一条真也です。9月13日、わたしはJR京都駅に隣接したホテルの客室で目覚めました。その日の朝の京都は曇りで気温は25度でしたが、日中は32度まで上昇するそうです。この日、5月30日に帰幽された鎌田東二先生の百日祭「かまたまつり」が開催されました。

2025年9月13日開催
ホテルの客室にはバルコニーがあったので、午前6時くらいに外に出てみると、比叡山が見えました。生前の鎌田先生は比叡山をこよなく愛し、「東山修験道」として約900回も比叡山に上られています。そして、いつも山頂でバク転をして、法螺貝を奏上されたのでした。わたしは比叡山の方角を向いて拝礼、合掌し、「鎌田先生、ついに『かまたまつり』の日が来ましたよ」と語りかけました。本当は法螺貝でも吹きたい気分でした。その後、ホテルで朝食をしっかりいただきました。京料理の和朝食はとても美味しく、御飯もお代わりました。腹ごしらえはOK牧場!笑

ホテルから見た今朝の比叡山方面

朝食をしっかり頂きました
10時半にホテルを出発して、11時半に亀岡の大本本部に到着しました。ここの「大本みろく会館」で、わたしが葬儀委員長を務める「かまたまつり」が開催されました。わたしが敬愛してやまない出口王仁三郎聖師の教えを守る総本山において、わが「魂の義兄弟」の百日祭が開かれ、まことに感無量であります。

京都駅前のホテルから会場へ

大本本部に到着
「かまたまつり」の看板前で

みろく会館の前で
「かまたまつり」は、先生ご自身が生前に「自分の死後は“かまたまつり”と呼ぶまつりをやってほしい」と語られていた構想を、遺言としてわたしたちに託されたものであります。わたしは鎌田先生より、葬儀委員長の大役を仰せつかりました。詳しくは、ブログ「『かまたまつり』始動!」をお読み下さい。

ようこそ、「かまたまつり」へ!

鎌田先生愛用のギター

鎌田先生のCD販売コーナー

わたしとの共著が展示されていました
会場の「みろく会館」に着くと、鎌田先生愛用のギターをはじめ、多くの展示品が飾られていました。なつかしい写真や膨大な著作も展示されていました。わたしとの共著も展示されており、胸が熱くなりました。

思い出の木魚を鳴らしました

なつかしい写真を発見!

遺品の前で島薗進先生と
鎌田先生は、宗教学・民俗学・比較文明学・神道・詩・音楽・スピリチュアリティなど、あらゆるジャンルを横断しながら活躍された、稀有な「実践思想家」でした。「神道ソングライター」としてCDをリリースし、ライブ活動を行ない、さらにはグリーフケアや防災神話に至るまで、常に現場で身体を張って生き抜かれました。その最期の願いは、「型にはまらない、思いっきり自由で、面白い、まつりのようなお別れをしてほしい」というものでした。
わたしへの形見である耀盌(出口王仁三郎作)

抹茶をいただきました

抹茶を飲みました
お骨のお菓子がありました
わたしへの形見に遺していただいた出口王仁三郎作の陶器である2点の「耀盌(ようわん)」もありました。大本さんのご好意で抹茶のしつらいもあり、わたしも一服頂戴しました。鎌田先生の遺骨が入っている(?)というお菓子も置かれていました。わたしは食べませんでしたけど・・・・・・。

この日までにギリギリ間に合った『満月交命』
『満月交命』コーナーでツーショット

賑わう受付のようす
超満員になりました!
「かまたまつり」は、12時30分から受付開始で、参加者全員に刷り上がったばかりの『満月交命』鎌田東二・一条真也著(現代書林)が配られました。788ページの鈍器本ですが、わたしからの贈呈です。13時から「かまたまつり」の第一部「鎌田ものがたり」が開始されました。
開式前のようす

追悼ムービー上映

追悼ムービー上映

魂の義兄弟よ、永遠なれ!

一礼して壇上へ
冒頭の追悼ムービーの後、葬儀委員長であるわたしが奉辞を述べました。 わたしは「わが魂の義兄 鎌田東二の御霊に捧げ奉ります」として、「去る5月30日、鎌田東二先生はこの世を卒業されていきました。翌31日、わたしは先生のご自宅を訪ね、ご拝顔させて頂きました。その表情はまさに即身成仏のような、深く穏やかで、何とも言えない安らぎに満ちていました。鎌田先生、あなたは本当にご自分の人生を全身全霊で生きられました。この場をお借りして、心から申し上げます。お見事な人生でございました!」と述べました。
葬儀委員長として奉辞を述べました
また、わたしは次のようにも述べました。
「本日、わたしたちは京都大学名誉教授であり、宗教哲学者であり、そして、わが魂の義兄弟であった鎌田東二先生を偲び、感謝を捧げるために、ここに集いました。鎌田先生は、生涯を通じて『明るい世直し』という志を掲げ、思想と行動の両面から日本社会に多大な影響を与え続けた、偉大な実践思想家でした。病を得てもなお、その情熱と行動力は少しも衰えることなく、最期の瞬間までわたしたちの前を歩き、未来を照らし続けて下さいました。先生、あなたは、まさに『光』そのものでした。それも人々に寄り添い、慈愛に満ちた『月の光』でした」

「月への送魂」で月にお送りいたしました
それから、わたしは次のように述べました。
「大本の出口王仁三郎聖師は『オリオンの星座を出でて世を救う 月の光は闇夜を照らさむ』など、月にまつわる多くの名歌を遺し、また『月宮殿』――後には『月宮宝座』と、月の名を冠する聖地を築かれました。月の光そのものであられました鎌田先生をお送りするこの場が、出口聖師とご縁深きこの亀岡であることは、必然であるとさえ感じられます。去る9月6日、わたしたちは鎌田先生の御霊を『月への送魂』にて月面へとお送りし、お鎮まりいただきました。今、鎌田先生は月光そのものとなられ、出口聖師が唱えられた『万教同根』を象徴する月より、わたしたちを見守ってくださっていると確信しております」
鎌田先生は月光そのものとなられました
それから、わたしは次のようにも述べました。
「わたしにとって、鎌田先生は最大にして最高の理解者でした。魂のこと、祈りのこと、死と再生のこと、そして人生の意味・・・どんなに深いテーマも、どこまでも真剣に、まっすぐに語り合うことができました。先生と初めて出会ったのは1990年。あれから35年――幾度もの対談や語らいを重ね、わたしたちはいつしか『魂の義兄弟』と呼び合うようになりました。そしてあるとき、わたしはふと感じたのです。『これはきっと、一度きりのご縁ではない』と。何度も何度も生まれ変わりながら、語り合ってきたような既視感がありました。先生、きっとわたしたちは、過去も、未来も、つながり続けているのですね」

わたしたちは、つながり続けているのですね
さらに、わたしは「先生との思い出は多いですが、特に心に残っているのが、満月の夜に交わし続けた『ムーンサルトレター』です。Web上の往復書簡は、240信以上、実に20年間も続きました。そして、わたしは1秒たりとも〆切を破ることなく、書き続けました。なぜなら、わたしは『約束を守る男』でありたいと誓っていたからです。先生、わたしは今ここで、新たな約束をいたします。あなたが遺してくださった『明るい世直し』の志を、魂の義兄弟として、人生をかけて受け継ぎ、生きて、生きて、生き抜いてまいります」とも述べました。
鎌田先生、お見事な人生でございました!
そして、わたしは「いつか、わたしもそちらに行ったとき、どうか笑顔で迎えてください。そしてこう言ってほしいのです。『魂の弟よ、本当によく頑張ったな』と。今日、ここに集ったわたしたちの想い、祈り、拍手、涙、そして笑顔。そのすべてが、きっと鎌田先生のもとへ届いています。先生の言葉、歌、祈りは、宗教の壁も、時代の隔たりも超え、これからも、わたしたちの心の奥に、生き続けていくでしょう。そして先生の偉大な足跡と志を胸に刻み、未来へとつないでいくことを、ここにお誓い申し上げます。鎌田先生、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました」と述べ、「最後にもう一度だけ言わせて下さい。鎌田先生、お見事な人生でございました!」と述べたのでした。

鎌田先生の遺影を拝しました

感謝を込めて拝礼しました

島薗先生の奉辞のようす

奉辞後に歌う柿坂名誉宮司

近藤高広氏の奉辞のようす

ご長男の鎌田龍明氏の奉辞のようす
壇上の遺影に向かって最敬礼し、わたしは降壇しました。
その後、友人代表の島薗進先生(東京大学名誉教授、東京自由大学学長)、来賓の柿坂神酒之祐氏(天河大弁財天社 名誉宮司)、アーティスト代表の近藤高広氏(陶芸家、現代美術家)、大本代表の山田歌氏(宗教法人大本 総務部長)、教え子代表の萩原正大氏といった生前の鎌田先生と縁の深い方々からの奉辞が続きました。いずれも心に沁みる内容でした。鎌田先生が希代の「縁の行者」であったことを再確認いたしました。最後は喪主であるご長男の鎌田龍明氏が御挨拶をされました。みなさん、心に沁みる素晴らしい奉辞を述べられました。

災害学メンバーの発表のようす

災害学について語る大谷部長
その後、14時20分から第二部「鎌田東二が未来に託したもの」が行われ、「北上の歌」の画像が流され、「能登学について」(能登学メンバー)、「災害学について」(災害学メンバー)の発表があり、わが社の大谷賢博部長も出演しました。その他、佐野文憲氏(一松造園代表)による「実践の場としての鎌田道場ーーj継承と出発」、平田龍胤氏(新宿平田神社宮司)による「新宿平田神社境内『鎌田天河大弁財天社』設立について」、今村達弥新センター長による「災害学・再学社会支援者研修センターのこれから」、大野邦久氏(災害学・災害社会支援者研修センター事務局長)、三澤史明氏(九州大学病院・心療内科医師)、須田郡司氏(巨石ハンター・写真家)による「同行三人旅~freedom」の発表があり、最後に「鎌田東二未来へのメッセージ」の動画が流されました。

島薗先生のトークのようす
発言する鏡リュウジ氏
第三部「縁の行者鎌田東二を食べる~かまた学問道 道としての学問・方法としての学問・表現としての学問」が行われ、島薗進先生(NPO法人東京自由大学学長)と辻信行氏(同運営委員長)による司会進行で、参列された方々の自由奉談が行われました。1人3分ぐらいの持ち時間で多くの方々が話されましたが、その中には占星術研究家の鏡リュウジ氏もいました。

わたしが黄金の法被姿で登壇しました
その他、ダンスや石笛や法螺貝の奏上などがありました。そして、ラストは、生前の鎌田先生との約束により、わたしが北島三郎の国民的名曲「まつり」を歌いました。わたしは背に「祭」と入った黄金の法被をまとって登壇しました。ただし、鉢巻きと腰帯だけは鎌田先生のイメージカラーであるグリーンに替えました。その装いでわたしが登壇すると、客席からどよめきが起こりました。
最初に前口上を述べました
最初に、「鎌田先生とわたしはカラオケが共通の趣味で、数えきれないほど御一緒しました。先生は、わたしが歌う北島三郎の『祭り』がお好きで、『かまた祭り』のラストでぜひ歌ってほしいと言われていました。諸先輩方おられる中で誠に不遜ではございますが、故人の希望であり、ご容赦ください!」と言いました。

皆の衆、この世もあの世も面白く!
それから、わたしは「鎌田先生、お元気ですか? わたしたちは元気です! これから、鎌田先生が大好きだった『まつり』を歌います。月まで届け、この歌・・・」と言ってからカラオケがスタートしました。イントロ部分で「初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。今日は出口王仁三郎聖師ゆかりの大本みろく会館で鎌田東二百日祭の『かまたまつり』ということで、めでたいなあ~。さあ、祭りだ、祭りだ~! 皆の衆、この世も、あの世も面白く行こうぜ!」と言うと、早くも会場が熱狂の坩堝と化しました。よし、つかみはOK牧場!(笑)
男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪

山の神♪ 海の神♪
わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、「祭」と書かれた巨大団扇やブルーの法被を着た助手が登場して、会場はカオス状態になりました。「山の神」「海の神」と口にするたびに大きな歓声が起きます。大本みろく会館の音響やスクリーンも最高です。まるで、出口王仁三郎聖師も応援してくれているような気分になりました。
会場を練り歩きました

満月交感🎵満月交遊🎵満月交心🎵満月交命🎵
みんなで歌い、踊り、大いに盛り上がりました。わたしは、会場中を練り歩き、みなさんと握手をしながら歌いました♪ 間奏では、「満月交感🎵満月交遊🎵満月交心🎵満月交命🎵」と鎌田先生との往復書簡集の書名を連呼し、さらには「令和の霊界物語♪ この世もあの世も面白く♪」と即興でラップを披露しました。
海の男が風を切る♪

倅一番船を漕げ!
これが鎌田のまつり~だ~よ~♪

フィナーレでジャンボクラッカーが炸裂!
最後は、「これが日本のまつり~だ~よ~♪」の歌詞を「これが鎌田のまつり~だ~よ~♪」に替えました。興奮が最高潮に達しました。歌い終わって、「イエ〜イ!!」と叫ぶと、舞台の左右からジャンボクラッカーが鳴らされました。まさに「狂乱のカーニバル」そのもので、割れんばかりの盛大な拍手が起こりました。歌い終わったわたしは、「鎌田先生、そちらに行ったら、またカラオケ行きましょう! その日まで、オルボワール!」と言いました。透明人間になった鎌田先生は喜んで下さったでしょうか?
葬儀委員長として謝辞を述べました
歌唱後、わたしは葬儀委員長として、そのままステージ上で謝辞を述べました。わたしは、「葬儀委員長でございます。こんな格好で失礼します。本日は、誠にありがとうございました。いま、魂のすべてを込めて、鎌田東二先生に捧げる『まつり』を歌わせていただきました。この曲の最後の一節、『これが鎌田のまつりだ〜よ〜!」と叫んだ瞬間、わたしの胸に去来したのは、先生のあの笑顔と、あのまっすぐな眼差しでした。鎌田先生は、日本を代表する宗教哲学者であると同時に、“いのちの現場”に生きた人でした。祈り、歌い、叫び、そして、どこまでも明るく、誰よりも熱く、『世直し』を語っておられました。わたしたちでそれを引き継いでまいりましょう!」と言いました。それから、わたしは「みなさま、本日は『かまたまつり』へご参集いただき、感謝いたします。みなさまのお力添えをいただき『かまたまつり』はフィナーレを迎えようとしています。葬儀委員長として心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました」と述べました。
最後に最敬礼しました
それから、わたしは「鎌田先生もきっとこの『まつり』の様子を見て、笑顔を浮かべていることを確信しております。そして今日ここにお集まりいただいた皆さまとともに、鎌田先生の偉大な功績と志を胸に刻み、未来へとつなげていきたいと思います」と延べました。そして、「最後にもう一度、心から叫ばせてください。これが――鎌田のまつりだ~よ~!」と叫んだ後、「ありがとうございました!」と最敬礼し、わたしは燃え尽きました。わたしはこの日、奉辞とカラオケの両方をやりましたが、これは1人で「礼楽」を実現したような気がしました。このブログ記事を読んだサンレーの市原泰人部長は、「ブログの画像は全て素晴らしいと感じていますが、特に最後の佐久間社長の最敬礼の画像が心に残っています。礼の象徴とも思える最敬礼で最後をしっかり締めていただいたことは、サンレーが礼の社であること、そしてかまたまつりは儀式であることを強烈に表していただいたことのように感じています」とのLINEメッセージを送ってくれました。

最後に謝辞を述べる長男・鎌田龍明氏
鎌田先生の奥様・ご長男と

鎌田先生の奥様・ご長男と

ムーンサルトレターの管理人・大野邦久氏と
最後に、鎌田先生のご長男である鎌田龍明氏が謝辞を述べ、続いて鎌田先生の奥様も御挨拶をされました。法螺貝にまつわるユニークなエピソードも披露され、会場が爆笑に包まれました。「かまたまつり」は明るく、笑顔の中で幕を閉じました。その後、お二人とお話すると、わたしの「まつり」のパフォーマンスに今日イチで驚かれたそうで、とても喜んで下さいました。また、東京工業大学の元学長で文化人類学者の上田紀行先生にもお会いしました。先生は「ぼくのゼミの生徒たちが一条さんのブログを使ってレポートを書くんですよ」と笑っておられました。占星術研究家の鏡リュウジ氏とも話しました。鏡氏はじつはムーンサルトレターの前任者で、鎌田先生と20信ほど交換されています。わたしが「鏡さん、240信やりましたよ!」と言うと、「素晴らしい!」と褒めて下さいました。そのムーンサルトレターを続けられたのも管理人の大野邦久氏のおかげです。深く感謝申し上げます。

夕食はホテルの中華料理店で

思い出の店で鎌田先生に献杯しました
感謝といえば、今回はサンレーのみなさんが本当によくサポートしてくれました。特に、「かまたまつり」の実行委員だった市原泰人室長と大谷賢博部長には心から感謝しています。彼らがいなかったら、ここまで成功できなかったと思います。本社からは山下格常務も来て、スタッフへ的確な指示を与えてくれました。サンレー勢は、会場のお客様から「さすがは儀式のプロですね!」とお褒めの言葉を頂戴いたしました。わが社が「礼の社」であり、「文化の防人」であることを再認識しました。「天下布礼」の同志たちを心から誇りに思います。その日の夜は、ホテルグランヴィア京都の15階にある中華料理店「六本木樓外樓」で打ち上げをしました。この店は、わたしが京都を訪れたとき、いつも鎌田先生と会食した思い出の店です。この日飲んだ酒の旨かったこと! ということで、鎌田先生、オルボワール!

思い出の中華料理店で在りし日の鎌田先生と
2025年9月14日 一条真也拝


