理地理学』の黒幕だった可能性さえある。シナルキーの目的は、ある種の『ヨーロッパ合衆国』だ。シナルキーについて書いた人びとの一部は、それはEUの基盤に横たわるこの思想の繰り返し――もしかすると繰り返し以上のもの――であることをほのめかした。シナルキーは、ユリウス・エヴォラにインスピレーションを与えたトラディショナリズムの根底にある『原初の啓示』と同様のビジョンから影響を受けている」と述べています。



今日のオカルト政治は魔術と〈力/権力〉におおいに関係しており、これらは魔術師と政治家の双方にとっての関心事だとして、著者は「この両者は隣人ではないにしろ、わたしたちが考えるよりも共通点がある。魔術師も政治家のどちらも関心をもつこと、それは明らかにパワーだ。ポジティブ・シンキングのパワーももちろんだし、他者へおよぼすパワーもまた然りである。政治的リーダーにはグル(導師)などの霊的指導者たちとどこか共通する特徴がある。政治的リーダーとグルと魔術師との垣根はしばしば曖昧である。たとえばアレイスター・クロウリーは魔術師でもありグルでもあった。かれは人びとに『真の意志』を発見する方法を教えるとともに、政治的影響力を行使しようとした」と述べます。



弟子に支配力をおよぼすグルは、カリスマ的リーダーが国家に対しておこなうことを小規模に実施していると指摘し、著者は「どちらの場合でも、制御不能になったパワーはグルと弟子の双方を傷つけかねない。より大きな政治の舞台では、戦争や国家崩壊をもたらす可能性すらある。この『指導したい』という奇妙な欲求、そして同じくらい奇妙な『従いたい』という欲求はいったい何か。この力への意志とは何なのか。なぜわたしたちはそれを追求するのか。力はつねに堕落する定めなのか。カリスマ的リーダーは魔術師が魔法をかけるようにみずからの信奉者たちに呪文をかける。いずれの場合でも、大胆不敵な詐欺師のように、魅惑的で自信に満ちたイメージのパワーがはたらく。伝統的な形態でも新たな電子的形態でも、そこで媒体となるのは『想像力』である」と述べます。



第1章「勝つのはわたしだ」では、「ポジティブ・シンキングの祖、ピール牧師」として、トランプのポジティブ・シンキングのメンターは、この言葉を世に広めたノーマン・ヴィンセント・ピール牧師という人物だったことが紹介されます。ピールの著書『積極的考え方の力』は、1952年の刊行直後から大ヒットし、98週間ものあいだ、『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーリストで首位を独走した。この本は著者自身を富豪にし、自助・自己改善書市場でいまだ堅実な売れゆきをみせている。ピールはアーネスト・ホームズ、チャールズ・フィルモアナポレオン・ヒルといった初期ニューソート作家たちの本を読んで、かれらの思想に没頭し、心は現実にダイレクトに影響を与えることができる、もしくは、最も基本的な言葉でいえば『思考はものごとの原因となる』というかれらの根本的洞察を吸収した。これが意味するのは、人は思考だけで周りの世界を変えられるということだ。これが魔術でなければ何であろうか」と述べています。



ピールの「ポジティブ・シンキング」の教えは、ドナルド・トランプの父親であり自身も成功的ビジネスマンだったフレッド・トランプの心をとらえました。フレッドは「ピールのような人はほかにはいない」と語り、ドナルドもその評価に同意しました。著者は、「トランプは人生でふたりの師がいたと認めている。ひとりは父親、もうひとりはピールだ。父親に対するかれの大きな尊敬を考慮すると、ピールに対する評価は実に賛美にも等しいものだった。トランプはピールを『偉大な教師であり、偉大な演説者』と呼び、あるときはかれの説教を聞いたあと、『1時間もその場に座って』いられるようにさえ感じたという。トランプがピールの説教から吸収した宗教的または霊的内容がどのようなものだったかについては議論があるかもしれない。だが、トランプは明らかに、師の『話す能力』と『思考プロセス』に感銘を受けていた」ことを紹介します。

法則の法則』(三五館)

 

「思いは現実化する」ポジティブ・シンキングの考えは、「引き寄せの法則」としても知られています。わたしは、2008年7月に上梓した『法則の法則』(三五館)において、「引き寄せの法則」のルーツが「ニューソート」というアメリカの新興宗教にあることを明らかにしました。19世紀の思想家プレンティス・マルフォードは、「人生で、あなたに起きている事は、全てあなたが引き寄せています。あなたが、思い、イメージすることが、あなたに引き寄せられて来るのです。それは、あなたが考えていることです。なにごとであれ、あなたが考えていることが、あなたに引き寄せられてくるのです」と語りました。また、自己啓発において現代の第一人者として知られているボブ・プロクターによれば、世界の1%の人々が世界の96%の富を握っているといいます。それは偶然ではなく、彼らの思考の大半を富や豊かになることが支配していたからだそうです。気づくか気づかないかは関係なく、彼らは富のことばかり考えていたので、富がやって来たというのです。つまり、「引き寄せの法則」が作動したわけです。

 

 

法則の法則』では、古今東西のありとあらゆる法則について言及しましたが、かつて「法則」というものに異常な執着を持った人物がいました。アドルフ・ヒトラーです。「法則」に対するヒトラーの関心の強さは、彼の著書『わが闘争』(上下巻・平野一郎&将積茂訳、角川文庫)の内容からもわかります。上巻の第十一章「民族と人種」において、ヒトラーは「人間はどんな事柄についても自然を征服したことなどなく、せいぜい自然の永遠のなぞと秘密をおおい隠している途方もない、巨大なヴェールのあの端、あるいはこの端をつかみ、持ち上げているにすぎない。また彼は、本当のところ、なにものも発明などせず、全部発見したにすぎない。次に、彼は自然を支配せず、個々の自然法則や秘密についての知識に基づいて、こうした知識がまったく欠けている他の生物の支配者の地位に上がったにすぎない」と述べています。

 

 

このような人間観および法則観を持つヒトラーは、ついに恐るべき「法則」に行き着きます。まず彼は、民族主義的世界観なるものを支持します。これは、人類の意義を人種的根源要素において認識する見方であり、原則として国家の存在を目的のための手段としてとらえます。そして国家の目的としては人間の人種としての存在を維持することと考えるのです。下巻の第一章「世界観と党」で、彼は「民族主義的世界観は決して人種の平等を信じないばかりか、かえって人種の価値に優劣の差異があることを認め、そしてこうした認識から、この宇宙を支配している永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である、と感ずるのである。したがって原則的には、民族主義的世界観は自然の貴族主義的根本思想をいだき、この法則がすべての個体にまで適用されることを信ずるのだ」と述べます。



このように、人間の平等を否定し、弱肉強食を肯定することこそが宇宙の「法則」にしたがうものだと、ヒトラーは考えたのでした。その結果が、人類史に最大級の汚点を残すユダヤ人の大虐殺でした。アウシュビッツなどの強制収容所へ送られて虐殺されたユダヤ人犠牲者の総数は約600万人にのぼるといいます。ヒトラーは、ユダヤ人のみならず、人類そのものに対して「呪い」をかけたのです。単なる一介の魔術師にすぎなかったクロウリーなどよりも、ヒトラーがはるかに巨大な力を持つ黒魔術師であったかを思わずにはいられません。ヒトラーは、さまざまな自らの欲望を「引き寄せ」ました。権力の頂点に立つという権力欲しかり、他国の領土を侵略して奪うという所有欲しかり。何よりも、異常なまでに強く憎んだユダヤ民族を根絶やしにしたいという破壊欲に、彼の「呪い」は最大限に発動しました。ヒトラーはまさに、「一人でも多くのユダヤ人をこの世から消し去りたい」という願望を引き寄せたのです。人類史上、これほど巨大な「呪い」が実現したことがあったでしょうか。



本書の内容に戻りましょう。「『思いは現実化する』の系譜」として、実はニューソートという信仰は、心と現実の魔術的性質に関する古のオカルト的な諸思想と洞察に源流をもつことを指摘し、著者のラックマンは「それらの思想は2世紀アレクサンドリアの哲学者やルネサンス期の天才たちにも影響を与えた。こんにちでは、最も根本的なレベルにおけるわたしたちの物理学的現実の認識にますます合致しつつあるととらえられている。ご存じのように、量子物理学の登場以来、物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが説くとおり、観察者が被観察物に影響を与えることが知られるようになった。人類の量子世界への旅がはじまったのとほぼ同時期の20世紀初頭、哲学者エトムント・フッサールも同じような結論に達した。フッサールの『認識は意図的なものである』という根本的洞察は、実存主義などの後世の思想の発展に影響を与えた」と述べています。



また、今日ではシュタイナー教育創始者として有名な秘教指導者ルドルフ・シュタイナーも、ドイツの詩人・科学者のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテから着想を得て、また別の方法で、精神は単なる目撃者ではなくわたしたちをとりまく世界の共同創造者であると論じていたことを紹介し、著者は「現在でも、地球上で最も尊敬され成功的とされる人びとの一部は、わたしたちが知るこの世界全体が集合的な夢、つまりは仮想現実であり、現実の柔軟性を知り、現実を操作する知識と意志をもつ秘密エリートにより維持されているのだとさえ語っている。こうした発想はグノーシス派として知られる古代の神秘教団の教義にさかのぼる」と述べます。



「現実を創るのは心か、物質か? 超越手技と観念論」として、著者は「『アメリカ第一』を宣言した大統領がニューソートの信奉者であることは驚くことではない。なにせ『ニューソート』という言葉自体、アメリカで最も偉大な思想家のひとりの造語なのだ。19世紀の詩人・エッセイスト・演説家のラルフ・ウォルドー・エマーソンである。エマーソンは超越主義(Transcendentalism)として知られる哲学学派の旗手だった。超越主義はアメリカで独自に育った初の知的運動と呼ぶにふさわしい。そのほかの著名な超越主義者としては、古典的名作『ウォールデン 森の生活』を書いたヘンリー・デイヴィッド・ソローがいる」と述べます。ちなみに、エマーソンは「成功」という絶妙な題名のエッセイの中で、「新たな思想(=new thought)と決然とした行動で敗北から挽回するのは簡単なことではない。それは神の力を得た人びとのなせる業なのだ」と書いています。



超越主義はドイツとイギリスのロマン主義にルーツを持つことを指摘し、著者は「ロマン主義自体の源流は、観念論として知られるドイツの哲学学派に関連する、心および心と現実の関係に関する諸概念にある。先述のルドルフ・シュタイナーは、ドイツ観念論から深い影響を受けていた。観念論に最も関連するふたりの哲学者は、イマヌエル・カントとゲオルグ・ヴィルヘム・フリードリヒ・ヘーゲルである。観念論の世界観は、歴史家のトーマス・カーライル、詩人のサミュエル・テイラー・コールリッジなどのイギリスの思想家たち(いずれもドイツ形而上学に親しんでいた)によってエマーソンに伝えられた」と述べます。



また、観念論を最も簡単に理解するには「唯物論の対極」と考えればよいとして、著者は「唯物論はエマーソンの時代に広まり、現在でも一般的となっている現実観である。唯物論は物理的世界の固形物たる『物質』が現実についての根源的真実だとするが、対して観念論は、『真の現実』とは心や意識や霊であり、物理的世界は究極的にはそのあらわれであると説く。たとえばカントは、わたしたちが眺めている物理的世界、時空的宇宙は、実際には感覚器官の産物であるとした。カントによれば、わたしたちの心は感覚器官を通じて、現実の生データを何らかの方法で『知覚可能な世界』に再編する」と述べます。



「やればできる」は「とにかくやるんだ」(Just Do It)――スポーツウェアの購入をうながすナイキの魅力的なマントラ――よりはおそらく慎重なアファメーションだが同種の言葉であると指摘し、著者は「『とにかくやるんだ』はアレイスター・クロウリーの寛大な格言『汝の意志することをおこなえ。それが法のすべてとなる』からそれほど遠くはない。20世紀初頭に『大いなる獣』クロウリーが宣言したこの言葉は、ケイオスであれほかの流派であれ、多くの魔術師たちの心を燃え立たせる許可状となった。偽りの制限におちいらないための別の励言として、アメリカ陸軍の募集スローガン『最大限の自分になれ』(Be All You Can Be)がある。こちらもあらゆる自助自立、モチベーションアップ、自己啓発系の教えにみられるのと同類の言葉で、わたしたちがもつあらゆるポテンシャルをすべて実現するよう呼びかけている」と述べています。



「想像力が肉体におよぼす驚異的パワー」として、心が肉体に影響を与えることは古代から知られていたことを指摘し、著者は「たとえば古典期ギリシャでは、病を患った多くの人びとが、エピダウロスにあるギリシャの癒やしの神アスクレピウスの神殿に、そこで一夜を過ごすために足を運んだ。瞑想と浄化儀式に丸1日を費やすと、夜には「癒やしの夢」を受けとれると期待されていた。この夢は神の訪問であり、治癒を起こしたり、病を克服するための道筋を示してくれたりするとされた。神の訪問を受けたと信じるだけでも、しばしば回復の十分なきっかけとなった」と述べています。



ストア哲学エピクテトスの教えに「人の心を乱すものは出来事そのものではなく、出来事に対する判断である」というものがあります。これはポジティブ・シンキングの公理でもあり、エピクテトスと同時代のまた別の「自助」(self-help)的哲学にも同じような感覚があったとして、著者は「エピクロス派と懐疑主義である。これらの学派が追求していたのは『アタラクシア』という内面における安息である。アタラクシアは容易には揺るがない平静状態であり、心配から解放されている状態である。アタラクシアは治癒力を発動させ、健康を保ってくれる。こんにちのボディ・マインド・スピリットの数多くの提唱者が追求していることと同じものである」と述べるのでした。


第2章「ポジティブ・カオス」では、「ネヴィル・ゴダードと究極的実在『I AM』(わたしは在る)」として、ノーマン・ヴィンセント・ピールと並んでニューソートの提唱者として知られるネヴィル・ゴダードが取り上げられます。聖書の言葉とメンタル・サイエンスの融合を広めた人物です。著者は、「神、もしくは無条件かつ非顕在的な方法――逆説的にも、存在を排除する方法でさえある――で存在する究極的実在という思想は、東西両方の多数の霊的伝統の一部となっている。ヒンドゥー教には、究極的実在は『これでもなく、あれでもない』という『ネティ・ネティ』の概念がある。仏教は真の実在の空虚さを意味する『空』について語る」と述べています。



東洋だけではありません。西洋においても同様です。著者は、「新プラトン主義やヘルメス主義では、わたしたちの理性的理解力を超える存在の根源、『一者』が語られる。グノーシス主義はすべての有形物の無形の源、『プレローマ』について語った。カバラでは同じ概念が『アイン・ソフ』という別名で言及される。オリゲネスのような初期教父たちは、神のことを術部も属性もない存在として語った。現代科学さえ、逆説的にもビッグバンよりも前の存在が生まれる以前の時間について語っている。なぜ逆説的かといえば、時間を含めすべてのものはビッグバンとともにはじまったと想定されており、それに先立つ「以前」はないと考えられるからだ」と述べます。


さて、「ケイオス・マジックの先駆者たち」として、再び、アレイスター・クロウリーが取り上げられます。著者は、「アレイスター・クロウリーはさらに先を行った。クロウリーについての拙著で、かれが中国で馬に乗りながらいかにして複雑な魔術行程をおこなったかについて書いた。クロウリーは、イギリスで未完のままにしていた魔術儀式をつづける必要に迫られていた。必要な道具は家に置いてきてしまった。クロウリーは自分にはふたつの選択肢があると考えた。ひとつはスコットランドにアストラル旅行をして、向こうでアストラル体で儀式をおこなうこと。もうひとつは、魔法の寺院をはじめ必要なものすべてを心のなかに描き、そこで儀式をおこなうこと。クロウリーは後者を選ぶことにした」と述べます。クロウリーは、「史上最大の儀式魔術師」と呼ばれていました。



もう1人のケイオス・マジックの先駆者は、アーティスト、魔術師のオースティン・オスマン・スペアです。著者は、「スペアはクロウリーの同時代人で、イギリスの世紀末芸術の異端児だった。かれは一時、クロウリーの魔術結社のひとつに在籍したが、すぐに『大いなる獣』に興味を失い、自分の道を歩むようになった。スペアは通例の魔術の手段を廃して完全に独自の魔術システムを編み出すことによって、クロウリーのさらに先を行った。スペアは儀式魔術に強い嫌悪感をもち、それらをこけにした。クロウリーも同様だったが、かれはまだ儀式魔術を利用していた」と紹介しています。



さらに、一時期クロウリーの弟子だったケネス・グラントは、スペアの業績をより広く新たな聴衆に提供し、ケイオス・マジックの前史に独自の貢献を果たしました。著者は、「レヴィがタロットでおこなったように、グラントは著書『魔術の復活』において、クロウリーの魔術とH・P・ラヴクラフトの奇妙なフィクションを融合し、現実には存在しないつながりを生み出している。ラヴクラフトはだれもが認める唯物論者で、いかなる種類の魔術やオカルト的現実も退けていた。だが、かれの『クトゥルフ神話』の恐ろしい住人「コズミック・ホラー」たちは、かれらを引き寄せたり、鎮めたりするためにデザインされた儀式やセレモニーをおこなうすくなからぬ数の魔術カルトを生み出してきた。これは、ケイオス・マジックが文化――またはミーム――をどのようにして自身の目的のために利用するかの一例だ」と述べています。



「1970年代以降の本格的ケイオス運動のはじまり」として、ケイオス・マジックの登場は、1976年ごろの北ロンドンの「ストーク・ニューイントン・ソーサラーズ」として知られるオカルティストのグループに位置づけられることが紹介されています。そのグループには、初のケイオス・マジック実践書として定評の高い『無の書』(Liber Null)を著したピーター・キャロルがいました。1976年のモントリオール・オリンピックと同時期に開かれた「デプトフォード・オリンピック・ゴート・ロースト」という催しが、ケイオス・マジックの「創立」イベントとなったようです。ケイオス・マジックは、セックス・ピストルズ誕生という時代の雰囲気のなかで登場しました。セックス・ピストルズは1976年11月にデビュー作「アナーキー・イン・ザ・UK」をリリースしましたが、それは来るべきものを迎えるベースを用意したのでした。

 

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

  • 発売日: 1986/07/01
  • メディア: 文庫
 

 

ケイオス・マジシャンたちが有益性を見出した小説として、初期サイバーカルチャーで影響力があったウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』があります。著者は、「イギリス中部地方の街リンカーンの魔術グループは、自分たちのことを『リンカーンニューロマンサー団』(L・0・0・N)と呼んでいた。かれらは当時の最先端技術と旧世代の魔術を融合した――ニューロマンサーは死者と会話する『ネクロマンサー』をじった言葉だ――だが、もし批評家たちがこの国のメンバーたちを『狂人』と呼んでも、かれらは意に介さなかっただろう。望まぬ霊を祓うためのかれらの方法はケイオス・マジックの典型だ。伝統的な儀式を執りおこなうよりも、かれらは『くたばれ、この野郎』と呼んだ。もうすこし粗暴でないものとしては、『笑いによる祓い』として知られる方法も多くのケイオトたちによって採用されている。この遊び心あるアプローチはケイオス・マジックの魅力を物語っている」と述べます。



「いかにしてケイオス・マジックははたらくか」として、著者は、ケイオス・マジックが利用する「カオス理論」は「初期値鋭破性」について論じていますが、これが有名な「バタフライ・エフェクト」の出所であるといいます。著者は、「中国の1匹の蝶の羽ばたきが、ワイオミング州に雨を降らせる。ケイオス・マジックも同じような原則によってはたらく。正しい時、正しい場所で正しくタップすれば、状況は望む方向に動かせると、この理論では認識されている。魔術が入り込んでくるのは、中国の蝶とシャイアン[ワイオミングの州都]の雷雨とのあいだに明白なつながりがないように、ケイオス・マジシャンのタップと結果とのあいだにも明らかな因果関係がないからだ。ケイオス・マジックは、何らかの方法で、意味のある偶発的出来事を意図して創りだし、シンクロニシティを誘発することではたらくといえるだろう」と述べます。



もし、シンクロニシティを受け入れ、自分の内外の世界で同時発生的に起こる、明確な因果関係はないが非常に意味深い出来事の存在を認めるのならば、ケイオス・マジックやニューソートが機能する可能性を先験的に否定する理由はないだろうとして、著者は「それらが本当に機能するかはまた別である。もしそうなら、極右グルプに盗用された漫画のカエルが、ポジティブ思考のドナルド・J・トランプのホワイトハウスへの送り込みを助けたという発想も、可能性の枠外ではない。そして、こうしたことこそ――また、こうした方法こそ――ケイオス・マジシャンが引き起こしたいと望む類のものだといえる」と述べています。

 

儀式論

儀式論

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: 単行本
 

 

ここで、著者は儀式について述べます。儀式は特定の結果をもたらすためにデザインされ、構成される一連のイベントとみなされているとして、著者は「道具はだれでも入手できる。冷蔵庫のマグネットや、ヒンドゥー教の女神カリのイメージとして歌手のPJハーヴェイの写真を使って、エネルギーを注入した儀式用具『護符』をつくる方法も紹介されている。エジプトの沈黙の神ハルポクラテースの役を、マルクス兄弟で喋らない役柄だったハーポ・マルクスが演じる儀式まであった。ケイオス・マジックは、パンクロックと同じく、『基本原則への回帰』だ。ケイオスは原理に到達するために、伝統が抱える余計な荷物をすべてはぎ取る。想像力を刺激し、魔術的意志力を奮い起こすものであれば、いかなるものでも格好の獲物となる」と述べるのでした。



第3章「グルとデマゴーグ」では、「人間の根源的欲求とデマゴーグの誘惑」として、著者は「わたしたちが知るように、人はパンのみに生きるのではない。もしそうだったら、地球の資源を公平に分配するための方策によって、世界の諸問題は一夜にして解決するだろう」と述べます。第2次世界大戦前のーロッパにおける大衆迎合主義のデマゴーグたちの台頭を目撃したジョージ・オーウェルは、「ヒトラーは、人間が安心、安全、短時間労働、衛生、産児制限や一般的な常識だけを求めているのではないと知っている。太鼓や旗、忠誠のパレードはいうまでもなく、闘争や自己犠牲もまた人は求めるのだ」と書きました。



著者は、「オーウェルはこうしたロマン主義的な願望を批判的な目でみていたが、それらが正当な方法で叶えられない場合は、ほかの方法で満たされるであろうことも知っていた。わたしたちはみな、自分の人生は自分よりも大きな何かの一部であると感じたいという欲求をもっている――フットボールやポップスターの熱心なファンならわかるはずだ。ヒトラームッソリーニはドイツとイタリアの多くの人びとに、日常生活を超えた大きな現実への所属感を与える天才だった」と述べています。また、「ヒトラームッソリーニが叶えた何百万もの人びとの欲望はシンプルだった。すなわち、自分で人生に意味を与えるとともに、自己の欲求よりも偉大な目的のために、自分の力で『闘争と自己犠牲』への渇望を満たさねばならないという重責からの解放である」とも述べています。



また、ある種の冒険感覚――見当ちがいで場ちがいな類であるが――も、人生は無意味ではないと感じる上で人間にとって必要なものだとして、著者は「人間は食べ物、水、住む場所、他者との関係性を必要とする。だが、ニーチェユング、ビクトール・フランクルアブラハム・マズローのような心理学者たちがずっと前からいってきたように、何よりも必要なのは『意味』なのだ。自分のなかに意味を見出せなかったり、自分の力で意味を創出できなかったりすると、人はだれかほかの人から意味を得ようとする」と述べます。



「やられたら100倍やり返せ!――ライトマンとしてのトランプ」として、著者は「トランプについての多くの記述は、かれが『ライトマン』であることを示している。かれは誤りを認める人としては知られておらず、むしろ、決して謝らないといわれている。トランプがショー司会者のジミー・ファロンに語ったように、『もしこれまでにわたしがまちがっていたことがあったら、遠い未来に謝罪するだろう』。批判に対するかれの反応は、概して攻撃的だ。ある同僚が述べたように『トランプのスタイルは、ものごとがうまくいかないときには暴言を放つことだ』。かれの怒りの大半は報道機関に向けられた」と述べています。



また、トランプの激昂しやすい傾向は幼いころからはじまっていたとして、著者は「かれは学校でいじめっ子として知られており、他人を気にかけることはほとんどなかった。あるときには、建設者といじめっ子の顔が同時にあらわれたこともある。トランプは弟の抗議にもかかわらず、かれの積み木を糊でくっつけてしまった。自分がその積み木でつくったものが気に入ったからだ。後年、語るのを好んだように、トランプは後世に残るものを建築した」と述べています。もちろん、トランプタワーのことですね。

 

続けて、著者は「これは、ヒトラームッソリーニスターリンにもいえることかもしれないが、トランプは『ギガントマニア』すなわち、全体主義社会にも通じるような『異常に巨大な作品の創造』を楽しんでいるように思える。トランプは大きくものごとを考えることを好むが、ヒトラーもそうだった。ヒトラーはかれの建築家アルベルト・シュペーアに、この数千年間、だれも造ったことがないような建物を自分は建設するだろうと語った。トランプは以前、自分の創造したものに最も近いのは、近現代ではヴェルサイユ宮殿だろうと述べた。かれの成功の象徴であるトランプタワーは、かれにとってほとんど宗教的ともいえる意義をもつ」と述べています。興味深い指摘ですね。



さらに、興行師のトランプは、他のカリスマ的リーダーたちと同様に、個々人よりも群衆に流説することを好み、雑談をする才能はもち合わせていないと指摘し、著者は「かれがベストの力を発揮するのは観客の前であり、かれの現実を創造する才能、もしくはかれがいうところの『真摯な大言』はそうした場でこそ輝く。この才能は、それ自体が非常に利益の大きい類の非現実である『プロレス』のプロモーションをしていた時期に培われた。ある共同プロモーターが述べるように、『かれは群衆の心を読み、かれらを操作する方法を知っていた』。だが、ほかのデマゴーグやグルと同様、観客を好み、かれらに影響をおよぼすことを愛するトランプの性格――テレビ視聴率へのかれの強迫観念はよく知られている――は、マズローの『自己承認欲求』レベルにかれをとどめ、永遠に他者の賞賛を求めさせる」と述べます。



第4章「オルタナ右翼のいま」では、「スティーブ・バノンのエンターテインメントの戦争」として、トランプの首席戦略官スティーブ・バノンが取り上げられます。著者は、「トランプや4chanねらーやオルタナ右翼たちと同じく、かれも体制に鬱憤を抱き、その打倒を考えているようだ。これまでみてきたカリスマ的リーダーと同様に、バノンの場合も、挫かれた創造的活力が腐り、一種のポップな黙示録的思考ともいえるものを燃え上がらせたのかもしれない。バノンは破壊的な地球規模の衝突が近づいているという主張を一度ならず語っている。それはすべてを変える大転換であり、かれはそれを待ち望んでいる。かれは自分自身を『レーニン主義者』と説明している。すなわち、『すべてを打破し、こんにちのすべての支配層を破壊する』ために国家を解体する者という意味である」と述べています。



第6章「万人の万人に対する闘争」では、「プーチン地政学アドバイザー アレクサンドル・ドゥーギン」として、ドゥーギンが神秘思想家ユリウス・エヴォラから多大な影響を受けていることが示されます。プーチンのクリミア併合とウクライナ侵攻は、すくなからぬ部分、ドゥーギンが推進する奇妙な地政学理論によって動機づけられているといっても過言ではありませんが、彼の地政学理論自体、エヴォラがほぼすべての作品で提唱している「太陽」種族と「月」種族の永遠の戦いという思想からすくなからず影響を受けていると指摘します。



また、著者は「地政学とは、世界政治に地理がどのように影響をおよぼすかについての学問――一部のナチ理論家が秀でていた学問――である。プーチンウクライナ攻撃や、バルト諸国やほかの近隣諸国への物欲しげな視線は、ドゥーギンの地政学解釈の影響を受けている。シュペングラーの説と同じように、ドゥーギンは新文明は聖なるロシアを中心とした偉大な『ハートランド』(中核地帯)から勃興するというヴィジョンを掲げ、『月』系の大西洋主義者、すなわち『世界島』の市民たちである海洋勢力と、かれが『太陽』系の『ユーラシア』と呼ぶ大陸を本拠地とする勢力とのグローバルな闘いを呼びかけた」と述べています。


ドゥーギンの見方によると、出来事というのは、どこかの政治陰謀者の計画に従って起こるのでも、世界政治のいつものギブ・アンド・テイクによって起こるのでもなく、より強力な力がものごとを動かしているといいます。著者は、「歴史の弁証法カール・マルクスが考えたように鉄の法則ではない。マルクスは現実に作用している力の代理人にすぎず、出来事を真に動かすもののツールにすぎない。ドゥーギンによれば、マルクスプーチン、トランプと同じく、この現代のドラマに参加する世界のリーダーたちは『たんにロシアの歴史の論理と地政学の法則に従って演じているだけ』なのだ」と述べます。

 

この論理でいくと、ソヴィエト連邦もぞれに先立つロシア帝国も、一種の霊的、神秘的な統合体の一時的な顕現にすぎないとして、著者は「その統合体は何世代にもわたってロシア人の魂を特徴づけてきたものであり、ロシアの地形学的特徴と同じく、大陸内部の広大な開けた空間から生じている。シュペングラーいわく、ヨーロッパ人は夜空を見上げて『わたし』というが、ロシア人は果てのないステップを見渡して『われわれ』という。これはロシアの実存主義哲学者のニコライ・ベルジャーエフが『ソボルノスト』(sobornost)と呼んだ、霊的な『帰属』感のひとつの表現だ。一方は個を、もう一方は共同体を強調する。ドゥーギンにとって、この対比は世界の根本的分裂を示す好例だ。ロシア人はいまふたたび『われわれ』を謳っているが、この『われわれ』はユーラシアを意味している」と述べます。



第7章「カオスの政治学」では、「『終末』の到来は近いのか」として、著者は「ドゥーギンは来るべき大変動の姿を描き出す。それは、西洋の『ミーイズム』の拡散の終焉か完全勝利のいずれかをもたらすであろう。後者の場合、最終的に『グローバライズ』された世界は、物だけでなく現実まで売りに出す、巨大なショッピングモールとなる。ここでドゥーギンは哲学者マルティン・ハイデガーの論に依拠している。ハイデガー自身も初期の国民社会主義の支持者だった。ヘーゲルは歴史を自由の漸進的な体現化ととらえたが、ハイデガーにとってはもっと別のものだった。ハイデガーは、トラディショナリズムと同じように、西洋の人間は遠い昔に進むべき道を見失ってしまったと考えた。これは、ハイデガーにとっては、ソクラテスプラトンといった哲学者たちによって理性が芽生えることによって、存在そのものについての神秘的事実が覆い隠されてしまったことを意味していた」と述べています。


ハイデガーは国民社会主義を見誤っていたが、それは、国民社会主義による近代の誤った価値観の「毅然とした」否定や、「伝統的」で「真正」な価値観――血と土――の信奉を、「生起」のひとつのかたちとしてとらえたからであるとして、著者は「かれは『存在することの意志』の『真実』を再獲得する「民族」(Volk)について語り、ヒトラーを『世界史的運動』の『権化』、『グローバル・テクノロジーと近代人の邂逅』ととらえた。ヒトラーは『運命の男』だった。ドゥーギンは同じようなものをプーチンに見出している。ドゥーギンは、世界を誕生時の混沌に戻すような出来事を、プーチンが起こしてくれることを期待している」と述べるのでした。今回の大統領選でトランプは敗北しましたが、プーチンは終身大統領になる可能性さえ出ています。この結果を見れば、ニューソートから生まれた「思いは現実化する」ポジティブ・シンキングの最高の実践者はトランプではなく、プーチンだったようですね。

 

トランプ時代の魔術とオカルトパワー

トランプ時代の魔術とオカルトパワー

 

 

2020年11月9日 一条真也

『SS先史遺産研究所アーネンエルベ』

SS先史遺産研究所アーネンエルベ  ナチスのアーリア帝国構想と狂気の学術

 

一条真也です。
『SS先史遺産研究所アーネンエルベ』ミヒャエル・H・カーター著、森貴史監訳、北原博&溝井裕一&横道誠&舩津景子&福永耕人訳(ヒカルランド)を読みました。「ナチスのアーリア帝国構想と狂気の学術」というサブタイトルがついています。ブログ『スーパーナチュラル・ウォー』で紹介したオカルト研究の名著に続いて読みましたが、なんと、800ページもあります。でも、頑張って休日に1日で読破しました。こういう本は気合と勢いで読まないといけません!

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800ページの厚さを見よ!

 

著者は1937年、ドイツのツィッタウ生まれ。ハイデルベルク大学で博士号取得後、トロントのヨーク大学で教鞭をとる。現在、ヨーク大学特別名誉教授(歴史学)、カナダ王立協会フェロー。文化的側面からのナチズム研究をおこない、国際的に高い評価を受けている。著書に『第三帝国と音楽家たち』(アルファベータ)などがあります。

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本書のカバー裏表紙の下部

 

カバー裏表紙には、「学術と妄想が融合するとき〈狂乱の科学〉の暴走がはじまる!」「インドゲルマン先史学・ルーン文字・紋章学・北欧神話チベット探検・宇宙氷説・人種論・遺伝学・ダウジングロッド・秘密兵器開発・強制収容所での凄惨な高空・低温医学実験・・・」「ナチス親衛隊(SS)によるアーリア帝国建設のシンクタンクとなった謎の巨大研究組織〈アーネンエルベ〉の全貌」と書かれています。

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カバー前そで

 

カバー前そでには、アーネンエルベ(Ahnenerbe)について、以下のように紹介されています。
「1935年、ナチス親衛隊(SS)全国指導者ハインリヒ・ヒムラーの主導により、ドイツ先史時代の精神史研究を目的として設立された研究機関。当初はゲルマン民族の歴史・民俗を主に研究したが、次第にオカルティックな研究を含め、ユダヤ人を使った人体実験や気象学、化学、軍事研究などの分野にも拡大し、大学への介入も強めながら、ドイツ支配地域に多数の支部を有する巨大機関に発展。1945年のナチス・ドイツ崩壊に至るまで、親衛隊のアーリア=大ゲルマン帝国構想の推進においてきわめて重要な役割を果たした」

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カバーを取ると、まるで洋書

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「日本ではナチスドイツへの関心がいまだ大きく、第三帝国にかんする書籍は枚挙にいとまがない。だが、アーリア人種・ゲルマン民族優越政策や強制収容所におけるユダヤ人への恐るべき医学実験にも大きく関与した、この〈アーネンエルベ〉という組織をメインテーマに据えた書物はこれまで皆無に等しかった。本書ではこれまで謎に包まれていた〈アーネンエルベ〉の活動を網羅的に解明し〈イデオロギー〉と〈神話〉が学術の客観性を凌駕するときに発動される暴力性の実相を仔細に描き出す。ナチス・親衛隊・研究者たちのあいだで錯綜する思惑・かけ引き・せめぎ合い・・・膨大な史資料から紡ぎ出される第三帝国文化政策のもうひとつの負の歴史。稀少性の高い内容から、本国ドイツでは1974年の刊行以来、現在でも版を重ねつづけるロングセラーとなっている」

f:id:shins2m:20201107133247j:plainアマゾン「出版社より」

 

加えて、アマゾンの「出版社より」のコーナーが素晴らしく、「ナチス親衛隊(SS)が率いた謎の研究組織〈アーネンエルベ〉の全貌!」として、「ナチス親衛隊(SS)が創設した謎の研究組織〈アーネンエルベ〉。その真相はこれまで謎に包まれ、聖杯探索、地下王国シャンバラ調査、魔女術・黒魔術研究などの噂がまことしやかに語られるだけでした。このアーネンエルベの全貌を実際の史資料にもとづく歴史学研究により初めて明らかにしたのが本書です」と書かれています。

f:id:shins2m:20201107133315j:plainアマゾン「出版社より」 

 

また、「学術か妄想か?膨大な史資料から明かされる驚愕の研究の数々」として、「インドゲルマン先史学・ルーン文字北欧神話チベット探検・宇宙氷説・人種論・ダウジングロッド・・・本書が描き出すのは、アーネンエルベが展開していた人文・社会科学、自然科学のあらゆる分野での驚くべき研究の数々です。原注、年表、略語一覧、索引も充実。読者諸氏のさらなる探究に役立てていただけます」と書かれています。

f:id:shins2m:20201107133407j:plainアマゾン「出版社より」 

 

さらに、「アーネンエルベの3人の立役者――ヒムラージーファース/ヴュスト」として、「本書の中心となるのは、親衛隊全国指導者としてユダヤ人絶滅政策を推進し、オカルト・神秘学への傾倒でも知られるハインリヒ・ヒムラー、著名インドゲルマン学者でミュンヘン大学長も務めた事務局長ヴァルター・ヴュスト、そして陰の実力者、全国運営責任者ヴォルフラム・ジーファース。この3人を軸としてアーネンエルベの歴史、組織構造、研究、学者たちの様相が描き出されます」と書かれています。

f:id:shins2m:20201107133435j:plainアマゾン「出版社より」 

 

そして、「先史精神から軍事研究、やがて凄惨な人体実験へ・・・ナチス親衛隊のアーリア帝国構想の帰結」として、「1935年設立当初はゲルマン人の原史研究に専念していたアーネンエルベですが、第二次世界大戦の勃発とともに、軍事研究、文化財収奪、大学支配、そして強制収容所の囚人にたいする犯罪的な人体実験に手を染めていくことになります。アーリア帝国建設の夢を抱いた親衛隊そしてアーネンエルベの末路とは? 歴史の闇を光で照らし、現代日本にも大きな示唆をもたらす歴史的大著。本国ドイツでは刊行40年後も版を重ねる不朽のロングセラーとなっています」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「凡例」
「ヨーロッパ全体図」
ドイツ国内図」
「組織図」
「まえがき」
 第1章 アーネンエルベ協会の創立
     1935年
 第2章 初期アーネンエルベの学術研究
     1935-1937年
 第3章 拡張期のアーネンエルベ
     1937-1939年
 第4章 第2次世界大戦までの研究業績
     ―1939年9月
 第5章 文化政策における警察機能
 第6章 ドイツ国境を越えた文化政策
 第7章 戦時下の学術研究
 第8章 アーネンエルベの軍事研究
 第9章 戦時中の文化政策の強制的同一化措置
第10章 危機
第11章 望んだものと現実と
「第2版へのあとがき」
「監訳者解説」
「年表」
「原注」
「図版出典一覧」
「参考文献」
「略語一覧」
「索引」
「人名索引」
「訳者一覧」



「まえがき」で、著者はアーネンエルベについて、以下のように述べています。
「『アーネンエルベ』は、ナチスに忠誠を誓う党員のだれよりも、1933年から1944年までのあいだにその支配権を国民社会主義的国家の考えられるかぎりすべての生活領域へと押し出して、親衛隊の政治権力も精神的な生活領域へと拡大しようと試みるハインリヒ・ヒムラーの原動力となった。『祖先の遺産』という用語は、初見では、漠然としたロマン主義的なもののイメージをさまざまに想起させるかもしれないが、この解釈もまたそれほど外れてはいない。ハインリヒ・ヒムラーはその概念を自身で形成したわけではないからである」



続けて、著者は「われわれが知る特別な事例では、この概念は民族主義理論家ヘルマン・ヴィルトの豊かな精神性に由来するものだが、ヴィルトと同様にヒムラーも同一のものを考えていた。すなわち、ゲルマン人の祖先たちの遠い過去の世界から継承したと推定される価値ある財を知らしめ、それを再生したり、そうして獲得した『遺産』を国民社会主義の日常における実践的・思想的レベルにまで実用化することである。このばあい、『祖先の遺産』という概念は断じてヘルマン・ヴィルトの発明ではない。すでに1928年、『非のうちどころのないドイツ人』全員に対して、『祖先の遺産、氏族学紋章学援助・遺伝学・人種保護同盟(社団法人)』という協会が、『純粋系譜学協会の目的を超えて、系譜学と氏族学を、遺伝健康学と遺伝学と人種保護との不可欠な結合をおこなうこと』を宣伝していた」と述べています。



第2章「初期アーネンエルベの学術研究 1935-1937年」には、有名な「エクステルンシュタイネ」が登場します。ドイツのドイツのノルトラインヴェストファーレン州のトイトブルクの森にある砂岩の巨石群です。このトイトブルグの森は、キリスト教登場以前においては、古代北欧神話エッダにも登場するゲルマン人の英雄神話の聖地でした。紀元前9年、ローマ軍が、ゲルマンの英雄アルミニウスに全滅を喫した古戦場でもあります。これは、ローマ帝国初の大敗北とされています。8世紀までに、この地にはイルメンスル(生命の木)と呼ばれる木が生えていたとされていますが、カール大帝キリスト教を広めるために、切り倒されてしまったという伝説が残っています。キリスト教の時代には、巡礼地となりました。岩にはキリスト教レリーフが彫られ、礼拝堂も設けられました。洞窟には、修道士や隠遁者が住んでいたとされています。しかし、この聖地としてのエクステルンシュタイネはさびれていきました。20世紀のナチス時代になって、地の龍脈(レイ・ライン)の中心地として、再評価されました。そして、ヒムラーはこのエクステルンシュタイネの調査をアーネンエルベに委任したのです。



親衛隊のイデオロギーによって構築された新しいゲルマン的世界観が、親衛隊員それぞれの将来の人生を左右するキャリアの要素にもなるようにと、アーネンエルベが努力した事例は少なくありません。著者は、「親衛隊員に民族主義的な教義を確実に伝道するために、いわばほとんど昔ながらの説教とミサのように、講習会講義と厳粛な時間をあたえることで補完した。というのも、歴史上の教祖のような絶対的な感知力でヒムラーが認識していたのは、『ゲルマン人』という宗教を新しく創造するさいに、その教義のほかに礼拝の形式が不可欠なことである。今後の儀式を演出するための道具に、この全国指導者は宗教儀式的なシンボルと記号を考案した」と述べています。



その新たなシンボルと記号は日常の慣習の中で、新たな秩序に対する親衛隊信奉者の「信念」をたえず再生させるものとなるだろうとして、著者は「これこそが親衛隊名誉リングの最終目標であった。かれはこの指輪をゲルマンのルーン文字で――これはヒムラーの誤解であるが――飾らせた。またこの儀式には冬至祭の燭台が使用された。なぜなら、ヒムラーがクリスマス祭(冬至祭)用のキリスト教的なシンボルを排除したかわりに、親衛隊の家族に提供したものだった。とりわけヒムラーとそのアーネンエルベによるこうした尽力の特徴としては、立派にしつらわれた礼拝道具を一貫して使用することで、ゲルマンの宗教性を呼び出し、それによって新たな『しきたり』を生み出していることである」と述べています。『儀式論』(弘文堂)を書いたわたしとしては、興味深いですね。



第3章「拡張期のアーネンエルベ 1937-1939年」では、1937年から38年の研究調査団について言及されます。この研究調査団にアーネンエルベの幹部たちがどんな関心をもっていたのかは、若いチベット専門家エルンスト・シェーファー博士に対する同協会の尽力からわかるとして、著者は「この将来性のある学者は影響力のあった工場経営者かつゴム製造コンツェルン『フェニックス』(ハンブルク)取締役の息子であり、もともと鳥類学者であったが、当時ほとんど未開であったチベットの調査を早くから目標としていた。偉大なるアジア専門家ヴィルヘルム・フィルヒナーを先例にして、かれはすでに1930年から32年の学生時代と、1934年から36年にふたたびアメリカ人ブルック・ドーランのチベット探検隊に参加したが、そののちにドイツで博士号を取得し、1937年に今度は自身が指揮する探検旅行を準備したのは、ガウリサンカル山地帯のチベットのマチン山を調査するためであった」と述べています。



1934年にはすでにヒムラーは「エクステルン巨岩群財団」幹部として、ミュンスター大学の教授ユリウス・アンドレーのエクステルン巨岩群の発掘を支援しました。著者は、「それは1935年5月に親衛隊がケルンのベンスベルク近郊のエルデンブルクで、先史時代に関する最初のプロジェクトを開始する以前のことだった。その後、シュライフによる地元での指揮で、東プロイセンのアルトクリストブルク近郊で親衛隊は30モルゲン(約9万平方メートル]の巨大な要塞を発掘した。のちのヒムラーの記述では、そこでは『ゴシックと初期ゲルマンの5つの地層』が現れた。1936年末以降、先史学者のテュービンゲン大学教授グスタフ・リーク博士は、南ドイツ最大の先史時代の墓丘、ジグマリンゲンから20キロメートル東方のフンダージンゲン近郊のホーミヒューレを調査した)と述べています。



1937年5月、リークは「有望な地層」にすでに到達したと思いました。その8月には、R・R・シュミット教授による、ドナウヴェルトとインゴルシュタット間のアルトミュールタールにあるマウアーンのワイン畑の洞窟発掘も、ヒムラーは採択しました。著者は、「この発掘作業は、当時まだ非合法であったオーストリアの親衛隊の命令によって遂行された。ロルフ・ヘーネ博士は『監督局長』として職務をはたした。ヘーネは1937年春に人種・移住本部から個人幕僚部へ転属し、さらに1937年夏、シャルツフェルト近郊ローストラッペ(ハルツ)にあるクヴェードリンブルク周辺で発掘をおこなったが、このときおそらくハインリヒ1世の失われた遺跡を探したようであった。じっさい、かれもそれを発見したと主張している。どちらにせよ、最初のドイツ王の「学術調査で証明された遺骨」が本物であろうと偽物であろうと、1937年7月2日のハインリヒの命日がやってきたとき、クヴェードリンブルクの墓所にそれは埋葬された」と述べています。


どの全体主義独裁国家でも同じですが、第三帝国下でも自然科学は人文科学よりも国家に優遇されていました。それゆえ、ヒトラーの国家でも、総統が1933年以後すぐに多少ともドイツの再軍備を秘密裡に開始して、どこでも自然科学者と技術者が必要とされていたとして、著者は「かくして、自然科学研究全体は、戦時下での自給自足という必要条件にふさわしく、最終的には政治的意味を有する」と述べ、そうした政治的意味は「経済的・技術的な任務すべてに緊急性が高まり、また国家の権限内で欠如した原料の代用品発明のような新規の任務がつぎつぎと課されると、ようやく経済関連の変革によって新たに生じるのである」という物理学者パスクアル・ヨルダンの言葉を紹介しています。



自然科学者と技術者は、国家、大学、公的な研究協会からたえず希求されていたので、かれらはどんな物質的欠如にも悩む必要がなく、研究助成金と充分な俸給を獲得していたことを指摘し、著者は「かれらが個人的信条から政治的にまったく忠実でなくても、その専門分野において有能で、つねに従順に仕事をすると認められ、その結果、その任務における政治的な使命に顧慮するかぎり、かれらに不利益は生じなかった。戦時中の若いロケット研究者ヴェルナー・フォン・ブラウン博士は、この最も有名な事例のひとつである。フォン・ブラウンのような男たちには、人文科学者全員が自身の世界観をごくわずかでもなんとか譲歩して、あれこれの国立や党公認の組織に依存し、保護を求めるべく駆り立てられたような、政治的『保護』と経済援助という動機はなかった」と述べます。



第5章「文化政策における警察問題」の1「文化福祉事業」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「アーネンエルベは、第三帝国における任意の研究協会のようなものではなかった。それは学者の集まりであると同時に、ハインリヒ・ヒムラーが指揮する親衛隊の政治的中核組織だった。このような存在としてアーネンエルベは、発展の初期段階においてすでに、親衛隊にとりわけ典型的な特徴を継承し、形態を変えながら1945年の終局まで維持した。その特徴とは、親衛隊のエリート意識、暴力行使の可能性をつねに匂わせることでもたらされる真の権力意識、精神においても行動においても、伝統的な、それどころか国民社会主義的な規範的限界すらもすべて超えようとする強固な意志などだ。こうした親衛隊の性質を導入することで、アーネンエルベは周囲に働きかけ、他者に影響と力をおよぼすこととなった。その影響範囲を逃れようとする者は、処罰されるか、口を封じられるか、追跡され強奪される。その者がたとえ、より強大な現実の権力をもっていたとしてもである。だが当時、親衛隊より強力なものなど存在しただろうか」



第7章「戦時下の学術研究」では、4「エルンスト・シェーファーと自然科学の優越性」として、著者は「気性は荒いがヒムラーのお気に入りだったエルンスト・シェーファーが、ヴュストとジーファースに匹敵するアーネンエルベ内の特殊な地位にあったのは、ナチスによる戦時中の試行錯誤という枠内での、アーネンエルベ内でも同様に、自然科学の優位に起因していた。その積極的な活動によって、それも明白な知性をともなっていたものだが、シェーファーはきわめて多種多様な自然科学学科群をアーネンエルベ内の自身の『主学科』のもとに統合するのに熟達していた。すなわち、穀物類の品種改良からイヌの交配まで、鳥類学から自然科学的探検の計画までと、その実効性はこれから検証されるべきだろう。とはいえ、ことはそれだけではない。シェーファーはアーネンエルベの自然科学の諸研究に関する計画で本質的な役割もはたしたのであって、それはドイツの戦時経済に対して直接的に、つまり軍需目的に役立つものだったのだ」と述べています。



第10章「危機」では、私生活に関していえば、アーネンエルベは結婚や性生活に干渉してきたことを指摘し、著者は「いうまでもなく、生物学に対するヒムラーの関心が、そのような結果を招来したのだ。それはすでにレーベンスボルン創設や産児管理の任務に帰結していた。人口政策に熱意を燃やすヒムラーは、自分のおかかえの研究者たちにもこの問題では寛大ではなかった。1939年以降、アーネンエルベ内でも家族の社会的地位と子ども(とりわけ男児)の数によって昇進が左右された。他人から略取してまで自身の子どもを増やそうとたくらみ、死刑になったジークムント・ラッシャー博士は、もしかすると、この原則を最も胸に刻んだ人だったのかもしれない。アラリヒ・アウグスティン博士は、かつてジーファースとおなじく、バート・ドーベランでヘルマン・ヴィルトの助手をしていて、ブリュッセルでアーネンエルベに加入したが、ただちに結婚するならばという条件つきで、親衛隊少尉昇進をはたした。1944年、ヒムラー武装親衛隊を大幅に増強しようと企図した。金髪碧眼の少年親衛隊という、ヒムラーの年来の夢想は病的なレベルに到達していた」と述べています。



第11章「望んだものと現実と」では、アーネンエルベとは、親衛隊が学問を勝手気ままに略奪し、政治のためにこれを濫用した組織だったとして、著者は「ちなみに、ヒムラーは国民社会主義のエリートを養成しようと腐心したが、主人のヒトラーは、あらゆる生活の現場に根をおろした一般的な党員のほうが、そのような少数エリートよりも重要と考えていた。東方に「親衛隊武装農民」を設定して、人民を統率させ、かつ一夫多妻制と子孫繁栄の特権をあたえるというヒムラーの創案があった。そんな世界を実現しようと思えば、学問はほかのなにかに置換される必要があった。そこまで極端な例をもちださなくとも、いずれにしても、大学には従来どおりの規範が存続していたし、親衛隊員はそれを「お遊びの自由主義」(liberalistisch)と嘲弄していたが、親衛隊がすべての学問を掌握したいならば、大学の価値観を完全に転換しなければならなかっただろう。最終的には、そのような価値の転覆は失敗に終わった。最大の理由は、既存の価値が大学関係者によって頑強に死守されたからではない。伝統的な学問そのものが、改変を阻止したのだ。伝統的な手法によって真理を探求してきた学問は、未知の真理を即座に発見するようなえせ学問に取ってかわられるほど脆弱ではなかった」と述べるのでした。



「監訳者解説」では、関西大学文学部(文化共生学専修)教授の森貴史が、ナチス関連のオカルト素材として欠かせないチベットの理想郷「シャンバラ」について、「シャンバラなどの都市伝説の起源になっているのは、とりわけハインリヒ・ヒムラー主宰のアーネンエルベが派遣したことになっている、エルンスト・シェーファーによるチベット探検であるのはまちがいない。この伝説の霧につつまれたシェーファーチベット探検を事実の光で照らす第7章は、本書の読みどころのひとつである」と述べています。

 

 

また、森氏は本書の初版が上梓される以前にすでに出版されていたルイ・ポーウェルジャック・ベルジェ『神秘学大全 魔術師が未来の扉を開く』(伊藤守男編訳、学研M文庫、2002年、原著は1960年出版)を取り上げ、「この訳書の目次から、気になる見出し語をいくつか取捨してみると、『オカルティストとしてのヒトラー』、『宇宙永久氷説』、『悪魔的文明の敗退』、『ナチズムとオカルティズム』、『地球空洞説』、『魔術的社会主義者の群れ』といったぐあいである」と述べ、このような著作に代表される、ナチスのオカルト化や陰謀説による神話化(これらを総じてナチスのエンターテイメント化といってもよいかもしれない)に対して原著者カーターが徹頭徹尾、批判的な見解を示していることを紹介します。

 

 

それにしても、本書に記されたアーネンエルベの学術内容は、事実の部分だけでも充分に興味深いとして、森氏は「廃城に伝わる伝説を真に受けて、数ヵ月間、廃城の敷地内をダウジングロッドで金鉱脈を探索したり(第7章)、ハンス・ヘルビガーの「宇宙氷説」の科学的信憑性を肯定したり(第3、5章)、ライン川の金鉱脈を探索したり(第7章)」と書いています。また、本訳書にヒムラーのライバルとしてたびたび登場するアルフレート・ローゼンベルクの『20世紀の神話』(1930年)にも言及します。



『20世紀の神話』はナチズムの理論書として有名ですが、森氏は「この書では『アトランティス』が過去に存在した大陸で、かつてアーリア人が住んだ地として認知されており、グリーンランドアイスランドがその残存部分だと記述されている。すなわち、『宇宙氷説』やアトランティス伝説は、20世紀前半のヨーロッパではそれほど奇矯な思想ではなかった。それらは、現代ではもはやオカルティックな思想でしかなくなってしまったが、当時のナチスにおいてはそれでも最新の(実証性が貧困なものの)科学思想に属するものであったとは記しておこう」と述べるのでした。この800ページの大著を一気に読み終え、わたしは呆然としましたが、掴みどころのなかったナチスのオカルティズムへの理解が深まりました。それにしても、この本を翻訳出版したヒカルランドすごすぎる!

 

 

2020年11月8日 一条真也

『スーパーナチュラル・ウォー』

スーパーナチュラル・ウォー  第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰


一条真也です。
『スーパーナチュラル・ウォー』オーウェン・デイヴィス著、江口之隆訳(ヒカルランド)を読みました。「第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰」というサブタイトルがついています。版元のヒカルランドはアクの強いスピリチュアル本を出している印象で、なんとなくスルーしていました。しかし、このたび矢作直樹氏とわたしの対談本である『命には続きがある』(PHP研究所)の文庫化が決まって矢作氏と再対談することになり、その話題探しもあって、同氏の著書も刊行しているヒカルランドの本を読もうと思いました。そこで、テーマに関心を惹かれた本書『スーパーナチュラル・ウォー』『SS先史遺産研究所アーネンエルベ』『トランプ時代の魔術とオカルトパワー』の3冊を求めました。いずれも、海外でベストセラーになったオカルト研究書です。まずは、本書を読んでみると、非常にスリリングな内容で、読書中はずっと気分が高揚していました。いやあ、こんなに面白い本にはなかなか出合えません! 

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3冊並んだヒカルランドのオカルト翻訳書

f:id:shins2m:20201107005823j:plainオカルト翻訳書の3冊の背

 

著者は、ハートフォードシャー大学教授(社会史)。魔女、魔術、幽霊、民間療法、グリモワール(魔道書)について幅広い研究を行っている。著書に『世界で最も危険な書物グリモワールの歴史』(宇佐和通訳、柏書房)などがありますが、同書もきわめて興味深い本です。訳者の江口氏は日本を代表する魔術研究家。フォロワー数6万人超のTwitterアカウント「西洋魔術博物館」を主宰。魅惑的な西洋魔術の世界に関するウィットに富んだ情報発信で幅広い層の人気を呼んでいます。

f:id:shins2m:20201107010837j:plain本書のカバー表紙の下部 

本書のカバー表紙には第一次世界大戦塹壕内の兵士の写真などが使われ、「愚かな妄信か、愛する人を守るための最後の命綱か」「全世界で死傷者1800万人超――未曾有の大災厄から生まれた無数の伝承・呪物で紡ぎ出す、かつてない“戦争民俗学/戦争社会史”の名著」と書かれています。

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本書のカバー裏表紙の下部

 

カバー裏表紙には『戦時中の幼きイエスのシスター・テレーズの介入』(バイユー、1920)の表紙の写真が使われ、「第一次世界大戦期ヨーロッパで、数々の『迷信』や『呪術』が復活し、世を賑わした。護符、占い、予言、霊媒、魔術儀式、まじない、都市伝説―現代総力戦の幕開けの時代、〈超自然的なるもの(ザ・スーパーナチュラル)〉に人々はなにを求めたのか? 空前の大量死と社会変動に対峙するなかで、オカルトパワーの約束に魅入られた人々の驚くべきストーリーを明らかにする」と書かれています。

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アマゾン「出版社より」 

 

さらに、アマゾンの「出版社より」のコーナーが素晴らしく、「第一次世界大戦とミリタリー、オカルト、占い、フォークロア・・・・・・近代性と超自然の分かちがたい結びつきに光を当てる!」として、「1914~1918年にかけて戦われた第一次世界大戦は、主戦場となったヨーロッパを中心に全世界に1800万人を超える死傷者をもたらした未曾有の大災厄でした。潜水艦、飛行船、毒ガス、機関銃など最新兵器も投入された現代総力戦の嚆矢としても知られており、参戦した国々に大きな社会変動ももたらしました。このかつてない戦争と対峙するなかで大流行をみたのが、ノストラダムスの大予言、天使や幽霊の出現、占星術数秘術、心霊術、護符、呪術等々のさまざまな占いやオカルト、民間信仰でした。
”迷信”や”魔術”を克服し、理性と科学技術の現代へ進もうとしていた当時の世界において、超自然的なるものに人々は何を求めたのか。本書では、膨大な資料をひもときながら、当時の興味深い実相がつまびらかにされていきます」と書かれています。

f:id:shins2m:20201107011848j:plainアマゾン「出版社より」

 

また、「護身と生還への願いが生んだ戦争民俗(ウォー・フォークロア)の大総覧」として、「本書の読みどころのひとつは、戦時下で生まれたさまざまな護符、お守り、おまじないなどのさまざまな戦争民俗(ウォー・フォークロア)、戦場民俗(ミリタリー・フォークロア)です。日本でいえば『千人針』にあたるような護身・幸運グッズが、第一次世界大戦下ヨーロッパでも無数に生み出され、戦場の兵士や本国の人々、双方のあいだでおおいに広まりました。有名な四葉のクローヴァーから、馬蹄やウサギの足などの現地特有のラッキーアイテム、現代でもよく見られるチェーンレターなどの事物、さらには植民地出身兵士たちのそれぞれの信仰に由来するお守りまで・・・・・・それらの品々はWWⅠ時代だけにとどまらない、より広範な時間軸におけるそれぞれの国・地域の信仰・民俗文化を教えてくれることでしょう」と書かれています。

f:id:shins2m:20201106085459j:plainアマゾン「出版社より」

 

さらに、「〈超自然〉をとおして戦争をみることで浮かび上がる、当時の社会のさまざまな課題 」として、「戦時下で生まれた数々の伝承・呪物が教えてくれるのは現地の文化習俗だけではありません。そこからはまた、当時の社会のさまざまなテーマや課題が透けてみえます。愛国主義プロパガンダフェイクニュースの止まらない拡散、戦争とオカルトとメディア、ジェンダーと占い、予言・占い・護符の商業化、占い業界と当局の知恵くらべ、戦争とトラウマ、精神世界と知識人、それぞれの思惑で戦死者の魂に群がる宗教界・オカルト界・学術界……これらの事例からは、現代のわたしたちにとっても示唆深い洞察をもたらすにちがいありません」と書かれています。

 

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「凡例」
「序文」
第1章 驚異に満ちた戦争
第2章 予言の時代
昔の予言、今の予言
あふれでる現代の予言者たち
星を眺めて
アルマゲドンと新たなる世界秩序
ドイツ皇帝の数字:666
第3章 ヴィジョン体験、霊、
       そして霊能者たち

天上のしるしと聖なる出現
マリア出現
白い仲間
とりつかれる場所、とりつかれる人々
心霊術と戦争
戦場の霊たち
心霊戦
予知
第4章 占いさまざま
占いという仕事
魔術代行
占い師掃討キャンペーン
女性の問題
看板に偽りあり
魔女術取締法
ウォー・ストーリーズ
第5章 戦場の幸運
不運を回避する
流行するお守り
卵膜の売買
クローヴァーの戦い
あちらこちらに鉤十字
動物の魔術
小さな神々を製造する
第6章 塹壕の信仰と護身のお守り
防弾聖書
天国からの手紙
カトリックの武器庫
諸聖人と聖人崇拝
ニューソートと防弾思考
世界的信仰
第7章 余波
「訳者あとがき」
付録1「本書関連地図」
付録2「本書関連年表」
「原注」
「図版出典一覧」
「事項索引」
「人名索引」



「序文」の最後、著者は「人々がいまだ魔女を恐れているさなか、ヨーロッパはどうして脱魔術化ができようか?」と問い、「たしかに第一次世界大戦ウェーバーが描いた技術的かつ官僚体制的社会の極致そのものであったかもしれない。空爆、飛行船ツェッペリンの空襲、潜水艦、毒ガス、戦車が登場する争いにあって、魔術にどのような必要性があったのだろうか? 魔女術の実在を人々が信じ続けていたという事実は、1914年から1918年のあいだに語られるべき別の歴史があるというひとつのしるしにすぎない。人の心のより深いところにある謎やさらに別の領域に関する歴史もまた歴史である。本書をお読みいただければ、超自然が戦争体験に関して多くを教えてくれること、また戦争が超自然体験に関して多くを教えてくれることをご理解いただけるだろう」と述べます。



 第1章「脅威に満ちた戦争」では、魔女術と魔術の専門家たちは、過去そして現在も「迷信」が不合理で無知で虚偽の信仰活動を示す言葉として広く使われていることを意識していることを指摘し、著者は「宗教改革後はプロテスタントカトリックの儀式と神学を貶める用語となった。かようにいろいろな意味を背負った言葉であるから、前後関係を明確にして過去にどのような意味で理解されていたのか、どのように用いられたのかを知る必要がある。筆者は、本書で探求する信仰や活動が退行や妄信を示すものという見解を有していない。本書を読み進めば判明するが、お守りを携帯したり幸運の儀式を行う人々、占い師のもとに通ったり幽霊を見たと主張する人々はしばしば高等教育を受けており、自分の行動や経験を自己分析する思慮深い人物であった。およそ「迷信深い」人々ではないのである」と述べます。



第2章「予言の時代」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
第一次世界大戦の開戦は驚くに値しなかった。ベルギーの詩人にしてエッセイストであるモーリス・メーテルリンクが1916年に書いているように『たしかに、理性的に考えれば大なり小なり予見されていたのである。しかし理性がその実現を信じてはいなかったのだ』。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、英国とフランスでは世界大戦の必然を論ずる書物が山ほど執筆されている。当時英国では定期的に独仏露によるスパイ疑惑や侵略の噂が広まっていた。一般大衆の恐怖心をさらに煽ったのが急成長しつつあった『侵略もの』や『未来小説』である。そして20世紀初頭になるとこの種の物語の悪役はおもにドイツがつとめていて、来るべき戦争の予兆を感じさせるのである」



また、一部の人々にとって、黙示録は第一次大戦の暗喩ではなかったとして、著者は「第一次大戦こそ黙示録に描かれたこの世の終わりそのものであった。それは人類がほぼ絶滅に瀕する一方、キリストの地上への再臨と素晴らしき未来すなわち新たなる千年紀の前触れでもあった。人類のほんの数パーセントすなわち選ばれし者が生き残り、新たなエルサレム、地上の神の王国に住むことになるのである。キリスト教神学ではヨハネ黙示録は長らく無視されるか静かな論駁の対象にすぎなかったが、ドイツの宗教改革や英国の清教徒革命のような深層的大変動が何世紀もかけて千年王国待望論を土台とする逸話や民話の類を生み出してしまい、それらが民心のかなりの部分を掌握してしまったといえる。第一次世界大戦も例外ではなく、福音主義キリスト教や西洋オカルティズムに織り込まれていた千年王国待望論を再発火させてしまったのである」と述べています。



第一次世界大戦前のヨーロッパでは、予言者たちが大戦の勃発を予言しました。多くの者は、開戦の年を1913年と予言しましたが、結局、翌年の1914年に開戦しました。戦争予言の強烈さと数の多さに深く心を悩ました一部のオカルト関係者は、開戦遅延には重要な原因があったと示唆しました。大戦予言の編者ザリンスキ伯爵夫人は、「強大なオカルト的な力が介入して惨事を防ごうとしたが、1年遅らせるのがやっとだったのではないか」と1917年に記してましたし、電気技師にして「思念力」の提唱者であったF・L・ローソンは「平和のために戦う精神ワーカたちの祈りの力で開戦が遅れた」と信じていました。ちなみに、ものみの塔協会(エホバの証人)の創始者チャールズ・テイズ・ラッセルは聖書の記述を参考に膨大な時間を費やして世界の終わりのときを計算し、それを1914年と算出しています。



ヨーロッパの戦時千年王国待望論をもっと声高に表現したのは急成長を遂げた神智学運動でした。神智学協会は1875年、神秘家ヘレナ・ブラヴァツキー(1831~91)によって創立されましたが、著者は「西洋のオカルト伝統と東洋の宗教とりわけ仏教とヒンズー教を混合した信仰体系であり、その叡智と秘密知識はエジプトとヒマラヤに住むマハトマと呼ばれる謎の霊的指導者たちから得たものとされていた。カルマと転生は神智学教義の中核であったため、神智学協会の戦争観もまたその影響を大いに受けていた」と述べています。1914年の時点で、神智学協会の全世界の会員数は2万5000名足らず(英国内に2905名)でしたが、文化に及ぼす力はかなりのものがありました。ブラヴァツキーの死後、協会の指導者層は千年王国待望論をはっきりと打ち出すようになったといいます。



世界教師を歓迎するための神智学系新組織「東方の星」団も立ち上げられ、クリシュナムルティが会長に就任しました。著者は、「大戦という大変動は、物質に対する精神の勝利を示していて、世界教師の到来が近いことをあらわすものとされた。そして新たな霊的時代が英国にて開幕するのである。大戦は大いなる宇宙的運動、善の力と悪の力の必然の戦いと解釈された。ときに善はホワイト・ロッジ、悪はブラック・ロッジと称されることがある。両陣営の超自然的『知性』は霊的維持を目的として男女の思念と欲望を引き出すと信じられていた。大多数の神智学協会会員はマハトマ以外の超自然的あるいは半神的存在の役割を真剣に受け取っていなかったが、たとえばA・P・シネット(1840~1921)などはブラック・ロッジの性質と歴史、その目的と戦争における役割などを描いている。シネットにとって、戦争に代表される危機は国家が背負うカルマをはるかに超える存在であった。大戦の宇宙的意義を理解するには、有史以前、何百万年も前に始まったアトランティスという偉大な時代を理解する必要がある」と述べます。



さらに、オーストリアとドイツのオカルト界にあってもうひとりの指導的人物をあげるとするなら、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)であるとして、著者は「かれはシュタイナー学校運動の創始者であり、『この戦争はドイツの霊的生命に対する陰謀である』と公の場で繰り返し主張していた」と述べます。シュタイナーは正式には神智学協会会員ではありませんでしたが、1902年には協会の初代ドイツ支部の指導責任者を務めています。ドイツの神智学協会はシュタイナーの熱心な指導の下で繁栄しましたが、同時にかれはブラヴァツキーの教義のさまざまな面を再構成し、再解釈するという作業も行っていました。結果として、シュタイナーはクルシュナムルティを拒絶し、1912年に同志とともに人智学協会を創立し、すぐに会員およそ3000名を集めています。著者によれば、人智学協会の目的は「霊的世界の真の知識を基礎として、個人と社会の両者に宿る魂の生命を育むこと」でした。同会本部はスイスのとある村落に所在しましたが、シュタイナー自身は大戦中オーストリアとドイツで多くの時を過ごし、独自のメッセージや見解を広めていました。この戦争は宇宙的霊的戦闘が地上に顕現したものであり、「各国が互いに相争うとき、人類を通じて働く魔物と霊たちの世界」であるというのです。



そして、戦時にあって国家が率先して予言を武器に士気を高める。この件は長い歴史があり、フランスもドイツも英国も戦時中は洗練された宣伝機関を有していたことを指摘し、著者は「戦時中の予言はどれも偏向が著しく、いずれかの国を一方的にほめたたえる、あるいはけなしまくる代物ばかりだが、交戦各国の当局が予言文書の作成に関わった、あるいはどこかに委託した形跡はほとんどないのである。たとえば英国では全国戦争目的委員会なる組織が1917年に設置されているが、多数の聖職者が参加して英国の霊的優位と神より授かる敵国打倒の宿命に関して愛国的レトリックを駆使していた。しかし予言と占星術師たちが同様の協同関係にあったという証拠がまったくない」と述べるのでした。



 第3章「ヴィジョン体験、霊、そして霊能者たち」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「大戦中、兵士やその家族と恋人が経験した奇怪なヴィジョン体験や感覚が無数に報道され、ときに『砲火の下の怪異』とか『戦争と怪奇』といった描写をされている。戦争は常に幽霊を見た話や出会った話、虫の知らせの話を生み出してきたが、第一次世界大戦の戦中戦後ほど軍人の超自然体験に関心が寄せられた時期もなかった。もちろんこれは20世紀初頭、科学的関心と宗教的関心の両者が形而上学および神秘方面に集中したという異常事態に起因する部分が大であろう。さらに一般大衆が生命の霊的側面に関する証拠を受け入れる姿勢にあったことも一因である。超自然方面と一般大衆の親和関係、さらにそこからどのような解釈が生まれていったのか、それを理解するためにはまず心霊術運動を知ることが肝要となる」



「天上のしるしと聖なる出現」として、著者は、戦争の両サイドで天使たちが活発に活動していたことを報告しています。カトリックにあっては、守護天使という概念は正式な神学でも民間レベルのそれでも強力なものだったからです。著者は、「守護天使は敬虔なカトリック教徒を守護するのであるから、戦場にあってもそれは同じはずなのである。たとえば1916年のドイツの絵葉書では、まさに発砲しようとしているライフル兵を肩越しに見守る有翼の女性が描かれていて、『戦士の守護天使』という題名が添えられていた」と述べます。また、プロテスタント神学の主流では、守護天使という概念はカトリックの迷信とされてきましたが、福音主義プロテスタント会派は歓迎していたとして、著者は「守護天使は神の遍在の表現、人事への変わらざる介入のあかしとされたのである。実際、戦場における天使の出現にもっとも夢中になった国は英国であった」と述べます。



1914年8月、英国遠征軍はモンスの戦いで迅速なる撤退を余儀なくされました。それはこの先の軍事的試練と士気低下を予感させる最初のつまづきでした。この戦闘に関する新聞記事に大いに感銘を受けた作家アーサー・マッケンは「弓兵」という短編を書き上げています。後に、マッケンは「日曜の午前中、食事とミサのあいだに読むにはひどい代物ばかりだった。ウィークリー・ディスパッチ誌で読んだのはモンスからの撤退戦の地獄絵図だった・・・・・・苦痛と死と苦悶と恐怖の炉を7回熱したようなもので、その灼熱の真っ只なかに英軍がいるのだ」と回想しています。


マッケンの短編は9月29日の『イヴニング・ニュース』紙に掲載されました。本書では、「絶望的な戦いのさなか、ある兵士が『塹壕の向こうになにかが整列しているさまを見た。その周囲に光が輝いてる。弓を引く男たちのようだった。叫び声があがると、矢の雲がドイツ軍に向かって歌うような音を立てて飛んでいった』。聖ジョージがアジンコートの弓兵の霊を呼び出して援軍としたのである。『歌い飛ぶ矢の雨のおかげで空が暗くなった。異教徒の群れは溶けて消えた』。ほどなくこの短編を転載したいという教区雑誌からのリクエストもあり、弓兵の話は紙面や口頭によって徐々に広まっていった。そして伝播の過程でフィクションではなくて実際にあった出来事と思われるようになったのである」と紹介しています。



翌年、聖ジョージ祝祭日の前後に弓兵の新ヴァージョンが登場しました。マッケン自身の言葉では「噂の雪だるまが転げ落ちはじめ、以来ずっと転がり続けて」どんどん大きくなり、「ぞっとするような大きさになってしまった」のでした。本書には、「単純な弓兵の話はたっぷりと装飾され、さらに再構成されて戦場で天使を目撃したという実話になっていった。登場する霊も天使のみならず甲冑騎士、モンスから退却する兵士を包む神秘の雲と多種多様である。オカルトや心霊術の業界もこの件にはなみなみならぬ関心を寄せていて、そういったヴィジョン体験をした兵士の談話を集められるかぎり集めて雑誌等に掲載した。全国紙も地方紙も議論に参加し、検証可能な証言を求める旅を開始した。この種の証言をまとめた小冊子が山ほど出版され、その大部分がヴィジョン体験を神の介在の疑問の余地のない証拠としていた」と書かれています。



また、「マリア出現」として、著者は「フランスのルルド、ドイツのマーピンゲンといった聖母マリアを祀る祠への巡礼の列は、出征兵士の無事を願う家族と恋人たちでふくれあがっていた。ルルドの泉を霊的に管轄するタルベ司教は、対独戦においてフランスを支援するよう聖母マリアに公的に要請していた。聖母マリアが例外的な国難に際して出現することは数世紀にわたって定期的に報告されている。ゆえに第一次大戦中に新たなマリア出現の主張が何度となくなされたとしてもなんら不思議ではない。イタリアの教会や雨では、雲に乗った聖母子が限下の戦場で戦うイタリア軍兵士を加護する絵柄のお札が無数に奉納された」と述べています。



戦場におけるマリア出現は開戦初期に繰り返されています。これについて、著者は、明らかに自国の正義を確信する愛国的宗教心の発露であり、また戦争の早期終結への期待を示すものであったとして、「戦局が進むにつれ、天上の予兆もヴィジョンも戦闘地域ではあまり見られなくなっていった。ゆえに戦時中もっとも影響力を発揮したマリア出現が戦場からはるか後方で発生したのも不思議ではなかったといえる。1917年5月、ファティマというポルトガルの小さな村で10歳の羊飼いの少女ルシア・ドス・サントス聖母マリアに出会ったと主張している」と述べています。



次は、幽霊です。「とりつかれる場所、とりつかれる人々」として、幽霊は長らく文学的主題、暗喩、舞台装置として大変人気があり、その勢いのまま1914年を迎えたと指摘し、著者は「戦争を扱う詩人や小説家の一部がすでに作品のなかで死と死後の世界に取り組んでいたという事情もあった。後方で回復につとめていた詩人ジークフリート・サスーンが1916年6月の日記に記している、「幽霊というものがほんとうにいるのであれば――そして自分はその事実あるいは幻覚を否定する準備ができていないのだが――幽霊がいるのであれば、かれらはこの戦線に永遠にとどまるだろう」と書いたことを紹介し、サスーンの友人であり同じ大隊の将校だったロバート・グレイヴズが、著書『すべてにさようなら』でベテューヌにて知人だったチャロナー二等兵の幽霊を見た話を書いていることも紹介しています。



戦場は幽霊で満ち溢れていて当然であるとする一般的感覚ないし想定が昔もいまも存在するとして、著者は「軍隊が動員された場所は比喩的にいっても死と死者の光景、音響、臭いに祟られているからである。まだ生きている者たちは腐敗が進行する死者とともに時を過ごし、塹壕は分解する死骸と部位との奇怪な友情で満ちていた。フランス人将校ルネ・ニコラは塹壕で同居していた3人の死骸との滑稽な立ち位置を語っている。ひとりは後方宙返りの途中のような姿勢だった。部下の兵士たちが塹壕から突き出た足の部分に水筒を引っかけていた。「かれらはこちらに不快感を与えるのをやめず、さらに笑わせにくるのである」。しかし宗教心に篤い者にとっては、この黙示録的環境は聖書に描かれるこの世の終わりと死者の復活を思わせるものであった」と述べています。



ゆえにカナダ軍野戦砲兵隊とともに西部戦線で戦った英系アメリカ人兵士コニングスビー・ドウソンは「たしかに自分がいまいるこの場所は幽霊が出るに違いない」と書いています。しかし死者の肉体的残存物と非常に近しい関係にあるという事実、さらに死者の大量生産が毎日続くという支離滅裂な状況が、文化的あるいは心理的な幽霊の創造を事実上禁じていたと指摘し、著者は「第一次世界大戦の幽霊たちは人につくのであり、場所にはつかなかった。かれらは日常的物理的環境にあって生と死の永続的近接性を確固たるものとすることを要求されなかった。しかし信仰としての心霊術は生から死へ移行する際の明確なロードマップを提供している。それは世間に広まった正統的宗教の死後観に対する挑戦でもあった」と述べます。



「心霊術と戦争」として、心霊術信奉者は大多数の人類が理解している形での死を受け入れないと指摘し、著者は「ある意味において、心霊術は幽霊の創造を不可能にしていたといってよい。大衆文化における幽霊は死者の霊ないし魂であるが、心霊術信奉者は伝統的な死の概念を完全に否定しているのである。肉体的生活と霊的生活は連続体であって、魂が地縛的領域から霊的領域へと移行するとされる。霊媒は定期的な双方向通信を可能とする電報の役割を果たす。霊が出現するとすれば、それは交霊会が行われる室内のことであって、実質的に霊媒を牧師役とする宗教儀式の一部であった」と述べます。



心霊術擁護者がときにおおげさな主張をして心霊術運動の成長を宣伝するように、批判側もまた心霊術の拡散と影響を過大に評価して対策の必要性を説いていたことを紹介し、著者は「カトリック教会は心霊術を迷信とし、心霊術が鼓舞する先にあるものは悪魔崇拝であるとまで非難していた。死者は最終秘蹟を授かり、平安のうちに休んでいるのである。死者との交流は祈りと司祭の典礼の業務範囲であった。1898年、〔ローマ教皇庁の〕検邪聖省は『心霊術活動を禁ずる。それが悪魔との交渉を除外し善なる霊のみを対象とするとされるものであっても例外は認めない』と布告している」と述べています。



第一次世界大戦の頃になると、英国国教会の主流派は神意や奇跡といったものを教義から抹消していたことを紹介し、著者は「死後の世界などは教義や礼拝、対外宣伝においても降格扱いされていた。ゆえにいざ開戦となったとき、国教会の長老たちが心霊術を非難したのは驚くにあたらない。文字で攻撃し、あるいは説教壇から舌鋒鋭く批判するおなじみの光景ともいえた。オクスフォードの司教は心霊術信奉者を「おそらく狡猾な悪魔に騙されている犠牲者であろう」と述べている。しかし教区民からかつてない規模で大量の死者が出ているという現実は、下級聖職者である教区牧師や牧師代理にとっては由々しき事態であった。かれらは遺族のみならず死者を慰める役も要求されるようになったのである。遺族は死者のその後の様子や精神状態を知りたがるようになり、死後世界へ焦点を合わせる必要性が生じている」と述べます。



心霊術は非難の対象ではありましたが、霊媒たちが遺族を慰めるにあたって一定の役割を果たしたのは明白です。交霊会は劇場と宗教礼拝とセラピーの混合物として機能していたと指摘して、著者は「アーサー・コナン・ドイルや著名物理学者サー・オリヴァー・ロッジ(1851~1940)といった有名人が発表する霊媒の話は、死など存在しないという確信がもたらす強力な、そして吸引力のある慰めの表現となった。コナン・ドイルはもともと交霊会現象や死者との交信に関して十分な懐疑心を抱いていたのだが、大戦で次々と家族を亡くしたために懐疑心もぼろぼろになっていた。まず義弟がモンスにて戦死し、1918年には弟も戦死している。最大の痛手は最愛の息子キングスリーがソンムで負傷して病床に伏し、それも手伝って1918年に肺炎で亡くなったことであろう」と述べています。


1916年3月、ドイルはオカルト雑誌『ライト』に『気絶中の魂の位置」というテーマで寄稿し、「個人的には、死をもってわれらの個別性の消滅とすることを否定する論点は、心霊調査がめたらす事実以外にはまったく知らない。しかしこれらの事実はきわめて強烈であるため、他の論点をすべて圧殺するしかないのである」と、自身の固まりつつある心霊術的確信を述べています。その4年後、一連のキングスリーとの霊界通信を行ったのち、ドイルは「死後のメッセージから得られる安らぎ」と記し、愛する者たちの霊的世界が「霊媒ひとり分」しか離れていないと受け入れるなら、この「拷問を受けている世界」にどれほどの慰めがもたらされるかと述べました。



物理学者のオリヴァー・ロッジロッジは長らく心霊術現象に関心を抱いていましたが、それがきわめて個人的なものになるきっかけは1915年9月、フランドルにおける息子レイモンドの戦死でした。著者は、「ロッジと妻は一連の交霊会に参加して息子の霊と交信し、その会話が息子の名前を題名とする1916年の書物の出版へとつながった。決して安価な書物ではなかったが、『レイモンド』は売れ行きもよく、戦闘地域にいる兵士のあいだにまで出回っている」と紹介しています。ちなみに、戦時中に交霊会に出席した人間の総数を査定することは困難ですが、数十万人、あるいは数万人が霊界通信を希望して霊媒を頼ったという俗説は「単純に不可能といってよい」と、著者は述べています。



かなりの数の人間が自宅でテーブル・ラッピング等の交霊会を行っていたという説もありますが、具体的証拠はほとんどないとして、著者は「世間一般では霊媒体質は生来の特殊体質であって、本から学んで練習できるものではないと考えられていた。戦時中もそれ以前も、ウィジャ盤が大量生産されて市場に広く出回っていたという事実はあるが――宣伝文にいわく『その神秘の挙動はいかなる力によるものなのか、懐疑論者もびっくりして夢中になること必至』――そもそも一般家庭にあっては希少な存在であり、アメリカ以外の国で広く知られるようになるのは1920代以降の話である」と述べています。


また、「予知」として、著者は「英仏両国の戦争心霊研究の主要分野として、塹壕あるいは海上における危険や死をテレパシー的あるいは霊視的に予知した例の検証があった。霊媒行為を別とすれば、予知関連の研究は数十年にわたって心霊研究者たちの重要分野であった」と述べます。英国では、全国紙や地方紙が敵的に軍人の母や家族が「愛する者の死」を予知したことが報じられました。著者は、「この種の談話の多くはいわゆる『虫の知らせ』であり、直観的というか、未来に対して不吉な感情を抱くといったものである。戦場ではこの種の感情はときに『ザ・コール』と称される。すなわち死が近づいているという感覚であり、兵士たちのあいだでもっともオープンに語られ、故郷への書簡にも記された心霊現象であろう」と述べます。



戦時予知の第二カテゴリーとして、当時の文芸作品でもよく登場する「危機的出現」ないし幻像と呼ばれるものがあるとして、著者は「これらは覚醒時に経験する『真実を語る』『嘘をつかない』幻覚である。危機に瀕した人間精神が意図的あるいは非意図的にテレパシー的送信を行って自己の危機的状況をヴィジョンとして家族に伝えることが可能か否か、心霊研究者たちは探求を試みている」と述べています。1917年、一般向けの科学雑誌数誌が1915年3月のプシェミシルの聖母マリア出現に関して技術的解説を掲載しているます。それによれば、ステレオプティコン(スライド2枚を用いて3次元効果を出せる幻燈機の一種)を飛行機に搭載して低空の雲に聖母像を投影したのではないかというのです。実行者はオーストリアの科学者たちで、使用された画像はチェンストホーヴァ修道院にある有名な聖画だったと推測しています。



狙いは包囲されたオーストリア軍の士気を支えることとして、著者は「また塹壕の兵士たちが目撃する霊的出現の類は、カルシウムとリンから生じる不気味なウィル・オー・ザ・ウィスプ(鬼火)、すなわち発光性ガスであり、その材料は戦場に無数に散乱する腐敗肉片であるという意見もあった。より納得のいくものとしては、死の近接と確信による幻覚という心理学的解説が当時からなされていて、以来延々と研究が続いている。塹壕戦がもたらす疲労、感覚喪失、知覚過敏などにより、兵士が知覚の歪みと一時的精神異常を経験する一方、母国で待つ人々は肉親を失う恐怖や実際に失うことで精神的に影響を被り、ストレスや懸念によって奇怪な体験をするのである」と述べます。

 

そして、心霊術に対する関心は、戦後に発生した死者崇拝というコンセプトの確証として用いられてきたとして、著者は「しかしそれは儀礼化した英国国教会と国が後援する記念事業の産物という面のほうが大きいのである。今日でも英国国民は、政治的およびメディア的圧力と王室のご臨席を通じて第一次世界大戦戦死者の追悼行事への参加を求められている。しかし大戦が超自然に関する既存の概念に新たな表現をもたらしたのは事実であるし、心霊術と心霊調査は霊的出現と死後生を理解するための現代用語を提供したのであった」と述べるのでした。



第4章「占いさまざま」では、「魔女術取締法」として、「第一次世界大戦中、心霊術運動を一番慌てさせたのは1736年の魔女術取締法であった。それは制定当時にあっては啓蒙的な司法の結実であり、1604年制定の呪術および魔女術取締法を破棄して魔女術を再定義することにより、英国国内の魔女裁判を正式に終了させた法律であった。それまで魔女術は悪霊などと交渉する術として実行者は死刑の対象とされていたが、1736年以降は魔女術はサタン的犯罪ではなく詐欺の一種となったのである。また魔女術取締法は魔術や占いの実践によって大衆を騙す者たち全員を抑え込もうとする意図を有していた」と述べます。



また、「ウォー・ストーリーズ」として、著者は「霊媒、骨相学者、霊視者、サイコメトリスト、手相術師、カード占い師、水晶球見者など、起訴された占い師たちの裁判記録等に目を通していくうちに、かれらが顧客になにを伝えたか、なぜそれを伝えたかが明確なパターンとして浮かび上がってくる。占い師たちが語る言葉は、占いや心霊の力の応用というよりは、基本的な心理学的判断にもとづくものである場合が多いといえる。夫や息子が軍隊にとられて連絡が途絶えがちになると、多数の女性は最悪の事態を恐れて占い師を頼ったのである。この場合、占い師はまずその場にいない家族はさいわいまだ生きていると告げる。さらに戦場からの帰還に関して心が慰められるような言葉を語ることもある」と述べています。


第5章「戦場の幸運」として、「不運を回避する」では、13がフランスでは伝統的にラッキーナンバーとされていたことを紹介し、著者は「第一次世界大戦時に流行した無数の『幸運の絵葉書』にも描かれていたし、ペンダント型のお守りとしても人気があった。しかし英国と北米では13という数字に対する恐怖は『トリスカイデカフォビア』、すなわち『恐怖症』という専門用語まで生まれるほど深刻に受け取られていた」と述べます。また、一定の行動やシンボル、数字などを避けることで不運を回避するという発想は、第一次世界大戦の代表的な塹壕迷信の根底に存在していたとして、著者は「すなわち1本のマッチで3本の煙草あるいはパイプに火をつけると、3人の喫煙者のうちひとりが死ぬという迷信である。この発想は第二次ボーア戦争(1899~1902)の戦場で生まれたものらしいが、実際に広く浸透するのは第一次世界大戦のときであった」と述べています。

 
儀式論』(弘文堂) 

 

拙著『儀式論』(弘文堂) では、人間の幸運を開くためのさまざまな儀式を紹介しましたが、本書でも儀式について言及されており、著者は「幸運、運命、ジンクスといった概念と、それらに影響を及ぼすための儀式は、決して悠久のかなたより伝わるものばかりでなく、また過去の痕跡として残ったものでもない。20世紀前半に出現したテクノロジーは新たな危険と独自の環境を生み出し、それゆえの独自のフォークロアと儀式も生産したのである。自動車の出現により、車体と乗員を保護するための新たなマスコットが創造されている。潜水艦は従来の航海実技を改変する新奇な環境を提供し、Uボートの乗組員のあいだに新たな信仰と儀式をもたらした。第一次大戦中の空中戦の開始、離陸するとすぐに迫りくる死の意識、そして一対一のドッグファイトが持つ孤独感は、儀式に頼ってでも生命を守りたいという強烈な心理文化を生み出したのである」と述べています。



第6章「塹壕の進行と護身のお守り」の冒頭を、著者は「両陣営とも、世界大戦を十字軍と称する宗教関係者の発言が見られた。フランスとイタリアのカトリックたちであろうが、ロシア正教の司祭やアメリカの福音主義者、ドイツのルーテル派であろうが、その点は一緒であった。第一次世界大戦は邪悪と戦うキリスト教の現代的闘争であり、各国の命運は黙示録の言葉で描かれた。両陣営とも、自陣営こそ堕落したキリスト教ヨーロッパを浄化する神聖な任務を与えられたと主張していた」と書きだしています。



また、「防弾聖書」として、著者は「第一次世界大戦を象徴する物品のひとつが、敵の弾丸あるいは榴散弾の破片で穴が空いた聖書である。今日でもそういった聖書が交戦各国の個人蔵あるいは博物館収蔵品として何十冊も残っている」と紹介し、「弾丸をくいとめて生命を救う聖書という戦場ストーリーは、およそ新しいものではない。17世紀半ばの英国内乱でも報告されているし、アメリカの南北戦争でも防弾聖書の話が出回っていた。しかし第一次世界大戦に動員された膨大な戦闘員の数、飛び交う銃弾の量、そして胸ポケットに入れられる何千万冊もの聖書を考慮すると、数百人の兵士がこの方法で命拾いしたというのは統計学的にあり得る話であろう」と述べています。ちなみに、わたしはブログ「書肆ゲンシシャ」で紹介した別府の古書店において、初めて防弾聖書の現物を見ました。

 

さらには、「ニューソートと防弾思考」として、著者は「ヨーロッパに展開された膨大な軍隊、その家族たち。かれらの圧倒的大多数のキリスト教信仰を代表するものはプロテスタントカトリック正教会であったが、他にも19世紀に発生してキリスト教を標榜する小規模団体がいろいろあって、それぞれ第一次世界大戦に対して独自のスタンスを有していた。たとえばエホバの証人やキリスト・アデルフィアン派は平和主義と良心的拒否によって注目を集めていたし、セブンスデイ・アドベンティスト派の兵士は土曜日の軍務を拒否して軍法会議にかけられている。心霊術教会は悲嘆にくれる遺族にカタルシスを提供していた。ニューソート運動は第一次大戦に関してはほとんど注目を集めていないが、その信仰と活動はとりわけ軍人のニーズに適合していた。ニューソートは科学的戦争のための科学的宗教として大いに宣伝されたのである」と述べています。



さらに、「世界的信仰」として、第一次大戦で戦った数百万人の兵士にとって、戦闘中に携帯するもしくは詠唱する聖典クルアーンであって、聖書ではなかったとして、著者は「聖書と同様、一部のイスラム教徒はクルアーンに護符的効能を発生させていた。T・E・ロレンスは戦友にしてベドウィン・アラブの指導者アウダ・アブー・ターイに関してこう記している。『13年前、かれは120ポンドもの大金で護符の効能を有するクルアーンを買い求め、以来一度も負傷していない。実際、死神はかれの顔も見たくないのであり、仕返しにかれの兄弟や息子や部下を殺してまわった』。問題のクルアーングラスゴーで印刷された実に安っぽい版だったのだが、『アウダのあまりの真剣さゆえに、かれの迷信を笑う者はだれもいなかった』」と述べています。



数世紀にわたり、イスラム文化圏の兵士たちは護身のお守りとして「タウィーズ」を身に着けていたとして、著者は「これは首に巻いたり肩に貼ったり、腕に巻き付けるもので、コーランの一節を収めるペンダントカプセルあるいは革袋である。後年、第一次大戦の見本市ともいわれるようになる東アフリカにあって、1903年の段階でスワヒリ語イスラム教徒がクルアーンの20章1節を戦闘時の護身の護符として着用している記録がある。準備として香煙で燻蒸するそうである。オスマン帝国が聖戦を呼びかけている関係上、フランス軍としては自陣営のイスラム教徒兵士の扱いは慎重であった。北アフリカで戦うかれらの信仰、儀式、宗教活動などを尊重するしかなかったといえる」と述べています。



第7章「余波」として、著者は、歴史家たちは大戦中の超自然依存を語るにあたり、「非近代の雪崩現象」「きわめて非近代的な迷信過多」といった手垢のついた引用を用いて説明してきたことを指摘します。しかし大戦が短期間の、いわば「再魔術化」の先触れとなったという発想には問題があるとして、「魔女術と魔術の歴史家たちは、19世紀までに魔術が科学と理性に屈したとする観点を次第に拒否するようになり、科学と超自然、信仰と合理、近代と魔術のあいだで生じてきた偽りの対立を指摘するのである」と述べています。本書で紹介されたヴィジョン、出現、予兆、予言、占いそして魔術信仰などは、第一次世界大戦につながる数十年間でも十分に見てとれるものであり、その後の年月でも姿を現し続けました。また、「戦争に行った男たちの多くは伝統的な魔女術と魔術の文化で育っており、戦争から戻る先はいまだ人々が超自然的な力を恐れる共同体であった」と書かれています。


大戦中、英国では心霊術系組織の会員数に目立った増加はありませんでしたが、戦後の20年間は着実に増加しています。アーサー・コナン・ドイルやオリヴァー・ロッジのような人々が1920年代を通して効率よく心霊術を普及させていった結果でした。心霊術の一般公開に関しては、少なくとも都会では新たなプラットフォームが登場したとして、著者は「ロンドンではロイヤル・アルバート・ホールのような場所で数千人を集めて行う大規模交霊会が流行していて、スター霊媒師が死者と語り合うさまをファンが熱心に見つめる図式であった。こういったイベントとホーム・サークルのあいだには、心霊術のさまざまな教義にそれほど詳しくないが、セラピーとしての死者接触という基本概念は直接知っているという人口層が存在した」と述べています。


カトリック系出現の領域でいえば、西ヨーロッパのマリア出現は戦時中よりも戦後のほうが数が多いことを指摘しつつも、著者は「もっとも19世紀中はマリア出現はかなり定期的なイベントであったことも留意すべきであろう。1932年から1935年にかけて、ベルギーではこの種の出現が伝染病の如く広がり、さらに聖痕、血を流す磔刑像、奇跡的治癒などの報告が相次いだ。最初はフランスとの国境近くにあるワロン地方のボーレンという小さな村で発生している。同村の児童たちが聖母マリアの出現を30回以上目撃したと主張している。ワロン地方は第一次大戦中に戦場となり、ドイツに占領された経験があるため、この地方の住民がヒトラーの台頭に対して抱いた懸念が連続的奇跡として表出したという説も提唱されている」と述べています。


1933年から1940年にかけてドイツで相次いだマリア出現も、同様の神経的緊張の産物という説明がつくかもしれないという著者は、「さらなる出現がマーピンゲンの祠といった有名な場所で目撃されたが、新顔の女性幻視者たちによるマリア出現報告がヴェストファーレンニーダーザクセンバイエルンといった地方で相次いでいる。ナチスが権力を掌握すると、ゲシュタポはこの種の幻視者たちをすぐに逮捕あるいは抑圧している。聖母マリアの訪問を受けたと主張していたニーダーザクセン州ヘーデの少女4名は精神病院に送り込まれた」と述べています。



第一次大戦時に始まった戦時伝聞と「迷信」の学術研究は、次の大戦ではさらに発展し、民間信仰表現のプロパガンダ的価値もきわめて体系的に利用されたとしています。著者は、「1950年にはアメリカ空軍がランド研究所に超自然思想の軍事的価値の評価を依頼している。研究所が提出した報告『心理戦を目的とする迷信の利用』は、第二次大戦の経験を踏まえ、またドイツから押収したナチスの公安関係文書も利用している。報告書の著者ジーン・ハンガーフォードが指摘しているように、『敵側の非合理的信仰を利用する』試みが戦時宣伝省によって散発的に行われていた」と述べています。



英国が占星術に「弱い」点はゲッベルスも気づいていたと指摘し、1942年4月28日のゲッベルスの日記には、「できるだけ早く占星術プロパガンダを始める必要がある。特にアメリカと英国でのそれには、そこそこ期待できる」と書かれていたことが紹介されます。著者は、「かれもまたノストラダムス戦争に参加していた。1939年1月、かれは第三帝国の内部で占いや予言関係の出版を禁止する一方、あちこちにばらまくためのノストラダムス予言のフランス語版の製作を命令している。バトル・オブ・ブリテンすなわち英国本土防空戦が始まると、ノストラダムスがすでに1940年にロンドンが破壊されると予言しているとの英語放送を流している」と述べています。数年後、ゲッベルスはこの戦略を再び取り上げ、「ゆえにわれわれはオカルト哲学の有名証言者たちを総動員している。ノストラダムスもまた引用されねばならない」と、1942年5月19日の日記に記しています。



最後に、著者は「超自然信仰と活動の連続性に関していえば、第一次世界大戦は護符とお守りの商業主義化を固めた点で影響があった。さらに魔術的な分野に機械化を組み込んだり、来世観を世俗化したり、心霊分野の心理学化を招くなどしたといえる。戦時下の新聞は、同時代における神的介入や世界の解釈との関連を再形成するうえで重要であった。戦間期の新たな危機と社会発展、とりわけ大恐慌はそれなりの役割を果たしたといえるが、第一次世界大戦とその遺産こそスーパーナチュラルなものが深淵なまでにモダンであることを確証したといえるのである」と述べるのでした。本書には驚異的な事実がたくさん紹介されており、人間がシンボルを操る「儀式的存在」であることを改めて痛感した次第です。



わたしは、もともと第一次世界大戦に強い関心を抱いていました。第一次世界大戦には、人間の「こころ」の謎を解く秘密がたくさん隠されているような気がしてなりません。毒ガスはもちろんですが、それ以外にも、飛行機・戦車・機関銃・化学兵器・潜水艦といったあらゆる新兵器が駆使されて壮絶な戦争が行われました。「PTSD」という言葉もこの時に生まれたそうですが、わたしは「グリーフケア」という考え方もこの時期に生まれたように思えてなりません。それは人類の精神に最大級の負のインパクトをもたらす大惨事だったのです。21世紀を生きるわたしたちが戦争の根絶を本気で考えるなら、まずは、戦争というものが最初に異常になった第一次世界大戦に立ち返ってみる必要があるでしょう。その意味でも、本書から多くのヒントを与えられました。限りなく知的好奇心を刺激する名著です!

 

 

2020年月日 一条真也

気地

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「気地」という言葉を取り上げることにします。

 

 

「病は気から」と言われるように、病気とは気の問題でもあり、病院について考える上でも「気」が重要なキーワードになります。東洋医学や東洋思想は、考え方の中心を「気」においています。宇宙には気という生命エネルギーが満ちています。人間や動植物は、宇宙から気のエネルギーを与えられて生まれ、また宇宙の気のエネルギーを吸収して生きているのです。東洋医学では、人間は天の気(空気)と地の気(食物)を取り入れて、体内の気と調和して生きているとされています。科学的に見れば、気は1つの波動なのです。したがって、気が乱れると病気になってしまいます。

 

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—

  • 作者:稲葉俊郎
  • 発売日: 2017/12/22
  • メディア: 単行本
 

 

人間の身体とは気の流れそのものにほかなりません。それは、ちょうどバッテリーのようなものです。バッテリーは放電ばかりしていると、電気がなくなってしまいます。長くもたせるためには、ときどき充電しなければなりません。人間も同様で、気の充電をしなければ「気力」もなくなり、「やる気」も起こらなくなって、ついには「病気」になって死んでしまいます。

 

いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―

いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―

  • 作者:稲葉俊郎
  • 発売日: 2020/07/02
  • メディア: 単行本
 

 

よく、非常に多忙な人が何日間かリゾートへ行ってきて、「たっぷり充電してきた」などと言いますが、あれは比喩ではなく、実は即物的な表現なのです。その人は実際に気を充電したのです。そして、病気の人とは気が不足している人であり、最も気の充電が必要とされるのです。病院は、リゾートと同じく、巨大な気の充電器とならねばなりません。いわば、生命力の基地としての「気地」にならねばならないのです

 

 

「気地」は、「パワースポット」という言葉にも通じます。そして、日本においては神社の存在がクローズアップされます。ここ最近、神社が大いに見なされています。特に若い人たちの間で、「パワースポット」として熱い注目を浴びています。いわゆる生命エネルギーを与えてくれる「聖地」とされる場所ですね。

 

聖地感覚 (角川ソフィア文庫)

聖地感覚 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:鎌田 東二
  • 発売日: 2013/10/25
  • メディア: 文庫
 

 

神道研究の第一人者である宗教哲学者の鎌田東二氏によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。「精神世界の六本木」と呼ばれた天河大弁財天社にしろ、伊勢神宮出雲大社にしろ、神社とは穴の開いたパワースポットなのです。


天河大弁財天社にて

 

わたしも、疲れたときなど、よく神社に行きます。何よりもまず、神社は木々に囲まれた緑の空間です。ゆたかな緑の中にいると、いつの間にか元気になります。また、神社はさまざまな願いをかなえてくれる場所でもありますね。わたしは、しばしば志を短歌に詠み、神社に奉納します。不思議とその後は物事が順調に進み、願いがかなうような気がしています。


開運! パワースポット「神社」へ行こう

 

八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、根本的に開かれていて寛容なところです。まったく神社ほど平和な場所はありません。伊勢神宮出雲大社には心御柱がありますが、すべての神社は日本人の心の柱だと思います。そんな考えをもとにして、わたしは、かつて『開運!パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)を監修しました。神社は、日本人の「こころのバッテリー」であると思います。

 

2020年11月7日 一条真也

死を乗り越えるマザー・テレサの言葉

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愛の反対は憎しみではなく、無関心です。世界で一番恐ろしい病気は孤独です。誰にも世話をされずに一人で寂しく死んでいくことなどあってはならない。(マザー・テレサ

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、マザー・テレサ(1910年~1997年)の言葉です。現在のマケドニアスコピエ出身で、神の愛の宣教者会の創立者です。カトリック教会の聖人として知られ、1979年にノーベル平和賞を受賞しています。

 

マザー・テレサ 愛の軌跡 増補改訂版

マザー・テレサ 愛の軌跡 増補改訂版

 

 

マザー・テレサは1946年、汽車に乗車中しているときに「すべてを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたといいます。その後、神の愛の宣教者会を設立します。飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働くことを目的とするものです。マザー・テレサの活動は世界からも関心を持たれ、修道会の活動は修道女たちに受け継がれ、世界中の貧しい人々のために活動を今も続けています。

 

マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)

マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)

  • 発売日: 2000/09/01
  • メディア: 文庫
 

 

1997年、マザー・テレサは亡くなりました。インド政府によって国葬として荘厳に執り行われた葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬されたことを象徴するものとなりました。彼女の活動は、宗教を超えたのです。この言葉は、世界中で人間同士のつながりが希薄になる現代において、本当に豊かな生と死がどのようなものかを教えてくれているように思います。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年11月7日 一条真也