「ブルーピリオド」

一条真也です。
今年のお盆休みは、ひたすら次回作『冠婚葬祭文化論』の原稿を書いていました。実家を毎日訪れた以外はどこにも出掛けなかったのですが、最後に16日の夕方、日本映画「ブルーピリオド」シネプレックス小倉で鑑賞。素晴らしい大傑作で猛烈に感動! 一条賞の有力候補作です!

 

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『マンガ大賞2020』を受賞し、アニメ化もされた山口つばさの漫画を実写映画化。充実した日々の一方でむなしさも抱える高校生が、一枚の絵をきっかけに美術の面白さに目覚め、国内最難関の美術大学を目指して奮闘する。『サヨナラまでの30分』などの萩原健太郎が監督、『ガールズ&パンツァー』シリーズなどの吉田玲子が脚本を担当。 『彼方の閃光』などの眞栄田郷敦が主演を務め、『交換ウソ日記』などの高橋文哉と桜田ひより、『なのに、千輝くんが甘すぎる。』などの板垣李光人らが共演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「成績優秀で世渡り上手でありながら、どこか空虚な思いを抱える高校生・矢口八虎(眞栄田郷敦)。あるとき苦手な美術の課題で一枚の絵を描いた際、初めて本当の自分を表現できたような感覚を抱く。アートに興味を持ち始めた彼は、国内最難関の美術大学の受験を決断する。経験も才能もない中で、才能あふれるライバルたちやアートという正解のない壁に葛藤しながらも、八虎は情熱だけを武器に困難に立ち向かっていく」

 

 

『ブルーピリオド』(Blue Period.)は、山口つばさによる日本の漫画です。『月刊アフタヌーン』(講談社)にて2017年6月24日発売の8月号から連載中。絵を描くことの楽しさに目覚めた主人公を中心に、美術大学受験予備校や入学試験での苦悩、東京藝術大学の学生として美術を学んでいく姿を描いた青春群像劇です。2021年10月にテレビアニメ化、2022年3月に舞台化されました。そして、2024年8月に実写映画版が公開されたわけです。

 

成績優秀で世渡り上手な高校2年生・矢口八虎は、悪友たちと遊びながら、毎日を過ごしていました。誰もが思う“リア充”。そんな八虎は、いつも、どこかで虚しさを感じていました。ある日、美術室で出会った1枚の絵に、八虎は心を奪われます。「絵は、文字じゃない言語だから」。絵を通じてはじめて正直な気持ちを表現できた八虎は、美術の面白さに目覚め、衝動のままにスケッチブックへ向かっていきます。そして八虎は、ついに進路を固めます。「第一志望 東京藝術大学。」実質倍率200倍、入学試験まで、あと650日! 国内最難関の美大を目指して青春を燃やす、アート系スポ根物語が開幕します!

 

今回の「ブルーピリオド」の実写版ですが、主人公の矢口八虎を演じた眞栄田郷敦がとにかく素晴らしかったです。彼は2000年、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡サンタモニカ生まれ。父は千葉真一、兄は新田真剣佑。10歳の時、空手道の全米大会で準優勝。京都市立修学院中学校から明誠学院高等学校へ入学し、吹奏楽部で部長を務め、全国大会銅賞を受賞。サクソフォーンでプロを目指し、東京藝術大学を受験するも不合格で、サックスの道を断念しました。そんな彼が同大学への合格を目指す高校生を見事に演じ切りました。石田ひかり薬師丸ひろ子、江口ともこといった助演女優陣も良かったです。

 

この映画を観て、東京藝術大学油画に合格することの難しさに驚きました。ふつう、芸術に知性は関係なく、感性のみが必要とされるように思われがちですが、絵画には知性も必要とされることがよくわかりました。まず、テーマを与えられたら、そのテーマの本質について熟考します。そして、それをどのように表現するかについても熟考します。それは、いわゆる「哲学」と呼ばれる営みそのものです。「絵は、文字じゃない言語」とはいっても、絵を描く前には言語を駆使して思考するのです。まさに、頭が悪くては良い絵は描けません。ちなみに、東京藝術大学は国立ですので、センター試験を受けなければなりません。そして、そこで獲得しなければならない得点は高いのです。この映画でも、八虎やそのライバルたちも高校の成績はみなトップクラスという設定になっていました。

 

この映画のテーマですが、わたしは「人は何のために生きるか」だと思いました。薬師丸ひろ子演じる高校の美術教師・佐伯昌子に、眞栄田郷敦演じる八虎は「美大に行って将来性があるんですか?」と問うシーンがあります。女教師は微笑みながら、「あなたにとって価値のあるものって何ですか?」と静かに問い返すのでした。わたしは60年以上生きてきて、人生とはつまるところ、「やらなければいけないこと」と「やりたいこと」のせめぎ合いだという気がします。そして、わたしは、その2つをなんとか両立させ、さらには一致させるべく藻掻き続けてきたようにも思います。八虎が「絵を描くことが好きなんだ! 夢中になれるんだ!」と石田ひかり演じる母親に訴えるシーンは心に響きました。わたしは今回の夏休みの間ずっと原稿を書いていましたが、「自分は、やっぱり書くことが好きなんだ」と再確認しました。そして、そのテーマとは、冠婚葬祭文化の振興。わが信条である「天下布礼」に直結する「やらなければならないこと」でした。「やらなければいけないこと」と「やりたいこと」を悪戦苦闘しながらも両立・一致できるわたしは本当に幸せ者だと思います。


小学生時代に描いた油絵の数々

 

そんなわたしですが、昔は画家を目指していました。ブログ「小学生時代の油絵」で紹介したように、2018年の11月に実家の倉庫を片付けていたら、わたしが小学生高学年の頃に描いた油絵が出てきたので、「どうする?」という問い合わせがありました。わたしは、「とりあえず会社に持ってきてくれないか」と頼み、額縁に収められた4点の油絵が社長室に届きました。わたしは、岡先生と西村先生という二人の北九州出身の洋画家から油絵を習いました。美術品のコレクターだった父が両先生を応援していた関係です。今ではお二人とも日本を代表する有名な画家になられました。最初に習ったのはブログ「岡義実展」でも紹介した岡先生で、セザンヌのような印象派を思わせる絵を描かれる方でした。わたしも果物などの静物画を描いていますが、光の描き方が岡先生の指導を思わせます。

小学生時代に描いた「茶器」

 

岡先生の指導の下に茶器も描きましたが、これがなかなかの出来ばえです。シンプルな茶器の中に「わび」「さび」を感じますが、何よりも茶器とは「かたち」そのものです。水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そんなことを小学生の頃から考えていたとしたら大したものです。わたしは少年時代の自分に「おまえ、えらいな!」と言いたくなりました。(笑)

小学生時代に描いた「海辺の光景」

 

岡先生の次に習ったのはシュールレアリスムに通じていた西村先生でした。わたしは当時愛読していた藤子不二雄Aのマンガ『魔太郎がくる』で初めて知ったマグリットの不思議絵のような絵を描きたいと思いました。そこで描いたのが、「海辺の光景」と題する絵です。空に浮かんだ雲のような白い唇、そして巨大な顔・・・・・・つげ義春のマンガも連想させるようなシュールな世界を表現しています。また、ゴヤの影響を受けていたと思われる西村先生の指導で、欲にかられた人間が黄金に手を伸ばそうとすると腕が白骨に変わるという「欲望」という絵も描きました。あの頃、とにかく絵を描くのが楽しくて片っ端からカンバスに向かい、いろんなテーマで油絵を描いていました。そこには確かに、描くことへの情熱がありました。

 

小学生時代の描くことへの情熱といえば、ブログ「ルックバック」で紹介したアニメ映画を思い出します。チェンソーマン』などの藤本タツキによるコミックが原作で、小学生の少女が、漫画好きという共通点を持つ不登校の少女と共に漫画制作に邁進するも、やがて衝撃的な出来事が起こる物語です。小学4年生の藤野は学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメートから絶賛されていました。ある日、藤野は先生から不登校の京本が手掛けた4コマ漫画を学生新聞に載せたいと告げられます。そのことを機に藤野と京本は親しくなっていきますが、やがて成長した2人に、全てを打ち砕く出来事が起こるのでした。油絵と漫画というジャンルの差はありますが、「ブルーピリオド」と「ルックバック」には、ともに描くことへの途方もない情熱が見事に描かれています。


東京藝大受験の審査員たち(映画.com)

 

映画の中で考えさせられるシーンもありました。東京藝術大学絵画科油画専攻の受験で、受験生たちが仕上げた絵を審査するシーンです。どのような基準で選考するのか、わたしのような素人には想像することもできませんが、審査員たちはシビアに合格と不合格に作品を振り分けていきます。わたしが副理事長を務める一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団では、「子ども絵画コンクール」を行っています。絵画は「私がおもう結婚式」「残したい日本の儀式」をテーマに、小学1・2年生、3・4年生、5・6年生と3分類して、優秀作品を選びます。わたしもずっと審査員を務めてきましたが、子どもの絵画教育に詳しいある審査員は膨大な絵を見ながら「これは子どものタッチではないですね」「これは大人の手が入っていますね」と、ビシビシ指摘します。そして、子どもにしては巧すぎる作品をバンバン落としていくのですが、わたしはいつも「もし、この絵を描いた子が天才だったら?」と思ってしまいます。映画を観ながら、そんなことを思い出しました。


唯葬論』(サンガ文庫)

 

映画「ブルーピリオド」の中で、桜田ひより演じる高校美術部の先輩・森まる(彼女は、武蔵野美術大学に進学します)が「絵画の発生」について八虎に語るくだりがあります。人はなぜ絵を描くのか? それは絵を描くことは「祈り」であり、「その絵を見た人が幸せになることを願っているから」という説を紹介していました。それを聞いたとき、わたしは拙著唯葬論(三五館、サンガ文庫)の「芸術論」で「芸術とは何か。芸術にはさまざまなジャンルがあるが、『芸術』という言葉を聞いて、多くの人がまず連想するのは美術、それも絵画ではないだろうか。どうも芸術家イコール画家というイメージが一般にはある。人間が精神と肉体からなっているといわれるように、美術作品も主題(テーマ)とその表現からなっているといわれる」と書きました。美術作品は表現だけが重要で、主題は副次的なものにすぎないという考え方もないわけではありません。事実、造形的な冒険の連続といってもよい20世紀美術においては、まず表現の可能性が追求されました。

 

それに対して、ヨーロッパ中世の写本やキリスト教会に描かれた壁画では、逆に主題のほうが重要でした。そしてもっとも重大な主題は、人生における4つの終事、すなわち「四終」とされました。「四終」とは、死、最後の審判、天国、地獄を指しますが、これについてはキリスト教に限らず、仏教でも、死生、極楽浄土、地獄に関する仏教説話集や、その説話に基づく絵画・彫刻が多く残されています。死の儀式を最初に行った者は、ネアンデルタール人だとされています。この種族は発達した脳と言語を持っていたらしく、しかも、発掘された彼らの洞窟の中の遺骨の周囲に花の花粉が発見されたので、死者たちに花を手向けたと考えられます。そして、約2万年前のクロマニョン人が、ラスコー洞窟に残した壁画が発見されていることからもわかるように、人類と絵画表現の歴史は後期旧石器時代にはじまるのです。死の儀礼と絵画表現の発生を考えたとき、両者には明らかに「祈り」という共通点があります。

目に見えぬ縁と絆を目に見せる素晴らしきかな冠婚葬祭

 

この映画では、「祈り」の他にも心に響くキーワードが登場しました。「縁」です。八虎が通う予備校(東京美術学院)で江口のりこ演じる講師の大葉真由が性とたちに与えた絵のテーマです。「縁」というものはもちろん目に見えませんが、それを絵画として可視化するわけです。八虎は赤い糸を描くのですが、大葉講師からは「ありきたりねぇ」と一刀両断にされます。この場面を見て、わたしは「縁を可視化するなら、まさに冠婚葬祭のことだな」と思いました。「縁」と似た言葉に「絆」がありますが、「縁」が先天的で「絆」は後天的だと言えます。わが社は、冠婚葬祭業の会社です。結婚式や葬儀をはじめとした儀式によって多くの方々を幸せにするお手伝いをしています。冠婚葬祭は、目に見えない「縁」と「絆」というものを目に見せてくれます。かつて、わたしは「目に見えぬ縁と絆を目に見せる 素晴らしきかな冠婚葬祭」という道歌を披露したこともあります。ちょうど、脱稿したばかりの『冠婚葬祭文化論』にそのことを書いたばかりでした。


意外と親孝行な八虎(映画.com)

 

「縁」といえば、まずは血縁です。映画「ブルーピリオド」を観て、強く感じたのが八虎の家族愛でした。八虎は友人たちと徹夜で酒を飲みながら騒ぎ、タバコも嗜む遊び人です。金髪で軟骨にピアスも空けている不良でもあります。その一方で、成績はトップクラスという器量の良い優等生でもあり、何よりも両親に対して素直な男の子です。彼の父親はかつては「社長」と呼ばれた人でしたが、事業が失敗して清掃会社に勤めています。少しでも多くの収入を得たいと夜勤を頑張っています。そんな父親が仕事に出かけるときは、八虎は「行ってらっしゃい!」ときちんと挨拶します。また、パートや家事で疲れ果て、食卓に突っ伏して寝てしまった母親の姿をデッサンし、「母さんの手は食器洗いでささくれているし、重い荷物を持つから筋肉もついているんだね」と優しく感謝の言葉を伝えます。


もっともっと親孝行したい!

 

その両親が八虎の東京藝大受験の当日に手作りのお守りを渡したり、手作りの弁当に海苔で「ガンバレ」と描いたり、試験の間ずっと落ち着かなかったりする様子は微笑ましく、合格の報に接したときの喜びようには感動しました。やはり、子どもの成功を一番喜んでくれるのは親なのです。わたしも、東京藝大油画ほどの難関ではないですが、早稲田の政経に合格したときの両親の喜びぶりを思い出して、涙腺が緩みました。ブログ「父と神社へ」で紹介したように、わたしの父は健康を害しています。現在、父は88歳ですが、もっともっと親孝行したいと思います。そんなことを考えながら映画を観ていたら、やたらと泣けてきました。その後、映画を観終わって帰宅したら、ブログ「東京藝大生から肖像画が届きました!」で紹介したように、芸術系大学の最高峰・東京藝大で最難関とされる美術学部絵画科油画専攻に今年現役合格した大谷真結香さんから、わたしの油絵の肖像画が届いていました。 

「 一条真也肖像」(大谷真結香)

 

真結香さんは、ブログ「春分の日に春が来た!」で紹介した サンレー北陸の大谷賢博部長の長女さんです。真結香さんが描いて下さったわたしの肖像画を見たとき、「祈り」ということを強く感じました。というのは、わたしは多くのことを祈っているのです。現在は、父の健康、冠婚葬祭文化の振興、能登半島地震の被災地の復興、世界から戦争がなくなること・・・・・・個人的なことから、大きなことまで、いろんなことを祈っているのです。真結香さんの絵から「あなたの祈りが通じることを祈っています」というメッセージを感じ、涙が出てきました。本当に、ありがたかったです。東京藝大油画に現役合格するため切磋琢磨した大谷さんと池村さんは能登半島地震で避難生活も経験し、苦難の冬を乗り越えて快挙を成し遂げました。ここにも大きな「祈り」の力が働いたことだと思います。それは真結香さんのお父さんが仕事としている冠婚葬祭やグリーフケアにも通じる営みだと思います。改めて、大谷さん父娘に心から感謝を申し上げます。この絵は、わたしの一生の宝物です。ぜひ、家宝にさせていただきます!

 

2024年8月17日  一条真也