
一条真也です。
わたしはこれまで多くの言葉を世に送り出してきましたが、この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「礼能力」です。
この「礼能力」という言葉は、2009年1月に刊行された拙著『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)で初めて提示しました。当時、日本人の自殺率上昇が問題になっていました。最大の原因も人間関係にありました。サラリーマンが会社を辞める理由としては、給料の安さ、休みの少なさ、労働時間の長さ、職種への不満などがありますが、そのトップは圧倒的に人間関係の悩みだとか。
フランスの作家サン=テグジュペリは、名著『人間の土地』に、「真の贅沢というものは、ただ1つしかない、それは人間関係の贅沢だ」と書いています。飛行機の操縦士だった彼は、サハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しています。そこから、水が生命の源であることを悟り、「こころの世界遺産」とも呼べる永遠の名著『星の王子さま』に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。
『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)
わたしは、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きましたが、その中で、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。彼らの生涯や教えを紹介するとともに、8人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。そして、「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないかと、わたしは書きました。
興味深いことに、思いやりの心とは、実際に水と関係が深いのです。『大漢和辞典』で有名な漢学者の諸橋徹次は、かつて『孔子・老子・釈迦三聖会談』(講談社学術文庫)という著書で、孔子、老子、ブッダの思想を比較したことがあります。そこで、孔子の「仁」、老子の「慈」、そしてブッダの「慈悲」という3人の偉大な聖人の最主要道徳は、いずれも草木に関する文字であるという興味深い指摘がなされています。すなわち、ブッダと老子の「慈」とは「玆の心」であり、「玆」は草木の滋げることであること。一方、孔子の「仁」には草木の種子の意味があることを示しました。そして、3人の着目した根源がいずれも草木を通じて天地化育の姿にあったのではないかというのです。儒教の書でありながら道教の香りもする『易経』には、「天地の大徳を生と謂う」の一句があります。物を育む、それが天地の心だというのです。
考えてみると、日本語には、やたらと「め」と発音する言葉が多いことに気づきます。愛することを「めずる」といい、物をほどこして人を喜ばせることを「めぐむ」といい、そうして、そういうことがうまくいったときは「めでたい」といい、そのようなことが生じるたびに「めずらしい」と言って喜ぶ。これらはすべて、芽を育てる、育てるようにすることからの言葉ではないかと諸橋徹次は推測するのです。そして、「つめていえば、東洋では、育っていく草木の観察から道を体得したのではありますまいか」と述べています。東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。思いやりが水なら、本書に紹介した十七の魔法は、いずれも早く芽を出して大きく草木を育てる養分に他なりません。そして、その草木の名前は「人間関係の木」というのです。
21世紀になったばかりの頃、日本ではスピリチュアルカウンセラーと名乗る人物が一世を風靡していました。しかし、わたしは、心ゆたかな社会とは、決して霊能力に関心が集まる社会ではないと思っていました。それどころか、安易なオカルト・ブームは、健全な社会にとってきわめて危険であるとさえ思っています。孔子が「怪力乱神を語らず」と述べたことを忘れてはなりません。わたしは「グリーフケア」や「隣人祭り」などに取り組んできましたが、その真の目的は自死や孤独死をなくすことです。そして、それらの活動はブッダやイエスや孔子の思想に基づいています。もし現在、ブッダやイエスが生きていたら、自死をなくす活動をするでしょうし、孔子が生きていたら隣人との交流を推進して孤独死をなくす活動をすると思います。わたしの心の中には、いつも聖人たちが生きています。
本当に大切なのは、「霊能力」ではなくて、「礼能力」ではないでしょうか。これは、5月30日に帰幽された、わが魂の義兄弟である宗教哲学者の鎌田東二先生からヒントを得た言葉ですが、他者を大切に思える能力、つまり、仁や慈悲や愛の力のことです。結局、人間関係を良くすることはもちろん、心ゆたかな社会をつくるための最大のカギこそ、わたしたちの礼能力ではないでしょうか。相手への「思いやり」の心くらい大切なものはありません。サン=テグジュペリが墜落してさまよった砂漠そのもののような渇いた現代社会。そこに「思いやり」という水を撒き、ぜひ、あなたの人間関係の木を大きく育てていただきたいと思います。わたしは何よりも月が大好きなのですが、初めての隣人祭りに参加した今夜、見事な満月をながめることができました。願わくば、あの満月のように、すべての人々の人間関係が円満でありますように・・・・・・。

2025年6月3日 一条真也拝






