激動の日々を語る

一条真也です。
17日の早朝から、松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。今朝の小倉はやや曇りで、気温は26度でした。

ホテルの貴賓室には父の遺影が・・・

 

朝、ホテルに到着して貴賓室に入ったら、デスクの上に父である佐久間進名誉会長の遺影が置かれていました。父は、いつも見守ってくれています。わたしは遺影に向かって「これから月次祭と天道塾ですよ。今日は、鎌田先生のお話をします」と話しかけました。

月次祭のようす


厳粛な気分になります

玉串奉奠で玉串を巫女から受ける

玉串奉奠で拝礼する

 

皇産霊神社の瀬津禰宜によって神事が執り行われました。サンレーグループを代表して、わたしが玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員の健康・幸福、それに能登半島地震の被災者の方々の日常が早く戻ることを祈念しました。

山下常務に合わせて拝礼

神事の最後は一同礼!

 

この日は、わたしに続いて山下常務が玉串奉奠をしました。山下常務と一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。その拝礼は素晴らしく美しいものでした。わが社が「礼の社」であることを実感しました。儀式での拝礼のように「かたち」を合わせると「こころ」が1つになります。神事の後は、恒例の「天道塾」を開講しました。

「天道塾」開講前のようす

最初は、もちろん一同礼!

社長講話を行いました

最初に鎌田先生の帰幽を報告しました

その後、5月30日に帰幽された鎌田東二先生についてお話しました。わたしは、「ムーンサルトレター第244信」の冒頭に書いた「Tonyさん、いま、どこにいますか? わたしは、東京に来ています。梅雨で天候が優れず、夜空に月は見えません。見えないけれども、今夜の月は、これまでに見上げたどの満月よりも悲しい月です。なぜなら、もうTonyさんが地上におられないからです。ご帰幽に際し、心より哀悼の誠を捧げさせていただきます。これから、本当のお別れとなる百日祭の『かまたまつり』が開かれる9月まで、そちら側におられるTonyさんに届くことを信じて、わたしは『ムーンサルト独りレター』を書きます。返信はもちろん無理ですが、何かメッセージがあれば、夢でお伝え下さい」という文章を読み上げました。最後に「魂の兄に送りし  ひとり文(ぶみ) 梅雨の雲間に 月さへ見えず」の道歌を披露しました。


名誉会長に弔辞を捧げる鎌田先生


「お別れの会」で法螺貝を献奏する鎌田先生

 

わが魂の義兄弟である鎌田東二先生が旅立たれました。ステージ4のがん患者でありながら、八面六臂の大活躍をされていましたが、5月30日18時25分、ご自宅で奥様に見守られながら、その偉大な生涯を閉じられました。享年74でした。30日の夜、このムーンサルトレターの管理者である大野邦弘さんからの連絡でTonyさんの訃報に接したわたしは、翌朝、小倉から新幹線のぞみ20号で京都へ向かいました。サンレーグリーフケア推進室の市原泰人室長も一緒でした。金沢からサンレー北陸の大谷賢博部長が社用車を運転して京都まで来てくれました。金沢から京都まで、3時間半かかったそうです。その車に乗って、京都市左京区の鎌田先生の御自宅へ!


鎌田先生との別れを報告しました

 

京都駅から車を走らせること、約30分。わたしたちは、鎌田先生の御自宅に到着しました。奥様に挨拶して、ベッドに横たわっている故人を拝顔しました。そのお顔はまるで即身成仏のように穏やかでした。微笑んでいるようにも見えました。わたしは、深々と拝礼し、「お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。どうぞ、安らかにお休みください」と言いました。鎌田先生の御長男の龍明さんと奥様とお嬢ちゃんにもお会いしました。鎌田先生にとっての初孫となるお嬢ちゃんは天使のように可愛く、前夜には旅立ったおじいちゃんのために木魚を叩いてあげたそうです。鎌田先生の穏やかな表情を見ながら、わたしは「ああ、鎌田先生の人生は幸せだったんだなあ」と思い、「お見事な人生でございました!」とご遺体に語りかけました。すると、また泣けてきました。

古事記と冠婚葬祭』の思い出を語る

 

鎌田先生が横たわるベッド横のサイドテーブルの上には、死亡診断書と一緒に『古事記』の岩波文庫版が置かれていました。かなり読み込んだと思われる年季の入った文庫本で、おそらく鎌田先生の座右の書だったのでしょう。それは棺に入れられる本だと思われました。わたしは、「ああ、鎌田東二は『古事記』と共に霊界に参入するのだ!」と思いました。『古事記』といえば、2023年11月、鎌田先生とわたしは古事記と冠婚葬祭(現代書林)という対談本を上梓しました。2023年3月8日・9日に松柏園ホテルでわたしたちは対談しましたが、そのときの内容が本書に掲載されています。わたしたちの長年の親交を総括する一冊となりました。


鎌田東二は偉大な実践思想家だった!

熱心に聴く人びと

 

それにしても、鎌田先生ほどスケールの大きな、また行動する学者はいませんでした。死の間際まで、災害社会支援士の育成に情熱を注いでおられました。本当に、偉大な実践思想家でした。鎌田先生の不在は、日本にとっても大きな損失です。もっともっと活躍して「明るい世直し」を推進していただきたかったのに、もっともっと語り合いたかったのに、島薗進先生と3人でカラオケに行く約束もしていたのに・・・・・・まことに残念です。わたしは、4月に京都にお見舞いに行きましたが、5月に入ってから急に体力が低下したと、東京大学名誉教授で宗教学者島薗進先生からお聞きしました。それで、6月4日の横浜でのグリーフケア講演、5日の東京での前田日明氏との対談を終えたら、そのまま京都へ向かうつもりでしたが、間に合いませんでした。返す返すも残念です。

「かまたまつり」について


熱心にメモを取る人びと

鎌田先生には言い尽くせないほど、本当にお世話になりました。昨年他界した父の通夜・葬儀告別式。お別れの会にもご参列いただき、心ある弔辞も賜りました。そればかりか、火葬場にまで同行して下さり、父の骨を一緒に拾って下さいました。感謝の言葉もありませんでした。死後100日後に開かれる「かまたまつり」では葬儀委員長を務めさせていただきます。生涯をかけて「明るい世直し」を目指した鎌田先生の志は、わたしが受け継ぐ覚悟です。このムーンサルトレター20周年の書籍化である『満月交命~ムーンサルトレター』(現代書林)は結果的に鎌田先生の遺作となりますが、わたしが責任をもって「かまたまつり」の日までには刊行いたします。本当に、こんな凄い思想家と20年以上も文通させていただいたことは、わが生涯の誇りであり、人生の宝です。


鎌田先生の志を受け継ぎます!

 

6月2日の午前8時45分から、わが社の小倉紫雲閣の大ホールにおいて、サンレー本社の総合朝礼が行われました。一同礼の後、全員で社歌を斉唱しました。いつもは第一社歌「愛の輪」を1番だけ歌うのですが、この日は第二社歌「永遠からの贈り物」をフルバージョンで歌いました。この歌を作詞・作曲して下さったには鎌田先生です。「旅立つ日も感謝」という歌詞が心に沁みました。社歌斉唱の後、社員全員で黙祷を捧げました。鎌田先生はわが「魂の義兄弟」であり、わが社にとっても大きな恩のある方です。わたしたちは、全員でその帰幽を悼みました。最後に、わたしは万感の思いで「魂の兄の旅立ち 見送りて その志 継がんと誓ふ」という道歌を披露しました。


アントニオ猪木の墓参について

 

6月3日、スターフライヤーで東京へ。羽田空港に到着して昼食を取った後、雨の中を横浜へ向かいました。サンレーの山下格常務と市原泰人室長と一緒です。宿泊先のホテルに行く前に、かねてから訪れたかった場所に寄りました。横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山總持寺です。ここを訪れた目的は、ここにアントニオ猪木の墓があるからです。わたしは生粋の猪木信者で、生前はたくさんの勇気と夢を与えていただきました。わたしにとって最大のヒーローです。2日後に前田日明氏と「死生観」や「終活」をテーマに対談する予定があり、その前に前田氏の師匠である猪木氏のお墓をお参りしたいと考えた次第です。猪木氏と鎌田先生には、「死ぬ直前まで前向きな死生観を届け続けた」という大きな共通点があります。この2人は、日本人の死生観を考える上で最重要人物です。


猪木さんについて熱く語りました

 

猪木氏の墓前に立ったわたしは、心の中で猪木氏に「アントニオ猪木さん、わたしは、あなたに数えきれないほどの夢と勇気をいただきました。心より感謝しております。本当に、ありがとうございました。明後日は、お弟子さんの前田日明さんと対談させていただきますので、御挨拶に参りました」と話しかけました。まずは持参した線香に火をつけて、数珠を持って猪木家のお墓をお参りしました。心の中で猪木氏に「アントニオ猪木さん、わたしは、あなたに数えきれないほどの夢と勇気をいただきました。心より感謝しております。本当に、ありがとうございました。明後日は、お弟子さんの前田日明さんと対談させていただきますので、御挨拶に参りました」と話しかけました。


猪木墓参の後日談について

熱心に聴く人々

 

また、「猪木さん、今日、長嶋茂雄さんがお亡くなりになりましたよ」と言うと、猪木さんのブロンズ像が驚いた表情をしたような気がしました。ブロンズ像の下には「藤波辰爾長州力藤原喜明・・・・・・」といった新日本プロレス出身のレジェンドレスラーの名前が並んでいました。グレート小鹿だけは意外でしたが、最後に「佐山サトル前田日明、髙田延彦」の名前が並んでいるのを見て、温かい気分になりました。そして、いつの日かこの3人が和解する日を祈りました。5日に前田さんにお会いしたら、最初に「猪木さんのお墓参りをしてきましたよ」と報告したいと思います。すると、この1週間後に髙田氏がインスタで「前田さん」と発言し、大きな話題となりました。さらにその2日後には、佐山氏と前田氏が電撃和解するビッグニュースが流れたのでした。


横浜での講演について

 

6月4日、パシフィコ横浜で「第28回フューネラルビジネスフェア2025」が開かれました。わたしは、10時からオ―プニング講演をさせていただきました。講演タイトルは「サンレーの『悲縁』をつなぐグリーフケアの取組み」です。おかげさまで、会場は超満員になりました冒頭、進行役による本講座開設の趣旨と登壇者紹介があり、まずはわたしが登壇しました。わたしは、「今日は朝早くから、ご来場ありがとうございます。今日はグリーフケアについてのお話です。わたしは約20年前からグリーフケアに取り組んできましたが、そのときわたしは祖父母を除いて家族との死別の経験がありませんでした。しかし、昨年9月20日に父を亡くし、つい6日前の5月30日には『魂の義兄弟』であった鎌田東二先生を喪いました。大きなグリーフを抱いたまま、この場に立たせていただいています」と述べました。


グリーフケアについて話しました

 

それから本題に入り、「グリーフケアの実践」「グリーフケアが注目される背景」「『縁』の希薄化」「無縁社会から有縁社会へ」などの説明に続いて、メインテーマである「悲縁」について話しました。わが社は「セレモニーホールからコミュニティホールへ」というスローガンを掲げていますが、それはある意味で、寺院の本来の機能を蘇えらせる「お寺ルネッサンス」でもあります。そして、そこでは、グリーフケアという「癒し」の機能を最重視します。けっして誤解してはいけないのは、セレモニーホールが寺院に取って代わるというのではありません。わたしは、セレモニーホールが寺院の機能をさまざまな点で補完し、仏教という世界でも優れたグリーフケア宗教の持続性に寄与したいと考えているのです。

グリーフケア士の「倫理綱領」を発表!

 

わたしは芥川賞作家で臨済宗福聚寺住職の玄侑宗久先生と対談し、その内容は『仏と冠婚葬祭』(現代書林)に収録されていますが、そこでも寺院とセレモニーホールの関係が話題になりました。玄侑先生は、「要はコミュニケーションを密にとって、共にグリーフケアに勤しむ仲間として歩む、ということでしょう。古来、神と仏が習合したように、お寺と葬祭業が習合するのも面白いかもしれませんね。実際、葬祭業の部分も併せて葬儀をしている寺もあります」と語られています。玄侑先生からの学びを噛みしめて、これからのセレモニーホールの方向性、さらには冠婚葬祭文化の未来について考えていきたいと思います。最後は、理事長を務める一般財団法人  冠婚葬祭文化振興財団が運営するグリーフケア資格認定制度の「倫理規定」および「倫理綱領」を発表して、わたしは降壇しました。


前田日明氏との出会いについて

 

翌6月5日、「永遠の格闘王」こと前田日明氏にお会いし、対談をする機会に恵まれました。場所は、東京都中央区京橋にある鎌倉新書の本社です。同社が発行する雑誌「月刊終活」の特別対談で、テーマは「死生観」と「終活」と「儀式」でした。思い出に残っている前田さんの名シーンも多いですが、わたしはリング上で挨拶をされる前田さんの言葉が好きでした。特に、新生UWFを旗揚げされたときの「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」という言葉が印象に残っています。もともとはフランスの詩人ヴェルレーヌの詩に登場する言葉で、太宰治が「葉」という小説で使ったわけですが、まさかプロレスの団体旗揚げ挨拶で聴けるとは思っていませんでした。前田さんが大変な読書家であり、思想家でもることを思い知った瞬間でした。ブログ「グリーフケア発会式」で紹介した2020年11月4日のグリーフケア資格認定制度の発会式で、この言葉を使わせていただきました」と述べました。


前田日明氏との対談について

 

また、「リングスの引退試合で、猪木さんをはじめ錚々たる顔ぶれの前で感謝の言葉を述べられたとき、「この御恩、前田日明、一生忘れません」と言われたのも素晴らしかった。あの言葉は、ブログ「長女の結婚披露宴1」で紹介した2022年6月5日に開かれた娘の結婚披露宴での謝辞などでも使わせていただきました。(笑)あと、わたしの座右の書は論語なのですが、若い頃は前田さんの『闘う為の論語というカセットブックをよく聴いていましたね。最後に、前田さんの人間性の高さを深く尊敬しています。新生UWFが解散して袂を分かった後、高田延彦さんのお父さんの墓参りと墓掃除をされたと冨宅飛駆さんの談話で知って、その人間性に感服しました。今日は、本当に嬉しいです!」と一気にまくしたてました。前田氏は非常に礼儀正しく、大いなる「礼能力」の人でした!

何よりも「礼能力」が大事です!


最後は、もちろん一同礼!

 

それから、死生観についての質問があり、わたしは「先月30日に、宗教哲学者の鎌田東二先生がお亡くなりになられたのですが、その遺作のタイトルが『日本人の死生観』でした。鎌田先生ご自身も、ステージ4のがん患者でありながら、積極的に活動され、その間際まで災害社会支援士の育成に取り組まれていました」と述べました。すると前田さんが「えっ! 東二さん、亡くなられたんですか!」と驚かれたので、こちらも驚きました。聞くと、バブルの頃に鎌田先生と前田さんは対談し、貴船神社などを一緒に参拝されたそうです。不思議なご縁に感じ入るとともに、このたびの前田さんとの出会いは鎌田先生の導きだったように思えてきました。最後に、わたしは「やはり、この世は有縁社会ですね! みなさん、何よりも礼能力が大事ですよ!」と言って降壇しました。

父の銅像とともに・・・

 

2025年6月17日 一条真也