「PERFECT DAYS」

一条真也です。
小倉に雪が積もった22日、この日から公開された日本・ドイツ合作映画「PERFECT DAYS」シネプレックス小倉で鑑賞。前代未聞のトイレの清掃映画であり、映像も美しく、しみじみと感動。ただ、主人公の男性が本当に幸せかどうかについては思うところが多々ありました。なお、この記事は、今年160本目の映画レビューです。


ヤフーの「解説」には、「『世界の涯ての鼓動』などのヴィム・ヴェンダース監督と、『ファミリア』などの役所広司が組んだヒューマンドラマ。東京・渋谷の公衆トイレ清掃員の何げない日常を映し出す。『スラッカーズ』などの柄本時生のほか、麻生祐未石川さゆり田中泯三浦友和らがキャストに名を連ねる。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された」とあります。

 

ヤフーの「あらすじ」は、「東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山(役所広司)は、変化に乏しいながらも充実した日々を送っていた。同じような日々を繰り返すだけのように見えるものの、彼にとっては毎日が新鮮で小さな喜びに満ちている。古本の文庫を読むことと、フィルムカメラで木々を撮影するのが趣味の平山は、いつも小さなカメラを持ち歩いていた」となっています。


最初に、映画「PERFECT DAYS」の存在を知ったとき、わたしはブログ「すばらしき世界」で紹介したような作品なのかなと思いました。予告編で、役所広司演じる主人公が質素なアパートで一人暮らしをしている様子が描かれていたからです。「すばらしき世界」は2021年の映画で、西川美和が脚本と監督を手掛け、佐木隆三の小説『身分帳』を原案に描く人間ドラマです。原案の舞台を約35年後の現代に設定し、13年の刑期を終えた元殺人犯の出所後の日々を描きます。中年というか初老の男性が「本当の幸せ」を求めて、ささやかに生きる姿は明らかに「PERFECT DAYS」に通じています。


役所広司が演じる「PERFECT DAYS」の主人公・平山は東京の下町で暮らし、渋谷でトイレの清掃員として働いています。淡々と同じ毎日を繰り返しているように見えますが、彼にとっての日々は常に新鮮で小さな喜びに満ちています。平山の楽しみは、昔の音楽をカセットテープで聴くことと、休日のたびに古本屋で買う文庫本を読むこと。早い時間の銭湯で湯に浸かり、浅草駅の地下街にある大衆酒場で1杯だけ酒を飲むこともささやかな楽しみです。そんな彼の人生は風に揺れる木のようでもありました。実際に木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、木々の写真を撮っていました。


平山の質素な部屋にはあまりモノがありませんが、書棚には本がいっぱいです。かなりの読書好きであることがわかりますが、なじみの古本屋で幸田文『木』パトリシア・ハイスミス『11の物語』を買う場面が登場します。平山がその本を買うとき、犬山イヌコ演じる女店主は「ハイスミスは不安を描くのがうまいのよね。不安と恐怖は違うということを彼女から教わったわ」と言います。なかなか、インテリの店主ですね。『11の物語』はハイスミスの代表的短編集で、彼女のデビュー作である「ヒロイン」など、印象に残る物語11篇が収められています。映画では、平山の部屋でこの本を見つけた彼の姪が興味を示し、その中に収められた「すっぽん」という短編の少年が自分にそっくりだと語っています。

 

 

ヴィム・ヴェンダース監督自身が愛読していると思われるパトリシア・ハイスミスは、1921年生まれのアメリカの女流作家です。彼女は、自らレズビアン、ないし両性愛者だと述べました。長篇の処女作『見知らぬ乗客』の発表前、百貨店のアルバイト中に見かけた女性にヒントを得て長篇を執筆。人妻と女性店員の恋愛を描いたこの物語は、クレア・モーガン名義で出版され、同性愛者の人気を呼び、100万部をこえるベストセラーとなりました。映画「キャロル」(2015年)の原作です。映画といえば、『見知らぬ乗客』がヒッチコックにより1951年に映画化され、1960年に映画化されたルネ・クレマン監督の太陽がいっぱいもヒット映画となりました。


ヴェンダースは、映画監督として50年以上のキャリアを築き、世界三大映画祭の常連となり、数々の賞に輝いてきたドイツの名匠です。その彼に東京を舞台にした映画「PERFECT DAYS」を撮ってもらおうと考えたのは、「ユニクロ」などを展開するファーストリテイリング社取締役の柳井康治氏でした。発案の元には、柳井氏が個人のプロジェクトとして、日本財団と渋谷区に協力を仰いで進めてきた「THE TOKYO TOILET」(TTT)がありました。東京オリンピックパラリンピックの開催を機に、区内にある17の公共トイレを世界的建築家やデザイナーの設計で刷新するプロジェクトです。


監督候補として挙がった名前がヴィム・ヴェンダースでしたが、当たって砕けろとオファーした方法は、シンプルに手紙だったといいます。東京に新しくできた公共トイレと清掃員の物語、という以外にはあえて何も決めず、「お金のあるインディーズ映画を作ってほしい」と持ちかけたそうです。主演には役所広司を想定しました。もともと俳優としての役所をリスペクトしてやまないというヴェンダース監督の心を動かす切り札になったことと思われます。当初の案では短編のオムニバスでしたが、ヴェンダース自身が22年5月に来日して現地を見て回り、本格的な長編劇映画にすることを決めたのでした。


「GQジャパン」2024年1&2月号掲載のインタビューで、「この映画をつくるうえで、やはりパンデミックに対する思いがあったのでしょうか?」というインタビューアーの問いに対して、ヴェンダースは「まさにポスト・パンデミックの物語であり、新たな始まりへの想いを込めた映画です。そして新しい生活のお手本になるのがこの映画の主人公だと思う。多少理想化された人物ではありますが、平山の世界の見方は素敵なものです。消費文化に追われることなく、大きな木の根元にある小さな芽や木漏れ日のような、他の人々が見逃してしまう些細なものに目を留めることができる。本を一気に何十冊も買うのではなく、今必要な1冊だけを買い、読み終わったら次の1冊を買う。自分が今必要としているものだけで満足できるのです」と語っています。

 

また、「こうした物語や人物は、実際にそれが起こる場所から生まれてきたのでしょうか? それとも物語やキャラクターに沿った場所を見つけていったのでしょうか?」という質問に対しては、ヴェンダースは「私の映画作りにおいて“場所”からのインプットは不可欠です。まず場所があり、そこから物語や人物が作られる。たとえば平山が暮らしているスカイツリーのふもとのアパートでは、毎朝道路掃除をする女性が登場します。この女性は、実際にあの場所で私が発見した人物がモデルになっています。それと私は今回、1日のいろんな時間帯にロケ地となる公共トイレをまわったのですが、あるトイレの近くで、いつも同じホームレスの方がいらっしゃることに気づきました。こうして田中泯さんが演じる人物が生まれたわけです。他にも、子ども用のトイレを見て迷子のエピソードを考えつくこともあった。どんなときも、実際の場所からインスピレーションが生まれてくるのです」と語っています。


劇中では、下北沢のレコードショップ「フラッシュ・ディスク・ランチ」が登場。映画では、平山が毎日出勤途中に音楽を聴くアイテムとしてカセットテープが登場しますが、「こうした設定も、あのレコードショップを発見したことで生まれてきたのでしょうか?」という質問に対しては、ヴェンダースは「カセットテープの話自体は、元々脚本に組み込んでいました。平山はふだん古い型の車を運転しているので、ここで音楽を聴くならカセットテープしか使えないだろうな、と。でもその設定から生まれたいくつもの物語を僕たちはとても気に入っています。今の若い人たちが、カセットテープをデジタルメディアより温かみのあるメディアとして愛好しているのも、嬉しいことです。例えば、誰かに音楽をプレゼントしようと、カセットでミックステープをつくることにはストーリーがある。でもデジタルでプレイリストをつくるのはもっと匿名的な行為で、私はそこにストーリーを感じることができないのです。人間と人間の関係性は、カセットテープだからこそ紡いでいくことができるように思います」と語っています。


主人公の平山については、ヴェンダースは「何より彼はとても強い人です。もちろん彼の生活にも寂しい一面はあるでしょう。でも誰からも気に留められない生活だからこそ、いろんなものに対してオープンでいられる。人は孤独とどう向き合うべきなのか。それは現代を生きる私たちが抱える大きなテーマであり、そこで孤独というものの強さと美しさを見せてくれるのが、平山という人なのです。例えば、彼が見知らぬ人と『○✕(マルバツ)ゲーム』をするシーンがあります。あのゲームをしている相手も、きっと孤独さを抱えた人なのでしょう。でも平山がゲームの相手をしたことによって、その人は束の間ではあっても孤独を忘れ、素敵な思いができたはずです」と語っています。平山は無口であり、自己主張しません。それゆえに、観客が感情移入をしやすい存在です。つまり、映画を観ているうちに、観客が平山になってゆくのです。


「本作を見ると、ヴェンダース監督が1985年に制作した『東京画』(撮影は1983年)のことを思い出してしまいます。『東京画』では、もはや東京には小津映画に通じるものが何もない、という悲観的な視線を向けていたかと思いますが、『PERFECT DAYS』では東京の街を愛情を込めたまなざしで見つめているように感じました。時間を経たことで、東京の街に対する思いが変わってきたのでしょうか?」という質問に対しては、ヴェンダースは「『東京画』は40年前も前の映画ですからね! 今あの映画を観るのは、まるで考古学の資料を見るようなものです(笑)。その後、何度も東京に通うようになりましたが、常に変容しつづけ、時代に適応しつづけるのが東京だと思います。歴史や人々の行動、消費主義の変化をもっとも見せてくれる都市ですね」と語っています。


「エンタメOVO」で、映画評論家の田中雄二氏は、「この映画、事件らしい事件はほとんど起こらない。そして全てを語らない省略の妙(例えば平山の過去)や、几帳面でこだわり性の平山が、毎日繰り返す規則性のある動きや丁寧な仕事ぶりを見せながら、見る者に不思議な安心感を抱かせるあたりに、小津の影を感じる。一方、寡黙な平山が表情や目線で語ることによって、彼がふとした瞬間に浮かべるほほ笑みの効果が倍増する。加えて、終盤の三浦と影踏みに興じるシーンから、エンディングの、平山の泣き笑いの表情をアップで捉えた長いショットにつながる一連が、平山の人生に対する満足と後悔を同時に表現していて見事だった。全ては役所の演技力、表現力の高さによるもの。平山と接する人たちや街の点描も秀逸だ」と書いています。わたしは個人的に、三浦友和役所広司という日本を代表する二大俳優の絡みに非常に感動しました。


「PERFECT DAYS」を観ると、改めて「東京画」が観たくなります。このドキュメンタリー映画では、小津安二郎を敬愛するヴェンダースが、鎌倉の小津の墓を訪問し、小津の代表的作品東京物語で主演の笠智衆や撮影の厚田雄春にインタビューします。一方で、「東京物語」の舞台となった東京の取材当時の日常風景が展開されます。オープニングとエンディングには「東京物語」がフィーチャリングされています。そこに映し出されているのは1983年の東京です。もはや「東京物語」で描かれた1953年の様相はありませんでしたが、欧米化された都会の喧騒の中にも日本独自の風景がそこにはありました。「東京画」には、パチンコ・竹の子族食品サンプルなどが映されているのも印象的でした。


誰でも、映画「PERFECT DAYS」を観ると、「人間にとって、本当の幸せって何だろう?」と思うことでしょう。おそらくは役所広司と同じく60代後半と思われる平山はボロ・アパートに住んでいます。読書、カセットでの音楽鑑賞、木の写真撮影、植物栽培といった趣味、銭湯、大衆酒場、スナックといった場所が彼に“ささやかな幸せ”を与えてくれます。一見、彼は裕福ではなくとも心は豊かなようですが、わたしはちょっと違うと思いました。彼は無口で人づきあいをほとんどしないのですが、人間関係を軽視しているかというとそうではなくて、銭湯や公園のベンチで隣り合った人には会釈をします。この会釈というのは「礼」の第一歩であり、人間関係を良くする上で、また社会の中で生活していく上でとても大事なことです。

ウェルビーイング?』(オリーブの木

 

しかし、平山は人間関係に恵まれてはいません。なぜなら、彼は人間関係にとって最も重要な血縁というものを拒絶しているのです。長年諍いがあったと想像される父親が痴呆症になっていると妹から告げられますが、彼は会いに行こうとしません。わたしは「いくら趣味や好きな場所がっても、家族と不仲のままなのは不幸だな」と思いました。拙著ウェルビーイング?オリーブの木)で、わたしは「人間にとっての幸せ」について考えました。そして、仕事への誇りこそ、幸せの大きな要素であると述べました。いくらお金があって、多くの友人がいても、自分の仕事に誇りが持てない人は不幸です。平山の職業はトイレの清掃員です。一般にネガティブなイメージが付きまとうこの職業に彼は誇りを持っています。この意味で、彼にはウェルビーイングがあるのかもしれません。

コンパッション!』(オリーブの木

 

ウェルビーイング?』の姉妹本であるコンパッション!オリーブの木)で、わたしはケアリング労働としてトイレ清掃を例にあげました。ケアリング労働は、一般的に他者にむけられた労働とみなされており、そこにはつねにある種の解釈労働や共感、理解が含まれています。トイレというものは清掃を必要としています。だとすれば、その仕事にあたる人は、その仕事が他者に利する行為だと自覚することによってもたらされる自尊心をもっています。他方で、他人から尊敬と敬意の払われる仕事をする人たちがいます。その仕事に就いた人間は、高い収入を得て、大きな利益を受け取っています。しかし内心では、みずからの職業や仕事がまったく無益なものだと自覚しながら労働しているのかもしれません。


© 一条真也

 

この映画、22日の大雪の中でシネプレックス小倉の10番シアターはほぼ満席でした。観客には元会社員風の紳士が多く、わたしは「あ、TOTOのOBさんたちかも」と思いました。日本における衛生機器製造最大手のTOTOの本社は北九州市の小倉にありますが、同社はファーストリテーリングとともにTTTプロジェクトの基幹企業なのです。その関係で、同社の関係者が多いように思えたのです。実際、映画「PERFECT  DAYS」にはトイレの映像がたくさん流れます。それも、今まで見たことがないような未来型のハイテク・トイレです。そして、映画にはそのハイテク・トイレを平山が清掃する姿が延々と流れます。どれだけ科学技術が進歩しても、トイレという存在は清掃を必要とするのです。

 

 

平山がトイレを清掃する姿は美しく、その所作は茶道や華道にも似ていて、「禅」の精神すら連想させました。清掃を哲学・芸術・宗教などの営為としてとらえる見方は珍しくありません。掃除について、江戸時代の狂歌師である大田蜀山人が「雑巾を 当て字で書けば 蔵と金 あちら福々 こちら福々」という歌を詠んでいます。福々は「拭く拭く」です。この精神を哲学にまで高め、「掃除福々」を唱えている人物が、イエローハット創業者の鍵山秀三郎氏です。鍵山氏は「人の心の荒み」を減らしたいという願いから事業を興しましたが、掃除に関しては第一人者として知られます。雑巾がけ1つにしても、力を込めて少しでもきれいにしようという気持ちが必要であり、鍵山氏は、できれば「あちら福々 こちら福々」となるような拭き方がよろしいと述べています。

 

 

掃除の思想といえば、「祈りの経営」で知られるダスキン創業者の鈴木清一がいます。彼は、およそ掃除ほど尊い仕事は他にないと言い切りました。なぜなら掃除をして、美しくして、他人を「いい気持ちだ」と喜ばせることのできる仕事は、昔から金儲けとしてではなく、修業として実践されてきたからです。掃除は美しくする仕事ですが、その中でも一番大事なことは「心を美しくする」こと。美しい心とは人間を幸福にする「心の豊かさ」を指します。鈴木清一は、その生涯を通じて、「私たちは幸せだ。なぜならまず働けるという健康に恵まれている。しかも私たちがお掃除をすることによって、じぶんでもすぐその効果がはっきりわかる(汚れていたところが、ぐんぐんきれいになる)。こんなあざやかな働き甲斐のある仕事が他にあるだろうか」と、清掃の思想を世に広く訴え続けました。

 

 

会社再建の名人として有名な日本電産社長の永守重信氏は、「倒産する会社の共通点」の1つとして、工場の清掃が行き届いていないことを挙げています。永守氏は清掃というものに注目し、1975年ごろから日本電産の新入社員は1年間トイレ掃除をするという習慣ができあがりました。しかも、ブラシやモップなどの用具は一切使わず、すべてを素手でやることになっているといいます。便器についた汚れを素手で洗い落とし、ピカピカに磨き上げる作業を1年間続けると、トイレを汚す者はいなくなります。これが身につくと、放っておいても工場や事務所の整理整頓が行き届くようになってきます。これが「品質管理の基本」であり、徐々に見えるところだけでなく見えないところにも心配りができるようになれば本物だというのです。


トイレ掃除といえば、芸能界ではビートたけしが有名です。彼は、「俺は、自分の好き勝手にやっているだけで、人よりも才能があるとは思えない。しかし、テレビ番組をやっても、小説を書いても、映画を作っても、絵を描いても、何をやっても評価されてしまう。おかしい・・・。よく考えても、自分の才能でそれらをやれるわけがない。ただ、心当たりが、たった1つだけある。それは、若い頃に師匠に『トイレを綺麗に掃除しろ』と言われてから30年以上ずっとトイレ掃除をやり続けてきた。自分の家だけでなく、ロケ先や公園、ときには隣の家のトイレ掃除もした。俺が成功しているのは、トイレ掃除のお蔭かもしれない」と語っています。風水では、トイレを掃除すると金運が上がるなどと言います。しかし、たけしの場合は、陰徳を積んだことが人生に好影響を与えたように思います。



永守重信氏は整理整頓の重要性を説きましたが、平山のアパートの部屋は整理整頓が行き届いていました。本や観葉植物以外には荷物も少なく、布団を上げれば畳敷きの和室が清々しく見えます。わたしは大量の荷物に囲まれて生活しているので、平山の生き方が羨ましくなりました。しかし、彼が幸せかというと、ちょっと違います。エッセンシャルワークとしてのケアリング労働に従事し、日々のルーティンに歓びを感じる平山ですが、最後に父親と和解してほしいと思いました。人間の幸せとは凧のようなものだと思います。凧は縦糸と横糸の両方が張られて初めて安定して宙に浮きます。人間の心も「血縁」という縦糸と「地縁」という横糸があって安定するのではないでしょうか。つまり、幸せには家族や隣人との良好な関係が欠かせません。平山が実家を訪ねて父と対面したとき、彼の「PERFECT DAYS」は「PERFECT LIFE」となるのではないか。わたしは、そのように思いました。

 

2023年12月23日  一条真也