『慈経 自由訳』(三五館版)

一条真也です。
27日の夜、上智大学グリーフケア研究所の講義をオンラインで行います。テーマは「グリーフケアと儀式」です。
67冊目の「一条真也による一条本」は、『慈経 自由訳』(三五館)です。サブタイトルは「安らかであれ 幸せであれ」で、2014年3月に刊行されました。

慈経 自由訳』(三五館)

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本書の帯

 

本書の帯には「本邦初の自由訳」「親から子へ、そして孫へと伝えたい『こころの世界遺産』」「『論語』や『新約聖書』にも通ずる、ブッダからの『慈しみ』のメッセージ」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、以下のように書かれています。
「『慈経』とは――仏教の開祖であるブッダの本心が、シンプルかつダイレクトに語られた教えです。ブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる『慈しみ』の心を最重視しました。八月の満月の夜、月の光の下、『慈経』を弟子たちに説いたといわれています。数多くある仏教の諸聖典のうちでも、『慈経』は最古にして最重要なお経とされています。上座部仏教の根本経典であり、大乗仏教の『般若心経』に比肩するものです。これまで日本にはほとんど紹介されていませんでしたが、『ブッダが本当に伝えたかったこと』を探る道のりで、私は出会いました。『慈経』が私たち日本人の心に『慈しみ』の真髄を具体的に教えてくれていると信じています。――訳・著者より」


わたしがブッダの本心に想いを馳せながら自由訳を行った文章とともに、世界的写真家リサ・ヴォートさんが撮影した素晴らしい写真の数々が掲載されています。もう、この美しい写真を眺めているだけで癒される気分になります。

慈経 自由訳』の最初のメッセージ

 

『慈経』を根本経典とする上座部仏教はかつて、「小乗仏教」などと蔑称された時期がありました。しかし、僧侶たちはブッダの教えを忠実に守り、厳しい修行に明け暮れてきました。「メッタ」とは、怒りのない状態を示し、つまるところ「慈しみ」という意味になります。「スッタ」とは、「たていと」「経」を表します。

 

 

今回、三五館の星山佳須也社長のご好意で、最高のスタッフをご用意いただきました。すなわち、アートディレクションは山岡茂さん、デザインは山本雅一さんという「スタジオ ギブ」の方々です。かの三五館が生んだ大ベストセラーである『1000の風』を作られた方々で、出版界では有名なヒット・メーカーです。

 

 

また、三五館のフォトブックといえば、日本を代表する写真家である藤原新也さんの名著『メメント・モリ』を忘れることはできません。おかげさまで、どこに出しても恥ずかしくない本当に美しい本に仕上がりました。特に、装丁に使われているクリーム色は、やわらかな月の光を連想させます。



興味深いことに、ブッダは満月の夜に「慈経」を説いたと伝えられています。満月とは、満たされた心のシンボルにほかなりません。本書には美しい満月の写真が登場しますが、じつは「慈経」そのものが月光のメッセージです。わたしは、ドビュッシーの「月の光」を聴きながら自由訳を試みました。

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毎日新聞」2014年2月27日朝刊

 

わたしは、「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。「ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために「慈経」のメッセージを残しました。そこには、「すべての生きとし生けるものは、すこやかであり、危険がなく、心安らかに幸せでありますように」と念じるブッダの願いが満ちています。

 

 

ブッダのことば』(岩波文庫)には、我が国の仏教学の泰斗である中村元の訳が収録されています。この「慈経」という経には、わたしたちは何のために生きるのか、人生における至高の精神が静かに謳われています。人間の「あるべき姿」、いわば「人の道」が平易に説かれています。

 

 

「足るを知り 簡素に暮らし 慎ましく生き」といった仏教の根本思想をはじめ、「相手が誰であろうと けっして欺いてはならぬ」「どんなものであろうと 蔑んだり軽んじたりしてはならぬ」「怒りや悪意を通して 他人に苦しみを与えることを 望んではならなぬ」といった道徳的なメッセージも説かれています。その内容は孔子の言行録である『論語』、イエスの言行録である『新約聖書』の内容とも重なる部分が多いと、わたしは思っています。


普遍的な「人の道」が説かれています

 

2012年8月、東京は北品川にあるミャンマー大使館において、わたしはミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正にお会いしました。北九州の門司にある日本で唯一のミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいているご縁からでしたが、そのとき大僧正より、『テーラワーダ仏教が伝える慈経』という本を手渡されました。それを一読したわたしは、広く深く豊かな「慈経」の世界に魅せられてしまいました。

慈経 自由訳』の最後のメッセージ

 

「慈経」は、もともと詩として読まれていました。すなわち、単に書物として読まれるものではなく、吟詠されたものだったのです。わたしも、なるべく吟詠するように、1000回近くも音読して味わいました。そして、自身で自由訳をしたいという気持ちが高まったのです。「慈経」の原文には多くの英文訳がありますが、わたしはランカスター大学、ハーバード大学、およびスリランカ大学で仏教を研究したAndrew Olendzi博士の英文訳(カバーの後ろ袖に掲載)をテキストに使っています。

f:id:shins2m:20191129101303j:plain慈経 自由訳』(現代書林)

 

「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれます。「無縁社会」や「老人漂流社会」などと呼ばれ、未来に暗雲が漂う日本人にとって最も必要なメッセージが「慈経」には込められていると確信します。多くの日本人が幸福になることを願って、わたしはこの『慈経 自由訳』を世に送り出しました。なお、版元の三五館が2017年10月に倒産したために本書は入手困難になりましたが、「もう一度、刊行してほしい」との声をたくさんいただきました。2019年12月、版元を現代書林に変えて生まれ変わりました。自由訳に添えられる写真も女流写真家リサ・ヴォ―ト氏から、沖縄在住の写真家である安田淳夫氏の作品に交代しました。

 

 

 

2021年10月27日 一条真也