儀式再生に向けて

一条真也です。九州は大雨です。
昨夜もスマホの大雨警報・避難勧告の音が鳴り響いて、眠れませんでした。完全に寝不足ですが、19日の朝、松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

神事の最初は一同礼!

月次祭のようす

ソーシャルディスタンス!


玉串奉奠をしました

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしと一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

最初は、もちろん一同礼!

最初は佐久間会長の訓話です

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に佐久間会長が登壇し、訓話をしました。会長はまず、先月末で定年退職された松田常務について「47年間よく働いて下さいました。何か新しい人生を歩みなら、ぜひ応援させていただきたいと思っています」と述べました。それから創業時を回想して、全互協の初代会長に弱冠37歳で就任したこと、通産省をはじめとした官僚と交渉してきたこと、『礼を売る男』という本で「1兆円産業をめざす佐久間進」と紹介され、大きな話題になったこと、サンレーグループとして1兆円は達成できなかったが、業界としては早々に達成できたことなどを語りました。

佐久間会長訓話のようす

 

それから佐久間会長は、先日の全国葬祭責任者会議で行われた大阪大学名誉教授で中国哲学者の加地伸行先生の講演内容について言及しました。「加地先生は宗教としての儒教を強調しておられましたが、わたしはこれまで儒教には倫理・道徳のイメージが強かったです。わたしにとっての日本人の宗教といえば、やはり聖徳太子に遡る気がします」と述べ、佐久間会長は「聖徳太子神道儒教・仏教の共生戦略は素晴らしいですが、『わたしの信仰』を一言でいえば太陽信仰です!」と訴えました。そして、二見ヶ浦、仁右衛門島、久高島などの太陽の名所に言及し、最後に皇産霊神社がある門司の青浜の名を挙げました。さらには、古代エジプトの太陽神について詳しく語り、太陽信仰が人類の普遍信仰であることを説きました。

ロイヤルブルーのマスク姿で登壇


途中で、マスクを外しました

 

続いて、わたしがロイヤルブルーのマスク姿で登壇しました。まず、「17日の日曜日、JR小倉駅前にある西日本総合展示場で、「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」が盛大に開催されました。例年は11月なのですが、今年は真夏の7月開催。社長のわたしも、来賓として参加しました。わが社が長年企画を温めていたビッグイベントで、念願かなって、ついに一昨年初めて開催されました。参加人員は42チーム、210名(20級以上の方で19路盤で碁が打てる方によって勝敗が競われます。昨年が28チーム、140名でしたので、大変な躍進です。しかも、参加希望チームが多過ぎて4チーム20名の方々が涙を飲んだそうです。これまで北九州の囲碁イベントはゼンリンやTOTOといった企業が冠イベントを開催してきた歴史がありますが、紆余曲折を経て、わが サンレー囲碁大会の顔になることができ、感無量です。


わが社の囲碁大会について

 

わたしは、もともと囲碁は高齢者に向いたグランドカルチャー(老福文化)であると思っているのですが、そのことをお話しすると、SUNRAYを意味する陽光という名前の武宮六段は「まさに、そうだと思います。将棋に比べて、囲碁は負けたときの敗北感が少ないと言われています。その点、将棋の方が勝負論が強いのかもしれません」と言われました。なるほど、将棋は勝敗が一目瞭然ですが、囲碁は(黒白の石を打ちながら)白黒をはっきりとつけません。ストレスの少ない、優しい競技なのです。この日は、わが社の元取締役で、囲碁の達人として知られる朝妻貞雄さんも参加しておられました。


グランドカルチャーで碁縁を!

 

開会式の来賓挨拶で、わたしは「囲碁は、仏教の伝来と共に日本に伝わり、長きにわたり親しまれている日本の伝統文化であるとともに、長年の経験を積むことによる『老成』や『老熟』が何より物をいう文化とも言われています。わたしは、こういった文化を総称して『グランドカルチャー』とよび、八幡西区のサンレーグランドホールという施設を高齢者複合施設として位置づけカルチャー教室などを通して実践しています。いま、日本は人生100年時代を迎えています。重厚なグランドカルチャーの世界に触れて、これからの長い人生を豊かに過ごしていただくことが、老いるに幸福と書いて、『老福』という、充実した人生を過ごす一つの手段になると思っています。ちなみに、本日参加の最年長の方は94歳だそうです。競技としては勝敗も大事ですが、老若男女の皆様方に、本日の大会を通じて囲碁仲間やご友人を作っていただき、人生をこれまで以上に豊かにしていただけましたら何よりです。そう、『碁縁』という御縁がたくさん生まれますように!」と挨拶。すると、大きな拍手が起こって感激しました。


亡くなられた安倍元首相について

 

それから、15日に開催されたサンレーグループの全国葬祭責任者会議の話をしました。今回は、特別講師として、大阪大学名誉教授で中国哲学者である加地伸行先生をお招きし、小倉紫雲閣の大ホールで講演をしていただきました。責任者会議は13時45分から開始されましたが、14時40分、小倉紫雲閣の大ホールで、今月8日に逝去された安倍晋三元首相の死を悼んで、1分間の黙祷を行いました。その後、わたしが登壇し、「安倍元首相が凶弾に倒れました。謹んで、御冥福をお祈りいたします。犯人の背景にあった宗教問題にも心が痛みますが、憲政史上最長の政権を続けた偉大な政治家があんなにあっけなく世を去るとは、わたしもショックでした」と述べました。


安倍元首相の戒名には「紫雲」が!

 

12日には安倍元首相の通夜が、13日には葬儀が行われ、友人代表として麻生太郎氏が弔辞を読まれました。その内容は感動的なものでした。混乱と悲嘆の中にあった遺族や国民も、まず弔い、悼むことで心はひとまず落ち着きました。葬儀の重要性というものを思い知らされたように思います。秋に安倍元首相の国葬日本武道館で開かれることが決まったようで、本当に良かったです。やはり、偉大な政治家には家族葬よりも国葬がふさわしい。わたしの結婚披露宴にご参列いただいたり、生前は大変お世話になった安倍元首相ですが、その戒名に「紫雲」の文字が入っていることを知り、改めて御縁を感じた次第です。


『葬式消滅』について

 

加地先生の講演の後、わたしが1時間話しました。最初に一同礼をした後で登壇したわたしは、宗教学者島田裕巳氏の最新刊『葬式消滅』の内容を紹介しながら、その疑問点を指摘し、反論していきました。同書のアマゾンの内容紹介には、「自然葬、海洋葬を実際に行ない、葬送の自由を進めてきた著者が、現在、そしてこれからの葬儀のカタチを紹介。直葬などの登場でお葬式はますます簡素で小さくなってきました。見送る遺族はお骨を持ち帰らないという葬儀もいよいよ出現。高額な戒名も不要、お墓も不要となってきた新しい時代のお見送りの作法や供養の方法などこれからの時代を見据えた情報を宗教学者が教えます」と書かれています。

島田氏との関係について説明しました

 

わたしは、2010年に、島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』への反論書として『葬式は必要!』を書き、5年後の2015年には島田氏の『0葬』への反論書として『永遠葬』を執筆しました。さらに、その1年後、島田氏と対談し、その内容をまとめた『葬式に迷う日本人』(三五館)を出版しました。宗教哲学者の鎌田東二先生をはじめ、何人からの方々から『葬式消滅』に対抗して今度は『葬式復活』を書いてほしい」と言われましたが、わたしとしては、加地先生との対談本である『論語と冠婚葬祭』が島田氏への最終回答であると考えています。


「輪廻転生」から「極楽浄土」へ

 

『葬式消滅』では、インド仏教の中から浄土という考え方が生まれながらも、極楽浄土に生まれ変わるという信仰が強調されるようになったのは仏教が中国に取り入れられて以降であることが指摘されます。仏教を取り入れた中国人たちは、輪廻転生が繰り返されるという考え方を受け容れませんでした。それは仏教の核心にあるものを否定したことになります。中国で仏教は大きく変容したとして、島田氏は「その変容のなかから浄土教信仰が生まれるのですが、そこには、中国の土着の宗教である儒教が影響を与えました。儒教では、孝の観念を強調します。親孝行の孝です。子どもは親のために尽くさなければならないというわけです。したがって、親が亡くなったときには、喪に服すことになります。その期間はかなりの長さに及びます。喪の期間に生活を慎むことで、善を積み、それが先祖の霊を慰めることに通じるというわけです」と述べています。これも、その通りです。

熱心に聴く人びと

 

仏教は儒教の「孝」の考え方を取り入れて、追善供養というやり方を編み出しました。追善供養の代表が、故人の命日に行われる年忌法要です。その際には法事を行い、先祖の供養を任せている菩提寺に布施をします。これによって、亡くなった先祖は極楽往生を果たすことができるとされました。島田氏は、「こうした考え方が日本にも浸透することで、『葬式仏教』の体制が確立されることとなりました。法要がくり返されることで、先祖は極楽往生を果たすことができるとされました。一方、法要で布施をする子孫の方は、徳を積んだことになり、それは自分が死んで極楽往生を果たす際には、意味を持つと考えられるようになりました。そして、寺の方は、安定的な収入源を確保することが可能になりました。檀家が追善供養をくり返してくれれば、そのたびに布施が収入として入ってくるからです。先祖も子孫も、そして寺も、これで満足できる。そのような体制が確立されたことで、仏教は庶民の間にも深く浸透していきました」と述べます。


寺請制度で葬式仏教が確立

 

「永く残り続ける寺と檀家の関係」では、こうした体制は近世になり、村社会が生まれることで成立したとし、そこには江戸時代に生まれた寺請制度の強い影響があったと指摘します。寺請制度は、最初はキリシタンを禁制としたことで生まれましたが、やがて全体に広げられ、どの家も地域の菩提寺の檀家になることが強制されました。その寺請制度は明治に時代が変わることによっては言師されます。しかし、寺と檀家との関係は継続されました。先祖のすみやかな成仏を実現するのは、法要をくり返す必要があるという考え方がすでに浸透してしまっていたからです。「仏教の葬式はどのように変化したのか?」では、道元の開いた曹洞宗南北朝時代から室町時代にかけて異常とも思えるほどの発展を遂げ、葬式にも関与するようになったことを紹介します。


葬式仏教の本質は儒教だった!

 

曹洞宗の「禅苑清規」には禅宗の僧侶の葬式をどのように行うかという方法が記されていますが、儒教の儀式について記した「儀礼」や「開元礼」をもとにしたものでした。島田氏は「したがって、そのままだと仏教の儀式にはならず、儒教の儀式になってしまうので、それぞれの場面で、仏法の道理について述べた法語を読むことになります。故人の戒名を記した位牌も、儒教の影響を受けて成立したものです。曹洞宗の葬式を作り上げる上で、儒教の影響はとても大きいのです。それも、仏教には葬式のやり方がなかったからで、儒教から借りてくるしかなかったのです」と述べます。これは、まさに『論語と冠婚葬祭』の内容と一致しています。そう、日本の葬式の本質とは仏教ではなく、儒教なのです!


曹洞宗が発明した葬式仏教

 

曹洞宗の開拓した葬式のやり方は、他の宗派にも取り入れられていきました。同じ禅宗である臨済宗をはじめ、天台宗真言宗、浄土宗などです。しかし、浄土真宗日蓮宗は取り入れませんでした。浄土真宗日蓮宗は「戒名」という言葉も使わず、「法名」や「法号」と言います。葬式が死者の供養のために行われるようになったのであれば、それは信仰上大きな意味を持ったことになります。ところが、そうではなく、宗派の経営のために導入されたと指摘し、著者は「ほかの宗派がそれを採用したのも、葬式を担うことが、金銭を稼ぎ出す手段としてもっとも有効だと判断されたからでしょう。浄土真宗でも日蓮宗でも、形式は異なりますが、葬式を担ってきたという点ではおなじです」と述べ、さらには「葬式が消滅にむかってきたのも、結局は、葬式がもともとビジネスとしてはじまったからではないでしょうか。そして、ビジネスとしての価値がなくなれば、それは自然とすたれていくことになるのです」と述べるのでした。

コミュニティホール戦略について

 

第三章「お弔いが葬儀社異存になった理由」の「かつて葬送とはどんなものだったのか」では、日本の葬式の歴史のエポック・エーキング的な出来事となったセレモニーホールの誕生について言及します。そこで、なんと島田氏は小倉紫雲閣を「日本最初のセレモニーホール」と認めているのです。大変嬉しいことですが、島田氏は「セレモニーホールは、家族にとっては馴染のない場所で、そのときはじめて足を踏み入れたかもしれません。慣れない場所で慣れないことをするというのは相当なプレッシャーです。それに、参列者に失礼になってはいけないというプレッシャーもかかります。現在では、そのあたりの感覚は相当に薄れてきましたが、以前は、葬式では世間体ということがやかましく言われました」とも述べています。小倉紫雲閣はセレモニーホールの原点でありながら、災害避難所などを含めたコミュニティーホールとしての革新性を併せ持っています。けっして「馴染のない」「そのときはじめて足を踏み入れた」場所にはするつもりはありません。わが社は、これからも冠婚葬祭互助会の「初期設定」を大切にしつつ、「アップデート」を図っていく所存です。


熱心に聴く人びと

 

最後に、島田氏は「仏教の根本は、悟りということにあります」として、「これからの仏教は、ふたたび釈迦の悟りとは何かを問うものになっていくのではないでしょうか。もし仏教が、そちらにむかうのだとしたら、それは、仏教と葬式の関係が切れた成果なのかもしれないのです」と結論を述べます。これは意見まともな意見であるように思えますが、よく考えると、やはり突っ込み所が多いです。仏教がインドで発祥したのは事実ですが、じつは同じ神から生まれたユダヤ教キリスト教イスラム教がまったく別の宗教であるように、インド仏教と中国仏教と日本仏教も別の宗教であると思います。日本人の「こころ」は仏教、儒教、そして神道の三本柱から成り立っていますが、日本における仏教の教えは本来のインド仏教のそれとは少し違っています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という一つの宗教と見るべきだと考えています。


グリーフケアとしての追善供養

 

『葬式消滅』の中で「追善供養はいらない」とも記されていましたが、グリーフケアにおいては追善供養ももちろん重要な意味を持っています。特に、追善供養の代表である年忌法要の「四十九日」について考えてみましょう。四十九日には、亡くなった方が旅立つための準備だけではなく、愛する人を亡くした人たちが故人を送りだせるようになるための「こころの準備期間」でもあります。幼いわが子を亡くした母親は「あの子を1人であの世にやるのは耐えられない。わたしが付いて行ってあげたい」と思い込んで、後を追っての自死を考える方もいます。しかし、周囲の人たちが「せめて、四十九日までは生きなさい。お母さんが四十九日の法要をきちんと挙げてあげないと、〇〇ちゃんが地獄に行ってしまうよ」と言って、なんとか49日間生きます。すると不思議なことに、少しだけ心が軽くなるのです。そして、「今度は一周忌までは生きよう。あの子の法要をしてあげないと」と思うのです。

日本最大のグリーフケア・システムとは?

 

ある意味で「精神科学」でもある仏教は、死別の悲しみを癒すグリーフケア・テクノロジーとして「四十九日」というものを発明したのかもしれません。亡くなった直後ならショックが大きいけれども、四十九日を迎えた後は、少しは精神状態も落ち着いています。2011年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの被災者の方々が大切な人を亡くしました。その方々は、「四十九日」や「初盆」や「一周忌」などを心の支えとして、歯を食いしばって生きてこられたのです。通夜、告別式、初七日、四十九日・・・・・と続く、日本仏教における一連の死者儀礼の流れにおいて、初盆は1つのクライマックスでもあります。日本における最大のグリーフケア・システムと言ってもよいかもしれません。


「葬式復活」から「儀式再生」へ!

 

現在、グリーフケアの舞台は寺院からセレモニーホールに移行していく流れにありますが、わたしたち冠婚葬祭互助会の役割と使命は非常に大きいと言えます。『葬式消滅』には葬儀に関わる者にとって参考になる知識やデータが満載です。ある意味で、島田氏の極論に反論していく作業の先に、コロナ後の葬儀の地平が拓けてゆくような気がします。葬儀だけではなく、七五三も成人式も結婚式も法事・法要もすべて大切です。儀式は人間の不安な『こころ』を安定させる『かたち』です。そして、目に見えない『縁』と『絆』を目に見せる魔法です。『葬式消滅』から『葬式復活』へ。さらに『儀式再生』のために、利他の精神と高い志を抱いて頑張りましょう!」と言って降壇しました。

最後は、もちろん一同礼!

 

2022年7月19日 一条真也