「市子」 

一条真也です。
9日、ブログ「窓ぎわのトットちゃん」で紹介したアニメ映画に続いて、日本映画「市子」シネプレックス小倉で観ました。公開前から「すごい映画」という評判がありましたが、それは正しかったです。本当にすごかった!


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「劇団『チーズtheater』を主宰する戸田彬弘が、旗揚げ公演でもある舞台『川辺市子のために』を自ら映画化。プロポーズされた翌日に突如失踪した女性の壮絶な半生を描く。過酷な境遇に翻弄されて生きてきた主人公を『湯を沸かすほどの熱い愛』などの杉咲花、彼女の行方を追う恋人を『街の上で』などの若葉竜也が演じるほか、森永悠希、倉悠貴、渡辺大知、宇野祥平らが共演。『書くが、まま』などの上村奈帆が戸田と共同で脚本を務め、戸田監督作『名前』などの茂野雅道が音楽を担当する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「3年間共に暮らしてきた恋人・長谷川義則(若葉竜也)からプロポーズされた翌日、突如姿を消した川辺市子(杉咲花)。ぼうぜんとする義則の前に彼女を捜しているという刑事・後藤(宇野祥平)が現れ、信じ難い話を明かす。市子の行方を追って、義則は彼女と関わりのあった人々に話を聞くうち、彼女が名前や年齢を偽っていたことが明らかになっていく。さらに捜索を続ける義則は、市子が生きてきた壮絶な過去、そして衝撃的な事実を知る」

 

この映画は鑑賞前から、いろんな評判を聞いていました。どれも「何を言ってもネタバレになるので、ストーリーに触れられない」「巨大な謎が次第に解き明かされていく」「とにかく衝撃的」といったコメントでした。予告編映像から、杉咲花演じる市子という女性がプロポーズを受けた翌日に失踪した物語であることがわかります。また、宇野祥平演じる刑事の「そんな人間、存在しないんですよ」というセリフから、ミステリアスな映画の全体像が窺えます。自分なりに真相を想像しましたが、いずれにせよ相当に濃いヒューマンドラマであることが予想されました。


わたしが、映画「市子」を観ようと思ったのは、ブログ「法廷遊戯」で紹介した日本映画で杉咲花の怪演を見てしまったからでした。まるで「エクソシスト」の登場する悪魔憑きの少女のような彼女の表情を見て、「これは大変な女優に化けたな」と思いました。彼女をスクリーンで見たのはブログ「湯を沸かすほどの熱い愛」で紹介した2016年の日本映画が最初で、次がブログ「無限の住人」で紹介した2017年の木村拓哉主演でした。その頃はまだ少女という印象だったのに、「法廷遊戯」や「市子」ではすっかり大人の女性になっていました。


杉咲花が7年前に出演した「湯を沸かすほどの熱い愛」ですが、じつは登場人物の失踪を扱っている点が「市子」にも共通しています。「湯を沸かすほどの熱い愛」では、行方不明の夫を連れ戻すことをはじめ、最後の4つの願い事をかなえようと奔走するヒロインの姿を捉えます。1年前、あるじの一浩(オダギリジョー)が家を出て行って以来銭湯・幸の湯は閉まったままでしたが、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)母娘は2人で頑張ってきました。だがある日、いつも元気な双葉がパート先で急に倒れ、精密検査の結果末期ガンを告知されます。気丈な彼女は残された時間を使い、生きているうちにやるべきことを着実にやり遂げようとするのでした。


「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じく、銭湯の主人が失踪する物語がブログ「アンダーカレント」で紹介した2023年の日本映画です。かなえ(真木よう子)は家業の銭湯を継いで、夫・悟(永山瑛太)と順風満帆な日々を送っていたが、悟が突然失踪してしまう。かなえは途方に暮れるが、一時的に休業していた銭湯を再開させる。それから数日後、かなえは銭湯組合を通じて訪ねてきた堀(井浦新)という男を住み込みで雇うことにする。探偵の山崎(リリー・フランキー)と共に悟を捜しながら、堀との日々に心地よさを感じるかなえ。しかしある出来事をきっかけに、かなえ、悟、堀が心の奥底に秘めていたものが浮かび上がるのでした。映画の中で山崎が「じつはね、失踪者というのは帰ってくることはまずないんですよ。年間8万5000件ぐらいあるんですけどね」と言うシーンがあるのですが、その数の多さに驚きました。

 

映画評論家の町山智浩氏は、「市子」がブログ「嘘を愛する女」で紹介した2018年の日本映画に似ていると指摘しています。世話好きな研究医の恋人・小出桔平(高橋一生)と5年にわたって同居している食品メーカー勤務の川原由加利(長澤まさみ)。ある日、桔平がくも膜下出血で倒れて寝たきりになってしまいます。さらに彼の運転免許証、医師免許証が偽造されたもので、名前も職業も嘘だったことが判明。彼女は探偵の海原匠(吉田鋼太郎)と助手キム(DAIGO)に桔平の素性調査を依頼する。そして桔平が執筆中だった小説が見つかり、そこから瀬戸内のどこかに桔平の故郷があることを由加利は知るのでした。


また、町山氏は「市子」と似た映画としてブログ「さがす」で紹介した2022年の日本映画も挙げています。原田智(佐藤二朗)は、中学生の娘・楓(伊東蒼)と大阪の下町で暮らしていた。ある日、彼は娘の楓に指名手配中の連続殺人犯を目撃したと告げ、その翌朝突然姿を消す。警察は本腰を入れて捜索してくれず、楓は自分の力で父を捜して歩く。ようやく日雇い現場に父親の名前を発見して訪ねて行くと、そこには全くの別人の若い男性がいたのでした。ちなみに、わたしは杉咲花の次に大ブレークするのは伊東蒼ではないかと予想しています。2人とも若手女優の中で屈指の実力派ですが、雰囲気が似ていますね。



ここまで、「湯を沸かすほどの熱い愛」「アンダーカレント」「嘘を愛する女」「さがす」といった作品を紹介してきました。「市子」について何を書いてもネタバレになる恐れがあるため、類似作品を並べてきたのです。「市子」を含めて、いずれの映画も、人が突然消えてしまう不条理と謎を描いています。人が消えるのは恐ろしいことですが、さらに恐ろしいのは消えた人間が「最初からいなかった」ことにされることです。たとえば、人が亡くなった場合は必ず葬儀をあげる必要があります。葬儀をあげないと、その人がこの世に存在したのかどうかもわからなくなってしまいます。まさに「儀式なくして人生なし」です。



川辺市子が失踪したのは、恋人から婚姻届けの書類を見せられた翌日でした。婚姻届だけでなく、出生届や婚姻届や死亡届などの法的書類は、その人間がこの世に存在したことの証明になります。ただし書類だけの話で、証人はいません。悪人が誤魔化すことはいくらでも可能です。証人もしっかりいて、その人が実在したことの最高のエビデンスとは、初宮祝い、七五三、成人式、結婚式、葬儀などの冠婚葬祭ではないでしょうか。冠婚葬祭とは、人間の存在の証明にもなるのです。ひたすらに重く、どこまでも暗い「市子」という映画を観て、わたしはそう思いました。

 

2023年12月11日 一条真也