『プロレス鎮魂曲』

プロレス鎮魂曲(レクイエム) (リングに生き、散っていった23人のレスラー、その死の真実)

 

一条真也です。
『プロレス鎮魂曲』瑞佐富郎著(standards)を読みました。「リングに生き散っていった23人のレスラーその死の真実」というサブタイトルがついています。著者は愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。シナリオライターとして故・田村孟氏に師事。フジテレビ『カルトQ・プロレス大会』優勝を遠因に、プロレス取材等に従事したそうです。本名でのテレビ番組企画やプロ野球ものの執筆の傍ら、会場の隅でプロレス取材も敢行しています。著書に『新編 泣けるプロレス』(standards)、ブログ『平成プロレス30の事件簿』で紹介した本などがあります。また、ブログ『『証言UWF完全崩壊の真実』ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』ブログ『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、上からダイナマイト・キッド、ハヤブサブルーザー・ブロディ三沢光晴橋本真也マサ斎藤アンドレ・ザ・ジャイアントの在りし日の写真が使われ、帯には「『俺は人生を最高に楽しんだから、いつ死んでもいい』――アンドレ・ザ・ジャイアント」「三沢光晴橋本真也、ダイナマイト・キッド、ビッグバン・ベイダージャンボ鶴田ジャイアント馬場・・・・・・平成~令和の時代に燃え尽きていった偉大なるレスラーたち、その壮絶な生死のドラマを描き出す、至高のプロレス・ノンフィクション」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

カバー裏表紙には、リングの上に飾られた三沢光晴の遺影が使われ、帯の裏には「プロレスに生き、プロレスに死んでいった男たち。その壮絶な生涯を鮮烈に描き出す23の墓碑銘」として、「ブルーザー・ブロディアンドレ・ザ・ジャイアントジャイアント馬場ジャンボ鶴田冬木弘道橋本真也/バッドニュース・アレン/三沢光晴ラッシャー木村山本小鉄星野勘太郎上田馬之助ビル・ロビンソンハヤブサ永源遥ミスター・ポーゴビッグバン・ベイダーマサ斎藤輪島大士/ダイナマイト・キッド/ザ・デストロイヤーハーリー・レイス/ウィリー・ウィリアムス」といった名前が並んでいます。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

はじめに
“Never put off till tomorrow what you can do today"
――ブルーザー・ブロディ

アンドレ・ザ・ジャイアント

「俺は人生を最高に楽しんだから、いつ死んでもいい」

ジャイアント馬場

「おまえ、いいよなあ。やりたいこと、やりやがって」

ジャンボ鶴田

「もしどちらかが先に死ぬことがあっても、いつでもそばにいるよって、合図を送ろう」

 冬木弘道

「やっぱり、リングの上は、シビれるよ・・・・・・」

 橋本真也

「俺、このままじゃ終わらないから」

バッドニュース・アレン

「平和を願う心は、みんな同じだろう?」

 三沢光晴

「重荷を背負わせてしまってスマン」

ラッシャー木村

「耐えて、燃えろ」

 山本小鉄

「新しい技、考えてるか?」

 星野勘太郎

「俺の寿命が延びたのは、魔界倶楽部のお陰だ」

 上田馬之助

「お客さんこそ、最大のライバル」

ビル・ロビンソン

「どこであれ、レスリングが私の人生だから」

ハヤブサ

ハヤブサだったら、ここは頑張るだろ!って」

 永源遙

「俺、弱くて良かったですよ」

ミスター・ポーゴ

「俺は何を甘えてたんだ」

ビッグ・バン・ベイダー

「喪章? 天国の橋本(真也)に頼まれたのさ」

マサ斎藤

「俺の人生に、子供は必要ないのさ」

 輪島大士

「一度はベルトを巻いてみたかったなぁ」

ダイナマイト・キッド

「生まれ変わっても再び、同じ世界に身を投じるだろう」

ザ・デストロイヤー

「リングの中で涙を流したのは初めて」

ハーリー・レイス

「俺は、自分という人間以外の、何かを演じるつもりはない」

おわりに
「私がこういうキャリアを保てたのは、あなたのお陰です」
――ウィリー・ウィリアムス

 

証言「プロレス」死の真相

証言「プロレス」死の真相

 

 

著者も執筆・構成に関わったという『プロレス 死の真相』とテーマは同じですが、同書がレスラーの近親者などへのインタビューをベースにしているのに対し、本書はいろいろなエピソードを集めて短編小説風にまとめた文芸的な文章です。どちらが好みかと聞かれれば、わたしは前者のほうですが、『泣けるプロレス』シリーズで知られる著者だけに、読者の涙腺を刺激するような文脈に仕上がっています。わたしの心に残った話を紹介したいと思います。



アンドレ・ザ・ジャイアント(1993年1月27日逝去・享年46)の項には、以下のように書かれています。
「実はアンドレには。娘がいた。21歳の時にできた子だったが、その後も独身を貫く。長年の恋人がいたのも有名だ。世界的に知られたパリのホール『エリゼ・モンマルトル』で働いていた女性だった。『気が強くて困ってる(苦笑)』と親友のマイティ井上によく愚痴をこぼした。日本では、新日本プロレスの常宿である新宿の京王プラザホテル内のカフェ『樹里』がお気に入りで、全日本プロレスに主戦場を変えてからも、アンドレは同ホテルを利用し続けた。『樹里』に好みの日本人ウエイトレスがいたのだった。フランス語ができ、アンドレにかいがいしく世話を焼いた。2人でふざけあっている光景は、同カフェのちょっとした名物だった」

アンドレ自身が泣いたことは、今までに3回あったといいます。1度目は、ビンス・マクマホン(シニア)が亡くなった時、2度目は、吉原功の訃報を聞いた時、3度目は旧知のプロレスラー、スコット・アーウィンが脳腫瘍のため余命いくばくもないと悟り、アンドレ宅に別れを告げに来た時でした。3人ともが、プロレス関係者でした。家にいる時のアンドレは、よく、棚からトロフィーを取り出しては、布で磨いていたそうです。その人並外れた超巨体のせいで、他人から見世物のようにジロジロ見られ、いつも多大なストレスを感じていたアンドレ。プロレス会場でも不機嫌だった印象が強いですが、実際はプロレスを愛し、プロレスラーとしての人生には満足していたようですね。



ジャンボ鶴田(2000年5月13日逝去・享年49)の項には、鶴田の強さについてのエピソードが以下のように書かれています。
「若大将と言われた20代を経て、1984年2月には、日本人初のAWA世界ヘビー級王座奪取。1989年4月には、今に続く三冠統一ヘビー級王座の初代王者に輝いた。ジャイアント馬場が第一線を退いた80年代中盤からは、実質的なエースに、付いた異名は、‟完全無欠のエース”はもとより、‟24時間戦える男”‟技のデパート”、果ては“怪物”。その強さに対する逸聞は、枚挙に暇がない。あのリック・フレアーが彼との試合が組まれる度に、『またロングマッチになるのか・・・・・・』と頭を抱えたというエピソード。ブルーザー・ブロディは初来日時、厚みを有していたその体格を、自らの意志でスリムにしていった。鶴田の無尽蔵のスタミナに対抗するためだった。あのタフな天龍をパワーボム一発で失神させた一騎打ちもファンの口端に上るところ(1989年4月20日)。こちらは、直前に天龍のチョップが喉元に入り、キレ気味となった鶴田がパワーボムを見舞ったものだが、鶴田が失神した天龍の口元を見ると、泡を吹いていたという」

輪島大士(2018年10月8日逝去・享年70)の項では、輪島の故郷である石川県七尾市総合体育館で行われたプロレス・デビュー戦について書かれています。
「デビュー戦のタイガー・ジェット・シン戦。終了のゴンス後、まだまだ場内の熱気冷めやらぬ中、リング上で天龍が輪島に耳打ちするシーンがある。こんな風に囁いたという。
横綱、もう、充分ですから』
瞬間、天龍は輪島に突き飛ばされていた。
『まだまだだっ!』
控室に戻ろうとするシンを追う輪島の背中を、馬場が大きく押すシーンも有名だ。このデビュー戦の前夜、輪島は思い立ち、力士時代と同じ塩を調達してきた。そして、一旦は荷物に入れたはずのリングシューズとトランクスにそれをかけて、飾った。『絶対に勝てるように』という切願だった。当日、用具一式を忘れてたのは、この経緯からだった。晩年は、プロレス関係のインタビューにも頻繁に登場した輪島。悔いがあるとすれば、との問いへの答えは、『一度はベルトを巻いてみたかったなぁ』だった」



本書におけるプロレスはエンターテインメントというより、スポーツライクな真剣勝負といった印象です。とにかく著者は、プロレスの闇には触れずに、ひたすら光に焦点を当てます。プロレスラー個人に対しても同様で、たとえば類書に必ず登場する橋本真也の不倫エピソードなどは一切出てきません。昭和や平成のプロレスを回顧する本は多いですが、本書にはプロレスとプロレスラーに対する著者の愛情と思いやりが溢れています。

 

プロレス鎮魂曲(レクイエム) (リングに生き、散っていった23人のレスラー、その死の真実)

プロレス鎮魂曲(レクイエム) (リングに生き、散っていった23人のレスラー、その死の真実)

  • 作者:瑞 佐富郎
  • 出版社/メーカー: standards
  • 発売日: 2019/09/14
  • メディア: 単行本
 

 

2020年2月2日 一条真也

『この地上において私たちを満足させるもの』

一条真也です。
2月になりました。125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第142回が掲載されています。今回は、『この地上において私たちを満足させるもの』乙川優三郎著(新潮社)です。

f:id:shins2m:20200131210502j:plainサンデー新聞」2020年2月1日号 

 

前回、わたしは、ジョン・ウィリアムズの小説『ストーナー』のことを「完璧に美しい小説」と表現しました。同書の存在は、作家・乙川優三郎の『二十五年後の読書』と本書『この地上において私たちを満足させるもの』の二冊の小説によって知りました。

 

著者は1953年東京生まれ。ホテル勤務などを経て、1996年小説家デビュー。2001年『五年の梅』で山本周五郎賞。2002年『生きる』で直木三十五賞。2013年初の現代小説『脊梁山脈』で大佛次郎賞。2016年『太陽は気を失う』で芸術選奨文部科学大臣賞。2017年『ロゴスの市』で島清恋愛文学賞を受賞するなど、作家として高い評価を得ています。

 

前作『二十五年後の読書』において、『ストーナー』のように「美しい小説」「完璧な小説」をめざしたということだけわかった幻の小説『この地上において私たちを満足させるもの』をついに読めると、わたしの胸は期待で高鳴りました。本書はそれに違わず「老い」を含む「人生」を見事に描いた傑作でした。

 

物語は明らかに著者自身の分身である71歳になる小説家・高橋光洋の半生を描いています。光洋は戦後、父と母を失い、家庭の崩壊を経験します。就職先で社会の表裏を垣間見た光洋は、未だ見ぬものに憧れて、パリ、コスタ・デル・ソル、フィリピンなどを漂泊。異国で生きる人々との出会いから、40歳の死線を越えての小説家デビュー、小説を書く苦しみ、そして老いへの不安・・・著者の原点と歳月が刻まれていました。

 

老境に至り、晩年を迎えた光洋は素晴らしいお手伝いの女性を迎えます。彼女はソニアといって、フィリピンから来た学生でした。かつて、光洋が若い頃にフィリピンの貧しい母娘に大金を与えたことがあったのですが、その後、サラジェーンという名の娘はそのお金を学費にして女医になっていました。

 

そのサラジェーンが「人生の恩人」である光洋への恩返しとして、ソニアという家政婦を日本に送ってくれたのでした。純真なソニアに日本語や日本文化を教えながら、光洋は心満たされる日々を過ごします。断っておきますが、大金を与えた母娘とも、ソニアとも、光洋は一切、男女の関係を持っていません。

 

「清い関係」などという陳腐な表現を使うよりも、お互いに人間として認め合い、高め合っている関係と言えるでしょう。わたしたちが思っているほど、この世界は悪くないし、人はずっと優しい・・・。この小説を読んで、わたしはハートフルな気分になりました。本作の構成する日本語の美しさはもちろん、生きる気力と人生を卒業する勇気の両方を与えてくれます。

 

この地上において私たちを満足させるもの

この地上において私たちを満足させるもの

  • 作者:乙川 優三郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/12/21
  • メディア: 単行本
 

 



2020年2月1日 一条真也

全日本仏教会新年懇親会

一条真也です。
31日になりました。1月も今日で終わり。本当に、時間の過ぎるのは速いですね。30日、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)のグリーフケアPT会議に座長として参加した後、東京プリンスホテルで開かれた全日本仏教会(全仏)の新年懇親会に全互協の山下会長、儀式継創委員会の浅井委員長と3人で出席しました。

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東京プリンスホテルのロビーにて

f:id:shins2m:20200130171230j:plain全日本仏教会新年懇親会にて

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日本仏教界のトップが集結!

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挨拶をする第33期の江川会長

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挨拶をする第34期の大谷会長

f:id:shins2m:20200130174612j:plainカンパ~イ! 

 

開場は16時30分からでしたが、第33期正副会長入場の後、17時30分からの開宴です。最初に江川会長(曹洞宗管長)、釜田理事長の挨拶があり、続いて、(公財)日本宗教連盟の岡田会長からの祝辞がありました。ステージ上に正副会長が集結すると、各宗派の管長クラスばかりで壮観でした。次期の第34期の大谷会長(浄土真宗本願寺派門主)の挨拶の後、森田副会長(和宗管長)による乾杯の音頭で華やかに開宴しました。

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国会議員による挨拶

f:id:shins2m:20200130172254j:plain所属宗派をバルーンで表示

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全互協の山下会長と

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儀式継創委員会の浅井委員長と

 

乾杯に続いて、仏教懇話会及び各政党仏教議員連盟の紹介、熊本県仏教会による加盟挨拶、次回の全日本仏教徒会議大会の挨拶などがあり、最後は戸松事務総長による中締めで19時30分に終了しました。まだ時間が早いので、山下会長、浅井委員長ととともに銀座にでも繰り出そうかと思いましたが、山下会長が姫路に帰られるとのことで、東京駅の構内にある蕎麦屋で終電ギリギリまで、仏教と冠婚葬祭の「これから」に想いを馳せながら、楽しいお酒を飲みました。

 

2020年1月31日 一条真也拝 

「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」 

一条真也です。
29日の朝、スターフライヤーで東京に飛びました。
羽田空港に到着したのは、武漢からのチャーター便が到着した少し後でした。空港は、わたしも含めて、ほぼ全員がマスク姿でしたね。その後、さまざまな会議や打ち合わせの合間を縫って、夜はヒューマントラストシネマ有楽町で映画「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」を観ました。東京で映画鑑賞するときは、地元の北九州では観ることのできない作品を選んでいますが、とても興味深い内容でした。わたしも出版業界の末端に関わる人間の1人なので、いろいろと考えさせられました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「映画化もされた世界的ベストセラー『インフェルノ』の出版秘話から生まれたミステリー。情報漏えいを防ぐため各国の翻訳家たちを完全に隔離した実話を題材に、発売前の小説の流出危機が描かれる。『神々と男たち』などのランベール・ウィルソン、『その女諜報員 アレックス』などのオルガ・キュリレンコ、ドラマシリーズ「このサイテーな世界の終わり」などのアレックス・ロウザーらが出演。『タイピスト!』などのレジス・ロワンサルがメガホンを取った」 

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「ミステリー小説『デダリュス』完結編を世界で同時に発売するため、洋館の地下室に9か国の翻訳家が集められる。彼らは外部との接触を禁止され、毎日20ページだけ渡される原稿の翻訳作業に没頭していた。ある夜、出版社の社長(ランベール・ウィルソン)のもとに、『デダリュス』の冒頭をインターネットに公開したというメールが届く。そこには、指定時間内に金を支払わなければ次の100ページ、要求を拒めば全てのページを流出させると書かれていた」



9人の翻訳家を演じた俳優陣はいずれも個性派揃いですが、わたしはオルガ・キュリレンコが演じた美しき女流翻訳家に目が釘付けになりました。彼女を最初に知ったのはブログ「ある天文学者の恋文」で紹介したイタリア映画でしたが、ウクライナ生まれのミステリアスな容姿を見て、一発でファンになりました。「ある天文学者の恋文」は、天文学者エドジェレミー・アイアンズ)と、教え子のエイミー(オルガ・キュリレンコ)の物語です。2人は愛し合っていましたが、エイミーのもとにエドが亡くなったという知らせが飛び込みます。悲しみと混乱の中、死んだはずのエドからのメール、手紙、プレゼントが次々と届きます。まあ、ここまで書くと、ロマンティックなグリーフケア映画のようにも思えますが、実際は身の毛もよだつ不気味なストーカー映画でした。「ある天文学者の恋文」は2016年の映画ですが、主人公エイミーを演じたオルガ・キュリレンコは36歳でした。ということは2019年公開の本作では39歳ということになりますが、「世界一のアラフォーじゃないか?」と思うぐらい妖艶で美しかったです。



「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」は、ダン・ブラウン原作の小説『インフェルノ』出版の際に各国の翻訳家を地下室に隔離したという実話から着想を得たフィクション映画です。ストーリーそのものは、ダン・ブラウン作品とは何の関係もありません。世界的ベストセラーである『デダリュス』の出版権を獲得した出版社のオーナーであるエリック・アングストロームランベール・ウィルソン)は、世界10カ国で同時発売すると宣言し、翻訳家9人をフランス郊外の邸宅へと招待しました。各国の編集者たちが集められたのは厳重に管理された屋敷で、その地下にはシェルターがありました。翻訳家は厳重なボディチェックを受け、スマホなどの持ち込み禁止機器を預けて中へと入っていきます。

 

9人の翻訳家に対して、エリックは「1日に原稿を20ページずつ渡す」「最初の1ヵ月間で翻訳すること」「次の1ヵ月間で推敲すること」とスケジュールを説明します。翻訳作業が行われる図書室には監視のために屈強なボディーガードが4人張り付き、彼らは徹底的に監視されます。外部の情報は定期的に届く新聞のみで、インターネットの接続はもちろん、外部への連絡は一切認められないという契約でした。軟禁状態の翻訳作業が始まって数週間が経過した頃、エリックの元に「1通のメール」が届くところから物語が動き出します。それは『デダリュス』の冒頭10ページをネットに流出させたこと、そして今後も金を支払わなければ順次公開するという脅迫でした。怒り狂ったエリックは翻訳家たちのプライバシーを踏みにじる身辺チェックを行います。そして次第にエリックは暴力的になっていき、ついには死者まで出るのでした。おっと、ここまで。これ以上はネタバレになってしまいます。



この映画はミステリー映画です。それも、トリックが最大のポイントになっています。要するに、「全員が監禁されて自由を奪われていたのに、どうして外部と接触して、原稿をネット流出させることができたのか?」という謎解きです。犯人は9人の翻訳者の中にいました。じつは、ある超有名なミステリー作品とネタが同じなのですが、映画の中でその作品の名前が堂々と登場するので、その名作へのオマージュ的要素があるのでしょう。いわゆる密室ミステリーですが、蓋を開けてみれば「なるほど!」というトリックです。わたしも見事に騙されましたが、最後まで違和感が残って「気持ちよくダマされた!」という爽快感はありませんでした。それは、いくらベストセラー確実な作品とはいえ、たかが小説のために人命が失われるという違和感です。



 「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」は、ある町の本屋に積み上げられ崩れた本が燃えているシーンから始まります。本が燃えている場面は、名作「華氏451度」(1966年)を思い出します。レイ・ブラッドベリの原作SFをフランソワ・トリュフォーが映画化した作品で、わたしの大好きな映画です。思想統制のために読書を禁止した超管理国家が、あらゆる本を焼き尽くすという物語です。「華氏451度」というのは紙が発火する温度なのですが、わたしのような本好きには胸が痛む内容でした。

 

「華氏451度」とは違った意味で、「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」も胸が痛みます。そこには現在の出版界が抱える悩ましい問題が描かれているからです。それは、ネットのタダ読み問題、海賊行為などです。出版社や書店にとっては深刻な問題です。わたしも、優れた物語を提供してくれる作家と出版社が危機に瀕することは許せないと思っています。しかしながら、超ベストセラーの出版権を入手した出版社を経営するアングストロームが、世界同時発売&内容流出を防ぐために、集めた翻訳家たちを監禁し、あろうことか暴力をふるう場面には呆然とし、次に怒りを感じました。どんなに素晴らしい物語であろうと、人の生命を奪っていいはずがありません。結局、アングストロームは『デダリュス』を「本」ではなく「金」ととらえているのです。そこには、出版という営みへの「志」がありません。

 

不遜ながら、わたしには、日本人の自死者数や孤独死の数を減らしたい、あるいは無縁社会を乗り越えて有縁社会を再生したい、さらには「死」を「不幸」と呼ばない社会を呼び込みたいという志があります。わたしは冠婚葬祭業を営んでいますが、けっして本業に直結した本しか書かないわけではありません。本業を通じて、気づいたこと、世の人々に伝えたいことを書きたいと思っております。もともと、本を書いて出版するという行為は志がなくてはできない行為ではないでしょうか。なぜなら、本ほど、すごいものはありません。自分でも本を書くたびに思い知るのは、本というメディアが人間の「こころ」に与える影響力の大きさです。

 

子ども時代に読んだ偉人伝の影響で、冒険家や発明家になる人がいます。1冊の本から勇気を与えられ、新しい人生にチャレンジする人がいます。1冊の本を読んで、自殺を思いとどまる人もいます。不治の病に苦しみながら、1冊の本で心安らかになる人もいます。そして、愛する人を亡くした悲しみを1冊の本が癒してくれることもあるでしょう。本ほど、「こころ」に影響を与え、人間を幸福にしてきたメディアは存在しません。そして、わたしは読んで幸福になれる本こそ、本当の意味で「ためになる本」であると思います。

 

最近、日本の出版業者の中にも、ちょっとベストセラーが出たくらいで浮かれてしまい、志を忘れた者がいるように思えてなりません。ベストセラーはもちろん出るにこしたことはありませんが、それだけがすべてではないはずです。出版の本義は「人のこころを豊かにすること」、そして「社会を少しでも良くすること」。これを忘れた出版社など潰れたほうがいいでしょう。本来、出版業とは拝金主義とは最も離れた場所にあるはずなのに、拝金主義に侵された出版業者が多いのは嘆かわしいことです。「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」を観て、そんなことを考えました。

 

2020年1月30日 一条真也

『プロレスまみれ』

プロレスまみれ (宝島社新書)

 

一条真也です。
29日、東京に飛びます。全互協のグリーフケアPT会議や全日本仏教界の新年賀詞交歓会などに参加します。
『プロレスまみれ』井上章一著(宝島社新書)を読みました。著者は1955年、京都府生まれ。京都大学人文科学研究所助手、国際日本文化研究センター助教授を経て、同教授。専門の建築史・意匠論のほか、風俗史、美人論、関西文化論など日本文化について広い分野にわたる発言で知られています。『霊柩車の誕生』という名著もあり、わたしは同書の内容をめぐって著者と対談したことがあります。対談集『魂をデザインする』(国書刊行会)に収められています。

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本書の帯

 

本書の帯には著者の写真とともに、「井上式の発想、哲学、物の見方はすべて力道山、馬場、猪木から学んだ」「プロレスの魔力」「何度裏切られてもいまだに観てしまう」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

 

帯の裏には「世間はプロレスにまみれている!」として、以下の言葉が並んでいます。

◆社会的には認められないヘイトの怒号が飛びかうプロレス会場

◆ガス会社がスポンサーの番組で言ってはいけない禁断の用語とは

食レポのタレントがプロレス的なリアクションをとってしまう裏事情

◆マラソン中継に見る「不都合な真実」のテレビ的対処法

◆世に蔓延する「神話化」のからくりをプロレスに見てとる

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「得意の邪推でつづるエピソード満載の、井上センセイ、初めてのプロレス論です。デストロイヤーの4の字固めに熱狂して以降、密かに半世紀以上にわたってプロレスを研究してきました。幼いころから、プロレスによって独特の視点を育んできたのです。プロレスは『プロレスぎらい』の世間に無視され続けてきました。世の『プロレスぎらい』からスミに押しやられてきたプロレスの屈辱を熱く語り、世間の偏見を白日の下にさらします」

 

「まえがき」

「プロローグ――下司の楽園」

第一章 テレビとともに

第二章 「太陽にほえろ!」ができるまで

第三章 「底抜け脱線、全員集合」

第四章 水曜スペシャルだからこそ

第五章 やらせとモザイク

第六章 私には知性も品性もありません

「エピローグ――田舎のプロレス」

「あとがき」

 

プロレスを見れば世の中がわかる (宝島社新書)

プロレスを見れば世の中がわかる (宝島社新書)

  • 作者:プチ 鹿島
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2017/06/26
  • メディア: 新書
 

 

わたしは最初、本書のことを村松友視氏の名著『私、プロレスの味方です。』や、ブログ『教養としてのプロレス』ブログ『プロレスを見れば世の中がわかる』で紹介したプチ鹿島氏の著書のような本かと予想していたのですが、ちょっと違いました。もともと著者・井上章一氏の初エッセイ集である『邪推する、たのしみ―アートから風俗まで』という本が好きだったのですが、本書にも井上流「邪推」が横溢していました。前半部分はテレビとプロレスとの関係についてずっと書いているのですが、第三章「底ぬけ脱線、全員集合」では、1968年1月3日のTBSテレビのプロレス初放送で、国際プロレスのエース候補だったグレート草津ルー・テーズのバック・ドロップで失神して完敗した試合についての邪推が展開されています。

 

実録・国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

実録・国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 辰巳出版
  • 発売日: 2017/11/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

この試合については、ブログ『実録・国際プロレス』で紹介した本に詳しく書かれていますが、“鉄人”テーズをいきなり破って日本プロレス界の新エースとして草津をスターにするというTBSのもくろみが外れたことで有名です。しかし、テーズが強過ぎて(あるいは草津が弱過ぎて)、あのような想定外の結果になってしまったのだと多くのプロレス・ファンは考えていました。ところが、テーズ自身の回想によれば、違った真実が見えてきます。



著者は、以下のようにテーズの回想を紹介します。
「試合前に、自分は吉原代表からつげられた。テレビ局は、草津がテーズに勝つという決着を、のぞんでいる。でも、まださしたる実績もない草津が、テーズをやぶるという筋書きは、あんまりだ。だから、あなたの『バック・ドロップ』で草津を気絶させてくれ。あなたの勝ちということで、かまわない。テレビ局には、自分のほうから釈明をしておく。テーズは負けてくれるつもりだったけれども、マットの上でアクシデントがおこった。そのため、草津は立てなくなったので、テーズが勝ってしまったと、説明をしておこう。気にすることはない。テレビ局は、そう言いくるめる。吉原代表からは、試合前にそう言われた。だから、自分は『バック・ドロップ』で草津をマットにしずめたのだと、テーズは説明するのです」



しかし、ここで著者の邪推が発動します。著者は、ラグビー界を代表する選手だった草津の身体能力をみくびってはいけないと言います。テーズが「バック・ドロップ」を放ったとき、草津草津で、とっさに対応した。決定的な衝撃はさけるよう、瞬時に身をかわし、マットへ横たわったのかもしれないというのです。「草津は気絶なんかしなかった。そのふりをしていただけ」という可能性を示すのです。国際プロレスの吉原代表は、「かけだしの草津が、プロレス界で最高の実績を誇るテーズに勝つなんて無茶すぎる。そんなカードを組んでしまったら、もうアメリカのマット界から信頼されなくなる。自分も格と序列をないがしろにするプロモーターだという烙印を押され、もうアメリカからはいいレスラーが呼べなくなってしまう。それは困る」と考えたのではないかというのです。

 

著者は、以下のように述べています。
「おそらく、吉原は草津にもつげたでしょう。TBSテレビは、おまえを勝たせたがっている。おまえだって、まんざらじゃあないかもしれない。でも、おまえがテーズに勝てば、ウチの団体は、アメリカから見はなされる。あちらからは、スターがよべなくなる。興行はなりたたない。そんなことになったら、草津、おまえだってこまるだろう。いや、悪いようにはしない。おまえの今後は、自分なりに考えている。だから、打倒テーズなんていうとほうもない夢は、あきらめてくれ」
そして、草津がテーズに完敗を喫してから間もなくして、吉原は草津国際プロレスの取締役に就任させました。その後は、草津が団体運営での発言力を増していったのですが、このあたりの流れを見ると、著者の邪推は当たっているように思えます。

 

それから、本書で興味深ったのは、アントニオ猪木異種格闘技戦のくだりです。第四章「水曜スペシャルだからこそ」で、著者はプロレスを「殺陣のようなもの」と表現します。リングで絵になる動きを観客に見せつけ、テレビの視聴者に印象づける。そういうことにプロレスラーは努めているのであり、けっしてリアルに強くなることを目指しているわけではない。「まあ、その部分が皆無だとは、言いませんけれどね」として、著者は以下のように述べます。
「とりわけ、あぶなっかしかったのは、異種格闘技戦じゃあなかったでしょうか。あの試合にでてくるのは、柔道やボクシング、そして空手の選手たちです。プロレスの練習なんかは、ふだんしていません。相手に手心をくわえつつ、絵になる格闘場面を構成する。そんな経験はない人たちが、猪木の対戦相手になりました」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
異種格闘技戦で猪木の相手をする選手たちは、殺陣ができません。しかし、手には真剣をもっているのです。チャンバラははじめてだという人が、でも真剣で撮影にのぞむと言っている。相手をさせられる側の心配は、いかばりでしょう。猪木が試合の前に、対戦者と練習をくりかえした事情も、よくわかります。そうでもしないと、あぶなっかしくてしようがないわけです」



では、猪木は弱かったのかというと、けっして弱くはありませんでした。猪木が新日本プロレスという殺陣集団の一座の座長を務めたことについて、著者は第六章「私には知性も品性もありません」で以下のように述べています。
「猪木だって、アスリートとしての力量はあったと思いますよ。スポーツ音痴では、運痴とでも言うのかな、ぜったいになかったでしょうね。猪木が座長になることを、まわりのレスラーたちも納得する。それだけの輝きは、あったんじゃないかな。あと、リングで見得をきる時の華も、そなわっていましたよ。猪木が客席をあおる、その演出力には、みんな脱帽していたんじゃあないかな。テレビの関係者もふくめてね。猪木を中心にしてやっていこうという体制も、できやすかったと思います。ほかの、たとえば坂口征二をエースにする体制なんかよりはね」

 

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

 

 

著者は、「ロラン・バルトの翻訳者」として、1967年にロラン・バルトの『ミソロジー』をフランス文学者の篠沢秀夫が『神話作用』として訳し、2005年に下澤和義が『現代社会の神話』として完全訳を発表したことを紹介し、以下のように述べています。
「プロレスでは、勝敗がはじめからきまっています。にもかかわらず、プロレスラーは、真剣にたたかっている風をよそおう。苦痛や怒りの表情を、演技的にうかべたりするのです。バルトは、そこに『神話化』のからくりを見てとった。その典型的なありかたが、あると、とらえたんですね。そして、そのうえで、社会のあちこちに『神話化』を見ていくわけです。プロレス的な作為は、世に蔓延している、と」

 

神話としてのプロレスといえば、著者はこう述べます。
「昔、新日本プロレスに、キラー・カール・クラップがよくきていましたよね。ナチスに共鳴するドイツ人、というふれこみの悪役レスラーでした。じっさいには、ケベック出身のフレンチ・カナディアンですよ。まあ、オランダ生まれという噂も聞きますが、どちらにせよドイツ人じゃあありません。アラビアの怪人と言われたザ・シークは、ミシガン出身のアメリカ人でした。スーダン出身というふれこみのアブドーラ・ザ・ブッチャーは、カナダ人。たしか、オンタリオの出身だったと思います。タイガー・ジェット・シンは、ほんとうにインド生まれだったそうですけどね」



続けて、著者は以下のように述べます。
力道山のライバルだったジェス・オルテガが、メキシコの巨象とよばれていました。しかし、じっさいには、カリフォルニアの人ですよ。プロレスは、平気でそういうことをするんですね。そのほうが客にうけそうだと判断されれば、いともたやすく経歴をかえてしまいます」
かつて日本人レスラーの小沢正志が「モンゴルの怪人」としてのキラー・カーンになりましたが、結局はみんなキラー・カーンと同類だったわけです。



「あとがき」では、「プロレスを茶番だとなじるのなら、披露宴のスピーチだってフェイクだと言ってほしい。どうして、あなたはプロレスだけをインチキよばわりするのか、と」として、著者は以下のように述べます。
「この社会には、猿芝居のやりとりでなりたっているところがある。国家をうごかす政治家たちの言動も、そういう物言いにまみれている。恋愛のクライマックスで男女がかわす睦言にだって、それがないわけではない。プロレスは、そんな世間の鏡になっている。社会の茶番をうつしだす鏡にほかならない。いや、世の小芝居を増幅して、うつしかえす拡大鏡だと、言うべきか」



そして、最後に著者は以下のように述べるのでした。
「プロレスは社会の鏡である。社会の裏面でくりひろげられることは、プロレスの舞台でも展開されている。しかも、わざわざスポーツという外見をよそおわせながら、見せつけてきた。茶番の演出につとめる興行が、茶番を排除するべきスポーツのふりをする。そこに、プロレスの逆説はある」
正直、この結論は「井上章一さんにしては、ちょっとありきたりだな」と思いました。著者には、もっと邪推に満ちた毒々しいプロレス本を書き上げてほしかったのですが、それでもなかなか楽しく読ませていただきました。

 

プロレスまみれ (宝島社新書)

プロレスまみれ (宝島社新書)

  • 作者:井上 章一
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2019/10/10
  • メディア: 新書
 

 

2020年1月29日 一条真也

『東京12チャンネル時代の国際プロレス』

東京12チャンネル時代の国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

 

 一条真也です。
『東京12チャンネル時代の国際プロレス流智美辰巳出版)を読みました。ブログ『実録・国際プロレス』に続けて出版された日本プロレス史に残る“悲劇の第3団体”についての本です。著者は1957年、茨城県水戸市出身。一橋大学経済学部在学中、プロレス評論の草分け・田鶴浜弘に弟子入り。80年、大学卒業後にベースボール・マガジン社「プロレスアルバム」でフリーのプロレスライターとしてデビュー。以来、「週刊プロレス」に83年7月の創刊号から現在まで連載を持つ他、プロレス関係のビデオ・DVD監修、テレビ解説、ナビゲーター、プロレス漫画原作、トークショー司会などで活躍。著書・翻訳書・監修書、多数。2018年、プロレス界の功労者を顕彰するアメリカの「National Wrestling Hall of Fame」ライター部門で殿堂入りを果たしました。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙にはAWA・NWA・IWA3大世界戦が行われる1979年10月5日の後楽園ホール大会のチケットの写真が使われ、帯には「元『国際プロレスアワー』チーフディレクターが記した極秘資料『田中メモ』の封印を解く――。」「我々12チャンネルと専属契約を結んだ選手たちは、『新国際プロレス』を結成することになります」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

また帯の裏には、「第3団体を崩壊に追い込んだのは誰なのか?」として、「国際プロレスのエースであるラッシャー木村について報告します。木村は自分が吉原功社長のモルモット的な立場にあるという認識を非常に強く持っています」「今回の特別強化費は800万円でしたが、このうちいくらがバーン・ガニアに支払われたかについては不明で、吉原社長からも当方に開示されていません」「12チャンネルが個々のレスラーと専属契約を結ぶ段階が来たとしても、グレート草津は除外するしかないと考えます」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「1974年2月にエースのストロング小林新日本プロレスに引き抜かれて危機に陥った国際プロレス吉原功社長は、全日本プロレスと提携関係を強めていったが、ジャイアント馬場日本テレビの策略(?)で団体のイメージが急落。その後、剛竜馬離脱騒動で怨敵・新日本と急接近し、提携先を鞍替えしたものの・・・1981年3月、国際プロレスは東京12チャンネル(現・テレビ東京)にレギュラー中継を打ち切られ、同年8月に団体崩壊という結末を迎える。“第3団体"を潰したのは、誰なのか――。東京12チャンネル『国際プロレスアワー』のチーフプロデューサーだった田中元和氏の極秘資料を紐解きながら、昭和プロレスの第一人者・流智美がリング内外で起きた数々の“事件”の真相、他団体との対抗戦やマックメークにおける失策、テレビ中継の裏事情などを徹底検証。放映存続のために東京12チャンネル側が思い描いていた新団体設立構想、幻に終わった5日間連続ゴールデンタイム生中継特番『ワールド・チャンピオン・カーニバル』等々、驚愕の新事実も明らかに!」

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

「はじめに――手渡された『田中メモ』」
「前史Ⅰ 国際プロレスの『ノーテレビ時代』と『TBS時代』」
「前史Ⅱ 東京12チャンネルのプロレス中継ヒストリー」

第一章 1974年

1974年の日本マット界 概要
吉原社長の「取捨選択」は、企業として適正だったのか?

第二章 1975年

1975年の日本マット界 概要
東京12チャンネルが交わしていなかった「二重の縛り」

第三章 1976年

1976年の日本マット界 概要
上田馬之助に“勝ち逃げ”され、大剛鉄之助を“排除” 

第四章 1977年

1977年の日本マット界 概要
土下座外交で、団体のイメージが急降下

第五章 1978年

1978年の日本マット界 概要
「社長として極めて不適当、不健康な方向性」 

第六章 1979年

1979年の日本マット界 概要
「田中メモ」に記された国際ピロレス中継の裏事情 

第七章 1980年

1980年の日本マット界 概要
東京12チャンネルによる新団体設立構想

第八章 1981年

1981年の日本マット界 概要
“高すぎる理想”が生んだ借金=2億5000万円

「あとがき」



「はじめに――手渡された『田中メモ』」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「私は2007年にポニーキャニオンから発売されたDVDボックス『不滅の国際プロレス』と、同じく2010年から翌年にかけてクエストから発売されたDVDボックス三部作『国際プロレスクロニクル(上巻、下巻、外伝)』、合計18ディスクを監修した(前者は竹内宏介氏との共同監修)」。

 

不滅の国際プロレス DVD BOX

不滅の国際プロレス DVD BOX

 
国際プロレス クロニクル 上巻 [DVD]

国際プロレス クロニクル 上巻 [DVD]

 
国際プロレス・クロニクル 下巻 [DVD]

国際プロレス・クロニクル 下巻 [DVD]

 
国際プロレスクロニクル 外伝DVD-BOX

国際プロレスクロニクル 外伝DVD-BOX

 

 

これらは1974年9月から6年半、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放映された「国際プロレスアワー」の現存映像を集めた作品でした。合計70時間という膨大な動画を編集する過程で新たな発見もあったそうで、著者は「改めて国際プロレスが存在したことの歴史的な意義、あるいは価値について認識することができた」そうです。

 

実録・国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

実録・国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

 

 

続けて、著者は以下のように述べています。
国際プロレスに関する知識、感情をボックスの中にすべて投入した充足感もあり、私の中では『映像によるIWE卒業論文になった』と自己満足していたのだが、2017年11月に辰巳出版から発売された624ページの超大作『実録・国際プロレス』(Gスピリッツ編)を読んで大きな刺激を受け、一気に“冬眠”から起こされた」



「はじめに」では、東京12チャンネル「国際プロレスアワー」のチーフプロデューサーだった田中元和氏の極秘資料である「田中メモ」の存在を明かします。これは番組制作に関する経費などの他に、田中氏自身がその目で見た団体の内情も詳細に記されていました。たとえば、1978年暮れに所属選手から聴取した生々しいレポートが以下のように紹介されています。
国際プロレスの現状は所属レスラーへのファイトマネーが安く、試合数も少ないため(1試合いくらの契約)、レスラーたちの生活は非常に苦しいものとなっています。怪我をした場合でも補償がなく、治療費はすべて自己負担になっています。仮に試合をして怪我をし、シリーズを全休せざるを得ない状態になったとしても、会社からは休場分のファイトマネーは一切支給されません」



また、「田中メモ」には以下のように書かれています。
「最近では米村選手が脚を骨折してビッコ状態となり、奄美選手が首を負傷してコルセットを巻かなければいけない状態になりましたが、生活のために試合をやりました。奄美選手が試合後、控室で血を吐く場面にも直面しました。彼ら選手にとって欠場することは、イコール、生活ができなくなることを意味します。必然的にレスラーたちは無理をしないようになり、新日本の藤波選手のように場外の相手に頭からぶつかっていくようなことはできません。場外乱闘になった時も、相手の頭を椅子で思い切り殴るリアルな行為にいけないのも、これが理由です」

 

さらに、「田中メモ」には以下のように書かれています。
国際プロレスは年末の12月中旬に、毎年ホテルのホールを借り切って納会を盛大に開催しています。その中で、1年を通じて活躍したり努力した社員、レスラー3~4人に対して、吉原社長から表彰状と金一封(推定10万円)が贈られています。私も放送を開始した74年から毎年出席していますが、表彰された複数のレスラーから信じられない話を聞きました。表彰を受けた数日後、事務所に行って年末シリーズ分のギャラを受け取って封筒の中身を確認すると、10万円ほど少ない。経理の事務員に確認したところ、“その分は先日の納会で渡しています”との返事だったそうです。この事象から、我々関係者の前でだけ体裁を繕う吉原社長の虚勢を知ることができます。レスラーや社員のやる気を失わせる、という逆効果をまったく考慮に入れていません」



第一章「1974年」の「吉原社長の『取捨選択』は、企業として適正だったのか?」では、IWA世界ヘビー級王者だったストロング小林が離脱した原因として、「草津による陰湿な“イジメ”と、吉原社長や仲間レスラーがそれにストップをかけてくれなかったこと」が小林本人の口から語られたそうです。まず、グレート草津という人物について、著者はこう述べています。
草津は72年6月にアメリカ遠征から帰国以来、吉原社長の右腕として、いわば社内ナンバー2の地位にあった。トップレスラーの1人としてリングに上がる他、現場責任者であり、興行のマッチメークや営業戦略にも発言力を持つポジションで、月に1度開かれていた幹部による営業会議にも所属選手として唯一、出席していた」



続けて、著者は草津について以下のように述べます。
「『全幅の』というレベルで権限を与えられていたわけではないが、吉原社長から見ると、団体内は『現場で何か起きたら、まず草津を通してくれ』という体制になっており、すべての重要事項は草津を経由しないと一切トップの耳には届かない絶対的なルールが構築されていた。レスラーとしての評価は低く、『草津が練習しているところを見たことはない』という悪評が多かったが、練習不足のためスタミナに問題があり、本人も『しんどい思いをして団体の顔であるIWA世界ヘビー級王座を持っている必要はない』とばかり、シングル王座には終始拘泥しなかった」



草津の後輩にあたる小林は73年初め頃から自分の車を運転して地方の巡業地に行くことが多く、他のレスラーと一緒に移動バスには乗っていませんでした。「草津と一緒にいたくなく」というのが大きな理由でしたが、これで他の所属選手とのコミュニケーションが断絶し、小林は団体内で孤立を深めていきました。団体のエースである小林に対する草津のジェラシーは半端ではなかったそうで、酒宴の後はイジメの度合にも拍車がかかっていったといいます。ちなみに、地方巡業中、草津が小林に小便入りビールを飲むように迫った話は有名です。


 

 

著者は、「小林は女性的な神経の持ち主なので、『草津、テメエ、ふざけるなよ! 表に出ろ!』と直接行動に出られる性格ではない。だからといって、理不尽なイジメに耐えるだけで、実力行使で止めさせられなかった点はあまりにも情けない」と述べた上で、以下のように述べています。
「元はといえば、草津の傲慢、イジメが原因ではあったが、結局、吉原社長は『バックにいるタニマチや金作りの能力など総合的に判断して、小林より草津の方が組織にとって必要。だから、草津の小林イジメを黙認した』と結論づけるしかない」



何というか、あまりにも情けない話でブログで紹介するのも気が滅入ってきますが、この他にもあきれるようなエピソードが本書には満載です。本書を読めば、国際プロレスが“悲劇の団体”などではなく、崩壊すべくして崩壊したことがよくわかります。そして、その原因はすべて社長であった吉原功にありました。彼は現役バリバリの「社長兼エース」であった馬場、猪木とは違って、いわゆる「背広組」のカラーが強い社長でしたが、その割にはよくマスコミに登場していました。



第八章「1981年」の「“高すぎる理想”が生んだ借金=2億5000万円」では、著者は以下のように述べています。
「私は当時、『吉原さんは知名度をアップする必要もないのだから、社長業に徹して、あまりマスコミの前に出ない方がいのでは?』と思っていたのだが、よく考えたら吉原社長は『背広組』ではなく、60年には日本ライトヘビー級チャンピオンにもなったバリバリの『元レスラー』である。いま思うと、『俺は馬場、猪木よりもプロレスラーとして7年先輩だ。力道山にスカウトされてプロレスに入ったのだし、入ってからは力道山にアマレスの基礎も教えてやった』というプライドがあった」



さらに、著者は吉原社長について、こう述べるのでした。
「極端な書き方をすると、『馬場も猪木もトップレスラーということで、周りから担がれている形だけの社長じゃないか。俺も現役時代はチャンピオンだったし、引退後は営業部長として実務も経験もしたし、会社経営もリング上もテレビ局も統率できる本当の意味でのプロレス団体の社長なんだぞ』という“高すぎる理想”、悪い表現をすると“自惚れ”、“目立ちたがり感”があったように思う。だが、会社の内部には『社長、それは違います。あなたは、それほどの有名レスラーではなかった。だから、もう裏方に徹するべきです』と進言する勇気ある部下がいなかった。12チャンネルの番組スタッフと何度も衝突しながら、最後まで自説を曲げすに中継を打ち切られ、国際プロレスが崩壊に至ったのは、最終的に吉原社長が『背広組』になりきれなかった結果だったように思えて仕方がない」



これまで多くのプロレス関連書では吉原社長は聖人君子とまでは行かなくとも、不運が重なった“悲劇の名社長”として描かれていることが多かったので、本書の内容は非常にショッキングでした。「あとがき」の最後に、著者は「人生は縁がすべてだ。吉原さんと出会えた縁に感謝し、“魂のふるさと”国際プロレスの偉業がいつまでも語り継がれることを祈り、筆をおく」などと書いてはいますが、ここまで故人をボロクソに書いたら後味は悪いはずです。
しかしながら、国際プロレスが崩壊したのは社長である吉原氏の責任であることも事実です。馬場が悪いのでも猪木が悪いのでもありません。吉原氏が悪いのです。それほど経営とは厳しいものであると、経営者の端くれであるわたしは改めて痛感しました。怪我をしても補償もされず、生活のために思い切ったプロレスをすることができなかったレスラーたちが哀れでなりません。

 

東京12チャンネル時代の国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

東京12チャンネル時代の国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

 

 

2020年1月28日 一条真也

『実録・国際プロレス』

実録・国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

 

一条真也です。
『実録・国際プロレス』Gスピリッツ編(辰巳出版)を読みました。ストロング小林サンダー杉山グレート草津ラッシャー木村マイティ井上アニマル浜口寺西勇剛竜馬、阿修羅・原らが活躍したプロレス団体について証言したインタビュー集で、624ページの大冊です。 

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本書の帯

 

本書の帯には、「今、埋もれた昭和史が掘り起こされる―。パイオニア精神で突き進み、最果ての地・羅臼で散った悲劇の“第3団体”」と書かれています。また、アマゾンの「内容紹介」は、以下の通りです。
「プロレス専門誌『Gスピリッツ』の人気連載『実録・国際プロレス』が遂に書籍化! 今から36年前に消滅した“悲劇の第3団体”に所属したレスラー及び関係者(レフェリー、リングアナ、テレビ中継担当者)を徹底取材し、これまで語り継がれてきた数々の定説を覆す。あの事件&試合の裏側では何が起きていたのか・・・・・・驚愕の事実が続出するプロレスファン必読の一冊。今、埋もれた昭和史が掘り起こされる――」

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

「はじめに」
国際プロレス~設立から崩壊までの軌跡~」

ストロング小林

マイティ井上

寺西勇

デビル紫

佐野浅太郎

アニマル浜口

鶴見五郎

大位山勝三

稲妻二郎

米村天心

将軍KYワカマツ

高杉正彦

マッハ隼人

長谷川保夫(リングアナウンサー)

菊池孝(プロレス評論家)

石川雅清(元デイリースポーツ運動部記者)

森忠大(元TBSテレビ『TWWAプロレス中継』プロデューサー)

茨城清志(元『プロレス&ボクシング』記者)

田中元和(元東京12チャンネル『国際プロレスアワー』プロデューサー)

飯橋一敏(リングアナウンサー)

根本武彦(元国際プロレス営業部)

遠藤光男(レフェリー)

馬忠雄(元東京スポーツ運動部記者)



「はじめに」の冒頭は、以下のように書きだされています。
「『インターナショナル・レスリング・エンタープライズ(IWE=通称・国際プロレス)』は、日本プロレスの営業部長だった吉原功アメリカで活躍していた日本人レスラーのヒロ・マツダによって、1966年10月に設立され、81年8月に興行活動を停止したプロレス団体である」



最後の年となる81年は、日本マット界にとって大きなターニングポイントだった。国際プロレスが崩壊する3カ月半前、新日本プロレスのリングで初代タイガーマスク佐山聡)が鮮烈なデビューを果たしたのである。以降、金曜夜8時に始まるテレビ朝日の中継『ワールドプロレスリング』でタイガーマスクの試合が映し出されるようぬなると、華麗な四次元殺法に魅せられた少年たちが会場に殺到し始めた。これは国際プロレスをリアルタイムで知らないファン層が一気に増えたことを意味する」



また、当時の新日本プロレスブームについて、こうも書かれています。
「団体崩壊後、新日本プロレスに乗り込んだラッシャー木村アニマル浜口寺西勇の『新国際軍団』は、アントニオ猪木と抗争を展開し、ファンの憎悪を一身に集めた。この時期の新日本プロレスは『黄金期』と称されるが、タイガーマスクとはまったく異なる立ち位置で視聴率&観客動員に貢献したのが、この3人だったことは言を待たない」さらには、外国人選手について、以下のように書かれています。
「“鉄人”ルー・テーズ、“人間風車ビル・ロビンソン、 “大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント、“プロレスの神様カール・ゴッチ、“狂乱の貴公子”リック・フレアー、“爆弾小僧”ダイナマイト・キッド、“暗闇の虎”初代ブラック・タイガーなど国際プロレスを通過した著名レスラーは数多い。つまり団体崩壊後にファンになった世代でも、どこかで『国際プロレス』に触れているのだ」

 

そして、ジャイアント馬場アントニオ猪木(BI)がエースを務めた日本プロレス新日本プロレス全日本プロレスが「本流」だとしたら、国際プロレスは最後まで「傍流」であったとして、以下のように書かれるのでした。
力道山門下ながら、BIの入門2日前に日本を発ち、海外マットに活路を求めたマツダ。幹部と意見が合わず、日本プロレスを飛び出した」吉原功。そんな2人が創った団体だけに、初めから『傍流』であることを運命づけられていたのかもしれない。しかし、『本流』だけを追いかけていると、見えてこないこともある。国際プロレスを抜きに昭和のマット界の全体像は掴めないというのもまた事実であり、BIを主軸にせずに日本のプロレス史を深く掘り下げたのが本書である」



1967年9月11日、TBSが「来年1月から国際プロレス中継をレギュラー番組として放映する」と発表。団体運営の主導権を握ったTBS側は、従来のマツダのルートでは日本プロレスに対抗する大物外国人選手を呼ぶのは不可能と判断し、4年前に日プロと絶縁していたグレート東郷に協力を依頼。これに態度を硬化させたマツダは、国際プロレスからの撤退を決意。外国人昇平ブッカーの権限を独占した東郷は、まず当時カナダの大プロモーターだったフランク・タニーと連絡を取ってTWWA(トランス・ワールド・レスリング・アソシエーション)なる新団体を設立し、"鉄人"ルー・テーズを初代世界ヘビー級王者に認定しました。さらに同年12月には団体名を国際プロレスから『TBSプロレス』に改称すること、海外で修行中だったグレート草津サンダー杉山の凱旋帰国決定も発表されました。



「我々の力をもってすれば、スターは分単位、秒単位で作ってみせる」と自信満々に豪語するTBSは、この旗揚げ戦でスター候補生の草津をTWWA世界王者テーズに挑戦させる。だが、1本目で草津はテーズのバックドロップを食らって失神。2本目開始のゴングが鳴っても立てず、そのまま試合放棄となり、2-0のストレート負けを喫しました。こうしてTBSが描いていたシンデレラ・ストーリーは無残な結果に終わったのでした。その後、国際プロレスのエースは外国人のビル・ロビンソンを経て、ストロング小林が務めました。この小林をはじめとする多くのレスラーの証言によれば、草津という人は酒ばかり飲んでいて練習しない、相当な怠け者だったようですね。



1974年、国際プロレスのエースだったストロング小林が退団します。彼はフリーランスとして活動していくことを宣言し、さらに馬場と猪木に対して挑戦を表明したのです。この小林の動きと連動するかのように、TBSは国際プロレスのテレビ放映打ち切りを決定します。小林の挑戦を猪木が受諾したことから、両者の一騎打ちが3月19日に蔵前国技館で行われることになりました。「力道山vs木村政彦以来の超大物日本人対決」として大きな話題を集めますが、結果は猪木がジャーマン・スープレックスで勝利しました。



「初めて触れたアントニオ猪木というレスラーの印象は?」という質問に対して、小林が以下のように答えています。
「最初の試合は、猪木さんの方がやりにくかったんじゃないかな。僕はそういうのは感じなかったね。ただ、試合中に1発(顎にパンチ)もらって全然わかんなくなった。夢を見ているような・・・脳震盪が起きたんじゃないかな。あのパンチの意味は、何なのかわからないけどね。2戦目(同年12月12日=蔵前国技館、猪木が卍固めでレフェリーストップ勝ち)はビデオで観ると、僕の方が有利だったね。この試合の前にはニューヨーク(*当時はWWWF、79年にWWFに改称)でずっと上を取っていて、チャンピオンのブルーノ・サンマルチノとも試合をして金を稼いでいたし、“俺の方が上だ!”という気持ちだったから、試合中は、猪木さんを引っ張っているような感じだったよ」



話は1968年に戻りますが、4月開幕の「日・欧チャンピオン決戦シリーズ」に、ヨーロッパ・ヘビー級王者の“人間風車ビル・ロビンソンが初来日して、日本のファンに衝撃を与えます。ロビンソンは若手レスラーの指導もしましたが、当時の思い出を寺西勇が「ロビンソンは最高だったね。丁寧な指導で、あとはあの人の試合を観て勉強すればいいわけだから。ロビンソンと試合をして、“お前、凄く良くなった。イギリスに来いよ”と言われた時は嬉しかったな。国際時代の一番の思い出は、ロビンソンと戦ったことになるかな」と語っています。



「ロビンソンは、通常の試合では使わないような技術も教えてくれました?」というインタビュアーの質問に対して、寺西は「運、関節の決めね。試合で“いざ!”という時に仕える技術を持っているのが俺らにとっては一番大事でしょ。他の団体に行ったりとかした時にね。新日本プロレスに上がった時もそうだし、ジャパンプロレスとして全日本プロレスに上がった時もそうだしさ。実際、“もうセメントでやっちゃえ!”って話になったこともあるしね。だから、相手を極める関節技を知っているのは大事ですよ」と答えます。

 

また、1971年に1度だけ参加したカール・ゴッチについての印象を聞かれた寺西は、「ロビンソンは柔らかいけど、ゴッチはカタイ(笑)。ロビンソンは流れるような試合展開で、テクニシャンだったでしょ。でも、ゴッチは自分本位だから、自分の思い通りにやらないと気が済まない。強引というか、無理やり自分の流れに持っていっちゃうの。それにロビンソンと比べると、不器用だった。俺の中では、ガイジンのベストはロビンソンになるね」と答えています。



じつは、千葉の富津に住んでいた父方の祖父が大のプロレス・ファンで、居間に置いてあったテレビで身体を震わせながらプロレス中継を観ていましたが、それが国際プロレスでした。わたしが小学校の低学年で田舎に遊びに行っていたとき、祖父と一緒にテレビ観戦した記憶があります。第3回IWAワールドリーグ戦で、ゴッチとロビンソンとモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)の3人が優勝を争っていました。そこでゴッチとロビンソンのシングル戦が行われたのですが、どう見ても、ゴッチよりロビンソンのほうが強そうでした。結局、そのリーグ戦はロシモフが優勝したことも憶えています。



国際プロレスといえば、アニマル浜口を忘れることはできません。「プロレスは肉体はもちろんですが、心の部分も鍛えないとファンを感動させるレスラーにはなれないですからね」と言うインタビュアーに対して、浜口は「僕にとって大きいのは、プロレスが人気絶頂の時代に自分でそれを経験しているし、見ているということなんですよ。そういう時代を知っている人間じゃなければ、プロレスラーの本当の魂は伝えられないと思うんです。だから、僕はまだ死ねないんですよ」と語っています。



続けて、浜口は以下のように語るのでした。
「昔はね、100キロというのがプロレスラーのひとつの基準だったから、僕も無理して食って必死に身体を作った。いまの人には“無理して食べて、内臓を壊したらどうするんですか?”と言われるかもしれないけど、そうじゃないんですよ。山本小鉄さんは、亡くなる直前でも身体をパンパンに張らせていたじゃないですか。プロレスラーはゴツくて、強くて、人がやれないことをやるんだ、というプロレスラー像を貫いた心意気は素晴らしいと思います。プロレスラーというのは不思議でね、徹底して馬鹿になることも必要だし、狂うことも必要。その一方ではピエロというかね・・・華やかなんだけど、一抹の寂しさを帯びているというか、そういうところも必要なんですね。スターなんだけど、背中に哀愁を帯びている。それがプロレスラーだと僕は思うんですよ」



まさに、そんなプロレスラーが国際プロレスには揃っていたように思います。外国人レスラーもテーズ、ゴッチ、ロビンソン、ゴーディエンゴ、アンドレ、フレアー、キッドといった正統派の大物はもちろん、マッドドッグ・バション、ジプシー・ジョー、オックス・ベーカー、アレックス・スミルノフ、キラー・カール・クラップ、キラー・ブルックスといった悪役レスラーたちも個性派がたくさんいました。すでに故人となったラッシャー木村グレート草津剛竜馬、阿修羅・原らのインタビューが掲載されていないのは残念ですが、多くのレスラー・関係者の証言で当時の国際プロレスがわたしの心に蘇った気がします。

 

実録・国際プロレス (G SPIRITS BOOK)

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2020年1月27日 一条真也