『怪異古生物考』 

怪異古生物考 (生物ミステリー)

 

一条真也です。
『怪異古生物考』土屋健=著、荻野慎諧=監修、久正人=イラスト(技術評論社)を読みました。世界各地に残る「怪異」、具体的には幻獣や妖怪の正体を解明してゆくスリリングな知的興奮の書でした。著者はオフィス ジオパレオント代表で、サイエンスライターです。埼玉県生まれ。金沢大学大学院自然科学研究科で修士号を取得(専門は地質学、古生物学)。その後、科学雑誌「Newton」の編集記者、部長代理を経て独立し、現職。地質学、古生物学をテーマとした雑誌等への寄稿、著作多数。

本書の帯

 

バー表紙には一つ目の神・キュクロプスが巨大な頭蓋骨を持ったイラストが描かれ、帯には「『架空』であるはずの『竜』や『天狗』の骨が、むかしはどこでもみつかった。『無知』や『迷信』のせいじゃない。そこにはすごい叡智があったのだ。化物と実在の証拠をつなぐ『新化け物学』、誕生!」「荒俣宏氏推薦!」と書かれています。
本書の帯の裏

 

また、帯の裏には以下のように書かれています。
「『怪異』って、想像の産物じゃない? 怪異は、何でもかんでも“架空”というわけではない。モデルとなった『何か』が存在し、その記憶が『怪異』として残っている。科学的考察のもと、『怪異』と『正体』が結びついていく。あの『怪異』の正体って、コレだったの!?」

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「世界各地に残る、さまざまな伝承や伝説、物語。そうした伝承・伝説・物語には、『怪異』がよく登場します。西洋世界だとユニコーングリフォン、アラブ世界だとルフ、東洋の龍、日本のぬえ、天狗などが有名どころです。こうした怪異、単なる“架空の産物"と思っていませんか? 実は、怪異は、何でもかんでも架空というわけではありません。モデルとなった『何か』が存在することがけっこうあります。遠い遠い昔、人々が出会った『何か』が、長い年月をかけて『怪異』に変化して伝説や物語に残っているのです。本書は、古今東西の有名怪異9体に着目。プロの学者が繰り広げる科学的考察をもとに、その『正体』に迫ります。昔の人は、一体何に出会って、その怪異を生み出したのでしょうか?」

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本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」

1章 ユニコーン

2章 グリフォン

3章 ルフ

4章 キュクロプス

5章 龍

6章 ぬえ

7章 天狗

8章 八岐大蛇

9章 鬼~終章のかわりに

 「索引」 

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「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「世界各地には、さまざまな伝承や伝説、物語があります。そして、そうした伝承、物語を彩る存在が『怪異』です。よく知られる怪異といえば、たとえば、西洋世界のユニコーングリフォン、アラブ世界のルフ、東洋では龍、日本ではぬえ、天狗などを挙げることができるでしょう。こうした怪異は、各地の文化になじみ、時には国旗に使われたり、権力の象徴とされたり、あるいは、創作物において重要な役割を果たしたりします」

 

「化石」を研究する「古生物学」は、怪異と実に親和性が高いとして、次のように述べられます。
「怪異が生まれるにあたり、『化石をモデルとしたのではないか』という例はいくつもあります。化石が化石として、つまり、過去の生物の遺骸として科学的に正しく認識されるようになったのは、そう遠い昔の話ではありません。化石が化石として認識されるまでは、人々は化石からさまざまなものを想像して、怪異を創造していたのではないか、とみられています。あるいは、すでに創造されていた怪異と化石を関連づけていた、という場合もあったようです」

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ユニコーンの正体はイッカク? 

 

最初に登場するのは、一角獣の「ユニコーン」です。「ユニコーンの正体とされた海棲哺乳類」として、著者は以下のように述べています。「ユニコーンのツノについては、メガステネスが『螺旋状痕がある』と報告している。この記述が詐欺師たちにとって、格好の材料となった。すなわち、螺旋状痕のある長いツノがあれば、それを『ユニコーンのツノ』として、売り込むことが可能だったのだ。白羽の矢が立ったのは、イッカクである。イッカクは北緯60度よりも北野大西洋海域に暮らすハクジラの仲間だ。学名は『モノドン・モノケロス(Monodon monoceros)』。『イッカク(一角)』の名が示すように、長いツノのようなつくりを1本持つ。しかし、実際にはこれはツノではなく、発達した牙である」

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プロトケラトプスの埋没姿勢

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グリフォンの埋没姿勢

 

続いて登場する「グリフォン」はワシの前半身とライオンの後半身を持つ怪異ですが、この正体は恐竜プロトケラトプスであるといいます。プロトケラトプスの地中に埋没した化石を後世の人々が発見して、グリフォンのような怪異を想像したというのです。
アラブ世界で知られる巨大な猛禽類「ルフ」は「ロック鳥」とも呼ばれますが、その正体の最有力候補はエピオルニスという飛べない鳥だそうです。あと、ティラノティタン、スピノサウルス、カルカロドントサウルスといった恐竜の化石もルフをイメージさせます。 

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 キュクロプスの正体はケナガマンモス?

 

ギリシャ神話」にも登場する一つ眼の神「キュクロプス」は、ケナガマンモスなどのゾウ類の頭骨から想像された可能性が高いといいます。東洋を代表する怪異である「龍」は、蛇やワニがモデルという考えもありますが、トウヨウゾウ、コウガゾウ、ミエゾウ、アケボノゾウなどのかつて日本にいたステゴドン属の牙の骨、あるいはヤベオオツノジカという古代鹿のツノの骨が「龍骨」とされて、龍のイメージが出来上がっていったと考えられるそうです。同様に、西洋のドラゴンの骨はホラアナグマ、シバテリウムやジラフォケリックスなどのキリン類、さらには古代の海の大トカゲであるモササウルスの骨から想像された可能性が高いといいます。

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鵺(ぬえ)

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レッサーパンダ 

 

「鵺(ぬえ)」といえば、頭は猿、背は虎、尾は狐、手足は狸とされ、平安の都を騒がせた日本の怪異です。本書の監修者である古生物学者の荻野慎諧氏は、その正体を実在の動物を考えます。その動物とは、ずばり、レッサーパンダ。学名は「アイルルス・フルゲンス」といいます。本書には以下のように書かれています。
「ぬえにおいては『頭』『背』『足』『尾』と部位によって描写が分かれているが、アイルルス・フルゲンスも、『頭』『背』『足』『尾』で毛色が異なるという特徴がある。頭が猿に見えるかどうかは別にしても、吻部が短いという点では、似ているといえなくもない。背はトラ、足はタヌキ、尾はキツネという表現は、許容の範囲内にあるように思える。レッサーパンダという動物を知らなかった人々にとっては、レッサーパンダは『大猫』とも『大狸』ともいえないような特徴を持っているように見えたとしても不思議はない。加えて鳴き声も妙であるということであれば、既知の動物の特徴を引用しつつ、見たままを記載するしかなかったのだろう」

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烏天狗の正体はイシイルカ? 

 

1770年、平賀源内は「風来山人」のペンネームで『天狗髑髏鑑定縁起』を発表し、天狗の髑髏(頭骨)の実在を公表しました。しかし、著者はその正体はイシイルカの頭骨であるとして、以下のように述べています。
「平賀は『イルカの頭骨を知らなかった』のではないだろうか。仮に、現在の東京湾でも比較的見ることのできるスナメリを江戸中期に見ることができたとしても、スナメリの吻部はほとんど突出しておらず、スナメリの頭部と天狗髑髏を関連づけるのは難しい。知らないからこそ、推理を働かせ、自分の知る怪異と結びつける。これは、本書で紹介している他の多くの怪異と通ずる点だ。こうした事態は、現生種の骨よりも、化石の方が発生しやすい。すなわち、イルカを知らず、その頭骨化石を見つけて、それをもとに天狗髑髏を論じていたのではないだろうか」

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八岐大蛇の正体は火山噴火の溶岩?

 

「天狗髑髏」の正体がイシイルカの頭骨なら、「天狗の爪」の正体は古代の巨大ザメであるメガロドンの歯化石でした。そして日本神話である『古事記』に登場する「八岐大蛇(やまたのおろち)」の正体は、物理学者で随筆家の寺田寅彦が噴火した火山を下る溶岩ではないかと述べています。三瓶山か白山か新潟焼山か、いずれにしろ火山噴火に由来する怪異が八岐大蛇であるというのです。
そして、本書の最後に登場するのは「鬼」です。「鬼」という怪異の中で気になるのはツノであると、監修者の荻野氏は述べます。鬼には左右の眼窩の上に2つのツノがありますが、これに相当するのは中型の肉食恐竜であるカルノタウルスだといいます。しかし、このカルノタウルスの化石の産出地はアルゼンチンであり、日本の怪異の正体とするのはちょっと無理があるかも・・・・・・。 

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鬼の正体は カルノタウルス?

 

荻野氏は、「検証の終わりに」で以下のように述べています。
「古い文献というのは、当時の知識層が書き記したものです。もちろん荒唐無稽なものも多いのですが、真面目に現象を観察して記載した学術的価値のあるものも少なくない。私はそう思っています。1000年謎だった生き物を放っておかず、見直してみる。たとえば、道路を作ったり田畑を開墾したり、昔の生活の中でも化石に出会う機会は少なかったと思います。山奥の土地が1000万年前まで海だった、といって誰でも理解できるようになるのは現代になってからのことです。このような前提であらためて考えてみると、わからないなりに記載されたものの由来は、おのおのの時代の知識に依存していることになります」

 

古生物学者、妖怪を掘る―鵺の正体、鬼の真実 (NHK出版新書 556)

古生物学者、妖怪を掘る―鵺の正体、鬼の真実 (NHK出版新書 556)

 

 

続けて、荻野氏は、本書で怪異古生物考という壮大な「不思議」と「科学」が合体した考察について、以下のように述べるのでした。
「いま語り継がれている『不思議』は、ロマンを感じることも大事ですが、科学的な研究をはじめるスタート地点でもあると思っています。その視線が注がれる先に巨大な怪獣が見えていても、正体の定かでない幽霊が見えていても、記録の方法は時代を通じて変わらない『描写』が見られます。目撃譚が真摯に記されたものであれば、後の世に検証することができます。今回あつかった文献の著者をはじめ、孜々営々と記録を残し続けてくださった多くの先達に、この場を借りてあらためて敬意と感謝を表したいと思います」
荻野氏は監修書である本書が刊行された直後に、自身初の単著となる『古生物学者、妖怪を掘る』(NHK出版新書)を上梓しています。「新化け物学」の時代が拓けることを大いに期待しています。

 

怪異古生物考 (生物ミステリー)

怪異古生物考 (生物ミステリー)

 

 

 2018年10月21日 一条真也

『UMA事件クロニクル』

UMA事件クロニクル

 

一条真也です。
『UMA事件クロニクル』ASIOS著(彩図社)を読みました。
「この一冊でUMAの謎と歴史が分かる!」というふれこみの本です。ASIOSとは、2007年に日本で設立された超常現象などを懐疑的に調査していく団体で、名称は「Association for Skeptical Investigation of Supernatural」(超常現象の懐疑的調査のための会)の略です。海外の団体とも交流を持ち、英語圏への情報発信も行うそうです。メンバーは超常現象の話題が好きで、事実や真相に強い興味があり、手間をかけた懐疑的な調査を行える少数の人材によって構成されているとか。


本書の帯

 

本書のカバー表紙には人魚のミイラの写真が使われ、帯には「ネッシーツチノコ、イエティ、チュパカブラ、中国の野人、ニンゲン・・・」「説明不能未知との遭遇」「未確認生物の謎に迫る!」「『UMA人物事典』『UMA事件年表』も収録!」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「古代に絶滅したはずの恐竜、進化できなかった類人猿、見る者に恐怖を呼び起こす異形の怪物。科学が発達した現代でもUMA(未確認動物)の目撃が後を絶たない。UMAはなぜ目撃されるのか。その正体はいったいなんなのか。
『謎解き超常現象』シリーズでお馴染みのASIOSが、古今東西、UMA史に名を残す怪事件を徹底検証。ネッシーやビッグフット、雪男、河童、ツチノコスカイフィッシュといった誰もが知る有名UMAからローペン、ヨーウィ、オゴポゴ、ジャナワールといったマニアックなUMA、そしてモンキーマンやグロブスター、ニンゲンなど最新未確認動物まで44の事件を徹底調査! 豪華執筆陣によるコラムも充実。UMA研究の決定版です!」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

第一章  1930年代以前のUMA事件

河童

人魚

クラーケン

モンゴリアン・デスワーム

ジャージー・デビル

モノス

コンガマトー

ネッシー

キャディ

【コラム】マン島のしゃべるマングース

【コラム】博物館が買ったねつ造UMA

     コッホのシーサーペント

第二章  1940~60年代のUMA事件

ローペン

イエティ

エイリアン・ビッグ・キャット

ハーキンマー(スクリューのガー助)

シーサーペント

モスマン

ミネソタアイスマン

ビッグフット(パターソン-ギムリン・フィルム)

【コラム】怪獣が本当にいた時代 

第三章  1970年代のUMA事件

 ヒバゴン

ツチノコ

カバゴン

クッシー

野人(イエレン)

チャンプ

ドーバーデーモン

ニューネッシー

イッシー

【コラム】北米のレイク・モンスター

第四章  1980年代のUMA事件

モケーレ・ムベンベ

天池水怪(チャイニーズ・ネッシー

ヨーウィ

タキタロウ

リザードマン

ナミタロウ

【コラム】怪獣無法地帯 コンゴの怪獣たち

第五章  1990年代のUMA事件

オゴポコ

フライング・ヒューマノイド

スカイフィッシュ

チュパカブラ

ジャナワール

【コラム】出現する絶滅動物たち 

第六章  2000年代のUMA事件

 モンキーマン

オラン・ペンデグ

ニンゲン

グロブスター

ナウエリート

ラーガルフリョート・オルムリン

セルマ

第七章  UMA人物事典&UMA事件年表 

UMA人物事典

UMA事件年表

執筆者紹介   

 

このように本書には、年代順に主なUMAの出現や関連する事件が取り上げられ、その概要が説明され、さらにはASIOSによる正体の解明が行われています。
もちろん、懐疑的なASIOSですので、彼らが推測する内容は推して知るべしですが、なかなかの説得力がありました。UMAに関心のある人なら、資料として1冊備えておくと便利ではないでしょうか。 

 

「【はじめに】魅力溢れる未確認動物の世界」の冒頭では、ASIOS代表の本城達也氏が以下のように書いています。
ネス湖ネッシー、北米のビッグフット、ヒマラヤの雪男、海の大蛇シーサーペント。こういった怪しくも好奇心を刺激される未確認の動物たちは、日本では『UMA(Unidentified Mysterious Animal)ユーマ』と呼ばれています。世界各地の湖、森、山、海などに隠れ棲むといわれているロマンに満ちた存在です。本書を手に取られた方なら、そういったUMAに関して、検索したり、本を読んだり、テレビを見たりしたことがあるかもしれません。グーグルによると、『バッキンガム宮殿』より『ネス湖』を検索する人の方が多いといいます。21世紀になっても人々の興味が失われることはないようです」 

  

本書はUMAを扱った従来の類書とは違って、現実的な視点からも考察を加えています。著者は「夢を壊すまいとするあまり、肯定的な情報に重きを置くようなことはしていません。夢やロマンを求めるにも、時には現実的な視点からの考察も必要と考えます」と述べていますが、まったく同感です。逆に現実的な視点で考察しているうちに夢やロマンが膨らむことだってあるのではないでしょうか。世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社

 

かつて、わたしは『世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)という本を監修しました。著者は漫画家の永井豪氏でしたが、同書のプロローグ「幻獣が世界を豊かにする」で、わたしは幻獣の正体について考えてみました。ここでいう「幻獣」とは「UMA」と同じ意味です。

 

幻獣辞典 (河出文庫)

幻獣辞典 (河出文庫)

 

 

幻獣とは何か。その正体について、わたしは4つの仮説を立ててみました。第1の仮説は、幻獣とは人間の想像力が生み出した存在であるということ。人間の想像力は限りないゆえ、当然ながらそこから生まれる幻想の生きものの数も無限のはずです。かのホルへ・ルイス・ボルヘスは『幻獣辞典』の序文において、現実の動物園に対して、神話伝説の動物園に行くことを読者にすすめています。ライオンのいる動物園ではなく、スフィンクスケンタウロスのいる動物園へと誘っているのです。

  

この第2の動物園の動物数は第1のそれをはるかに上回るといいます。なぜなら、幻獣とは現実の生きものの部分を結びつけたものにほかならず、順列の可能性が無限に近いからだというのです。たしかに、ケンタウロスとは馬と人間が合体したものであり、ミノタウロスは雄牛と人間が融合したもの。その他にも、ライオンの胴にワシの頭と爪をつけたグリュプスとか、鳥とヘビを組み合わせたバシリスクとか、山羊と魚がくっついたカプリコルヌスなどという幻獣もいたらしい。いずれも、古代ギリシャ人や古代ローマ人から伝わったヨーロッパではおなじみの幻獣です。考えてみれば、あの悪魔だって、山羊の角、カメレオンの胴、コーモリの羽根などを備えています。

 

 

しかし、人類の想像力が生んだ最強最大の融合動物は、なんといっても龍でしょう。龍の角はシカ、顔はラクダ、翼はワシ、爪はタカ、手の平はトラ、そして体はワニや蛇です。神聖なものとして崇拝される動物を「トーテム」と呼びますが、龍は多くのトーテムが合体した霊獣なのです。龍というシンボルは世界的に広い適合性を持ち、異なる文明融合の橋渡しをしたようです。東洋の龍が水の精であったのに対して、西洋のドラゴンが火の精と化したことも興味深いですね。 

 

しかし、幻獣は人間の想像上の産物だけとは限りません。第2の仮説として、幻獣とは未発見の実在する生き物という考え方があります。ヨーロッパにおいて、スフィンクスケンタウロスといった架空の生きものたちは、なんと18世紀の後半まで現実の動物たちと一緒に各種の『博物誌』に登場していました。ということは、多くのヨーロッパ人たちはこれらの幻獣が現実に存在するものと考えていたのでしょう。実際に、サイなどは伝説の一角獣・ユニコーンと重ねあわせて見られたといいます。

 

東洋においては、象や麒麟などの幻獣とされてきたものが、実在のゾウ、キリンとして発見され、大騒ぎになった例もあります。
日本でも、河童を目撃したという人がたくさんいます。日本で未確認動物のことをUMAといいますが、河童こそ典型的なUMAだと考える人は多いです。
また、化け物の正体が人間であった可能性も否定しきれません。河童とは平家の落人、あるいは川辺の民、鬼は山の民、天狗は鼻が高く体の大きい西洋人など、その意外な正体説には大いに説得力があると思います。

 

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)

 

 

第3の仮説として、幻獣はこの世界ではなく異界において実在するという考え方があります。宮沢賢治の童話や詩は、その強烈な幻想性で知られています。じつは彼自身が異界を覗くことができた神秘家であった可能性が強いとされているのです。さまざまな場所で賢治が鬼神を目撃したという証言も多いです。あるときは、窓の外を指さしながら「あの森の神様はあまり良くない、村人を悩まして困る」と知人に語ったといいます。日本民俗学の父である柳田國男は、妖怪とは神の落ちぶれた姿であると述べました。驚くべきことに、賢治には「神」と「妖怪」の区別がついたようです。

 

ブレイク詩集―無心の歌、経験の歌、天国と地獄との結婚 (平凡社ライブラリー)

ブレイク詩集―無心の歌、経験の歌、天国と地獄との結婚 (平凡社ライブラリー)

 

 

また賢治は「さまざまな眼に見えまた見えない生物の種がある」と詩に書き残しています。生物には、見える生物と見えない生物の2種類があるというのです。
後者こそ幻獣でしょう。賢治だけではありません。ヨーロッパにおいても、スウェデンボルグには天使が見えましたし、ウィリアム・ブレイクには妖精が見えたといいます。賢治は地元の人々から「狐つき」などと言われ気味悪がられたこともあったようですが、どうやら神秘家たちには、異界の生物、すなわち幻獣を見る力が備わっていたようです。ということは、幻獣とは単なる想像上の生き物ではなく、異界という別の次元に実在しているのかもしれません。この宇宙は、わたしたちの住む宇宙だけではなく、多くの次元から成り立つ多次元宇宙(マルチ・ユニバース)なのだという説を連想してしまいます。

 

そして第4の仮説は、幻獣とは人間の無意識の願望が生み出したというものです。第1の想像力仮説とは違います。想像力はあくまで意識的なものですが、これは無意識のうちに幻獣を生み出すという人間の心のメカ二ズムに根ざしています。現代において最大の幻獣といえば、やはりネス湖の怪獣「ネッシー」が思い浮かびます。
ナショナル・ジオグラフィックの制作する「サイエンス・ワールド」という番組でネッシーが取り上げられたことがあります。わたしは、市販されているそのDVDを観たことがありますが、非常にショックを受け、深く考えさせられました。

 

1933年に初めて写真撮影されてから、多くの目撃証言が寄せられ、写真や映像が公開されてきたネッシー。最初の写真はトリックだったと明らかになり、その他の写真や映像もほとんどは、流木の誤認をはじめ、ボートの航跡、動物や魚の波跡などであったといいます。その正体についても、巨大ウナギやバルチックチョウザメ、あるいは無脊椎軟体生物などの仮説が生まれました。今のところ、どの説も決定打とはなっていません。

 

しかし、そんなことよりも、わたしは番組内で行なわれた1つの実験に目が釘付けになりました。それは、ネス湖に棒切れを1本放り込んで、湖に漂わせておくというものです。それから、ネス湖を訪れた観光客たちにそれを遠くから見せるのです。その結果は、驚くべきことに、じつに多くの人々が棒を指さして「ネッシーだ!」と興奮して叫んだのでした。わざわざネス湖にやって来るぐらいですから、ネッシーを見たいと願っていた人々も、その実在を信じていた人々も多かったでしょう。そして現実の結果として、彼らの目には棒切れが怪獣の頭に映ったのです。

 

人間とは、見たいもの、あるいは自分が信じるものを見てしまう生きものなのです。幻獣も興味深いですが、それを見てしまう人間のほうがずっと面白いと思いました。ネッシーを見たのと同じメカ二ズムで、かつてドラゴンや人魚や河童や天狗を見てしまった人間は多いはず。いや、幻獣だけではありません。神や聖人や奇跡など、すべての信仰の対象について当てはまることではないでしょうか。きっと、人間の心は退屈で無味乾燥な世界には耐えられないのでしょう。そんな乾いた世界に潤いを与えるために、幻獣すなわちUMAを必要とするのではないでしょうか。

 

UMA事件クロニクル

UMA事件クロニクル

 

 

2018年10月20日 一条真也

孔子講義

一条真也です。
19日の北九州は、朝から雨が降ったり止んだりで変な天気でした。いよいよ24日の法令試験が迫り、毎日勉強しています。しかしながら、「天下布礼」に休みはありません。わたしは、九州国際大学九国大、KIU)の客員教授として「教養特殊講義」を担当しています。その講義が16時20分から行われました。

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九州国際大学のキャンパスで

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野村副学長にプロフィールを紹介していただきました

 

この日は、学年を超えた受講希望者を対象に「孔子からのメッセージ」と題する講義を行いました。事前に告知していたのですが、大教室に約170名が集まり、大教室で行いました。なかなか面構えの良い学生さんたちが受講してくれました。冒頭、野村副学長によるプロフィール紹介がありました。過分なご紹介を受けて恐縮しつつ、わたしは講義を開始しました。

f:id:shins2m:20181019162800j:plainみなさん、こんにちは!

 

わたしは、パワーポイントを使って講義をしました。
何を隠そう、これまではスタッフの力を借りてパワポ講義を行っていたのですが、この日からはすべて独力でやりました。自分でパソコンを立ち上げ、USBメモリーを差し込みました。最近、LINEも始めましたし、アナログ人間のわたしだって、少しはアップデートしているのです。(笑)

f:id:shins2m:20181019163049j:plain「世界の四大聖人」について

 

まず、孔子の人物紹介や世界史的位置づけから説明しました。孔子は、紀元前551年に中国の山東省で生まれました。ブッダとほぼ同時期で、ソクラテスよりは八十数年早い誕生でした。孔子ブッダソクラテスにイエスを加えて、世界の「四大聖人」です。中国をはじめ、台湾、北朝鮮、韓国、そして日本といった東アジアの人々の「こころ」に大きな影響を与えました。

f:id:shins2m:20181019163903j:plain情熱をもって講義を行いました

 

孔子は学問に励み、政治の道を志しましたが、それなりのポストに就いたのは50歳を過ぎてからでした。試みた行政改革が失敗に終わって、「徳治主義」という自らの政治的理想を実現してくれる君主を求めて、諸国を流浪したのです。春秋戦国時代の末期であった当時は、古代中国社会の変動期でした。つねに「天」を意識して生きた孔子は、混乱した社会秩序を回復するために「礼」の必要性を痛感し、個人の社会的道徳としての「仁」が求められると考えました。多くの弟子を教えた孔子は、74歳で没します。死後、彼の言行録を弟子たちがまとめたものが『論語』です。そして、なぜ孔子を学ぶのか、その理由を説明しました。

f:id:shins2m:20181019163249j:plain孔子を学ぶ理由

 

それから現代日本に話題を移し、「無縁社会」の話をしました。年間に3万2000人が無縁死し、3万人が自殺する社会に日本がなってしまった大きな原因は、血縁と地縁が弱まったことです。そして、その結果、あらゆる人間関係が希薄化しました。わたしたちが生きる社会において、最大のキーワードは「人間関係」だと思います。

f:id:shins2m:20181019165016j:plain現代日本の問題点

 

社会とは、つまるところ人間の集まりです。そこでは「人間」よりも「人間関係」が重要な問題になってきます。そもそも「人間」という字が、人は一人では生きてゆけない存在だということを示しています。人と人との間にあるから「人間」なのです。だからこそ、人間関係の問題は一生つきまといます。わたしは、人類が生んだあらゆる人物の中で孔子をもっとも尊敬しています。孔子こそは、人間が社会の中でどう生きるかを考え抜いた最大の「人間通」であると確信しています。その孔子が開いた儒教とは、ある意味で壮大な「人間関係学」です。

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孔子について

 

孔子は「仁」「義」「礼」「智」といった人間の心にまつわるコンセプト群の偉大な編集者でした。彼の言行録である『論語』は千数百年にわたって、わたしたちの先祖に読みつがれてきました。意識するしないにかかわらず、これほど日本人の心に大きな影響を与えてきた書物は存在しません。特に江戸時代になって徳川幕府儒学を奨励するようになると、教養の中心となりました。そうして儒学は、武士階級のみならず、庶民の間にも普及したのです。

f:id:shins2m:20181019170015j:plain五倫五常について

 

江戸時代の日本において、『論語』で孔子が述べた思想をエンターテインメントとして見事に表現した小説が誕生しました。滝沢馬琴が書いた『南総里見八犬伝』です。江戸の大ベストセラーになりました。その中に登場する八犬士が持っていた玉には、それぞれ「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の文字が浮かび上がりました。この8つの文字こそ、孔子儒教思想のエッセンスとしてまとめたコンセプト群であり、わたしたち日本人が最も大切にした「人の道」のキーワードでした。

f:id:shins2m:20181019170721j:plain「義」について語りました

 

それから、わたしは、「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」について話しました。「仁」の項目では、結局は「思いやり」の心が最も大切であると言いました。「義」の項目では、正義を行うことこそ勇気であると述べました。

f:id:shins2m:20181019171433j:plain「礼」について語りました

 

わたし自身が最も重視している「礼」の項目では、孔子は高貴な人にだけでなく、障害者や高齢者などをはじめ、あらゆる人に礼を尽くしたことを述べました。そして、「礼」とは「人間尊重」であると訴えました。「智」「忠」「信」「孝」「悌」についても語りました。

f:id:shins2m:20181019172822j:plain最後は「悌」について

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大教室がいっぱいになりました

 

講義の後は、質疑応答です。さまざまな質問がありましたが、中には「一条真也というペンネームはどうしてつけたのですか?」というものもありました。わたしは梶原一騎の『柔道一直線』の主人公・一条直也から取ったのだと話しましたが、なんと、今の学生さんは梶原一騎も『柔道一直線』も知らない様子。それで、そのあたりも説明しました。(笑)

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終了後、拍手を頂戴しました

 

終了すると、教室から盛大な拍手が巻き起こって、感激しました。今日の講義が、彼らがこれから生きるうえで何かのヒントになれば嬉しいです。久しぶりに教壇に立ちましたが、いいものですね。本やコラムやブログを書くのもいいですが、やはりLIVEは最高です。来週は、ドラッカーについての講義を行います。どうか、今日の講義内容が、学生さんたちの人生を豊かにしてくれますように!

 

2018年10月19日 一条真也

 

宝在心(上杉謙信)



 

一条真也です。
今回の名言は、最強の戦国武将として知られる上杉謙信の言葉です。ブログ「上杉神社」で紹介したとおり、念願叶って敬愛してやまない上杉謙信を祀る米沢の神社へ参拝しました。ここには「上杉謙信公家訓十六ケ条」の碑があります。


上杉謙信公家訓十六ヶ条」

 

 

この「上杉謙信公家訓十六ケ条」は別名「宝在心」と呼ばれている家訓です。
「宝は心に在り」とは、まさに言い得て妙です。
家訓とは、家を守り立て存続させていくために家長が一族や子孫のために記したものです。鎌倉時代以後、武家にこうした家訓を残す習慣が生れました。江戸時代になると商家も経営の心構えとして家訓を定めるようになりました。
さて、上杉謙信は一体どのような家訓を残しているのでしょうか。
上杉謙信公家訓十六ケ条」は次のとおりです。

 

一、心に物なき時は心広く体 泰(やすらか)なり

  (物欲がなければ、心はゆったりとし、体はさわやかである)

一、心に我儘なき時は愛敬失わず

  (気ままな振舞いがなければ、愛嬌を失わない)

一、心に欲なき時は義理を行う

  (無欲であれば、正しい行い、良識な判断ができる)

一、心に私なき時は疑うことなし

  (私心がなければ他人を疑うことがない)

一、心に驕りなき時は人を教う

  (驕り高ぶる心がなければ、はじめて人を諭し教えられる)

一、心に誤りなき時は人を畏れず

  (心にやましい事がなければ、人を畏れない)

一、心に邪見なき時は人を育つる

  (間違った見方がなければ、人が従ってくる)

一、心に貪りなき時は人に諂(へつら)うことなし

  (貪欲な気持ちがなければ、おべっかを使う必要がない)

一、心に怒りなき時は言葉和らかなり

  (おだやかな心である時は、言葉遣いもやわらかである)

一、心に堪忍ある時は事を調う

  (忍耐すれば何事も成就する)

一、心に曇りなき時は心静かなり

  (心がすがすがしい時は、人に対しても穏やかである)

一、心に勇みある時は悔やむことなし

  (勇気を持っておこなえば、悔やむことはない)

一、心賤しからざる時は願い好まず

  (心が豊かであれば、無理な願い事をしない)

一、心に孝行ある時は忠節厚し

  (孝行の心があれば忠節心が深い)

一、心に自慢なき時は人の善を知り

  (うぬぼれない時は、人の長所や良さがわかる)

一、心に迷いなき時は人を咎め

  (しっかりした信念があれば、人を咎めだてしない)


「上杉家訓十六ヶ条」の前で

 

謙信が実際に書き残した古文書が残っているわけではなく、自作かどうかは不詳です。歴代藩主と家臣団によって編纂されたのかもしれません。しかし、内容は謙信の人となりを見事に表現しているのではないでしょうか。武家の家訓ではありますが、「上杉家十六箇条」に通底しているのは「御仏の教え」のように思えます。つまり、ブッダの教えですね。特に、「八正道」や「六波羅蜜」との共通項が多いように感じます。


上杉謙信公の銅像前で

 

上杉謙信は神仏を篤く敬い、自ら出家もしています。
「謙信」とは法名、つまり僧侶としての名前です。青年期までは曹洞宗林泉寺天室光育から禅を学んでいますが、上洛時には臨済宗大徳寺の宗九に参禅し「宗心」という法名を受けています。そして晩年には高野山金剛峯寺内の無量光院の清胤から伝法潅頂を受け阿闍梨権大僧都の位階まで授けられています。ブログ「第一義」にも書いたとおり、謙信の代名詞ともいえる言葉も実はブッダの教えなのです。


上杉家の軍旗を背にして 

 

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

 

2018年10月19日 一条真也

望んで生まれる者はいない  

 

「ぜひこの世に生まれたい」と、自分から望んで生まれてきた人はいない。また、みずから望んで死ぬ人も少ない。人は不本意に生まれ、不本意に死んでいくのだ。
(『性霊集』)


一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。
わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。

 

2018年10月18日 一条真也

アップデートする互助会

一条真也です。
17日、東京で全互協の正副会長会議と理事会に参加後、スターフライヤーに搭乗して北九州に戻りました。18日は早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。

f:id:shins2m:20181018081413j:plain月次祭のようす

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拝礼する佐久間会長

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わたしも拝礼しました

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神事の最後は一同礼!

f:id:shins2m:20181018083603j:plain天道塾のようす

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冒頭に挨拶する佐久間会長

 

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。
まずは、冒頭に佐久間会長が簡単な挨拶をしました。
会長は、最近、別府や金沢に出張して社員のやる気に触れたことなどを話してから、「企業にとって何よりも大切なのは、思想であり、理念です。わが社には理念はあると自負していますので、あとは実践あるのみ」と訴えました。それから、「今日は、北九州本部の各責任者に『今年の展望』を話してもらいます。目標を達成するための具体的なプランが聞けることを期待しています」と述べました。

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互助会部門の報告のようす

f:id:shins2m:20181018092311j:plain冠婚部門の報告のようす

 

その後、「今年の展望」として、サンレー北九州の東常務、玉中取締役、山下執行役員が登壇して、冠婚・葬祭・互助会・そして全体の業績の見込みなどについて報告しました。具体的なプランも数多く飛び出し、わたしは非常に頼もしく思うとともに、「これなら行ける!」と確信しました。

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最後にわたしが登壇しました

 

それから、社長のわたしが登壇して講話をしました。
まず、わたしは、WEBシステムに写っている各地の社員に向かって話しかけました。わたしは3人の「今年の展望」についての講評を述べた後、ブログ「日日是好日」で紹介した映画および原作本の話をしました。

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

 

著者の森下典子氏は「雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう・・・・・・どんな日も、その日を思う存分味わう」と書き、お茶とは、そういう「生き方」なのだと言います。そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないというのです。雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」と言いますが、本当は「悪い天気」など存在しません。雨の日を味わうように、他の日を味わうことができるなら、どんな日も「いい日」になります。それが「日日是好日」ということ。

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日日是好日」について語りました

 

わたしたちの仕事も「日日是好日」で行こうではありませんか。世の中の風潮で儀式の軽視が進んでいるとか、参列者の数が減っているとか、単価が下がっているとか、競合店がオープンしたとかリニューアルしたとか、台風だとか大雨だとか・・・・・・うまくゆかない理由を挙げればキリがありません。それを「苦境」と思わずに、「だからこそ、チャンスだ」と前向きにとらえて、楽しみながら仕事をしていただきたい。愚痴は言わずに、何事も陽にとらえていきましょう! そうすれば、道は拓けるはずです。

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「一期一会」について語りました

 

茶道の話に戻ると、茶で「もてなす」とは何か。それは、最高のおいしいお茶を提供し、最高の礼儀をつくして相手を尊重し、心から最高の敬意を表することに尽きます。そして、そこに「一期一会」という究極の人間関係が浮かび上がってきます。人との出会いを一生に一度のものと思い、相手に対し最善を尽くしながら茶を点てることを「一期一会」と最初に呼んだのは、利休の弟子である山上宗二です。「一期一会」は、利休が生み出した「和敬静寂」の精神とともに、日本が世界に誇るべきハートフル・フィロソフィーであると言えるでしょう。この「一期一会」の精神は、営業においても施行サービスにおいても重要です。要するに、お客様との御縁をいただけたことに心から感謝し、真剣勝負の心境でお客様のお役に立つべく接するということです。

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「こころ」と「かたち」について

 

 さらに、わたしは『日日是好日』を「茶の本」ならぬ「水の本」であると思いました。雨、海、瀧、涙、湯、茶などが重要な場面で搭乗しますが、これらはすべて「水」からできています。地球は「水の惑星」であり、人間の大部分は水分でできています。「水」とは「生」そのものなのです。
水は形がなく不安定です。それを容れるものがコップです。水とコップの関係は、茶と器の関係でもあります。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」はどこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。

f:id:shins2m:20181018092633j:plain儀式とは「こころ」を安定させるための「かたち」である!

 

さらに、わたしは「冠婚葬祭互助会ほど日本人に合ったビジネスモデルは存在しません!」と訴え、次のように「アップデートする冠婚葬祭」をおさらいしました。

■冠婚葬祭1.0

(戦前の村落共同体に代表される旧・有縁社会の冠婚葬祭) 

■冠婚葬祭2.0

(戦後の経済成長を背景とした互助会の発展期における冠婚葬祭) 

■冠婚葬祭3.0

無縁社会を乗り越えた新・有縁社会の冠婚葬祭)

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アップデートする冠婚葬祭について

 

いま、七五三も成人式も結婚式も、そして葬儀も大きな曲がり角に来ています。現状の冠婚葬祭が日本人のニーズに合っていない部分もあり、またニーズに合わせすぎて初期設定から大きく逸脱し、「縁」や「絆」を強化し、不安定な「こころ」を安定させる儀式としての機能を果たしていない部分もあります。いま、儀式文化の初期設定に戻りつつ、アップデートの実現が求められているのです。

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アップデートする互助会について

 

さらに、互助会のアップデートについて考えてみた場合、次のようになります。「互助会4.0」までを展望してみました。

■互助会1.0

(結や講といった日本的相互扶助システム)

■互助会2・0

(戦後に横須賀で誕生し、全国で発展した冠婚葬祭互助会)

■互助会3.0

無縁社会を乗り越えて、有縁社会を再生する互助会)

■互助会4.0

(結婚をプロデュースし、孤独死自死をなくす互助会)

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これが「アップデートする互助会」だ!

 

この互助会4.0の目指すところは「結婚は最高の平和である」「死は最大の平等である」というわが社の理念の実現です。「結婚をプロデュースする」とは、いわゆる「婚活」のことですが、もともと、夫婦こそは「世界で一番小さな互助会」であると言えます。これらを実現することこそ、わが社の大きなミッションです。わたしは「高い志を抱いて頑張りましょう!」と述べてから、降壇しました。

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最後は、もちろん一同礼!

 

2018年10月18日 一条真也

「日日是好日」

一条真也です。
東京に来ています。ハードなスケジュールをかいくぐって、シネスイッチ銀座で日本映画「日日是好日」を観ました。法令試験の日(24日)が迫っていてそれどころではないのですが、「これだけは観なければ!」という想いでレイトショーに駆けつけました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「茶道教室に通った約25年について記した森下典子のエッセイを映画化した人間ドラマ。母親の勧めで茶道教室へ通うことになった大学生が、茶道の奥深さに触れ、成長していく姿を描く。メガホンを取るのは『ぼっちゃん』などの大森立嗣。主人公を『小さいおうち』『リップヴァンウィンクルの花嫁』などの黒木華、彼女と一緒に茶道を学ぶ従姉を『ピース オブ ケイク』などの多部未華子、茶道の先生を『わが母の記』などの樹木希林が演じる」

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ヤフー映画の「あらすじ」には、こう書かれています。
「大学生の典子(黒木華)は、突然母親から茶道を勧められる。戸惑いながらも従姉・美智子(多部未華子)と共に、タダモノではないとうわさの茶道教室の先生・武田のおばさん(樹木希林)の指導を受けることになる」

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

 

この映画を観る前に、わたしは原作である『日日是好日森下典子著(新潮文庫)を読みました。アマゾンの内容紹介には「お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに『お茶』があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる・・・・・・季節を五感で味わう歓びとともに、『いま、生きている!』その感動を鮮やかに綴る」と書かれていますが、非常に感動しつつ1時間半ほどで読了しました。「これは最高の茶道入門であり、『新・茶の本』だ!」とさえ思いました。

 

映画「日日是好日」を観終わって、わたしは「ああ、黒木華はよい女優になったなあ」と思いました。ブログ「小さいおうち」で紹介した映画で初めてその存在を知った彼女はけっして美人ではありませんが(失礼!)、不思議な魅力を持った女優さんです。彼女のショウユ顔ならぬ昭和顔が、じつにこの映画にマッチしていました。映画の中で最初は野暮ったかった女子大生役の彼女が社会人として生きながらお茶の稽古を続けるうちに、次第に綺麗になっていくさまが見事に描かれていました。

 

 「日日是好日」は、茶道をテーマにした映画です。わたしは、父が千利休よりも古い小笠原家古流茶道の全国団体の会長を務めていることをはじめ、周囲に茶道と関わっている人が多いので、非常に興味深く観ました。わたしの長女もずっと東京の茶道教室に通っているのですが、映画の中の黒木華演じる女性と重なって見えました。茶道は「ジャパニーズ・ホスピタリティ」そのものであると言えますが、親としては少しでも娘に日本人としての「つつしみ」「うやまい」「おもいやり」の心を知り、「もてなし」というものを体得してほしいと思っています。

 

この作品は大変よくできた茶道の入門映画と思います。
茶道は単に一定の作法で茶を点て、それを一定の作法で飲むだけのものではありません。実際は、宗教、生きていく目的や考え方といった哲学、茶道具や茶室に置く美術品など、幅広い知識や感性が必要とされる非常に奥深い総合芸術です。その総合芸術である茶道が、同じく総合芸術である映画のテーマになったところが、「日日是好日」の最大のポイントであると思います。


茶をたのしむ』(現代書林)

 

拙著『茶をたのしむ』(現代書林)にも書きましたが、茶道は、禅と深い関わりがあります。禅宗は「今をどう生きるか」を説く仏教の一派ですが、茶道には禅の精神が随所に生きています。むしろ禅の思想が茶道の根本にあると言ってもいいでしょう。偉大な茶人はすべて禅の修行者でもあったことを考えれば、茶道の正体とは、茶の湯という「遊び」を通して禅の「教え」を伝える「宗遊」なのかもしれません。人は茶室の静かな空間で茶を点てることに集中するとき、心が落ち着き、自分自身を見直すことができます。

決定版 おもてなし入門』(実業之日本社

 

拙著『決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)にも書きましたが、茶道は日本人の「おもてなし」における核心です。茶で「もてなす」とは何か。それは、最高のおいしいお茶を提供し、最高の礼儀をつくして相手を尊重し、心から最高の敬意を表することに尽きます。そして、そこに「一期一会」という究極の人間関係が浮かび上がってきます。人との出会いを一生に一度のものと思い、相手に対し最善を尽くしながら茶を点てることを「一期一会」と最初に呼んだのは、利休の弟子である山上宗二です。「一期一会」は、利休が生み出した「和敬静寂」の精神とともに、日本が世界に誇るべきハートフル・フィロソフィーであると言えるでしょう。

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

茶の湯はもともと戦国時代に生まれ、発展しました。
かつて戦国の世に、武将たちは僧侶とともに茶の湯と立花の専門家を戦場に連れていきました。戦の後、死者を弔う卒塔婆が立ち、また茶や花がたてられました。茶も花も、戦場で命を落とした死者たちの魂を慰め、生き残った者たちの荒んだ心を癒やしたのです。今でも、仏壇に茶と花を手向けるのはその名残です。
わたしは、すべての文化の根底には「死者への想い」があるという「唯葬論」というものを唱えているのですが、映画という文化もまた然りです。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書いたように、わたしは映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーオードリー・ヘップバーングレース・ケリーにだって、三船敏郎高倉健菅原文太にだって会えます。そして、この映画では先日亡くなられたばかりの樹木希林さんに会えました。「日日是好日」を観ながら、わたしは「樹木希林さんは生きている!」と思いました。

 

「ただものではない」茶道の先生役というのは非常に難しい役どころだと思いますが、樹木希林さんは難なく演じていました。お茶を点てる場面も、本当のお茶の先生のような所作でした。そして、手の動きが美しかったです。その動きを見ながら、わたしはブログ「おくりびと」本木雅弘さんが演じた納棺師の流れるような指の動きを連想しました。樹木さんは、言うまでもなく日本映画を代表する役者さんであり、その独特の演技や人生観には多くの人々が魅了されました。わたしもその1人です。全身をがんに冒された樹木さんは、常に「死ぬ覚悟」を持って生き抜かれた方でした。その生き様は、超高齢社会、多死社会を生きる日本人の1つの模範になるのではないでしょうか。

 

樹木さんは今年5月にはブログ「万引き家族」で紹介した日本映画でカンヌ映画祭に参加されていました。この作品は同映画祭の最高賞である「パルムドール」を受賞しましたが、わたしは失望しました。というのも、樹木さん扮する老婆の初枝が亡くなったとき、彼女の家に居候をしている疑似家族たちはきちんと葬儀をあげるどころか、彼らは初枝の遺体を遺棄し、最初からいないことにしてしまったからです。このシーンを観て、わたしは巨大な心の闇を感じました。1人の人間が亡くなったのに弔わず、「最初からいないことにする」ことは実存主義的不安にも通じる、本当に怖ろしいことです。初枝亡き後、信代(安藤サクラ)が年金を不正受給して嬉々としてするシーンにも恐怖を感じました。一方、葬儀の意義と重要性を見事に表現したのが、本木さんが主演した「おくりびと」です。

 

9月15日に75歳で逝去された樹木さんの葬儀を取り仕切ったのは、娘婿である本木さんでした。この義理の母子は、人間にとって最も大切なことをわたしたちに伝えてくれたように思います。樹木さんは「日日是好日」によって「生きる」ということを、本木さんは「おくりびと」によって「弔う」ということを。なぜ、「日日是好日」が「生きる」につながるのか。それは黒木華演じる主人公の典子が雨の音を聴いて雨と一体になり、「生」の本質を悟ったからです。そして、「生」の本質とは「水」と深い関わりがあります。
日日是好日」は、なによりも水の映画です。雨、海、瀧、涙、湯、茶などが重要な場面で使われますが、これらはすべて「水」からできています。地球は「水の惑星」であり、人間の大部分は水分でできています。「水」とは「生」そのものなのです。

世界をつくった八大聖人』(PHP新書)

 

孔子といえば、わたしは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きました。その中で、ブッダ孔子老子ソクラテスモーセ、イエスムハンマド聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。彼らの生涯や教えを紹介するとともに、八人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。

 

「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。そして、「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないかと、わたしは書きました。興味深いことに、思いやりの心とは、実際に水と関係が深いのです。『大漢和辞典』で有名な漢学者の諸橋徹次は、かつて『孔子老子・釈迦三聖会談』(講談社学術文庫)という著書で、孔子老子ブッダの思想を比較したことがあります。そこで、孔子の「仁」、老子の「慈」、そしてブッダの「慈悲」という三人の最主要道徳は、いずれも草木に関する文字であるという興味深い指摘がなされています。そして、三人の着目した根源がいずれも草木を通じて天地化育の姿にあったと推測します。

 

 

儒教の書でありながら道教の香りもする『易経』には、「天地の大徳を生と謂う」の一句があります。物を育む、それが天地の心だというのです。考えてみると、日本語には、やたらと「め」と発音する言葉が多いことに気づきます。愛することを「めずる」といい、物をほどこして人を喜ばせることを「めぐむ」といい、そうして、そういうことがうまくいったときは「めでたい」といい、そのようなことが生じるたびに「めずらしい」と言って喜ぶ。これらはすべて、芽を育てる、育てるようにすることからの言葉ではないかと諸橋徹次は推測し、「つめていえば、東洋では、育っていく草木の観察から道を体得したのではありますまいか」と述べています。

 

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

 

東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。そして、それは「礼」というコンセプトにも通じます。孔子が説いた「礼」が日本に伝来し、もっとも具体的に表現したものこそ茶道であるとされています。
また、フランスの作家サン=テグジュペリは飛行機の操縦士でしたが、サハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しています。そこから、水が生命の源であることを悟り、ブログ『星の王子さま』で紹介した本に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。


人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版

 

さて、水は形がなく不安定です。それを容れるものが器です。「日日是好日」を観て、わたしは「水」とは「こころ」、器とは「かたち」のメタファーであることに気づきました。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。
ちなみに、拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)で、わたしは「『人生100年時代』などと言われるようになった。その長い人生を幸福なものにするのも、不幸なものとするのも、その人の『こころ』ひとつである。もともと、『こころ』は不安定なもので、『ころころ』と絶え間なく動き続け、落ち着かない。そんな『こころ』を安定させることができるのは、冠婚葬祭や年中行事といった『かたち』である」と書きました。

決定版 年中行事入門』(PHP研究所)

 

日日是好日」には、春夏秋冬・・・・・・日本の四季がすべて登場します。そして、美しく描かれています。それぞれの四季折々にはふさわしい花があり、菓子があり、そして年中行事があります。世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があります。年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。なぜなら、それは日本人の「こころ」の備忘録であり、「たましい」の養分だからです。
正月の初釜で樹木希林さん演じる武田先生が「こうしてまた初釜がやってきて、毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけど、でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」と、しみじみと語るシーンがあります。茶道はたしかに繰り返しです。春→夏→秋→冬→春→夏→秋→冬・・・・・・毎年、季節のサイクルをグルグル回っています。考えてみれば、茶人とは「年中行事の達人」であり、「四季を愛でる達人」なのですね。


人生の修め方』(日本経済新聞出版社

 

そして、季節の他にもう1つ、茶道はさらに大きなサイクルを回っています。それは、子→丑→寅→卯→辰→巳→午→未→申→酉→戌→亥・・・・・・の十二支です。初釜には、必ずその年の干支にちなんだ道具が登場するのだった。干支にちなんだ茶器は12年に1回しか使われません。なんという贅沢でしょうか。茶人は「人生の四季を愛でる達人」でもあるのです。こういうふうに人生の四季を愛でていけば、「老いる覚悟」や「死ぬ覚悟」を自然に抱くことができるのではないでしょうか。まさに、茶道とは「人生の修め方」にも通じています。
そういえば、映画では典子の父親が桜の季節に亡くなります。武田先生は典子に「桜が悲しい思い出になっちゃったわね」と言いますが、その武田先生を演じた樹木さんには死期が迫っていたわけです。あのとき、どういった心境で樹木さんはあのセリフを口にしたのでしょうか。そんなことを考えました。

 

最後に、わたしはシネスイッチ銀座の最後列で鑑賞したのですが、空調機の音が大きくてストレスを感じました。シネスイッチ銀座といえば、ブログ「ニューシネマ・パラダイス」で紹介した映画が日本で初めて公開された映画館として知られています。1989年12月でした。東京・銀座4丁目にある「シネスイッチ銀座」で40週にわたって連続上映されました。わずか200席の劇場で動員数約27万人、売上げ3億6900万円という驚くべき興行成績を収めました。この記録は、単一映画館における興行成績としては、現在に至るまで未だ破られていません。ちなみに、多くの人々が「人生最高の映画」とか「心に残る名画」として、この映画の名を挙げていますが、わたしはまったく認めていません。単なるチープな妄想映画であると思っています。この映画を評価する人の価値観を疑ってしまいます。

 

一方、「日日是好日」には、フェリニーの映画「道」が登場します。これは、わたしも何度も観て涙した感動の名作です。世界映画史に燦然と輝く作品であると思います。「日日是好日」の原作本には、「世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の2種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。『お茶』って、そういうものなのだ」と書かれています。一生の宝物になる「すぐにはわからないもの」の代表例が「道」なら、一度通り過ぎればそれでいい「すぐわかるもの」とは「ニューシネマ・パラダイス」のことではないか。わたしは、そのように思いました。

f:id:shins2m:20181016144155j:plain シネスイッチ銀座にて

 

2018年10月17日 一条真也