感謝と笑顔と思いやり

一条真也です。
9月20日の朝、かねてより病気療養中だった父・佐久間進が満88歳で旅立ちました。25日の通夜、26日の葬儀も無事に終え、ご弔問・ご参列いただいた皆様、また供花・弔電を頂戴した皆様には心より感謝申し上げます。

『佐久間進のすべて』より

 

荼毘に付されて父の肉体は消滅しましたが、その精神は生きています。というのも、父は生前に多くの言葉を遺してくれました。今回は、「堂々と生きる――感謝と笑顔と思いやり」を紹介いたします。父は、昭和10年(1935年)生まれ。北九州市で義父の経営するホテルを補佐するかたわら、儀礼文化の事業化に取り組み、昭和41年(1966年)、北九州市冠婚葬祭互助会(現在のサンレー)を設立。昭和48年(1973年)、38歳の若さで社団法人  全日本冠婚葬祭互助協会(現在は一般社団法人)の初代会長に就任し、業界の発展に尽力しました。
サンレーグループの経営のみならず、日本観光旅館連盟会長、日本儀礼文化協会会長、実践礼道小笠原流宗家、宗教法人世界平和パゴダの代表役員をはじめ、さまざまな公益事業にも積極的に取り組んできました。

満面の笑みを見せる在りし日の父

 

2013年、一般社団法人  全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)が創立40周年を迎えました。全互協の初代会長を務めた父は「設立時には3団体がひとつになり、347の互助会事業者の加盟でスタート致しました。当初は、加盟各社のほとんどが任意の組織でありましたから、それぞれの地域で思いのままに活動しており、考え方に大きな違いもありました。また、誹謗中傷もよく聞かされたりしてなかなか大変な船出でした。そのような中でも、自分達は『互助会』と称して仕事をさせていただいているのだから、業界内において問題を抱えている互助会、行き詰って意欲を失くした互助会、何よりもマスコミの目が非常に厳しかった時だけに、自分の会社にとっては負の資産・マイナス面となることを充分承知の上で引き受けていただいたり、統合や合併をしたりと、設立当初の混乱期を会員の皆様のご協力により何とか切り抜けてきました」と、当時を述懐しています。

人間尊重五十年』と『人間尊重の「かたち」

 

全互協の初代会長としての責任を全うすべく、父は約20社の互助会を救済のかたちで引き受けてきました。このことで自社の経営上、大きな痛手を受けた苦しい経験なども淡々と語った後、40周年を期に、冠婚葬祭互助会は如何にあるべきかについて、「私はこの業界・冠婚葬祭互助会事業に更なる誇りと自信を持つようになりました。なぜなら、この事業・仕事は、心がけ次第で実に日本人に合っている、必要不可欠な仕事だと感じたからです」と語っています。その想いを受け継ぎ、このたび、わたしは一般財団法人  冠婚葬祭文化振興財団の理事長に就任しました。

出光佐三翁のパネル写真の前で

 

さらに、父は敬愛する出光佐三翁とのご縁について、「弊社の事業基盤は北九州でございます。その北九州市の門司は、今では異色にして偉大なる経営者と言われております、あの出光佐三氏が興した出光商会(現:出光興産)の創業の地です」と語っています。父が若かった頃、その創業地の建物の2階に資料館があり、創始者である佐三翁の写真と共に、「社会とは人間が集まってできたものであるから人間は互いに仲良くすること、そして力を合わせることが大切です。それは人間の尊厳だからです。平和の基です。人間の美しさでもあります。私はそれを人間尊重と言っております」という言葉が添えられていたそうです。父は、「私は、今でもこの言葉を鮮明に覚えております。これに加えて、互譲互助(お互いに譲り合い、助け合うことの大切さ)・和の精神の大切さも添えられておりました。私はその『人間尊重』という言葉に強く惹かれ、事業を始めるにあたっては基本理念にも定めました。今でも弊社の経営の原動力となっております」と語りました。


「財界九州」2014年6月号

 

父は、出光佐三翁をモデルとした小説海賊とよばれた男が国民的ベストセラーとなっていることにも触れ、「この事実は、今の時代に出光佐三氏の理念や考え方、すなわち、『自分の利益だけではなしに日本の復興はどうあるべきか』『どうしたら仕事を通じて社会貢献ができるか』がこの本の中に強く滲み出ているからではないでしょうか。だから多くの日本人の心を呼び起こし、強い共感を得たのだと思います」と述べています。

天道館に並ぶ「人間尊重」と「互譲互助」

 

堂々と生きるには、感謝と笑顔と思いやりが大事」という父の信条は、出光佐三氏の理念や考え方に強く影響を受けたものです。この言葉のとおり、父は自らの人生を歩み続んできました。そして人生を卒業するまで、「互譲互助」「利他の精神」「和の心」「相互扶助」という、美しい日本人の精神を後世に繋げるべく精力的に東奔西走したのでした。父がいなくなって、本当に寂しくなりました。

『佐久間進のすべて』(オリーブの木

 

2024年9月28日 一条真也