太陽はまた昇る

一条真也です。
9月20日の朝、かねてより病気療養中だった父・佐久間進が満88歳で旅立ちました。25日の通夜、26日の葬儀も無事に終え、ご弔問・ご参列いただいた皆様、また供花・弔電を頂戴した皆様には心より感謝申し上げます。

『佐久間進のすべて』より

 

荼毘に付されて父の肉体は消滅しましたが、その精神は生きています。というのも、父は生前に多くの言葉を遺してくれました。今回は、「太陽はまた昇る」を紹介いたします。わが社の社名は「サンレー」ですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、太陽光線(SUNRAY)の意味を持っています。

わが人生の「八美道」』(現代書林)

 

父は、著書『わが人生の「八美道」』(現代書林)の冒頭で、沖縄在住の写真家である安田淳夫氏の美しい太陽の写真とともに、以下のような文章を記しています。

太陽はまた昇る。
つらい、きつい、きびしさあれど、
太陽が輝く限り、
希望もまた輝く。
希望が続く限り、人は幸せになれる。



太陽といえば、父・佐久間進の人生とは、太陽の追求の連続でした。 千葉県の房総半島に生を受けた会長は、少年期、太平洋に面した鴨川市の沖に浮かぶ仁右衛門島から昇る荘厳な日の出に心の底から魅せられたそうです。 その島がかの日蓮上人の修行の地と知りました。 若き日の日蓮は島によく渡っては、洞窟の中に座って朝の光を浴びながら修行したといわれます。 日蓮は我が佐久間一族の祖先とも浅からぬ縁があるようですが、1253年に清澄山頂で、大海原から昇る朝日に向かって、初めて「南無妙法蓮華経」と唱えたといいます。 その日蓮の同郷人として大いに影響を受けた佐久間会長の心は自然と太陽を追い求めるようになったのです。 


父の一代記『太陽を追う男』

 

その後、父は創業した会社の社名を「太陽の光(SUNRAY)」を意味する「サンレー」とし、国内で日照時間が一番長い宮崎、逆に一番短く最も太陽を求めている金沢、そしてまさに太陽の国・沖縄など太陽に関連する土地に次々に進出し、人々の心を明るく照らすべくチャレンジしてきました。 佐久間会長は、「私の生涯は太陽、それも美しい日の出を追い求めていたような気がする。石垣島の日の出は世界一だと思うし、九州では門司の青浜から見る日の出が素晴らしい」と、語っています。 その青浜には、 皇産霊神社が建立されました。わが社は「太陽を追う男」が創業した、いわば「太陽を追う会社」なのです。 2004年には「スポーツ報知」に「現代の求道者」という佐久間会長の一代記が連載され、また単行本にもなりました。 その後、『太陽を追う男』の単行本がスポーツ報知社から出版されました。


『佐久間進のすべて』(オリーブの木

 

2024年10月1日  一条真也