一条真也です。
10月1日の午前8時45分から、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールにて、サンレー本社の総合朝礼を行いました。今年は猛暑が続いたため、10月は冬季衣替え移行期間としたため、クールビズでの開催です。
最初は、もちろん一同礼!
社歌斉唱のようす♪
マスク姿で登壇しました
マスクを外しました
一同礼の後、全員で社歌を斉唱しました。
その後、社長訓示の時間となり、わたしがマスク姿で登壇しました。わたしは、まず、「9月20日午前7時59分、サンレーグループ創業者の佐久間進名誉会長が旅立ちました。わたしは最期を看取りましたが、穏やかな表情で堂々と人生を卒業してゆきました。通夜式が25日、葬儀告別式が26日に小倉紫雲閣の大ホールで盛大に行われました。準備および施行に関わったみなさんには心より感謝申し上げます。25日の午前中は雨が降っていたのですが、通夜式の直前に空が晴れて、大きな虹が小倉紫雲閣の上にかかりました。それは、まるで天に昇る龍のようでした」と言いました。
忌中札について話しました
また、わたしは以下のように述べました。
葬儀当日の26日は名誉会長の行年90歳の誕生日にあたりました。本人は90歳の誕生日を迎えることを望んでいましたが、残念ながら叶いませんでした。葬儀の日は、新しい世界へと生まれ変わる誕生祝いだとも言えます。わたしは、そんな想いでした。堂々たる生涯を終えた佐久間名誉会長は、入院先の小倉記念病院から自宅に戻りました。そこで黄檗宗広寿命山福聚寺のご住職に枕経をお願いいたしました。夜は安置された故人の側にいましたが、ふと思い立ち、門に「忌中」の札を貼りました。
死は不幸ではないが、親との死別は寂しい
熱心に聴く人びと
防犯上の観点とやらで最近はめっきり目にすることが減った忌中札ですが、やはり故人が地域のみなさまの縁に支えられて生きてこられた以上、掲げることには大きな意味があるかと思いました。これも少しは「有縁社会」の再生になればと思った次第です。「地縁」も大事ですが、「血縁」はもっと大事です。故人はわが社の名誉会長であるとともに、わたしの父親でもありました。「死は不幸ではない」と言い続けてきたわたしですが、不幸ではないにしろ、最も親しい存在である「親」が亡くなるというのはやはり寂しいものですね。また、とても悲しいものですね。いま、心の中にぽっかりと大きな穴が開いているように感じています。
肉体は滅んでも精神は不滅である!
佐久間名誉会長の肉体は死を迎えましたが、名誉会長は生前に多くの言葉を遺してくれました。「陽転思考――何事も陽にとらえる」、「礼経一致――最高の満足 最高の利益」、「対話こそ人生」、「堂々と生きる――感謝と笑顔と思いやり」、「『はひふへほ』の法則」、「『これはよい』の法則」、「太陽はまた昇る」、「人類愛に奉仕する」、「八美道」など。名誉会長の遺した言葉は、じつにたくさんあります。それらの言葉は、すべて八月末に完成したムック『佐久間進のすべて』に収められています。58年前、佐久間名誉会長は万人に太陽の光のように等しく冠婚葬祭のサービスを提供したいと願って、サンレーを創業しました。わたしをはじめとしたサンレーグループ社員の心の中に名誉会長の言葉が生き続ける限り、佐久間進の精神は不滅です!
魂のドライブを紹介しました
熱心に聴く人びと
自宅に安置されていた名誉会長の遺体は、21日の午前中、小倉紫雲閣に移されました。その前に、天道館、松柏園ホテル、 皇産霊神社といった名誉会長の想いが込められたサンレーグループの諸施設を回りました。わたしは、リムジン霊柩車の助手席に乗りました。最初に天道館に寄りました。2013年9月26日の七八歳の誕生日の日に天道館の竣工式が行われました。そのときに名誉会長と並んで写真を撮影した思い出が蘇りました。次に松柏園ホテルに寄ると、大勢の社員のみなさんが整列して合掌してくれました。わたしは窓を開けて、大きな声で「ありがとうございます!」と言い続けました。今から8年前、サンレー創立50周年を父と一緒に祝ったことが思い出されました。松柏園を出発した後は、皇産霊神社へ。「太陽を追う男」と呼ばれた名誉会長が「日の出の最も美しい場所」として選んだ門司の青浜に建立した神社で、名誉会長が崇拝してやまなかった聖徳太子の像も鎮座しています。神域なので霊柩車は鳥居をくぐれませんでしたが、その前を通ることができて、故人もさぞ喜んだことと思います。
わが社が「礼の社」であることを誇りに思う!
それから、一路、小倉紫雲閣へ。「月の広場」には、多くの社員のみなさんが並んでいました。「一同礼!」の合図で、みなさん一斉に深々とお辞儀をされました。その姿を見て、わたしは「やっぱり、うちの会社のお辞儀は日本一ですよ。見事なものです」と後席の棺に向かって語りかけました。わたしは、わが社が「礼の社」であることにこの日ほど強い誇りを感じたことはありません! 松柏園でも紫雲閣でも、迎えてくれた社員のみなさんはみな名誉会長の逝去を惜しんでくれました。ここまで社員のみなさんに愛された姿を見て、わたしは故人の偉大さを改めて再確認しました。佐久間名誉会長が亡くなった20日の夜、実家の門を出ると、目の前にある松柏園ホテルの本館の上空に幻想的な月が見えました。新時代のセレモニーである「月への送魂」をいつも名誉会長と並んで見たことが思い出されました。
月の追悼歌を披露しました
太陽の追悼歌を披露しました
幻想的な月の下では、松柏園が月光を浴びて輝いていました。松柏園の総支配人だった名誉会長は、北九州市冠婚葬祭互助会を設立し、サンレーグループの礎を築きました。創業以来、「天下布礼」を掲げていましたが、その原点こそ松柏園ホテルでした。その松柏園の上にかかった月を眺めていると、名誉会長の人生や想いが次々にわたしの心の中に浮かんできました。高い志と大きな愛をもって故佐久間進が創業したこのサンレーをみんなで力を合わせて守り、かつ発展させることが最高の供養となります。名誉会長は、空に太陽があるように、いつもわたしたちを見守ってくれています。最後に、わたしは「生涯、太陽を追い続けた男は、虹となって天に昇り、ついに太陽をつかみました」とと言ってから、以下の2首の道歌を披露しました。
父逝きて行くべき月ぞ輝けり
松柏園に光そそぎて 庸軒
太陽を追ふ人つひに虹となり
天に昇りて陽をばつかめり 庸軒
落合課長の誕生日を祝い、感謝の言葉を伝える
落合課長と記念撮影をしました
その後、人事発令がありました。そして、誕生日祝いの時間が来ました。今日、10月1日は秘書室の落合太郎課長の誕生日です。落合課長は佐久間名誉会長の秘書として長年、父を献身的にケアし続けてくれました。本当に大変だったと思いますが、いつも笑顔で名誉会長に寄り添ってくれました。いくら感謝しても、しきれません。わたしは誕生日祝いプレゼントの松柏園ワインを渡した後、壇上で落合課長への感謝の言葉を伝えました。盛大な拍手の中、落合課長とツーショットで記念撮影しました。いろんなことが思い出されて、ちょっと泣けてきました。
「今月の目標」を唱和
最後は、もちろん一同礼!
その後は「今月の目標」を全員で唱和し、最後はもちろん「一同礼」で総合朝礼を終えました。この後は、恒例の北九州本部会議を行います。コロナ禍以降も、わが社は黒字の確保はもちろん、ベストを尽くして走ってきました。おかげさまで昨年は創業以来最高益を出すことができました。今年も、1月から好調なスタートを切ることができました。上半期の業績も過去最高でした。全社員の「こころ」を1つにして、最後まで前向きに走り抜きたいです。空から見守ってくれている名誉会長を安心させるためにも、みんなで頑張りましょう!
2024年10月1日 一条真也拝