『本と鍵の季節』

 

本と鍵の季節

 

一条真也です。
記録的大雨の九州を離れて、29日に再び東京に来ました。午後から、西新橋の全互協の会議室で儀式継創委員会、上智大学との産学連携についての説明会などに参加しました。翌30日は、不動産関係の打ち合わせが予定されています。
『本と鍵の季節』米澤穂信著(集英社)を読みました。ブログ『満願』で紹介した本の著者の最新作です。著者は1978年岐阜県生れ。大学卒業後、書店員勤務の傍ら小説を執筆。2001年『氷菓』で第5回角川学園小説大賞(ヤングミステリー&ホラー部門)奨励賞を受賞してデビュー。『氷菓』をはじめとする古典部シリーズはアニメ化、漫画化、実写映画化され、ベストセラーに。2011年『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。2014年『満願』で第27回山本周五郎賞を受賞。『満願』と2015年刊行の『王とサーカス』はそれぞれ3つの年間ミステリランキングで1位に輝き、史上初の2年連続3冠を達成しました。

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本書の帯

 

本書の帯には、「皮肉屋で大人びた松倉詩門と頼まれ事の多い僕――これは図書委員の僕らの推理と友情の物語」「米澤穂信、2年ぶりの新刊!」「爽やかでほんのりビターな図書室ミステリ、開幕!!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

また、帯の裏には、以下の内容紹介があります。
「堀川次郎は高校二年の図書委員。利用者のほとんどいない放課後の図書室で、同じく図書委員の松倉詩門と当番を務めている。背が高く顔もいい松倉は目立つ存在で、快活でよく笑う一方、ほどよく皮肉屋ないいやつだ。そんなある日、図書委員を引退した先輩女子が訪ねてきた。亡くなった祖父が遺した開かずの金庫、その鍵の番号を探り当ててほしいというのだが・・・・・・」「放課後の図書室に持ち込まれる謎に、男子高校生ふたりが挑む全六編」と書かれています。

 

本書には「913」「ロックオンロッカー」「金曜に彼は何をしたのか」「ない本」「昔話を聞かせておくれよ」「友よ知るなかれ」の6つの短篇が収められています。2012年から2018年秋までに「小説すばる」に散発的に掲載されたものですが、最後の解決編とも言える「友よ知るなかれ」だけが書き下ろしで加えられています。東京八王子近くの高校の2年生の図書委員の主人公と、4月から図書委員になった同級生の松倉詩門と図書室でさまざまな推理を展開します。書名の通り、「本」と「鍵」に関する謎解きなのですが、ちょっと、わたしには物足りませんでした。

 

ライトな青春ミステリーとか、部活ものといった印象で、正直言って、根暗な男子高校生2人が図書室に引きこもってゴチョゴチョやっている感じです。高校生だからアルコールとも無縁で、帰宅途中に自動販売機で買った缶コーヒーや缶コーラを飲みながら、いろいろ話し込むのですが、汚れちまった酒飲み中年男のわたしから見ると、ちっとも共感できませんでした。やはり、高校生が主人公の話は、わたしには合いませんね。

 

第5話の「昔話を聞かせておくれよ」と第6話の「友よ知るなかれ」では、松倉の複雑な家庭環境も描かれていますが、わたしは「だから、どうした」と思ってしまいました。『満願』のような高レベルのドラマ性を期待していたのですが、残念でした。ビブリオ・ミステリーとしても、ブログ『ビブリア古書堂の事件手帖』で紹介した累計680万部の大ベストセラーのほうが面白いと思いました。

 

本と鍵の季節

本と鍵の季節

 

 

2019年8月30日 一条真也

合同還暦祝い

一条真也です。
九州に記録的な大雨が降った28日の午後、東京から北九州に戻りました。北九州の被害はそれほどではありませんでした。その日の夜、松柏園ホテルで「合同還暦祝い」が開催されました。100人以上の参加者が集い、大いに盛り上がりました。

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一同礼!

f:id:shins2m:20190828180248j:plain神事のようす

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玉串奉奠をしました

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還暦者と記念撮影をしました

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合同還暦祝いのようす

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還暦者入場のようす

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還暦者が紹介されました

 

今回の「合同還暦祝い」には、9名の還暦者が参加しました。まずは神殿で神事を行い、それから写場で記念撮影をしました。場所を大広間に移して、祝宴です。来年度の還暦者である藤原支配人による「開宴のことば」の後、還暦者全員が赤頭巾と赤ちゃんちゃんこ姿で入場し、壇上で紹介を受けました。

f:id:shins2m:20190828183205j:plain佐久間会長が挨拶しました

 

それから、 サンレーグループ佐久間進会長が登壇して、祝辞を述べました。佐久間会長は「わが社は、一昨年から、合同還暦祝いを始めました。還暦を迎えられた仲間をみんなで一緒にお祝いしたいと思います。還暦者のみなさんは、あと20年は頑張っていただきたい。今日は、おめでとうございます」と述べました。

f:id:shins2m:20190828183348j:plain続いて、わたしも挨拶しました

 

続いてわたしが登壇し、サンレー社長として祝辞を述べました。わたしは、最初に「還暦者のみなさん、おめでとうございます。みなさんの姿を見て、昨年は『こぶ取り爺さん』かと思いましたが、今年は『花咲爺さん」に見えました。ぜひ、これからひと花もふた花も咲かせていただきたい」と述べました。世間では、30歳前後のことを「アラサー」、40歳前後は「アラフォー」、50歳前後は「アラフィフ」と呼びます。60歳前後は伝説の名俳優・嵐寛寿郎をもじって「アラカン」と言うとか。

f:id:shins2m:20190828183400j:plain還暦の由来を述べました

 

還暦は「第二の誕生」とされ、生まれ直すといって赤子のように赤色の衣服や頭巾などを贈って祝います。還暦に贈る赤色は、赤子に贈る赤い品々になぞらえています。赤色は、朱色や紅色なども含めて祝意を表すもので、縁起物や祝事の膳椀、酒樽(さかだる)などに使用されました。それとともに、魔除(よ)けの意味でも赤色は重視されました。

f:id:shins2m:20190828192213j:plain長寿祝いの意味を述べました

 

そして、わたしは「還暦は長寿祝いのスタートです」として、老いるべき運命にある人が幸せに生きていく上でとても重要なことであると述べました。人は長寿祝いで自らの「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ1個の生物として自分は必ず死ぬという運命を受け入れる覚悟を持つ。また翁や媼となった自分は、死後に神となって愛する子孫たちを守っていくのだという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあります。

f:id:shins2m:20190828183606j:plain還暦者に記念品を贈りました

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カンパ~イ!

 

その後、わたしは還暦者のみなさんに記念品(赤インクの最高級万年筆)を贈呈しました。それから還暦者による「大盃の儀」が行われ、次々と酒を飲み干す姿に会場が大いに沸きました。その後、玉中常務による乾杯の音頭を合図として、祝宴が華やかに幕を開けました。

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「私は誰でしょう?」で盛り上がりました

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「私は誰でしょう?」で盛り上がりました

f:id:shins2m:20190828193211j:plain現在の還暦者を囲んで

f:id:shins2m:20190828193929j:plain現在の還暦者を囲んで

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還暦者クイズ

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わたしは、いろんな方々とお酒をついだりつがれたりしながら、大いに語り合いました。やはり、祝宴で飲む酒は格別です。その後は、恒例の「わたしは誰でしょう?」のアトラクションや、「還暦者クイズ」などで大いに楽しみました。カラオケタイムでは、還暦者を代表して、溝下課長が「ディ・ドリーム・ビリーバー」(THE TIMERS)を熱唱しました♪

f:id:shins2m:20190828200931j:plain「あの時君は若かった」を歌いました♪

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還暦者と一緒に歌いました♪

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大いに盛り上がりました!

 

最後は、わたしの番が来ました。いつもは北島三郎の「まつり」を歌うのですが、今日は趣向を変えて、ザ・スパイダースの「あの時君は若かった」を歌いました♪ タンバリンを演奏しながら、還暦者を指さしながら歌ったのですが、ヒップ・タンバリンの場面では、大いに盛り上がりました。最後は「還暦者のみなさん、今日はおめでとうございました!」と叫ぶと、割れんばかりの盛大な拍手をいただきました。

f:id:shins2m:20190828202345j:plain最後は、「末広がりの五本締め」で ・・・

 

その後、次年度の還暦対象者の紹介がありました。
最後は、サンレー名物「末広がりの五本締め」です。この「人間関係を良くする魔法」は、全国的にもすっかり有名になりました。今夜は、石田執行役員がしっかりと締めてくれました。それから「閉会のことば」があり、還暦者が退場して、出口で送賓してくれました。

f:id:shins2m:20190828202453j:plain還暦者退場のようす

 

この合同還暦祝い、今年も大いに盛り上がりました。
わたし自身も大変楽しく時間を過ごすことができました。
還暦者のみなさん、今日はおめでとうございました。
これからも、どうぞお元気で頑張ってください!
翌日の朝、わたしは、再び東京へ向かいます。
29日に開催される全互協の儀式継創委員会に担当副会長として参加するためです。ハードな毎日ですが、「天下布礼」のために頑張ります!

 

2018年8月29日 一条真也

「存在のない子供たち」

一条真也です。
27日の朝、北九州空港からスターフライヤー羽田空港へ飛びました。西新橋で開かれた冠婚葬祭文化振興財団の評議員会に出席した後、シネスイッチ銀座レバノン映画「存在のない子供たち」を観ました。わたしは、こんなにも切なくて悲しい映画を観たことがありません。そのグリーフのあまりの巨大さに、打ちのめされました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『キャラメル』などのナディーン・ラバキー監督が、中東の社会問題に切り込んだドラマ。主人公の少年が、さまざまな困難に向き合う姿を描く。ラバキー監督も出演するほか、ゼイン・アル・ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレらが出演。第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したほか、第91回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「12歳のゼインは、中東のスラムで両親とたくさんの兄弟姉妹と住んでいるが、親が彼の出生届を出さなかったため身分証明書を持っていなかった。彼は11歳の妹と仲が良かったが、知人の年上の男性と無理やり結婚させられてしまう。怒ったゼインは、家を飛び出して職を探そうとするが、身分証明書がないため仕事ができなかった」

 

主人公のゼインは「存在のない子供」です。両親が出生届を出さなかったからです。赤ん坊のヨナスも存在のない子供」です。母親のラヒルが不法移民だからです。どちらも法的に存在していないわけで、これほど人間の尊厳が損なわれている状況はありません。家出してラヒルに拾われたゼインがヨナスの子守りをしていたとき、ラヒルが警察に拘束され、帰れなくなります。お金もないのに、ゼインは必死でヨナスの世話をします。12歳の少年がより弱い存在である赤ん坊を守る姿を見て胸が痛みますが、わたしはジブリのアニメ「火垂るの墓」(1988年)に登場する、戦争によって両親を失った幼い兄妹を思い出しました。同作品は、高畑勲監督のリアルかつ繊細な演出により、兄妹の過酷な運命と孤独な心情が見事に活写されていました。

 

また、日本映画「誰も知らない」(2004年)も連想しました。主演の柳楽優弥が史上最年少の14歳という若さで、2004年度カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いた話題作です。是枝裕和監督の出世作で、実際に起きた、母親が父親の違う子供4人を置き去りにするという衝撃的な事件を元に構想から15年、満を持して映像となりました。YOU扮する奔放な母親の失踪後、1人で弟妹達の面倒をみる長男の姿は、家族や社会のあり方を問いかけました。



子供たちをそのような状況に追いやる大人たちには強い怒りを感じます。彼らは、子供を労働力としかみなさず、愛も教育も与えません。そして、欲望の向くままにセックスを繰り返し、きちんと育てられる見込みもないのに次から次に子供を産むのでした。ゼインは、自分を生んだ罪で「両親を告訴する」とテレビで発言して、大きな注目を集めまます。そして裁判所では、両親に向けて「世話できないなら産むな!」と言い放ちますが、これは世界中のネグレクト(育児放棄)の「毒親」に向けた魂の叫びでした。



この映画では、子供の人身売買、不法移民をはじめとした多くの社会問題が描かれていますが、わたしが最も心を痛めたのは少女の強制結婚です。ゼインの11歳の妹は、家族の生活のために大人の男と強制的に結婚させられ、妊娠したあげく、大量の出血をして命を落とすのでした。彼女は病院には担ぎこまれますが、診療も治療も受けることはできませんでした。身分証明書がないからです。この妹の死を知ったゼインは怒り狂って、妹を死なせた彼女の夫をナイフで刺すのでした。あまりにも悲しい事件でした。


わたしは、レバノンの事情は知りませんでしたが、数年前にインドに行ったとき、過酷な環境にある少女たちがいることを知りました。年端もいかない15歳以下の少女が年上の男と強制的に結婚させられているのです。世界保健機関が正式に発表した数字によれば、15歳以下で結婚を強要される少女たちは、なんと毎年1420万人だといいます。この低年齢結婚はインドを中心に、中東やアフリカにも多く見られます。これらの地域では、8歳から15歳の少女が年上の男性と強制的に結婚させられているのです。そして、多くの少女が結婚を理由に教育の機会を奪われています。



インドでは早過ぎる出産の強制や、それによる死亡例 も多く報告されています。日本のように、七五三や成人式や結婚式で女の子が綺麗な着物を着ることができるとは、なんと幸せなことでしょうか。わたしは、そのように思いましたが、過酷な運命を生きる少女は、インドやレバノンだけでなく、きっと世界中にいるのでしょうね。出生届も身分証明書もない人々も、中国をはじめ多くいることでしょう。これらの人々の「人間の尊厳」というものを考えたとき、暗澹たる気分になります。この映画のラストシーンは、ある登場人物の笑顔で終わるのですが、わたしは救われた思いがしました。



それにしても、ゼイン役のゼイン・アル=ハッジはハンサムな少年でした。レバノンに逃れて来たシリア難民だそうですが、赤ん坊のヨナスとともに、「存在のない子供たち」というタイトルに反するように、「存在感のある子供たち」を見事に演じていました。映画評論家の矢崎由紀子氏は「映画.com」で、ゼイン・アル=ハッジについて、「過酷な日常をたくましく生き抜きながらも、自身の非力さと限界に突き当たり、涙する場面が切なさをかきたてる。彼を筆頭に、ほとんどの出演者は役柄と似た背景を負っているという。これほどのリアルな存在感に圧倒されたのは、実在のストリート・チルドレンを起用した『サラーム・ボンベイ!』以来かもしれない」と述べています。


葬式は必要!』(双葉新書) 

 

さて、「人間の尊厳」を根底から問う映画「存在のない子供たち」を観ているうちに、わたしは葬儀のことを考えました。葬儀とは「人間尊重」の最たる営みだからです。孤独葬というものがあります。誰も参列者のいない葬儀のことです。わたしは、いろんな葬儀に立ち会いますが、中には参列者が1人もいないという孤独な葬儀が存在するのです。そんな葬儀を見ると、わたしは本当に故人が気の毒で仕方がありません。亡くなられた方には家族もいたでしょうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。なのに、どうしてこの人は1人で旅立たなければならないのかと思うのです。もちろん死ぬとき、誰だって1人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに1人で旅立つのは、あまりにも寂しいではありませんか。故人のことを誰も記憶しなかったとしたら、その人は最初からこの世に存在しなかったのと同じです。わたしは、葬儀が「人間の尊厳」に直結していることを『葬式は必要!』(双葉新書)で訴え、大きな反響がありました。


永遠葬』(現代書林)

 

また、『永遠葬』(現代書林)において、孤独葬が「人間の尊厳」はもちろん、「実存的不安」にまでつながっていることを述べました。孤独葬は、「実存的不安」の問題そのものです。つまり、その人の葬儀に誰も来ないということは、その人が最初から存在しなかったことになるという不安です。「無の恐怖」と言い換えてもいいでしょう。葬儀を行わないで遺体を火葬場で焼き、遺灰もすべて捨ててしまう「0葬」は、1人の人間がこの世に生きた証拠をすべて消し去ってしまう行為です。「0の恐怖」とは「無の恐怖」のことなのです。逆に、葬儀に多くの人々が参列してくれるということは、亡くなった人が「確かに、この世に存在しましたよ」と確認する場となるのです。出生届や身分証明書が「生きた証」なら、葬儀も「生きた証」です。葬儀を行わないということは、出生届を出さないことに相当する最も「人間の尊厳」を損なう行為なのです。

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シネスイッチ銀座で見つけたポスター

 

そんなことを考えながら、シネスイッチ銀座の廊下を歩いていたら、壁に「私のちいさなお葬式」という映画のポスターを発見しました。2017年のロシア映画だそうですが、「映画.com」には以下の内容紹介があります。
「突然の余命宣告を受けた73歳の女性が自身のお葬式計画に奮闘する姿を描いたロシア映画。村にただひとつの学校で教職をまっとうし、定年後は気のおけない友人たちと大好きな本に囲まれ、慎ましくも充実した年金暮らしを送っている73歳のエレーナ。そんな彼女が病院で突然の余命宣告を受けてしまう。都会で仕事に忙しい毎日を過ごし、暮らし5年に一度しか顔を見せないひとり息子のオレクには迷惑はかけたくないと、自分で自分の葬式の準備をスタートさせる。惨めな死に方だけはしたくない彼女の願いは、お葬式に必要な棺や料理の手配を済ませ、夫が眠るお墓の隣に埋葬されること。親友やかつての教え子たちの協力もあり、彼女はお葬式の準備を順調に整えていく。しかし、完璧かに思えたエレーナのお葬式計画に想定外の事態が持ち上がってしまい・・・・・・」
この「私のちいさなお葬式」は今年の11月公開だそうですが、これは必ず観なければ!



 2019年8月28日 一条真也

冠婚・衣裳責任者会議

一条真也です。
26日の午後から、サンレーグループ冠婚・衣裳責任者会議が開催されました。会場は、松柏園ホテルバンケットザ・ジュエルボックス」でした。各地から、わが社の誇る“むすびびと”たちが集結しました。

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最初は、もちろん一同礼!

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令和の結婚ブームを起こそう!

 

17時から、わたしが「社長訓話」を行いました。
わたしはまず、「令和の時代を迎えて、『令和婚』という言葉が生まれましたが、自民党小泉進次郎衆院議員とフリーアナウンサー滝川クリステルさんの結婚報道には驚きました。滝川さんは妊娠しており、年明けに出産の予定だとか。本当に、おめでたいお話です。お似合いのお二人ですし、心から祝福したいと思います。このビッグカップル誕生をきっかけに、令和の日本に結婚ブームが起こることを願っています」と述べました。

f:id:shins2m:20190826171925j:plain模擬結婚式について

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「読売新聞」2019年8月24日朝刊

 

23日には松柏園ホテルで、恒例の「夏休み!親子でウェディンぐ体験会」を行いました。今年は北九州市内から小学生と保護者ら約70人が参加。子どもたちは結婚式の参列者になりきり、チャペルで賛美歌を歌ったり、フラワーシャワーに参加したりしました。近くの富野小学校5年生の奥平千奈さんは「新婦のドレスがきれいなのにびっくりした。私も松籟(結婚式を)やってみたい」と語っていました。こういったイベントを通じて、子どもたちに結婚式の素晴らしさ、魅力を伝えていくことは非常に大切だと思います。

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結婚不要社会について

 

それから、ブログ『結婚不要社会』で紹介した本の話をしました。著者である社会学者の山田昌弘氏は「婚活」という言葉の生みの親でもありますが、「好きな相手が経済的にふさわしいとは限らない 経済的にふさわしい相手を好きになるとも限らない、しかも結婚は個人の自由とされながら、社会は人々の結婚・出産を必要としている・・・・・・これらの矛盾が別々に追求されるとき、結婚は困難になると同時に不要になるのである」と述べています。

 

結婚不要社会 (朝日新書)

結婚不要社会 (朝日新書)

 

 

また、山田氏は「戦後は恋愛結婚が普及し始めると同時に、見合い結婚変質し始めます。特に、上流階級が見合いという名のもと、有無を言わせず『取り決め』で結婚を遂行していたのが、会う前でも断れるし、会ってからでも断れるという『断る自由』のある見合いを許容しだします。つまり、戦後の見合い結婚というものは、恋愛結婚に限りなく近いわけです。紹介してくれるのが仕事の上役や親族というだけで、相手に会う前も会ってからも、交際を始めてからでも『断る』ことができます」と述べています。

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告白文化の弊害について

 

さらに、山田氏は「要するに、高度成長期には『出会い』が十分にあったので、皆婚社会が成立したというわけです。団塊の世代くらいまでは、ほとんどの人が結婚できました。1970年代くらいまではそうなのですが、結婚後の生活を想像できるということも大きかったでしょう」と述べ、「『告白文化』の弊害」として、「私は以前から、知り合った相手に『つき合ってください』『わかりました、つき合います』といった、告白をしなければ恋愛関係に発展しない告白文化が、今日の若者たちの恋愛の活発化を妨げている要因の1つではないか、と主張しています」と述べます。

 

困難な結婚

困難な結婚

 

 

そして、山田氏は「欧米は、幸せに生きるためには親密なパートナーが必要な社会です。結婚は不要だけれども、です。それに対して日本は、配偶者や恋人のような決まったパートナーがいなくても、なんとか幸せに生きられる社会になったのです。これが私の結論です」と述べるのでした。しかし、わたしたちは、「結婚不要社会」などを肯定するわけにはいきません。わたしは、以前にも取り上げたブログ『困難な結婚』で紹介した本の話をしました。著者である哲学者の内田樹氏によれば、結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障です。結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものだというのです。

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結婚とは安全保障である

 

同書で、内田氏は以下のように述べています。

・結婚とは安全保障である。

・「もっと良い人」はいません

・今より幸せになるために結婚してはいけません

・結婚生活を愛情と理解の上に築いてはならない

・「よくわからない人」だから素晴らしい

f:id:shins2m:20190826170224j:plain夫婦は世界で一番小さな互助会!

 

わたしは、基本的に内田氏の発言に賛同しつつも、夫婦の本質である「安全保障」を別の四文字熟語で置き換えたいと思います。それは「相互扶助」です。「相互扶助」を二文字に縮めれば、「互助」となります。そう、互助会の「互助」です。そういうふうに考えれば、夫婦というのは、じつは互助会であることに気づきます。かつて、童話の王様アンデルセンは「涙は世界で一番小さな海」という言葉を残していますが、わたしは「夫婦は世界で一番小さな互助会」と言いたいです。

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広瀬すずの白無垢姿について

 

それから、ブログ「なつの白無垢姿を見て」にも書いたように、NHK「連続テレビ小説」第100作目の「なつぞら」の第114回に、広瀬すずの白無垢姿が登場しました。わたしはNHKオンデマンドで観ましたが、そのあまりの美しさと感動のドラマに、涙腺が大いに緩んでしまいました。広瀬すず演じるなつが結婚式の当日、白無垢姿で、草刈正雄演じる祖父・泰樹のいる牛舎へと向かいます。なつは「じいちゃん、長い間お世話になりました」とあいさつすると、泰樹は「ありがとうな」と感謝の言葉で返答します。

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結婚式も花嫁衣裳も感謝の「かたち」

「ありがとうはおかしいべさ。育ててくれた、じいちゃんが」と驚くなつに、さらに泰樹は「わしもお前に育ててもろた。たくさん、たくさん、夢をもろた」と告げ、「ありがとう。おめでとう、なつ」と涙を流ました。これを見てもわかるように、花嫁衣裳を着たり、結婚式の場面では、「ありがとう」の応酬になるのです。人間として、こんなに素晴らしいことが他にあるでしょうか。まさに、結婚式とは両親や祖父母やご先祖様への最高の感謝の「かたち」なのです。

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広瀬すずの「ゼクシイ」CMを流しました

 

それにしても、広瀬すずの白無垢姿が美しかった!
彼女は結婚情報誌「ゼクシイ」の第7代CMガール(2014年~15年)でしたので、そのウェディングドレス姿は見たことがありました。もちろん美しいのですが、モデルを務めた当時の彼女はまだ16歳ぐらいだったこともあり、「ちょっと花嫁さんにしては若いな」と思った記憶があります。現在の彼女は21歳ですが、白無垢姿の似合うこと、似合うこと。神々しささえ感じます。わたしは、「日本人は和が似合う」という自分の信条を再確認しました。

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日本人には和が似合う!

 

結婚式のとき、韓国の人たちはチョゴリを着ますし、インドの人たちはサリーを着ます。その他、タイ、ミャンマーハンガリーウクライナ、そしてイスラム圏・・・・・・世界中の人々が、結婚式では自分たちの民族衣装を身にまとうはずです。そう考えると、日本の結婚式には、やはり和服がないと物足りないように思います。言うまでもなく、和服は日本の民族衣装です。日本人の女性は和装が一番似合い、一番美しく見えるのは当然なのです。そもそも肌の色や体形に合わせて、日本の女性を最も美しく見せるようにデザインされたものが和服だからです。

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浜辺美波の「京都きもの友禅」CMを流しました

 

新婦だけではありません。新郎の和装姿は「侍」を連想させ、男ぶりを大いに上げます。ぜひ、これから結婚式を予定されている方は和装にしてほしいものです。「日本人には和が似合う」といえば、現在、京都きもの友禅のCMでは、広瀬すずに続く若手人気女優の浜辺美が明治・大正・昭和・平成・令和の5つの時代の振袖姿を披露しています。彼女は現在18歳ですが、おそらくは20歳になったら、NHK朝ドラで主演を務めると思います。

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「こころ」を豊かにする「かたち」とは

 

ブログ「冠婚・衣裳責任者会議」で紹介した今年2月26日の訓話では、わたしは「あと2ヶ月で平成が終わります」と言いました。そして、「平成が終わって新元号となったとき、あらゆる『時代遅れのもの』が一気に消え去ります。もちろん、結婚式や葬儀、七五三や成人式などは消えてはならないものです。それらは『こころ』を豊かにする『かたち』だからです」とも言いました。

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「かたち」があるから「こころ」が収まる

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。

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「こころ」を安定させるために「かたち」がある!

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くす時などがあります。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。誰かの口上ではありませんが、人生は祭りの連続でございます。

f:id:shins2m:20190826175211j:plain人生は祭りの連続でございます!

 

なつぞら」第114回に登場したなつと夕見子の合同結婚披露宴のシーンも良かったですね。とても昭和の香りがしました。思うに、令和の「和」は昭和の「和」ですが、令和になって各所で昭和リバイバルが同時多発で起こっているように思います。平成はオウム真理教事件や大災害などで暗いイメージがありましたが、令和になって一気に明るくなったような気もします。

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昭和の結婚式に学べ!

 

ヘーゲル弁証法で言えば、昭和が「正」で、平成が「反」、そして令和が「合」なのでしょうか。わたしは、平成の時代の出来事で最も乗り越えるべき現象は「無縁社会」だと思います。ちなみに、昭和の結婚披露宴といえば、「男はつらいよ」の第1作では、さくらと博と感動的な披露宴が行われました。寅さんのセリフもこの上なくハートフルで、泣けます。結婚式で最も大切なのは「こころ」です。最後に、この動画を流して、「結婚は最高の平和です!」と述べ、訓話を終えました。

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最後は、もちろん一同礼!

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懇親会のようす

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冒頭に挨拶する佐久間会長

 

社長訓話が終わった後は、松柏園の大広間で懇親会が開かれました。最初に佐久間会長が挨拶し、「全国的に業界では冠婚の勢いがなくなっているようです。わが社のみなさんはよく頑張ってくれてはいますが、もう少し知恵を出して、チャレンジしていただきたいよ思います。わが社の仕事は、冠婚・葬祭・互助会からなる三位一体の事業です。三方良しの精神で頑張りましょう。今の日本が最も困っている問題は、少子高齢化です。婚活で世直しをしながら、わが社の冠婚部門の発展にもつなげていただきたい!」と述べました。

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わたしも挨拶しました

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乾杯の挨拶をする玉中常務

 

次に、わたしが「今日も話しましたが、日本人の結婚観が大きく変わり、結婚式のスタイルも変わっていきます。しかし、結婚が必要であることは言うまでもありません。何よりも、夫婦とは『世界で一番小さな互助会』であることを再認識して、夫婦作り、そして人生最良の日のお手伝いをしたいものです。ブライダルは『こころの仕事』です!」と述べました。それから、玉中常務の音頭で乾杯しました。

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いただきます!

f:id:shins2m:20190826193243j:plain最後は「末広がりの五本締め」で

 

各地から参集したみなさんは、お酒や料理を楽しみながら会話の花を咲かせました。最後は、北陸本部の小久保事業部長による中締めの挨拶でした。小久保事業部長は、サンレー オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。これをやると、みんなの心が本当に1つになる気がします。その後も、松柏園のラウンジで二次会を開催。わが社のコンパは和気あいあいと続きました。翌日からは東京へ。27日に開催される冠婚葬祭文化振興財団の評議員会に出席します。

f:id:shins2m:20190826193838j:plainこれが、サンレー ・コンパだ!!

 

2019年8月27日 一条真也

「ロケットマン」

一条真也です。
24日の午後、東京から北九州に戻りました。25日の日曜日、小倉で映画「ロケットマン」を観ました。英国のミュージシャンのエルトン・ジョンの半生を描いた伝記ドラマで、ミュージカル映画です。ちょうど現在、次女がイギリスに留学しているので、イギリスが舞台の映画を観たいと思っていました。音楽の力を感じさせてくれる名作でした。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『Your Song/ユア・ソング(僕の歌は君の歌)』などで知られるミュージシャン、エルトン・ジョンの半生を描いた伝記ドラマ。主演は『キングスマン』シリーズなどのタロン・エジャトン、共演に『リヴァプール、最後の恋』などのジェイミー・ベル、『ジュラシック・ワールド』シリーズなどのブライス・ダラス・ハワードらが名を連ねる。『キック・アス』などのマシュー・ヴォーン監督とエルトン・ジョン自身が製作を務め、『サンシャイン/歌声が響く街』などのデクスター・フレッチャーがメガホンを取った」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「少年レジナルド・ドワイトは、両親が不仲で孤独だったが、音楽の才能に恵まれていた。エルトン・ジョンタロン・エジャトン)という新たな名前で音楽活動を始めた彼は、バーニー・トーピンジェイミー・ベル)と運命的な出会いを果たし、二人で作った『Your Song/ユア・ソング(僕の歌は君の歌)』などヒットナンバーを次々と世に送り出して世界的な名声を得ることになる」



ブログ「ボヘミアン・ラプソディ」で紹介した大ヒット映画を陰の監督として完成に導いたデクスター・フレッチャーが続いてメガホンを取ったのは、またも英国のロックスターであるエルトン・ジョンの伝記映画でした。同性愛や父親との確執など、両作品に共通したテーマもあります。しかし、「ロケットマン」には、「ボヘミアン・ラプソディ」のような名曲誕生秘話やレコーディング裏話などは登場しません。その代わりに、子どもにまったく愛情を注がない両親に育てられた内気な少年が持ち前の音楽の才能でロック界のスーパースターとなり、栄光の後はアルコールやドラッグによる転落人生を描き、そのシーンにふさわしいエルトンのヒット曲を登場人物たちが歌い踊るというミュージカル映画となっています。

 

主人公であるイギリスのミュージシャン、エルトン・ハーキュリーズ・ジョンは、1947年3月25日生まれの72歳。出生時の名前は、レジナルド・ケネス・ドワイトです。同性愛者であり、パートナー(夫)はカナダ人映画監督・プロデューサーのデヴィッド・ファーニッシュです。代表曲に「僕の歌は君の歌」「クロコダイル・ロック」「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」「ダニエル」「ベニーとジェッツ」などがあります。「グラミー賞」に34回ノミネートされ、5回受賞しています。シングルとアルバムの総売り上げは2億5千万枚から3億枚以上とされており、これは「史上最も売れたアーティスト」で5位の記録とされています。ちなみに1位はザ・ビートルズ、2位はリアーナ、3位はマイケル・ジャクソン、4位はエルヴィス・プレスリーで、6位がマドンナ、7位がレッド・ツェッぺリン、8位がピンク・フロイドです。

 

Wikipedia「エルトン・ジョン」の「人物」には、以下のように書かれています。
「1969年にソロ・デビュー。1970年の『僕の歌は君の歌』のヒット以降コンスタントに活動を続け、現在までに全世界で3億枚以上のレコード・セールスを記録した、世界で最も成功した男性ソロ・アーティストの一人である。作曲は彼自身によるものだが、作詞は1968年のデビュー以降その多くを盟友バーニー・トーピンが手がけている。芸名は、彼がソロ・デビュー前に参加したバンド、ブルーソロジーのメンバーだったエルトン・ディーン(Elton Dean、キース・ティペット・グループを経てソフト・マシーンに加入)とロング・ジョン・ボルドリー(Long John Baldry)の2人の名前から取ったものである」

 

続いて、Wikipedia「エルトン・ジョン」の「人物」には、こう書かれています。
「1970年代前半に、人気は全盛期を迎えた。1972年の『ホンキー・シャトー』以降、『ピアニストを撃つな!』(1973年)、『黄昏のレンガ路』(1973年)、『カリブ』(1974年)、『グレイテスト・ヒッツ』(1974年)、『キャプテン・ファンタスティック』(1975年)、『ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ』(1975年)が7作連続全米首位を記録し、1975年には『キャプテン・ファンタスティック』で全米ビルボードのアルバムチャート史上初の初登場1位を記録するなど、この時期に彼は数多くの快挙を成し遂げている。当時、若手アーティストとしてギルバート・オサリバンをライバルとして認めた。活動休止期間を経て、トーピンと一時期決別してからは不遇の時代が続いたが、一方で1986年にはディオンヌ・ワーウィックらとのデュエット曲『愛のハーモニー』で初のグラミー賞を受賞している」

 

続いて、Wikipedia「エルトン・ジョン」の「人物」には、こう書かれています。
「1980年代後半から1990年代前半にかけては、喉の病気やアルコール、薬物依存症などに苦しみながらも、音楽活動と並行してチャリティーにも精力的に取り組むようになる。1990年代前半からは復調し、映画『ライオン・キング』のサントラなど数多くの仕事で成功した。1997年には、旧作の詩の一部を差し替え、事故死したダイアナ妃に捧げたシングル『キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997/ユー・ルック・トゥナイト』が、全世界で3700万枚以上を売り上げるシングル史上最大のヒット曲となる。この記録は、2015年現在も破られていない。1998年2月24日には長年の功績を称えられ、ポピュラー音楽の音楽家としては3人目となるナイトに叙勲された」

 

続いて、Wikipedia「エルトン・ジョン」の「人物」には、こう書かれています。
「彼の音楽性は、しばしば同様にピアノマンの異名を持つビリー・ジョエルと比較されがちだが、メロディメーカーとしての手腕は確かなもので、様々なジャンルの音楽を貪欲に吸収し独自のものにしている。初期のプログレッシブ・ロック志向からカントリー・ミュージックへの傾倒、さらにはアメリカン・ロック、ソウル、ディスコに至るまで、その音楽性は幅広い。日本においてはバラード・シンガーとして認知されがちだが、サービス精神旺盛な生粋のロックンローラーであり、確かな技術に裏打ちされたパフォーマンスの評価は高い。過剰なまでの派手な衣装も特徴的である(着ぐるみを着用していた時期もあった)。ピアノの下に隠れての曲弾きや、クライマックスでのピアノの上によじ登ってのゴリラ踊りを行うことも多い」

 

続いて、Wikipedia「エルトン・ジョン」の「人物」には、こう書かれています。
「70年代に両性愛者を公表したが、90年代に同性愛者のヒントをよく与えてくれた。1984年にドイツ人の女性と結婚したが、4年後に離婚。2005年には男性の恋人と再婚して大きな話題を呼んだ。2017年にオーストラリアに同性婚合法化の国民投票のときに、インスタグラムで昔『本当の自分を否定して』女性と結婚して彼女を悲しませたことを投稿した。近年のグラミー賞授賞式では、ゲイを揶揄するリリックを歌ったエミネムとパフォーマンスして物議を醸したが、ジョンは音楽性が優れているアーティストに対して協力するのは当然と、意に介さなかった。性格は繊細さと荒々しさを併せ持ち、長年自身の容姿にコンプレックスを持っていたとされる」



そして、Wikipedia「エルトン・ジョン」の「人物」には、こう書かれています。
「1970年代の前半頃から既に頭髪が薄くなりカツラを使用していたが、1990年代に植毛手術に成功。21世紀に入っては視力矯正手術にも成功し、長年愛用していた眼鏡もオークションに出した。現在は、それらを自らギャグとして披露してもいる。また、過激で辛辣な言動などから、常にゴシップでとりあげられる存在である。一方では、取材に対して饒舌でもあり、舌禍事件を起こすこともしばしばある。交友関係は非常に広く、数多くのミュージシャンのみならず、デヴィッド・ベッカムをはじめとするサッカー選手などとも親交がある。また、クラブチームを保有していた時期がある」



エルトン・ジョンの奇抜なステージ衣装は「ショーマン」というよりも「道化師」を感じさせます。わたしも、学生時代には、彼のことを「頭は薄いし、腹は出てるし、衣装はメチャクチャだし、どうしようもなくダサいオッサンだなあ」と思っていました。しかし、彼の歌声だけは素晴らしいとも思いました。その歌声を主演俳優であるタロン・エジャトンが見事に再現したのですから、大したものです。

 

タロン・エジャトンは、「キングスマン」第二弾「ゴールデン・サークル」でエルトン本人と共演して信頼を獲得していましたし、アニメ映画「SING シング」でもゴリラのジョニー役でエルトン・ナンバーを歌っていましたが、ここまでエルトンのナンバーを歌い上げるとは驚きました。あと、スクリーンに映るエジャトンの顔と表情は、エルトンというよりも、レオナルド・ディカプリオに似ていると思いました。

 

名作映画 音楽の巨人たち 楽聖ショパン DVD10枚組 ACC-055

名作映画 音楽の巨人たち 楽聖ショパン DVD10枚組 ACC-055

 

 

かつて、「楽聖ショパン」や「楽聖ベートーヴェン」などの実在の音楽家の人生を描いた映画が流行しました。フレディ・マーキュリーエルトン・ジョンなどのロック・スターの伝記映画はその現代版かもしれませんね。異色のミュージシャン伝記映画として、ブログ「シュガーマン 奇跡に愛された男」 で紹介した作品があります。2012年のスウェーデン・イギリスのドキュメンタリー映画で、2013年度のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞しています。原題を“Searching for Sugar Man”といいます。1960年代後期にアメリカでデビューした歌手ロドリゲスの奇跡的な人生を描いた作品です。もう本当に「驚愕の事実」が描かれています。わたしがこれまでに観た全映画の中でもベスト3に入る超名作です!

 

これから、どういったミュージシャンの伝記映画が作られるのでしょうか。わたしは、フランク・シナトラエルヴィス・プレスリーミック・ジャガーマイケル・ジャクソン、マドンナ、スティング、ブライアン・フェリーの伝記映画が観たいですね。日本人ならば、北島三郎大瀧詠一矢沢永吉桑田佳祐といったところでしょうか。しかし、最も映画化してほしいミュージシャンといえば、やはり、ザ・ビートルズです。世界の音楽史に燦然と輝くジョン・レノンポール・マッカートニージョージ・ハリスンリンゴ・スターの4人の物語を観てみたい!

 

伝記映画ではありませんが、ビートルズをテーマにした「イエスタディ」という映画が10月11日から公開されます。これは「もしも自分以外の誰もザ・ビートルズを知らない世界になってしまったとしたら!?」という、きわめてユニークな物語で、ダニー・ボイル監督の作品です。「イエスタディ」「レット・イット・ビー」「ヘイ・ジュード」といった名曲の数々を自分の作品として発表できたら、一体どうなるでしょうか? これは、じつに楽しみですね!

 

2019年8月26日 一条真也

『熱帯』

熱帯

 

 一条真也です。
24日、東京から北九州に戻りました。
『熱帯』森見登美彦著(文藝春秋)を読みました。タイトルといい、「8月に読むなら、この本!」といった感じです。ウェブ文芸誌「マトグロッソ」に掲載された小説に書き下ろしで加筆し、ハードカバーで524ページもあります。著者の作品を読むのは、処女作の『太陽の塔』以来ですが、謎に満ちた物語で面白かったです。幻の本についての話で、本好きにはたまらない内容でした。あと、カバーのデザインも素敵ですが、カバーを外した装丁のセンスが良くて気に入りました。久々に「美しい本だな」と思いました。

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カバーを外した装丁がオシャレ

 

著者は1979年奈良県生まれ。京都大学農学部卒、同大学院農学研究科修士課程修了。2003年「太陽の塔」で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で第20回山本周五郎賞受賞。10年『ペンギン・ハイウェイ』で第31回日本SF大賞受賞。

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本書の帯

 

帯には「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」「幻の本をめぐる、大いなる追跡が始まった!」「謎を追い、謎に追われて、大航海!」と書かれています。また、カバー前そでには、「あらゆることが『熱帯』に関係している。この世界のすべてが伏線なんです」とあります。 

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「沈黙読書会で見かけた『熱帯』は、なんとも奇妙な本だった!謎の解明に勤しむ『学団』に、神出鬼没の古本屋台『暴夜(アラビヤ)書房』、鍵を握る飴色のカードボックスと、『部屋の中の部屋』・・・・・・。東京の片隅で始まった冒険は京都を駆け抜け、満州の夜を潜り、数多の語り手の魂を乗り継いで、いざ謎の源流へ――!」「我ながら呆れるような怪作である――森見登美彦」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

第一章 沈黙読書会

第二章 学団の男

第三章 満月の魔女

第四章 不可視の群島

第五章 『熱帯』の誕生

「後記」

 

第一章「沈黙読書会」には、著者が学生時代を京都で過ごしたこと、北白川にあった四畳半アパートの一室は壁一面が本棚になっていて、著者は新刊書店や古書店をめぐって、コツコツと本を買い揃えていったことなどが紹介され、本好きには涙なくして読めないような以下の文章が書かれています。
「本棚というものは、自分が読んだ本、読んでいる本、近いうちに読む本、いつの日か読む本、いつの日か読めるようになることを信じたい本、いつの日か読めるようになるなら『我が人生に悔いなし』といえる本・・・・・・そういった本の集合体であって、そこには過去と未来、夢と希望、ささやかな見栄が混じり合っている。そいう意味で、あの四畳半の真ん中に座っていると、自分の心の内部に座っているかのようだった」
わたしは、本棚について書かれた文章で、これほど心の琴線に触れるものを他に知りません。

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わたしが愛読する『アラビアン・ナイト』 

 

さて、本書『熱帯』には、やたらと『千一夜物語』が登場します。というよりも、『熱帯』という物語そのものが『千一夜物語』へのオマージュ的作品となっています。『千一夜物語』は『アラビアン・ナイト』とも呼ばれますが、わたしの少年時代の大の愛読書で、現在でも時折、福音館書店の古典童話シリーズ本を読んでいます。また、ブログ「アラジン」にも書いたように、わたしはイスラームの物語である『アラビアン・ナイト』をキリスト教国を含めた世界中の子どもたちが読むことは異文化理解、そして世界平和につながると考えています。

 

 

しかしながら、本書『熱帯』にはこうも書かれています。
「いわゆるアラビアン・ナイトとして人気のある『シンドバッド』『アラジン』『アリババ』は、いずれも本来は『千一夜物語』に含まれていない。それらは17世紀以降、『千夜一夜物語』が西洋に紹介されていく過程で紛れ込んでしまった物語なのである。『シンドバッド』はもともと別の写本であったし、『アラジン』と『アリババ』にいたっては、元になった写本さえ見つからず、『孤児の物語』と呼ばれている。現在我々が『千夜一夜物語』だと思っているものは、そういった出自のよく分からない物語を飲みこんで膨張してきたものなのだ――」

 

千夜一夜物語(全11巻セット)―バートン版 (ちくま文庫)

千夜一夜物語(全11巻セット)―バートン版 (ちくま文庫)

 

 

また、『千一夜物語』には原典のアラビア語から翻訳されたものや、バートン版という英語から重訳されたもの、あるいはマルドリュス版やガラン版とうフランス語から重訳されたものまで存在します。日本語に翻訳された『千一夜物語』だけでも多種多様で、さながら『千一夜物語』をめぐる迷宮あるいは小宇宙が形成されているかのようです。本書の第三章「満月の魔女」には、ある人物の実家を訪れた主人公が、その書棚に池澤夏樹マシアス・ギリの失脚』、吉田健一『書架記』、谷崎潤一郎『蓼喰う虫』などがあるのを見つけますが、それらの本のページを開くと、いずれも『千一夜物語』が取り上げられており、当該箇所には傍線が引かれていました。さらには、スティーヴンソンの『新アラビア夜話』や稲垣足穂の『一千一秒物語』などの『千一夜物語』に触発されて書かれた作品も紹介されています。このあたりも、本好きにはたまりませんね。

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『熱帯』に登場する本たち

 

わたしが福音館書店の古典童話シリーズの『アラビアン・ナイト』を愛読していると述べましたが、このシリーズにはデフォーの『ロビンソン・クルーソー』やスティーヴンソンの『宝島』やジュール・ベルヌの『海底二万海里』や『神秘の島』などの児童文学の名作も収められています。そして『熱帯』を読めば、これらの名作の雰囲気を感じることができるストーリーになっています。それらの書名や、シンドバッドやネモといった登場人物たちの名前もそのまま登場します。福音館書店の古典童話シリーズは我が家の子供部屋の書棚の一番目立つ場所に置いてあるので、長女や次女も読んでいるはずだと思います。その意味で、『熱帯』を読みながら、懐かしい思いがしました。

 

『熱帯』そのものは最後の最後で伏線を回収しているにしろ、500ページ以上というのは中弛みするというか、ちょっと長すぎる感は否めません。むしろ、ストーリーそのものよりも作品中に登場する佐山尚一という人物が書いたという『熱帯』という謎の本についての描写が興味深かったです。なにしろ、その本は読了する前に忽然と姿を消すために、未だかつて誰も最後まで読んだ人間がいないという奇書中の奇書なのです。最後まで読んだ人間がいない理由の推測もいくつか書かれていますが、これがまた面白い。

 

たとえば、「沈黙読書会」の中津川という青年は『熱帯』の書物には毒が仕掛けてあり、それを指を舐めながら読んだ人物は精神に異常をきたしてしまうという説を披露します。また、新城という青年はこう語ります。
「べつにそれは物質的な毒でなくともいいと思うんですよ。僕の専攻は言語学だけど、言語そのものというよりも、言語が人間に与える影響に興味があって、これまでに催眠や自己暗示についてもいろいろと調べてきた。それで思いついたんだ。『熱帯』にはいわば言語的な毒物が仕込まれていたというのはそうだろう」

 

さらに、新城青年は次のように推理を語ります。
「たとえば我々が一冊の書物、小説にしても宗教書にしても思想書にしても、なんでも夢中で読むとき、その書物に書かれている言葉によって、我々はある種の『暗示』をかけられている。書物はあくまで言語的な構築物で現実そのものではないでしょう。しかしその暗示によって我々の世界観は変化してしまうわけです。もしここに極めて特殊な暗示を誘発するように組み立てられた文章があって、それを読んだ人間をコントロールできるとすれば・・・・・・」

 

これは奇抜な仮説のように思えますが、考えてみれば、『聖書』や『コーラン』や『資本論』なども、言語による暗示で読者の精神をコントロールしているとも言えます。さらに新城青年は「僕らは『熱帯』を読んでいる間に佐山尚一のしかけた暗示にかかった。読んでいる途中で『熱帯』を紛失したのは、暗示にしたがって自分で処分したからなんです。そして自分の行為そのものを忘れてしまった。すべてはプログラムの結果なんです」と語るのですが、いやあ、面白いですねぇ。こんな書物があれば、わたしも読んでみたい!
昔の図書館にあったような木製の箱に入った蔵書カード、読書カードが魔法の小道具として使われているところにもシビレましたし、小学生時代の夏休みに麦茶を飲みながら夢中になって児童文学を読み耽ったときのような読書の歓びが甦ってくるような本でした。

 

熱帯

熱帯

 

 

 2019年8月25日 一条真也

『グリーフケアの時代』

一条真也です。
東京に来ています。23日、わたしが監査役を務める互助会保証株式会社の株主総会、取締役会、監査役会、役員意見交換会に出席。この日の朝、『グリーフケアの時代』(弘文堂)の見本を受け取りました。「『喪失の悲しみ』に寄り添う」というサブタイトルがついています。上智大学グリーフケア研究所の所長の島薗進氏、同研究所の副所長で特任教授の鎌田東二氏、そして同研究所の客員教授である佐久間庸和の3人の共著です。

f:id:shins2m:20190817095753j:plainグリーフケアの時代』(弘文堂)

 

佐久間庸和とは、わたしの本名です。島薗氏は東京大学名誉教授、鎌田氏は京都大学名誉教授でもあり、ともに日本の宗教学の世界のツートップです。このお二方と小生の名前が並ぶなんて、信じられない思いです。本書は98冊目の「一条本」であり、本名では4冊目の著書となります。

本書の帯

 

本書の帯には、「癒やしを求める人のために いまできる、すべてのこと」と大書され、続けて「大切な人を失った人たちと、その悲しみを癒やしたいと願う人たちに捧げる、日本で最初のグリーフケア研究所による鎮魂のためのテキストブック」と書かれています。

本書の帯の裏

 

アマゾンには、以下のように書かれています。
上智大学グリーフケア研究所は、グリーフ(死別による悲嘆)を抱える方のケアについての研究と、グリーフケア、スピリチュアルケアに携わる人材の養成を目的として設立されました。『臨床傾聴士』『スピリチュアルケア師』等の資格取得のための専門課程の他、一般向けの公開講座にも力を入れています。本書は学問としてのグリーフケアの要点をまとめた入門書として、大切な人を亡くしたご本人はもちろん、宗教家や支援職の方々にも資する内容となっています」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「まえがき」島薗進

第1章 日本人の死生観とグリーフケアの時代(島薗進

一 ふるさとが蘇る?

グリーフケア」の語が身近になる過程
絆の回復と故郷
いのちの源としての「故郷」
古くなった「故郷」
復活した(?)「故郷」
妣が国へ 常世

二 「喪の仕事」と宗教文化

フロイトのグリーフ論
喪の仕事
対象喪失」と愛のゆくえ
喪の文化がまだ健在だった頃
悲しみを分かち合う儀礼の後退

三 ともに唱歌・童謡を歌う国民だった頃

赤とんぼと童謡
野口雨情と悲しい歌
故郷から遠くへ去った子供
「大衆のナショナリズム」の底上げ
悲しみを共有・分有することの困難

四 悲嘆を分かち合うことが困難になる

悲しみをともにするという感覚
死者のためにともに泣く生者たち
戦死した若い軍人・兵士の追悼の困難
悲嘆を分かち合うことの困難をどう超えていくか

五 寄り集い悲嘆を分かち合う

「ちいさな風の会」から「Withゆう」へ
「生と死を考える会」の中のグリーフケア
事故や事件の被害者とグリーフケア
日航機墜落事故と8・12連絡会
一人ひとりの悲しみがつながっていく

六 グリーフケアと日本人の死生観の更新

御巣鷹山に登り、死者と会う
悲しみをわかち合う新しい社会の在り方
水俣病と「本願の会」
本願の会と罪・魂・祈り
せめて魂の救われるよう共に祈り続けたい
悲嘆の分かち合いの新たな広がり
伝統的な宗教性や死生観の蘇生

第2章 人は何によって生きるのか(鎌田東二

はじめに

一 予期せぬ痛みと「ヨブ記」の問い

モーセの言葉 
三つの問いと六つの命題 
何を支えに生きるのか 
不条理な苦しみや痛み 
さらなる三つの命題

二 心の不可思議~仏教の心観

神を放棄 
嘘というケア 
「心」の処方 
「怨み」の捨て方 
最澄空海

三 心の清明――神道の心観

異世界接続法と現実直視法 
古事記』というテキスト 
古事記』の光と闇 
変貌するスサノヲ

四 二種類の死生観
  ~本居宣長平田篤胤の安心論

国学者たちの希望 
「死」も曖昧さでとらえる 
徹底的に探究した平田 
身の丈に合った死生観

五 現代人の死生観探究

マインドフルネス瞑想とは 
「臨床宗教師」とは何か 
「G.R.A.C.E.」とは何か 
死の受容

おわりに

第3章 グリーフケア・サポートの実践(佐久間庸和

はじめに――グリーフケアとの出合い

悲嘆の原因とプロセス

●ケース1 ケアとしての葬儀の取り組み

葬儀をあげる意味

●ケース2 ケアとして遺族会の役割

「うさぎの会」という自助グループ
グリーフケア・サポートの目指すもの

●ケース3 ケアとしての「笑い」

●ケース4 ケアとしての「読書」

物語から学ぶ死の真実
涙は人間がつくるいちばん小さな海
ハートフル・ファンタジー
五つの物語からのメッセージ

●ケース5 ケアとしての「映画」

臨死体験としての映画鑑賞
幽霊映画とグリーフケア

「あとがき」鎌田東二

 

 

「まえがき」の冒頭を、島薗氏はこう書きだしています。
「大切な人の死によって、からだの一部をもぎとられたような衝撃を受けたり、心に大きな空白ができてしまったように感じ途方に暮れたといった経験をした人は多い。死別による悲嘆ということであれば、ある年齢以上の人なら見に覚えのあるのがふつうかもしれない。親やきょうだい(さらには、祖父母、おじおば、いとこ)との死別はごくふつうのことだが、逆に子どもの死に立ち会うのは辛い。親やきょうだいが死んだ子どもの辛さは代弁するのも困難だろう」

 

続いて、島薗氏は以下のように述べています。
「こうした喪失による重い悲しみを、グリーフとか悲嘆とよぶ。すぐに思い浮かぶのは、近しい他者との死別だが、生き別れ、大切な仕事や生活の場の喪失、誇りや生きがいの喪失など、悲嘆をもたらす喪失の原因はいろいろある。そして、悲嘆を抱えながらも、新たな生活の形へと向かっていける人もあるが、なかなかそれができない人もいる。また、悲嘆を人と分かち合うことができないために、胸がふさがれて苦しんでいる人もいる」

 

「まえがき」の最後では、島薗氏はこう述べています。
「本書は『グリーフケアの時代』である現代を見つめるとともに、人類文化の歴史のなかで『悲嘆を分かち合う文化』、『グリーフケアの文化』を見直そうとするものだ。著者の三人は、人類文化史のなかで『グリーフケアの文化』を捉えるという問題意識を共有し、ともに語り合うことが多い。映画はとくに盛り上がる話題だが、また、世界の宗教文化や儀礼文化の歴史について論じ合い、日本の宗教文化、儀礼文化の未来についても語り合う仲である。本書ではその三人が、それぞれの立場から文化史のなかの『グリーフケアの時代』を問おうとしている。文化史的な視点からの『グリーフケア入門』といってもよいだろう。どこから読み始めていただいてもかまわない。そして、読者各位が自らの悲嘆を捉えなおす糸口を見出していただければ幸いである」

 

第3章「グリーフケア・サポートの実践」の「はじめに――グリーフケアとの出合い」を、わたしは次のように書きだしています。
「筆者は冠婚葬祭互助会を生業にしている。長年にわたって多くの葬儀をお手伝いしてきたが、愛する人を亡くしたばかりの方々に接する仕事は、けっしてビジネスライクな感情だけで済まされるものではなく、いつも魂を揺さぶられる思いを味わう。なぜなら、死による別れは誰にとっても一生に一度のつらい経験だからである。その直後のご遺族をサポートさせていただく中で、筆者は数多くの悲嘆を目撃してきた。食事も喉を通らず、まどろむことさえできず、日夜ひたすら亡くなった方のことばかり考え、葬儀が終わるまでご遺体のそばから離れようとしないご遺族、涙が枯れ、喉が嗄れてもなお、体の奥からわき上がる嗚咽を止められないご遺族――目の前にそのような方たちがいれば、なんとか支えたい、励ましてさしあげたいと願うのは、人間にとってとても自然な感情であることを筆者はつねづね実感している」

 

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

 

 

続いて、わたしは以下のように述べています
「悲嘆の中にいるご遺族に、何かしら心のケアをできないだろうかーーそう考えていたところ、20世紀が終わる頃に『グリーフケア』という言葉に出合った。愛する人を亡くした悲しみ(グリーフ)をケアする、これこそが自分たちにできる最高のサービスかもしれない、と直感したのである。しかしながら、冠婚葬祭互助会や葬儀社に代表される葬祭業によるグリーフケアの活動に対しては、営利目的の営業活動としてとらえられるおそれがあるのも事実である。そこで本章では、葬祭業としてグリーフケアのサポート活動に取り組むことの難しさと、わたしたちが現在実践している試みについて取り上げてみたい」

 

「悲嘆の原因とプロセス」のケース1「ケアとしての葬儀の取り組み」では、「葬儀をあげる意味」について書きました。葬儀という文化装置がいかにグリーフケアという側面で構築されてきたかを知ることができるかを強調しました。当然のことながら古今東西、人間は死に続けてきました。しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていくのです。 

 

親しい人間が死去する。その人が消えていくことにより、愛する人を失った遺族の心は不安定に揺れ動きます。残された人は、大きな不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。つねに不安定に「ころころ」と動くことから「こころ」という語が生まれたという説も「こころ」が動揺していて矛盾を抱えているとき、この「こころ」に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。

 

儀式論

儀式論

 

 

もう1つ、葬儀には、いったん儀式の力で時間と空間を断ち切ってリセットし、そこから新たに時間と空間を創造して生きていくという意味づけもできます。もし、愛する人を亡くした人が葬儀をしなかったらどうなるか。そのまま何食わぬ顔で次の日から生活しようとしても、喪失で歪んでしまった時間と空間を再創造することができず、「こころ」が悲鳴を上げてしまうのではないでしょうか。

 

さらに、回忌などの一連の法要も同様の文化装置です。故人を偲び、冥福を祈るとともに、故人に対して、「あなたは亡くなったのですよ」と現状を伝達することで現実を受け入れ、定期的に主宰することで遺族の心にぽっかりと空いた穴を埋める役割もあります。近年はこうした儀式を形式的だと軽んじる傾向もありますが、動揺や不安を抱え込んでいる「こころ」には「かたち」を与えることが大事なのです。儀式とは、定型であり、伝統であるからこそ、人を再生する力があるのです。

 

さらに細かくみていくと、葬儀には、主に五つの役割があるとされています。それは、①社会への対応、②遺体への対応、③霊魂への対応、④悲しみへの対応、⑤さまざまな感情への対応です。①については、ヒトは社会の中で生きており、会社や友人などいろいろな関係性や縁をもっている。葬儀には、社会に対してきちんとその死を示し、社会はその死について対応するという役割があります。②については、人が亡くなると、物理的にその遺体への対応を行わなければなりません。故人の尊厳を守り、遺体を火葬や埋葬するための過程の行動としての役割があります。

 

③については、ヒトは死によってその存在がなくなるのではなく、実在した「この世」から霊魂となって「あの世」に行くという、遺された人との間に新たな関係性を作り出す宗教的儀式としての役割があります。④については、最愛の人の死は深い悲しみをもたらし、人によっては受け入れるのに長い時間を要する場合もあります。ほとんどの宗教において、葬儀は人の心に沿って段階的(枕経から葬儀、初七日から四十九日に至る法要など)に行われ、人が受け入れやすいように長い年月をかけ形作られています。また葬儀には、悲しみを避けることなく悲しみに正面から向かい、しっかり悲しむ時間を創出する役割もあります。

 

⑤については、人には人それぞれにさまざまな感情があります。例えば、歴史的に人の死は祟りなどに対する恐怖心や、故人に対しての過去からの憎悪や嫌悪感など、葬儀にはこのようなさまざまな人の感情をきちんと弔うことで和らげる役割もあります。さまざまな感情には「怒り」や「恐れ」などがあります。具体的には、「どうして自分を残して死んでしまったのだ」という怒り、あるいは葬儀をきちんと行わないと「死者から祟られるのではないか」という恐れなどです。

 

しかし、残された人々のほとんどが抱く感情とは「怒り」でも「恐れ」でもなく、やはり「悲しみ」でしょう。「悲しみへの対応」とは、遺族に代表される生者のためのものだといえます。遺された人々の深い悲しみや愛惜の念を、どのように癒していくかという対応方法のことです。通夜、葬儀、告別式、その後の法要などの一連の行事が、遺族に「あきらめ」と「決別」をもたらしてくれます。葬儀とは物語の力によって、遺された人々の悲しみを癒す文化装置です。たとえば、日本の葬儀の9割以上を占める仏式葬儀は、「成仏」という物語に支えられてきました。葬儀の癒しとは、物語の癒しなのである。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

 

 

筆者は、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。ある人の愛する人が亡くなるということは、その人の住む世界の一部が欠けるということにつながります。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、必ず精神の崩壊を招きます。不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻す営みにほかなりません。葬儀によって「こころ」に「けじめ」をつけるとは、壊れた世界を修繕するということである。だから、筆者は、幣社の葬祭スタッフにいつも、「あなたたちは、こころの大工さんですよ」と言っています。

 

また、葬儀は接着剤の役目も果たします。愛する人を亡くした直後、遺された人々の悲しみに満ちた「こころ」は、バラバラになりかけます。それを1つにつなぎとめ、結び合わせる力が葬儀にはあります。多くの人は、愛する人を亡くした悲しみのあまり、自分の「こころ」のうちに引きこもろうとします。誰にも会いたくない。何もしたくないし、一言もしゃべりたくない。ただ、ひたすら泣いていたいのです。しかし、そのまま数日が経過すれば、いったいどうなるでしょうか。遺された人は、本当に人前に出られなくなってしまいます。誰とも会えなくなってしまうのではないでしょうか。葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出す。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張り出すのです。葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、お礼の言葉を述べなければなりません。それが遺された人を「この世」に引き戻す大きな力となっているのです。

 

ミッショナリー・カンパニー

ミッショナリー・カンパニー

 

  

ケース2「ケアとして遺族会の役割」では、わたしが経営する冠婚葬祭互助会であるサンレーがサポートする「月あかりの会」や「うさぎの会」などの自助グループの内容と活動について詳しく紹介し、グリーフケア・サポートの目指すものについて述べました。また、ケース3「ケアとしての『笑い』」では、サンレーグリーフケア・サポートおよび隣人交流サポートでは、毎月、漫談家を招いて「笑いの会」を開き、半年に一度は落語家を招いて大規模なイベントを開催していることを紹介しました。笑いこそは、自死孤独死を防ぐ最大の力を持つと考えているからです。「笑う門には福来たる」という言葉があるように、「笑い」は「幸福」に通じます。笑いとは一種の気の転換技術であり、笑うことによって陰気を陽気に、弱気を強気に、そして絶望を希望に変えることができるのです。

 

死が怖くなくなる読書:「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド

死が怖くなくなる読書:「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド

 

 

ケース4「ケアとしての『読書』」では、読書について述べました。グリーフケアの目的として、一般的には「死別の悲嘆の回復」が挙げられますが、それに加えて、「自らの死の不安を軽減する」こともあるとされています。そこで、重要となるのが読書です。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる本、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれるのが本です。なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。本書では、その不条理を受け容れて、心のバランスを保つための本を具体的に紹介しています。

 

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

 

 

ケース5「ケアとしての『映画鑑賞』」では、映画の本質について述べました。わたしは、映画をはじめとした動画撮影技術が生まれた根源には、人間の「不死への憧れ」があると思っています。わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があるとの仮説を持っていますが、映画そのものこそは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると考えています。そして、映画館という人工洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思えます。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからであす。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかなりません。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。本書では、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などを具体的に紹介しました。

 

「あとがき」では、鎌田東二氏が長い教師生活の中で、さまざまな悲嘆現場に遭遇し、生徒や学生や保護者や教員の悲嘆の現場を垣間見てきたことを告白し、さらに「そうした過程で、40年以上島薗進氏とは深い交わりを持ち、佐久間庸和氏とは30年近く兄弟のような付き合いをしてきたが、私にとって兄弟とも同志とも同朋とも言える同僚と共著で『グリーフケアの時代』という書名の本を出すことができることを、何とも言えない不思議な僥倖のような、宿命のような、ただならぬ因縁というものを感じている」と書いています。

 

講座スピリチュアル学 第1巻 スピリチュアルケア (地球人選書 講座スピリチュアル学)

講座スピリチュアル学 第1巻 スピリチュアルケア (地球人選書 講座スピリチュアル学)

 

 

 そして、鎌田氏は「グリーフケア(Grief Care)とは、さまざまな種類の喪失などによる悲嘆(グリーフ,Grief)に向き合い寄り添うケアのことで、広義のスピリチュアルケア(Spiritual Care)の一つである」と指摘した上で、次のように述べるのでした。
「私はスピリチュアルケアを「嘘をつけない自分や他者と向き合い、対話的な関係を結び開いていく試みとその過程」と捉え、『スピリチュアリティ(Spirituality)』を、嘘のつけない、ごまかしのきかない、心の深みや魂の領域とはたらきだと考えてきたが、この領域は実に具体的でデリケートで簡単に割り切ることができないが、リアルかつ切実に迫ってくる。その、まことに難しく、しかし重要なケアの領域にしっかと連携しつつ三人三様のアプローチで問題提起したのが本書である。本書がこの時代の『グリーフ』の理解とケアに少しでも役立つところがあれば幸いである。関係各位に心から感謝の意を表したい」

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島薗進鎌田東二の両氏と

 

わたしは、島薗進氏と鎌田東二の両氏は、日本のグリーフケア研究の世界において、心理学におけるフロイトユングであり、日本民俗学における柳田國男折口信夫のような二大巨頭であると思っています。そんな2人の偉大な師を前にして、わたしはアドラーや渋澤敬三を目指す気概で本書の3分の1を書きました。葬祭業界や互助会業界の方々にも参考になるように意識して書きました。本書が日本のグリーフケアの夜明けにあることを願っています。『グリーフケアの時代』は8月27日発売です。どうぞ、ご一読下さい。そして、一緒に、グリーフケアの時代を拓きましょう!

 

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う
 

 

2019年8月24日 一条真也拝