「祝日」 

一条真也です。
イオンシネマ戸畑で、日本映画「祝日」を鑑賞しました。映画.comの特集記事に「編集部員にぶっ刺さった【本当に観てよかった衝撃作】」と紹介されていたので関心を持ちました。実際に鑑賞して、「アカデミー賞作品に負けない映画体験」とまで絶賛している編集部員とは温度差を感じましたが、グリーフケア映画の秀作であると思いました。「寄り添う」ということの本質がよく描かれています。

 

ヤフーの解説には、こう書かれています。
「孤独な少女が希望を見いだす姿を描くドラマ。学校の屋上から飛び降りようとした中学生が、そこへ現れた天使を名乗る女性と一日を過ごす。監督は『幻の蛍』などの伊林侑香。応募総数200人以上のオーディションからヒロインに選出されたのは、中川聖菜。伊林監督作『幻の蛍』にも出演した岩井堂聖子、『[マド]MADO』などの西村まさ彦、『死神ターニャ』などの芹澤興人のほか、中島侑香、魚井梨穂らが出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「中学2年生の奈良希穂(中川聖菜)は、中学に入って父を亡くし、母が姿を消したことから一人暮らしをしている。感情を失い、野菜ジュースとプリンだけを口にして、無為に生きる希穂がいつものように登校したところ、学校の正門に『本日は、祝日につき、休校』という看板が出されていた。一旦は帰ろうとした希穂だが、何かに駆り立てられるように校舎の屋上へ上がる。そして飛び降りようとした瞬間、彼女は見知らぬ女性(岩井堂聖子)に手をつかまれる。女性は自分が天使だと言い張り、希穂と行動を共にするようになる」

 

中川聖菜と岩井堂聖子。主演の2人にはいずれも名前に「聖」の文字が入っています。天使についての聖なる映画にぴったりで、監督の思い入れを感じます。それにしても、「祝日」は不思議な作品です。というのも、まったく異なった2つの見方ができるのです。1つ目はピュアな見方で、自死を試みた少女が自身の守護天使から救われる話。もう1つは穿った見方で、母親が入信した宗教団体から遣わされた白装束の女性が「天使」と名乗って、少女の自死を防止する話。まったく異なる2つの見方が成立する不思議な作品なのです。後者ですが、なぜ教団が少女の自死を防ぐかというと、少女が屋上から飛び降りることによって社会的注目を浴び、マスコミの報道によって結果的に教団がバッシングを受けるからです。そういえば、自称天使の白装束は、かつての「オウム真理教」や「パナウェーブ研究所」のコスチュームのようにも見えますね。



ブログ「議員会館で映画『グリーフケアの時代に上映』」で紹介したように、今月15日から衆議院第一議員会館ブログ「グリーフケアの時代に」で紹介したドキュメンタリー映画が上映されました。「グリーフケア」の啓蒙をめざす議員さんらの提案で、「生命のメッセージ展in国会」にて「グリーフケアの時代に」を無料上映をすることになったのです。主に国会議員の方々への啓蒙活動が中心ですが、岸田文雄総理もご来場、ご鑑賞されました。総理をはじめとした国会議員の方々がグリーフケアに関心を寄せるのは、死別の悲嘆に付け込んだ宗教勧誘などを防ぐためです。映画「祝日」の冒頭には、夫に自死された妻がカルト教団に入信する場面がありますが、まさにこのような事態を防止するためなのです。


マジシャンの男に会う(映画.comより)

 

登校した誰もいない学校の屋上から飛び降りようとしたときに出会った自称「天使」との出会いから始まり、アリを見つめる少女、マジシャン、カフェの店員、中華料理屋の店主との出会いで少しずつ変わっていくさまが描かれている映画「祝日」は、全体的にファンタスティックで美しい物語でした。しかし、ファンタジーのような非日常の物語を創る場合には、ディティールのリアリティが重要となります。「祝日」の中では、祝日で中学校が休校なのに、小学生たちは通学していることに違和感がありました。また、天使と名乗る女性が子どもの天使の存在に気づかないことも気になりましたが、これは彼女の正体が天使ではなく教団スタッフであるというメッセージなのかもしれません。あと、さまざまな奇妙な登場人物たちが最後にはすべて関係性が明らかになっていくところは「ご都合主義」のようにも思えてしまいました。

喪服のアフロ男(映画.comより)

 

それでも、登場人物の中に忘れられない印象的なキャラクターがいました。「妻と幼稚園児の娘をトラックに轢かれた男」です。彼は中華料理店の店主なのですが、なぜかアフロ頭で喪服を着ています。彼は妻子の葬式以来、喪服を脱ぐことができなくなったというのです。彼は希穂のために麻婆豆腐を作る最中、涙ながらに「娘くらいの背格好の天使がきて、僕に言うんですよ・・・・・・」と告白します。その内容は、さすがのわたしの涙腺も大いに緩ませました。この映画、観客はわたしの他に2人(そのうちの1人は、 サンレーグリーフケア推進部の市原部長)だったのですが、もう1人は両足を前の席に投げ出していたお行儀の良くない中年のご婦人でした。彼女は、このシーンを観たとき嗚咽していました。しかしながら、その喪服の末路はちょっと「?」と感じましたね。


天使は寄り添ってくれる(映画.comより)

 

その市原部長は日本最初の上級グリーフケア士の1人ですが、希穂にとっての天使の意味について、「感じたのはいつもそばにいて、話を聴いてくれるような存在として描かれているのではということです。父や母を失くしてしまったこの少女にとって、それに変わる存在として描かれた天使は『家族』や『寄り添う存在』の象徴でなかったのだろうかと感じています。映画の最後で天使はいなくなりますが、そのシーンでは空の画像が映し出されます。寄り添ってくれる存在は無くなってしまったのではなく、空がいつでもあるように、いつでも一緒にいるというメッセージであればといいなと思いました」との感想をLINEで寄せてくれました。「さすが!」ですね。


天使は見守ってくれていた(映画.comより)

 

また、この日の夜には金沢の地でもう1人の上級グリーフケア士で、 金沢紫雲閣総支配人でもあるサンレー北陸の大谷賢博部長がイオンシネマ金沢でこの映画を鑑賞しました。彼は、「今まで姿は見えなかったけど、天使はいつもそばで見守ってくれていた『私は一人じゃなかった』ということ。そして悲しみを生きる力に変えられるのは、人と人との共感による支え合いや繋がりなのだとあらためて思いました。悲しみや苦しみを経験したもの同士が繋がることで、自分の人生の『物語』に気づく瞬間があるのだと思いました」との感想をLINEで寄せてくれました。こちらも「さすが!」です。

 

考えてみれば、悲しみや苦しみの中にある人が求めている「天使」とは、「グリーフケア士」のことではないでしょうか。そうであれば、すでに1000人以上誕生したグリーフケア士たちは背中の羽をもっと大きく育てて、1人でも多くの悲しみの中にいる人達の元へ向かってほしいと思います。羽といえば、映画「祝日」の天使には羽がありませんでしたが、やはり天使には羽がないと物足りませんね。映画史上に残る名作であるヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン天使の詩(1987年)に登場する天使ダミエルにも最初は光輝く羽がありました。彼の耳には、さまざまな人々の心の呟きが飛び込んできます。ふらりと下界に降りて世界をめぐる彼は、空中ブランコを練習中のマリオンを見そめます。彼女の「愛したい」という呟きにどぎまぎするダミエル。マリオン一座は今宵の公演を最後に解散を決めました。ライブハウスで踊る彼女にそっと触れるダミエル。人間に恋すると天使は死ぬというのに。

1995年のサンレーCMより

 

天使とは何か? 悲しみや苦しみの中にある人が求めている「天使」は「グリーフケア士」のことだと思いますが、天使の本質は「天国からの使い」です。わたしは、この地上と天国に通路が開けるのは結婚式と葬儀のときではないかと考えています。花はもともと天国に咲いているものだと思います。そうでないと、花の美しさを理解することができません。花はこの世のものにしては美し過ぎるのです。その美しさの一部がこの世に表出しているのでしょう。だからこそ、天国をダイレクトに表現する結婚式と葬儀では「天国のメディア」である花をふんだんに飾るのだと思います。1995年(平成7年)、わが社は「天使でありたい」というCMキャンペーンを展開しました。結婚式のスタッフは「紅の天使」、葬儀のスタッフは「紫の天使」として打ち出したのです。そこで、結婚は「結魂」、葬儀は「送魂」と定義づけました。結局、天使とは「魂のケア」をする存在なのです。そのときの「紫の天使」のモデルは、現在わが社の専務である東孝則さんでした。わが サンレーには、30年前から天使がいたのです!

「ハートライフ」1995年12月1日号より

 

2024年5月21日  一条真也