葬祭扶助から互助会へ

一条真也です。
ヤフーニュースで「お葬式、親族が施行拒むケース増加・・・困窮者の扶助費が初の100億円突破」という記事を発見。読売新聞オンラインが配信した記事です。

ヤフーニュースより

 

記事には、「生活困窮者が亡くなった際の火葬代などとして支給される葬祭扶助費の総額が2021年度、全国で約104億円にのぼったことがわかった。厚生労働省によると、100億円を超えたのは、統計の残る1957年度以降初めて。生活に困窮する独居高齢者や故人の引き取りを拒否する親族の増加が背景にある。多死社会における公的支援のあり方が問われている」と書かれています。葬祭扶助というのは、生活保護法に基づく制度で、生活扶助、医療扶助などと並ぶ8つの扶助のうちの1つです。遺体の運搬や火葬などの費用が支給されます。支給額には基準があり、都市部の場合、21万2000円以内です。


「読売新聞オンライン」より

 

葬祭扶助は、遺族が困窮していたり、身寄りのない故人がお金を残していなかったりした場合、遺族のほか、親族、家主や民生委員ら葬儀を行う第三者自治体に申請すると支給されます。厚労省によると、2021年度は過去最多の4万8789件の申請があり、計103億9867万円が支給されました。政令指定都市中核市とそれらを除く都道府県別では、東京都の申請が最も多く8205件。以下、大阪市(4940件)、横浜市(2404件)、名古屋市(1556件)、埼玉県(1523件)などと続きました。葬祭扶助費が約104億円とは、わたしも初めて知りました。驚くべき金額です。日本にこんな時代が訪れるとは、想定できませんでした。

 

 

また、記事には「支給額はほぼ右肩上がりで増えてきたが、2000年代に入って増加幅が拡大。21年度は01年度比で2・8倍に膨らんだ。厚労省社会・援護局保護課は、一人暮らしの65歳以上の人も00年の約303万人から20年の約672万人に倍増していることを踏まえ、『身寄りがない人や困窮者も増えていることが影響している』とみる」と書かれています。さらに、記事には「横浜市大阪市では、故人の身元を特定し、親族に葬儀の施行や遺骨引き取りの意向を確認しているが、『疎遠』を理由に拒まれるケースが多く、第三者による葬儀が増えているという」と書かれています。21年度の支給額が約7億8600万円にのぼった横浜市の担当者は「葬祭扶助費は今後も増加が見込まれる。市の負担も重くなるだろう」と話しています。2010年に話題となった「無縁社会」がいよいよ進行していることがわかります。

 

 

『学生たちの目から見た「ホームレス」』(生活書院)の著書がある長野大の鈴木忠義教授(社会福祉学)は「親族が葬儀を担うことを前提とした仕組みは破綻しつつあり、葬祭扶助に頼らざるを得ない状況が続いている」と指摘。その上で、「子育てや介護と同様に葬儀や埋葬に関するニーズも高まっている。社会保険の枠組みから葬祭費を捻出するなど、公的な仕組みを検討する必要がある」と話しています。この記事を読んで、わたしは悲しくなりました。昔は直接の家族がいなくても兄弟や甥姪が必ず葬儀を出してくれていましたが、今では本当にだれも来ずに出棺することも増えてきました。お金の問題もあると思いますが、縁の大切さを痛感します。わが社では、無縁社会を乗り越えて有縁社会を再生するために、「隣人祭り」をはじめ、さまざまな試みを続けています。縁を繋ぐことは自分のためになることを感じながら、さまざまな縁を繋ぐお手伝いにさらに尽力したいです。

 

 

多くの著書でわたしが訴えてきたように、葬儀は人類の存在基盤です。古今東西、人が亡くなって葬儀をあげなくてもいいと考えた民族も宗教も国家も存在しません。もし、日本に「葬式は、要らない」とか「葬式消滅」とかの考えが存在するのなら、それは人類史から見て現在の日本人が異常なのです。ブログ「親の葬儀は人の道」でも紹介したように、孔子が開いた儒教では、親の葬儀をあげることを「人の道」と位置づけました。孔子の最大の後継者というべき孟子は、人生の最重要事と位置づけています。儒教における「孝」とは、何よりも親の葬儀をきちんとあげることなのです。

 

 

韓国では「孝の啓蒙を支援する法律」が制定されているそうですが、ぜひ、これは日本でも見習うべきだと思います。日本には親の葬儀を確実にあげることができる冠婚葬祭互助会というシステムがあるわけですから、いっそのこと、すべての国民に互助会への入会を義務づけてもいいように思います。いわゆる「互助会入会義務」ですが、義務教育や自賠責保険のようなものですね。誤解してほしくないのは、必ずしもサンレーに入会する必要はないということです。どこの互助会でもいいのです。各自が入りたい互助会に入ることで、とりあえず「わたしは親の葬儀を必ず行います」という証明になるのではないでしょうか。

 

 

何よりも消費者の立場が優先されるこの時代、「互助会の加入義務化」など「なんと、ナンセンスな!」と思われるかもしれませんが、儒教という東アジア共通の思想から見れば、きわめて自然な発想であると確信します。なぜならば、わたしは現代日本における儒者であると、自分では思っていますので・・・・・・。また、互助会への義務加入び伴う会費は個人の負担でなく、公的サービスとして税金から支給されるべきであるとも考えています。わたしは、これからもこの構想について考察を続け、発言していきたいと思います。最後に、葬儀がどんなスタイルに変わろうとも、葬祭扶助金がさらに増大しようとも、葬儀は人類の存在基盤であり、葬式は不滅です!

 

 

ブログ「ハートフル・ソサエティとウェルビーイングと互助会」で紹介したように、一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)が創立50周年にあたって発表した互助会業界将来ビジョンの結論は、「即ち、『将来に向けて業界が目指すべき姿』は『生まれてから亡くなるまでの一人ひとりの暮らしがよりウェルビーイングなものになるように『健康』『交流』『助け合い』を軸として、個々の会員としての関係を深め、会員同士のつながりを広げることで『心ゆたかな社会=ハートフル・ソサエティ』を実現していくことにある』といえる」でした。これは、わたしの考えそのものです。

 

 

わたしには『ハートフル・ソサエティ』『心ゆたかな社会』『ウェルビーイング?』というタイトルの著書もあります。この記事を読んで、わたしは葬祭扶助の約104億円という金額の大きさが家族が少なく、地域社会が崩壊し、葬送儀礼が形骸化している事と比例していると思いました。死生観の空洞化した中で生きている現代の日本を象徴しています。孤独や孤立、うつや自死が増加していく予感のする恐ろしい数字です。「互助会の出番だ!」と強く思いました。そして、それを支える思想については拙著『コンパッション!』(オリーブの木)に詳しく書きました。ぜひ、ご一読下さい!

 

 

2023年9月7日  一条真也