安倍元首相の国葬に思う

一条真也です。
27日の14時から安倍晋三元首相の国葬日本武道館で行われました。招待状が届いたら参列するつもりでしたが、わたしには届きませんでしたので、 サンレーの社長室に置かれたTVで国葬の様子を見ました。


ヤフーニュースより

 

国葬の式壇には、生前の安倍氏が愛した富士山をかたどり、左右に広く伸びた裾野と雪化粧が施された頂が表現されました。また、式壇には安倍氏の遺骨とともに議員バッジ、生前に心血を注いだ北朝鮮による拉致被害者救出を誓うブルーリボンバッジも安置されました。式壇の生花は、安倍氏が「常に闘う政治家でありたい」という信念のもと、国家・国民のためであれば、いかなる批判も恐れず行動してきた政治家としての軌跡を表現したといいます。


ヤフーニュースより

 

安倍氏の遺骨が会場に到着すると同時に自衛隊が19発の弔砲を発射し、儀仗隊の敬礼で出迎えました。儀仗隊の先導により、葬儀委員長を務める岸田文雄首相、遺骨を抱いた喪主の昭恵夫人が入場。葬儀副委員長を務める松野博一官房長官による「開式の辞」の後、陸自中央音楽隊、海自東京音楽隊、空自中央音楽隊が国歌を演奏。参列者は1分間の黙禱を捧げました。この1分間の黙祷の時間でさえも、日本武道館の外では「黙祷中止!」の声を上げ、鳴り物で音を出し続けて抗議するグループもありました。

唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)

 

いろんな意見があってもいいとは思いますが、弔意を表す黙祷や献花を邪魔するような行為があったことは非常に残念でした。彼らが日本人だとしたら、同じ日本人として情けなく感じました。これでは、「ごぼうの党」の党首と同じ非礼行為を働いたことになります。誰でも悲しみを表す権利は尊重されるべきであり、それを妨害したり、弾圧するような行為は絶対に許されません。わたしには『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館、サンガ文庫)という著書がありますが、その中で、死者を弔う行為は人類の存在基盤であると訴えました。「礼欲」という人間の本能の発露でもある葬儀は、政治・経済・哲学・芸術・宗教など、すべてを超越します。会場の前では共産党の志位委員長や社民党の福島党首が国葬反対の演説をしたそうですが、葬儀を否定できるイデオロギーなど存在しません!



安倍元首相の国葬にあわせて、東京・千代田区に設けられた一般向けの献花台には13時の段階で1万人以上が訪れたそうです。一方、都内各所で反対デモが行われ、国会前では数千人規模になったそうです。国葬に反対するデモは、会場となった日本武道館周辺でも行われ、警備担当の警察官との小競り合いも見られました。警視庁は、混乱が起きないよう警視総監をトップとする最高警備本部を設置して、全体で2万人にのぼる警察官による最高レベルの警備体制を敷いていました。警備費だけで34億円だとか。



それにしても、1人の人間の葬儀をめぐって、これほど世論が二分したことが今までにあったでしょうか? 島田裕巳氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)と小生の『葬式は必要!』(双葉新書)の2冊が2010年に出て、葬儀の要・不要論争が起こりましたが、それ以来の、政治的問題としてはより大きなスケールで「国葬は、要らない」「国葬は必要!」論争が起こったのです。国葬といえども、1人の人間の死を悼むセレモニーとしての葬儀に変わりはありません。小さなお葬式、家族葬、家庭葬、0葬などなど、葬儀のあり方が問われている現在の日本で、国葬をめぐる論争が起こったことは、国民が「葬儀とは何か?」「死者を弔うことの意味は?」という最も本質的な問題について考える良い機会であったと思います。



故人の戦友でもあった菅義偉前首相の弔辞には、心を打つものがありました。伊藤博文を失った山縣有朋の「かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」という惜別の歌を披露しました。菅前総理の万感の思いがこもった弔辞には自然と拍手が沸き上がりました。このような場での拍手はきわめて異例ですが、それだけ会場の人々の心に響いたのでしょう。ブログ「安倍さん、安らかに!」にも書きましたが、わたしは政治家としての安倍晋三氏を高く評価していました。第2次安倍政権の発足以降の連続在職日数は2822日。約7年8カ月に及び、佐藤栄作元首相を抜いて歴代最長でした。憲法改正を悲願としていました。退陣後には自民党安倍派の会長に就任。自民党内にも強い影響力があり、憲法改正や防衛費の増額の実現に意欲を見せていました。そのブログの最後には、「安倍さん、どうか、安らかにお休み下さい。あなたの大いなる志は、きっと後に続く同志たちが果たしてくれることでしょう。故安倍晋三氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌」と書きました。

朝日新聞」より

 

しかし、今回の論争で、わたしが「安倍元首相の国葬は必要!」と考えていたかというと、少し違います。佐藤栄作元首相のように国民葬か、中曽根康弘元首相のように内閣・自民党葬がふさわしいと思っていました。また、安倍氏本人が国葬を希望したわけではありませんので、ここまで問題を複雑にし、かつ大きくしてしまったのは岸田首相の責任です。岸田首相は閣議決定で実行せず、国会での決議を求めるべきでした。国葬そのものについてのわたしの考えは、ブログ「エリザベス女王の国葬」に書いたように、皇室や王室のみに必要な儀式であって、たとえ元首相であっても国葬にはすべきではないということです。



今回の国葬反対論者、あるいは抗議デモに参加した人々の多くは、旧統一教会問題がうやむやにされていることへの不満もありました。当然だと思います。安倍元首相は、もうこの世にいません。残されたわたしたちにとって最も大切なのは、旧統一教会の問題を決して忘れず、次の選挙では、参議院議員になったにもかかわらず逮捕を恐れて日本に帰国しない暴露系ユーチューバーの所属する政党や、贈呈すべき花束を投げ捨てるような非礼きわまりない党首がいる政党には絶対に投票しないことです。いずれにしろ、次の選挙では日本のためになる政党や心ある候補者を支持することです。それが民主主義国家に生きる者としての「人の道」です。最後に、ブログ「『紫雲』が入った戒名」で紹介したように素晴らしい戒名を得られた故安倍晋三氏に謹んで哀悼の誠を捧げさせていただきます。合掌。

 

2022年9月27日 一条真也