「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」

一条真也です。
金沢に来ています。20日、ブログ「北陸総合朝礼」で紹介した会社行事の他、各種会議に参加しました。夜は、この日から公開された映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」をユナイテッドシネマ金沢で観ました。なんと、206分の超大作です。腰は痛くなるし、腹も減りました。でも、とても興味深い内容で夢中になって観ました。


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「実話を基にしたデイヴィッド・グランの『花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を実写化したサスペンス。石油を採掘したアメリカ先住民の部族から富を奪おうとたくらむ白人たちの姿を、ある男女の恋を絡めながら描く。監督は『沈黙 ‐サイレンス-』などのマーティン・スコセッシ。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などでスコセッシ監督と組んできたレオナルド・ディカプリオのほか、ロバート・デ・ニーロジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンらが出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「20世紀初頭のアメリカ・オクラホマ州先住民族のオーセージ族は、石油を掘り当てて莫大な富を得るが、その財産を狙う白人たちが彼らに近づく。白人たちはオーセージ族を言葉巧みに操っては財産を次々と取り上げ、やがて命までも奪っていく。悪事が加速していく中、オクラホマを訪れたアーネスト・バークハートレオナルド・ディカプリオ)は、オーセージ族の女性モーリー・カイル(リリー・グラッドストーン)と出会って恋に落ちる」

 

 

原作は『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン: オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生』の邦題でハヤカワ文庫から翻訳本が出ています。アマゾンの内容紹介によれば、「1920年代、禁酒法時代のアメリカ南部オクラホマ州。先住民オセージ族が『花殺し月の頃』と呼ぶ5月に立て続けに起きた2件の殺人。それは、オセージ族と関係者20数人が相次いで不審死を遂げる連続怪死事件の幕開けに過ぎなかった――。私立探偵や地元当局が決定的な容疑者を絞れず手をこまねくなか、のちのFBI長官J・エドガー・フーヴァーは、特別捜査官トム・ホワイトに命じて大がかりな捜査を始めるが、解明は困難を極める。部族の土地から出る石油の受益権のおかげで巨額の富を保有するようになったオセージ族を取り巻く、石油利権と人種差別が絡みあった巨大な陰謀の真相とは? 米国史の最暗部に迫り、ニューヨーク・タイムズ他主要メディアで絶賛された犯罪ノンフィクション。『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』として刊行された作品を文庫化・改題」と書かれています。

 

マーティン・スコセッシ監督は、アメリカ史における最も恥ずべき側面のひとつである先住民迫害を描きました。こんな悲惨な事件が存在したこと自体、わたしは初めて知りました。自身の地で発見された石油の利権を裁判で勝ち取ったオセージ族は巨額の富を手にしたわけですが、彼らは「中間業者」とみなされてしまい、あらゆる手段を使って彼らを排除しようとする複雑な計画が練られます。公式には純血で裕福なオセージの犠牲者は20人程度とされていますが、デイヴィッド・グラングは石油との関係からさらに数百人が殺害されたと推測しています。映画に主演したレオナルド・ディカプリオによれば、スコセッシ監督はこの映画を作ることに大きな使命感を抱いていたそうです。事件の根底に人種差別があったという意味では、 ブログ「福田村事件」で紹介した日本映画を連想しました。

 

「福田村事件」は、関東大震災直後に千葉県福田村で起きた実際の虐殺事件を題材に、「A」シリーズなどの森達也が監督を務めたドラマです。地震後の混乱の中、9人の行商団員が殺害された悲劇に至る過程を描く。その背景には、朝鮮人差別の問題がありました。ずっと日本人の多くが知らなかった事件であり、わたし自身もまったく知りませんでした。しかし、マーティン・スコセッシ監督と同じく大いなる使命感を抱いたであろう森達也監督によって映画化されました。今から100年前に起こった実際の事件を題材としているところも「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」と同じです。両作品とも、犠牲者の恐怖、無念、苦しさ、悲しみなどに観客が共感することによって、映画そのものが犠牲者への供養になると思います。

 

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」で描かれたオセージ族連続怪死事件は、新設された連邦捜査局FBI)による調査で全容が明るみに出ました。殺人事件は連続して起きていたのですが、地元の捜査関係者や警察の力では、この一連の事件を解決することができませんでした。そこで、オセージ族評議会が事件の解決に連邦政府の支援を求めたところ、現在のFBIの前身である捜査局が、現地で秘密裏に捜査を開始したのです。当時の長官はJ・エドガー・フーバーでした。半世紀近くもの間、アメリカの法執行機関の顔として恐れられ、称賛され、罵られ、そして崇拝された人物ですが、クリント・イーストウッド監督の「J・エドガー」(2011年)では、なんと、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」主演のレオナルド・ディカプリオが、J・エドガー・フーバーを演じています!


そのディカプリオですが、現在48歳だそうですが、かなり太っていましたね。「タイタニック」(1997年)のときのイケメンぶりは見る影もありません。彼は、主人公のアーネストという人物について、「とても複雑で、とても暗く、人物の観点からもとても魅力的だった」と話しています。アーネスト役に挑戦し突き動かされたというディカプリオは、「アーネストはオセージ族の文化に同化し、カメレオンのようになった」と語っており、そんなアーネストを演じるため、ディカプリオはオセージ・コミュニティの人々と何度も話し合い、人物像を深く掘り下げていったそうです。そして、ディカプリオは自分の目を通した視点を求めた結果、自身のキャリアにおいて最も複雑で葛藤の多い演技の仕事に取り組んでいることを自覚したといいます。環境保護活動家としても知られる彼は、人種問題にも関心が深いことが想像できます。


一連の殺人事件の首謀者ウィリアム・ヘイルを演じたロバート・デ・ニーロの怪演ぶりは凄かったです。1943年生まれで、すでに80歳となっている彼は、マーティン・スコセッシとのコラボレーションで知られ、同年代の中で最高の俳優の1人に数えられています。1973年の映画「ミーン・ストリート」で初めてスコセッシとタッグを組みました。フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974年)におけるヴィトー・コルレオーネ役で助演男優賞、スコセッシのドラマ映画「レイジング・ブル」(1980年)におけるジェイク・ラモッタ役で主演男優賞と、2つのアカデミー賞を受賞。他にも「タクシードライバー」(1976年)、「ディア・ハンター」(1978年)、「レナードの朝」(1990年)、「ケープ・フィアー」(1991年)、「世界にひとつのプレイブック」(2012年)でアカデミー賞にノミネート。まさに、クリント・イーストウッドらとともに「ハリウッドの至宝」と呼べる存在です。


ディカプリオ演じるアーネスト・バークハートの妻であるモーリー・バークハートを演じたリリー・グラッドストーンも良かったですね。じつは彼女の存在を知ったのはこの映画が初めてなのですが、不思議な魅力を感じました。1986年生まれで、現在37歳とのこと。モンタナ州ブラウニング出身で、ブラックフィートとニミプーの血を引いており、ブラックフィート・ネイションの居留地で育ったそうです。ニミプーとは、ネズ・パース族、またはネ・ペルセ族のことで、アメリカインディアンの一部族です。また、彼女はイギリスの首相のウィリアム・グラッドストンの遠い親戚でもあるそうです。「ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して」(2012年)で映画デビューした後、インディペンデント映画の「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016年)と「First Cow」(2019年)でケリー・ライカートとコラボレーション。前者では牧場主を演じ、第32回インディペンデント・スピリット賞助演女優賞にノミネートされています。


「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」に登場するオセージ族については不勉強だったのですが、非常に興味を抱きました。というのも、この映画にはオセージ族の結婚式や葬儀、さらには赤ん坊の名付け式など各種のセレモニーの描写があり、それがどれも「儀式バカ一代」であるわたしのハートにヒットしたからです。「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」について述べたオセージ族のウェブサイトの声明によれば、現在もオセージ族の均等受益権の約26%を部族以外の人が所有しており、オセージ族ではない事業体に随意に譲渡できるそうです。そして、「『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は遠い過去の事件を取り上げた作品ですが、私たちは過去の遺物ではありません。オセージ族は、オクラホマ州北東部の保留地で力強く生きています。私たちはたくましく、希望にあふれ、情熱に満ち、過去の物語を尊び、明日の社会を築きあげます」との声明を出しています。

コンパッション!』(オリーブの木

 

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」を観て、わたしは1冊の自著の内容を思い浮かべました。コンパッション!オリーブの木)です。コンパッションとは、平たく言えば「思いやり」であり、仏教の「慈悲」「利他」、儒教の「仁」、キリスト教の「隣人愛」にも通じます。わたしは、コンパッションの原点は仏教における最古の経典である慈経の中に見事に示されていると考えています。ブッダが最初に発したメッセージであり、その背景には悲惨なカースト制度がありました。ブッダは、あらゆる人々の平等、さらには、すべての生きとし生けるものへの慈しみの心を訴えました。つまり、コンパッションには「平等」への志向があるのです。「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の中で、多くのオセージ族の人々の殺害に関与したアーネストが自身の娘の病死に深い悲嘆をおぼえるシーンがあります。グリーフを知る者は、殺人などできないはずです。愛する人を亡くした人の悲しみの深さに、白人やインディアンの違いなどないのです。

 

2023年10月21日 一条真也