「すばらしき世界」

一条真也です。
2月14日、バレンタインデーの日曜日、小倉は最高気温が21度もあって春のようでした。わたしはパンを買いに行った帰りに、シネプレックス小倉で日本映画「すばらしき世界」を観ました。コロナ禍で生きづらさを感じている自分の心情にフィットして、少しだけ心が軽くなった気がしました。



ヤフー映画の「解説」には、「『ゆれる』『永い言い訳』などの西川美和が脚本と監督を手掛け、佐木隆三の小説『身分帳』を原案に描く人間ドラマ。原案の舞台を約35年後の現代に設定し、13年の刑期を終えた元殺人犯の出所後の日々を描く。『孤狼の血』などの役所広司が主演を務め、テレビディレクターを『静かな雨』などの仲野太賀、テレビプロデューサーを『MOTHER マザー』などの長澤まさみが演じている。橋爪功梶芽衣子、六角精児らも名を連ねる」と書かれています。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「下町で暮らす短気な性格の三上(役所広司)は、強面の外見とは裏腹に、困っている人を放っておけない優しい一面も持っていた。過去に殺人を犯し、人生のほとんどを刑務所の中で過ごしてきた彼は、何とかまっとうに生きようともがき苦しむ。そんな三上に目をつけた、テレビマンの津乃田(仲野太賀)とプロデューサーの吉澤(長澤まさみ)は、彼に取り入って彼をネタにしようと考えていた」



この映画のラストを観て、あまりにも「すばらしき世界」とはかけ離れた悲劇的結末にも関わらず、わたしは「やっぱり、この世界は捨てはもんじゃないな」と思いました。映画監督で作家の森達也氏に『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(ちくま文庫)という著書があるのですが、そのタイトルそのままの感じでした。原案となった佐木隆三の『身分帳』では、人生の大半を獄中で過ごした受刑10犯の男が極寒の刑務所から満期で出所します。身寄りのない無骨者が、人生を再スタートしようと東京に出て、職探しを始めますが、世間のルールに従うことができず衝突と挫折の連続に戸惑うさまを描いた傑作ノンフィクション・ノベルでした。映画「すばらしき世界」の主人公・三上も娑婆での新生活に戸惑います。



元ヤクザが出所後に迷いながら生きるのは、ブログ「ヤクザと家族 The Family」で紹介した映画も同じですが、あの作品が組=暴力団へのノスタルジーを描いていたのに対して、三上の場合は組には属さない一匹狼でした。そういえば、「ヤクザと家族 The Family」で暴力団の若頭を演じた北村有起哉が「すばらしき世界」では元ヤクザの三上の社会復帰のサポートをする行政のケースワーカーを演じていたのは面白かったです。ヤクザもケースワーカーもほぼ同時に演じ分けることができるなんて、役者というのは凄いですね。



三上は持ち前の短気が禍して、周囲の人間とうまくやっていけません。刑務所でもトラブル続きでしたが、それは彼の正義感の強さのせいでもありました。わたしも短気で喧嘩っ早く、それなりに正義感もある方だと自分では思っていますので、三上の気持ちは痛いほどわかりました。ただ、わたしは短気なことを恥じてもいます。映画鑑賞の前日に「サンドウィッチマン芦田愛菜の博士ちゃん ~三国志を映画・漫画・ゲームで爆笑解説~」というTV番組をたまたま目にしたのですが、『三国志』オタクの10歳の小学生が、「三国志から何を学びましたか」と質問され、「感情を剥き出しにする人間からは人が離れていくことを学びました」と答えたのにはドキッとしました!



そんな三上が更生して、堅気の社会人として生きていこうとするさまをTVプロデューサーの吉澤遥(長澤まさみ)とTVディレクターの津乃田龍太郎(仲野大賀)の2人が番組にしようとします。自分がTVの視聴率のために利用されることもわかっていながら、三上は「TVに出ることによって、生き別れした母親に会えるかもしれない」と思って、引き受けるのでした。焼肉屋でのシーンでは長澤まさみ演じる吉澤プロデューサーが妙に艶めかしく、その帰りにサラリーマンをカツアゲしていた不良2人と喧嘩して撃退した三上の姿を見て逃げ出した仲野大賀演じる津乃田ディレクターはひたすら情けなかったです。しかし、その後、津乃田は仕事抜きで三上と真剣に向き合うようになり、彼の社会復帰も全力で支えていくのでした。



津乃田の他にも、社会復帰するべき必死で藻掻く三上をサポートする人々が少しづつ現れます。弁護士で三上の身元引受人の庄司勉(橋爪功)、その妻の庄司敦子(梶芽衣子)、スーパーの店長である松本良介(六角精児)、そしてケースワーカーの井口久俊(北村有起哉)などです。彼らは、学歴も職歴もなければ戸籍さえないという社会の最底辺に生きる三上に対して温かく接します。その利他の態度を見て、わたしは拙著『隣人の時代』(三五館)に書いた内容をいろいろと思い出して、胸が熱くなりました。



三上を温かく見守る隣人たちは、いわゆる「堅気」の一般人たちです。しかし、「極道」の中にも温かい人間はいました。三上の昔の友人であり、下稲葉組組長の下稲葉明雅(白竜)、その妻の下稲葉マス子(キムラ緑子)がそうで、はるばる訪ねてきた三上を最大限にもてなします。下稲葉組は北九州市にある設定なのでしょうか、三上が下稲葉を訪ねるのに東京からスターフライヤーに搭乗したのには笑いましたね。最後に、下稲葉組に警察が踏み込んできたとき、マス子は金の入った祝儀袋を三上に持たせて逃がします。そのとき、スマ子が「あんたは娑婆で頑張りなさい。我慢することばかりやろうけど、娑婆の空は広いち言いますよ」と語ったのには泣けました。一方、三上が就職した介護施設のスタッフに身障者のスタッフをいじめるようなクズがいたのには、胸が痛みました。



主人公の三上を演じた役所広司はさすがの演技でした。長崎県諫早市で生まれ、大村市長崎県立大村工業高等学校卒業後、上京して千代田区役所土木工事課に勤務。友人に連れられて観劇した仲代達矢主演の舞台公演「どん底」に感銘を受け俳優への道を志します。200倍もの難関である仲代が主宰する俳優養成所「無名塾」の試験に合格。芸名は前職が役所勤めだったことに加え、「役どころが広くなる」ことを祈念して仲代が命名したそうです。その後、数多くのヒット作に主演し、1996年から7年連続で日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞するなど、毎年の映画祭でその名前を挙げられないことはないほど名実共に、日本を代表する映画俳優の1人となりました。海外でもその高い演技力に対し賞が贈られていますが、最近では、「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」で、「我こそは田中」という名の大阪芸人が役所のモノマネをして話題を呼んでいます。



ところで、刑務所を出所するシーンがあったので、わたしはひそかに三上が何かを旨そうに食べるシーンを期待しました。というのも、わたしは、名作「幸福の黄色いハンカチ」で刑務所を出所した高倉健演じる主人公が大衆食堂に入って、ビールと醤油ラーメンとカツ丼を注文して食べるシーンが大好きなのです。健さんは本当に旨そうにビールを飲み、ラーメンやカツ丼をかっ食らっていました。刑務所で臭い飯を食い続けてきたからこそ、あの食事は最高だったはずで、それこそ「すばらしき世界!」と叫びたくなる気分だったと思います。一方の「すばらしき世界」では、それなりに食事のシーンはいくつかあって、三上はすき焼や焼肉や卵かけ御飯などを食べるのですが、今一つ旨そうではありませんでした。そこが、わたし的には物足りませんでしたね。現在、コロナで緊急事態宣言最中で何も楽しいとがありませんが、せめて食事で心を豊かにしたいものです! がんばれ、町の飲食店!



最後に、「すばらしき世界」のラストでは、ある登場人物が死にます。その死の描き方を見て、死生観についても考えさせられました。ブログ「蜩の記」で紹介した映画も役所広司の主演でしたが、無実の罪で3年後に切腹を控える武士・秋谷を見事に演じました。この映画で最もわたしの心に響いたセリフは「死ぬことを自分のものとしたい」という秋谷の言葉でした。予告編には「日本人の美しき礼節と愛」を描いた映画という説明がなされ、最後は「残された人生、あなたならどう生きますか?」というナレーションが流れます。切腹を控えた日々を送る武士の物語ですが、ある意味でドラマティックな「修活」映画と言えるでしょう。それに比べて、「すばらしき世界」で描かれた登場人物の死はあまりにも平凡です。というか、いわゆる「孤独死」です。切腹孤独死の「あいだ」に、日本人の死生観が漂っているように思えてなりません。最近つくづく思うのですが、どんな映画でも、「いかに生き、いかに死ぬか」を観客に問うていますね。

 

2021年2月15日 一条真也