文化の日

一条真也です。
11月3日になりました。「文化の日」です。
せっかくなので、文化について考えてみたいと思います。
「日本文化」といえば、代表的なものに茶道があります。父が小笠原家茶道古流の会長を務めている関係で、わたしも少しだけ茶道をたしなみます。

f:id:shins2m:20211101235035j:plain
茶道といえば、茶器が大切!

 

茶道といえば、茶器が大切ですね。
茶器とは、何よりも「かたち」そのものです。水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定ですね。ですから、「かたち」としての器に容れる必要があるのです。先日、「人間国宝」である陶芸家の今泉今右衛門先生とお話ししたときにも、そのことを痛感いたしました。

f:id:shins2m:20211026191631j:plain
人間国宝」の今泉今右衛門先生と

 

その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在します。すなわち、儀式なくして文化はありえません。儀式とは「文化の核」と言えるでしょう。

 

わたしは、「冠婚葬祭」の本質とは「文化の核」であると思っています。「冠婚葬祭」のことを、ずばり結婚式と葬儀のことだと思っている人も多いようです。たしかに婚礼と葬礼は人生の二大儀礼ではありますが、「冠婚葬祭」のすべてではありません。すなわち、「冠婚+葬祭」ではなく、「冠+婚+葬+祭」なのです。

f:id:shins2m:20211102092955j:plain

「冠」はもともと元服のことで、現在では、誕生から成人までのさまざまな成長行事を「冠」とします。すなわち、初宮参り、七五三、十三祝い、成人式などです「祭」は先祖の祭祀です。三回忌などの追善供養、春と秋の彼岸や盆、さらには正月、節句、中元、歳暮など、日本の季節行事の多くは先祖をしのび、神をまつる日でした。現在では、正月から大みそかまでの年中行事を「祭」とします。そして、「婚」と「葬」です。結婚式ならびに葬儀の形式は、国や民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国で長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などが反映しているからです。

 

 

つまり、儀式の根底には「民族的よりどころ」というべきものがあるのです。結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。すなわち、『古事記』に描かれたイザナギイザナミのめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町時代以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきました。

f:id:shins2m:20211101235431j:plain決定版 冠婚葬祭入門』(PHP研究所)

 

現在の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれています。しかし、この世に無縁の人などいません。どんな人だって、必ず血縁や地縁があります。そして、多くの人は学校や職場や趣味などでその他にもさまざまな縁を得ていきます。この世には、最初から多くの「縁」で満ちているのです。ただ、それに多くの人々は気づかないだけなのです。わたしは、「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭だと思います。


結納力』(サンレーグランド文庫)

 

結婚式や葬儀、七五三や成人式や法事・法要のときほど、縁というものが強く意識されることはありません。冠婚葬祭が行われるとき、「縁」という抽象的概念が実体化され、可視化されるのではないでしょうか。そもそも人間とは、「儀式的動物」なのだと思います。2021年11月3日の「文化の日」。この日、わたしの長女の結納が小倉の松柏園ホテルで行われます。結納式の会場は、小笠原流の茶室です。もちろん、わたしも女性側の父親として参加します。われながら、これほど「文化の日」にふさわしい過ごし方もなかなかないように思います。

 

2021年11月3日 一条真也