夏越大祓式&7月度総合朝礼 

一条真也です。7月になりました。
1日は、昼頃にかけてが大雨や風のピークになるとか。今朝の北九州も滝のような非常に激しい雨が降りました。わが家の庭の池もオーバーフローしそうでした。

激しい雨で庭の池がオーバーフローしそう・・・

 

それにつけても、ついに7月になりました。この日の朝、わが社は 夏越大祓式の神事を執り行いました。場所は、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールです。

一同礼!

夏越大祓式のようす

 

わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津隆彦神職をお迎えし、これから暑い夏を迎える前に、会社についた厄を払って社員全員の無病息災を祈願しました。参加者全員が厳粛な面持ちで、儀式に臨みました。


お祓いを受けました 

わが社は儀式を大切にする「礼の社」です

 

わが社は「礼の社」を目指しているので、会社主催の儀礼や行事を盛んに行っています。もともと、「社」というのは「人が集まるところ」という意味です。神社も、会社も、人が集まる場としての「社」なのです。今日は、祭主を務める佐久間進名誉会長が欠席だったので、わたしが最初に玉串奉奠しました。その後、御母堂様の逝去によって忌引の東専務に代わって山下常務が玉串奉奠し、社員のみなさんも一緒に二礼二拍手一礼しました。

玉串奉奠しました

柏手を打ちました


山下常務に合わせて柏手を打つ


山下常務に合わせて一同拝礼

 

神事終了後、わたしが「これで、みなさんは健康に夏を乗り越えられるでしょう」と挨拶しました。わが社では、このような儀式をとても大切にしています。わたしは『儀式論』(弘文堂)という本を書きましたが、いつも「儀式とは何か」について考えています。そして、儀式とは「魂のコントロール術」であり、「人間を幸福にするテクノロジー」であると思っています。

総合朝礼の社長訓示で登壇

玄侑宗久先生との対談を報告

 

その後、サンレー北九州本社の7月度総合朝礼が行われました。社長訓示で、わたしが登壇。まず、わたしは「昨日、東専務の御母堂様の訃報に接しました。故人様の御冥福を心よりお祈りいたします」と述べました。それから、「梅雨で雨が多い上に、暑い日が続きますね。どうか、みなさん、体調を崩さないようにして下さい」と言いました。それから、以下の話をしました。先日、芥川賞作家で福聚寺住職である玄侑宗久先生と対談させていただきました。日本で最も有名な僧侶である玄侑先生は、1956年(昭和31年)、福島県三春町生まれ。安積高校卒業後、慶應義塾大学文学部中国文学科卒業。さまざまな職業を経験した後、京都の天龍寺専門道場に入門されました。

冠婚葬祭文化の振興に寄与する

 

わたしはこれまで、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生と「神道と日本人」をテーマに対談し、古事記と冠婚葬祭として刊行されました。大阪大学名誉教授で中国哲学者の加地伸行先生とは「儒教と日本人」をテーマに対談し、論語と冠婚葬祭として刊行されました。そして今回、玄侑先生と「仏教と日本人」をテーマに対談させていただきました。神道儒教・仏教は「日本人の心の三本柱」というのはわが持論ですが、ついに三本柱が揃いました。まことに光栄です。神道儒教・仏教の第一人者であるお三方との対談は、必ずや冠婚葬祭文化の振興に大きく寄与すると信じています。


仏教の第一人者と「自殺」について語り合う

 

玄侑先生は、2001年に「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞されました。芥川賞受賞後も多くの小説を書かれ、仏教や禅にまつわるエッセイも多いです。玄侑先生は、これまでに、瀬戸内寂聴五木寛之山田太一養老孟司中沢新一佐藤優日野原重明木田元山折哲雄鎌田東二といった各界を代表する錚々たる方々と対談をしてこられました。そんな中に小生を加えていただき、まことに光栄でした。玄侑先生との対談からは、日本仏教および葬儀の未来も垣間見えた気がしました。わたしたちは現代日本人の「こころ」に関するさまざまな問題について語り合いましたが、特に自殺の話が印象的でした。


竜巻と自殺の発生について


熱心に聴く人びと

 

玄侑先生のお寺は福島県の三春にあるのですが、同じ福島県内の「霊山こどもの村」という施設にボタン1つでガラスケースの中に竜巻が起こる装置があるぞうです。竜巻というのは、4つの風を別な角度から合流させて起こします。2つでも3つでも難しいですが、4種類の風が絶妙なバランスで合流すると発生するといいます。玄侑先生は、自殺というのはこの竜巻のようなものだと思ったそうです。そしてたまたま合流した四つの風すべてを知ることができない以上、自殺を簡単な「物語」で解釈するのはやめておこうと思い至ったと語ります。

「自殺」は日本の大問題!

 

自殺によって体を殺そうとした「私」は普段の私ではありません。鬱とか心身症のことも多いですし、竜巻がさまざまな要因で起こっているのかもしれません。自殺が起こるのは現実の変化に対応するための「物語」の再構成ができなかった可能性があります。いま、15歳から39歳までの死因の第1位は自殺です。10歳から14歳の1位は小児がん。2位が自殺です。むろん戦争も感染症も大きすぎるほど大きな問題ですが、こんな切ない体験をしている家族が今の日本には無数にあり、また今日も大勢の若者が、竜巻に吹き飛ばされようとしているのです。これほど重い事実はないのではないでしょうか。


自殺の原因とは何か?

 

自殺はいくつもの原因が竜巻のように合流すると考えているのは事実ですが、これはある意味で死者の尊厳のための物語でもあります。玄侑先生は、「実際のところ、自殺する人の根底には、鬱的な思いがあります。つまり、現状の悪い要素は更に深まっていき、突発的な慶事が起こるはずもない。なぜかそんなふうに思い込んでいるわけです。これは限られた情報や能力による思い込みの覇権主義ではないでしょうか。いわば大脳皮質、もっと言えば左脳による思い込みが、我々の全身に対して今のロシアのように覇権的に振る舞うわけです。それがたぶん自殺なんです」と述べています。

神は「むすぶ」もの


仏は「ひらく」もの

 

玄侑先生の最新刊は『むすんでひらいて』集英社)です。同書の最後で、終戦直後に生まれた童謡「むすんでひらいて」を取り上げる玄侑先生は、この歌に日本復興のための深謀遠慮を感じるといいます。結んで開く、と始まりますが、これは本来、神と仏です。神は「むすぶ」ものであり、仏とは、解脱した存在ですから「ほどける」わけです。玄侑先生はこの歌を憶いだすと、「さまざまな人生上の問題って、じつは解決できるものじゃなくて、何度も結んだり開いたりしながら向き合っていくものだと思えてきます」と述べます。そうしているうちに、いつしか状況は変わってくるというのです。

自分の歩む道を「正解の一つ」に!


熱心に聴く人びと

 

今の若い人たちは、何にでも「1つの正解」があると思っているように見えて仕方ないという玄侑先生は、人生は後戻りできない以上、結んだり開いたりしながら、悩みながら、自分の歩む道を「正解の1つ」にしていくしかないのではないかと訴えます。自殺を考える若者たちは、結んだ「思い込み」を開くことができず、どんどん自縄自縛になっていきます。しかも思い込んだ「正解」から乖離していく自分が許せない。というより、「取り返しがつかない」という感じに近いのではと、玄侑先生は推測します。

最後に道歌を披露しました

 

人生はひたすら目的に沿って結びつづけるものではなく、結んだり開いたりを繰り返すものだと思ってほしいという玄侑先生は、「結んだり開いたりすることがコミュニケーションでもあるし、何かと向き合うことだと思うのです。だから人は、死に対しても、結んだり開いたりを繰り返しながら近づいていくしかない。それはつまり、死ぬ直前でも人は笑うことができる、ということでしょう」と述べられました。素晴らしい死生観であり、大きな感銘を受けました。最後に、以下の道歌を披露して降壇しました。

 

思ひ込み 命を奪ふものと知れ
  むすんでひらく日本のこころ

 

「今月の目標」を唱和

最後は、もちろん一同礼!

 

その後は「今月の目標」を全員で唱和し、最後はもちろん「一同礼」で総合朝礼を終えました。この後は、恒例の北九州本部会議を行います。コロナ禍以降も、わが社は黒字の確保はもちろん、ベストを尽くして走ってきました。おかげさまで昨年は創業以来最高益を出すことができました。今年も、1月から好調なスタートを切ることができました。どうか、全社員の「こころ」を1つにして、最後まで前向きに走り抜きたいです!

 

2024年7月1日 一条真也