終戦の日 

一条真也です。
8月15日、今年も「終戦の日」が来ました。
日本武道館では、「全国戦没者追悼式」が行われました。


日本人だけで310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わってから、今年で79年目を迎えました。いくら新型コロナウイルスの感染拡大の被害が大きかったと騒いでみても、戦争のほうがずっと悲惨です。現在も、世界では戦争が続いています。

2023年8月15日(昨年)の各紙朝刊

 

今朝起きて朝刊各紙を手に取りましたが、わたしは大きなショックを受けました。なんと、「終戦の日」の記事がほとんどないのです。いずれも岸田文雄首相が次回の自民党総裁選に出馬せず退陣するという記事ばかりで、戦争に関する記事がありません。来年は終戦80年を迎えるというのに、日本で戦争の記憶は完全に風化してしまったのか? そもそも、こんな大事な時期に岸田首相も退陣を発表する必要があったのか? お盆明けでもよかったのではないか? 民主主義とは生者のためだけでなく死者のためにもあるのではないのか?  わたしたちが現在平和に生きていられるのは先の戦争で尊い命を散らされた英霊のおかげであるのに、死者を忘れていいのか? そのことを最も理解しているのが自民党ではなかったのか?


2024年8月15日(今年)の各紙朝刊

 

そんなことを考えると、わたしは本当に情けなくなりました。「日本もいよいよ終わったな」とさえ思いました。「パリ五輪が終わったら、知覧の特攻平和会館に行きたい」と語った卓球の早田ひな選手の言葉だけが救いです。ブログ「終戦70年の日」で紹介したように、70回目の大きな節目となった2015年の8月15日は靖国神社を参拝しましたが、今年の8月15日は九州は小倉の地で黙祷いたします。終戦60年の2005年8月、わたしは、以下のような歌を詠みました。

 

ひめゆりよ知覧 
 ヒロシマナガサキよ 
     手と手あはせて
   祈る八月 (庸軒)

 

先の戦争について強く思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。真珠湾攻撃戦艦大和、回天、ゼロ戦、神風特別攻撃隊ひめゆり部隊沖縄戦満州硫黄島の戦い、ビルマ戦線、ミッドウェー海戦東京大空襲、広島原爆、長崎原爆、ポツダム宣言受諾、玉音放送・・・挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが先の戦争だったと思います。


ヤフーニュースより

70回目の「終戦の日」に靖国神社を参拝

 

実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマが派生していったでしょうか・・・・・。「物語」といっても、戦争はフィクションではありません。紛れもない歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。

 

戦争というものは、ひときわ歴史の密度を濃くします。ただでさえ濃い物語が無数に集まった集積体となるのです。「巨大な物語の集積体」といえば、神話が思い浮かびます。そう、『古事記』にしろ『ギリシャ神話』にしろ、さまざまなエピソードが数珠つながりに連続していく物語の集合体でした。いま、今日が「終戦の日」であることも知らない若者が増えているそうです。彼らにとって戦争など遠い過去の出来事なのでしょう。それこそ、太古の神話の世界の話なのかもしれませんね。神話といえば、世界中の神話や伝説で「月は死後の世界」と語られています。3年前、当ブログの読者の方から「コロナ禍で墓参りができない今こそ、世界中どこからでも先祖供養ができるムーン・ハートピア・プロジェクトを見直すべき」とのご意見を頂戴しました。たしかに、月面聖塔はウィズコロナにふさわしい供養の在り方かもしれません。

 

わたしの好きな歌の1つに戦争を知らない子供たちがあります。この歌は単純な反戦ソングなどでなく、もっと深い意味があるように思えます。「神話からの解放」そして「新たな神話の創造」を宣言する歌のように思えるのです。戦争という愚行を忘れるのはいい。でも、先人の死を忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえないからです。そんなことを考えながら「戦争を知らない子供たち」を聴くと、また違ったメッセージを感じることができます。平和の歌を口ずさみながら、自分なりに戦没者の方々に心からの祈りを捧げたいと思います。

ウェルビーイング?』『コンパッション!』の双子本

 

現在のわたしは、「ウェルビーイング」と「コンパッション」の2つをメインテーマとして追求しています。わたしは、以前はウェルビーイングを超えるものがコンパッションであると考えていましたが、この2つは矛盾しないコンセプトであり、それどころか2つが合体してこそ、わたしたちが目指す互助共生社会が実現できることに気づきました。ウェルビーイングが陽なら、コンパッションは陰。そして、陰陽を合体させることを産霊(むすび)といいます。幸福の正体は、ウェルビーイングだけでは解き明かせません。また、コンパッションだけでも解き明かせません。陰陽の2本の光線を交互に投射したとき、初めて幸福の姿が立体的に浮かび上ってくるように思います。



ウェルビーイング」という考え方が生まれたのは1948年ですが、そこには明らかに戦争の影響があったと思います。また、ビートルズ「Let It  Be」のメッセージをアップデートしたものがジョン・レノン「IMAGINE」だと気づきました。つまり、ウェルビーイングには「平和」への志向があるのだと思います。実際、ベトナム戦争に反対する対抗文化(カウンターカルチャー)として「ウェルビーイング」は注目されました。現在の世界では、ロシア・ウクライナ戦争およびイスラエル・ガザ戦争が行われていますが、このような戦争の時代に「ウェルビーイング」は再注目されました。



一方、「コンパッション」の原点は、『慈経』の中にあります。ブッダが最初に発したメッセージであり、「慈悲」の心を説いています。その背景には悲惨なカースト制度があったと思います。ブッダは、あらゆる人々の平等、さらには、すべての生きとし生けるものへの慈しみの心を訴えました。つまり、コンパッションには「平等」への志向があるのだと思います。現在、新型コロナウイルスによるパンデミックによって、世界中の人々の格差はさらに拡大し、差別や偏見も強まったような気がします。このような分断の時代に、また超高齢社会および多死社会において、「コンパッション」は求められます。

 

慈経 自由訳

慈経 自由訳

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

地球環境の問題は別にして、人類の普遍的な二大テーマは「平和」と「平等」です。その「平和」「平等」を実現するコンセプトが「ウェルビーイング」「コンパッション」ではないでしょうか? コンパッション(Compassion)→  スマイル(Smile)→  ハピネス(Happiness)→   ウェルビーイング(Well-being)の「CSHW」のハートフル・サイクルは、かつて孔子ブッダやイエスが求めた人類救済のための処方箋となる可能性があるのではないか? 「WC」つまり「ウェルビーイング&コンパッション」の産霊を実現することが、ハートフル・ソサエティ実現の第一歩です。



門司港にある世界平和パゴダでは、ミャンマー仏教などの上座仏教の根本経典である「慈経」が唱えられるでしょう。このお経は、ブッダが最初に説いたとされる平和の祈りです。わたしは、「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。「ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。わたしは、この「慈経」を自分なりに自由訳したいと思い立ちました。そして、2014年に慈経 自由訳(三五館)、2019年に慈経 自由訳(新装版・現代書林)を上梓しました。

 

 

また2017年、わたしは般若心経 自由訳(現代書林)を上梓しました。自由訳してみて、日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることに気づきました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。

 

さらには今年、わたしは供養には意味がある産経新聞出版)を上梓しました。「日本人が失いつつある大切なもの」というサブタイトルがついています。わたしは、供養とはあの世とこの世に橋をかける、死者と生者のコミュニケーションであると考えています。そして、供養においては、まず死者に、現状を理解させることが必要です。僧侶などの宗教者が「あなたは亡くなりましたよ」と死者に伝え、遺族をはじめとした生者が「わたしは元気ですから、心配しないで下さい。あなたのことは忘れませんよ」と死者に伝えることが供養の本質だと思います。

 

 

同書を刊行した産経新聞出版からは、終戦80年にあわせた大作『鎮魂・慰霊・供養~日本人と死者(仮題)』の執筆を依頼されています。わがライフワークとして、心して書かせていただきます。来年の「沖縄慰霊の日」「広島原爆の日」「長崎原爆の日」「終戦の日」の当日には、すべて現地での式典に参加する予定です。最後に、先の戦争で亡くなられたすべての方々と、今日で一周忌を迎えた妻の義兄の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2024年8月15日 一条真也