広島原爆の日

一条真也です。
8月6日になりました。「広島原爆の日」です。
世界で初めて核兵器が使用されてから、78年目を迎えました。広島の原爆では、14万人もの方々が即死しました。その事実に改めて心が凍りつく思いです。犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたします。


2023年8月6日の各紙朝刊

 

広島原爆といえば、ブログ「この世界の片隅に」で紹介した日本のアニメ映画を思い出します。テレビドラマ化もされましたが、わたしは2016年の11月にシネプレックス小倉でこの名作を観ました。もう、泣きっぱなしでした。主人公すずが船に乗って中島本町に海苔を届けに行く冒頭のシーンから泣けました。優しくて、なつかしくて、とにかく泣きたい気分になります。きっと、日本人としての心の琴線に触れたのだと思います。

 

「この世界の片隅で」の舞台は広島と呉ですが、わたしの妻の実家が広島です。映画に登場する広島の人々の方言が亡くなった妻の父親の口調と同じで、わたしは義父のことをしみじみと思い出しました。この映画は本当に人間の「悲しみ」というものを見事に表現していました。玉音放送を聴いた後、すずが取り乱し、地面に突っ伏して慟哭するシーンがあるのですが、その悲しみの熱量のあまりの大きさに圧倒されました。エンドロールでグリーフケアが描かれたことにも感動しました。


 

映画といえば、現在、アメリカをはじめとした世界各国ではクリストファー・ノーラン監督の最新作オッペンハイマーが公開中です。日本では公開されていません。科学者の伝記映画としては例外的な大ヒットとなっているそうです。内容は、アメリカ陸軍による原子爆弾開発計画「マンハッタン・プロジェクト」のリーダーを務めた物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いたものです。「マンハッタン・プロジェクト」を中心に据え、特に試作された核弾頭「トリニティ」の臨界実験を映像的なクライマックスに据えているといいます。原爆というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。ですから、被爆国である日本の人々は、当事者として、映画「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があると思います。


実際、わたしは「オッペンハイマー」が日米同時公開されるとばかり思っていました。それが、日本だけ非公開で、現在も公開が決定していないのは何故なのか。この映画で、原爆開発の倫理的責任はどう描かれているのか。試作弾頭「トリニティ」の臨界実験の描写は凝りに凝ったCGと音響で圧倒的なインパクトが強いそうですが、それが、原爆の恐怖を表現しているのか、それとも開発成功を称える高揚シーンになっているのか。さらには、広島・長崎の惨状はどう描かれているのか。本当は、「広島原爆の日」である今日までには公開されているべきでした。1日も早い「オッペンハイマー」の日本公開を切に希望します。

 

その「オッペンハイマー」と7月21日にアメリカで同時公開された映画が、バービー人形を題材にした「バービー」です。この2作を二本立てで見ることがブームになり、ファン達が関連画像をSNSに投稿。その画像は、バービー役の女優マーゴット・ロビーの髪型に原爆を連想させるキノコ雲が合成されています。さらに、爆発を背景に2作品の登場人物が合成された画像もあります。 日本人には見過ごせない画像ですが、さらに問題なのがバービーの公式アカウントが「忘れられない夏になりそうですね」とハートマークをつけて投稿した点です。また、キノコ雲の画像にもウインクのマークをつけて返信しています。公式が好意的に受け止めているかのような返信に見えます。アメリカの一部の人々がいまだに「原爆は栄光の兵器」「ウィニング・ウェポン」という考え方があることを知り、呆然としました。岸田首相が開催した「広島G7サミット」はいったい何だったのでしょうか?

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 広島平和記念資料館の前で

 

ブログ「広島平和記念資料館」に書いたように、わたしは8年前の2013年8月15日に広島平和記念資料館を訪れました。多くの来場者の間を縫い、わたしは館内をくまなく見学しました。そこで、わたしは人類の「業」について考えました。人類はどこから来たのか。人類とは何なのか。人類はどこに行くのか。そんなことを考えました。アメリカが原爆を日本に投下した時点で、人類は1回終わったのではないのか。そんなことも考えました。館内には英語で話している白人もたくさんいました。彼らは、ここで何を感じたのでしょうか。出来るものなら、彼らの本音を聞いてみたかったです。


原爆ドームを訪れました

 

また、ブログ「原爆ドーム」に書いたように、8年前の猛暑の広島で放心状態になりながら、わたしは原爆ドームを眺めました。もちろん人類史を代表する愚行の象徴なのですが、このような建物が当時の状態のままで保存されていることは、本当に凄いと思います。なんだか神々しく思えてきました。もはや神殿の雰囲気さえ醸し出しています。


そう、ブログ「伊勢神宮」に書いた日本最高の神社にも似て、人間の愚かさとサムシング・グレートの実在というべきものを感じさせてくれるのです。戦後、どれほど多くの人々が原爆ドームを訪れ、写真を撮影し、スケッチをし、眺め、何かを考えたことでしょう。その想念の巨大さを思うだけで、眩暈してしまいます。

ウェルビーイング?』『コンパッション!』の双子本

 

わたしは、幸福を追求するキーワードとして「ウェルビーイング」と「コンパッション」の2つを提唱しています。わたしは、以前はウェルビーイングを超えるものがコンパッションであると考えていましたが、この2つは矛盾しないコンセプトであり、それどころか2つが合体してこそ、わたしたちが目指す互助共生社会が実現できることに気づきました。ウェルビーイングが陽なら、コンパッションは陰。そして、陰陽を合体させることを産霊(むすび)といいます。幸福の正体は、ウェルビーイングだけでは解き明かせません。また、コンパッションだけでも解き明かせません。陰陽の2本の光線を交互に投射したとき、初めて幸福の姿が立体的に浮かび上ってくるように思います。



ウェルビーイング」という考え方が生まれたのは1948年ですが、そこには明らかに戦争の影響があったと思います。また、ビートルズ「Let It  Be」のメッセージをアップデートしたものがジョン・レノン「IMAGINE」だと気づきました。つまり、ウェルビーイングには「平和」への志向があるのだと思います。実際、ベトナム戦争に反対する対抗文化(カウンターカルチャー)として「ウェルビーイング」は注目されました。現在、ロシア・ウクライナ戦争が行われていますが、このような戦争の時代に「ウェルビーイング」は再注目されました。



一方、「コンパッション」の原点は、『慈経』の中にあります。ブッダが最初に発したメッセージであり、「慈悲」の心を説いています。その背景には悲惨なカースト制度があったと思います。ブッダは、あらゆる人々の平等、さらには、すべての生きとし生けるものへの慈しみの心を訴えました。つまり、コンパッションには「平等」への志向があるのだと思います。現在、新型コロナウイルスによるパンデミックによって、世界中の人々の格差はさらに拡大し、差別や偏見も強まったような気がします。このような分断の時代に、また超高齢社会および多死社会において、「コンパッション」は求められます。



地球環境の問題は別にして、人類の普遍的な二大テーマは「平和」と「平等」です。その「平和」「平等」を実現するコンセプトが「ウェルビーイング」「コンパッション」ではないでしょうか? コンパッション(Compassion)→  スマイル(Smile)→  ハピネス(Happiness)→   ウェルビーイング(Well-being)の「CSHW」のハートフル・サイクルは、かつて孔子ブッダやイエスが求めた人類救済のための処方箋となる可能性があるのではないか? 「WC」つまり「ウェルビーイング&コンパッション」の産霊を実現することが、ハートフル・ソサエティ実現の第一歩です。後は、実行あるのみです!

慈経 自由訳

 

2023年8月6日 一条真也