礼は人の道である(松下幸之助)

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一条真也です。
言葉には、人生をも変える力があります。
今回の名言は、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助の言葉です。パナソニック創業者であり、幾多の苦難の末に経営者として稀にみる大成功を収めた彼は、渾身の著書『人間を考える』(PHP文庫)において、「礼」の問題を追求しました。そして、「礼をするから人間である」、さらには「礼は人の道である」と喝破しました。

 

 

混迷を深め、人間が自らを見失いつつある現代。松下幸之助は、自然に対して弱い存在と認識されがちな人間を、あえて万物の王者であると位置づけます。そして、人間は万物を支配活用しながら、物質と精神を調和、繁栄させる事のできる優れた本質を持っていると定義しています。また、人間がこの事を正しく自覚し、認識するならば、人種、国家の枠を超えて相互理解を目指し、個々の知恵を超えた、集団の知恵を寄せ合い、様々な知恵の融和により、人間のさらなる進化創造を目指すことができるとしています。そうした過程で最も大切な事は、「素直な心」を持つ事です。ひとつの事にとらわれず、物事をあるがままに見ようとする心が、真の素直さであり、人間を正しく、強く、聡明にするものであると説いています。

 

世界をつくった八大聖人 人類の教師たちのメッセージ

世界をつくった八大聖人 人類の教師たちのメッセージ

 

 

『人間を考える』を読んで、自分もこんなスケールの大きな本を書きたいと思いました。その考えを当時のPHP研究所の社長であった江口克彦氏(現・参議院議員)にお話したことがあります。その結果、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)を書かせていただきました。ちなみに、江口氏は若い頃に松下幸之助の秘書的な役目を務めておられ、最も「経営の神様」の近くにおられた方です。『人間を考える』の執筆にも多大な寄与をされています。

 

礼を求めて

礼を求めて

  • 作者:一条真也
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 2013/04/01
  • メディア: Kindle
 

 

わたしが何よりも同書を読んで感動したのは、松下幸之助が「礼」というものを重んじている点でした。サンレーという社名の意味のひとつに「讃礼」すなわち礼の精神を讃えることがあるように、わが社は何よりも「礼」を重んじる会社です。でも、礼には大きく分けて2つの意味があります。人の道としての礼と、作法としての礼です。「モラル」としての礼と、「マナー」としての礼と言ってもいいでしょう。わたしは前者を「大礼」と呼び、後者を「小礼」と呼んでいます。『人間を考える』で触れられている礼は、まさに「大礼」です。

 

わたしは日頃から「礼経一致」の精神を大事にしたいと考えていますが、「経営の神様」といわれた松下幸之助も「礼」を最重要視していました。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。そもそも無限といってよいほどの生命の中から人間として誕生したこと、そして万物の存在のおかげで自分が生きていることを思うところから、おのずと感謝の気持ち、「礼」の気持ちを持たなければならないと人間は感じたのではないかと松下幸之助は推測します。

 

ところが、最近になってその人間的行為である「礼」が、なにやら実際には行なわれなくなってきました。挨拶もしなければ、感謝もしない。価値観の多様化のせいか。だが、礼は価値観がどんなに変わろうが、人の道、「人間の証明」です。それにもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという者がいます。松下幸之助は、「礼とは、そのような好みの問題ではない。自分が人間であることを表明するか、猿であるかを表明する、きわめて重要な行為なのである」と説きました。 ましてや経営や組織で1つの目的に向かって共同作業をするとすれば、当然、その経営、組織の中で互いに礼を尽くさなければなりません。挨拶ができないとか、感謝の意を表わすことができないというのであれば、その社員は猿に等しいと言えます。

 

経営者も社員に対して礼の心を持つ必要があります。自身が範を示さず、社員に礼を求めるばかりでは指導者としての資格はありません。要するに経営者も社員も「人間」であるかぎり、互いに人間的行為、すなわち礼を尽くさなければならないということです。さらに、お客様に対する礼は、人間としての最高の礼を示さなければなりません。お客様の存在によって経営は成り立ち、社員は生活できることを考えれば、経営者も社員もお客様に対して「最高、最善の礼」を尽くすことは当然です。松下幸之助は「生産者は、いい物を安く作るのが人類への礼というものだろう」とまで言っています。江口克彦氏は、なぜ松下幸之助が経営において成功したのかについて、この「礼」を自らも徹底し、社員にも強く求めたことが重要な成功理由の1つであるとしています。

 

松下幸之助はさらに言います。礼とは、素直な心になって感謝と敬愛を表する態度である。商いや経営もまた人間の営みである以上、人間としての正しさに沿って行なわれるべきであることを忘れてはなりません。礼は人の道であるとともに、商い、経営もまた礼の道に即していなければならないのです。礼の道に即して発展してこそ、真の発展なのです。70年間で実に7兆円の世界企業を築き上げ、ある意味で戦後最大の、というよりも近代日本で最大の経営者といえる松下幸之助が最も重んじていたものが人の道としての「礼」と知り、わたしは非常に感動しました。それとともに、「礼経一致」に基づくサンレーの企業姿勢が間違っていないことを確信し、「天下布礼」の道を歩む決意を固めたのです。なお、この松下幸之助の名言は『孔子とドラッカー新装版』(三五館)にも登場します。

 

 

2020年2月6日 一条真也

修業の日々   

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わたしは雲山の林の中で苦行の日々を送っている。初春のまだ冷たい風が身に応え、寒さに震えている。それでも懸命に鉢と錫杖を持って、修行に勤しんでいる。このような貧しい生活を送るようになって、もう六年も経った。(『性霊集』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2020年2月6日 一条真也

「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」

一条真也です。
映画「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」を観ました。「007」シリーズでジェームズ・ボンドを演じているダニエル・クレイグが名探偵になったと話題の映画です。ストーリーそのものよりも遺産相続で醜く争う家族の姿を見て気が滅入りました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』などのライアン・ジョンソン監督がメガホンを取ったミステリー。ニューヨーク郊外の大邸宅で起きた殺人事件をめぐり、くせ者の家族たちがだまし合う。『007』シリーズなどのダニエル・クレイグ、『アベンジャーズ』シリーズなどのキャプテン・アメリカでおなじみのクリス・エヴァンスをはじめ、ジェイミー・リー・カーティス、キース・スタンフィールド、クリストファー・プラマーらが出演」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「85歳の誕生日を迎えた世界的ミステリー作家のハーラン・スロンビー(クリストファー・プラマー)が、その翌日に遺体で見つかる。名探偵のブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)は、匿名の依頼を受けて刑事と一緒に屋敷に出向く。ブランは殺人ではないかと考え、騒然とする家族を尻目に捜査を始める」



物語は本格ミステリーを思わせる入り組んだ構造になっていますが、それほどミステリーに詳しくないわたしでも「ちょっとなあ・・・」と思えるような現実味の薄いトリックでした。ライアン・ジョンソン監督がアガサ・クリスティに捧げた作品だそうです。アガサ・クリスティといえば、直前に観たブログ「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」で紹介した映画のオチは、クリスティの代表作の1つと同じでしたね。ミステリー映画としては「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」のほうが面白かったです。



「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」は、ストーリーの良し悪しというよりは、そこに描かれている家族間の骨肉の争いに胸が痛みました。「家族ほど難しい」「親子や兄弟でも、なかなか分かり合えない」というのは世の常ですが、お金が絡めば、ますます家族の関係はこじれます。遺産欲しさに、兄弟同士で罵り合い、ついには相手の人格まで完全否定するシーンを見て、そのあまりの醜さに虫唾が走りました。でも、わが子や孫たちが仲違いをするような遺言を残す故人の罪も大きいと思います。



「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」では、老ミステリー作家が莫大な財産を遺して亡くなりますが、その遺言をめぐって、家族が大揉めに揉めます。別にニューヨーク郊外でなくても、日本でもよくある話です。相続問題に強い弁護士検索サイト「相続弁護士相談Cafe」の「遺産相続トラブルが起こる9つの理由と対策方法」によれば、遺産相続で揉める理由は主に以下の9つだといいます。

(1)目録がなく、相続財産の内容が不透明

(2)遺産の使い込みを疑う

(3)隠し財産を疑う

(4)相続財産の多くが不動産

(5)生前贈与が行われている

(6)遺言の内容が偏っている

(7)同居と別居の立場をわかり合えない

(8)兄弟姉妹(相続人)の配偶者との不仲

(9)長男と他の兄弟の考え方が合わない



 同記事では、「相続トラブルを避けるための注意点」として、以下の3つを指摘しています。

●相続財産の内容を明らかにする

●偏った分け方をしない

●相続人らがお互いを信頼する

 

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1999/11/16
  • メディア: 文庫
 

 

家族葬」といった不思議なセレモニーも日本で流行していますが、一体、家族とは何なのでしょうね。「かけがえのない血縁」とか「家族の絆」といった言葉は聞こえはいいですが、ひとたびカネが絡めば、そんなものはどこかに吹っ飛んでしまう。かの孔子はそういった人間の本性を知り尽くしたうえで、親子愛としての「孝」とか兄弟愛としての「悌」といった思想を打ち出したのかもしれませんね。「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」を観終えた後、『論語』が読みたくなりました。

 

2020年2月5日 一条真也

歌に託さんわが志  

一条真也です。
4日、「西日本新聞」に「令和こころ通信 北九州から」の第19回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「歌に託さんわが志」です。

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西日本新聞」2020年2月4日朝刊

 

昨年最も活躍した「令和元年の顔」といえば、なんといっても、ラグビー日本代表の面々です。ワールドカップで初のベスト8入りした奮闘ぶりは、日本中に感動を与えました。じつは、彼らが心の支えにしていたのが、わたしが詠んだ歌であることを最近知って大変驚きました。

 

某全国紙の元旦の朝刊に、わたしが15年前に詠んだ歌が紹介されたのです。ラグビー日本代表強化委員長の藤井雄一郎氏の心に響いたといいます。「おそれずに 死を受け容れて 美に生きる そこに開けりサムライの道」という歌ですが、2005年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」にちなんだものです。

 

日本代表は、サムライの美しさを意識したチーム作りをしました。その中心にいた藤井氏は、インターネットで検索し、この歌にたどり着きました。記事には「かつての武士が身につけていた潔さや謙虚さを教わる気持ちになった」と書かれていました。

 

これを知ったわたしは非常に驚くとともに、とてもうれしく感じました。歌を詠み続けてきて本当に良かったとも思いました。わたしは2001年の社長就任のときから「庸軒」の雅号で、短歌を詠んでいます。総合朝礼や社長訓示の際はもちろん、各種の全国責任者会議、竣工記念神事、入社式から創立記念式典に新年祝賀式典まで、とにかくありとあらゆる機会に歌を詠み、社員のみなさんに披露します。

 

詩歌といっても、なにぶん商売人の身であり、なかなか花鳥風月を詠んで風雅の世界に遊ぶわけにはいきません。また、現場で頑張っているみなさんの苦労を思うと、そんな心境にもなれず、もっぱら会社や仕事に関する話題で詠んでいます。ただし、そこには当社の「志」を詠み込きます。「志」と「詩」と、さらに「死」は本来分かちがたく結びついていました。古来、日本でも中国でも詩歌とは志を語るものとされました。

 

日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと言えるでしょう。

 

そして、死と志も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知る。有名な坂本龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉こそは、死と志の不可分の関係を解き明かしたものにほかなりません。わたしは、これからも多くの歌を詠み続けていき、生涯に1万首は詠みたいと願っています。最後に、「天高く 手を伸ばせども 届かねば 歌に託さん わが志」という歌を披露したいと思います。

 

2020年2月4日 一条真也

還暦・厄除け祝い

一条真也です。
2月3日の夜、ブログ「節分祭」で紹介した神事に続き、松柏園ホテルで「合同還暦・厄除け祝い」が開催されました。わが社の創業以来の恒例行事である「合同還暦祝い」と「合同厄除け祝い」が今年から合体しました。

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発起人挨拶のようす

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対象者の入場

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対象者が勢揃い!

 

今回の「還暦・合同厄除け祝」には、9名の還暦者および1名の厄除け者、合計10名の対象者が参加しました。「開会の辞」の後は、還暦・厄除け者入場、そして、厄除け者紹介が行われます。発起人代表挨拶は前年の対象者が務めますが、今年は小倉紫雲閣の片峯支配人が立派に務めました。

f:id:shins2m:20200203183410j:plain佐久間会長の挨拶

 

続いて佐久間会長が登壇し、「還暦者および厄除け者のみなさんの活躍に期待しています」と挨拶しました。続いて、わたしが登壇して、サンレー社長として祝辞を述べました。わたしは、儀式文化は「人生儀礼」と「年中行事」の2つから成っていると述べ、還暦祝いや厄除け祝いは人生儀礼であることを説明しました。そして、節分に代表される年中行事の重要性について話しました。

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わたしも挨拶しました

 

民俗学者折口信夫は、年中行事を「生活の古典」と呼びました。彼は、『古事記』『万葉集』『源氏物語』などの「書物の古典」とともに、正月、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、盆などの「生活の古典」が日本人の心にとって不可欠であると訴えました。それは日本人の魂への養分でもあるというのです。わたしは「還暦は長寿祝いのスタートです」として、老いるべき運命にある人が幸せに生きていく上でとても重要なことであると述べました。人は長寿祝いで自らの「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ1個の生物として自分は必ず死ぬという運命を受け入れる覚悟を持つ。また翁や媼となった自分は、死後に神となって愛する子孫たちを守っていくのだという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあります。

f:id:shins2m:20200203184124j:plain大いに役に立って下さい!
 

また、わたしは厄除け者にも言及しました。
厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」です。つまり、共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年です。厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようですね。男性の42歳というのは、たしかに重要な時期です。というのも、50代、60代といった老年期にある者と、10代、20代にある若者や青年たちとのあいだを責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられ、次のステップに向かっていくのですね。

f:id:shins2m:20200203184237j:plain対象者に記念品を贈呈しました

f:id:shins2m:20200203184308j:plainおめでとうございます!

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挨拶の後で、わたしは還暦・厄除け者に記念品を贈呈しました。いつも記念品は男性がベルト、女性が傘で、男女ともに松柏園特製の恵方巻も贈られます。今回は男性のみだったので、みなさんに超高級ベルトをお贈りしました。それから厄除け者による「大盃の儀」が行われ、次々と酒を飲み干す姿に会場が大いに沸きました。その後、サンレーの玉中常務による乾杯の音頭を合図として、今夜の祝宴が華やかにスタートしました。

f:id:shins2m:20200203184826j:plain還暦・厄除け祝いのようす

f:id:shins2m:20200203184907j:plain還暦・厄除け祝いのようす

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還暦者にビールを注ぐ

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私は誰でしょう?

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私は誰でしょう?

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抽選会のようす

f:id:shins2m:20200203195827j:plain営業推進部によるパフォーマンス

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還暦者によるカラオケ♪

わたしは、いろんな方々とお酒をついだりつがれたりしながら、大いに語り合いました。その後、恒例の「私は誰でしょう?」から対象者の紹介、それから対象者10名による抽選が行われ、大いに盛り上がりました。さらにはカラオケタイムで、厄除け者(営業推進部)、還暦者(中井副支配人)の順番で秀逸なパフォーマンス合戦が繰り広げられました。中井副支配人は、水前寺清子の「365歩のマーチ」を歌いましたが、「ワンツー、ワンツー」のサビを「サンゼロ、サンゼロ」という替え歌で熱唱してくれました♪

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赤鬼が赤いマフラーを届けてくれました

f:id:shins2m:20200203200731j:plain赤いハットも届きました



最後は、わたしの番が来ました。
昨年は北島三郎先生の「まつり」を歌ったのですが、今年はネズミ年の年男にちなんで、ブルーハーツの「リンダリンダ」を歌いました♪ 赤鬼が赤いマフラーとハットを届けてくれました。わたしは赤いマフラーを首に巻くと同時に、アントニオ猪木ばりに「元気ですか~ッ!」とブチかましました。イントロの後の「ドブネズミみたいに~♪」のくだりで、すでに大盛り上がり! 今日も、つかみはOK牧場!(笑)

f:id:shins2m:20200203200842j:plainドブネズミみたいに~♪

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リンダリンダ~♪

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客席を練り歩きながら歌いました♪

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客席と一体となって歌いました♪


わたしはネズミが憑いたみたいに、もといキツネが憑いたみたいにハイテンションで、客席を練り歩きながら「リンダリンダ」を熱唱しました。最後は「還暦者、厄除け者のみなさん、今日はおめでとうございました!」と叫ぶと、割れんばかりの盛大な拍手をいただきました。いやあ、もう史上空前に盛り上がりました!

f:id:shins2m:20200203201948j:plain最後は「末広がりの五本締め」で

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対象者の退場のようす

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対象者による送賓のようす

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おめでとうございました!

 

それから、厄除け者を代表して謝辞がありました。続いて、来年の還暦者・厄除け者の紹介があり、1人づつ紹介されるたびに大きな拍手が起こりました。最後は、サンレー名物「末広がりの五本締め」です。この「人間関係を良くする魔法」は、全国的にもすっかり有名になりました。今夜は、松田取締役がしっかりと締めてくれました。松田取締役は「ウチの社長の歌の盛り上がりぶりは日本一です!」と言ってくれました。対象者のみなさん、誠におめでとうございました。これからの活躍に大いに期待しています!

 

2020年2月4日 一条真也

節分祭

一条真也です。
2月3日は節分です。もともと節分とは「季節を分ける」という意味で、「季節の変わり目」ということです。本来は春、夏、秋、冬のすべての季節に節分があります。しかし、一年の始まりが「春」ですので、その春が始まる「立春」の前日に「不幸や災いのない一年になりますように」との願いを込めて、毎年、節分を行うのです。3日の夜、わが社の松柏園ホテルの顕斎殿で、恒例の「節分祭」が行われました。

f:id:shins2m:20200203180602j:plain節分祭のようす

 

皇産霊神社の代表役員である佐久間進サンレーグループ会長に続いて、玉串奉奠を行いました。わが社の還暦および厄年に当たる社員のみなさんが参加しました。厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」です。つまり、共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年だそうです。厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようですね。

f:id:shins2m:20200203180156j:plain一同礼!

 

男性の42歳というのは、たしかに重要な時期です。
というのも、50代、60代といった老年期にある者と、10代、20代にある若者や青年たちとのあいだを責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられます。その役割を果たすためには、それ相応の覚悟や能力や集中力が必要です。その集中力を発揮することによって、つつがなく課題を達成し務めを果たしたときに、その人は集団の中で認められ、評価され、次のステップに向かって進んでいくことができるのです。

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一列に並んだ還暦者・厄除け者

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会長より破魔矢の授与

 

このような役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって、さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。還暦者および厄除け者のみなさんは、佐久間会長から破魔矢とお守りを貰いました。

f:id:shins2m:20200203181851j:plain豆まきをしました

 

しかし、基本的に厄年というのは、村落共同体や町の共同体の中で、一定の年齢に達した者が受けるネガティブ・イメージです。その負のイメージがなぜできたかというと、それが大変な時期だからです。災難が起こってくると考られるようになる以前は、この年齢になると、いろんなことをしなければいけないので神頼みをします。その時期になると神様に頼んで、この役割がちゃんと果たせますようにと祈る。それをいつしか災いと見るような「厄年」の漢字をあて、厄年信仰が確立していきました。
ふだんは神仏など信じない人でも、厄年を迎えるとどうも不安になり、神社で厄除け祈願をすると安心します。

f:id:shins2m:20200203181855j:plain福はうち〜!

 

神事を終えた厄除け者たちも、心なしか安心した表情をしていました。
その後、佐久間会長とわたし、それにサンレーの玉中常務、還暦者代表の兎田さんの4人が豆まきをしました。豆と一緒に、餅や5円玉も一緒にまきました。5円玉はこの世が多くの「ご縁」で満ちる有縁社会を願ってまきました。多くの人々が福にあやかろうと5円玉に殺到しました(笑)。どうか、みなさんに福が訪れますように・・・・・。

f:id:shins2m:20200203182139j:plain還暦者・厄除け者との記念撮影

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

 

 

2020年2月3日 一条真也拝 

『慈経』のメッセージとは?

一条真也です。
2月3日は節分ですね。
産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第19回目がアップされました。タイトルは、「『慈経』のメッセージとは?」です。

f:id:shins2m:20200203130852j:plain「『慈経』のメッセージとは?」

 

このたび、わたしは、『慈経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。わたしがお経を自由訳した本で、以前は三五館から刊行されていました。しかし、同社が倒産したことにより長らく絶版になっていました。ですが「もう一度、刊行してほしい」との声を多くいただき、新たな版元から生まれ変わることになりました。訳文に添えられている写真も女流写真家リサ・ヴォ―ト氏から、沖縄在住の写真家である安田淳夫氏の作品に交代しました。

 

「慈経」(メッタ・スッタ)は、仏教の開祖であるブッダの本心が最もシンプルに、そしてダイレクトに語られている、最古にして、最も重要なお経のひとつです。上座仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」にも比肩します。上座仏教はかつて、「小乗仏教」などと蔑称された時期がありました。しかし、上座仏教の僧侶たちはブッダの教えを忠実に守り、厳しい修行に明け暮れるとともに、慈経に代表される古い経典を多く今日に伝えてきました。

 

原題にある「メッタ」とは、怒りのない状態を示し、つまるところ「慈しみ」という意味になります。「スッタ」とは、「たていと」「経」を表します。ブッダは8月の満月の夜にこの「慈経」を説いたと伝えられています。満月は、満たされた心のシンボルなのです。生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために「慈経」のメッセージを残したのです。

 

「慈経」はもともと詩として詠まれていました。すなわち単に書物として詠まれるものではなく、吟詠されたものだったのです。わたしも、なるべく吟詠するように、千回近くも音読して味わい、自由訳に臨みました。自らの人生をかけて、魂をこめて、「慈経」のメッセージをわかりやすい言葉に直したつもりです。

 

「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれます。多種多様かつ多くの悩みを抱くこれからの日本人にとって一番必要なお経が「慈経」であると確信しています。最も興味深いのは、テーラワーダ仏教諸国では、ブッダが「慈経」を説いたのは先述のとおり8月の満月の日であるとされていることです。わたしが満月に格別の感情を抱いていることはご存知かと思いますが、いつか北九州市門司港にある日本で唯一のミャンマー式寺院である「世界平和パゴダ」で満月の夜の行事を盛大に行いたいと思っています。

 

慈経 自由訳

慈経 自由訳

  • 作者:一条 真也
  • 出版社/メーカー: 現代書林
  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年2月3日 一条真也