一条真也です。
鑑賞してから時間が経過しても、ブログ「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」で紹介したドキュメンタリー映画を観た感動の余韻にまだ浸っています。日本の音楽史に大きな足跡を残した加藤和彦の生涯を紹介した作品です。
わたしは加藤和彦の大ファンですが、彼の生涯を振り返ったとき、その音楽人生のスタートとなった「ザ・フォーク・クルセダーズ」(通称フォークル)の存在が大きかったことがわかります。加藤和彦(龍谷大学)、北山修(京都府立医科大学)、はしだのりひこ(本名:端田宣彦、同志社大学)の3人の大学生が結成し、「応仁の乱」から500年後の京都で誕生した奇跡のカレッジバンドです。
1965年、当時大学生だった加藤和彦が、雑誌「MEN'S CLUB」の読書欄で一緒にフォークをやってくれるメンバーを募集したところ、医大生だった北山修らが参集。「帰って来たヨッパライ」や「イムジン河」が話題となってプロ・デビューする際に、はしだのりひこが参加しました。北山は声が良くスター性のある杉田二郎を3人目に推薦しましたが、加藤がプロ活動の条件にはしだの加入を主張したとのこと。じつは、加藤は引きこもりがちだったとき、同級生のはしだに励まされていたそうです。はしだのりひこは、加藤和彦をケアしていたのです!
3人揃ったフォークルのデビュー曲「帰って来たヨッパライ」は1968年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットになるなど、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ1位となる爆発的売れ行きを見せ、一躍メンバーは時の人になりました。そして「帰って来たヨッパライ」、「悲しくてやりきれない」などの楽曲を含むアルバム『紀元貮阡年』により、大衆音楽への新たな方向性を切り開いたのです。それは、日本の音楽革命でした。
はしだ のりひこは、フォークルが1968年10月に解散した後、「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」「はしだのりひことヒポパタマス」のリーダーを務め、ソロに転向。はしだのりひことシューベルツには「ジローズ」の杉田二郎、「ザ・ヴァニティー」の越智友嗣と井上博も参加し、「風」が大ヒット。「ちょっぴりさみしくて振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけ♪」「人は誰も人生につまづいて、人は誰も夢破れ振り返る♪」という物悲しい歌詞は、北山修によるものです。
はしだのりひこは、晩年、パーキンソン病と白血病を患っていました。2017年4月23日、KBS京都開局65周年企画「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演、約10年ぶりに表舞台に車椅子姿で現れ、10年ほど前からパーキンソン病を患っていたことを公表しました。このKBS京都のライブの後に京都市内の病院に入院したため、これが公の場に姿を見せた最後の場となりました。同年12月2日、パーキン死去。72歳没。同年12月6日に「セレマ稲荷シティホール」で行われた告別式には、参列者約600人が集まりました。参列者たちは、杉田二郎の音頭の元、ヒット曲「風」を大合唱しました。
そのとき、北山修は「春に引っ張り出して京都でコンサートをやった時、一緒に作った『風』を歌った。あの歌詞の通り過去が『ただ風が吹いているだけ』になって、寂しい。長い闘病生活だったが、ノリちゃん、本当にお疲れさま」との言葉を残しています。2009年10月17日、加藤和彦が長野県北佐久郡軽井沢町のホテルで遺体となって発見されました。死因は首吊りによる自死と見られました。62歳没。同年12月10日、北山修と坂崎幸之助の主催で「加藤和彦さんを偲ぶ会 KKミーティング」が行われました。生前の関係者が多数参加し、500名ほどが参加しています。まさに、故人の縁者が集いました!
フォークルのメンバーで現在も健在なのは、北山修ただ1人となりました。彼はミュージシャンとしてだけではなく、精神分析の世界でも第一人者として知られています。九州大学名誉教授、白鷗大学名誉教授、白鷗大学学長。専門は臨床精神医学、精神分析学。元日本精神分析学会会長。精神分析科医である彼が作詞した歌には「ケア」の要素があるように思えてなりません。「風」もそうですし、「あの素晴しい愛をもう一度」もそうです。グリーフケアの名曲としては、サトウハチローが作詞し、フォークルが歌った「悲しくてやりきれない」もあります。
北山修氏と対談したいです!
わたしは、グリーフケアの研究と実践に努めております。上智大学グリーフケア研究所の客員教授として、「読書とグリーフケア」や「映画とグリーフケア」などの講義も担当していました。『死を乗り越える読書ガイド』『死を乗り越える映画ガイド』(ともに現代書林)という著書もあります。その他、「歌とグリーフケア」というテーマにも強い関心を抱いており、カラオケで大量の楽曲を歌っては「どんな歌が悲嘆に寄り添えるか」について考察してきました。歌には、間違いなく、悲しみを軽くする力があります。ぜひ一度、北山修氏にお会いして「歌とグリーフケア」について対談させていただきたいです。そして、その対談本のタイトルは『悲しくてやりきれない~グリーフケア・ソングの世界』はいかがでしょうか?
ところで、フォークルのデビュー作である「帰って来たヨッパライ」もグリーフケア・ソングであることに気づきました。一見コミック・ソングのようではありますが、「天国良いとこ一度はおいで、酒はうまいし、ネエちゃんは綺麗だ♪」という現在では不適切な歌詞に、どれだけ多くの日本人男性が死の不安や恐怖を紛らわせてきたことか? グリーフケアの二大機能が「死別の悲嘆を軽減すること」と「死の不安を乗り越えること」ならば、「帰ってきたヨッパライ」は偉大なるグリーフケア・ソングです!
わたしが後を振り返ったら・・・
ここで、「風」の話題に戻します。
わたしも61歳になりましたが、「人は誰も夢破れ、振り返る♪」「振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけ♪」という歌詞が心に沁みる年齢になりました。わたしの人生など本当にささやかなものですが、振り返ってみると、お世話になった方々の顔が浮かんできます。その中で、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生や、「出版寅さん」こと内海準二さんの一条真也の作家人生における存在の大きさを痛感いたします。
そこには、ただ風が吹いているだけ♪
わたしがこれまでの歩みを振り返ったとき、そこには風が吹くだけでなく、231信におよぶ鎌田先生と交わした「シンとトニーのムーンサルトレター」があり、処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)から最新作『リメンバー・フェス』(オリーブの木)に至るまでの内海さんに編集していただいた一連の一条本の存在があります。これらは、わたしに生きる意味を与えてくれました。改めて鎌田先生や内海さんへの感謝の念が湧いてきます。わたしは、まだまだ「天下布礼」の風を吹かせます!
2024年6月4日 一条真也拝